犬飼現八は『南総里見八犬伝』の八犬士の一人。「信」の玉を持ち、芳流閣の死闘で信乃と出会う。冷静沈着で仲間を繋ぐ触媒となり、国府台合戦で活躍。後に神余城主となり、仙人となる。
曲亭馬琴によって28年の歳月をかけて紡がれた長編伝奇小説『南総里見八犬伝』は、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌という八つの徳を宿す霊玉に導かれた八犬士の活躍を描く、日本文学史に燦然と輝く金字塔である。その八犬士の中で、右頬に牡丹の痣を持ち、「信」の玉を所持するのが犬飼現八信道(いぬかいげんぱちのぶみち)である 1 。彼の物語は、もう一人の主要な犬士である犬塚信乃との「芳流閣の死闘」という、作品全体を象徴する劇的な場面で幕を開ける 2 。この出会いは、互いを犬士と知らずに剣を交えるという宿命の皮肉でありながら、後に結ばれる固い絆の序章として、読者に強烈な印象を刻み込む。
物語を通じて、他の犬士が個人の仇討ちや複雑な出自の謎といった個人的な動機に突き動かされることが多い中、犬飼現八は一貫して公の義と仲間との信義を重んじ、しばしば犬士たちを繋ぎ、助ける「介在者」としての役割を担う。例えば、犬村大角が父の仇である化け猫に苦しめられる場面では、冷静な判断力と義侠心をもって助力し、彼を犬士の列に加えるきっかけを作った 5 。物語のクライマックスである里見家と関東管領との国府台合戦においては、その比類なき武勇を遺憾なく発揮し、里見軍の勝利に大きく貢献することになる 1 。
彼の本質を深く考察すると、八犬士という個性豊かで、時には激情に駆られやすい若者たちの集団において、精神的な「錨」あるいは「安定装置」としての役割を担っていることが見えてくる。復讐心に燃える犬山道節や、短気な一面を持つ犬塚信乃など、各々が複雑な背景と強い個性を抱える中で、現八の行動原理は常に冷静かつ一貫している 7 。彼は当初、主君の命令という公的な理由で信乃を捕らえようとするが、ひとたび犬士の宿縁を知るや、私怨を捨てて即座に和解し、揺るぎない絆を結ぶ 2 。庚申山での化け猫退治も、個人的な恨みからではなく、亡霊の請託と苦境にある大角を救うという義に基づいた行動であった 5 。この一貫した行動様式は、他の犬士が個人的な問題で揺れ動く際の明確な対比となり、集団としての八犬士が道を踏み外さないための基準点、すなわち「精神的な支柱」として機能している。犬飼現八の安定した存在こそが、八犬士の物語を単なる個人の復讐譚の集合体ではなく、「里見家を助ける」という大義へと向かわせる、不可欠な推進力となっているのである。
犬飼現八の生涯は、安房国の片隅で、一人の漁師の子として始まった。長禄3年(1459年)10月20日、彼は安房国洲崎(すのさき)の貧しい漁師であった糠助(ぬかすけ)の子として生を受ける。幼名は玄吉(げんきち)と名付けられた 5 。彼の運命を決定づける霊玉との出会いは、生後わずか七日目の祝いの日に訪れる。父・糠助が祝いのために釣ってきた一匹の大きな鯛、その腹を割くと、中から「信」の一文字がくっきりと浮かび上がった不思議な玉が現れたのである 5 。この霊玉の出自は、伏姫の霊気や神犬八房と直接的な関わりを持たない点で、犬塚信乃など他の犬士のそれとは異なる興味深いパターンを示している 8 。
しかし、その誕生は幸福に満ちたものではなかった。母は産後の肥立ちが悪く、玄吉が生まれて間もなくこの世を去ってしまう。残された父子はやがて生活に窮し、父・糠助はついに洲崎神社沖の禁漁区で漁を行うという禁忌を犯してしまう。この罪により死刑に処されそうになるが、時を同じくして里見家の姫である伏姫と許婚の五十子(いさらご)が命を落としたことによる大赦が行われ、かろうじて一命を取り留める。しかし、その代償として安房国からの追放を命じられた 5 。この父子の離散という悲劇が、現八の波乱に満ちた人生の幕開けとなった。
