最終更新日 2025-08-08

八幡大菩薩

八幡大菩薩は武士の守護神。刀剣に刻まれ、戦国武将の信仰と政治に深く関わった。神仏習合の象徴であり、武運長久を願う切実な祈りの対象だった。
八幡大菩薩

戦国時代における八幡大菩薩 ― 武士の魂に刻まれた神仏の肖像

序論:武士の魂に刻まれた神号

鎌倉時代に作られたとある薙刀の茎(なかご)には、「八幡大菩薩」の五文字が力強く刻まれている。この銘は、単なる装飾や作者の署名ではない。それは、明日をも知れぬ戦乱の世を生きた武士たちが、その生死を託した切実な祈りの結晶であり、究極の護符であった 1 。この神号は、時代を超えて武士の魂に深く刻み込まれ、特に群雄が割拠した戦国時代において、その信仰は頂点を迎えることとなる。

しかし、ここに根源的な問いが生じる。なぜ日本の古来の神であるはずの「八幡神」が、仏教における修行者の位階である「大菩薩」という称号をその名に冠しているのか。そして、なぜその神仏習合の名が、数百年もの長きにわたり、武士階級、とりわけ戦国を生きる者たちの精神的支柱として、絶大な影響力を持ち得たのであろうか。

本報告書は、この壮大なる謎を、日本の戦国時代という視座から徹底的に解き明かすことを目的とする。そのために、まず第一部では、八幡神が「八幡大菩薩」へと至る歴史的経緯、すなわち神から仏へ、そして武家の守護神へと変容していく過程を辿る。続く第二部では、本報告の中心である戦国時代に焦点を当て、刀剣に込められた祈りから天下人の政治的利用に至るまで、その信仰の深化と多様な様相を具体的に分析する。そして第三部では、八幡大菩薩という存在が武士の精神世界に築き上げた広大な文化圏を、他の武神との比較や文化的表象を通じて明らかにする。この三部構成を通じて、戦国武将の魂に寄り添い、時にその運命を左右した「八幡大菩薩」という、複雑かつ重層的な存在の実像に迫るものである。

第一部:八幡大菩薩の誕生 ― 神から仏へ、そして武神へ

戦国時代の武将たちが八幡大菩薩を自明の守護神として受け入れた背景には、古代から中世にかけて築き上げられた長大な信仰の歴史が存在する。本章では、その信仰の「前提」となった、原初の神の出現から武家の守護神としての地位確立までの軌跡を解明する。

第一章:原初の神「やはたのかみ」と神仏習合の黎明

宇佐の神「やはた」

八幡神の起源は、九州の豊前国宇佐(現在の大分県宇佐市)に祀られた地域の神格に遡る 3 。その名は、日本最古の正史である『古事記』や『日本書紀』には見られず、その出自は謎に包まれている 4 。一説には、渡来系の氏族であった秦氏などが奉斎した製鉄・鍛冶の神、あるいは朝鮮半島との交通の要衝であった地理的条件から、航海の神であった可能性が指摘されている 6 。また、神功皇后が三韓征伐の際に軍旗として八つの幡(はた)を立てたことが「八幡(やはた)」の語源になったという伝説も古くから伝わっている 8 。当初は「やはたのかみ」と訓読みされ、特定の地域や氏族に根差した神であった。

東大寺大仏造立と「大菩薩」号の授与

この地方神が国家的な存在へと飛躍する契機となったのが、奈良時代における聖武天皇の東大寺盧舎那仏像(大仏)造立という未曾有の国家事業であった。天災や疫病、内乱が相次ぐ中、仏教の力による国家鎮護を志した聖武天皇に対し、天平勝宝元年(749年)、宇佐の八幡神は「我、天神地祇を率いて必ずこれを成さしめん」との託宣を下し、大仏造立への全面的な協力を表明したのである 9 。この神託は朝廷を大いに喜ばせ、八幡神は神輿に乗って史上初めて入京し、東大寺の鎮守神として祀られることとなった 9 。これにより、八幡神は中央政界および仏教界と強固な結びつきを得るに至った。

そして、この神仏の協力関係を象徴する画期的な出来事が、天応元年(781年)に朝廷から八幡神へ贈られた「護国霊験威力神通大菩薩」の号である 8 。これは、日本の神が仏法を守護し、悟りを求めながら衆生を救済する存在、すなわち「菩薩」として公式に位置づけられた瞬間であり、神仏習合の歴史における金字塔であった 1

