最終更新日 2025-08-09

樫鳥糸肩赤威

「樫鳥糸肩赤威胴丸」は室町時代の最高傑作。浪岡北畠家から秋田家へ伝来し、桐唐草文や魚子地、正平韋が特徴。奥羽の貴種文化と高度な工芸技術を伝える歴史的遺産。
樫鳥糸肩赤威

樫鳥糸肩赤威胴丸の総合的考察 ― 奥羽の貴種が遺した戦国の記憶

序章:至宝「樫鳥糸肩赤威胴丸」への誘い

東京国立博物館に収蔵される一領の甲冑、「樫鳥糸肩赤威胴丸(かしどりいとかたあかおどしのどうまる)」は、室町時代、15世紀に制作された武具工芸の最高傑作の一つとして、その名を広く知られている 1 。兜(かぶと)、大袖(おおそで)を完備した「三つ物(みつもの)」と呼ばれる一揃いの形式を保ち 3 、その美術史的、歴史的価値の高さから重要文化財に指定されている 3 。胴丸の代表的な名品として数々の展覧会で公開されており、その華麗な姿は多くの人々を魅了し続けてきた 1

この甲冑は、単にガラスケースの中に鎮座する過去の遺物ではない。定期的に展示公開されることは、本品が現代において「室町時代の武士の美意識」を象徴する文化のアイコンとして、積極的に活用されている「現役」の文化財であることを示している 3 。その華麗な外観と、奥羽の名門を渡り歩いたとされる数奇な伝来が織りなす物語性は、学術的な価値を超えて人々を惹きつける大きな要因となっている。

本報告書では、この「樫鳥糸肩赤威胴丸」について、その名称に秘められた謎、奥羽の歴史の奔流の中で辿った伝来の軌跡、そして戦国の世における武具の役割といった多層的な価値を、日本の戦国時代という視点から詳細かつ徹底的に調査し、解き明かすことを目的とする。

第一章:形態と構造の分析 ― 胴丸の様式美

本甲冑の物理的実態を明らかにするため、まずその基本情報と各部の構造を詳細に分析する。

【表1:「樫鳥糸肩赤威胴丸」主要諸元】

項目

内容

典拠

名称

樫鳥糸肩赤威胴丸(かしどりいとかたあかおどしのどうまる)

1

文化財指定

重要文化財

3

時代

室町時代・15世紀

1

形式

胴丸(右脇引合せ式)

1

構成

兜・大袖付(三つ物)

3

所蔵

東京国立博物館(独立行政法人国立文化財機構)

3

伝来

浪岡北畠家 → 陸奥三春藩主秋田家

8

寄贈者

秋田一季氏

3

第一節:全体構成 ― 兜・袖・胴の三つ物

本品は、室町時代に上級武士の間で広く用いられた「胴丸」の形式をとる 7 。胴体を一枚の構造でぐるりと囲み、右脇で引き合わせて着用する形式が特徴である 1 。下半身を守る草摺(くさずり)は八間に細かく分割されており、これは騎馬戦を主体とする大鎧の四間草摺とは異なり、徒歩での戦闘における足さばきの良さを追求した工夫である 1 。元来、胴丸は下級武士の軽武装であったが、南北朝時代から室町時代にかけて戦闘様式が変化する中で、その実用性から上級武士にも着用されるようになり、本品のように兜や大袖を備えた重厚な姿へと発展した 7

兜は、四十八枚の鉄板を矧(は)ぎ合わせて鉢を形成した四十八間の筋鉢(すじばち)である 10 。それぞれの筋には金鍍金(ときん)が施された覆輪(ふくりん)がかけられており、これは「総覆輪(そうふくりん)」と呼ばれる極めて豪華な仕様である 10 。正面には、武威の象徴である大きな鍬形(くわがた)と共に、太陽を象った「日輪(にちりん)」の前立(まえたて)が輝き、着用者の威厳を際立たせている 8

