岐阜楽市令(1567)
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天下布武の経済的礎石:織田信長「岐阜楽市令(1567年)」の時系列的・多角的徹底分析
序章:岐阜楽市令とは何か ― 戦国史における座標軸
永禄十年(1567年)十月、美濃国を平定したばかりの織田信長が発布した岐阜楽市令は、日本の商業史、ひいては戦国時代の政治史において画期的な出来事として位置づけられている。一般的には、旧来の商業組合「座」の特権を廃し、自由な商取引を認めることで城下町を活性化させた経済政策として知られている 1 。しかし、この布告の本質は、単発の経済政策に留まるものではない。
本報告書の中心命題は、岐阜楽市令が、信長による美濃平定という軍事的成功を、国家統一事業「天下布武」へと昇華させるための、政治・経済・都市計画が一体となった高度な戦略的布告であった、という点にある。この布告は、尾張一国の大名であった信長が、美濃という地政学的・経済的要衝を手に入れ、初めて天下への明確な意志を表明した歴史的転換点において、その壮大な構想を具現化するための最初の具体的な行動であった 3 。
本報告書は、この岐阜楽市令を、発布に至る背景から、布告の瞬間の詳細、そしてその後に与えた影響まで、リアルタイムの時系列に沿って再構築する。さらに、先行研究の成果を踏まえつつ、史料に基づいた多角的な分析を加えることで、この歴史的布告の多層的な意図と、それが日本の歴史に与えた深遠な意義を徹底的に解明することを目的とする。
第一章:布告前夜 ― 戦国期日本の商業秩序と変革の胎動
信長が岐阜楽市令を発布する以前の日本社会は、中世以来の複雑な権益構造の中にあった。この章では、楽市令が登場する必然性を理解するため、当時の商業秩序、変革への試み、そして信長が新たなる本拠地として選んだ美濃国の経済的潜在能力について分析する。
1. 秩序と停滞:「座」による独占と特権の構造
中世後期の日本の商業活動は、「座」と呼ばれる同業者組合によって厳格に管理・統制されていた 8 。座は、商人や手工業者が業種ごとに結成した団体であり、その多くは京都の公家や有力な寺社を「本所」として仰ぎ、金銭(座役銭や運上金)を納める見返りとして、特定地域における営業独占権や販売特権を保障されていた 9 。例えば、油の販売は石清水八幡宮を本所とする大山崎油座が、紙の流通は特定の紙座が、といった具合に、主要な商品は特定の座によって独占されていたのである。
この構造は、座に所属しない新規参入者の商業活動を著しく困難にし、自由な価格競争を妨げることで、経済全体の硬直化を招いていた 12 。特に、比叡山延暦寺や石山本願寺といった寺社勢力は、この「座」のシステムを通じて莫大な富を集約し、世俗の大名権力とは一線を画す、独立した経済的・政治的中心として君臨していた 11 。
信長が後に断行する楽市令、特に「楽座」の側面は、単に経済を活性化させるという目的だけに留まらない。それは、信長が目指す中央集権的な国家構想「天下布武」の実現にとって、避けては通れない課題であった。つまり、旧来の権威である寺社や公家の経済的基盤そのものを破壊する、極めて政治的かつ軍事的な意味合いを帯びた行為だったのである。経済政策は、彼の統一事業における非軍事的な「もう一つの戦線」であり、敵対勢力の資金源を断つという直接的な戦略目的を含んでいた 10 。
2. 旧秩序への挑戦:六角・今川による先駆的楽市令
楽市令という政策自体は、織田信長の独創ではない。史料を遡ると、近江(現在の滋賀県)の守護大名であった六角定頼が、天文十八年(1549年)に自身の居城・観音寺城の城下町である石寺市場に対して発布したものが、確認されている先行例として名高い 15 。また、桶狭間の戦いで信長に討たれた今川義元の後継者である今川氏真も、永禄九年(1566年)に駿河国(現在の静岡県)の富士大宮で楽市令を出している 11 。
これらの先行例は、戦国大名が自身の城下町を繁栄させるため、既存の商業規制を緩和し、多くの商人や職人を誘致する有効な手段として「楽市」を認識し始めていたことを示している 10 。彼らの政策は、領国経営の一環として実施された、いわば局地的な都市政策であった。
信長の卓越性は、この政策を「発明」したことにあるのではなく、その「戦略的応用と規模の拡大」にあった。彼は、他の大名が領国経営のツールとして用いていた政策を、自身の「天下布武」という壮大な国家構想を実現するための戦略的基盤へと昇華させた。六角氏や今川氏の楽市令が、それぞれの城下町という「点」を対象とした政策であったのに対し、信長のそれは、美濃を起点として日本全体の経済圏を再編しようとする、「線」と「面」の政策の第一歩だったのである。