この「大菩薩」号の授与には、単なる宗教的融和を超えた、二重の高度な政治的意図が内包されていた。第一に、大仏造立という国家事業を推進する朝廷にとって、国内の神祇勢力の協力は不可欠であった 9 。八幡神からの「協力の託宣」は、この事業に神の権威という強力な「お墨付き」を与えるものであり、朝廷の威信を高める上で極めて好都合であった 9 。第二に、聖武天皇の死後、相次ぐ政変や天災が天皇の「祟り」として宮廷内に大きな不安をもたらしていた 8 。当時の人々は、崩御した聖武天皇の霊が、大仏造立に協力した八幡神と習合(結合)したと考えていた節がある 8 。したがって、八幡神に「大菩薩」という仏教における極めて尊い位階を授けることは、大仏造立に協力した神を国家的に称揚すると同時に、偉大なる天皇の御霊を仏法の守護者として丁重に祀り上げ、その強大な祟りを鎮めようとする、極めて洗練された政治的・宗教的戦略であった。これは、神の力を国家の威信のために利用し、同時にその神格化された天皇の霊威を仏教の枠組みの中で巧みに制御しようとする、古代日本の為政者たちの高度な統治技術を如実に物語っている。

第二章:源氏の氏神 ― 武家の守護神としての確立

「八幡大菩薩」として神仏習合の神格を得た八幡神が、武士階級、特に戦国武将たちの信仰の中核を占めるに至るまでには、もう一つの決定的な段階があった。それは、清和源氏との結びつきによる「武家の守護神」としての地位確立である。

石清水八幡宮と清和源氏

貞観元年(859年)、大安寺の僧・行教が宇佐神宮にて「吾れ都近き男山の峯に移りて国家を鎮護せん」との神託を受けた 10 。これを受け、京の都の裏鬼門(南西)にあたる男山に宇佐から八幡神が勧請され、石清水八幡宮が創建された 16 。これにより八幡神は、皇室の祖神である天照大御神を祀る伊勢神宮に次ぐ「第二の宗廟」と称されるほどの高い社格を得て、国家鎮護の中枢を担う神となった 3

この国家の守護神たる石清水八幡宮を、一族の守り神である氏神として篤く崇敬したのが、第五十六代清和天皇を祖とする武士団、清和源氏であった 3 。彼らは自らの血統の権威を、皇室と密接な関係を持つ八幡神に求めることで、他の武士団に対する優位性を確立しようとしたのである。

「八幡太郎義家」の伝説と武神イメージの決定

源氏と八幡神の結びつきを決定的なものとし、「武神」としてのイメージを武士社会に広く浸透させたのが、平安時代後期の武将・源義家の存在である。義家は、父である源頼義が石清水八幡宮に参籠した際に八幡神から霊剣を授かる夢を見て生まれたと伝えられ、幼少期より八幡神との宿命的な繋がりが語られていた 19 。そして、石清水八幡宮の社前で元服した義家は、神の名を自らの通称とし、「八幡太郎義家」と名乗ったのである 5

義家は、前九年の役・後三年の役といった東北地方での大規模な戦乱において、その比類なき武勇を発揮し、「天下一の武勇の士」と称えられた 3 。彼の武功と「八幡太郎」という名は不可分に結びつき、武士たちの間で「八幡神の加護篤き者こそが最強の武士である」という観念が醸成されていった。これにより、「弓矢八幡」という言葉に象徴されるように、八幡神は戦場での勝利をもたらす武運の神、弓矢の神としての神格を不動のものとした 3

鎌倉幕府と鶴岡八幡宮 ― 「武家の守護神」の完成

源義家によって確立された「源氏の氏神にして武神」という八幡信仰の伝統は、その子孫である源頼朝によって完成される。治承・寿永の乱を勝ち抜き、日本史上初の武家政権を樹立した頼朝は、その本拠地である鎌倉の中心に、父祖伝来の八幡神を祀る壮大な社殿、鶴岡八幡宮を造営した 3

鶴岡八幡宮は、単に頼朝個人の信仰の対象に留まらなかった。それは鎌倉幕府という武家政権の精神的支柱であり、源氏の守護神として、すべての御家人たちが尊崇すべき存在とされた 20 。御家人たちは、主君である頼朝に倣って鶴岡八幡宮に参詣し、武運長久を祈願した。この過程を通じて、八幡信仰は清和源氏一門の氏神という枠組みを越え、幕府に仕える全国の武士階級全体が共有する「武家の守護神」へと、その性格を普遍化させていったのである 3 。この鎌倉時代に築かれた盤石な信仰基盤こそが、下剋上の嵐が吹き荒れる戦国時代に至るまで、武将たちが八幡大菩薩に絶対的な信頼を寄せ続ける根源となったのである。

