最終更新日 2025-08-13

昇梯子二枚胴

真田昌幸所用と伝わる「昇梯子二枚胴」は、黒漆塗りの仏胴に金銀箔の梯子文様が特徴。実戦的な機能性と大胆な意匠を両立し、昌幸の知略と武勇、精神性を象徴する。
昇梯子二枚胴

真田昌幸所用「昇梯子二枚胴」に関する総合的研究報告

序論:表裏比興の者の象徴

本報告書は、戦国時代の武将、真田昌幸(1547-1611)が所用したと伝えられる一領の具足、通称「昇梯子二枚胴」について、現存する遺物と史料に基づき、その構造、意匠、技術史的背景、そして伝来の過程を徹底的に分析・考察するものである。単なる器物解説に留まらず、この具足が真田昌幸という特異な武将の精神性をいかに体現し、また桃山時代という激動の時代の技術と美意識をどのように反映しているか、さらには後世における価値観の変遷までも映し出す「歴史の証人」として、その多層的な意味を解き明かすことを目的とする。

豊臣秀吉から「表裏比興の者」と評された昌幸は、権謀術数に長けた知将としての側面と、二度にわたる上田合戦で見せた不屈の武将としての側面を併せ持つ。この二面性は、彼の具足に何を求めたのか。実用性一辺倒ではない、見る者を圧倒する独自の意匠は、何を物語るのか。そして、この具足にまつわる最大の謎、すなわち史料に残る「朱塗」の記述と現存する「黒漆」の姿との相違は何を意味するのか。これらの問いを道標とし、一領の具足から戦国・桃山のリアルな実像に迫る。

第一部:具足の徹底解剖 ― 構造と意匠の詳細分析

本章では、まず具足を物理的な客体として捉え、その名称、分類、各部位の構造、材質、そして施された意匠について、現存遺物の観察と文献史料を基に詳細な分析を行う。

1.1 名称と分類:当世具足としての位置づけ

本具足は、一般に「昇梯子二枚胴」(のぼりばしごにまいどう)または「登り梯子の鎧」として広く知られている 1 。しかし、より専門的な文脈や展覧会の出品目録などでは、「皺革包昇梯子文仏二枚胴具足」(しぼかわづつみのぼりばしごもんほとけにまいどうぐそく)や「黒漆塗馬革包仏二枚胴具足」といった、その構造と意匠を正確に記述した名称で呼ばれることがある 1 。これらの名称自体が、本具足の主要な特徴、すなわち「革包み」「梯子文」「仏胴」「二枚胴」を端的に示している。

甲冑の分類上、本具足は室町時代後期から安土桃山時代にかけて、合戦形態の変化、特に鉄砲の普及と集団戦術の浸透に対応して発展した「当世具足」(とうせいぐそく)に属する 5 。当世具足は、平安・鎌倉期以来の大鎧や胴丸といった旧来の形式に比べ、より軽量で動きやすく、かつ高い防御力と生産性を両立させた新形式の甲冑である 8 。本具足は、その中でも特に武将の個性が強く反映された桃山期に流行した様式を色濃く伝える、代表的な作例の一つと評価できる。

1.2 各部位の構造分析:機能性と美の融合

兜:鉄地黒漆塗突盔形兜(てつじくろうるしぬりとっぱいなりかぶと)

兜の本体である鉢は、頂部が鋭く尖った「突盔形」(とっぱいなり)と呼ばれる形状をしている 3 。この形式は、古式の筋兜を簡略化する過程で生まれたもので、製作が比較的容易でありながら、頭頂部への打撃を滑らせて逸らす効果を持つ、室町末期から流行した実戦的な形状である 11

兜の正面には、天を衝くかのような長大な「大天衝」(だいてんつき)の前立が立てられている 13 。これは所有者の「意気」、すなわち気迫や気概を示すための装置であり、戦場で自らの存在を誇示する極めて強力な視覚的シンボルであった 2 。材質は、檜の薄板や練革に下地を施し漆を塗って仕上げられたものと推測される 16 。頸部を守る𩊱(しころ)は、糸で隙間なく威した毛引威(けびきおどし)で、四段で構成されている 3

胴:黒漆塗馬革包仏二枚胴(くろうるしぬりうまかわづつみほとけにまいどう)

胴の基本構造は、鉄の板札(いたざね)を縦または横に矧ぎ合わせた「桶側胴」(おけがわどう)である 1 。これを前胴と後胴の二枚に分割し、左脇を蝶番で接続した「二枚胴」形式は、着脱の容易さと堅牢性を両立させる当世具足の標準的な構造といえる 9