3. 美濃の経済的ポテンシャル:斎藤道三が築いた商業基盤
信長が長年の宿願として攻略した美濃国は、単に戦略的な要地であるだけでなく、経済的に極めて豊かな土壌を持っていた。美濃を支配していた斎藤道三は、油商人から身を起こしたと伝えられるように、商業の重要性を深く理解していた人物であった 19 。
道三は、稲葉山城(後の岐阜城)とその城下町である井口の整備を積極的に進め、彼自身も楽市政策を実施していた記録が残っている 10 。これにより、信長が美濃を手に入れる以前から、この地には商業活動の確かな素地が形成されていた。信長は、道三が築き上げた商業都市のポテンシャルを、楽市令という起爆剤で一気に解放し、自身の支配下に組み込むことができたのである。
さらに、美濃国には二つの強力な経済的資産が存在した。一つは、古くから全国的に高い評価を得ていた特産品「美濃和紙」である 25 。美濃和紙は、その品質の高さから障子紙や公文書用紙として広く流通し、全国的な販売網を持つ重要産業であった 24 。もう一つは、国内の物流を支える大動脈であった長良川の水運である 28 。この水運は、美濃和紙をはじめとする物資を京都や伊勢湾方面へ輸送するための不可欠なインフラであった。
信長の美濃攻略は、単なる領土拡大ではなく、この既存の産業と物流インフラという「経済的成長エンジン」の獲得を意味していた。彼の経済戦略にとって、これらは即戦力となる貴重な資産だったのである。
第二章:永禄十年、美濃動乱 ― 岐阜誕生に至るリアルタイムクロニクル
岐阜楽市令が発布された永禄十年(1567年)は、織田信長のキャリアにおいて決定的な転換点となった年である。この章では、楽市令が布告されるに至るまでの政治的・軍事的背景を、月単位の時系列に沿って追い、その必然性を明らかにする。
1. 永禄六年~九年(1563-1566):美濃攻略への布石
尾張国を統一した信長は、次なる目標を隣国・美濃の攻略に定めた。永禄六年(1563年)、彼は本拠地を清洲城から、美濃国境にほど近い小牧山へと移転する 3 。この本拠地移転は、一国の攻略のために居城を動かすという異例の決断であり、家臣団からの猛反対を押し切って敢行されたものであった。この事実一つをとっても、信長の美濃攻略にかける並々ならぬ執念がうかがえる。小牧山城を前線基地として、彼はその後数年間にわたり、美濃への攻撃を執拗に繰り返した。
2. 永禄十年(1567年)八月:稲葉山城、陥落
長年にわたる軍事行動と並行して、信長は美濃国内の有力国衆への調略を進めていた。その努力が結実したのが永禄十年であった。西美濃を支配していた稲葉一鉄、安藤守就、氏家卜全の「西美濃三人衆」が、ついに信長への内応を決断する 5 。これにより、斎藤氏の防衛体制は内部から崩壊し、戦況は一変した。
同年八月十五日、信長軍は稲葉山城への総攻撃を開始。西美濃三人衆の内応により抵抗力を失った城主・斎藤龍興は、もはや持ちこたえることができず、城を捨てて長良川を舟で下り、伊勢長島へと逃亡した 4 。これにより、信長はついに宿願であった美濃一国を完全に手中に収めたのである。
3. 永禄十年(1567年)九月:新時代の幕開け ― 「岐阜」と「天下布武」
美濃平定を成し遂げた信長は、間髪を入れずに次なる行動を開始した。彼は直ちに本拠地を小牧山城から、陥落させたばかりの稲葉山城へと移す 3 。そして、この地から新たな時代を始めんとする強い意志を、二つの象徴的な行動で示した。
第一に、地名の変更である。彼は、古代中国において周の文王が岐山(きざん)を拠点に天下を平定したという故事に倣い、城のあった稲葉山を「金華山」に、城下町の「井口(いのくち)」を**「岐阜」**と改名した 5 。これは単なる地名変更ではない。自身の事業が、単なる領土拡大ではなく、天下に泰平をもたらすためのものであることを、古典の権威を借りて高らかに宣言する、巧みな政治的パフォーマンスであった。
第二に、新たな理念の提示である。この頃から、信長は**「天下布武」**の四文字を刻んだ朱印の使用を開始する 5 。これは「武力をもって天下に(幕府を再興し)平和な秩序を確立する」という、彼の国家構想を明確にスローガン化したものであった。