第二部:戦国乱世と八幡大菩薩 ― 信仰の深化と多様化

武家の守護神として確立された八幡大菩薩への信仰は、絶え間ない戦乱が続いた戦国時代において、より切実なものとなり、その様相を深化・多様化させていった。武将たちは、この神仏に勝利と生存を祈願するだけでなく、自らの権威の源泉として、あるいは一族の存亡を賭けた最後の拠り所として、様々な形で関わりを持った。

第一章:戦場の護符 ― 刀剣に込められた祈り

戦国武士にとって刀剣は、単に敵を討つための武器ではなく、自らの魂の宿る神聖な器であり、武士の誇りの象徴であった 23 。その刀身に神仏の名を刻むことは、戦場での加護を願う最も直接的で力強い信仰の表明であり、中でも「八幡大菩薩」の名は、数多の刀工によって茎に刻まれた。

刀身彫刻としての「八幡大菩薩」

刀身に「八幡大菩薩」あるいは帰依を示す「南無八幡大菩薩」と刻む行為は、武家の守護神の加護を常にその身に帯び、武運が尽きることのないようにと願う、究極の祈りであった 25 。決戦に臨む武士にとって、この銘が刻まれた愛刀は、何物にも代えがたい精神的な支え、すなわち護符そのものであった 1 。伊勢の村正 25 、南北朝期の国重 27 、備前一文字派の吉岡助光 28 、さらには長光、兼光、堀川国広といった錚々たる名工たちが、その作刀に八幡大菩薩の名を刻んだ事実は、この信仰が特定の流派や地域を超えて、武士社会に広く、深く浸透していたことを示している 26

神仏の併記に見る複合的信仰

戦国時代の刀剣に見られる特徴は、八幡大菩薩が単独ではなく、他の神仏と共に併記される例が少なくないことである。これは、戦乱の世を生きる武士たちの、極めて現実的で複合的な信仰観を如実に示している。

  • 八幡大菩薩と天満大自在天神: 豊後の柞原八幡宮に伝わる国重作の薙刀直シ刀には、「八幡大菩薩」と共に「天満大自在天神」の名が刻まれている 27 。これは、武運の神である八幡神の加護に加え、元は強力な怨霊神であり、絶大な神威を持つと信じられた天神(菅原道真)の力を借りて、敵を調伏し、怨敵退散をも祈願するという、二重の加護を求める意図があったと考えられる。
  • 八幡大菩薩と妙見菩薩: 備前吉岡一文字助光作の国宝の太刀には、「南无八幡大菩薩」と「南无妙見大菩薩」の銘が並んで刻まれている 28 。源氏の氏神として武家全体の守護神である八幡神と、千葉氏などが一族の守護神として篤く信仰した北辰(北極星)の化身・妙見菩薩の組み合わせである。これは、武運(八幡)と、人の運命や戦における方角・吉凶を司る天の星(妙見)の両方を掌握し、勝利を確実にしたいという武士の強い願いの表れと解釈できる 30
  • 八幡大菩薩と摩利支天: 弥彦神社所蔵の重要文化財の大太刀には、「南無正八幡大菩薩」と「南無唵麾利支天」の銘が見られる 32 。これは、武運の総元締めともいえる八幡神に加え、陽炎を神格化した神で、その姿は敵に見えず、捉えられず、傷つけられることもないとされた必勝・護身の神、摩利支天の加護を求めたものである。

これらの神仏の組み合わせは、戦国武将の信仰が、単一の教義に殉じるものではなく、極めてプラグマティックな「ポートフォリオ」戦略であったことを示唆している。彼らは、それぞれの神仏が持つ固有の「ご利益」を深く理解し、自らが置かれた状況や目的に応じて、それらを巧みに組み合わせていた。すなわち、八幡大菩薩は「武運長久」や「一族の守護」といった、合戦全体を司る大局的・戦略的な加護を担う「軍団の守護神」であった 4 。一方で、摩利支天は「隠形」「護身」といった、戦場の個々の局面で発揮される即物的・戦術的な加護を担う「個人の守護神」であった 33 。そして妙見菩薩は「運命」や「方位」を司り、戦略的な指針を与える役割を期待された 30 。刀剣にこれらの神仏の名を併記することは、異なる神格が持つご利益を重ね掛けし、大局的な勝利(八幡)を願いつつ、個々の戦闘での生存(摩利支天)を確保し、さらには天運(妙見)をも味方につけようとする、包括的な霊的リスク管理であったと言えよう。これは、戦国武将の信仰が、抽象的な教義の探求よりも、「戦場で生き残り、勝利する」という現実的な目的を達成するための、霊的な技術体系であったことを色濃く物語っている。