本具足の胴における最大の特徴の一つが、その表面加工にある。桶側胴の表面全体を一枚の馬革(皺革とも呼ばれる)で包み、その上から黒漆で塗り固めているのである 1 。この「革包み」(かわづつみ)という技法は、鉄地の錆を防ぐと共に、打撃の衝撃を緩和する効果があったとされる。さらに、革で包み漆で塗り固めることで、板の継ぎ目や鋲の頭が完全に覆い隠され、表面が滑らかで継ぎ目のない「仏胴」(ほとけどう)が完成する 1

この「仏胴」という技術の出現は、甲冑デザインの歴史において画期的な意味を持つ。それ以前の甲冑は、小札(こざね)を威毛(おどしげ)で連結する構造上、表面が細かく分節されており、大きな図様を描くには不向きであった。しかし、仏胴によって滑らかで広大な平面が生み出されたことで、甲冑の胴は単なる防御版から、武将の思想や願いを表現するための「キャンバス」へと昇華した。本具足に描かれた大胆な「昇梯子文」は、まさにこの「仏胴」という技術革新が可能にした、桃山時代特有の新しい視覚表現の在り方そのものを体現しているのである。

小具足(こぐそく):実戦本位の構成

胴から垂下し大腿部を守る草摺(くさずり)は、七間四段下りで、金茶の糸を用いて威毛の間隔をあけて威す「素懸威」(すがけおどし)で仕上げられている 1 。札には、伊予札を模して製作の効率化と軽量化を図った「縫延碁石頭札」(ぬいのべごいしがしらざね)という形式が用いられている 1 。また、膝を守る佩楯(はいだて)は板佩楯、脛を守る脛当(すねあて)は篠脛当(しのすねあて)が付属する 3

特筆すべきは、本具足には両腕の上部を守る「袖」が付属していない点である 1 。これは当世具足、特に徒歩での集団戦や鉄砲の操作が重視されるようになった時代の特徴であり、腕の動きを阻害しないことを優先した、極めて実戦的な構成であることを示唆している。

この構成は、一見すると矛盾した二つの要素を内包している。袖を省略するのは、動きやすさという「機能性」の追求である。一方で、巨大な天衝や胴に描かれた派手な梯子文は、自己の存在を誇示する「顕示性」の追求に他ならない。しかし、これらは戦国時代の司令官にとって両立させねばならない必須要件であった。自らは軽快に動き回りながら戦況を判断し(機能性)、同時に遠方の味方からも識別可能で、その存在が士気を鼓舞する象徴でなければならなかった(顕示性)。本具足の構成は、この二律背反の課題に対する、真田昌幸、あるいは桃山時代の武将たちが出した一つの完成された回答と言える。それは、昌幸の「表裏比興」と評される現実主義と、大胆な自己演出能力という二面性を見事に体現しているのである。

1.3 意匠の象徴性:「昇梯子」に込められた意味

胴の正面、黒漆塗りの地に、金箔と銀箔(あるいは銀粉)を用いて四段の梯子が斜めに大きく描かれている 1 。この大胆かつ明快なデザインは、混戦の戦場において瞬時に所有者を識別させるための優れた意匠である。

この「昇梯子」の意匠には、複数の意味が込められていると解釈されている。

第一に、梯子は高みへと至る道具であることから、「長久」、すなわち一族の永続的な繁栄や武運の長久を願う吉祥文様としての意味が指摘されている 2。

第二に、上田城下に鎮座する真田神社の伝承によれば、「四(し)」段の梯子は「死」を意味し、「死線を越えて戦に臨む」という、常に死と隣り合わせであった戦国武将の決死の覚悟を象徴しているとされる 21。

これら二つの解釈は排他的なものではなく、むしろ両義的に捉えるべきであろう。一族の繁栄を願う吉祥性(長久)と、個人の死生観(死線超克)という、公私の両面にわたる強い意志がこの一つの意匠に凝縮されている。これこそが、幾度となく窮地を乗り越え、真田家を存続させた昌幸の生き様そのものを象徴していると言えるだろう。

表1. 昇梯子二枚胴具足 構成要素一覧

部位

正式名称/形式

材質(推定含む)