稲葉山城の陥落(八月)、岐阜への改名と天下布武印の使用開始(九月)、そして次章で詳述する楽市令の発布(十月)という一連の出来事は、決して偶然の産物ではない。これらは、軍事的勝利を、揺るぎない政治的・経済的支配へと転換するために、周到に計画された一連のパッケージ戦略であった。信長は、武力による制圧の直後に、新しい地名(ブランド)、新しい理念(スローガン)、そして新しい経済政策(具体的な利益)を矢継ぎ早に打ち出すことで、美濃の領民や周辺の大名に対し、自身の支配が旧来のものとは全く異なる、新しい秩序の始まりであることを強烈に印象付けたのである。
第三章:天下への号砲 ― 岐阜楽市令、その瞬間の全貌
美濃平定と新拠点「岐阜」の誕生宣言に続き、信長が打ち出した次の一手が、岐阜楽市令であった。この布告は、彼の「天下布武」が単なる軍事スローガンではなく、具体的な経済的ビジョンに裏打ちされたものであることを示す、天下への号砲となった。
1. 発布の時と場所:永禄十年十月、加納の地に掲げられた制札
信長が発した最初の楽市令は、岐阜城の南方に位置し、中山道が通る交通の要衝であった 加納 の市場(楽市場)を宛先としていた 35 。この命令は、口頭や書状といった限られた範囲に伝わる手段ではなく、「制札(せいさつ)」という、誰もが目にすることができる木製の掲示板の形で公示された 35 。制札は、市場などの往来の激しい場所に掲げられ、領主の命令が絶対的かつ不可侵であることを示す、当時としては極めて強力なメディアであった。
現在、岐阜市の円徳寺には、この時に掲げられたとされる制札が4枚伝来しており、国の重要文化財に指定されている。そのうちの一枚、永禄十年十月付のものが、信長が発した現存最古の楽市令であり、彼の経済政策を直接的に伝える第一級の歴史史料である 36 。
2. 制札の条文、徹底解読:自由と安全の包括的保証
円徳寺所蔵の永禄十年付制札は、三ヶ条から構成されている。その内容は、単に商業を自由化するだけでなく、商人や職人が安心して活動し、移住してくるための、包括的な保証パッケージであった。
条文(翻刻) |
現代語訳・解説 |
関連資料 |
一、定楽市場事、当市場越居之者、分国往還不可有煩、并借銭借米地子諸役令免許訖、雖為譜代相伝之者、不可有違乱之事 |
(自由通行・債務免除・諸役免除) この市場を楽市と定める。この市場に移り住む者は、信長の支配国内を自由に往来してよい。また、過去の借金や未払いの米、地代、その他の諸税は全て免除する。たとえ古くからの住民であっても、新しく来た者に対して妨害をしてはならない。 |
36 |
一、不可押買狼藉喧嘩口論事 |
(治安維持) 強引な売買(押買)、乱暴狼藉、喧嘩や口論を禁じる。 |
36 |
一、不可理不尽之使入、并執宿非分之事 |
(領主権力の自己抑制) (信長の家臣が)理不尽な要求をしたり、無理やり宿を借りたりすることを禁じる。 |
36 |
この制札の核心を読み解くと、いくつかの重要な点が見えてくる。まず、宛名が「楽市場」となっていることから、信長はゼロから自由市場を創造したのではなく、加納に 既存の自由市場(楽市)があったことを公的に追認し、自身の絶対的な権威をもってその特権を拡大・保証した という側面が強い 36 。彼は「革命家」として旧秩序を無に帰したというよりは、「秩序の再編者」として既存の慣習を巧みに利用し、自身の支配体制に組み込んだのである。
特に注目すべきは、第一条に含まれる債務免除(一種の徳政令)と、第三条の家臣への戒めである。戦乱で故郷を追われたり、借財に苦しんだりしていた商人や職人にとって、過去の負債からの解放と自由な移動の保証は、まさに「新天地」への招待状であった。さらに、新たな支配者の家臣による理不尽な収奪を禁じる条項は、信長が公正な統治者であり、彼の支配下では財産と安全が保障されることを強烈にアピールするものであった。これらは、戦乱に疲弊し、新たな支配者を警戒する人々に対し、「信長の支配下に来れば、経済的にも物理的にも安全である」という、具体的かつ強力なインセンティブを提示する、極めて巧みな人心掌握術であったと言える。
第四章:沸き立つ城下 ― 楽市令がもたらした即時的変革
岐阜楽市令の発布は、即座に目に見える形で効果を現した。信長が提示した「自由」と「安全」は、強力な磁石のように周辺地域から人々を引き寄せ、誕生したばかりの新都市・岐阜を、戦国時代屈指の活気あふれる経済都市へと変貌させた。
1. 「バビロンの混雑」:商人と職人の流入、そして町の急拡大