第二章:天下人と八幡神 ― 崇敬、利用、そして畏怖

戦国乱世の終焉を告げ、天下統一を成し遂げた三人の英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。彼らにとっても、八幡大菩薩は無視できない強大な存在であった。その関わり方は三者三様であり、それぞれの政治思想や天下観を色濃く反映している。

  • 織田信長: 比叡山延暦寺の焼き討ちなど、旧来の宗教的権威に対して徹底的な弾圧を加えたイメージの強い信長であるが、八幡信仰に対しては複雑な態度を示している。彼は、武家の守護神たる石清水八幡宮の権威を認め、社殿の修復を行うと共に、本殿の軒間に「黄金の樋」を寄進するなど、一定の敬意を払っている 35 。しかしその一方で、太閤検地などに先駆けて八幡宮の荘園を調査し、その経済的基盤に介入するなど、決して無条件の崇敬者ではなかった 39 。信長の八幡宮への態度は、神威への純粋な信仰心というよりも、武家の伝統的権威を自らの統制下に置き、天下布武の過程で巧みに利用しようとする、極めて政治的かつ合理的なものであったと評価できる。
  • 豊臣秀吉: 農民から天下人へと駆け上がった秀吉は、自らの権威を伝統と結びつける上で、八幡信仰を積極的に利用した。信長の方針を継承し、石清水八幡宮や鶴岡八幡宮の大規模な修復・再建事業を行い、手厚い保護者として振る舞った 40 。しかし、彼の野心は単なる保護に留まらなかった。秀吉は遺言の中で、自らを「新八幡(いまはちまん)」として、八幡神に連なる新たな神として祀ることを望んだと伝えられている 43 。これは、源氏の氏神として武家の正統性を象徴する八幡神の権威を、自らの血統に取り込むことで、豊臣政権の永続性を神懸かり的に演出しようとした、壮大な神格化戦略の発露であった。
  • 徳川家康: 清和源氏の末裔を称し、征夷大将軍として幕府を開いた家康にとって、八幡神への崇敬は自らの政権の正統性を担保する上で不可欠の要素であった。彼は、石清水八幡宮や鶴岡八幡宮の社領を安堵し、幕府の事業として社殿の造営・修復を制度化するなど、八幡信仰を徳川幕府の体制下に巧みに組み込んでいった 36 。また、徳川四天王の一人である井伊直政が「八幡大菩薩」と大書した旗印を掲げて戦ったように 46 、徳川家臣団においても八幡信仰は武士の嗜みとして共有されていた。家康は、八幡信仰を武家の由緒ある伝統として最大限に尊重し、それを江戸幕府260年の泰平の世を支える精神的基盤の一つとしたのである。

第三章:群雄たちの信仰模様 ― 地域性と武将の個性

天下人だけでなく、各地で覇を競った戦国大名たちもまた、八幡大菩薩と深く関わっていた。その信仰のあり方は、一族の出自や領国の地政学的条件、そして武将個人の気性によって、様々な sắc thái を見せる。

