犬塚信乃は『南総里見八犬伝』の八犬士で「孝」の玉を持つ。父の遺志を継ぎ、宝刀村雨丸を巡る陰謀に巻き込まれる。犬飼現八との死闘を経て仲間と出会い、里見家再興に貢献後、仙人となる。
曲亭馬琴が実に28年の歳月を費やして完成させた『南総里見八犬伝』は、江戸時代後期の読本文学を代表する、全98巻106冊に及ぶ長編伝奇小説である 1 。物語は、安房国の領主・里見義実の娘である伏姫と、神犬・八房との悲劇的な因縁に端を発する 4 。伏姫の死と共に飛散した「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの霊玉は、それぞれ牡丹の痣を持つ八人の若者、すなわち八犬士を生み出すこととなる 2 。彼らは運命に導かれて集結し、主家である里見家の再興と安寧のために、その生涯を賭して戦う壮大な物語が本作の骨子である 4 。
八犬士の中でも、犬塚信乃戍孝(いぬづかしのもりたか)は、物語序盤における事実上の主人公として、極めて重要な役割を担う。彼は左腕に牡丹の痣を持ち、「孝」の文字が浮かぶ霊玉を所持する 1 。そして、父祖より受け継いだ足利家の宝刀「村雨丸」を巡る一連の事件は、各地に散らばる犬士たちが互いを認識し、集結へと向かうための重要な触媒として機能する 9 。
本報告書は、この犬塚信乃という人物の生涯を、その誕生から仙境へと至る結末まで丹念に追跡するものである。彼の複雑な出自、苦難に満ちた旅路、そして他の犬士たちとの邂逅を通じて、その人格に刻まれた多面性を明らかにする。さらに、彼が生涯をかけて背負い続けた「孝」という徳が、物語の中でいかに複雑かつ深遠な意味合いを持って描かれているかを、作品の具体的な記述に基づいて深く掘り下げ、分析・考察することを目的とする。
年齢(数え年) |
主な出来事 |
関連する主要人物 |
特記事項(犬士としての宿命や人格形成への影響) |
誕生 |
武蔵国大塚にて、犬塚番作の子として誕生。俗信により女子として育てられる 11 。 |
犬塚番作、手束 |
女性名と美貌の由来。後の孤独感や人格形成に影響を与えた可能性が示唆される 12 。 |
11歳(文明2年) |
父・番作が「御教書破却事件」の罪で自害。宝刀・村雨丸を託される 13 。 |
犬塚番作、与四郎 |
父の後を追おうとした際、愛犬「与四郎」を介錯。その首から飛び出た玉により左腕に「孝」の痣を得る。生涯を貫く行動原理が決定づけられる 9 。 |
11歳~18歳 |
伯父・大塚蟇六夫婦に引き取られ、その養女・浜路を許嫁とする 13 。 |
大塚蟇六、亀篠、浜路 |
村雨丸を巡る伯父夫婦の陰謀と、浜路からの一途な思慕を受ける日々。 |
19歳(文明10年) |
村雨丸献上のため、古河公方・足利成氏の元へ旅立つ。出発の際、村雨丸を偽物とすり替えられる 13 。 |
浜路、蟇六、亀篠 |
父の遺言を果たす旅の始まり。浜路の悲劇的な死の遠因となる。 |
19歳 |
滸我(古河)城にて、偽刀献上のため間者と疑われる。芳流閣の屋根上で犬飼現八と死闘を繰り広げ、利根川へ転落 1 。 |
足利成氏、犬飼現八 |
「孝」と「信」の玉を持つ犬士同士の皮肉な初対面。敵対関係の清算と新たな運命への転機。 |
19歳 |
行徳の旅籠「古那屋」にて犬田小文吾と出会う。現八と和解し、三人は義兄弟の契りを結ぶ 9 。 |
犬田小文吾、犬飼現八 |
「孝」「信」「悌」の三犬士が初めて邂逅。犬士の宿縁を自覚する。 |
19歳 |
荒芽山にて、犬川荘助を救出し、犬山道節と出会う。道節より真の村雨丸を返還される 11 。 |
犬川荘助、犬山道節 |
「義」「忠」の犬士と合流。物語前半の混乱が収束し、旅の目的が再設定される。 |
20歳以降 |
八犬士全員が集結し、安房の里見家に仕官する 6 。 |
八犬士、里見義実 |
個人的な「孝」の実践から、里見家への「忠」という公的な役割へと移行する。 |
- |
関東管領連合軍との合戦で、現八と共に一軍を率いて武功を挙げる。かつての仇敵・足利成氏の軍を破る 11 。 |
足利成氏、扇谷定正 |
父の遺志を継いだ「孝」が、主君への「忠」として結実し、過去の因縁を清算する。 |