そして、両肩を守る大袖が付属することで、兜・胴・袖の三点が揃った「三つ物」として、一揃いの甲冑としての姿を完全に留めている 3

第二節:小札と威 ― 防御と装飾の融合

甲冑の基本的な構成要素は、黒漆を塗った小さな鉄板や革でできた小札(こざね)である 1 。これを無数の紐で綴じ合わせることで、堅牢でありながら身体の動きに追随する柔軟な防具が形成される。

この小札を連結する組紐を「威(おどし)」と呼び、甲冑の表情を決定づける最も重要な装飾要素となる 14 。本品の威は、紺糸と紅糸を組み合わせて作られた組紐を用いており、特に肩に近い部分を赤系統の糸で威す「肩赤(かたあか)」という配色法が採用されている 1 。この鮮やかな色彩の対比が、本品の大きな魅力の一つである。

しかし、その名称である「樫鳥糸(かしどりいと)」には、一つの謎が存在する。伝統的な甲冑の威色目(おどしいろめ)において、「樫鳥威」とは、白、薄縹(うすはなだ)、紺の三色の糸を用いて、樫鳥の羽の配色を模したものを指すのが一般的である 17 。本品の「紺と紅」という配色は、この定義とは明らかに異なる。この名称については、古くから「松皮糸(まつかわいと)」という別説も存在しており 3 、その由来が単純ではないことを示唆している。この名称と実際の配色との乖離は、いくつかの可能性を導き出す。一つは、この名称が制作当時ではなく、後世、特に江戸時代に秋田家で家宝として伝来する中で、その優美な姿から付けられた雅称(がしょう)である可能性である。もう一つは、中央の規範とは異なる、奥羽地方独自の色彩感覚や「樫鳥」に対するイメージが存在した可能性も否定できない。この名称の不一致自体が、本甲冑が中央から離れた独自の文化圏で育まれたことを示す間接的な証拠と見ることもできる。

さらに、威糸の素材に関しても、注目すべき説が提起されている。上質な甲冑の威糸には、光沢と耐久性に優れた絹糸が用いられるのが通例であるが 18 、本品の威糸は「木綿(もめん)」であるという指摘がある 9 。もしこの説が事実であるならば、本甲冑の歴史的価値を飛躍的に高める重要な要素となる。日本で木綿の栽培が普及し始めるのは室町時代後期であり、本品が制作された15世紀においては、極めて高価で希少な先進的素材であった 9 。そのような貴重な素材を、大量の糸を必要とする甲冑の威に惜しげもなく使用できるということは、最初の所有者とされる浪岡北畠家が、日本海交易などを通じて莫大な富を蓄積し、中央や大陸の最新の物資を入手するルートを確保していたことの強力な物証となる。素材の選択は、単なる機能や装飾の問題に留まらず、所有者の経済力と文化的先進性を誇示する戦略的な意味合いを持っていた可能性が極めて高いのである。

第二章:工芸技術の粋 ― 意匠と素材の探求

本甲冑には、室町時代の工芸技術の粋が集められている。ここでは、その装飾に焦点を当て、細部に宿る職人たちの技を探求する。

第一節:金工の輝き ― 桐唐草文と魚子地

兜の鍬形台や胴、袖の各所にあしらわれた金具には、華麗な「桐唐草文(きりからくさもん)」が彫り込まれている 1 。桐は、古くから鳳凰が宿る神聖な木とされ、天皇や幕府が用いる高貴な文様として知られる。その桐の花と葉を、生命力あふれる唐草文様と組み合わせた意匠は、格調の高さと華やかさを両立させている 1

これらの金具の制作には、当時の最高水準の彫金技術が用いられている。地の部分には、魚の卵のように見える細かな円形の粒を鏨(たがね)でびっしりと打ち込む「魚子地(ななこじ)」という技法が施されている 1 。これは非常に根気のいる緻密な作業であり、作品の格式を一段と高める効果がある 21 。さらに、兜や肩の丸い金具には、文様を切り抜いて表現する「透かし彫り」が用いられ、重厚な甲冑に軽快な印象を与えている 1 。甲冑の要所を固定する鋲(びょう)の頭さえも桐の紋の形に象られており、細部に至るまで徹底した意匠の統一が図られている 1

