くノ一
~敵将側室に潜入し機密を盗む~
「くノ一」の側室潜入逸話を検証。史料に明確な証拠はないが、武田信玄の「歩き巫女」が遊女として情報収集した可能性は示唆。現代の「くノ一」像は戦後の創作。
戦国期「くノ一・側室潜入諜報譚」の徹底的解剖:史実とフィクションの境界
序章:『側室潜入譚』という「問い」の設定
本報告書は、ご提示いただいた特定の逸話、すなわち「戦国時代の『くノ一』が『敵将の側室として潜入し、機密を盗んだ』」という物語(以下、『側室潜入譚』と呼称)の真偽、背景、およびその形成過程を、歴史学的見地から徹底的に調査・分析するものである。
この『側室潜入譚』は、現代の我々が「くノ一」という言葉から連想する、極めて典型的かつ強力なイメージの一つである 1 。それは、女性諜報員がその性的魅力を能動的に利用し、「側室(あるいはそれに準ずる、敵将の恒常的な性的パートナーかつ近侍者)」という極めて高い身分を獲得し、それによってのみ得られる(寝所や枕元での)最高レベルの機密情報にアクセスし、これを窃取するという、高度な諜報活動の筋書きを指す。
しかし、この逸話の流布の広範さに反し、その歴史的実在性については重大な疑義が提示されている。事実、伊賀流忍者博物館の公式見解においても、こうした(現代的なイメージの)女性忍者の活躍は「残念ながら創造の産物である」と明記されている 2 。
したがって、本調査の目的は二重にある。第一に、「史実として、この逸話は戦国時代に存在したか」という問い(第一部、第二部)。第二に、「もし存在しない、あるいは実態が異なるのならば、なぜ我々はこの逸話を『史実』としてイメージするようになったのか」という、逸話の系譜学的な問い(第三部、第四部)である。ご要求の核心である「リアルタイムな会話」や「時系列」についても、この二重の分析を通じて、史実の蓋然性とフィクションの構築性の両面から徹底的に解明する。
第一部:『敵将の側室』となった「くノ一」は実在したか ― 史料的検証
本章では、ご依頼の『側室潜入譚』が、「戦国時代の史実」として、一次史料、二次史料、あるいは『信長公記』『甲陽軍鑑』といった信頼性の高い軍記物や、各藩の編纂史料に記録されているかを検証する。
1.1. 史料における「側室潜入」の探索結果
調査の結論から述べれば、現存する戦国時代の信頼すべき史料において、ご依頼の逸話「くノ一が敵将の側室として潜入し機密を盗んだ」と明確に記述された事例は、 現時点では確認されていない 。
この結論は、戦国時代の大名にとっての「側室」の身分と役割を考慮すれば、極めて妥当な帰結と言える。
- 側室の政治性 :戦国大名にとって「側室」とは、単なる性の対象ではなく、極めて高度な政治的・外交的意味を持つ存在であった。多くの場合、有力な家臣団の結束を固めるための「人質」として、あるいは同盟関係にある他大名との友好の証として、その息女が側室(あるいは正室)として送られた。
- 身元調査の厳格性 :大名の奥(江戸時代の大奥の前身)は、男子禁制であると同時に、外部からの侵入者に対して最も厳格なセキュリティが敷かれた空間であった。身元不明の美貌の女性が、出自を偽って「側室」の地位にまで潜り込むことは、現実的な諜報活動の範疇を逸脱しており、極めて困難であったと考えられる。
- 諜報の対象 :諜報活動の基本は、より低リスクで、より確実な情報を得る「下働き」からの潜入である。あえて最高権力者の「側室」というハイリスク・ハイリターンの地位を狙う戦略は、後世の創作的な飛躍である可能性が高い。
史料に見られる女性による情報活動は、このような「一点潜入型」よりも、むしろ情報伝達(メッセンジャー)や、流言飛語による後方撹乱が主であったと推察される。
1.2. 史実の核か、最大の誤解か:武田信玄の「歩き巫女」組織
『側室潜入譚』が史実として確認できない一方で、この逸話の「史実側の原型」として唯一かつ最も有力視されているのが、武田信玄が組織したとされる女性諜報集団、通称「歩き巫女」の存在である 1 。
