犬田小文吾は『南総里見八犬伝』の八犬士で「悌」の玉を持つ。温厚篤実な巨漢で、犬塚信乃と犬飼現八を救い、八犬士の絆を深める。里見家臣として活躍後、仙人となる。
曲亭馬琴が実に28年もの歳月を費やして完成させた『南総里見八犬伝』は、江戸時代後期の読本文学の頂点に立つ、壮大な長編伝奇小説です 1 。物語は、安房里見家の姫・伏姫と神犬・八房との悲劇的な因縁に端を発し、そこから飛散した「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの霊玉が、それぞれの徳を宿す八人の若者、すなわち八犬士を導くという、壮大な構想に基づいています 4 。
八犬士はそれぞれが特異な出自と能力を持つ英雄ですが、その中でも犬田小文吾悌順(いぬたこぶんごやすより)は、「気は優しくて力持ち」という、一見すると素朴で親しみやすい人物として描かれています 7 。しかし、彼の存在は物語の初期段階において、各地に離散していた犬士たちを結びつけ、八犬士という運命共同体を形成する上で、極めて重要な役割を担っています。本報告書では、この犬田小文吾の出自、性格、そして物語における行動の軌跡を丹念に追跡し、分析します。それを通じて、彼が単なる一介の豪傑ではなく、八犬士という兄弟的共同体の倫理的基盤を支える「悌」の徳の象徴であり、物語全体の根幹をなす勧善懲悪という主題 9 を体現する上で、不可欠な人物であったことを多角的に明らかにすることを目的とします。
犬田小文吾の人物像を深く理解するためには、まず彼がどのような環境で生まれ育ったかを探る必要があります。彼の出自は、八犬士の中でも特異な位置を占めており、その後の彼の性格形成や物語における役割に大きな影響を与えています。
小文吾は、長禄3年(1459年)11月20日、下総国行徳(現在の千葉県市川市行徳)で旅籠屋「古那屋(こなや)」を営む文五兵衛の子として生を受けました 11 。武士や浪人が多く登場する『八犬伝』の世界において、彼が町人として育ったという事実は、彼の庶民的で温厚篤実な人柄の基盤を形成する重要な要素となっています 8 。彼の言動に見られる親しみやすさや愛想の良さは、多くの人々が行き交う旅籠という環境で培われたものと推察されます。
しかし、小文吾は単なる町人ではありません。彼の父・文五兵衛は、元を辿れば安房里見家に仕えた武家である那古(なこ)氏の出身でした 11 。何らかの事情で武士の身分を捨て、町人として暮らしていましたが、その血筋は小文吾の中に脈々と受け継がれています。この事実は、小文吾が平時は温厚な町人でありながら、いざという時には武士としての気概と並外れた武勇を発揮するという、彼の二面性の根拠となっています。
この「武家の血を引く町人」という設定は、単なるキャラクターの背景に留まりません。江戸時代は士農工商という厳格な身分制度が社会の根幹をなしていましたが、作者である曲亭馬琴は、人間の本質的な価値や能力は生まれ持った身分によって決定されるものではないという思想を、小文吾という人物に託した可能性があります。彼は、武士の世界と町人の世界という、二つの異なる階層を繋ぐ「橋渡し役」として、物語の中で重要な機能を果たしているのです。
小文吾の家族構成は、彼の運命を大きく左右します。特に、妹の沼藺(ぬい)とその家族は、八犬士の物語と深く結びついています。
沼藺は山林房八(やまなしふさはち)に嫁ぎ、一人の男児を儲けます。この子供こそ、後に八犬士の中で最年少にして最強の「仁」の犬士となる犬江親兵衛(いぬえしんべえ)、幼名を大八(だいはち)です 11 。したがって、小文吾にとって親兵衛は血の繋がった甥にあたります。この直接的な血縁関係は、宿縁によって結ばれた八犬士という擬似的な兄弟関係に、現実的な絆の深さを与える象徴的な意味を持っています。
一方で、義理の弟にあたる房八との関係は悲劇的な結末を迎えます。房八は、罪人として追われる犬塚信乃の身代わりとなるための芝居の中で、誤って妻の沼藺を殺害してしまい、逆上した小文吾自身の手によって討たれてしまいます 4 。この痛ましい事件は、小文吾が否応なく八犬士の過酷な運命に巻き込まれていく最初の大きな試練であり、彼の人生における重要な転換点となりました。