その後、父・糠助は流浪の末に武蔵国大塚村に流れ着き、奇しくも後に八犬士の一人となる犬塚信乃の隣人として暮らすことになる。そして死の間際、糠助は信乃に対し、かつて安房に残してきた息子・玄吉が、信乃と同じく牡丹の痣と霊玉を持つ犬士の一人であることを告げて息を引き取った 5 。この父の最期の言葉が、遠く離れた場所で育った二人の犬士、現八と信乃が運命の糸に導かれて相見える、重要な伏線となるのである。
父と離れ、安房に残された幼い玄吉の運命は、一人の武士との出会いによって大きく転換する。彼は古河公方(こがくぼう)・足利成氏(あしかがしげうじ)に仕える家臣、犬飼見兵衛(いぬかいみつるべえ)に引き取られ、その養子となったのである 9 。この出来事により、彼は漁師の子から武士階級の一員へと、その身分を劇的に変えることになった。
養父・見兵衛のもと、玄吉は武士として必要な教育と厳しい修練を積んだ。特に彼は捕縛術において天賦の才を発揮し、やがて捕物の名人としてその名を知られるようになる 4 。十手や鎖鎌といった捕り手の武具を自在に操る彼の独特な戦闘スタイルは、この武家での養育期間に確立されたものであった 7 。
そして元服を迎えた彼は、幼名の「玄吉」を改め、新たに「犬飼現八(いぬかいげんぱち)」と名乗ることになる。この改名には、彼の深い思いが込められていた。彼は、育ての親である養父・見兵衛の名にある「見」の字を捨てるには忍びないと考え、その字に犬士の証である「玉」の偏を加えて「現」という新しい字を創り出したのである。同時に、読みも「けんはち」から濁音の「げんぱち」へと変わった 12 。この改名は、単なる形式的な手続きではなく、彼が自らのアイデンティティを確立する上での象徴的な儀式であった。
犬飼現八の人生は、「生まれ(漁師の子・玄吉)」と「育ち(武士・現八)」という二重のアイデンティティによって深く特徴づけられている。彼の生涯を読み解く上で、この二重性は極めて重要な意味を持つ。彼が自らの名を「現八」と定めた行為は、単に成人したことを示す以上の、深い内面的な決意の表れであった。
彼の出自は漁師であり、八犬士の中では比較的低い階層の生まれである 5 。しかし、養父・犬飼見兵衛によって武士として育てられたことで、彼の人生は全く異なる軌道を描き始める 9 。この転換点において、彼が直面したのは、血の繋がった生みの親と、恩義ある育ての親との間で自らの拠り所を定めるという課題であった。改名の際に、養父の名の一部である「見」を残すために「玉」を添えて「現」としたという逸話は、彼が血縁(生みの親)の記憶を内包しつつも、それ以上に育ての親への恩義と敬意、すなわち人間関係の中で育まれた「信」を自らの名前に刻み込み、武士として生きることを選択した事実を雄弁に物語っている 12 。
さらに、芳流閣で犬塚信乃と出会い、自らが犬士としての宿縁を負っていることを知った後、彼は改めて「現八」の名を名乗り続ける 5 。これは、養父への信義と、犬士としての信義という二つの大きな「信」が、彼の中で完全に統合された瞬間を象徴している。したがって、現八が持つ「信」の徳は、単に天から与えられた霊玉の力によるものではない。それは、人間関係の中で学び、苦悩の末に自らの意志で選び取り、そして生涯をかけて貫き通した、極めて能動的な徳目なのである。この自覚的な選択こそが、彼の後の行動に揺るぎない説得力と深みを与えている根源と言えよう。