楽市令によって商業活動のあらゆる障壁が取り払われた結果、美濃国内はもとより、近隣諸国からも多くの商人や職人が岐阜を目指して移住してきた 10 。彼らは座に属している必要もなければ、高額な上納金を支払う必要もなく、自らの才覚一つで商売を始めることができた。
この熱狂的な状況を、当時日本を訪れていたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、その著書『日本史』の中で「(岐阜の町は)非常に人口が多く、その街路はまっすぐで幅広く、家々はすっきりと立ち並び、 古代バビロンの混雑を思わせる 」と記録している 6 。この記述は、楽市令によって町が短期間のうちに驚異的な発展を遂げ、活気に満ち溢れていた様子を鮮やかに伝えている。人口の急激な増加は、町の消費を拡大させ、それがさらなる商業の発展を促すという好循環を生み出した 10 。
2. 経済効果の波及:富国強兵の実現
商業の活性化と人口の増加は、信長に二つの大きな利益をもたらした。一つは、安定した税収の確保である。活発な商取引は、信長に莫大な経済的利益をもたらし、彼の軍事行動を支える強固な財政基盤を確立した 10 。信長の先進的な軍事戦略、例えば鉄砲の大量購入や、農民兵ではなく専門の兵士を雇用する常備兵の維持は、この圧倒的な経済力なしには実現不可能であった 43 。
もう一つの利益は、兵力の確保である。岐阜に集まった多くの人々は、そのまま兵力の供給源ともなり、富国と強兵が直結する体制がここに確立された 10 。経済力で人を集め、その人々が軍事力を支えるという、信長の合理的な国家経営思想が、岐阜において初めて具現化されたのである。
3. 岐阜城と城下町の建設:「見せる」ための都市計画
信長は、楽市令という経済政策と並行して、壮大な都市計画に着手した。彼は金華山の山麓に、それまでの城の概念を覆すような豪華絢爛な居館を建設し、そこを政治と生活の中心とした 44 。発掘調査によって、巨大な庭園や岩盤を加工した景観などが確認されており、フロイスが「地上の楽園」と称賛したのも頷ける壮麗な空間であったことがわかっている 45 。
信長はこの壮麗な居館や、金華山上からの絶景、そして長良川の鵜飼などを巧みに利用し、京都から訪れる公家、敵対する可能性のある大名の使者、そして遠くヨーロッパから来た宣教師たちを自らもてなした 32 。これは、岐阜を単なる軍事拠点としてではなく、信長の圧倒的な権威と先進的な文化力を示す**「ショーケース」**として演出し、外交の舞台とする高度な戦略であった。
岐阜における楽市令と都市計画は、経済的実利と政治的プロパガンダの見事な融合であった。楽市令で集めた「富」を、豪華な居館やもてなしという「目に見える形」に変換し、それを用いて国内外の有力者を魅了することで、信長の支配の正当性と先進性を強烈にアピールしたのである。活気あふれる市場が示す「経済力」と、壮麗な居館が示す「文化力」は、信長の掲げる「天下布武」がもたらすであろう新しい時代の姿を具体的に示す、何より強力な広告塔となった。
第五章:岐阜モデルの展開 ― 経済を武器とする信長の国家構想
岐阜での成功は、信長に経済と物流の支配が天下統一に不可欠であるという確信を与えた。岐阜楽市令は、彼の壮大な経済戦略における「プロトタイプ」となり、ここで得られた成功体験とノウハウは、その後の彼の政策に大きな影響を与え、より広範なスケールで展開されていくことになる。
1. 経済圏の支配:関所撤廃、街道整備、貨幣政策
信長は、特定の都市を繁栄させるだけでなく、領国全体を一つの巨大な経済圏として機能させることを目指した。そのために、楽市令と並行していくつかの重要な政策を断行した。
第一に、 関所の撤廃 である。戦国時代、各地の領主は関所を乱立させ、通行税を徴収することで財源としていたが、これは物流の大きな障害となっていた 15 。信長は領国内の関所を次々と撤廃し、物資と人の自由な移動を促進した 8 。これは、岐阜のような楽市の効果を領国全体に波及させ、経済活動を最大化するための不可欠な施策であった。
第二に、 街道の整備 である。信長は、主要な街道の幅を広げ、両脇に並木を植えるなど、交通インフラの改善に力を注いだ 51 。これにより、物資輸送の効率と安全性が向上し、経済活動の地理的範囲は飛躍的に拡大した。
第三に、 貨幣経済の推進 である。信長は、自身の旗印に当時の基軸通貨であった中国(明)の貨幣「永楽通宝」のデザインを用いるなど、土地(米)を価値の基本とする旧来の経済システムから、貨幣を中心とする新たな経済システムへの移行を強く意識していた 53 。彼の政策は、経済の流動性を高め、富を自身の支配下に集中させることを一貫して目的としていた。
