最終更新日 2025-07-25

針屋紹珍

針屋紹珍は京の豪商針屋一族の一員。宗春は利休に学び、秀吉を感嘆させた茶人。名物「玉堂肩衝」や「針屋金襴」を所蔵し、茶道書も著した。

針屋紹珍と一族の実像:桃山文化を体現した京商人の軌跡

序論:針屋紹珍から、桃山文化を体現した豪商「針屋一族」へ

戦国時代から安土桃山時代にかけての京都に、針屋紹珍という商人がいた。彼の一族、針屋家は京都の上立売に居を構え、その一員である宗和・宗春は千利休に茶の湯を学び、特に宗春は『宗春翁茶道聞書』を著したと伝わる。この断片的な情報から出発し、人物の実像に迫ろうとするとき、我々はすぐに一つの壁に突き当たる。史料において「針屋紹珍」個人の動静を伝える記録は、大名物「玉堂肩衝」の所持者として名が挙がるなど、極めて限定的である 1

しかし、この紹珍という一点から視点を広げ、彼が属した「針屋」という商家、そして同族であり、より多くの記録を残す 針屋宗春 という人物に焦点を当てることで、事態は一変する。宗春の著作、茶会における逸話、当代一流の文化人との交流、そして彼らが蒐集した数々の名物道具を丹念に追うことで、紹珍を含む針屋一族が、単なる富裕な商人ではなく、安土桃山から江戸初期にかけての京都の文化シーンにおいて、いかに重要な役割を果たしたかが立体的に浮かび上がってくるのである。

本報告書は、針屋紹珍という人物への問いから始め、彼をその一員として内包する豪商「針屋一族」の総合的な実像を、その経済的基盤、茶の湯における活動、そして後世にまで及んだ文化的な遺産に至るまで、徹底的に解明することを目的とする。一族の軌跡を追うことは、激動の時代を生きた商人たちの精神世界と、日本文化史における彼らの創造的な役割を再評価する試みでもある。

第一章:京・上立売の豪商、針屋一族の実像

針屋一族の文化的活動の背景には、彼らの本拠地と経済力、そして時代の変遷があった。一族の基盤を理解することは、彼らの茶の湯における活躍の意義を深く把握するために不可欠である。

第一節:商業と文化の交差点、上立売

針屋一族が本拠とした京都・上立売(かみだちうり)は、中世から近世にかけて京都有数の商業中心地であった。この通りは、中世には毘沙門道大路と呼ばれ、室町通との交差点は「立売ノ辻」として特に賑わいを見せた 3 。応仁・文明の乱後には高札場が置かれ、上京の中心地としての役割を担っていたことが窺える 4

豊臣秀吉による都市改造を経て、近世には呉服屋や絹商人が軒を連ね、大名や小名の衣服もこの地で調達されるほどの一大商業拠点へと発展した 3 。高級織物で知られる西陣の機業地にも隣接しており、この地理的優位性は、針屋一族の経済活動、そして後に詳述する名物裂「針屋金襴」に代表されるような、染織品に対する深い知見を育む土壌となったと考えられる。彼らの活動は、上立売という土地が持つ歴史的・経済的なポテンシャルと分かちがたく結びついていたのである。

第二節:針屋一族の系譜と本姓

複数の茶書や伝書から、針屋一族の輪郭が浮かび上がる。彼らの本姓は「曽谷(そたに、そだに)氏」であったと記録されている 5 。室町時代後期に京都の上京、すなわち上立売に住した豪商であり、一族からは茶の湯の歴史に名を残す人物が輩出された。

史料には、浄貞、紹珍、宗和、宗春といった名が見える 1 。特に、同志社大学が所蔵する『及第台子伝書』の奥書には、足利義政の同朋・相阿弥の伝書を京都の針屋浄貞が書写し、それが(子の)紹珍、宗和、宗春へと代々伝えられたと記されており、一族内での文化的な知の継承が窺える 5 。一方で、『山上宗二記』を引用する資料では「紹珍は針屋宗和の子」と記されており 2 、人物間の正確な関係性については史料により僅かな差異が見られる。しかし、これらの人物が血縁関係にある一族として、茶の湯の世界で活動していたことは間違いない。

