最終更新日 2025-08-09

懐鉄砲

懐鉄砲は、戦国時代の火縄式短筒と幕末の雷管式握り鉄砲を指す。前者は補助兵装、後者は暗器で、技術的隔たりが大きい。暴発リスクは共通だが、その性質は異なる。
懐鉄砲

日本の「懐鉄砲」に関する総合的研究 — 戦国時代の短筒から幕末の暗器まで

序章:懐鉄砲という概念 — 呼称が内包する時代と技術の交錯

「懐鉄砲」という言葉は、聞く者に小型で隠密性の高い火器を想起させる。ご依頼者が提示された「短筒の一種。懐に忍ばせられる大きさであることから、こう呼ばれる。握力で点火できるものの、暴発などの大きな危険が伴った」という概要は、この武器の核心的な特徴を的確に捉えているように見える 1 。しかし、この簡潔な説明の中には、日本の火器史における数世紀にわたる技術的変遷と、それに伴う時代の断絶が内包されている。

本報告書は、この「懐鉄砲」という概念を、「戦国時代」という特定の時代的視座から徹底的に解明することを目的とする。調査を進めるにあたり、まず直面するのは、ご依頼の概要に含まれる「戦国時代」という時代設定と、「握力で点火できる」という技術的特徴との間に存在する、一見すると矛盾した関係性である。

日本の戦国時代(15世紀後半から17世紀初頭)において、主流であった火器の点火方式は、火のついた縄を用いる「火縄式(マッチロック式)」であった 2 。これは、引き金を引くことで、火縄を挟んだ「火ばさみ」が火薬皿に叩きつけられ、発火に至る機構である 3 。一方で、「握り込む」という動作で発射される銃、すなわち「握り鉄砲」または「芥砲(かいほう)」と呼ばれる武器は、主に暗殺や護身を目的とし、手のひらに収まるほど小型化されたものであった 4 。しかし、その点火方式は火縄ではなく、19世紀にヨーロッパで発明され、幕末の日本に伝来した「雷管式(パーカッションロック式)」という画期的な技術に依存していた 4 。この方式は、衝撃に敏感な化学物質「雷汞(らいこう)」を詰めた雷管を撃鉄で叩くことで発火させるもので、火縄という外部の火種を一切必要としない 7

この技術的な隔たりは、すなわち時代の隔たりを意味する。「火縄式」が戦国の世を席巻した技術であるのに対し、「雷管式」は泰平の江戸時代が終わりを告げ、動乱の幕末期に登場した新技術なのである 5

したがって、「戦国時代の懐鉄砲」という問いを解き明かすためには、まず「懐鉄砲」という言葉が指し示す対象を、歴史的文脈に沿って再定義する必要がある。本報告書では、「懐鉄砲」という呼称を、特定の銃器モデルを指す固有名詞としてではなく、「懐に収まるほど小型で携帯性に優れた銃」という用途やサイズに基づく**カテゴリ名(普通名詞)**として捉える。この視点に立つことで、なぜ時代も技術も異なる二つの武器が、同じような呼称の下で混同されてきたのか、その理由が明らかになる。

本報告書は、以下の三部構成でこの謎に迫る。第一部では、戦国時代における「懐鉄砲」の実像、すなわち「火縄式短筒」について、その開発経緯、構造、そして運用上の現実を詳述する。第二部では、時代を下り、ご依頼の概要にある「握力で点火する鉄砲」の正体である「雷管式握り鉄砲」の登場と、それを可能にした技術革命を解明する。そして第三部では、これら二つの「懐鉄砲」を比較分析し、なぜ歴史的なイメージの混同が生じたのかを文化史的な視点から考察し、総合的な結論を導き出す。


第一部:戦国時代の「懐鉄砲」— 火縄式短筒の実像

戦国時代という文脈において「懐鉄砲」に相当する武器を特定するならば、それは火縄銃の一種である「短筒(たんづつ)」に他ならない。これは、長大な標準型の火縄銃とは一線を画す、特殊な用途のために開発された小型火器であった。本章では、この火縄式短筒が戦国の世でいかなる存在であったのか、その実像に迫る。

