最終更新日 2025-08-16

薔薇葡萄酒

戦国期、日本に「薔薇葡萄酒」は幻影。伝来の葡萄酒は「珍陀酒」たる赤ワインが主。権力者の外交やキリスト教布教に用いられ、細川忠利は国産醸造を試みた。
薔薇葡萄酒

日本の戦国時代における「薔薇葡萄酒」の存在に関する総合的歴史考察

序論:戦国時代と「薔薇葡萄酒」― 問いの再設定

本報告書は、「薔薇葡萄酒」という現代的な呼称を手がかりに、日本の戦国時代における葡萄酒文化の実像を徹底的に解明することを目的とする。利用者が提示した「赤葡萄酒の醸造途中で皮と種を取り除き、その後、果汁のみを発酵させて造る」というロゼワインの製法に基づくこの酒が、果たして16世紀から17世紀初頭の日本に存在し得たのか。この問いに答えるため、本報告書はまず、「薔薇葡萄酒」という言葉自体が歴史的アナクロニズム(時代錯誤)であることを論証する。その上で、当時の日本人が実際に接した葡萄酒とは何だったのか、その呼称、種類、用途、そして国内での醸造の試みまでを、現存する史料に基づき多角的に検証していく。

16世紀半ば、大航海時代の波は、ポルトガル商人やイエズス会宣教師を日本の地へと運んだ。彼らがもたらした鉄砲やキリスト教と並び、葡萄酒は日本の歴史の舞台に初めて登場する 1 。これは単なる目新しい嗜好品の伝来ではなかった。日本が世界史的規模の文化接触に直面し、未知の価値観や技術と対峙したことを象徴する出来事であった。

したがって、本報告書が解き明かすべき核心的な論点は、以下の二つに集約される。「戦国時代に『薔薇葡萄酒』という概念、あるいはそれに相当する酒は存在したのか」。そして、「もし存在しなかったとすれば、当時の日本人が実際に目にし、口にした葡萄酒とは一体どのようなものであったのか」。この問いを追究する旅は、単に一つの酒の有無を問うに留まらず、戦国という激動の時代を生きた人々の世界観、異文化受容の様相、そして政治と宗教の複雑な力学を浮き彫りにするであろう。

第一章:「薔薇」と「葡萄酒」― 言葉の歴史的系譜

「薔薇葡萄酒」という複合語が戦国時代に成立し得たかを検証するためには、まずその構成要素である「薔薇(色)」と「葡萄酒」という言葉が、当時の語彙体系の中にどのように位置づけられていたかを解明する必要がある。この章では、それぞれの言葉の歴史的系譜を辿ることで、「薔薇葡萄酒」という呼称が当時存在しなかったことを言語史的に論証する。

第一節:「薔薇色」という色彩表現の成立史

現代日本語において「薔薇色」は、鮮やかな赤色、あるいは希望に満ちた未来の比喩として広く用いられる 3 。しかし、この色彩表現が日本の歴史に登場したのは、比較的近代のことである。

古代・中世の文献において、「薔薇」はあくまで植物そのものを指す言葉であった。平安時代の随筆『枕草子』や歌集『古今和歌集』には、「さうび(そうび)」として薔薇の花が登場するが、これは花の名前としての用法に限定される 4 。さらに遡れば、『万葉集』においては「うまら」や「うばら」と呼ばれており、これは棘のある低木の総称「いばら」が転訛したものと考えられている 5 。これらの用例の中に、花の色を指して「薔薇色」と表現した例は見いだせない。

色名としての「薔薇色」が一般的に使用されるようになるのは、西洋文化が本格的に流入した明治時代以降のことである 4 。例えば、文豪・森鷗外が1912年(明治45年)に発表した短編『羽鳥千尋』の中には、未来への希望を表現する比喩として「薔薇色」が用いられており、この頃には現代と同様の用法が確立していたことがわかる 7

以上の分析から、戦国時代の人々の語彙の中に、薔薇の花のような鮮やかな赤色を指す「薔薇色」という言葉は存在しなかったと結論づけることができる。したがって、「薔薇葡萄酒」という呼称は、後世の色彩概念を過去の時代に投影した、歴史的アナクロニズムに他ならない。この言語史的な事実は、単なる言葉の不在を指摘するだけでなく、当時の人々が世界をどのように認識し、分類していたかという、より深い「認識の枠組み」の問題を示唆している。彼らは、我々が当然と考える色彩の分類法とは異なる語彙体系の中で生きていたのである。

第二節:戦国日本における葡萄酒の呼称

では、「薔薇色」という概念が存在しなかった当時、異国から来た葡萄酒は一体何と呼ばれていたのだろうか。史料を繙くと、そこには異文化との接触の初期段階を如実に示す、いくつかの呼称が浮かび上がってくる。

