最終更新日 2025-08-12

影秀

伊達政宗の愛刀「景秀」は、備前長船派の刀工・景秀作。鞍斬り、黒ん坊斬りといった武勇伝で知られ、政宗の武威を象徴。重要文化財に指定され、伝説が変容する様を示す。
影秀

奥州の覇者の佩刀「景秀」――鞍斬りの伝説と武威の象徴を巡る総合的考察

序章:伊達政宗と名刀「景秀」――伝説の深奥へ

奥州の独眼竜、伊達政宗。その名を耳にする時、多くの人々は類稀なる才気と野心、そして戦場における圧倒的な武勇を思い描くであろう。彼の苛烈な生涯を彩る数々の逸話の中でも、一振りの刀にまつわる物語は、政宗のイメージを鮮烈に象徴するものとして広く知られている。朝鮮出兵の折、愛刀を振るって敵将を斬り伏せたところ、その人間のみならず、乗っていた馬の鞍までも両断したという「鞍斬り」の伝説である 1 。この豪快な物語は、政宗の武人としての側面を雄弁に物語り、彼の武威を後世に伝える力強い象徴となっている。

しかし、この刀にまつわる物語は、単なる武勇伝に留まるものではない。利用者様が「影秀」としてご存知のこの名刀は、正しくは備前長船派の刀工「景秀」の手による太刀であり、その歴史はさらに複雑で多層的な側面を秘めている。この刀は「鞍斬り」の異名を持つと同時に、「黒ん坊斬り」という、より謎に満ちた、そして現代的な視点からは慎重な扱いを要するもう一つの号でも呼ばれてきた 2

本報告書は、この伊達政宗の愛刀「景秀」を主題とし、その来歴、美術品としての価値、そして二つの号に秘められた逸話の深層を、あらゆる角度から徹底的に調査・分析するものである。単に伝説をなぞるのではなく、刀工の背景、伊達家への伝来の経緯、逸話が生まれた歴史的・文化的文脈、そして政宗が所用した他の名刀との比較を通じて、この一振りが持つ真の価値と、それが伊達政宗という人物像の中でいかなる位置を占めるのかを解き明かすことを目的とする。ここに、伝説の深奥へと分け入る知の旅路を開始する。

第一部:太刀 銘 景秀の来歴と本質

伝説や逸話が放つ華々しい光から一旦距離を置き、まずはこの刀剣が持つ客観的な事実に光を当てる。一振りの「モノ」としての「太刀 銘 景秀」が、いつ、誰によって生み出され、いかなる軌跡を辿って奥州の覇者の手に渡り、そして美術品としてどのように評価されてきたのか。その本質を明らかにすることから、我々の探求は始まる。

第一章:刀工・備前長船景秀の技

本作を生み出したのは、鎌倉時代中期に備前国(現在の岡山県東部)で隆盛を誇った長船派の刀工、「景秀」である 2 。長船派は、その祖とされる光忠を筆頭に、数多の名工を輩出した日本刀史上最大の一派として知られる。景秀は、この偉大な光忠の弟と伝えられる名工であり、その活躍期は鎌倉中期頃とされる 4

兄である光忠が、蛙子丁子(かわずこちょうじ)と呼ばれる複雑で華麗な丁子乱れの刃文を得意としたのに対し、景秀の作風は、より力強く、焼き幅に広狭の変化が見られるなど、独自の特色を持つ 4 。彼の名を冠した在銘の作品は現存するものが極めて少なく、その希少性から古来より高く評価されてきた 4

興味深いことに、伊達家と景秀の縁は、この一振りに留まらない可能性が示唆されている。景秀の孫と伝えられる刀工・成家もまた、備前で活躍した名手であるが、一説にはこの成家の祖父こそが、伊達政宗の愛刀「くろんぼ切」を鍛えた初代景秀であるとされている 6 。この伝承の真偽は定かではないものの、奥州伊達家と備前長船景秀の名が、時代を超えて結びつけられてきた事実は、この刀が持つ歴史的因縁の深さを物語っている。

第二章:奥州の覇者の手へ――伝来の軌跡

この名刀「景秀」が、いかにして伊達政宗の佩刀となったのか。その伝来の道筋は、伊達家内部の権力構造と、戦国時代における名刀の価値を映し出す、極めて興味深い歴史を内包している。