第一章:戦国期における小型火器の系譜

1543年に種子島に鉄砲が伝来して以降、日本の戦場は劇的な変貌を遂げた 2 。当初、鉄砲は足軽による集団運用を主とし、その主力は「小筒(こづつ)」や「中筒(なかづつ)」と呼ばれる標準的な長さの火縄銃であった 10 。しかし、鉄砲の戦術的価値が広く認識され、生産体制が確立されるにつれて、その形態は多様化の一途をたどる。城壁の狭間から射撃するための「狭間筒(はざまづつ)」、絶大な破壊力を誇る「大鉄砲(おおでっぽう)」など、特定の戦況に対応した特殊な銃が次々と開発された 3

この武器技術の成熟と多様化の流れの中で生まれたのが、騎馬武者のための小型火器であった。まず、馬上で取り回しやすいように銃身を切り詰めた「馬上筒(ばじょうづつ)」が登場する 12 。これは騎兵銃として開発されたもので、両手で構えて使用することを前提としていた 13 。そして、この馬上筒をさらに小型・軽量化し、片手での射撃をも可能にしたのが「短筒」である 12

短筒は、全長が30~40cm程度のものが多く、片手で扱える拳銃に近い形態をしていた 12 。その主たる用途は、馬上筒と同様に騎乗戦闘における近接戦での補助兵装であり、高位の武士が自身の武威を示すための装備としても用いられたと考えられる 10 。鉄砲という新兵器が、当初の歩兵用量産兵器という段階から、武士個人の戦闘スタイルに合わせて特殊化・高級化していく過程を、短筒の存在は象徴している。これは、ある技術が社会に定着し、成熟期を迎えた際に普遍的に見られる現象であり、短筒は戦国時代における鉄砲戦術の深化を示す重要な指標と言えるだろう。

第二章:火縄式短筒の構造と機構

戦国時代の短筒は、その小型な外見とは裏腹に、当時の日本の職人たちが到達した精巧な技術の結晶であった。その構造は、銃身、銃床(台木)、そして点火装置である「からくり」の三つの主要部分から構成される 3

銃身と生産地

銃身は、熱した鉄の板を鉄の心棒に巻き付け、丹念に叩き締めて成形する「巻張銃身(まきばりじゅうしん)」という高度な鍛造技術によって作られた 15。この製法により、強大な爆発圧力に耐えうる頑丈な筒が生み出された。主要な生産地としては、織田信長や豊臣秀吉といった天下人に重用された近江の「国友(くにとも)」や和泉の「堺(さかい)」、そして独自の鉄砲衆を擁した紀州の「根来(ねごろ)」「雑賀(さいか)」などが知られている 3。これらの地域では、銃身を作る鍛冶、銃床を加工する台師(だいし)、からくりを製作する職人などが分業体制を敷き、高品質な鉄砲の大量生産を可能にしていた 16。

点火機構(からくり)

短筒の心臓部である点火装置「からくり」は、日本の職人たちの創意工夫が最も発揮された部分である。ヨーロッパの初期の火縄銃には、引き金を引くにつれてゆっくりと火縄が火皿に落ちていく「緩発式(かんぱつしき)」が存在したが、日本に伝来し、その後の主流となったのは、引き金を引くと瞬時に火縄が叩きつけられる「瞬発式(しゅんぱつしき)」であった 2。この方式は、発射までの時間差が少ないため、動く標的に対する命中精度に優れていた。

日本の職人たちは、この瞬発式の機構をさらに洗練させ、主に二種類の「からくり」を発展させた 17

  1. 外からくり(そとからくり) : 銃の外部に露出した、ピンセットのような形状の「松葉バネ(まつばばね)」の反発力を利用して火ばさみを動かす方式 17 。構造が比較的単純で堅牢なため、広く普及した。
  2. 内からくり(うちからくり) : 時計にも用いられる「ゼンマイ」を動力源とし、その機構全体を銃床の内部に収めた方式 17 。機構が内部にあるため、外部からの衝撃や雨水、埃などから保護され、より信頼性が高いという利点があった。これは単なる模倣を超え、日本の過酷な気候や実戦環境に適応しようとした、独自の技術革新の成果と言える。