形状・技法

意匠・装飾

典拠・備考

鉄地黒漆塗突盔形兜

鉄、漆、木または練革

突盔形鉢、四段毛引威𩊱

黒漆塗、大天衝前立

3

黒漆塗馬革包仏二枚胴

鉄、馬革、漆、金銀箔

桶側胴、二枚胴形式、馬革包、仏胴仕上げ

黒漆塗、正面に金銀箔で昇梯子文

1

草摺

金茶糸素懸威七間四段下草摺

革、鉄、漆、絹糸

縫延碁石頭札、七間四段

金茶糸による素懸威

1

-

-

付属せず

-

実戦を重視した構成 1

佩楯

板佩楯

革、鉄、漆、絹糸

板佩楯形式

錆漆塗

3

脛当

篠脛当

鉄、革、漆、布

篠脛当形式

-

3

第二部:時代の中の具足 ― 技術史的・思想的考察

本章では、具足そのものの分析から一歩進み、それが製作・使用された桃山時代という文脈の中に位置づけ、技術史、戦術史、そして所有者である真田昌幸の人物像との関連性を深く考察する。

2.1 当世具足の潮流と「昇梯子二枚胴」の先進性

鉄砲の登場と戦場での普及は、甲冑のあり方を根底から変えた。従来の小札を威毛で綴じた構造では銃弾を防ぎきれず、より堅牢な鉄板を用いた「板物胴」(いたものどう)が主流となった 9 。本具足の基盤である桶側胴もこの大きな流れを汲むものである。

当時の代表的な当世具足には、西洋甲冑の機能美を取り入れた「南蛮胴」、伊達政宗が好んでその軍団の制式具足ともなった「雪下胴(仙台胴)」など、多様な様式が存在した 5 。これらと比較した際、本具足の「革包仏胴」は、和様の美意識を保ちつつ、滑らかな表面による防弾性(跳弾効果)と、意匠表現の自由度という二つの側面で、独自の先進性を持っていたと考えられる。特に、胴全体を一枚の革で包むという手間のかかる技法は、大量生産品とは一線を画す、大名級の特注品ならではの豪華な仕様と言えるだろう。

2.2 所有者・真田昌幸と具足に投影された精神性

昌幸の生涯は、武田家臣時代、織田・徳川・北条・上杉といった大勢力の間を渡り歩いた独立大名時代、そして関ヶ原の戦い以降の雌伏の時代に大別される。特に、二度にわたる上田合戦(天正13年/1585年、慶長5年/1600年)では、寡兵をもって徳川の大軍を翻弄し、その武名を天下に轟かせた 23 。この具足が持つ、動きやすさを重視した実戦的な構成(袖なし)と、敵味方に存在を明確に示す大胆な意匠(天衝・梯子)は、まさに上田城を拠点に神算鬼謀を巡らせた昌幸の戦い方に合致する。

「表裏比興の者」という評価は、単なる裏切り者という意味ではない。主家滅亡後、小勢力でありながら自家の存続を第一に考え、あらゆる知謀と策略を駆使して乱世を生き抜いた、現実主義者にして戦略家であったことを示す。本具足の「昇梯子」に込められた「長久」への願いと「死線超克」の覚悟は、昌幸のこうした強靭な精神性を雄弁に物語っているのである。

第三部:伝来の軌跡と謎 ― 史料から探る具足の変遷

本具足は、単に桃山時代に作られたというだけでなく、江戸時代を通じて松代藩真田家に伝来し、近代に至るまで大切に保管されてきた。その伝来の過程は、具足の価値観そのものの変遷を物語る。特に、色に関する記録の矛盾は、本具足最大の謎であり、本報告書の核心部分となる。

3.1 松代藩真田家への伝来と武具管理

本具足は、関ヶ原の戦いの後、徳川方についた昌幸の長男・信之の系統である松代藩真田家に代々伝えられた、同家を代表する宝物の一つである 1 。江戸時代の大名家では、先祖伝来の武具は家の由緒と格式を示す「御道具」として極めて厳重に管理された。その管理の実態は、「御道具帳」と呼ばれる財産目録によって知ることができる 28 。これらの記録は、武具の修理や改造、来歴を研究する上で第一級の史料となる。

3.2 最大の謎:「黒漆」か「朱漆」か

現存する「昇梯子二枚胴」は、兜も胴も黒漆塗りを基調としている 1 。しかし、幕末の文久年間(1861-1864)に作成された松代藩の道具帳には、本具足が「朱塗」であったと明確に記載されているのである 1 。この食い違いは、単なる記録ミスでは片付けられない重大な問題提起である。

この矛盾を解く鍵として、江戸時代における塗り替えの可能性が浮上する。道具帳の記述が正しいと仮定すれば、本具足は元々「朱漆塗」であり、江戸時代のいずれかの時点で「黒漆塗」に塗り替えられた可能性が極めて高い。その背景には、いくつかの動機が考えられる。

第一に、色彩の象徴性の変化である。戦国時代において「赤備え(朱備え)」は、武田軍団や井伊家、そして後の真田信繁(幸村)に代表されるように、精鋭部隊の象徴であり、武威を誇示する色であった 16 。しかし、徳川の治世が安定した泰平の世においては、こうした過度に戦闘的な色彩は、幕府への恭順を示す大名家の公式な場にはそぐわないと見なされた可能性がある。