犬飼現八が八犬士としての運命に本格的に巻き込まれていくのは、物語屈指の名場面として知られる「芳流閣(ほうりゅうかく)の死闘」である。この時、現八は主君である古河公方・足利成氏の不興を買い、獄舎に繋がれる身の上であった 10 。一方、犬塚信乃は、足利家に伝わる宝刀・村雨丸を巡る執権・横堀在村の陰謀によって偽物を献上したと濡れ衣を着せられ、滸我(こが)城内で追われる身となっていた 13 。
窮地に陥った信乃が白刃をかいくぐり、城内の楼閣である芳流閣の屋根上へと逃れたのを見て、成氏は信乃を捕らえるための刺客として、牢にいた捕物の達人・現八を差し向けることを決断する 4 。こうして二人の犬士は、互いが霊玉と痣を持つ宿命の同志であるとは夢にも思わず、灼熱の陽光が照りつける芳流閣の屋根の上で、壮絶な一騎討ちを繰り広げることになった 2 。現八は得意の十手を振るって信乃の太刀に応戦し、二人の戦いは熾烈を極めた 4 。
死闘の末、二人は組み合ったままバランスを崩し、屋根から眼下を流れる利根川へと転落、偶然にもそこに停泊していた小舟の上に落ちる 4 。舟が川を下っていく中で、互いの着物がはだけ、現八は信乃の腕に、信乃は現八の頬に、同じ牡丹の痣があることに気づく。そして、それぞれが持つ霊玉の存在を知るに至り、二人は初めて互いが伏姫の霊気に導かれた犬士の縁で結ばれていることを悟るのである。この劇的な邂逅により、敵対関係は一転して固い義兄弟の絆へと昇華された 5 。この場面のドラマ性は非常に高く評価されており、後世、歌舞伎や数多くの浮世絵の題材として繰り返し描かれ、八犬伝を代表する象徴的なシーンとして広く知られている 4 。
芳流閣での邂逅の後、犬士たちは一度集結するも、荒芽山(あらめやま)での戦いで再び離散してしまう。その後、仲間を探して旅を続けていた現八は、下野国(しもつけのくに)足尾の庚申山(こうしんざん)に差し掛かった。そこで彼は、山中で不意に襲いかかってきた怪しい猫(化け猫)の眼を、咄嗟に弓矢で射抜くという出来事に遭遇する 6 。
この化け猫こそ、かつてこの地の郷士であった赤岩一角(あかいわいっかく)を殺害し、その姿に成り代わって悪事を働いていた妖怪であった。そしてこの偽一角は、一角の実子である犬村大角(いぬむらだいかく、当時は角太郎)の妻・雛衣(ひなきぬ)が身ごもっていると知り、自らが射られた眼の治療薬にするために、その胎児を差し出すよう非道な要求を突きつける 6 。
この惨状を目の当たりにした現八は、大角に対し、彼が父と信じて孝行を尽くしてきた人物の正体が、実の父の仇である化け猫であることを告げる。真相を知った大角は悲嘆に暮れるが、妻・雛衣は夫を救うために自害を選び、その犠牲と現八の助力によって、大角はついに父の仇である化け猫を見事討ち果たすことに成功する 5 。この悲劇的な事件を通じて、大角は犬士としての宿命を自覚し、八犬士の列に加わることになった。現八はここでもまた、孤独な運命にあった犬士の縁を繋ぎ、仲間を導くという重要な役割を果たしたのである。
八犬士の中でも、犬飼現八が最も深い絆で結ばれているのが、犬田小文吾悌順(いぬたこぶんごやすより)である。二人の関係は、単なる友人や義兄弟という言葉では表しきれない、「乳兄弟(ちきょうだい)」という特別な縁で結ばれている 7 。これは、現八の実母が産後すぐに亡くなったため、小文吾の母である小夜子(さよこ)が乳母となり、我が子同然に現八を育てたという背景によるものである 25 。この事実は、二人の間に家族同然の、血よりも濃いと言えるほどの強い結びつきが存在することを示唆している。
二人の関係は、その性格や能力においても相互補完的である。小文吾は巨漢で怪力を誇る豪放磊落な人物であり、現八は冷静沈着で捕物術に長けた知将の側面も持つ 7 。芳流閣の屋根から転落した信乃と現八を利根川で救い上げたのは、他ならぬ小文吾であった 21 。物語の重要な局面において、二人は常に連携し、互いの長所を活かしながら困難に立ち向かっていく。