装填と発射手順

短筒の発射手順は、他の火縄銃と同様、前装式(ぜんそうしき)であった。その手順は以下の通りである 3。

  1. 銃口から発射薬である「胴薬(どうぐすり)」と弾丸を詰める。この際、「カルカ」と呼ばれる棒で銃身の奥までしっかりと突き固める。
  2. 銃身の横にある「火皿(ひざら)」に、点火薬である「口薬(くちぐすり)」を少量盛る。
  3. 湿気や誤発火を防ぐため、一時的に「火蓋(ひぶた)」を閉じる。
  4. あらかじめ火をつけておいた火縄の先端を、「火ばさみ」に挟んで固定する。
  5. 銃を構え、火蓋を開けて照準を合わせ、引き金を引く。

引き金を引くと、からくりが作動して火ばさみが倒れ、火縄の火が火皿の口薬に接触する。口薬が燃焼した炎が、銃身に開けられた小さな穴「火門(かもん)」を通って内部の胴薬に引火し、その爆発的な燃焼ガスの圧力で弾丸が発射される 3 。この一連の装填作業には、熟練者でも20秒から30秒程度の時間を要したとされている 3

第三章:「懐に忍ばせる」ことの現実性と危険性

「懐鉄砲」という名称は、現代人にとって「懐に隠し持ち、いざという時に素早く取り出して使う」という、いわゆる暗器としてのイメージを強く喚起させる。しかし、戦国時代の「火縄式短筒」が、そのような運用が可能であったかについては、技術的な制約から大きな疑問符が付く。

その最大の障壁は、点火源である「火縄」の存在である。火縄銃は、その名の通り、常に火のついた縄を携帯し、発射の直前にそれを火ばさみにセットしなければならない 3 。燃え続ける火縄を、火傷や衣服への引火の危険を冒してまで懐に入れることは、極めて非現実的である。また、たとえ火縄を手に持っていたとしても、敵前で銃口から火薬と弾を詰め、火皿に点火薬を盛り、火縄をセットするという一連の煩雑な準備作業が必要であり、現代の拳銃のような即応性は皆無であった 13

これらの事実から、戦国時代の短筒は、現代的な意味での「コンシールドキャリー(秘匿携帯)武器」ではあり得なかったと結論付けられる。その「懐」という呼称は、長大な槍や刀、標準的な火縄銃と比較した際の、あくまで相対的な小型さ、携帯性の良さを示す比喩的な表現であったと解釈するのが妥当である。それは暗殺者の道具というよりは、高位の武士が腰に差す脇差のように、自身の身分と武威を示すための「携行可能な兵装」としての性格が強かったのである。

一方で、ご依頼の概要にもある「暴発などの大きな危険」は、火縄銃が常に抱える問題であった。その原因は多岐にわたるが、特に多かったのが「遅発(ちはつ)」に起因する事故である 23 。これは、引き金を引いてもすぐには発射されず、時間差で弾が発射される現象を指す。射手が不発と勘違いして銃口を不用意な方向に向けたり、火縄を外そうと不用意に銃に触れたりした瞬間に暴発し、重大な事故につながるケースが後を絶たなかった。また、自身の腰に下げた火薬入れに火縄の火の粉が飛び、爆発するといった事故も記録されている 23 。火縄式短筒は、その小型さゆえに取り回しは良いものの、火という不安定なエネルギー源を扱う以上、常に死と隣り合わせの危険な武器であったことは間違いない。


第二部:「握力で点火する鉄砲」— 握り鉄砲の登場と技術的背景

ご依頼者が提示された「握力で点火できる懐鉄砲」は、戦国時代の産物ではなく、時代を大きく下った江戸時代後期から幕末にかけて登場した、全く新しい概念の武器である。それは「握り鉄砲(にぎりでっぽう)」あるいは「芥砲(かいほう)」と呼ばれ、真の意味で「懐に忍ばせる」ことを可能にした、新時代の暗器であった。

第一章:新時代の暗器「握り鉄砲(芥砲)」

握り鉄砲とは、その名の通り「手の掌に収まるほどの大きさの短銃で、取手と銃身を一緒に握り込むことで弾を発射できる」特殊な構造を持つ銃である 4 。中国で「手砲」や「懐中銃」と呼ばれた武器に類似し 24 、西洋では「パームピストル(掌中銃)」として知られるカテゴリに属する 4