葡萄酒が日本に伝来した当初、その出所から「南蛮酒」と呼ばれていた記録が複数存在する 8 。これは、ヨーロッパからもたらされた文物を広く「南蛮渡来」と称した当時の習慣を反映したものであり、その正体や種類を細かく区別する以前の、大まかな分類であった。

やがて、より具体的な呼称として「珍陀酒(ちんたしゅ)」が登場する。この「ちんた」という音は、ポルトガル語で赤ワインを意味する "vinho tinto" (ヴィーニョ・ティント)の "tinto" が、当時の日本人の耳にはそのように聞こえたことに由来する 1 。この音写された言葉に、「珍しい陀(あるいは酡=赤ら顔になる酒)」といった漢字が当てられたのは、それが「世にも珍しい異国の酒」として認識されていたからに他ならない 12 。小瀬甫庵が著した『太閤記』(1625年刊)にも、「上戸には、ちんた、ぶだう酒」といった記述が見られ、この呼称が当時ある程度定着していたことを示している 11

重要なのは、この「珍陀酒」が指し示すものが、紛れもなく赤葡萄酒であったという点である。語源である "vinho tinto" が明確に赤ワインを指すことに加え、キリスト教のミサにおいては、葡萄酒が「キリストの血」の象徴として極めて重要な役割を果たしていた 15 。フランシスコ・ザビエルが日本の大名に献上したのも「赤き酒」であったという記録は、この事実を強力に裏付けている 1

これらの史実から導き出されるのは、当時の日本人にとって葡萄酒の標準、あるいは唯一の認識が「赤葡萄酒」であったということである。彼らの頭の中には、現代人のような「赤・白・ロゼ」という色のスペクトルに基づいた分類体系自体が存在しなかった可能性が高い。彼らはまず、その出自によって「南蛮酒」と認識し、次いでその中でも最も代表的であった赤ワインを、異国の響きを持つ「ちんた」という言葉で呼んだのである。この認識の変遷は、未知の文化を理解し、自らの語彙体系に取り込んでいく過程そのものを示す、貴重な事例と言えよう。

第二章:権力者たちと葡萄酒 ― 献上、饗応、そして伝説

南蛮渡来の珍品であった葡萄酒は、その希少性から、たちまち天下の権力者たちの関心を引くことになった。戦国時代の頂点に立った三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、それぞれ異なる形でこの異国の酒と関わりを持った。彼らの逸話や記録を詳細に検証することは、葡萄酒が単なる嗜好品に留まらず、政治や外交の舞台でいかに象徴的な役割を担ったかを明らかにする。

第一節:織田信長と葡萄酒 ― 通説と史実の狭間

革新的な政策を次々と打ち出し、南蛮文化に強い好奇心を示した織田信長は、葡萄酒と最も結びつけて語られることの多い戦国武将である。イエズス会宣教師ルイス・フロイスらを厚遇し、その交流の中から葡萄酒を好んで飲んだという通説は広く知られている 1 。また、その色合いを「血のようだ」と評したという逸話も、信長の苛烈なイメージと相まって、しばしば引用される 19

しかし、これらの通説を史実として裏付ける一次史料は、実のところ極めて乏しい。信長を間近で観察したルイス・フロイスが著した『日本史』には、信長が「酒を飲まず、食を節する」人物であったという趣旨の記述が存在する 16 。これは、彼が酒豪の多かった当時の武将の中では、酒量が極めて少なかったことを示唆している。宣教師たちが信長に様々な品を献上した記録は残っているが、その中に葡萄酒が含まれていたか、そして信長がそれを飲んだかを明確に記した同時代の記録は見当たらないのが現状である 18

なぜ、史実としての裏付けが弱いにもかかわらず、信長と葡萄酒の結びつきはこれほどまでに強く語り継がれてきたのか。それは、彼の持つ革新的で既成概念に囚われないイメージと、キリスト教を保護し南蛮文化を積極的に受け入れたという歴史的事実が、後世の人々の想像力を掻き立てた結果であろう。信長にとって葡萄酒は、味覚的な嗜好の対象というよりも、宣教師との良好な関係を維持するための政治的・外交的ツールであり、また自身の先進性を内外に示すための文化的なアイコンとしての意味合いが強かったのではないかと推察される。信長と葡萄酒の物語は、史実そのものというよりは、彼の人物像から生まれた一つの「伝説」として捉えるのが、より正確な歴史理解と言えるだろう。

第二節:豊臣秀吉と徳川家康 ― 確かな記録

信長の伝説的な逸話とは対照的に、豊臣秀吉と徳川家康に関しては、葡萄酒を飲んだことを示すより具体的で確かな記録が残されている。これらの記録は、時代が進むにつれて、日本とヨーロッパの交流がより常態化し、制度化していく過程を反映している。