さらに象徴的なのは、彼らが持つ霊玉の徳である。現八が持つのは「信」(信義、約束を守る)、そして小文吾が持つのは「悌」(兄弟や年長者を敬い、従う)の玉である 3 。乳兄弟である二人が、人間関係の基本となるこの二つの徳をそれぞれ体現していることは、偶然ではない。彼らの揺るぎない絆そのものが、「信」と「悌」という徳が一体となった理想的な姿を物語の中で示していると言えるだろう。
犬飼現八の物語における役割を深く分析すると、彼が単なる一人の英雄として活躍するだけでなく、物語全体を前進させる「触媒(カタリスト)」としての極めて重要な機能を担っていることが明らかになる。彼の行動は、孤立し、散り散りになっていた犬士たちの運命を繋ぎ合わせる化学反応を引き起こし、八犬士という一つの共同体を形成する上で決定的な役割を果たしている。
まず、芳流閣の事件を考えてみよう。もしこの出来事がなければ、信乃は孤独な追われる身のままであり、現八もまた志を抱きながら牢獄に繋がれたままだったかもしれない。この「死闘」という、極めて激しい接触を通じて、二人の運命は交差し、敵対から一転して強固な絆で結ばれた 5 。これは、二つの異なる物質が反応して新たな化合物を生み出す化学反応に酷似している。
次に、庚申山のエピソードである。現八が化け猫の正体を暴き、大角に介入しなければ、大角は偽の父に孝行を尽くし続け、妻も子も失い、自らも破滅していた可能性が高い。現八という外部からの刺激(触媒)が、大角を悲劇的な運命から救い出し、彼を犬士として覚醒させるきっかけとなった 5 。
そして、犬田小文吾との乳兄弟という関係は、物語が始まる以前から存在する強固な結合であり、八犬士のネットワークが形成される上での初期の核となっている 7 。これらの事実を総合すると、現八は自らが中心となって活躍するだけでなく、彼の存在と行動そのものが、他の犬士たちの運命に積極的に干渉し、彼らの間に化学反応を引き起こすことで、八犬士の集結という最終目標へと物語を導く触媒の役割を担っていることがわかる。彼は、八犬士の物語における「結節点」であり、運命の糸を紡ぎ合わせる重要な存在なのである。
八犬士が里見家に集結した後、彼らの武勇が最も華々しく発揮されるのが、里見家の存亡をかけた関東管領・扇谷定正(おうぎがやつさだまさ)軍との国府台(こうのだい)における決戦である 1 。この戦いにおいて、犬飼現八は里見軍の勝利に決定的な貢献を果たし、その名を不滅のものとした。
彼はこの合戦で、犬塚信乃を正使とする国府台口の防禦使の副使として出陣する 19 。戦況が膠着し、里見軍が危機に陥った際、現八は長阪橋(ながさかばし)という要衝において、敵の大軍の前に単騎で立ちはだかった。そして、わずか一騎で一万余の敵兵を食い止め、味方が態勢を立て直すための貴重な時間を稼ぐという、常人には到底不可能な離れ業を演じてみせたのである 5 。
この長阪橋での奮戦は、中国の四大奇書の一つである小説『三国志演義』における、蜀の猛将・張飛が長坂橋で曹操の大軍をたった一騎で食い止める有名な場面から着想を得ていることは明らかである 5 。作者である曲亭馬琴は、読者によく知られた古典の英雄のイメージを現八に重ね合わせることで、彼の超人的な武勇と胆力を最大限に引き立て、劇的な効果を高めるという、巧みな作劇術を用いた。これにより、現八は単なる一武将ではなく、伝説的な英雄として読者の記憶に深く刻まれることになった。
犬飼現八の人物像は、その行動に示されるように、際立った「豪胆さ」と、その裏に隠された「沈着さ」という二つの側面によって形成されている。彼は、庚申山で単身化け猫に立ち向かい 2 、国府台では万余の大軍を前にしても一切怯まないなど、その豪放な性格は物語の随所で際立っている 2 。