この刀は、元来、伊達家が直接所有していたものではなく、伊達家譜代の重臣である陸奥石川家の重代の家宝であった 3 。石川家は、伊達家の血を引く有力な一族であり、当時の当主・石川昭光は、政宗の祖父である伊達晴宗の四男、すなわち政宗にとっては叔父にあたる人物であった 7 。この昭光から、甥である主君・政宗へと、この景秀は譲渡されたのである。伊達家の記録によれば、この譲渡は「柄曲」という名の別の刀との「交換」という形で行われたと記されているが、その詳細は不明である 7

この一連の経緯は、単なる刀剣の取引や贈答として片付けることはできない。ここに、戦国大名家における主君と有力家臣との間の、複雑で繊細な力学が透けて見える。名刀は、戦国時代において最高の武具であると同時に、領地や金銭にも匹敵する第一級の資産であり、権威の象徴であった。叔父とはいえ家臣の立場にある昭光が、主君である政宗に一門の重宝を差し出す行為は、表面上「交換」という対等な形式をとりながらも、実質的には忠誠の証として、また伊達宗家の権威を認める服属儀礼として機能したと考えられる。特に、政宗が家中の統制を強化し、奥州の覇権を確立していく過程において、このような有力支族からの名刀の献上は、伊達家内部の権力基盤を固める上で極めて象徴的な意味を持っていた。天下人から下賜される刀が外部に対する権威の証明であるとすれば、この景秀の入手は、伊達家内部における権威の確立を物語る物証と言えよう。

こうして政宗の手に渡った景秀は、彼が終生手放さなかった三振りの愛刀の一つとして数えられるほど、深く愛用された 8 。政宗の死後も、この刀は仙台藩主伊達家に代々受け継がれ、藩の至宝として大切に保管された。元禄8年(1695年)には「金弐百枚」という極めて高い価値が付けられた記録が残り 7 、明治維新後の明治16年(1883年)から17年頃に至るまで、仙台城下の南町御蔵にて厳重に管理されていたことが確認されている 7

第三章:鋼の芸術――美術品としての姿

数々の伝説を纏うこの刀は、同時に、鎌倉時代の刀工技術の粋を集めた第一級の美術品でもある。現存するその姿は、武器としての機能美と、鋼が織りなす芸術性を見事に融合させている。

記録によれば、刃長は二尺四寸一分(約73.0センチ) 3 。地鉄はよく練られて地沸(じにえ)が美しく輝き、刃文は焼き幅に広狭の変化があり、尖り刃や飛焼(とびやき)が交じるなど、景秀の作刀の特徴を顕著に示している 3 。その姿は、鎌倉武士の剛健な気風を映し出すかのように、力強く健全である。

この景秀が持つ美術品としての価値は、近代国家によって公式に認められることとなる。昭和6年(1931年)1月19日、当時の伊達家当主であった伊達興宗伯爵が所持していたこの太刀は、国宝保存法に基づき国宝(今日「旧国宝」と呼ばれるもの)に指定された 5 。これは、この刀がもはや伊達家一門の私有財産であるに留まらず、国民全体の文化的財産として保護されるべき存在であると、国家が認定したことを意味する。その後、昭和25年(1950年)に文化財保護法が施行されると、新たな制度の下で重要文化財へと移行し、その文化的価値を今日に伝えている 2

この文化財指定の歩み自体が、近代日本という国家が、かつての武家の権威をどのように文化的な価値へと転換し、継承しようとしたかを物語る象徴的な事例である。旧大名家が華族として存続する中で、その伝来品が「国宝」という公的な価値を付与されるプロセスは、武士の時代から近代国民国家へと移行する中で、文化遺産の意味合いそのものが変容していった歴史を映し出している。

長らく伊達家に伝来したこの重要文化財「太刀 銘 景秀」は、その後、同家の手を離れ、現在は大阪府在住の個人によって所蔵されている 2

第二部:「号」に秘められた武勇譚の深層分析

一振りの刀に与えられる「号(ごう)」は、その刀が持つ由緒や逸話を凝縮した、いわば第二の名前である。景秀に与えられた「鞍斬り」と「黒ん坊斬り」という二つの号は、この刀の並外れた性能と、持ち主である伊達政宗の武勇を物語るために生まれ、語り継がれてきた。この部では、これらの武勇譚の内容を精査し、その典拠と背景にある文化を深く掘り下げることで、伝説が生まれるメカニズムに迫る。