  • 武田信玄・勝頼: 甲斐の武田信玄は、「風林火山」の旗の下、諏訪大社の神である諏訪明神を軍神として篤く信仰したことで知られる 48 。しかし、彼らは甲斐源氏の嫡流として、一族発祥の地にある武田八幡宮を氏神として崇敬することも忘れてはいなかった 51 。この二重の信仰は、武田氏が伝統的な源氏の権威と、信濃攻略の過程で獲得した土着の神威の両方を自らの力としていたことを示している。この信仰の切実さを最も雄弁に物語るのが、天正10年(1582年)、織田・徳川連合軍の侵攻により武田家が滅亡の淵に立たされた際、当主・勝頼の夫人(北条夫人)が武田八幡宮に奉納した祈願文である。そこには、「南無帰命頂礼、八幡大菩薩」と神にすがり、裏切った木曾義昌を糾弾し、夫・勝頼の勝利と武田家の存続を涙ながらに祈る悲痛な叫びが記されており、戦国末期の武将とその家族の、神仏に託した最後の願いが生々しく伝わってくる 53
  • 上杉謙信: 越後の龍、上杉謙信は、自らを軍神・毘沙門天の化身と信じ、その頭文字である「毘」の一字を染め抜いた旗印を掲げたことであまりにも有名である 55 。彼の信仰の中心が毘沙門天にあったことは間違いない。しかし、彼もまた飯綱権現など複数の神仏を信仰しており 58 、武家の守護神たる八幡神の権威を無視していたわけではない。謙信が信仰した刀八毘沙門天は、武田氏や島津氏にも信仰が見られるなど 60 、当時の武将が特定の神仏のみに帰依するのではなく、霊験あらたかであると評判の武神を広く崇敬の対象としていたことを示す好例である。
  • 九州の諸大名(大友氏・島津氏): 八幡信仰の総本宮である宇佐神宮を擁する九州北部では、その支配権を巡って大名たちが激しい抗争を繰り広げた。豊後の大友宗麟は、南蛮貿易を推進しキリスト教を保護したことで知られるが、その一方で宇佐神宮の大宮司家と姻戚関係を結ぶなど、伝統的な宗教権威にも強い影響力を行使していた 61 。しかし、天正6年(1578年)の耳川の戦いで大友氏が薩摩の島津氏に大敗を喫すると、九州の勢力図は一変する。勢いに乗る島津軍は豊後へ侵攻し、宇佐神宮の周辺も戦場と化した 61 。この攻防は、八幡神の総本宮が、単なる信仰の中心地であるに留まらず、地域の覇権を左右する極めて重要な戦略的要衝であったことを物語っている。

第三部:八幡大菩薩の文化圏 ― 精神世界の広がり

八幡大菩薩への信仰は、神社への参拝や戦場での祈願といった直接的な行為に留まらず、武士の文化や精神世界の隅々にまで広がり、その価値観の形成に大きな影響を与えた。本章では、その文化圏の広がりを、他の武神との比較や、物語・美術における表象を通じて探る。

第一章:武士が祈った神々の系譜

戦国武将の信仰世界を理解するためには、八幡大菩薩を単体で捉えるのではなく、彼らが同時に崇敬した他の神仏との関係性の中でその位置づけを明らかにすることが不可欠である。武士たちは、それぞれの神仏が持つ固有の神格やご利益を理解し、目的や状況に応じて祈りの対象を「使い分け」ていた。以下の表は、戦国時代に武士から特に信仰された主要な神仏を比較したものである。

項目

八幡大菩薩

摩利支天

妙見菩薩

毘沙門天

不動明王

起源・本地

応神天皇、神仏習合 8

インドの女神、陽炎の神格化 33

北極星・北斗七星信仰、道教 30

インドの財宝神、四天王 56

大日如来の化身、密教 65

主な神格

武運の神、弓矢の神、源氏の氏神、国家鎮護 3

必勝、護身、隠形(姿を隠す) 34

方位、運命、国土守護、一族の守護神 30

戦勝、財宝、仏法守護 60

怨敵調伏、煩悩破砕 65

信仰の形態

神社への参拝、刀剣への刻銘、旗印 10

兜中の小像、お守り、旗印 33

兜の前立(日輪・三日月)、一族の守護社 68

兜の前立、旗印「毘」 56

刀身彫刻(倶利伽羅龍) 65

主要な信仰者

清和源氏、足利氏、徳川氏など武家全般 3

楠木正成、毛利元就、前田利家、山本勘助 33

千葉氏、相馬氏、伊達政宗(間接的影響) 31

上杉謙信、武田氏、島津氏 56

武家全般(密教信仰と関連)

象徴

71

63

亀、玄武 73

宝塔、三叉鉾 55

剣、羂索

この表が示すように、八幡大菩薩は源氏の氏神という由緒から、武家社会全体の「公的」な守護神として、武運全般を司る最高神格に位置づけられていた。これに対し、摩利支天は戦場での個人の生存を保障する「私的」な護身神、妙見菩薩は一族の運命や戦略的な方位を司る神、毘沙門天は戦勝とそれに伴う富をもたらす神として、それぞれ異なる役割を担っていた。武士たちは、これらの神仏に同時に帰依することで、公私の両面にわたる包括的な加護を得ようとしたのである。