小文吾の人物像は、その堂々たる体躯と、それに宿る温和な精神という、対照的な二つの要素によって特徴づけられます。
彼は八犬士の中でも随一の巨漢として描かれ、その怪力は十八番である相撲において遺憾なく発揮されます 7 。後に詳述するように、素手で猪を打ち倒し、暴れ牛を取り押さえるといった逸話は、彼の超人的な腕力を具体的に示すものであり、里見家のために戦う犬士としての活躍を予感させます。
小文吾の性格を最も的確に表す言葉は、「気は優しくて力持ち」でしょう 8 。その巨躯とは裏腹に、彼の心根は非常に優しく、温厚篤実です。町人育ちであるためか、他の犬士たちに対して常に丁寧な言葉遣いを崩さず、その愛想の良さから誰からも好かれる人物として描かれています 8 。
しかし、その性格は別の側面から見れば「極端に純粋」であるとも評されます 14 。この純粋さは、彼の最大の美点であると同時に、時として彼の弱点ともなり得ます。人を疑うことを知らず、他者の言葉を素直に信じてしまう傾向は、彼を窮地に陥れる原因ともなるのです。
小文吾の純粋さが最も顕著に表れるのが、八犬士随一の策士である犬坂毛野(いぬさかもりの)との関係です。彼は、父の仇討ちのために女装していた絶世の美少年・毛野を一目見て恋に落ちてしまいます。後に毛野が男性であると知った後も、その想いをなかなか断ち切ることができず、毛野に「いいようにおもちゃにされている」と描写されるほど、翻弄され続けます 14 。
この逸話は、小文吾の純朴さ、そして他者の策略や悪意に対する無防備さを象徴的に示しています。彼の純粋さは、汚れのない美しい魂の証ですが、同時に、複雑な人間社会を渡っていく上での危うさも孕んでいます。作者である馬琴は、小文吾が持つ「悌」の徳、すなわち年長者や仲間を素直に敬い、疑わない心が、毛野のような知謀に長けた人物によって利用され得る危険性を示唆しています。これは、儒教的な理想の徳目が、必ずしも現実世界で万能ではないという、物語の持つ複雑で奥深い一面を浮き彫りにしています。
犬田小文吾の生涯は、行徳での運命的な出会いを境に、一介の旅籠屋の若旦那から、里見家を支える八犬士の一人へと大きく転回します。彼の行動の軌跡は、八犬士の集結と活躍の物語そのものと深く連動しています。
物語の序盤、八犬士たちは各地に散らばり、互いの存在を知りません。彼らが初めてその宿縁を自覚し、共同体としての一歩を踏み出すきっかけを作ったのが、犬田小文吾でした。
古河公方・足利成氏の居城にあった芳流閣(ほうりゅうかく)の屋根上で、犬塚信乃と犬飼現八は、互いが犬士であることを知らぬまま死闘を繰り広げます 9 。激しい立ち回りの末、二人は利根川へと転落し、下総行徳の岸辺へと流れ着きました 4 。この時、疲れ果てた二人を救い上げ、自身の営む旅籠「古那屋」へと運び入れたのが、小文吾その人でした 4 。
この救出劇は、単なる偶然ではありません。小文吾の生業が、様々な身分の人々が往来し、情報が集まる「旅籠屋」であったことは、物語の展開上、極めて重要な意味を持ちます。作者の馬琴は、離散した犬士たちが自然な形で集うための舞台装置として、最も蓋然性の高い場所を小文吾の拠点として設定したと考えられます。彼の職業は、彼に与えられた運命的な役割、すなわち犬士たちを引き合わせるという役割と密接に結びついているのです。
古那屋で介抱される中、信乃と現八、そして小文吾は、互いが持つ霊玉の存在に気づきます。信乃の持つ「孝」の玉、現八の持つ「信」の玉、そして小文吾が持つ「悌」の玉 16 。さらに、三人の身体にはそれぞれ牡丹の痣があることも明らかになります 16 。伏姫の因縁によって結ばれた八犬士の同志であることを悟った三人は、固い義兄弟の契りを交わしました 4 。この行徳での邂逅は、八犬士が初めて複数人でその宿縁を共有し、自覚する、物語全体における極めて重要な転換点と言えます。
小文吾の代名詞ともいえる「怪力」は、物語の各所で具体的に描かれます。しかし、彼の武勇伝は単なる力の誇示に終わらず、常に人間社会の複雑な因果と結びついています。