豊臣秀吉については、フロイスが記した『イエズス会日本年報』の中に、明確な記述が存在する。1588年(天正16年)、九州平定を終えた秀吉は博多に滞在しており、当時イエズス会の日本副管区長であったガスパル・コエリョの船を訪れた。秀吉は船内を興味深く見学し、洋楽器の演奏を聴きながら、供された糖菓とポルトガル産の葡萄酒を「喜んで賞味した」と記録されている 18 。さらにその数年後、1594年(文禄3年)には、フィリピン総督の使者として来日したフランシスコ会の宣教師一行から、進物として「葡萄酒2樽」が献上された記録もある 18

徳川家康に至っては、記録はさらに詳細になる。江戸幕府を開き、外交・貿易体制の整備を進めた家康の下には、公式な外交使節によって葡萄酒が献上されている。1611年(慶長16年)、スペイン国王の使節セバスチャン・ビスカイノは、家康に「ブドウ酒2樽」を献上しており、これは「シェリー酒および赤ブドウ酒」であったと考えられている 18 。また、1613年(慶長18年)には、イギリス国王の使節ジョン・セーリスがもたらした記録の中に、「ヨーロッパの甘い葡萄酒5壺」という記述があり、これもスペイン産のシェリー酒であったと推測されている 18

これらの事例は、葡萄酒がもはや単なる珍品ではなく、国家間の公式な贈答品として、外交儀礼の中で確固たる地位を占めていたことを示している。特に家康の記録からは、当時日本にもたらされた葡萄酒が「珍陀酒」と呼ばれる赤葡萄酒だけでなく、シェリーのような酒精強化ワインも含まれていたことが分かり、輸入品の多様性が窺える。信長の「伝説」から、秀吉の個人的な「饗応」、そして家康の公式な「外交儀礼」へ。この変遷は、戦国末期から江戸初期にかけて、日本の対外関係が大きく変容していく様を、葡萄酒という一つの品物を通して雄弁に物語っているのである。


表1:三英傑と葡萄酒の関係性比較表

武将名

主な逸話・記録

史料的根拠

飲んだとされる酒の種類

葡萄酒の役割・意味合い

織田信長

「珍陀酒」を愛飲し、「血のようだ」と評したとされる通説がある。

通説・後世の創作が中心。同時代の一次史料による明確な裏付けは乏しい 18

ポルトガル産赤葡萄酒(珍陀酒)

南蛮文化への寛容さを示す象徴。宣教師との関係を維持する政治的道具。

豊臣秀吉

博多にてイエズス会士の船を訪れ、葡萄酒と糖菓を喜んで賞味した。

『イエズス会日本年報』 18 。フランシスコ会からの献上記録 18

ポルトガル産葡萄酒(赤葡萄酒と推察)

個人的な好奇心の対象。外交上の饗応品。

徳川家康

スペインやイギリスの国王使節から、公式な献上品として複数回贈られた。

『ドン・ロドリゴ日本見聞録』、『セーリス日本航海記』など 18

赤葡萄酒、シェリー酒(甘い酒精強化ワイン)

国家間の外交儀礼における公式な贈答品。


第三章:キリスト教布教と葡萄酒の役割

戦国時代の日本社会における葡萄酒の存在意義は、権力者の嗜好品という側面に留まらない。むしろその根源には、キリスト教の布教活動における不可欠な役割があった。この章では、葡萄酒が持つ宗教的な重要性と、それが後の禁教政策の中でいかにして「禁断の飲み物」へとその意味を変質させていったかを論じる。

第一節:秘跡としての葡萄酒 ― キリストの血の象徴

イエズス会宣教師たちが、危険を冒してまで葡萄酒を日本にもたらした最大の理由は、それがカトリック教会の儀礼の中心をなす「聖餐の秘跡」に不可欠であったからに他ならない。ミサにおいて、司祭が祝別したパンと葡萄酒は、それぞれ「キリストの体」と「キリストの血」に聖変化すると信じられている 14 。信徒がこれを拝領することは、キリストとの一致と救いに関わる、信仰生活の根幹をなす極めて重要な儀礼であった。

このため、葡萄酒は単なる飲み物ではなく、神聖な霊薬として、宣教師やキリシタン大名、そして一般の信徒たちにとって絶対に必要なものであった。その文化的受容の一端として、茶道における濃茶の一つの茶碗からの「飲みまわし」と、ミサにおける聖杯(カリス)を信徒が順にいただく儀礼の類似性を指摘する見方もある 23

しかし、この神聖な葡萄酒の確保は、常に困難を伴った。当時の日本において葡萄酒は極めて高価で希少な輸入品であり、日本各地に設立された教会のすべてで、ミサの度に十分な量を供給し続けることは現実的に難しかったと推測される 14 。それでもなお、宣教師たちがその確保に尽力したのは、葡萄酒が彼らの信仰そのものと分かちがたく結びついていたからである。