桐紋の多用は、単なる装飾以上の意味を持つ。本品の最初の所有者と目される浪岡北畠家は、南朝の忠臣・北畠顕家の子孫という由緒を持ち、「浪岡御所」と尊称されるほどの高い家格を誇っていた 22 。彼らは京都の公家社会とも繋がりを持ち、中央の文化を積極的に取り入れていたことが知られている 22 。このような背景を考慮すると、甲冑に用いられた桐紋は、彼らが奥羽という辺境にありながらも、中央の権威と結びついた名門であることを視覚的に証明し、その政治的・文化的なアイデンティティを誇示するための象徴であったと考えられる。

第二節:染韋の彩り ― 正平韋の文様世界

甲冑の顔とも言える兜の吹返(ふきかえし)や胴の胸板(むないた)には、「正平韋(しょうへいがわ)」と呼ばれる優美な染韋(そめがわ)が用いられている 2 。正平韋は、藻が流れる水の中に獅子や蝶が舞う文様を型染めで表現したもので、その名は南北朝時代の年号「正平」に由来する 8 。一説には、正平6年(1351年)に南朝の懐良親王(かねよししんのう)が肥後の革工に作らせたのが始まりとされ、室町時代の甲冑に好んで用いられた格式高い絵韋である 25

第三節:総合芸術としての甲冑

「樫鳥糸肩赤威胴丸」は、一人の職人の手によって生み出されたものではない。鉄を鍛え、漆を塗り、糸を組み、革を染め、金を彫る。すなわち、金工、漆工、染織、組紐、革工芸といった、多岐にわたる分野の専門職人たちが、それぞれの持つ最高の技術を結集して作り上げた「総合芸術」である 26

これらの多様な技術を一つの美意識のもとに統合し、一領の甲冑として完成させる甲冑師は、単なる職人ではなく、現代で言う芸術監督(アートディレクター)に近い役割を担っていたと推察される。室町時代には明珍(みょうちん)家や春田(はるた)派といった名門甲冑師の一族が活躍しており、彼らは大名からの注文に応え、その権威を体現する甲冑を制作した 28 。本品もまた、そうした高い技術力と優れた審美眼を持つ工房で、多大な時間と費用をかけて制作された最高級品であったことは間違いない。

第三章:歴史の奔流の中で ― 伝来の軌跡を辿る

この一領の甲冑は、単なる美術品に留まらず、奥羽の歴史の激動を生き抜いた「歴史の証人」でもある。ここでは、その数奇な伝来の軌跡を辿る。

第一節:奥州の名門、浪岡北畠家 ― 最初の所有者か

本品の伝来の源流は、陸奥国津軽地方に勢力を誇った浪岡北畠家にあるとされる 8 。彼らは、南北朝時代に後醍醐天皇に仕えた公卿・北畠顕家の子孫と伝えられる名門であり、その居館は「浪岡御所」と尊称されるほどの権威を有していた 22 。浪岡城跡の発掘調査では、中国製をはじめとする国内外の高級な陶磁器や、京文化の影響を色濃く受けた品々が多数出土しており、彼らが日本海交易を通じて経済的に繁栄し、高い文化水準を享受していたことが証明されている 30

本甲冑の洗練された意匠、桐紋という格式高い文様の採用、そしてもし事実であれば木綿という先進的な素材の使用は、こうした浪岡北畠氏の文化的・経済的背景と完全に符合する。この甲冑は、彼らが奥羽の地で築き上げた「小京都」とも言うべき文化圏の豊かさと、中央への憧憬、そして独立した勢力としての自負が凝縮された、文化的な象徴であったと考えられる。