晩年 |
里見義実の孫娘を妻とし、子を儲け、家督を譲る。痣と玉の奇瑞が消え、富山の洞窟に籠り仙人となる 1 。 |
八犬士、丶大法師 |
俗世での役目を終え、儒教的倫理を超越した道教的な境地へと至る。 |
犬塚信乃の生涯を理解する上で、その父・犬塚番作(本名:大塚番作一戍)の存在は不可欠である。番作は、室町時代の関東における大乱「結城合戦」(1440-41年)の落人であった 3 。彼は主君であった結城氏朝の遺児、春王と安王を庇護し、その過程で足利家に伝わる宝刀「村雨丸」を主家より託された、忠義の武士の末裔であった 9 。この出自こそが、信乃の中に宿る武士としての矜持と、村雨丸を本来の主である足利家に返還するという、生涯をかけた宿願の根源となっている。
信乃の幼少期は、特異な環境下で形成された。母・手束は、我が子の健やかな成長を願うあまり、「元服を迎えるまで男女の性別を入れ替えて育てると、子どもは丈夫に育つ」という当時の俗信に最後の望みを託した 11 。その結果、信乃は「信乃」という女性的な名で呼ばれ、少女の装いで育てられた。この異装の期間が、彼に女性と見紛うほどの類稀な美貌を与えた一方で 1 、周囲からの奇異の目に晒される孤独な日々を強いることにもなり、彼の内向的で一途な人格形成に少なからず影響を与えた可能性が考えられる 12 。
信乃の平穏な日々は長くは続かなかった。彼は幼くして母・手束を病で亡くし 11 、さらに11歳の時、父・番作が「御教書破却事件」という無実の罪を着せられるという悲劇に見舞われる。番作は、自らの潔白を証明できぬまま、息子の信乃に村雨丸の未来を託し、その行く末を案じながら自害を遂げた 9 。
父の非業の死を目の当たりにした信乃は、絶望のあまり後を追おうとする。その刹那、瀕死の状態にあった父の愛犬「与四郎」を不憫に思い、苦しみから解放すべくこれを介錯した。すると、与四郎の首から一条の光と共に霊玉が飛び出し、信乃の左腕を撃った。その箇所には、たちまち「孝」の文字を宿す牡丹の痣が浮かび上がったのである 9 。
この一連の出来事は、信乃の背負う「孝」が、単なる儒教的な徳目ではなく、幾重にも重なる悲劇と宿命によって刻印された、極めて個人的かつ業の深いものであることを物語っている。父・番作が果たせなかった主君への「忠」は、息子への遺言という形で「孝」として継承された。そしてその「孝」の霊玉は、父の死の直後、父の愛犬を介錯するという、慈悲と哀れみが入り混じった行為によって顕現した。信乃の生涯を貫く行動原理は、この血と涙によって練り上げられた原体験によって、決定的に方向づけられたのである。
父・番作の死後、その遺言に従い、信乃は武蔵国大塚の村長である伯父・大塚蟇六と伯母・亀篠の夫婦に引き取られることとなった 13 。そこで彼は、従妹にあたる浜路を許嫁として迎え、成長の日々を送る。浜路は信乃に対して一途で純粋な恋心を抱き続けるが、父の遺言という重い使命を胸に秘める信乃は、その想いに応えることなく、朴念仁な態度を崩さなかった 12 。
宝刀・村雨丸は、信乃にとっては父の遺志を継ぐための聖なる象徴であったが、強欲な蟇六夫婦にとっては、村長の地位を盤石にする権威の証であり、また金銭的価値の高い垂涎の的であった 10 。彼らはこの名刀を我が物にするため、悪辣な陰謀を巡らせる。家に出入りしていた素性の知れぬ浪人・網乾左母二郎を手引きし、信乃を亡き者にして村雨丸を奪い取ろうと画策したのである 20 。
文明10年(1478年)、19歳に成長した信乃は、ついに父の遺言を果たすべく、村雨丸を古河公方・足利成氏に献上するための旅立ちを決意する。浜路は涙ながらに引き留めるが、信乃の決意は固かった 13 。しかし、この旅立ちの裏では、蟇六夫婦の卑劣な企みが実行されていた。彼らは信乃が出立する直前、本物の村雨丸を密かに偽の刀とすり替えていたのである 1 。
このすり替えにいち早く気づいたのは、信乃を深く愛する浜路であった。彼女は信乃の危機を救うべく、真の村雨丸を奪い返し、後を追って届けようと試みる。だが、その健気な行動が悲劇の引き金となった。浜路の意図を知った網乾左母二郎は、自らの野望の邪魔になると判断し、彼女の胸を無情にも刃で貫いた 20 。浜路は、信乃への想いを胸に抱いたまま、非業の死を遂げる。