2. 経済封鎖という戦略:兵糧攻めと物流遮断
信長は、経済と物流の支配を、平時における富国強兵の手段としてだけでなく、戦時において敵対勢力を屈服させるための強力な武器としても積極的に活用した。彼の戦術の中でも特に有名なのが、経済封鎖、すなわち 兵糧攻め である。
長年にわたる石山本願寺との戦いや、伊勢長島の一向一揆との戦いにおいて、信長は敵の拠点を大軍で包囲し、食料や武器弾薬の補給路を完全に遮断する戦法を多用した 58 。これは、直接的な戦闘による損害を避けつつ、敵の戦意と継戦能力を内部から崩壊させる、極めて合理的な戦略であった。この戦術は、後に彼の後継者である羽柴秀吉による三木城や鳥取城の攻略でも用いられ、その有効性が証明されている 60 。
平時における経済の活性化(楽市令や関所撤廃)と、戦時における経済の統制(経済封鎖)を自在に使い分ける能力は、信長が単なる武将ではなく、経済と軍事を一体として捉える高度な戦略家であったことを示している。
3. 安土城下へ:岐阜楽市令の発展的継承
岐阜での成功は、信長の都市政策における一つの到達点であったが、それは最終目標ではなかった。天下統一事業が進展し、畿内を掌握した信長は、天正四年(1576年)に琵琶湖の東岸に新たな拠点として安土城の築城を開始する。そして翌天正五年(1577年)、彼は安土の城下町に対して、岐阜での経験を基にした、より大規模で洗練された楽市令を発布した 2 。
安土の楽市令は、岐阜のそれを発展的に継承し、徳政令の適用を明確に除外する条項や、他所からの移住者を身分に関わらず受け入れる条項(アジール権の保障)など、さらに踏み込んだ内容を含んでいた 50 。岐阜楽市令が信長の経済戦略における「実証実験」であったとすれば、安土の楽市令はその集大成であったと言える。信長の政策は、場当たり的なものではなく、岐阜での経験を通じて学習し、進化していく体系的なものであったことが、この二つの楽市令の比較から明確に見て取れる。
第六章:歴史学の視座 ― 岐阜楽市令の再評価
岐阜楽市令を含む信長の楽市楽座政策は、長らく歴史学の世界で議論の対象となってきた。その評価は、時代とともに、また新たな史料の発見とともに変化を遂げている。
1. 「革命家」信長像の形成と変遷
戦後から長らく、楽市楽座は織田信長の革新性を象徴する政策として高く評価されてきた 12 。中世的な「座」の束縛を打ち破り、近世的な自由市場経済の先駆けとなった、という見方が通説であった。この視点は、信長を旧弊を打破する「革命家」として捉える歴史像と強く結びついていた。
2. 近年の研究動向:連続性と革新性の再検討
しかし、1980年代以降の研究の進展により、この通説はいくつかの点で修正を迫られている。第一に、本報告書の第一章でも述べたように、六角氏や今川氏による先行例の存在が広く知られるようになり、信長を唯一無二の創始者とする見方は相対化された 11 。
第二に、脇田修氏や仁木宏氏といった研究者による詳細な史料分析の結果、楽市令が必ずしも完全な「自由化」を目指したものではなかったことが明らかになってきた 65 。むしろその本質は、旧来の支配者であった寺社や公家から、戦国大名へと
市場の支配権を移行させるための手段 であった側面が強いと指摘されている。実際に信長は、楽市令を発布する一方で、例えば材木の流通を管理するために新たに「薪座」を設置するなど、特定の商人には新たな特権を与えることもあった 36 。これは、信長の政策がイデオロギー的な「自由」の追求ではなく、「自由」と「統制」を巧みに使い分ける、より現実的でプラグマティックなものであったことを示唆している。
3. 楽市楽座の「その後」:新たな商業秩序の萌芽
楽市楽座によって中世的な「座」の体制が解体された後、日本の商業社会は新たな段階へと移行した。自由競争が促進された結果、商人の間でも経済的な格差が拡大し、その中から新たな有力商人が台頭してきた 67 。
その代表格が、生産者から商品を一括で仕入れて小売商人に卸す「問屋」や、領主と直接結びついて特権的な取引を行う「御用商人」である 67 。彼らは、かつての座とは異なる形で市場に影響力を持つようになり、江戸時代には幕府や藩に公認された「株仲間」へと発展していく。