第一章:「鞍斬り」――武勇を象徴する逸話

「鞍斬り」の逸話は、明快かつ豪壮である。文禄・慶長の役、すなわち朝鮮出兵の折、政宗がこの景秀を佩いて戦陣に臨んだ際、馬上から襲い来る敵将を斬りつけたところ、その太刀筋は敵の身体を貫くだけでなく、勢い余って馬の鞍までも断ち切ってしまった、というものである 1

この種の「切断系」の逸話は、戦国武将の物語において頻繁に登場する表現形式の一つである。例えば、本多忠勝の愛槍「蜻蛉切」は、穂先に止まった蜻蛉が真っ二つになったという逸話から名付けられ 9 、織田信長が観内という家臣を棚ごと圧し切ったとされる刀は「へし切長谷部」と呼ばれる 11 。これらの物語に共通するのは、武具の物理的な性能(切れ味や威力)と、それを扱う武将の卓越した技量や豪胆さを、具体的で記憶に残りやすいエピソードを通じて示すという機能である 12

「鞍斬り」の逸話もまた、この類型に属する。硬い革や木でできた馬の鞍を断ち切るという離れ業は、景秀という刀の恐るべき切れ味と、それを最大限に引き出す政宗の剛腕を、これ以上なく効果的に表現している。この物語は、政宗の武威を喧伝するための、優れた「キャッチコピー」として機能したと言えよう。

第二章:謎多き「黒ん坊斬り」の由来を巡る諸説

「鞍斬り」の逸話が比較的単純明快であるのに対し、「黒ん坊斬り」というもう一つの号は、その由来を巡って複数の説が存在し、より複雑な背景を持つ。この名称は、現代の価値観においては差別的な響きを伴うため、その歴史的文脈を慎重に解き明かす必要がある。

説1:加藤清正による試し斬り説(『仙台士鑑』ほか)

最も古くから伝わる説の一つが、朝鮮出兵の陣中における「試し斬り」に由来するというものである。伊達家の史料である『仙台士鑑』や『御刀剣記』などによれば、そのあらましは以下の通りである 5

諸大名が戦場で手に入れた朝鮮人の遺体を用いて、それぞれの刀の切れ味を試していた。その中に、牛のように巨大な体躯の男の遺体があり、誰も斬り通すことができなかった。それを見ていた政宗は、自らの愛刀である景秀を差し出し、「これで試してみてはどうか」と、加藤清正や浅野長政に勧めた。政宗と不仲であった二人は一度は断るが、政宗が「これは小姓の刀にすぎない」と謙遜してみせると、清正はその意を汲んで太刀を振るった。すると景秀は、見事に大男の胴を両断し、死体を乗せていた土壇(土を固めた台)にまで、五、六寸(約15~18センチメートル)も深く斬り込んだという 3 。その凄まじい切れ味に、清正自身も肝を冷やし、見る者すべてを驚かせたと伝えられる。

この逸話の背景には、安土桃山時代から江戸時代にかけて行われていた「試し斬り」の文化がある 13 。刀剣の性能を客観的に評価するため、罪人の死体を用いて斬撃を行うことは、当時、専門の役職が置かれるほど確立された慣習であった 14 。したがって、この逸話は当時の価値観からすれば、十分に現実味のある物語として受け止められていたと考えられる。

説2:伊達政宗自身による斬撃説(本阿弥琳雅の寄稿文)

もう一つの説は、政宗自身が斬り手となる、より劇的な物語である。この説によれば、同じく朝鮮の陣中で、加藤清正が自らの抱え刀工である同田貫(どうだぬき)の刀で試し斬りを試みたが、うまく斬ることができなかった。それを見ていた政宗は、「そのような刀では切れぬであろう」と嘲笑いながら景秀を抜き放つと、まだ立っていた朝鮮人を背後から袈裟懸けに一刀両断にした。この一件から、景秀は「黒ん坊斬り」と呼ばれるようになった、というものである 5