この一連の事件において、宝刀村雨丸は、信乃の「孝」を試す試金石であると同時に、周囲の人間の欲望を刺激し、悲劇を呼び込む「呪物」としての側面を色濃く見せている。信乃が追求する高潔な理想は、俗世の欲望や純粋な愛情と衝突した時、浜路の死という、あまりにも痛ましい犠牲を生み出してしまった。信乃の「孝」の道は、その第一歩から、血塗られた苦難の道程として始まったのである。
武蔵国大塚を旅立った信乃は、目的地である下総国滸我(古河)に到着する。彼は早速、古河公方の執権である横堀在村を通じて、宝刀・村雨丸の献上を申し出た。しかし、城へ召される直前、刀身を改めた信乃は、それが全くの偽物であることに気づき愕然とする 15 。もはや引き返すことはできず、登城して事情をありのままに説明するが、足利成氏はこれを信じず、信乃を敵方から送り込まれた間者と断定し、捕縛を厳命した 7 。
絶体絶命の窮地に陥った信乃は、捕り方たちの追跡を振り切り、城内にそびえる三層の楼閣「芳流閣」の屋根上へと逃れる 15 。眼も眩むほどの高みであり、追っ手も容易には近づけない。だが、そこに一人の男が現れる。主君への諫言がもとで投獄されていたが、信乃捕縛の命を受けて放免された、捕り物の達人・犬飼現八信道であった 15 。
信乃は「孝」の玉を、現八は「信」の玉を持つ、未来の義兄弟。しかし、互いの素性を知る由もない二人は、芳流閣の屋根上という非日常的な空間で、それぞれの立場における「正義」を賭けて、壮絶な死闘を繰り広げることとなる 1 。この場面は、犬士たちの「宿縁」が、いかに劇的かつ皮肉な形で発現するかを象徴している。個々の正義や忠誠が、必ずしも天命の示す大いなる道と一致しないという、物語の複雑な構造がここに示されている。
激しい組討の末、信乃と現八はもつれ合ったまま、楼閣の屋根から眼下を流れる利根川へと転落する 16 。この落下は、単なる物理的な移動ではない。それは、二人の間にあった敵対関係や、それぞれの立場から生じた誤解を洗い流す、一種の「禊(みそぎ)」としての役割を果たした。死と再生のモチーフを伴うこの劇的な転落によって、彼らはそれまでのしがらみから解放され、犬士としての本来の運命に目覚めるための、重要な転機を迎えるのである。
芳流閣から利根川へと転落し、仮死状態のまま流された信乃と現八は、下総国行徳の入り江に漂着する。そこで二人は、土地で旅籠「古那屋」を営む犬田文五兵衛に救助された 9 。信乃は古那屋で介抱されるうち、文五兵衛の息子であり、腕に「悌」の文字が浮かぶ痣を持つ犬田小文吾悌順と出会う 9 。
時を同じくして、小文吾の乳兄弟であった現八もまた古那屋を訪れる。当初、現八は信乃を捕縛しようとするが、小文吾の懸命な仲介により、二人はついに和解する。互いの腕にある牡丹の痣と、それぞれが持つ霊玉の存在を知った彼らは、自分たちが伏姫の因縁によって結ばれた犬士であることを悟り、固い義兄弟の契りを結んだ 18 。ここに「孝」「信」「悌」の三犬士が初めて邂逅し、物語は大きく転回する。
しかし、平穏は長く続かなかった。信乃捕縛の追っ手が迫る中、小文吾の妹・沼藺の夫であった山林房八が、信乃と自身の容姿が酷似していることを利用し、ある壮大な計画を実行する。それは、自らが信乃の身代わりとなって討たれることで、本物の信乃を逃がそうという、自己犠牲の芝居であった。この悲壮な計画の末、房八と妻の沼藺、そしてその幼い子である大八までもが命を落とすという、痛ましい結末を迎える 9 。
この悲劇の直後、驚くべき奇跡が起こる。亡くなった大八の亡骸から「仁」の文字が浮かぶ霊玉が出現し、彼こそが八犬士の筆頭である犬江親兵衛仁であることが判明したのである 19 。しかし、その喜びも束の間、伏姫の神霊が現れ、親兵衛を神隠しに遭わせてしまう 19 。