しかし、彼の真の魅力は、その勇猛さが単なる猪突猛進ではない点にある。彼の豪胆さの根底には、常に冷静な状況判断力と、仲間や他者に対する深い配慮が存在する。彼は獄舎番や戦場での経験を通じて、世の中の理不尽さや非情さを身をもって知っており、単なる綺麗事や理想論だけを振りかざすことはない 26 。
その成熟した精神性を象徴するのが、犬山道節とのやり取りに見られる一場面である。長年の宿敵である扇谷定正を追い詰めた道節に対し、現八は「(里見の軍令では殺すなと言われているが)お前がそいつの息の根を止めたいなら、俺は見なかったことにしてやるぞ」と静かに語りかける 26 。これは、軍令という公のルールを理解しつつも、友の長年の苦衷を察し、その心情を優先させようとする、杓子定規ではない大人の優しさと現実的な判断力を示している。このような思慮深さと人間的な温かみを兼ね備えた人格こそが、彼を八犬士の中でも特に信頼される存在たらしめているのである。
犬飼現八が所持する霊玉に刻まれた「信」の一字は、彼の生き様そのものを象徴する徳目である。「信」とは、作中でも定義されているように、人を欺かないこと、言を違えないこと、約束を違えぬこと、そして真心をつくすことである 27 。これは、江戸時代の社会の根幹をなした儒教の教え、特に五常(仁・義・礼・智・信)と呼ばれる五つの基本的な徳の一つとして、極めて重視されていた価値観であった。
江戸時代、儒教の思想は武士階級が学ぶべき必須の教養であると同時に、寺子屋などを通じて庶民の間にも広く浸透し、人々の道徳観の基盤を形成していた 28 。『南総里見八犬伝』が、「勧善懲悪」や「因果応報」といったテーマを色濃く反映しているのも、こうした時代の価値観を背景にしているからに他ならない 28 。八犬士がそれぞれ体現する八つの徳は、当時の読者が理想とする人間像そのものであった。
現八の生涯は、まさにこの「信」の徳によって一貫して動機づけられている。育ての親である犬飼見兵衛への信、主君である足利成氏や里見義実への信、そして何よりも、宿命を共にする八犬士という仲間への信。彼は、あらゆる人間関係においてこの「信」を貫き通す。作者である曲亭馬琴自身、武士の家に生まれながらも波乱の人生を送り、戯作者となりながらも生涯武士としての誇りを失わなかった人物である 31 。彼が犬飼現八というキャラクターに、自らの理想とする「信」に生きる武士の姿を色濃く託したことは想像に難くない。
犬飼現八が体現する「信」の徳をさらに深く掘り下げると、それが単に「約束を守る」「嘘をつかない」といった一方的な行動規範ではないことがわかる。彼の「信」は、「信頼を寄せ、そしてその信頼に応える」という、双方向のダイナミズムをその本質としている。彼はまず仲間を信じ、その信頼に応えるために行動を起こし、その結果として仲間からの更なる絶対的な信頼を勝ち取る。この「信の循環」とも言うべきプロセスこそが、八犬士の強固な絆を形成する核心的なメカニズムなのである。
儒教の教えにおいても、「信」は特に友人間の徳目として「朋友有信(ほうゆうしんあり)」という言葉で重視される。現八の行動は、この教えを実践するかのようである。芳流閣で出会ったばかりの信乃の素性を知るや、彼はすぐに相手を信じ、義兄弟の契りを結ぶ。庚申山では、苦境にある大角を信じ、その助力に身を投じる。彼の行動は、まず相手を「信じる」ことから始まるのである。
その信頼に基づき、彼は具体的な行動、すなわち共闘や助力といった形で、寄せた信頼に対する自らの責任を果たそうとする。その結果、信乃や大角、そして乳兄弟の小文吾といった仲間たちから、絶対的な信頼を寄せられる存在となる。国府台合戦において、彼が長阪橋での死をも覚悟する困難な役目を引き受けることができたのも、背後に仲間からの揺るぎない信頼があったからに他ならない。