荒芽山(あらめやま)で仲間たちと離ればなれになった後、小文吾は再会を期して浅草寺の近くに居を構えていました。その頃、隅田川のほとりで巨大な猪に襲われた彼は、これを素手で軽々と打ち倒します 12 。この出来事は、彼の並外れた腕力を示す印象的な逸話です。しかし、この武勇がきっかけで、彼を礼として家に泊めた農夫・並四郎に寝込みを襲われ、結果的に彼を殺害してしまうという悲劇を招きます 17 。
その後、旅を続けた小文吾は、越後の小千谷(おじや)で名物の闘牛を見物します。その最中、一頭の牛が暴れ出し、観衆が危険に晒されますが、彼はその牛を怪力でねじ伏せ、見事に取り押さえました 11 。この活躍によって土地の有力者である石亀屋に歓待されることになりますが、その裏では、かつての因縁の相手である毒婦・船虫(並四郎の妻)が、山賊の妻となって彼に復讐の機会をうかがっていたのです 11 。
船虫は按摩に化けて小文吾の命を狙いますが、彼はその策略を見破り、これを退けます。その騒動の最中、偶然通りかかった犬川荘助と感動的な再会を果たします。二人は力を合わせ、船虫が与する山賊一味をことごとく討ち果たし、犬士としての固い絆を再確認するのでした 11 。
これらの活躍譚には、共通した構造が見られます。小文吾の武勇が賞賛される一方で、それが他者の嫉妬や悪意を招き、新たな災いの火種となるのです。これは、作者の馬琴が「力」そのものだけでなく、それが引き起こす「因果」の連鎖を描こうとしていたことを示唆しています。力を持つ者は、それ故に他者から狙われやすいという、人間社会の普遍的な真理が、彼の物語を通して描き出されているのです。
小文吾の温厚な人柄は、個性豊かな八犬士たちを結びつける上で、潤滑油のような役割を果たします。彼は物語の「ハブ空港」とも言うべき存在であり、彼の存在なくして八犬士の集結はより困難なものになったでしょう。
犬飼現八とは、同じ乳母の乳を飲んで育った乳兄弟(ちきょうだい)という、特別な関係にあります 7 。そのため、二人の間には幼少期からの深い信頼と、他の犬士とは異なる親密な空気が流れています。
町人育ちであるためか、実の甥である親兵衛を除いた他の犬士に対しては、常に丁寧な言葉遣いを崩しません 8 。これは、彼が年長者や仲間を敬う「悌」の徳を、意識せずとも自然に実践していることの表れです。当初、心を閉ざしがちだった犬塚信乃に対しても、根気強く誠実に接し、やがて心を通わせます 8 。また、犬川荘助のことは兄のように慕い、深い信頼を寄せていました 8 。彼の受容的で温和な性格が、出自も性格も異なる犬士たちの間に和やかな雰囲気をもたらし、共同体の結束を促したことは間違いありません。
八犬士が里見義実の許に集結した後、小文吾の人生は新たな段階へと進みます。彼は一人の町人から、安房里見家を支える武士として、その忠義を尽くすことになります。
八犬士は正式に里見家の家臣として迎えられ、それぞれの武勇と知略をもって里見家を支えます 1 。関東の覇権を巡る、関東管領・扇谷定正との合戦(関東大戦)が勃発すると、小文吾は犬川荘助と共に、かつての本拠地でもある下総行徳口の防衛という重要な任に就き、見事にこれを守り抜きました 11 。
戦での目覚ましい功績により、小文吾は安房那古(なこ)の城主に取り立てられます 21 。そして、主君・里見義実の八女である弟姫(いろとひめ)を妻として迎え、二男二女に恵まれるという、幸福な後半生を送りました 11 。やがて子供たちに家督を譲ると、他の七人の犬士たちと共に、伏姫の霊が眠る富山(とみさん)の山中へと隠棲し、仙人になったと物語は荘厳に結ばれます 1 。
犬田小文吾という人物は、単に物語を動かす登場人物であるだけでなく、作者・馬琴が込めた思想や世界観を象徴する、多層的な意味を担っています。特に、彼に与えられた「悌」の玉と「牡丹」の痣は、その深層を読み解く上で重要な鍵となります。
八犬士の霊玉に刻まれた「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの文字は、儒教の徳目を基にしています。小文吾が持つ「悌」の玉は、八犬士という共同体のあり方を象徴する、重要な徳目です。