第三節:豪商の栄枯盛衰

針屋一族は、単なる商人ではなく、数々の名物茶道具を蒐集した当代屈指の「豪商」であった 5 。彼らのコレクションは、経済力のみならず、高い審美眼の証でもあった。

しかし、その栄華は永続しなかった。ある時期を境に、針屋家は「絶家した」と記録されている 5 。この衰退は、個別の家の事情に留まらない、より大きな歴史のうねりと関連付けて考える必要がある。江戸幕府は、京都の大商人が持つ経済力を抑制する政策を取り、中世以来の有力な町衆の中には没落する者も現れた 8 。また、大名への貸付が焦げ付く「大名貸し」の失敗も、多くの京商人を栄枯盛衰の波に呑み込んだ 8 。画家・尾形光琳の生家である呉服商「雁金屋」の盛衰がその一例として挙げられるように、針屋家の絶家もまた、政治経済の中心が京都から江戸や大坂へと移行していく中で、多くの京町衆が直面した構造的な変化の犠牲となった可能性が極めて高い。彼らの文化的な隆盛と、その後の歴史の舞台からの退場は、時代の転換期を象徴する出来事であったと言えよう。

第二章:機知と侘びの茶人、針屋宗春

針屋一族の中でも、その人物像が最も鮮やかに伝わっているのが針屋宗春である。彼は利休の教えを深く体得しつつ、機知に富んだ振る舞いで天下人と渡り合い、次代の茶人たちとも交流を重ねた、まさに桃山文化のダイナミズムを体現した人物であった。

第一節:利休門下としての礎

針屋宗春は、安土桃山時代の京都上立売に生きた町人であり、茶人として「半隠斎」と号した 9 。彼の茶の湯の根幹を成したのは、師である千利休の教えであった。利休門下の一人として、その名は複数の茶書に記録されており 9 、利休が完成させた「わび茶」の精神を深く継承していたことが、彼の言動の随所から窺える。

第二節:雪夜の饗応 ― 権力と対峙する商人の機知

宗春の名を後世に伝えた最も有名な逸話が、豊臣秀吉との「雪夜の饗応」である。この出来事は『源流茶話』をはじめとする複数の文献に記されている 10

ある雪の夜、聚楽第にいた秀吉は、利休に「今宵の雪景色にふさわしい数寄者(茶人)はいないか」と尋ねた。利休が推挙したのが、針屋宗春であった。利休に案内され、宗春の屋敷を不意に訪れた天下人に対し、宗春は慌てることなく、即座にもてなしの準備を整えた。彼が最初に供したのは、豪華な珍味や手の込んだ料理ではない。三方に恭しく載せられた、清浄な「洗米」であった 10

この対応は、単なる機転を利かせた振る舞いではない。それは、華美を嫌い、日常の中にこそ真の美を見出すという「わび茶」の精神を完璧に体現した行為であった。予期せぬ客に対し、あり合わせのもので、しかし心を尽くしてもてなす。その究極の形が、生命の根源であり清浄の象徴でもある「米」だったのである。この粋なもてなしに秀吉は大いに感心し、宗春に知行を与えたと伝えられている 10 。この逸話は、町人茶人がその文化的な力量によって、時の最高権力者の心を動かし、実利さえも得ることができた、桃山時代ならではの社会の流動性を示す好例である。

第三節:茶人たちの交友録

宗春の文化人としての地位は、当代一流の茶人たちとの幅広い交流によっても裏付けられる。

織田有楽との親交

慶應義塾大学に現存する「針屋宗春筆書状」は、宗春と利休七哲の一人、織田有楽(うらく)との関係を伝える貴重な一次史料である 10 。この書状で宗春は、有楽からの突然の訪問の申し出に対し、「御礼に参上すべきところ、多忙にかまけて延引しておりました」と非礼を詫びつつ、会えるのを楽しみにしている旨を伝えている。大名でありながら茶人としても名高い有楽に対し、一介の町人である宗春が、対等かつ親密な言葉で応じている様は、茶の湯という場が身分制度を超えた人間関係を育んでいたことを如実に物語っている。

古田織部との関係

宗春は、利休亡き後の茶の湯界を牽引した古田織部とも交流があった。茶書『茶譜』の記録によれば、宗春は織部が催した風炉の茶会に、大野治房(正客)や岡村百々之介、そして大文字屋宗味といった京の豪商たちと共に招かれている 7 。これは、宗春が利休の教えを墨守するだけでなく、織部が打ち立てた「破格の美」という、時代の最先端の美意識にも通じ、そのサークルの一員として認められていたことを意味する。