第二節:安東(秋田)家への継承 ― 戦国の動乱を越えて

栄華を誇った浪岡北畠氏も、永禄5年(1562年)の内紛「川原御所の変」を機に衰退し、天正6年(1578年)、新興勢力である大浦(津軽)為信の攻撃によって居城の浪岡城を攻略され、事実上滅亡する 22

この時、浪岡氏と、後の所有者となる安東氏との間には、深い繋がりが存在した。浪岡氏最後の当主・北畠顕村の正室は、出羽の戦国大名・安東愛季(ちかすえ)の娘だったのである 32 。浪岡氏滅亡後、一族の北畠慶好(きよよし)らはこの縁を頼って安東氏のもとに身を寄せ、仕官した 22 。慶好は外交手腕などを発揮して重用され、主君から秋田姓と「季」の字を与えられて一門として遇されたという 33

本甲冑が浪岡家から安東家へと渡った具体的な経緯を記す直接的な史料は存在しない。しかし、この歴史的背景から、説得力のあるいくつかのシナリオを想定することができる。

第一に【庇護の証】としての継承である。安東愛季が、姻戚関係にある名門・浪岡氏の滅亡に際し、その権威の象徴であるこの甲冑を保護、あるいは接収した可能性。

第二に【忠誠の証】としての献上である。安東氏に仕えた北畠慶好らが、旧主の威光を継ぐ至宝を持参し、新たな主君への忠誠の証として献上した可能性。

第三に【形見】としての伝来である。愛季の娘であった顕村の妻が、滅びゆく家の夫の形見として、実家である安東家にもたらした可能性。

いずれのシナリオを採るにせよ、この甲冑が単なる戦利品ではなく、滅びゆく名家の記憶と、戦国の世に生きた人々の深い人間関係を内包した、物語性豊かな遺産であることは確かである。

第三節:三春藩主秋田家の至宝として

安東氏は後に秋田氏と改姓し、本甲冑の所用者と伝えられる安東実季(秋田実季)は、父・愛季の跡を継ぎ、豊臣政権から江戸幕府へと続く激動の時代を大名として生き抜いた 34 。関ヶ原の戦いの後、秋田氏は常陸宍戸、さらに陸奥三春へと転封を重ねる 34

戦乱の時代が終わり、泰平の世となった江戸時代において、本品のような由緒ある甲冑は、もはや実戦の道具としての意味合いを失い、大名家の家格と歴史を象徴する「家宝(御道具)」として、極めて重要な役割を担うようになった 36 。幾多の戦火を潜り抜け、名門の血脈を渡り歩いてきたこの一領は、秋田家にとって自らの家の由緒と誇りを子孫に、そして世に示すための至宝となったのである。

明治維新という大きな時代の変革をも乗り越え、秋田家に代々伝えられたこの甲冑は、昭和期に至り、秋田一季氏の手によって国民全体の財産として東京国立博物館に寄贈され、今日に至っている 3

第四章:美術史的価値と位置づけ

本甲冑を日本の甲冑史という大きな文脈の中に置き、同時代の他の名品と比較することで、その独自性と美術史上の重要性を明らかにする。

【表2:主要な室町時代作の胴丸との比較】

比較対象

樫鳥糸肩赤威胴丸

黒韋肩白威胴丸

縹糸威胴丸

色々威胴丸(肩紫)

時代

室町・15世紀

南北朝・14世紀

室町・15世紀

室町・16世紀

威の特色

紺糸と紅糸の組紐、肩赤

黒染韋、肩白

全面縹糸(はなだいと)

赤・白・紫等の色々威(段替)

主要意匠

桐唐草文、魚子地

藻獅子文、菊枝文

一に菊花紋、赤銅魚子地

(兜)阿古陀形

伝来

浪岡北畠家→秋田家

能登・長家→祇園祭

那須家

島津家

様式的特徴

奥羽の貴種的洗練

南北朝期の質実剛健

稀少な色彩の優美

戦国期の実用的な華やかさ

典拠

1

7

40

43

第一節:室町時代胴丸の代表作として

上記の比較表は、「樫鳥糸肩赤威胴丸」が持つ独自の様式的位置づけを明確に示している。

14世紀の作である「黒韋肩白威胴丸」は、黒い染韋を主体とし、南北朝時代から続く質実剛健な気風を色濃く残している 38 。これに対し、本品はより装飾性が高く、洗練された印象を与える。