儒教において「悌(てい)」とは、年長者、特に兄に対して従順であり、敬愛の心を尽くすことを意味する徳目です 24 。血の繋がりはなくとも、宿縁によって結ばれた「兄弟」である八犬士たちにとって、この「悌」の徳は、共同体の秩序を保ち、和合を維持するために不可欠な倫理でした。小文吾がこの徳を体現する人物として設定されていることは、彼が八犬士の精神的な支柱の一人であることを示しています。
小文吾の「悌」の玉は、彼が赤子であった頃の食初めの儀で、祝いの膳に上った鯛の腹から現れたとされています 20 。この奇跡的な出自は、彼が生まれながらにして「悌」の徳を宿すべく運命づけられていたこと、その徳が天命によるものであることを強く象徴しています。
彼が「犬田」という姓を名乗るようになったのは、村で悪事を働いていた桫權犬太(さるけんいぬた)という悪人を蹴り殺し、その功績を里人たちから賞賛されたことに由来します 20 。この逸話は、彼の力が決して私利私欲のために振るわれるのではなく、常に共同体の安寧と正義のために使われることを示しています。これは、彼の持つ「悌」の徳が、兄弟という閉じた関係だけでなく、より広い社会への貢献へと昇華されていることを表す重要なエピソードです。
八犬士のもう一つの宿命の証が、身体のどこかに現れる牡丹の痣です。この痣もまた、物語の根幹をなす思想と深く結びついています。
八犬士が全員、身体のどこかに牡丹の痣を持っていることは、彼らが共通の宿命を背負っていることの紛れもない証です 4 。この痣の起源は、彼らの父祖とも言うべき神犬・八房の身体にあった八つの牡丹の花のような斑模様に由来しており 11 、八犬士と八房との深遠な因果関係を示しています。
小文吾の痣は尻にあり、その由来は相撲の試合で相手を投げ飛ばした際に滑り、石に尻を強く打ち付けた時に生じたとされています 7 。このいささか滑稽で庶民的な由来は、彼の親しみやすいキャラクターを一層際立たせると同時に、重要な示唆を含んでいます。彼の「悌」の玉が儀式という公的な場で現れたのに対し、痣は相撲という日常的な出来事から生じています。これは、作者の馬琴が「天命」や「宿縁」といった超自然的な力と、個人の「行動」や「経験」という現実的な要素を巧みに織り交ぜていることを示しています。運命はあらかじめ定められているだけでなく、個人の人生における具体的な出来事を通して、初めて明らかにされていくという世界観がここに提示されているのです。
物語の終盤、八犬士の導き手であるゝ大法師(ちゅだいほうし)は、この牡丹の痣が持つ深遠な意味を解き明かします。その解釈は、物語全体を貫く壮大な陰陽思想に基づいています 27 。
このように、牡丹の痣は単に八犬士の証であるだけでなく、「男性共同体」という彼らの本質と、彼らがやがて「婚姻による社会の完成」へと至るという物語の壮大な結末までを暗示する、極めて多層的なシンボルなのです。
曲亭馬琴によって創造された犬田小文吾の複雑で多面的な人物像は、後世、映画やアニメーションといった様々なメディアで翻案される中で、時代ごとの価値観や媒体の特性を反映し、多様な変容を遂げてきました。本章では、原作の人物像を基準とし、後代の作品で小文吾がどのように受容され、再創造されてきたかを比較分析します。
以下の表は、主要な映像作品における犬田小文吾の描かれ方を一覧化し、その共通点と相違点を視覚的に明確にすることを目的としています。これにより、原作のキャラクターが時代や媒体に応じてどのように「翻訳」されてきたかを一目で把握することができます。
媒体 |
作品名 |
年代 |
演者/声優 |
人物像の特徴と原作からの変容 |
典拠 |
映画 |
里見八犬伝 |
1983年 |
苅谷俊介 |
豪放磊落な巨漢としての側面が強調され、アクション要員としての役割が色濃い。原作の繊細さより「力」の側面が前面に出ている。 |
28 |
OVA |
THE八犬伝 |
1990-95年 |
玄田哲章 |
原作の温厚さに加え、頼れる兄貴分としての重厚感と包容力が付与されている。声優の演技も相まって、八犬士の精神的支柱の一人として描かれる。 |
30 |
アニメ |
八犬伝―東方八犬異聞― |