第二章:物語と美術にみる姿

八幡大菩薩の威光は、武士たちが編み出した文化の中でも色濃く反映されている。

軍記物語における神威

『平家物語』や『太平記』といった軍記物語の世界では、八幡大菩薩はしばしば物語の重要な局面でその神威を示す存在として描かれる。特に源氏方の武将が窮地に陥った際には、彼らの祈りに応えて勝利を約束する霊威として登場し、合戦の行方を左右する超越的な力として語られた 75 。さらに遡れば、平安時代中期の『将門記』において、平将門が八幡大菩薩から「新皇」の地位を保証されたという記述は極めて重要である 8 。これは、八幡神が古くから、朝廷が支配する既存の秩序とは別の、武家による新たな秩序を承認し、正統性を与える神として認識されていたことを示す画期的な事例である。

美術表現 ― 僧形八幡神像

八幡大菩薩の美術表現において興味深いのは、その姿が猛々しい武装した神としてではなく、穏やかな僧侶の姿(僧形)で描かれることが多い点である 8 。現存する作例として名高い東大寺や薬師寺の僧形八幡神像、あるいは尾張徳川家に伝来した八幡大菩薩像などを見ると、右手に錫杖、左手に念珠を持つ姿が一般的である 77 。この図像は、八幡神が単なる戦闘神・武力神ではなく、仏法を深く理解し、それを守護すると共に、慈悲の心をもって衆生を救済する「大菩薩」であるという、神仏習合によって得られた高度な神格を視覚的に表現したものである。戦国武将たちは、この僧形の姿に、武勇の加護だけでなく、自らの所業に対する救済と、来世での安寧をも見出していたのかもしれない。

結論:戦国を駆け抜けた神の変容

本報告書は、「八幡大菩薩」という神仏が、戦国時代という激動の時代において、武士たちの精神世界でいかに重層的かつ不可欠な役割を果たしたかを多角的に論じてきた。その軌跡は、まさに日本の宗教史と武家社会の変遷を映す鏡であった。

古代九州の一地方神であった「やはたのかみ」は、奈良時代に国家事業である東大寺大仏造立に協力することで中央に進出し、神仏習合の波の中で「大菩薩」の号を授けられた。平安時代には、清和源氏との結びつきを通じて「武家の氏神」となり、鎌倉幕府の成立と共に「武家の守護神」としての地位を不動のものとした。

この長大な歴史を背景として、戦国時代における八幡大菩薩への信仰は、その頂点を迎えた。個々の武士にとっては、刀剣にその名を刻むことで生死を託す究極の護符であり、摩利支天や妙見菩薩など他の神仏と組み合わせることで、あらゆる危難に対応しようとする実利的な信仰の対象であった。一方、天下人や大名にとっては、自らの権威を武家の伝統に接続し、その支配を正統化するための強力な守護神であり、その崇敬と保護は高度な政治的意味合いを帯びていた。武田氏の悲痛な祈願文から豊臣秀吉の神格化の野望に至るまで、その信仰は武将たちの個性と領国の運命を色濃く反映していたのである。

戦国時代に武神としての性格を極めた八幡信仰は、泰平の世となった江戸時代においても、武家の守護神として幕府の手厚い保護の下で受け継がれ、やがては庶民の間にも厄除開運や安産など、より多様なご利益を持つ神として広がっていった 15 。しかし、明治維新と共に訪れた神仏分離令は、この長きにわたる神仏習合の歴史に終止符を打つ。これにより、「八幡大菩薩」という呼称は公には廃され、祭神は応神天皇を中心とする「八幡神」として、国家神道の枠組みの中に再編成された 7

かくして、かつて武士の魂の拠り所であり、戦国の世を駆け抜けた神仏「八幡大菩薩」は、その姿を大きく変え、現代に至っている。その名はもはや刀に刻まれることは稀となったが、その背後に横たわる、神と仏、祈りと政治、そして生と死が複雑に絡み合った壮大な物語は、日本の精神史における不滅の遺産として、今なお我々に深い洞察を与え続けている。