行徳古那屋での一連の出来事は、犬士たちの徳が互いに連鎖し、作用し合うことで、より大きな力を生み出すという物語の構造を明確に示している。信乃の「孝」の追求が招いた危機は、小文吾の「悌」(仲間を思う心)によって救われ、その「悌」の行いは、房八夫婦の「自己犠牲」という究極の善行を引き出した。そしてその犠牲が、八犬士の徳の根源とされる「仁」の玉を持つ親兵衛をこの世に顕現させたのである。犬士たちが単独の英雄ではなく、互いに助け合う運命共同体であることが、この場面で決定づけられたと言える。
犬塚信乃の人物像は、単に「孝」という一語で要約できるものではない。彼の内面には、明治期の批評家・坪内逍遥が「仁義八行の化物」と評したような超人的な徳の権化とはかけ離れた、極めて人間的な弱さや矛盾が渦巻いている 2 。
彼の行動原理の根幹には、常に亡父・番作の遺言が存在する。村雨丸を古河公方に献上し、犬塚家の再興を果たすという目的のためには、自らの命や許嫁との幸福さえも躊躇なく犠牲にする。この一点に対する彼の執着と一途さは、まさしく「孝」の体現者と呼ぶにふさわしい 12 。
武士の血を引く信乃は、芳流閣での死闘に代表されるように、卓越した剣技と逆境に屈しない強い胆力を併せ持つ 1 。しかしその一方で、滸我城で間者と疑われた際には、事情を冷静に説明するよりも先に逆上して暴れ回るなど、理性を失いやすい短気な一面も持ち合わせている 12 。彼の英雄的な勇猛さと、感情的な未熟さは表裏一体の関係にある。
信乃の性格における最も複雑な側面は、その純粋さが時として他者への残酷さとして現れる点にある。彼は、許嫁・浜路の一途な恋心や、義兄弟である犬川荘助の深い思慕に対して、驚くほど鈍感であるか、あるいは気づいていても自らの使命を優先してしまう 12 。特に、浜路の死を悼む一方で「もう結婚はしないが、子孫を絶やさぬため妾はもつ」といった趣旨の発言をする場面は 12 、彼の使命感が他者の感情をいかに無神経に踏み越えてしまうかを示す象徴的な例である。
彼は単なる猪武者ではない。甲斐の山中で刺客に狙われた際には、わざと銃弾に倒れたふりをして相手を油断させ、その慢心を突いて懲らしめるなど、冷静な計算に基づいた策略を用いる狡猾さも見せる 12 。
これらの多面的な性格は、信乃が理想化された英雄ではなく、むしろ人間的な矛盾を抱えた、近代的な意味での「性格俳優」であることを示している。彼の長所と短所は、父の悲劇的な死と特異な生育環境によって形成された「孝」への強烈な執着という一点から派生している。作者・馬琴は、意図的に信乃を完璧な人物として描かず、その欠点や矛盾を通して、儒教的な徳を背負って生きることの困難さと、理想と現実の相克という、より深い人間ドラマを描こうとしたのである。信乃のこの「人間臭さ」こそが、時代を超えて読者を惹きつける魅力の源泉となっている。
行徳古那屋を後にした信乃、現八、小文吾の三人は、犬士の集合場所とされる荒芽山を目指して旅を続ける。その頃、信乃とは幼少期からの義兄弟であり、「義」の玉を持つ犬川荘助(旧名:額蔵)は、かつての主家である大塚蟇六夫婦殺害という、全く身に覚えのない罪を着せられ、刑場で処刑される寸前の危機にあった 1 。信乃たちはその場に駆けつけ、間一髪のところで荘助を救出することに成功する 19 。
四人となった一行が荒芽山で落ち合うと、そこには君父の仇を討つために諸国を放浪する、「忠」の玉を持つ犬山道節忠与がいた 19 。ここで運命の歯車が大きく噛み合う。道節こそ、許嫁・浜路の仇である網乾左母二郎を討ち取ったその人であり、その際に浜路が命がけで守った真の村雨丸を偶然にも手に入れていたのである 10 。
道節は、信乃こそが村雨丸の正当な持ち主であることを悟り、これを返還する。父の死以来、偽物とすり替えられ、数奇な運命を辿った宝刀は、ついに信乃の手に戻った 11 。
この荒芽山での一連の出来事は、物語前半の混乱と悲劇に一つの区切りをつける重要な結節点である。村雨丸の旅路は、犬士たちの離散と集結の旅路そのものを象徴している。宝刀は「信乃の孝」から「蟇六の貪欲」、「浜路の恋心」、「左母二郎の邪心」、そして「道節の義憤」という、様々な人間の感情や動機の手を経て、再び「信乃の孝」の元へと帰還した。この返還は、荘助の「義」や道節の「忠」といった他の犬士たちの徳の働きなくしては成し得なかった。失われたものが返還され、物語が正しい軌道に修正されたことで、信乃の旅は過去の清算から、里見家への貢献という未来の創造へと、その目的を新たにするのである。