このように、現八の「信」は、「信じる→行動する→信頼される→さらに信じる」という、極めてポジティブな循環を生み出している。この力学は、彼の物語における役割を、単なる「信義に厚い男」から、集団の結束力の源泉となる「信頼関係の構築者」へと昇華させている。彼こそが、八犬士という共同体の絆そのものを体現する人物なのである。
関東管領・扇谷定正との長きにわたる戦乱、すなわち関東大戦が里見家の勝利に終わると、八犬士の目覚ましい武功に対して論功行賞が行われた。彼らは正式に里見家の家臣として迎えられ、それぞれが家老の地位と朝廷からの官位を授かるという、破格の待遇を受けることになった 2 。
その中で、犬飼現八は安房国神余(かんあまり)の城主として封じられた 1 。これは、かつて安房の片田舎で一介の漁師の子として生まれた彼が、自らの武勇と、何よりも揺るぎない信義を貫き通した結果として、一城の主へと登り詰めたことを意味する。彼のこの立身出世は、『南総里見八犬伝』という物語が通底に持つ「勧善懲悪」のテーマ、すなわち善行は必ず報われるという思想を象徴する出来事であった。
城主となった現八は、その地位をさらに不動のものとする婚姻を結ぶ。相手は、里見家の当主である里見義成(さとみよしなり)の六女、栞姫(しおりひめ、1469年生)であった 5 。この結婚により、彼は里見家の姻戚となり、名実ともに里見家の中核を担う重臣となった。
現八は栞姫との間に、三男一女、合わせて四人の子宝に恵まれた。彼の子孫たちは、八犬士の絆を次世代へと繋ぐ重要な役割を果たしていく 5 。
特筆すべきは、犬飼家と犬村家との間に結ばれた二重の絆である。現八の長男が大角の娘と、現八の長女が大角の息子と結婚したことにより、両家は極めて強固な姻戚関係で結ばれた 5 。これは、庚申山の化け猫退治を通じて結ばれた現八と大角の固い友情と信頼が、その子供たちの世代にまで確かに受け継がれ、血脈を通じて永続的なものとなったことを示している。
八犬士はそれぞれが功成り名を遂げ、子孫に家督を譲り、安らかな晩年を迎える。しかし、彼らの物語はそれで終わりではなかった。俗世での役目をすべて終えた八犬士は、揃って世俗を離れることを決意する。彼らは安房の名峰である富山(とみさん)の山中深くにある洞窟に籠り、共に修行を重ね、やがて仙人になったと伝えられている 2 。
この結末は、彼らの功績が人間社会の栄達だけに留まるものではなく、最終的には人間を超越した存在へと昇華したことを示す、伝奇物語ならではの幻想的なフィナーレである。彼らの物語は、現世の歴史の中に閉じるのではなく、人々によって語り継がれる永遠の伝説となった。犬飼現八の生涯もまた、この神秘的な結末によって、一つの完成を迎えたのである。
年代 (西暦/和暦) |
年齢 |
主要な出来事 |
関連する犬士・人物 |
典拠 |
1459年 (長禄3年) |
0歳 |
10月20日、安房洲崎で漁師・糠助の子「玄吉」として誕生。鯛の腹から「信」の玉を得る。母が死去。父が安房を追放される。 |
糠助 |
5 |
(少年期) |
- |
古河公方の家臣・犬飼見兵衛の養子となり、「現八」と改名。武芸を学ぶ。 |
犬飼見兵衛 |
9 |
(青年期) |
- |
主君の不興を買い投獄される。 |
足利成氏 |
10 |
(日付不明) |
- |
芳流閣にて犬塚信乃と死闘。後に和解し、義兄弟となる。 |
犬塚信乃、犬田小文吾 |
4 |
(日付不明) |
- |
庚申山にて化け猫退治。犬村大角を助け、犬士の列に加える。 |
犬村大角、雛衣 |
5 |
(日付不明) |
- |
里見家に仕官。国府台合戦にて長阪橋で奮戦。 |
里見義実、扇谷定正 |
1 |
(戦後) |
- |
安房神余城主となる。 |