しかし、この説の典拠を注意深く検証すると、その信憑性にはいくつかの疑問符が付く。刀剣研究家の福永酔剣の調査によれば、この逸話の初出は、大正6年(1917年)に発行された雑誌『刀の研究』に、刀剣鑑定の名門・本阿弥家の琳雅が寄稿した一文であり、比較的時代が新しい 5 。さらにこの寄稿文には、政宗の平生の差料を長船景光とするなど、他の史料と矛盾する点や事実誤認の可能性も指摘されており、史料としての信頼性は慎重に判断する必要がある 5

説3:黒い大猿斬撃説(佐藤寒山の推察)

著名な刀剣研究家である佐藤寒山は、これらの人間を斬る逸話とは異なる、ユニークな異説を提唱している。それは、陣中に出没して悪戯を働く、毛の黒い大きな猿を政宗がこの刀で斬り捨てたことに由来するという説である 5

佐藤寒山は、猿のように敏捷な動物を斬ることは、刀の性能以上に使い手の技量が求められると指摘する。したがって、この逸話は、景秀が名刀であることを示すと同時に、それを使いこなした政宗自身の卓越した腕前を誇るために名付けられたのではないか、と推察している 5 。この説は、残酷な人間斬りの逸話を避けつつ、武勇伝としての性格を保持しようとする解釈とも言える。

「黒ん坊」の語源を巡る考察と逸話の変容

では、なぜ「黒ん坊」という言葉が使われたのか。斬られた対象が朝鮮人であったとする説(説1、説2)において、伊達家の『御刀剣記』には、斬られた大男を「さる身と云もの」と記している 3 。福永酔剣は、これが当時の日本人が朝鮮語で「人」を意味する「サラミィ(사람이)」を聞き取り、転訛して「サルミ」と呼んでいたものであり、その人物が特に色黒であったことから「黒ん坊斬り」という名が付いたのではないかと推測している 3

これらの複数の説の存在は、単なる事実関係の相違以上のことを我々に示唆している。それは、一つの「物語」が、時代と共にいかに変容し、再生産されていくかという、伝説創造のダイナミズムである。最も古い記録に近い『仙台士鑑』の説では、政宗はあくまで刀の提供者であり、斬り手はライバルでもある加藤清正であった。これは、自家の刀の優秀さを、他家の著名な武将に証明させるという、やや屈折した形での自慢話となっている。しかし、時代が下った大正期の本阿弥琳雅の記述では、政宗自身がより積極的で豪胆な主人公として描かれる。この変化は、後世の人々が伊達政宗という英雄像に対し、より直接的で分かりやすい武勇伝を求めた結果と解釈できる。講談や立川文庫などで英雄譚が人気を博した時代の空気が、政宗の物語をよりヒロイックな形へと作り変えていった可能性は高い。さらに、佐藤寒山による大猿斬撃説は、史実の探求というよりも、英雄の物語を現代的な倫理観に適合させようとする解釈の試みと見ることもできる。このように、「黒ん坊斬り」の逸話群の変遷を追うことは、刀剣史の研究であると同時に、英雄伝説がいかにして形成されていくかを解き明かす文化史の研究でもあるのだ。

第三章:二つの号は同一の刀か

「鞍斬り」と「黒ん坊斬り」。これら二つの号は、それぞれ異なる逸話に基づいている。しかし、いずれも伊達政宗が所用した備前長船景秀の驚異的な切れ味を物語るものであり、これらは別々の刀ではなく、同一の刀に与えられた二つの異名である、というのが刀剣界における通説となっている 2 。一つの名刀が、その生涯において複数の逸話を生み出し、複数の号で呼ばれることは決して珍しいことではない。

第三部:伊達政宗の差料としての「景秀」の位置づけ

一振りの刀の価値は、その物自体の品質や逸話だけで決まるものではない。持ち主である武将が所用した他の刀剣との比較や、当時の武家社会における刀剣文化という広い文脈の中に置くことによって、初めてその歴史的・文化的な位置づけが立体的に浮かび上がってくる。この部では、景秀を政宗の刀剣コレクションの中に位置づけ、その特異性を明らかにすることを目指す。

第一章:政宗の愛刀コレクションとの比較

伊達政宗は、景秀以外にも数々の名刀を所用していたことが知られている。それらの刀剣は、それぞれ異なる入手経緯と逸話を背景に持ち、彼の生涯の異なる側面を象徴している。景秀の位置づけを明確にするため、主要な愛刀と比較分析を行う。