武田信玄は、「三つ者」や富士山の「御師」などを活用した戦国屈指の「忍者使い」として知られるが、その中でも特異なのが、この女性のみで構成された諜報組織である 1 。
- 拠点と統率者 :この組織の拠点は、信州小県郡(ちいさがたごおり)の禰津村(ねづむら)古御館(ふるみたち)にあったとされ、その名は「甲斐信濃巫女修練道場」と呼ばれたという 3 。この組織を統率したのが、望月千代女(もちづきちよじょ、あるいは千代女)とされる女性である。
- 構成員と養成 :戦乱によって生じた戦災孤児、捨て子、迷い子の中から、特に「美しい女の子」を選別し、時には買い取り、あるいは誘拐して集めた 3 。その数、二百から三百名にのぼったとされ、彼女たちに巫女としての修行と、並行して「くノ一の技」(諜報術)を仕込んだとされる 3 。
- 諜報の手法(表の顔) :彼女たちは「ののう」(この地帯での巫女の呼び名) 3 、あるいは「歩き巫女」「渡り巫女」として、全国を遍歴した 3 。白衣の巫女装束をまとい、梓弓を持ち、祭りや市を求めて諸国を巡った 3 。
- 諜報の手法(裏の顔) :この「巫女」という立場は、諜報活動に最適であった。
- 移動の自由 :宗教者であるため、関所(せきしょ)の通過や敵国への入国が、武装した男性忍者に比べて格段に容易であった。
- 情報の収集 :彼女たちは、祓(はらい)や禊(みそぎ)、病気の治療、易占(えきせん)や予言、調伏(ちょうぶく)、呪術・祈祷などを生業とした 3 。また、梓弓の音で神がかり状態となり死霊や生霊を呼ぶ「口寄せ」(梓巫女)も行った 3 。これらの活動は、敵国の城下町や村落の内部に深く入り込み、人々の悩みや噂話(=兵站の状況、領主への不満、軍事行動の噂など、生の情報)を、最も自然な形で収集する手段となった。
信玄が「足長坊主」と渾名(あだな)され、館に居ながらにして日本全国の情報に通じていた背景には、この「歩き巫女」ネットワークの貢献があったとされる 1 。
1.3. 「側室」と「歩き巫女」の決定的差異
ここで、ご依頼の『側室潜入譚』と、史実の「歩き巫女」との決定的な差異、そして「接合点」を分析する。
- 活動形態の差異 :
- 歩き巫女 :広範囲を移動しながら、大衆レベルの情報を収集・伝達する「広域探査型(ネットワーク型)」諜報。
- 側室潜入譚 :特定の敵将の拠点に深く潜入・固定化し、最高機密を狙う「一点集中型(ピンスポット型)」諜報。
この二つは、手法も目的も全く異なる。しかし、『日本巫女史』(中山太郎著)の記述として引用される情報 3 には、この両者を結びつける、極めて重要な記述が存在する。
それは、歩き巫女の中に「 春をひさぐ遊女もいた 」という記述である 3 。彼女たちは「白湯文字(しろゆもじ)」「旅女郎(たびじょろう)」とも呼ばれた 3 。
ここに、ご依頼の逸話の「原型」と「歪曲」の分岐点が存在する。
- 史実の蓋然性(遊女) :諜報員である「歩き巫女」が、その美貌を利用し、敵国の兵士や下級武士に「遊女」として(一時的に)近づき、性的接触を手段として情報を得た可能性は、諜報戦術として非常に高く、蓋然性がある。
- フィクションへの飛躍(側室) :しかし、「遊女」として一夜(あるいは短期間)の関係を持つことと、敵将の「側室」という恒常的かつ政治的な身分を獲得することの間には、計り知れないほどの身分的な断絶がある。
結論として、戦国時代の史料に『側室潜入譚』そのものは確認できない。しかし、その原型となり得る「 女性諜報員(歩き巫女)が、性的接触(遊女活動)を手段として情報収集を行った 」可能性は、史料の記述 3 から否定できない。
ご依頼の逸話は、この「遊女による諜報」という(おそらくは実在したであろう)戦術が、後世の創作(第三部で詳述)によって、より劇的で、より地位の高い「側室による諜報」へと、物語的に「インフレーション(誇張)」を起こした結果ではないか、という強力な仮説が成り立つ。
第二部:『くノ一』の術は存在したか ― 忍術伝書に見る女性の役割