里見義成 |
1 |
(日付不明) |
- |
里見義成の六女・栞姫と結婚。 |
栞姫 |
5 |
(日付不明) |
- |
三男一女を儲ける。(言人、道宜、糠助、長女) |
(子孫たち) |
5 |
(晩年) |
- |
家督を子に譲り、他の七犬士と共に富山に隠棲。仙人となる。 |
他の七犬士 |
2 |
『南総里見八犬伝』の物語は、江戸時代から現代に至るまで、様々なメディアを通じて繰り返し語り継がれてきた。その過程で、犬飼現八というキャラクターもまた、時代ごとの価値観やメディアの特性に応じて、多様な解釈と変容を遂げてきた。
原作小説の刊行中から、『八犬伝』は絶大な人気を博し、すぐに歌舞伎の舞台で上演されるようになった。その中でも、犬飼現八が登場する「芳流閣の場」は、物語のハイライトとして観客を魅了し、屈指の見せ場の一つとして定着している 10 。
歌舞伎におけるこの場面の演出は、視覚的なスペクタクルを最大限に重視する点に特徴がある。役者たちは芳流閣の大屋根の上で激しい立廻り(たちまわり)を演じ、その勇壮さで観客を沸かせる 21 。さらに、舞台装置が後方へ回転して一瞬にして場面を転換させる「がんどう返し」といった大掛かりな仕掛けが用いられ、物語のダイナミズムを視覚的に表現する 33 。また、原作では真昼の出来事として描かれているこの死闘を、舞台効果を高めるために夜の場面へと変更し、背景に満月を描くといった脚色も加えられている 34 。これらの演出によって、犬飼現八は原作の持つ沈着さに加え、勇壮さと悲壮感を併せ持った、様式美あふれる舞台上の英雄として、そのイメージを確立していった。
昭和の時代、犬飼現八、ひいては『八犬伝』のイメージを国民的規模で決定づけたのが、1973年から1975年にかけて放送されたNHKの連続人形劇『新八犬伝』である。この番組は平日夕方の帯番組として放送され、平均視聴率20%を超えるという驚異的な人気を獲得。子供たちのみならず大人をも巻き込み、一種の社会現象となった 35 。
この作品の成功の要因の一つに、人形美術家・辻村ジュサブロー(現・辻村寿三郎)が手掛けた独創的な人形がある。伝統的な文楽人形とは異なり、ちりめんを素材として作られた人形たちは、骨太で人間味あふれる独特の表情を持ち、視聴者に強い印象を与えた 36 。犬飼現八の声は、放送期間中に井上真樹夫(初代)、穂積隆信(二代目)、関根信昭(三代目)と三人の声優によって演じられたことも記録に残っている 38 。
物語の内容も、長大で複雑な原作を子供にも分かりやすいように大胆に改変している。特に大きな変更点は、里見家を呪う玉梓(たまずさ)の怨霊を、全編を通して八犬士と対決する一貫した宿敵として設定した点である 39 。そして、464回に及んだ物語の最終回では、役目を終えた八犬士が犬の姿となり、それぞれの霊玉に乗って天へと旅立つという、原作にはない、より幻想的で示唆に富んだ結末が描かれた 38 。この『新八犬伝』を通じて、犬飼現八は、明快な勧善懲悪の物語における「正義のヒーロー」「頼れる兄貴分」として、多くの日本人の心にその姿を刻み込んだのである。
『八犬伝』の物語は、平成から令和にかけても、漫画、アニメ、映画といった現代的なメディアで新たな生命を吹き込まれ続けている。その中で、犬飼現八像もまた、現代の感性に合わせて再創造されている。
その代表例が、あべ美幸による漫画を原作としたアニメ『八犬伝―東方八犬異聞―』である。この作品において、現八は近代的な帝都の治安を守る「憲兵隊隊長」として登場する 25 。これは、原作における捕物の名人という設定を、現代の視聴者にも馴染みやすい役柄に巧みに置き換えたものである。面倒見が良く、小文吾とは乳兄弟であるという基本的な関係性は維持されているが、3年前に小文吾と共に一度死んで蘇ったという新たな設定が加えられ、有事の際には「雷鬼」に変身する超自然的な能力を持つキャラクターとして描かれている 25 。その容姿も、原作の武骨なイメージとは異なり、現代的な美青年としてデザインされている 40 。