その主たる用途は、戦場での戦闘ではなく、「暗殺」や「護身」であった 4 。命中精度や射程距離は極めて限定的であったが、至近距離における奇襲攻撃では絶大な効果を発揮した 4 。この武器が登場し、需要が生まれた背景には、日本の社会情勢の変化が密接に関わっている。大規模な合戦が終焉し、表向きは泰平の世となった江戸時代においても、政治的対立や個人的な怨恨による暗闘は存在した。さらに、尊皇攘夷や倒幕の嵐が吹き荒れた幕末期には、要人暗殺が頻発し、志士たちは常に身の危険に晒されていた 13

このような状況下では、公然と佩刀する刀や、準備に手間のかかる火縄銃よりも、人知れず携帯でき、いざという時に最後の切り札となる隠し武器、すなわち「暗器(あんき)」の需要が高まった 24 。握り鉄砲は、まさにこの時代のニーズに応える形で開発された武器であり、その存在自体が、戦国時代とは異なる暴力の形態と、それを生み出した社会構造を色濃く反映しているのである。使用された時代は、早くとも江戸時代初期から中期、そして本格的には幕末期と考えられており、戦国時代の武器ではないことは明白である 5

第二章:点火方式の革命 — 雷管式の導入

握り鉄砲という特異な形態の武器を技術的に可能にしたもの、それは19世紀の科学が生んだ点火方式の革命、「雷管式(パーカッションロック式)」の導入であった。

銃の点火方式は、原始的な「指火式(さしびしき)」から始まり、戦国時代の「火縄式」、そしてヨーロッパで開発された「歯輪式(ホイールロック式)」、「燧石式(フリントロック式)」へと進化を遂げてきた 6 。これらの方式は、依然として外部の火種や、火花を散らすための物理的な摩擦を必要としていた。

この常識を覆したのが、19世紀初頭に発明された雷管式である。これは、フランスの化学者が発見した、衝撃によって鋭敏に爆発する化学物質「雷汞(らいこう)」を利用したものであった 7 。この雷汞を少量詰めた銅や真鍮製の小さなキャップ(雷管、パーカッションキャップ)を、銃身後部に設けられた「ニップル」と呼ばれる突起にかぶせる。そして、引き金に連動した撃鉄(ハンマー)でこの雷管を叩くと、その衝撃で雷汞が爆発し、その炎が火門を通じて銃身内の発射薬に伝火するという仕組みである 7

この技術がもたらした利点は計り知れない。第一に、火縄のような外部の火種が一切不要になったこと。第二に、点火薬が雷管によって密閉されるため、雨や風といった天候の影響を受けにくくなったこと。そして第三に、発射までのタイムラグがほとんどなく、即応性が飛躍的に向上したことである 7

この画期的な技術は、鎖国体制下の日本にも、江戸時代末期(19世紀半ば)に伝来した 7 。長崎の町年寄であった高島秋帆による西洋式砲術の導入を皮切りに、高松藩の久米通賢や尾張藩の吉雄常山といった先覚者たちが、独自に雷汞の製造や雷管式銃の考案に着手した 7 。また、国友の鉄砲鍛冶たちも、輸入された西洋のゲベール銃を模倣・改造し、雷管式銃の国産化に成功している 7

握り鉄砲という武器は、この雷管式という技術的基盤なしには存在し得なかった。火という不安定な要素から解放され、点火機構が自己完結型のシステムとなったことで、初めて銃は真に「懐に忍ばせ」、即座に発射することが可能な兵器へと進化したのである。この技術的ブレークスルーこそが、後述する「握るだけで発射できる」という究極に単純化された機構の設計を可能にしたのだ。

第三章:「握る」ことで発射する機構の解明

握り鉄砲の最大の特徴であり、その暗器としての価値を決定づけるのが、「握力による発射メカニズム」である。これは、一般的な銃が持つ「引き金(トリガー)」という部品を排し、銃全体を強く握り込むという、より本能的な動作によって撃発を可能にする設計思想に基づいている。