本章では、江戸時代に編纂された忍術伝書(いわば忍術の教科書)が、「くノ一」や女性の忍術について具体的に何を記しているかを分析し、『側室潜入譚』の技術的な妥当性を検証する。
2.1. 『万川集海』『正忍記』の記述
『万川集海』(ばんせんしゅうかい)は、伊賀・甲賀の忍術を集大成した、日本で最も著名な忍術伝書の一つである 4 。また、『正忍記』(しょうにんき)は、紀州藩の軍学者・名取正澄が著した実践的な忍術書として知られる。
これらの主要な忍術伝書を調査した結果、「くノ一の術」として独立した項目が割かれているか、あるいは『側室潜入譚』に繋がるような「色仕掛け(ハニートラップ)」や「敵将の寝所への潜入」が、具体的な「術」として解説されている記述は、主要な伝書( 4 等の研究)の中では確認できない。
『正忍記』に見られる「観音隠れ」(植木や壁に寄り添い、棒立ちのまま動かないでいる術) 5 などは、性別を問わない純粋な隠形術(おんぎょうじゅつ)であり、「女性ならではの術」として体系化されたものではない。
2.2. 伝書における「女性の利用法」の実態
忍術伝書が「くノ一」について沈黙している(あるいは、そもそも重要視していない)一方で、講談や後世の解釈を通じて伝えられる「忍術書における女性の役割」には、非常に象徴的な例が存在する 1 。
それは、ご依頼の『側室潜入譚』とは全く異なる、次のような筋書きである 1 。
- まず、「女中」として城内に潜入した女忍者がいる。
- 彼女は敵将かその奥方に対し、「宿元(実家)にあずけた衣類などを届けてもらいたい」と口実を作り、大きな「木櫃(きひつ)」(木製の大型トランク)を城内に取り寄せる許可を得る。
- 城の門番が木櫃のフタを開けて中身を改める。中には衣類がぎっしりと畳まれて詰め込まれている。
- 門番は型通りの検査(おそらく上部をまさぐる程度)で通過させる。
- しかし、この木櫃は「 二重底 」になっており、その下部には 男の忍者 がひそんでいる。
- 結果、警戒厳重な城中に、女忍者の手引きによって「男の忍者」の侵入が成功する。
この逸話が示すのは、女性忍者が「主体(エージェント)」として敵将の寝所に忍び込み機密を盗むのではなく、「 補助役(アシスタント) 」として、男性忍者の潜入を手助けする役割を担っていたという、より現実的(あるいは地味)な諜報活動の姿である。
2.3. 「くノ一」という言葉の解体
「くノ一」という言葉の語源自体が、彼女たちの役割の秘匿性を象徴している。「女」という漢字を、「く」「ノ」「一」の三つのパーツ(平仮名、片仮名、漢字)に分解したものである、というのが通説である 1 。
この言葉自体が、直接的な「女忍者」という呼称を避けるための「隠語(いんご)」である。これは、彼女たちの活動が公にされるものではなかったことを示唆すると同時に、この言葉が忍術伝書の中で「くノ一忍法」といった形で体系的に用いられていたわけではないことを示している。
第二部の結論として、忍術伝書や関連資料が示す女性の役割は、ご依頼の逸話(=主体的な諜報員、主役)とは異なり、むしろ「男性忍者の補助」や「潜入の手引き」(=補助役)といった、後方支援的な側面が強かった可能性が示唆される。この「補助役」という実像と、『側室潜入譚』という「主役」のイメージとの間には、極めて大きな乖離が存在する。
第三部:『側室潜入譚』の誕生 ― 虚構はいかにして「史実」となったか
第一部、第二部の検証により、『側室潜入譚』が戦国時代の史実や忍術伝書に(少なくとも明確な形では)見出せないことが明らかになった。では、なぜ我々はこの逸話をこれほど強く、戦国時代の「史実」としてイメージするのか。本章では、そのイメージの「系譜」をたどる。
3.1. 決定的な転換点:戦後大衆文化の勃興
我々が知る「くノ一」のイメージ、すなわち「色仕掛け(性的魅力)を武器に諜報活動を行う、妖艶な女性忍者」という像は、戦国時代や江戸時代ではなく、 戦後の昭和期 に誕生したと結論付けて間違いない。
-