このことから、楽市楽座は永続的な自由市場を創出したというよりも、中世的な座の体制から、近世的な問屋制・株仲間へと至る、商業構造の大きな転換を促す過渡的な役割を果たしたと評価することができる。信長が意図したか否かにかかわらず、彼の政策は日本の商業社会を次のステージへと押し上げる、歴史的な触媒として機能したのである。
終章:岐阜楽市令が残した遺産
永禄十年(1567年)の岐阜楽市令は、織田信長が美濃という戦略的要地を掌握した直後、自身の国家構想「天下布武」を経済面から具体化した、画期的な政策パッケージであった。それは、六角氏などの先行例や、斎藤道三が築いた地域の経済的土壌を巧みに利用し、自由な経済活動と身分の安全を包括的に保証することで、戦乱に疲弊した人々にとっての「新天地」を創出した。その結果、人材と富は新生・岐阜へと急速に集積し、この地は信長の富国強兵を支える一大拠点へと変貌を遂げた。
この布告の歴史的意義は、単に一つの城下町を繁栄させたという点に留まらない。それは、寺社や公家といった旧来の権威が支配する中世的経済秩序に事実上の終焉を告げ、統一的な大名権力の下に一元化された近世的市場経済への扉を開く、決定的な一歩であった。信長が岐阜で試みた経済と軍事、そして都市計画の戦略的融合モデルは、後の安土城下で完成の域に達し、日本の歴史を大きく前進させる原動力となった。
岐阜楽市令は、単なる法令ではない。それは、戦国の動乱の中から新たな時代を創造しようとした織田信長の、冷徹な合理性と壮大なビジョンが刻まれた、不朽のモニュメントであると言えるだろう。
引用文献
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- 史跡小牧山の歴史 | れきしるこまき(小牧山城史跡情報館) http://www.komakiyama.com/history/
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- 「楽市楽座」織田信長の政策で築かれた自由市場はココがすごい!! - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/201
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- 第3章 岐阜城跡の調査 https://www.city.gifu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/005/558/hozonkatuyou345.pdf
- 「楽市楽座」発掘調査案内所 – 岐阜ネタ満載!レッツぎふ マガジン https://www.lets-gifu.com/maga/machi-5867/
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- 織田信長 - 天下布武 https://oda-lp.vercel.app/
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- 織田信長 中世最後の覇者 : 脇田修 | HMV&BOOKS online https://www.hmv.co.jp/artist_%E8%84%87%E7%94%B0%E4%BF%AE_200000000693865/item_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7-%E4%B8%AD%E4%B8%96%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E8%A6%87%E8%80%85_4697619
- 楽市楽座令研究の軌跡と課題 https://ocu-omu.repo.nii.ac.jp/record/2017961/files/111E0000014-16-9.pdf
- 研究者詳細 - 仁木 宏 - 大阪公立大学 https://kyoiku-kenkyudb.omu.ac.jp/html/100000517_ja.html
- 楽市・楽座はその後どうなったの? - ほのぼの日本史 https://hono.jp/sengoku/rakuiti-rakuza/
- 岐阜円徳寺所蔵の楽市令制札について https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/513/files/kenkyuhokoku_035_10.pdf