刀剣名

刀工

入手経緯の概要

主な逸話・号の由来

政宗にとっての象徴的意味

現在の文化財指定・所蔵状況

黒ん坊斬景秀

備前長船景秀

重臣・石川家より入手 7

「鞍斬り」「黒ん坊斬り」など、切れ味と武勇にまつわる逸話 2

【武威の象徴】

重要文化財(個人蔵) 5

燭台切光忠

備前長船光忠

織田信長→豊臣秀吉経由説など 16

家臣を燭台ごと斬った逸話 17

【苛烈な気性・決断力の象徴】

(焼身状態で現存、徳川ミュージアム蔵) 2

大倶利伽羅広光

相州広光

徳川将軍家(秀忠)より拝領 2

刀身の倶利伽羅龍の彫物 2

【徳川家への忠誠と格式の象徴】

(法人蔵) 2

鎺国行

山城来国行

豊臣秀吉より拝領 17

鷹狩の返礼品 17

【天下人との関係性を示す象徴】

重要文化財(仙台市博物館寄贈) 17

この比較表から、それぞれの刀が政宗のペルソナの異なる側面を担っていることが明らかになる。

鎺国行(はばきくにゆき) 」と「 大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ) 」は、まさしく**「政治家・政宗」**のステータスを象徴する刀である。これらはそれぞれ豊臣秀吉、徳川秀忠という当代の天下人から下賜されたものであり 8 、政宗が中央政権といかに密接な関係を築いていたかを示す政治的なトロフィーとしての性格が強い。これらの刀を佩くことは、自らの格式と政治的地位を周囲に誇示する行為であった。

燭台切光忠(しょくだいきりみつただ) 」は、**「藩主・政宗」**の統治者としての苛烈な決断力を示す刀と言える。その逸話は、粗相を犯した家臣を、隠れた燭台ごと斬り捨てたというものであり、その舞台は戦場ではなく、藩邸という統治の場である 17 。これは、法や秩序を維持するためには非情な決断も辞さない、為政者としての厳格な一面を物語っている。

これらに対し、「 景秀 」が象徴するのは、より根源的な**「戦場の武人・政宗」**の姿である。その入手経緯は伊達家内部の力学に根差しており、逸話は「鞍斬り」や「黒ん坊斬り」といった、戦場における「斬る」という行為そのものに特化している。他の刀が「大名」や「為政者」としての政宗を語るのに対し、景秀は、彼が単なる策略家や政治家である前に、一個の優れた武人であったという、そのアイデンティティの核を最も純粋な形で表象している。景秀の物語には、政治的な駆け引きや統治の苦悩は介在しない。そこにあるのは、敵を斬り、勝利を掴むという、武士としての本能的な衝動と武威の称揚である。この意味で、景秀は政宗の数ある佩刀の中でも、彼の魂の最も原初的な部分を語る、特別な一振りであったと言えるだろう。

第二章:戦国武将と刀剣――語られる武威と権威

景秀の逸話が持つ意味を正しく理解するためには、戦国時代から江戸初期にかけての、武士と刀剣の特殊な関係性を踏まえる必要がある。この時代、刀剣は単なる武器ではなかった。それは武士の魂そのものであり 9 、持ち主に加護をもたらす神聖な依り代と信じられ 10 、時には領地にも勝る最高の恩賞として家臣に与えられた 23 。そして何よりも、大名や将軍といった権力者が自らの権威と美意識を誇示するための、至高の美術品でもあった 12

このような文化の中で、名刀にまつわる逸話は極めて重要な役割を果たした。それは、刀の価値を高めるための「ブランドストーリー」であり、持ち主である武将のパブリックイメージを戦略的に形成・維持するための強力なメディアであった。景秀の「鞍斬り」や「黒ん坊斬り」といった物語もまた、この文脈の中で理解されなければならない。これらの逸話は、伊達政宗という人物の比類なき武勇、常人離れした豪胆さ、そして彼が所有する名刀の卓越した価値を、具体的で鮮烈なイメージと共に人々の記憶に刻みつけた。それは、政宗の権威を奥州の内外に知らしめ、その支配を正当化するための、巧みな情報戦略の一環であったとも言えるのである。