宗春の人物像には、師である利休の「わび」を継承する忠実な弟子としての一面と、次代のリーダーである織部の革新的な茶会にも連なる柔軟な文化人としての一面が共存している。彼は、利休から織部へと向かう茶の湯の大きな過渡期を、その身をもって生きた人物であり、その存在自体が時代の変容を象明していると言えるだろう。

第三章:書き残された茶の湯の神髄 ―『宗春翁茶道聞書』

針屋宗春が後世に残した最大の功績は、彼の茶の湯に関する見聞をまとめた一冊の書物、『宗春翁茶道聞書』である。この書は、単なる作法の記録に留まらず、桃山時代の茶の湯の価値観が変容する様を捉えた、類稀な文化史料としての価値を秘めている。

第一節:著作の概要と成立背景

『宗春翁茶道聞書』は、慶長五年(1600年)の奥書を持つ、聞書形式の茶書である 11 。この年は、関ヶ原の合戦が行われた年であり、豊臣の世が終わり、徳川の時代が始まろうとする、まさに歴史の転換点であった。

本書の内容は、茶法の一般論に始まり、花や露地の作り方、茶碗や花入、葉茶壺といった道具の見立て方など、茶の湯を実践する上での具体的な心得が多岐にわたって記されている 11 。特に注目されるのは、季節に応じた茶の湯の楽しみ方を「春の数寄」「夏の数寄」「秋の数寄」「冬行きの数寄」として分類し、さらには「朝顔の数寄」といった特定の趣向についても言及している点である 12 。これは、本書が抽象的な精神論に偏らず、四季の移ろいを敏感に感じ取り、もてなしに取り入れるという、実践的な側面を重視していたことを示している。

第二節:利休と織部、二人の師の教えが宿る書

本書が持つ最大の歴史的意義は、千利休と古田織部という、安土桃山時代を代表する二人の巨匠の茶法を記録している点にある。慶長五年という執筆時期は、利休が自刃して9年が経過し、その教えの解釈が多様化し始めた頃であり、同時に古田織部が「へうげもの」と評される大胆な美意識(「破格の美」)をもって茶の湯界の第一人者として君臨していた時代である 13

『宗春翁茶道聞書』は、利休が完成させた静謐で内省的な「わび茶」の世界と、織部が推し進めた意図的に歪みや動きを取り入れた動的な美の世界という、一見すると対照的な二つの潮流を、一人の実践者である宗春がどのように理解し、受け止めていたかを伝える貴重な証言となっている。

第三節:茶道史における史料的価値

茶の湯の聞書としては、利休の秘伝を記したとされる『山上宗二記』や、後代に成立した『南方録』などが有名である 9 。これらの書が、利休の茶の湯の根源的な思想や哲学に深く分け入るのに対し、『宗春翁茶道聞書』は、季節ごとの具体的なもてなしの作法や道具の扱いといった、より実践的な知識に重きを置いている点で一線を画す。

利休から織部へと茶の湯の主導権が移り変わる過渡期において、両者と接点を持ったであろう人物の視点から、双方の教えが記録された本書は、他に類を見ない。それは、単なる茶の湯の技術書ではない。偉大な師・利休の教えが時代と共に変質・散逸していくことへの危機感と、新しい時代の潮流を築く織部の革新性を客観的に記録し、後世に伝えようとする、一人の文化人としての強い使命感の表れであったとも考えられる。激動の時代にあって、変わらない自然の巡りと、そこに寄り添う美意識のあり方を書き留めたこの書は、桃山商人茶人の精神性を映す鏡なのである。

第四章:「名物」の宝庫 ― 針屋一族の審美眼とコレクション

針屋一族が歴史に名を残したのは、彼らが単なる富裕な商人であったからではない。彼らは当代随一の文化パトロンであり、その卓越した審美眼によって選び抜かれたコレクションは、当時の社会において絶大な「文化資本」として機能した。一族が所蔵した名物道具の数々は、彼らの文化的権威を雄弁に物語っている。


表1:針屋一族所蔵の主要名物一覧

分類

名称

主な所蔵者(伝承)