荒芽山での再会を経て、犬士たちは次々とその縁を結んでいく。赤岩一角の家に潜んでいた化け猫を現八と共に退治した犬村大角(礼)、女田楽師に身をやつして父の仇を討った犬坂毛野(智)、そして神隠しから成長して戻った犬江親兵衛(仁)が合流し、ついに八犬士は一堂に会する 4 。
彼らは、伏姫のかつての許嫁であり、今は出家してゝ大法師と名乗る金碗大輔に導かれ、物語の発端の地である安房国へと向かう。そこで里見家の当主・里見義実とその子・義成に謁見し、伏姫の因縁を告げられ、正式に里見家の家臣として仕えることとなった 4 。
八犬士が仕官して間もなく、里見家は関東管領である扇谷定正、山内顕定、そして古河公方・足利成氏らが結託した大連合軍に攻め込まれ、国家存亡の危機に瀕する 1 。この国難に際し、八犬士は里見軍の中核として、それぞれの持ち場で獅子奮迅の働きを見せる。
犬塚信乃は、義兄弟の犬飼現八と共に一軍を率いて出陣。その正面には、かつて自らを間者として断罪し、芳流閣での死闘の原因を作った古河公方・足利成氏の軍勢が布陣していた。信乃は過去の因縁を乗り越え、里見家の武将として勇猛果敢に戦い、見事これを打ち破るという大功を立てた 11 。
この戦いは、信乃の物語における一つの到達点を示す。彼の旅の始まりは、父の遺言に従い、村雨丸を足利成氏に献上して「仕官」するという、犬塚家という「家」のための、極めて個人的なレベルの「孝」の実践であった。しかし、運命の変転の末、彼はその足利家と敵対し、里見家に仕えることになった。そして、かつて仕えようとした主君を、新たな主君・里見義成のために打ち破る。これは、信乃の個人的な「孝」が、より大きな公の文脈、すなわち「里見家への忠誠」という徳へと昇華・統合された瞬間であった。父・番作が果たせなかった「忠義を尽くすべき主君に仕える」という武士の本懐を、息子である信乃が形を変えて実現したのである。彼の長い旅路は、里見家再興という壮大な歴史物語に合流することで、ここに最大の結実を見た。
関東管領連合軍との大戦に勝利した後、里見家は安泰の時代を迎える。その最大の功労者である八犬士は、里見家の重臣として厚遇され、それぞれが里見義実の八人の孫娘を妻として迎えた 1 。彼らは城を与えられ、子宝にも恵まれ、武士として望みうる最高の栄華を極める。
しかし、時は流れ、平穏な日々が続くうちに、彼らの身体にあった牡丹の痣や、霊玉に宿っていた「仁義八行」の文字は、次第に薄れ、やがて完全に消え去ってしまう 2 。これは、彼らが伏姫の怨念と願いを浄化し、「犬士」としての地上における特別な宿命と役割を完全に果たし終えたことを意味していた。彼らは役目を終えた霊玉をゝ大法師に返上し、俗世との最後の繋がりを断ち切る。
やがて犬士たちは、それぞれの子どもたちに家督と城を譲ると、世俗の栄華に背を向け、連れ立って物語の発端の地である安房の富山へと姿を消した。彼らはその山中の洞窟に籠り、仙人になったと示唆されて、この長大な物語は幕を閉じる 1 。
この結末は、八犬士の物語が、単に儒教的な社会倫理(忠孝)を達成することを最終目標としていないことを示している。彼らが最後に選んだのは、さらなる権勢や富ではなく、俗世から離れた「隠棲」であった。これは、武士としての死や家名の存続といった価値観を超越し、道教的、あるいは仏教的な解脱こそが究極の理想であるという、作者・馬琴の複合的な世界観を色濃く反映している 29 。
犬塚信乃の生涯は、父の死という悲劇から始まり、苦難に満ちた現世で「孝」という徳を全うし、その功徳によって主家を救うという武士の誉れを達成した。そして最終的には、その全ての功業と因縁から解放され、人間としての生老病死の苦しみをも超越した仙境へと至る、壮大な円環構造を持つ物語として完結する。彼の旅は、一人の人間の成長譚であると同時に、徳を積むことの意味と、その究極の帰結を問う、普遍的な物語として、今なお多くの人々を惹きつけてやまない。