第二に、格式と公式性の問題である。黒漆は、よりフォーマルで格式の高い色とされた 32 。戦場で武威を示す「ハレ」の装いであった朱漆の具足を、平時の儀礼や家の格式を示す「ケ」の装いである黒漆に塗り替えることで、徳川体制下の「大名」としての立場を表明したのではないか。

この「塗り替え」という行為は、単なる修繕や趣味の変更以上の意味を持つ。それは、具足の「役割」の変化を反映している。戦国時代、具足は「戦うための道具」であり「武威の象徴」であった。しかし江戸時代には、それは「家の歴史と格式を物語る宝物」であり「儀礼の道具」へと変貌した。朱色は前者の役割に、黒色は後者の役割にそれぞれ適している。つまり、塗り替えは、真田家のアイデンティティが「戦国の武将」から「江戸の大名」へと移行したことを、具足というモノ自体に刻み込む行為であったと推察される。この謎は、本具足を単なる桃山時代の遺物から、江戸時代を通じて大名家が自らの「記憶」をいかに管理し、時代の要請に適応させていったかを示す、動的な歴史史料へと昇華させるのである。

3.3 近代以降の歩みと文化的評価

本具足は、松代真田家第12代当主・真田幸治氏によって他の家宝と共に寄贈され、現在は長野市の真田宝物館の中核的な収蔵品となっている 13 。昭和61年(1986年)には、破損していた本具足が東京国立博物館内の工房で修理された。この際、威糸などが新調され、現在の姿に整えられたことが記録されている 7 。この修理は、文化財としての価値を後世に伝えるための重要な措置であった。

現在、本具足は国の文化財指定は受けていないようであるが 35 、真田昌幸という人気武将の所用伝来品であることに加え、桃山時代の甲冑製作技術と美意識を伝える一級の工芸品であり、大名家の歴史と文化を物語る貴重な歴史資料として、極めて高い文化的価値を有していることは論を俟たない 20

第四部:見えざる手 ― 製作者(甲冑師)をめぐる考察

この個性的な具足は、誰の手によるものか。この問いは、当時の武具製作のあり方を考える上で重要な示唆を与える。

4.1 桃山時代の甲冑師たち

当時、甲冑製作は高度に専門化・分業化されており、明珍(みょうちん)派、春田(はるた)派、岩井(いわい)派、早乙女(さおとめ)派といった著名な甲冑師の流派が存在した 37 。彼らはそれぞれ得意とする技術を持ち、大名からの注文に応じて、その威信をかけた高度な甲冑を製作していた。

4.2 名前のない名工

本具足には、製作者を示す銘(めい)が見当たらない 1 。しかし、これは必ずしも製作者の腕が劣っていたことを意味するものではない。桃山時代の特注甲冑において、そのデザインや仕様を最終的に決定したのは、多くの場合、注文主である武将自身であった。甲冑師は、その意向を形にする高度な技術者であったが、完成した甲冑はあくまで武将の「分身」であり、その所有権と意匠の著作権は武将に帰属した。本具足に製作者の銘がないことは、この時代の甲冑が、職人の名を冠した「作品」である以前に、武将の思想と権威を体現する「道具」であったことを示している。その意味で、この「昇梯子二枚胴」の真の「作者」は、その構想を抱いた真田昌幸その人であったとも言えるだろう。

結論:受け継がれる武将の精神

真田昌幸所用と伝わる「昇梯子二枚胴」は、単なる防御具ではない。それは、桃山時代の最先端の甲冑製作技術(革包仏胴)、戦場のリアリズムから生まれた機能性(袖なし)、そして所有者の強烈な自己顕示欲と死生観が結実した意匠(大天衝と昇梯子)が、奇跡的な均衡の上に成り立つ、稀有な当世具足である。

さらに、その伝来の過程で生じた「朱から黒への塗り替え」という謎は、戦国の武威の象徴が、徳川泰平の世における家の格式の象徴へと役割を変えていった、大名家のアイデンティティの変遷を物語る。具足は、昌幸の生きた時代だけでなく、それを継承した後世の人々の価値観や政治的立場をも雄弁に物語っているのである。

本具足は、真田昌幸という一人の武将の精神を宿すだけでなく、彼が生きた時代、そして彼を記憶し続けた後世の人々の眼差しをも内包する、重層的な歴史文化財である。その声なき声に耳を澄ますことで、我々は戦国という時代の深淵に、また一歩近づくことができるのである。

引用文献

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