山田風太郎による「発明」:
「くノ一」という名称を一般に普及させ、そのイメージを決定づけたのは、1960年(昭和35年)から翌年にかけて『講談倶楽部』に連載された、山田風太郎の小説『くノ一忍法帖』である 1。これが「くノ一」という言葉をタイトルに冠し、そのエロティックかつ超人的な忍術(例:『忍法かげろう斬り』6)を描いた、大衆文化における起爆剤となった。 -
映像によるイメージの固定化:
さらに、その視覚的イメージ、すなわち現代の「くノ一」像の原型である「ミニスカート風の着物に網タイツ」という、戦国時代の考証とはかけ離れたビジュアルが誕生したのは、1963年(昭和38年)の東映映画『真田風雲録』である 6。この作品で渡辺美佐子が演じた「むささびの霧」が、その「第1号」であるとされる 6。
これらのエンターテイメント作品は、戦国時代の史実の断片(第一部で述べた「歩き巫女」など)を核にしながらも、大衆の(主として男性の)欲望を反映した「色仕掛け」という要素を極端に増幅させ、新たな「くノ一」像を「創造」したのである。
3.2. 司馬遼太郎による「リアリティ」の付与
山田風太郎的な超現実的な忍法とは一線を画し、その「創造されたイメージ」に歴史的な「リアリティ」と「愛憎」の物語性を付与したのが、 司馬遼太郎 である。
『 梟の城 』 7 に登場する二人のヒロイン、「小萩(こはぎ)」と「木さる(きさる)」は、その象徴である。
- 小萩の役割 :小萩は、主人公・重蔵の前に最初は「 遊女 」として現れ、次には今井宗久の養女として現れる謎の女である 7 。彼女は諜報活動(あるいは暗躍)の渦中にありながら、重蔵と関わる中で「愛のためならば命も惜しまぬ一途さ」を見せる 7 。
- 木さるの役割 :木さるは、「くノ一としての技量を利用しようとする」男(五平)の甘言に惑わされ、主人公(重蔵)への想いと任務の間で揺れ動く 7 。
これらの作品は、諜報活動と、女性としての「愛」や「性」が不可分に結びついた葛藤のドラマを描き出した。「遊女」として登場する小萩の姿は、第一部で分析した「歩き巫女」の「旅女郎」 3 という史実の断片と、戦後の創作とが接合する瞬間を明確に示している。
結論として、我々が知る『側室潜入譚』は、戦国時代の史実ではなく、戦国時代の「歩き巫女」 3 や「女中」 1 という史実の「断片」を核(シード)として、戦後の大衆小説 1 や映画 6 が「エンターテイメント」として発展させた、近現代の「創造の産物」 2 であると結論付けるのが最も妥当である。
第四部:【時系列シミュレーション】もし『側室潜入譚』が実行されたとしたら
ご依頼の核心的要求である「リアルタイムな会話内容」や「その時の状態」の「時系列での解説」に応えるため、本章では、前章までの分析(史実の断片と後世の創作)をすべて統合し、「もし、戦国時代に『側室潜入諜報』が実行されたとしたら、それはどのようなものであったか」という仮説的シミュレーションを構築する。
※注意: 本章で記述される内容は、史実そのものではなく、史料の断片( 1 )と文化的表象( 7 )から導き出される、**最も蓋然性の高い「逸話の再構築(シミュレーション)」**である。
【シミュレーション:甲斐・武田家の「歩き巫女」による、敵国・A大名の城への潜入諜報】
[第一段階:エージェントの選定と育成]
- 時期: 天文年間(1532-1555年)頃
- 場所: 信濃国小県郡 禰津村(ねづむら) 3 、「甲斐信濃巫女修練道場」 3
- 状態: 統率者・望月千代女(とされる人物)が、戦乱で親を失った十歳前後の少女たちを選別している。飢えと恐怖で痩せこけた少女たちの中から、特に「美しく」、そして「目の力」が強い者を見出している 3 。
- 会話(シミュレーション):
- 千代女: 「名は。年は。」
- 少女: 「……おきく。…わかりませぬ。たぶん、十…三つ…」