2013年 |
寺島拓篤 |
現代的なファンタジー作品として再構築。旅館の若旦那という設定は踏襲しつつ、面倒見が良く料理上手な好青年として描かれる。鬼に変身するという独自設定が追加。 |
32 |
映画 |
八犬伝 |
2024年 |
佳久創 |
原作の「力自慢の巨漢」というイメージを忠実に再現しつつ、現代の観客に訴求するビジュアルと人間味あふれる演技が加味されている。 |
3 |
上記の表が示すように、犬田小文吾の人物像は、各作品の制作された時代背景やターゲット層に応じて、様々な形でアレンジされてきました。
1983年に公開された角川映画『里見八犬伝』では、ジャパン・アクション・クラブ(JAC)を起用した派手なアクションとスペクタクルが重視される時代性を反映し、小文吾(演:苅谷俊介)の「力」の側面が特に強調されました 35 。原作が持つ人間ドラマの機微よりも、豪快なヒーローとしてのアクション性が前面に押し出されたキャラクター造形となっています 28 。
1990年代に制作されたOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)『THE八犬伝』では、より原作の持つ重厚な人間ドラマに焦点が当てられました。小文吾(声:玄田哲章)は、原作の温厚な人柄はそのままに、八犬士の頼れる兄貴分としての包容力と重厚感が付与され、物語の精神的な支柱の一人として深く描かれています 30 。
2013年に放送されたテレビアニメ『八犬伝―東方八犬異聞―』は、原作を大胆に再構築した現代的なファンタジー作品です。この作品における小文吾(声:寺島拓篤)は、旅館の若旦那という設定は踏襲しつつも、面倒見が良く料理上手な好青年として描かれ、女性ファン層を強く意識したキャラクターデザインがなされています 33 。また、鬼(風鬼)に変身するという、原作にはない独自の設定が加えられている点も大きな特徴です 33 。
これらの変遷を概観すると、興味深い傾向が見て取れます。時代が下るにつれて、小文吾の魅力の中心が、単なる物理的な「力持ち」から、精神的な「優しさ」や「面倒見の良さ」といった内面的な要素へとシフトしているのです。これは、社会が理想とする男性像が、かつての豪快なヒーロー像から、より共感的で包容力のあるパートナー像へと変化してきたことを反映している可能性があります。
現代の作品において、犬田小文吾の持つ「他者を受け入れる温かさ」や「共同体を陰で支える力」は、新たな魅力として再発見されています。これは、彼のキャラクターが、時代を超えて人々の心に響く普遍的な価値を内包していることの証左と言えるでしょう。
本報告書を通じて、犬田小文吾悌順が、曲亭馬琴の壮大な物語『南総里見八犬伝』において、単なる「気は優しくて力持ち」の登場人物に留まらない、多岐にわたる重要な役割を担っていることを明らかにしてきました。
彼は、武家と町人、理想と現実、そして武勇と因果という、物語を構成する様々な境界線上に立つ存在でした。その温厚篤実な人柄と、人々が行き交う旅籠屋という生業は、各地に離散していた八犬士という兄弟的共同体を結びつける、不可欠な「礎石」として機能しました。彼の存在なくして、八犬士の集結はあり得なかったと言っても過言ではありません。
彼がその身に体現する「悌」の徳は、自己の力を誇示したり、我を押し通したりするのではなく、仲間を敬い、共同体の和を重んじるという、儒教的な理想を示しています。この倫理観は、個人主義が重視される現代社会においても、他者と共生していく上で示唆に富む価値観を提示しています。
素手で猛獣を倒すほどの超人的な怪力を持ちながら、その心は誰よりも人間的で、時に不器用なほど純粋であるという、そのアンバランスさ。それこそが、犬田小文吾という人物の尽きない魅力の源泉です。彼は、作者・曲亭馬琴が『南総里見八犬伝』という壮大な物語を通じて伝えたかった仁義八行の理想を、最も身近で、最も温かい形で体現した存在であると結論付けることができます。彼の物語は、真の強さとは腕力のことではなく、他者を思いやり、支える心の大きさにあるのだという、時代を超えたメッセージを我々に伝え続けているのです。