引用文献

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  3. 武家の守護神とは/ホームメイト - 名古屋刀剣ワールド https://www.meihaku.jp/historian-text/buke-shugoshin/
  4. 第3回:スサノオとヤマタノオロチ伝説、謎の神「八幡神」 | nippon.com https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09803/
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  20. 石清水八幡宮の歴史と見どころ https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/iwasimizu/hatiman.htm
  21. 八幡神の謎について|佐伯剛 - note https://note.com/kazetabi/n/nbaa04d4960c0
  22. 名前でわかる神社の由来~八幡宮・神明社・稲荷社・熊野神社 - ハッケン!ジャパン https://hakken-japan.com/columns/jinjanonamae1/
  23. 刀身彫刻とは/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/sword-basic/sword-sculpture/
  24. 日本刀彫刻に宿る神/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/10023/
  25. 八幡大菩薩とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%A4%A7%E8%8F%A9%E8%96%A9
  26. 刀の彫でよく見かける「八幡大菩薩」。どんな意味が込められているのか? - note https://note.com/katana_case_shi/n/nb7f599f63f47
  27. 薙刀直シ刀〈銘国重八幡大菩薩天満大自在天神/〉 - 文化遺産 ... https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/184002
  28. 太刀 銘 備前国吉岡住左近将監紀助光 一 南无八幡大菩薩 南无妙見大菩薩 元亨二年三月日 https://www.touken-world.jp/search-noted-sword/tokugawake-meito/56446/
  29. 「徳川家ゆかりの名刀」で検索[2ページ目]/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/search-noted-sword/tokugawake-meito/page/2/
  30. 千葉氏と北辰(妙見)信仰 - 千葉市 https://www.city.chiba.jp/sogoseisaku/sogoseisaku/identitysuishin/chiba-myouken.html
  31. 妙見菩薩、妙見信仰とは?(超簡単に) - 周防山口館 https://suoyamaguchi-palace.com/flower-palace/myoken-bodhisattva/
  32. 大太刀〈銘南無正八幡大菩薩右恵門烝家盛/南無唵麾利支天源定重 ... https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/131527
  33. 武将が深く信仰した仏像/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/69037/
  34. 摩利支天とは(下総摩利支神社公式) https://www.japan-railway.co.jp/marishiten/sp/marishiten.html
  35. 想い出写真館(10)石清水八幡宮 - 八幡市役所 https://www.city.yawata.kyoto.jp/0000004378.html
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  40. 戦国武将に愛された 石清水八幡宮 - 京阪電車 https://www.keihan.co.jp/recommend/uji-fushimi/yawata01.php
  41. 京都の穴場・石清水八幡宮男、織田信長ら戦国武将からも大切にされた神社の巡り方、山からの眺めや元祖松花堂弁当も 日本の神社と神様を巡る旅(第39回) - JBpress https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/83010
  42. 宝物[観る]|鶴岡八幡宮 TSURUGAOKAHACHIMANGU https://www.hachimangu.or.jp/sightseeing/homotsu/
  43. 神国論の系譜 54号 - 八幡の歴史を探究する会 https://yrekitan.exblog.jp/23045645/
  44. 家康の足跡|都の周辺から - 京都府観光連盟 https://www.kyoto-kankou.or.jp/ieyasu/episode03.html
  45. STORY 01 解説編 | 八幡ストーリー https://www.city.yawata.kyoto.jp/yawata-story/story/detail01.html
  46. 永禄4年(1561)2月19日、#井伊直政 が生まれました。 直政は #徳川家康 に仕え、朱色で統一された武具を身にまとい( #井伊の赤備え )、八幡大菩薩の旗を翻し #井伊の赤鬼 と異名を付けられました。 大河ドラマ #どうする家康 では #板垣李光人 さんが演じられますね。登場が今から楽しみです! - 区民ニュース https://kumin.news/machida/articles/396630
  47. 井伊家関連資料 | iimuseum https://www.ii-museum.jp/blank-53
  48. えっ、神社の神様ってこんなに違うの?知らないと損する、神社の神様とご利益の意外な関係とは?【祭神とご利益完全ガイド】 - 御朱印ログ https://gosyuinlog.com/shrine-faith/
  49. 諏訪と 武田氏 - 長野県立歴史館 https://www.npmh.net/publication/data/5a4b2d607b3544d77d0adc087a3bce1f.pdf
  50. 諏訪大社 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%A4%A7%E7%A4%BE