- 千代女: 「顔を上げよ。(少女の顔を強引に上げさせ、目を見る)…ふむ。良い目をしておる。その美しさは、神仏に仕えるためにも、そして『鬼』を討つためにも使える。生き延びたければ、この『ののう屋敷』( 3 )で、歌、舞、そして『神の声』を聞く術を学ぶがよい。よいな」
- 分析: 3 によれば、二百から三百名の「美しい女の子」が収集され、巫女としての修行(祓い、祈祷、口寄せ)と、並行して「くノ一の技」(諜報、暗号、そしておそらくは房中術)を仕込まれた。
[第二段階:潜入(アプローチ)]
- 時期: 育成から5年後。「おきく」、18歳。
- 場所: 敵国Aの城下町。
- 状態: 「おきく」は、凄腕(すごうで)の「歩き巫女」( 3 )として評判を得ている。彼女の「口寄せ」や「予言」が恐ろしいほど当たると、城下の市(いち)で噂が広がっている 3 。
- 会話(シミュレーション):
- 城下の商人: 「ののう様( 3 )、どうか。今度の戦、我が商い(あきない)は…」
- おきく: (白木の梓弓を鳴らし、トランス状態に入る)「…お告げがござりまする。…血の匂いがする道を避け、水の道を行けば、実りは二倍となりましょう…(=陸路の輸送部隊は危険、水運を使えという暗喩)」
- 分析: 彼女は「神職」であり、肉食は禁じられている( 3 )という建前で、清廉なイメージを保ちつつ、易占や予言( 3 )を通じて城下の情報を収集している。
[第三段階:接触と選抜]
- 時期: 潜入から3ヶ月後。
- 場所: 敵城Aの二の丸。
- 状態: 城主Aの正室が原因不明の病に倒れ、城下で評判の「おきく」が、呪術・祈祷( 3 )のために城に招かれた。
- 会話(シミュレーション):
- 侍大将: 「殿、あやつの祈祷が始まってから、奥方様の顔色が…」
- 城主A: 「うむ…。あれほどの霊力、ただの巫女ではあるまい。…そして、あれほどの美しさもな…」
- 分析: この段階では、彼女はまだ「巫女」である。しかし、彼女の「美しさ」と「能力(表向きの)」が、城主の目に留まる。
[第四段階:身分の獲得(『側室』への道)]
- 時期: 祈祷から1ヶ月後。
- 場所: 敵城Aの奥。
- 状態: 城主Aは、奥方の病気平癒を「口実」に、おきくを城に留め置く。彼女は「歩き巫女」の装束を解き、城の「女中( 1 )」、あるいは「奥向きの世話役」となる。そして、城主Aの伽(とぎ)の相手をするようになる。
- 分析: ここが、史実( 1 )とフィクション( 7 )の最大の接合点である。彼女は公式な「側室」(政治的)ではなく、まず「寵愛を受ける女中」という、非公式だが敵将に最も近づける立場を獲得した。
- 会話(シミュレーション):
- 城主A: 「(酒に酔い、機嫌が悪い)…おきく。今宵も退屈な戦の話を聞かされたわ。B家の使者が来てな…」
- おきく: (城主の肩を揉みながら)「…殿のお悩み、お察しいたしまする。されど、B家は確か、C家とも縁が深いと…(=意図的に情報を誘導する)」
- 城主A: 「(油断し)そうだ。そこが厄介よ。C家が動けば、我が軍は…(機密を漏らす)…」
- 分析: これが、ご依頼の逸話の核心である「機密の窃盗」である。彼女は自ら問うのではなく、相手に語らせることで情報を得る。この会話は、 2 が示唆する「甘い言葉」であり、 7 の「小萩」のようなミステリアスな魅力を用いた諜報活動である。
[第五段階:諜報活動(機密の伝達)]
- 時期: 潜入から1年後。
- 場所: 敵城Aの城外。
- 状態: おきくは「奥方の病気平癒の祈願」あるいは「里帰り」を名目に、定期的に城外の寺社(かつての「ののう屋敷」の仲間が待機する拠点)へ外出する許可を得ている。
- 会話(シミュレーション):
- おきく: 「(神前で)…のんのさま( 3 )。御仏に申し上げます。…『C家、動く。兵は五千。来月三日、南の街道より』…」
- 物陰の仲間(別の巫女): 「(復唱し、暗号化して記録)…」
- 分析: 彼女は「歩き巫女」のネットワーク( 3 )を使い、定期的に情報を武田家( 1 )に送る。信玄が「足長坊主」と呼ばれた( 1 )のは、こうした無数の「おきく」からの情報網によるものである。