現存する日本の握り鉄砲に関する詳細な構造図は極めて少ないが、欧米でほぼ同時期に開発された「パームピストル」や「スクイズピストル」の構造から、そのメカニズムを推論することが可能である 31 。これらの銃は、銃の後部に設けられたレバーやプレートを、手のひらで強く押し込む(握り込む)ことで作動する。この握る力が、内部のてこ(リンケージ)を介して、撃鉄を後方へ引き起こし(コッキング)、そして解放する(リリース)という二つの動作を連続して行う、二重動(ダブルアクション)に近い機構を持っていたと考えられる 31

この設計の利点は、その単純さと隠密性にある。外部に露出した引き金や撃鉄といった突起物がないため、懐やポケットの中から取り出す際に衣服に引っかかる心配がない 31 。さらに重要なのは、その操作性である。暗殺や襲撃といった極度の緊張状態に置かれた人間は、指で引き金を引くといった細かく精密な操作を誤る可能性がある。それに対し、「何かを強く握りしめる」という動作は、恐怖や攻撃衝動に際しての、より原始的で本能的な身体反応である。

握り鉄砲の設計は、この本能的な動作と「発射」という行為を直結させている。これにより、複雑な思考や高度な訓練を介さずとも、より直感的かつ確実に武器を使用することが可能になる。これは、単なる小型化や隠密性の追求に留まらない、非常時における操作の確実性という、人間工学、さらには心理学的な側面まで考慮された、極めて合理的なインターフェース設計であったと言える。この武器の真の恐ろしさは、その隠しやすさだけでなく、誰にでも扱えるその単純さと直感性にこそあったのである。


第三部:比較分析と総合考察

これまで詳述してきた二つの「懐鉄砲」—戦国時代の「火縄式短筒」と幕末の「雷管式握り鉄砲」—は、「小型の銃」という一点を除いて、その成り立ちから運用思想に至るまで、全く異なる存在である。本章では、両者を多角的に比較し、なぜこれらが混同されるに至ったのか、その歴史的背景を考察する。

第一章:性能、運用、そして危険性の比較

二つの武器の差異を明確にするため、以下の表にその特徴をまとめる。

比較項目

火縄式短筒

握り鉄砲(雷管式)

正式名称

短筒(たんづつ)

握り鉄砲(にぎりでっぽう)、芥砲(かいほう)

主要時代

戦国時代~江戸時代前期

江戸時代後期~幕末

点火方式

火縄式(マッチロック)

雷管式(パーカッションロック)

点火源

外部の火種(燃える火縄)

内部の化学反応(雷汞の衝撃による爆発)

発射操作

引き金を指で引く

銃全体を手で強く握り込む

即応性・隠密性

低い(火種の準備と装填に時間を要す)

高い(装填済みであれば即時発射可能)

有効射程

数十メートル程度 3

極端に短い(至近距離専用) 4

命中精度

比較的高い(熟練者に限る) 3

低い(狙いを定める機構がない) 4

主たる用途

戦場での補助兵装、騎馬武者の装備 14

暗殺、護身用の暗器 4

暴発の主因

遅発、火種の管理不備、口薬への引火 23

雷管の衝撃に対する敏感さ、機構の単純さ 4

この表が示すように、両者は対極的な性格を持つ。火縄式短筒は、あくまで戦場の正規兵装として、ある程度の射程と精度を確保しつつ携帯性を高めた武器である。その運用は計画的であり、熟練した武士が用いることを前提としていた。

対照的に、握り鉄砲は、射程や精度を犠牲にしてでも、隠密性と即応性を極限まで追求した特殊な暗器である。その運用は奇襲的であり、専門的な訓練がなくとも、本能的な動作で扱えるように設計されている。危険性の質も異なり、火縄式のそれが「火」の管理に起因するのに対し、雷管式のそれは「爆薬」そのものの鋭敏さに起因する。これらは、全く異なる時代の、全く異なる思想の下に生まれた武器なのである。

第二章:歴史的イメージの形成と誤解

では、なぜこれほど異なる二つの武器が、「懐鉄砲」という一つの言葉の下で混同されるイメージが形成されたのだろうか。その背景には、歴史的事実と、後世の大衆文化による創作とが織りなす「文化的フィードバックループ」が存在する。