  51. 山梨県韮崎市・戦勝を願う北条夫人の祈願文が残る~武田八幡神社 - 季節の話題(長野県内の市町村) http://wingclub.blog.shinobi.jp/%E3%80%90short%20trip%E3%80%91%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C/%E3%80%90%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C%E9%9F%AE%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%83%BB%E6%88%A6%E5%8B%9D%E3%82%92%E9%A1%98%E3%81%86%E5%8C%97%E6%9D%A1%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A5%88%E9%A1%98%E6%96%87%E3%81%8C%E6%AE%8B%E3%82%8B%EF%BD%9E%E6%AD%A6%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%91
  52. 武田八幡宮パンフレット (PDFファイル https://www.nirasaki-kankou.jp/material/files/group/18/takedaachimanguupamphet.pdf
  53. 武田八幡宮(山梨県韮崎市)を訪問しました https://rashimban1.blog.fc2.com/blog-entry-441.html
  54. 命より、夫との死を選ぶ。19歳で壮絶な最期を迎えた武田勝頼夫人の愛 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/117343/
  55. 泥足毘沙門天 上杉謙信公が祀った毘沙門天像 - 古城巡り 写真館改 https://yamashiro2015.blog.fc2.com/blog-entry-1763.html
  56. 毘沙門天 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A4%A9
  57. 上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市 - samidare http://samidare.jp/u_jidaikan/note.php?p=lavo&c=&off=86&kw=
  58. 武将と兜/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/armor-basic/kabuto/
  59. 戦国武将と兜/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/10805/
  60. 上杉謙信の毘沙門天への信仰心はハンパない?軍神の信仰に迫る! - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/313
  61. 大友氏の日向侵略と大敗 - みやこ町歴史民俗博物館-WEB博物館「みやこ町遺産」:こと(歴史・あゆみ):豊津町史ほか https://adeac.jp/miyako-hf-mus/texthtml/d200040/mp010002-200040/ht041250
  62. 豊薩合戦、そして豊臣軍襲来/戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃(7) https://rekishikomugae.net/entry/2024/01/23/203258
  63. イノシシに乗る守護神!多くの武士に信仰された摩利支天 - RIYAK https://www.riyak.jp/column/242/
  64. 妙見信仰の民俗学的研究―日本的展開と現代社会一 https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/record/4436/files/%E6%AD%B4%E7%94%B2232%20%E6%9C%AC%E6%96%87.pdf
  65. 日本刀の刀身彫刻・鑢目・疵・疲れ/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/9765/
  66. 摩利支天 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E5%88%A9%E6%94%AF%E5%A4%A9
  67. 大阪 高槻 神峯山寺の武士・豪商の関係 | 日本最初毘沙門天 大阪府高槻市 神峯山寺 https://kabusan.or.jp/rekishi-shinkou/bushi-gouzoku
  68. 【兜特集】人気武将兜の種類を紹介!前立てに込めた意味とは? - 歴史プラス https://rekishiplus.com/?mode=f3
  69. 変わり兜/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/11362/
  70. 日本刀の彫物(刀身彫刻・樋)/ホームメイト https://www.touken-collection-kuwana.jp/touken-basic-information/touken-sculpture/
  71. 鶴岡八幡宮本宮楼門の掲額~鳩と八幡神~ - 中世歴史めぐり https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman-honmiya-gaku.html
  72. No.9 猪と仏教(平成31年1月号) | 三重県で永代供養・ご葬儀・水子供養のご相談なら https://koufukuji-mie.com/74175/%E6%B3%95%E8%A9%B1/%E6%B3%95%E8%A9%B1no-1%E3%80%9C50/%E3%80%8C%E7%8C%AA%E3%81%A8%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%80%8D/
  73. 妙見菩薩と信仰 | 真言宗智山派 円泉寺 埼玉県飯能市 https://www.ensenji.or.jp/contents/category/believe/
  74. 妙見信仰を知る 千葉市 妙見千葉神社にて|かおり - note https://note.com/shaludone1/n/n9ee35dc7a718
  75. (注六)尾崎勇氏は「延慶本『平家物語』における頼朝の造型」(『國文學 - CORE https://core.ac.uk/download/pdf/235021388.pdf
  76. 『太平記Jの死の様相と論理 https://kokubunken.repo.nii.ac.jp/record/2208/files/I1802.pdf
  77. 八幡大菩薩像 - 名古屋・徳川美術館 | The Tokugawa Art Museum https://www.tokugawa-art-museum.jp/collections/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%A4%A7%E8%8F%A9%E8%96%A9%E5%83%8F/
  78. 神社の歴史 | 宮地嶽神社 https://www.miyajidake.or.jp/gokitou/rekishi