結論:語り継がれる名刀――「景秀」が現代に伝えるもの

本報告書は、伊達政宗の愛刀「景秀」について、その多角的な側面を明らかにしてきた。それは、鎌倉の名工・備前長船景秀が生み出した希少な美術品であり、伊達家中の権力力学を物語る貴重な歴史的史料であり、そして何よりも、伊達政宗という武将の純粋な武威を象徴する伝説の器であった。

「鞍斬り」の豪快な武勇伝から、「黒ん坊斬り」を巡る複雑で多層的な逸話群まで、この刀にまつわる物語は、単なる事実の記録ではない。それは、時代と共に変容し、後世の人々の英雄への憧憬を映し出しながら再生産されてきた、生きた伝説そのものである。政宗の他の愛刀との比較からは、景秀が彼のペルソナの中でも最も根源的な「武人」としての魂を象徴する、特別な一振りであったことが浮かび上がった。

一振りの鋼の刀が、物理的な存在を超え、これほどまでに豊かな物語を内包し、語り継がれてきたという事実。これこそが、日本刀文化の奥深さを示している。「太刀 銘 景秀」は、もはや伊達政宗という一人の武将の記憶を留めるだけの存在ではない。それは、戦国という時代の激しい気風と価値観、逸話を生み出す人々の想像力、そして伝説が形成される歴史のダイナミズムそのものを、現代の我々に雄弁に伝えてくれる、かけがえのない文化遺産なのである。

引用文献

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  2. 伊達家の歴史と武具(刀剣・甲冑)/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/30432/
  3. 【刀剣紹介】黒ん坊斬り景秀 - 日本刀の世界 ~日本の様式美~ https://nihontoblog.hatenadiary.jp/entry/2018/09/24/145317
  4. 刀 (金象嵌銘)景秀(長船) Katana:Kagehide - コレクション情報 https://www.samurai-nippon.net/SHOP/V-1982.html
  5. 黒ん坊切景秀 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%82%93%E5%9D%8A%E5%88%87%E6%99%AF%E7%A7%80
  6. 重要文化財指定の名刀(重要文化財の刀剣一覧)/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/search-noted-sword/juyobunkazaii-meito/
  7. くろんぼ斬景秀 - 名刀幻想辞典 https://meitou.info/index.php/%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%82%93%E3%81%BC%E6%96%AC%E6%99%AF%E7%A7%80
  8. 伊達政宗 - 名刀幻想辞典 https://meitou.info/index.php/%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%94%BF%E5%AE%97
  9. 雷神まで切った!戦国武将と名刀の伝説を一挙に紹介してみたら真剣にすごかった! - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/craft-rock/2580/
  10. 名刀の逸話/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/26133/
  11. 刀剣コレクターの戦国武将/ホームメイト https://www.touken-collection-kuwana.jp/touken-knowledge/touken-collection/
  12. 刀と日本人2 http://ohmura-study.net/092.html
  13. 刀剣にまつわる神事・文化・しきたり/ホームメイト https://www.touken-world.jp/ritual-culture-clash/
  14. 日本刀の試し斬り(試し切り)/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/32763/
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  17. 伊達政宗と愛刀/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/sengoku-sword/favoriteswords-datemasamune/
  18. 伊達政宗が愛した名刀「燭台切光忠」―歴史ロマンと現代によみがえる刀剣の物語 - note https://note.com/japankatana/n/n1a1d27dbb0ed
  19. まるで不死鳥!焼けて行方不明…からの発見!奇跡の名刀・燭台切光忠 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/craft-rock/92941/
  20. 第320回 刀剣の美|綱渡鳥@目指せ学芸員2.0 - note https://note.com/tunawataridori/n/n16e786775284
  21. [ID:76] 太刀 無銘(「鎺国行」) : 資料情報 | 収蔵資料データベース | 仙台市博物館 https://jmapps.ne.jp/scm/det.html?data_id=76
  22. 逸話・伝説がある刀/ホームメイト https://www.touken-collection-kuwana.jp/meitou-knowledge/touken-anecdote/
  23. 逸話がある名刀/ホームメイト - 刀剣ワールド名古屋・丸の内 別館 https://www.touken-collection-nagoya.jp/anecdote-sword/