まず、歴史的な事実として、戦国時代に鉄砲が暗殺に用いられた例は存在する。例えば、備前の戦国大名・宇喜多直家は、鉄砲による暗殺を多用したことで知られる 34 。また、伊賀や甲賀に代表される「忍者」たちが、火薬や火器の扱いに長けていたことも史実として認められている 5 。彼らは、通常の鉄砲だけでなく、手榴弾のような「焙烙火矢(ほうろくひや)」など、多様な火器を駆使した 37

これらの「戦国時代」「忍者」「暗殺」「鉄砲」というキーワードは、後世の小説、演劇、映画、漫画といった大衆文化にとって、極めて魅力的な創作の源泉となった。物語をより劇的に、登場人物をより印象的にするため、作り手は必ずしも時代考証の厳密性に固執しない。むしろ、より「忍者らしい」「暗殺武器らしい」奇抜で面白いガジェットを登場人物に与えようとする。

ここで、二つの「懐鉄砲」を比較してみよう。火縄式短筒は、その操作が煩雑で、見た目も比較的オーソドックスである。一方、雷管式握り鉄砲は、「握るだけで弾が出る」というギミック自体が斬新で、暗殺者の秘密兵器として視覚的にも非常に魅力的である。結果として、物語の中では「戦国時代の忍者」が、時代考証的にはあり得ない「握り鉄砲」を駆使するという、魅力的だがアナクロニスティックな組み合わせが頻繁に描かれることになった。

こうした創作物に繰り返し触れることで、受け手である我々は、そのフィクションのイメージを、あたかも歴史的事実であるかのように無意識のうちに刷り込まれていく。これが、ご依頼のきっかけとなったような「戦国時代の武器として、握力で点火する懐鉄砲」という、時代を超越した歴史認識が形成されたメカニズムである。それは、歴史的事実が創作の種となり、その創作物が新たな大衆の認識を形成し、時には元の事実を覆い隠してしまうという、文化的な現象の一例なのである。


結論:戦国という視点から見た「懐鉄砲」の総括

本報告書は、「日本の戦国時代」という視点から「懐鉄砲」を徹底的に調査するというご依頼に対し、多角的な分析を行ってきた。その結論として、以下の点を明確に提示する。

第一に、ご依頼者が当初認識されていた「懐鉄砲」は、単一の武器ではなく、少なくとも二つの異なる時代の、全く異なる技術に基づいた武器を内包する多義的な概念である。

第二に、「戦国時代」に存在した「懐鉄砲」とは、火縄を点火源とする「 火縄式短筒 」である。これは、戦場で騎馬武者などが用いる補助兵装であり、その名称は長大な武器との比較における相対的な小型さ・携帯性を示すものであった。しかし、火縄を用いる技術的制約から、真に「懐に忍ばせて」奇襲に用いるような暗器としての運用は、極めて困難であった。

第三に、ご依頼の概要にあった「握力で点火できる」という特徴を持つ銃は、江戸時代後期から幕末にかけて登場した「 雷管式握り鉄砲(芥砲) 」である。これは、雷管という画期的な点火技術によって初めて可能となった、暗殺や護身を目的とする特殊な暗器であり、戦国時代の産物ではない。

最終的に、「懐鉄砲」という言葉は、特定のモデル名ではなく、「隠し持てるほど小型の銃」という、時代を超えた一つの 理想形、あるいは武器カテゴリ を指すものと結論付けられる。その理想は、時代ごとの技術的到達点に応じて、異なる形で具現化された。戦国時代の職人たちは、火縄式という制約の中で「短筒」という一つの解を提示し、幕末の職人たちは、雷管式という新たな技術を得て「握り鉄砲」という、より理想に近いもう一つの解を生み出した。

したがって、「懐鉄砲」という言葉を正しく理解する鍵は、特定のイメージに固執することなく、その背後にある時代背景と技術の文脈を冷静に読み解くことにある。この包括的な視点こそが、この魅力的な武器にまつわる歴史の謎を解き明かすための、専門家として提供できる最も価値ある回答である。

引用文献

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