同じ15世紀の作である「縹糸威胴丸」は、露草で染めたとされる縹色一色で全体を威した、極めて優美で稀少な作例である 40 。その静謐な美しさに対し、本品は紺と紅という対照的な二色を用いることで、力強さと華やかさを両立させている。

16世紀、戦国時代も後半に入ると、「色々威胴丸」のように、赤・白・紫といった複数の色糸を大胆に段替わりで用いた、より華美で武威を誇示する傾向が強まる 44 。本品は、そうした過渡的な華やかさとは一線を画し、格調高い桐唐草文という統一された意匠で全体をまとめ上げており、室町時代中期に特徴的な貴族的・公家的な美意識を色濃く反映している。

これらの比較から、本品は室町時代中期における甲冑の一つの到達点であり、特に奥羽地方に花開いた貴種文化を背景に持つ、他に類を見ない傑作として位置づけることができる。

第二節:実戦と儀礼の狭間で

胴丸という形式は、本来、徒歩武者のための実用的な甲冑として発展したものである 11 。しかし、本品の豪華絢爛な作りは、単なる防御機能を超えた意味合いを持っていたことを強く示唆している。

15世紀から16世紀にかけての合戦は、武将にとって自らの武威と家格、そして美意識を示す「晴れの舞台」でもあった 46 。特に一軍を率いる大将にとって、華麗で目立つ甲冑を着用することは、敵味方に自らの存在を知らしめ、部隊の士気を高め、指揮系統を明確にするという、極めて重要な「機能」を持っていた。その意味で、本甲冑は「戦場の儀礼服」としての役割を強く帯びていたと考えられる。その良好な保存状態は、これが日常的に消耗される武具ではなく、ここぞという重要な局面でのみ着用される、特別な一領であったことを物語っている。その装飾性は、実用性と対立するものではなく、大将が着用するという特定の状況下において、それ自体が重要な「機能」となっていたのである。

結論:未来へ継承される武士の美学

「樫鳥糸肩赤威胴丸」は、安東実季個人の所用物という単純な見方を超え、室町時代の奥羽に栄えた貴種・浪岡北畠家の文化と権威の結晶であり、戦国の動乱を乗り越えてその記憶を秋田家に伝えた、雄弁な「歴史の証言者」である。

本品に結集された金工、漆工、染織、革工芸といった高度な技術は、日本の「総合芸術」としての甲冑制作の頂点の一つを示すものに他ならない。その精緻な意匠と、木綿という可能性を秘めた先進的な素材は、15世紀という時代の社会情勢、経済力、そして武士の美意識を我々に伝える第一級の歴史資料である。

浪岡北畠家の滅亡、安東(秋田)家による庇護と継承、そして江戸時代の家宝としての伝来という数奇な運命を経て、本甲冑は今や国民全体の文化遺産となった。その研究と公開は、失われた歴史の環をつなぎ、日本の武家文化が育んだ精神性と美学を、未来へと継承していく上で、極めて重要な意義を持ち続けるであろう。

引用文献

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  5. 武士の装い―平安~江戸 - 東京国立博物館 https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=7987
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  10. 樫鳥糸肩赤威胴丸 最終日 | さいこんたんのブログ https://ameblo.jp/sai-kon-tan/entry-11752215412.html
  11. 日本の甲冑 | 日本服飾史 https://costume.iz2.or.jp/column/554.html
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  14. 人形豆知識 | 威(おどし)の種類 https://www.mataro-doll.com/view/page/cont_mame_g04
  15. 「博物館に初もうで 総合文化展」 東京国立博物館 - 猫アリーナ https://nekoarena.blog.fc2.com/blog-entry-4319.html
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