[第六段階:結末(脱出または死)]
- 状態: 彼女の任務の結末は、二つしかない。
- 成功(創作的結末): 敵将Aを色香で惑わし続け、機密を流し、武田軍の勝利に貢献し、戦火の中で姿を消す。( 7 のヒロイン像に近い)
- 失敗(現実的結末): 諜報活動が露見し、捕らえられ、処刑される。あるいは、任務が完了する前に、敵将Aに飽きられ、奥から追い出される。
- シミュレーションの結論: このように、ご依頼の逸話は、「歩き巫女」( 3 )という実在の(可能性が高い)諜報員の活動形態が、後世の創作( 1 )によって「側室」という劇的な立場にまで昇華されたものと考えられる。上記の時系列は、その「もし」の過程を、史料の断片を繋ぎ合わせて再構築したものである。
結論:『側室潜入譚』の総括と歴史的意義
本報告書は、「くノ一の側室潜入諜報譚」という特定の逸話について、その「ありとあらゆること」を徹底的に調査・分析した。
- 史実性の検証: 戦国時代の信頼できる史料において、ご依頼の逸話(くノ一が敵将の側室となり機密を盗む)を直接裏付ける 明確な証拠は発見できなかった 。これは、側室という身分の政治性・機密性を鑑みれば当然の帰結である。
- 史実の原型: ただし、その原型と見なせる活動は存在する。武田信玄が組織したとされる「歩き巫女」集団 1 がそれである。彼女たちは巫女や、時には「遊女」(白湯文字、旅女郎) 3 として敵地に潜入し、性的接触を含む手段で情報収集を行っていた可能性は高い。
- 役割の差異: 『万川集海』などの忍術伝書や関連逸話が示唆する女性の役割は、自らが主体となって敵将を篭絡する( 1 の講談的なイメージ)ものではなく、むしろ「女中」として男性忍者の潜入を「補助する」( 1 の木櫃の例)ものであった可能性が高い。
- 逸話の誕生: 我々が知る「側室潜入譚」は、戦国時代の「歩き巫女」という史実の断片を核に、戦後の山田風太郎 1 や司馬遼太郎 7 といった作家たちの創作、そして『真田風雲録』 6 のような映画による視覚的イメージの固定化によって、「創造された産物」 2 であると結論付けられる。
ご依頼の逸話は、戦国時代の史実そのものではない。しかしそれは、史実の「歩き巫女」が担ったであろう諜報活動の過酷さと、戦後の人々が「くノ一」という存在に託したロマン(愛と裏切り、 7 )とが、数十年の時を経て融合し、結晶化した「 文化的記憶 」と呼ぶべきものである。
以上を、専門家としての調査報告とする。
引用文献
- 忍者・忍術の研究ノート - くノ一の術 - 小説家になろう https://ncode.syosetu.com/n2851cy/8/
- 第45回 くノ一 | 忍者の聖地 伊賀 | 伊賀ポータル https://www.igaportal.co.jp/ninja/2551
- 忍者・忍術の研究ノート - 小説家になろう https://ncode.syosetu.com/n2851cy/19/
- 万川集海 - 忍者ポータルサイト https://ninjack.jp/research/2fxG6NrsUG3bsTGZz18tX4
- 忍術 忍技 忍法 其ノ壱 - SYURIKEN http://www.syuriken.com/ninja_content/ninja-skills-zyutu.htm
- くノ一が登場する作品とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E3%81%8F%E3%83%8E%E4%B8%80%E3%81%8C%E7%99%BB%E5%A0%B4%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BD%9C%E5%93%81
- 菜の花忌特別企画・司馬遼太郎初期長編を読もう!①『梟の城』|青星明良 - note https://note.com/noble_yeti1876/n/nfb0c2b3aca20