概要と来歴

関連史料

茶入

玉堂肩衝

針屋宗和、紹珍

大内義隆、玉堂和尚を経て針屋家へ。後に秀吉、浅野家、徳川将軍家、水戸徳川家へと伝来した大名物。

1

茶入

星肩衝

針屋宗和

針屋家から秀吉、神屋宗湛、加藤清正、紀州徳川家へと伝来した名物。

6

茶入

針屋茄子

針屋新左衛門

東山御物。針屋家から橘屋宗玄を経て前田家へ伝来。「七夕茄子」とも呼ばれる。

34

花入

針屋舟

針屋宗春

砂張製の舟形花入。足利義政、武野紹鷗、千利休という最高峰の伝来を経て宗春が所持。

18

名物裂

針屋金襴

針屋宗春

宗春が所持したことに由来。白地に金糸で鱗文を織り出した明代の金襴。名物「針屋肩衝」の仕覆と伝わる。

22

書物

君台観左右帳記

針屋宗春家

室町時代の座敷飾りの伝書。針屋家に代々伝わり、後に自民斎清貫、仲西秀長へと相伝された。

5


第一節:天下に名高き茶道具 ― 権力と渡り合うための文化資本

表に示されたコレクションの質と量は、針屋一族が茶の湯の世界でいかに中心的な存在であったかを物語る。特に「玉堂肩衝」は、その来歴自体が時代の権力構造を映し出している。この大名物は、針屋宗和の手にあるとき、『津田宗及茶湯日記』によれば天正五年(1577年)十一月十九日に宗和が催した茶会で披露されている 2 。その後、豊臣秀吉の手に渡り、浅野家、徳川将軍家、そして最終的には水戸徳川家へと伝来した 2 。名物道具が、大名や天下人の間を移動する様は、それが単なる美術品ではなく、政治的・社会的な関係性を構築するための重要な媒体として機能していたことを示している。

また、針屋宗春が所持したと伝わる砂張の花入「針屋舟」は、足利義政、武野紹鷗、千利休という、茶の湯の歴史における最高峰の人物たちを経て宗春の手に渡ったとされる 18 。この伝来は、宗春が茶の湯の正統な系譜に連なる人物であることを、何よりも雄弁に証明するものであった。

第二節:宗春の名を冠した名物裂「針屋金襴」

針屋一族が後世に残した最も象徴的な遺産は、名物裂「針屋金襴」であろう。「名物裂」とは、主に鎌倉時代から桃山時代にかけて中国などから渡来した貴重な染織品で、茶入の仕覆(しふく)や掛軸の表装に用いられ、その美しさや由緒によって固有の名称を与えられたものである 19

「針屋金襴」は、その名の通り、針屋宗春が所持し、愛用したことに由来する 22 。一説には、名物「針屋肩衝茶入」の仕覆にこの裂が用いられていたという 23 。その意匠は、明代(16~17世紀)の中国で製織された、白の繻子地に金糸を用いて大小の三角形を組み合わせた「鱗形文」を織り出したもので、東京国立博物館にも同手の裂が「白地鱗形文文様金襴 針屋金襴」として所蔵されている 24

茶道具は所有者が変わればその手を離れていくが、織物の「名称」として自らの名が刻まれることは、その人物の審美眼と文化的権威が、物そのものに宿り、不滅のものとなったことを意味する。一商人の名が、最高級の織物の固有名詞として後世まで語り継がれるという事実は、個人の審美眼が絶対的な価値を持ち得た桃山文化のダイナミズムを如実に示している。

第三節:書物を所蔵するということ

針屋一族のコレクションは、美術工芸品に留まらなかった。室町幕府の公式な座敷飾りの手引書である『君台観左右帳記』の写しが、浄貞から宗春に至るまで一族に伝来していたという事実は、極めて重要である 5 。これは、彼らが単に高価な道具を買い集めるコレクターではなく、茶の湯の背景にある理論や歴史、格式といった「知」を深く尊重し、それを組織的に継承しようとしていた知的な集団であったことを証明している。物と知、そしてそれらを活用する人のネットワークが三位一体となって、針屋一族の比類なきコレクションは形成されたのである。

第五章:桃山文化のダイナミズムと針屋一族

針屋一族の活動をより深く理解するためには、彼らが生きた時代の精神的・文化的背景に目を向ける必要がある。彼らの軌跡は、武士とは異なる価値観を追求した商人文化の爛熟と、茶の湯の美意識が劇的に変容していく時代のダイナミズムそのものであった。