この他にも、1990年代のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)『THE八犬伝』では声優の西村智博が声を担当し 41 、2024年に公開された実写映画『八犬伝』では俳優の水上恒司が演じるなど 16 、犬飼現八は時代を代表するクリエイターや演者たちの手によって、常に新しい魅力が付与され、その物語を現代に語り継いでいる。
項目 |
原作小説『南総里見八犬伝』 |
歌舞伎 |
NHK人形劇『新八犬伝』 |
現代アニメ『八犬伝―東方八犬異聞―』 |
性格・人物像 |
豪胆にして沈着冷静。信義に厚い大人の武士。仲間を繋ぐ介在者。 2 |
勇壮さと悲壮感を併せ持つ、舞台映えする英雄。立廻りでの様式美が強調される。 21 |
明快な正義のヒーロー。子供にも分かりやすい、頼れる兄貴分。 35 |
憲兵隊隊長。面倒見が良いが、過去に死を経験したことによる影も持つ。 25 |
外見・特徴 |
右頬に牡丹の痣。捕物術の名手で十手を操る。 7 |
役者の解釈によるが、力強く様式化された化粧と衣装。 43 |
辻村ジュサブロー作の骨太で表情豊かな人形。 36 |
現代的な美青年のデザイン。憲兵の制服を着用。雷鬼に変身する能力。 25 |
物語上の役割 |
「信」の徳の体現者。犬士たちの結束の要。 5 |
「芳流閣の場」の主役の一人。物語のスペクタクルを担う。 10 |
悪の怨霊・玉梓と戦う八犬士の一員。勧善懲悪の体現者。 38 |
帝都の治安を守る公務員。信乃たちを保護し、事件を調査する。 25 |
特筆事項 |
国府台合戦での長阪橋の武勇。犬村大角との庚申山での共闘。 5 |
「がんどう返し」などの大掛かりな舞台装置を用いた演出。 33 |
声優が三度交代。最終回で犬になり天に昇るという独自の結末。 38 |
小文吾と共に一度死亡し、蘇ったというオリジナルの設定。 25 |
犬飼現八信道の生涯を辿ることは、一人の英雄の物語を追うだけでなく、『南総里見八犬伝』という壮大な物語の核心に触れる旅でもある。彼の人生は、安房の漁師の子という低い身分から始まりながらも、自らの比類なき武勇と、そして何よりもその人格の根幹をなす揺るぎない「信」の徳によって、運命を切り拓き、ついには一城の主へと至る、壮大な立身出世の物語であった。
しかし、彼の真価は単なる武勇や功名に留まるものではない。彼は、仲間を信じ、その信頼に応えるために行動し、それによって更なる信頼を勝ち取るという「信の循環」を体現した「信頼の構築者」であった。個性豊かで時に衝突さえする八犬士という集団が、一つの目的に向かって結束できたのは、現八という精神的な支柱、そして信頼の結節点が存在したからに他ならない。彼は、物語を動かす触媒であり、八犬士の絆そのものを象徴する存在であった。
芳流閣での劇的な出会い、庚申山で示した義侠心、国府台での超人的な武勇、そして乳兄弟の小文吾や他の犬士たちと分かち合った固い友情。これらのエピソードは、時代を超えて人々の心を強く惹きつける、普遍的な魅力に満ちている。原作小説から歌舞伎、人形劇、そして現代のアニメや映画に至るまで、メディアの形を変えながらも彼の物語が繰り返し語り継がれるのは、日本人が「信」という徳に寄せる変わらぬ憧憬と、困難に立ち向かう英雄への尽きせぬ期待を、彼の姿に見て取るからであろう。犬飼現八は、『南総里見八犬伝』という壮大な物語の銀河系において、今なお、ひときわ強く、そして誠実な輝きを放ち続ける恒星なのである。