第一節:商人茶の湯の精神性 ― 乱世における心の砦

戦国から桃山時代にかけて、堺や京都の裕福な商人(町衆)たちが茶の湯に傾倒した背景には、単なる趣味や遊興を超えた、切実な動機があった。武力や身分が絶対的な価値を持つ武士社会とは異なる、もう一つの秩序を彼らは求めたのである。茶室という狭小な空間は、俗世の騒乱から隔絶された精神的な砦であった 26

そこでは、千利休が「和敬清寂」という言葉で体系化したように、主人と客が互いを敬い、心を和ませ、清らかな心で一碗の茶に向き合うという、精神的な交流が何よりも重んじられた 27 。高価な道具を誇示するのではなく、質素な中にもてなしの心を尽くす「わび茶」の精神は、経済力によって自立した商人たちの誇りと美意識の拠り所となった 30 。針屋一族の活動、特に宗春の「雪夜の饗応」の逸話は、こうした商人茶の湯の精神性が見事に結晶化したものであり、彼らが文化の力によって武士階級とも対等に渡り合った様を示している。

第二節:価値観変容の時代を生きて

針屋一族が活躍した時代は、茶の湯の価値観が根底から覆る、激動の時代でもあった。室町時代以来の、中国渡来の豪華絢爛な「唐物」を至上とする価値観に対し、村田珠光、武野紹鷗を経て千利休が「わび茶」を大成させ、素朴な日本の道具(和物)にも高い価値を見出す美意識が確立された 15

さらに利休の死後、その弟子である古田織部は、師の静的な美意識とは対照的に、意図的な「歪み」や大胆な造形、動きのある意匠を特徴とする「破格の美」を打ち立て、茶の湯の世界に新たな潮流を生み出した 13

針屋宗春は、この「唐物尊重」「わび(利休)」「破格(織部)」という、全ての価値観の変容を一身に体験した世代である。彼のコレクションには、「玉堂肩衝」のような唐物の大名物と、利休ゆかりの「針屋舟」が共存し、その著作『宗春翁茶道聞書』には、利休と織部双方の教えが併記されている。これは、彼が時代の変化にただ翻弄されたのではなく、それぞれの美の本質を深く理解し、吸収し、記録することで、文化の変容そのものを乗りこなした、極めて知覚の鋭い担い手であったことを示している。

針屋一族は、単なる茶人や商人という枠に収まらない。彼らは、道具を蒐集・鑑定し(キュレーション)、茶会を催してその価値を世に問い(イベント企画)、その神髄を書き物として後世に残し(アーカイブ化)、さらには自らの名を冠したブランド(針屋金襴)まで確立した。これは、現代の言葉で言うならば、まさに「文化プロデューサー」の役割であり、桃山文化がいかに商人の創造的な活動によって豊かになったかを物語るものである。

結論:歴史に名を刻んだ商人茶人の遺産

針屋紹珍という一人の商人への探求から始まった本報告は、彼を含む針屋一族が、安土桃山という日本史上類を見ない文化の爛熟期において、中心的な役割を担った文化の担い手であったことを明らかにした。彼らの物語は、この時代の文化が、武士階級によってのみ牽引されたのではなく、豊かな経済力と高度な審美眼を兼ね備えた商人たちとの相互作用の中で、ダイナミックに創造されていったことを鮮やかに示している。

中でも特筆すべきは、針屋宗春の存在である。彼は、千利休と古田織部という二人の巨大な才能の間にあって、両者の思想と実践を深く理解し、記録することで、次代へと茶の湯の精神と技術を橋渡しする、極めて重要な役割を果たした。秀吉を感嘆させた機知に富んだもてなし、天下の名物が集った卓越したコレクション、そして茶道史における価値観の変容を伝える貴重な著作は、宗春が単なる一茶人ではなく、時代の文化そのものを体現し、後世に多大な影響を与えた人物であったことを証明している。

やがて歴史の変遷の中で「絶家」という運命を辿った針屋一族であるが、彼らの名は「針屋金襴」という不滅の文化遺産として、今なお我々の前に存在する。針屋一族の栄枯盛衰の物語は、激動の時代における文化の力と、それを担った商人たちのしなやかで強靭な精神性を、現代の我々に静かに、しかし力強く語りかけている。彼らが歴史に残した足跡は、茶の湯の歴史のみならず、日本の文化史全体の中で、改めて高く評価されるべきである。

引用文献

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