第二節:禁教下の葡萄酒 ― 「キリシタンの飲み物」という烙印

当初、南蛮渡来の珍しい酒として権力者にも受け入れられた葡萄酒の運命は、日本の為政者がキリスト教に敵対的な姿勢を強めるにつれて暗転する。1587年(天正15年)の豊臣秀吉によるバテレン追放令、そして江戸幕府による段階的な禁教政策の強化は、葡萄酒の社会的地位を根底から覆した。

キリスト教に関連するあらゆる文物が厳しく取り締まられる中で、ミサに不可欠な葡萄酒は、まさに「キリスト教の象徴」そのものと見なされるようになった。その結果、社会的には「葡萄酒はキリシタンを勧めるときに要る酒」という認識が広まっていく 24 。このことを示す象徴的な逸話が、キリシタン大名ではなかった大名・細川忠利の記録に残されている。1638年(寛永15年)、ある藩主が忠利の子を通じて葡萄酒を所望した際、忠利は「長崎にも問い合わせたが、葡萄酒はキリシタンの飲み物なので、幕府を心配して一切売買されていない」と返答しているのである 24

この逸話は、禁教下の日本において、葡萄酒を公に取引することがいかに困難であり、危険な行為と見なされていたかを物語っている。かつては布教の道具であり、異文化交流の象徴であった葡萄酒は、その宗教的意味合いゆえに、所有や飲用そのものが反体制的な行為と見なされかねない「禁断の飲み物」へと変質した。葡萄酒の価値は、政治情勢の変化によって180度反転したのである。この価値の反転こそが、戦国・江戸初期における葡萄酒の数奇な運命を決定づけた核心的な要因であった。

第四章:国産葡萄酒醸造の試み ― 小倉藩主・細川忠利の挑戦

高価で入手困難な輸入品に頼るしかなかった葡萄酒を、日本国内の原料と技術で生産しようとした画期的な試みが、江戸時代初期に行われていた。近年、熊本大学の研究によってその詳細が明らかになった、小倉藩(現在の福岡県東部)藩主・細川忠利による国産葡萄酒醸造の挑戦は、日本のワイン史におけるミッシングリンクを埋める重要な発見である。

第一節:『永青文庫』が明かす醸造の実態

熊本大学が所蔵する細川家文書群『永青文庫』の研究により、細川忠利が1627年(寛永4年)から数年間にわたり、小倉藩内で家臣に命じて葡萄酒を醸造させていた事実が史料から確認された 25 。この醸造の主な目的は、病弱であった忠利自身の薬用、および贈答用であったと考えられている 24

特筆すべきは、その原料と製法である。原料として用いられたのは、「がらみ」と呼ばれる日本に古来から自生する山葡萄の一種(学名:エビヅル)であった 28 。そして、発酵を促す酵母として、黒大豆が使用されていたことも判明している 28

最も重要な点は、この「ぶだうしゆ」が、単に葡萄を焼酎などに漬け込んだ果実酒(混成酒)ではなく、酵母の働きによってアルコール発酵させた本格的な「醸造酒」であったことである 25 。これは、日本のワイン醸造史が本格的に始まるとされる明治期(1870年代)を250年近く遡る可能性のある、極めて画期的な試みであった。忠利の挑戦は、南蛮伝来の技術を単に享受するだけでなく、それを自らのものとして国内で再現しようとする、主体的かつ科学的な精神の表れであった。

第二節:醸造の背景と終焉

この先進的な試みの背景には、藩主・忠利自身の舶来品への強い関心があった。彼は醸造を試みる以前から、長崎を通じて葡萄酒を輸入しており、その際には「甘いのがよい」と味の好みまで具体的に指示した記録が残っている 24 。この舶来品への深い知識と探究心が、国産化への挑戦へと繋がったと推察される。

しかし、この画期的な葡萄酒醸造は、長くは続かなかった。記録によると、1630年(寛永7年)、あるいは新たに発見された史料によれば1632年(寛永9年)頃には途絶えてしまう 27 。その終焉の背景には、二つの大きな要因があったと考えられる。

第一に、幕府による禁教政策のさらなる強化である。前章で述べたように、葡萄酒は「キリシタンの飲み物」という烙印を押されており、幕府への忠誠を重んじる模範的な大名であった忠利にとって、その製造を続けることは政治的なリスクを伴う行為となっていた 24

第二に、1632年の肥後(熊本)への国替えである 31 。藩の体制が大きく変わるこの時期に、リスクを冒してまで小倉で培った醸造技術を移転させることは困難であったと考えられる。肥後藩主となって以降、忠利が葡萄酒を醸造した記録は見つかっていない。

細川忠利の挑戦は、近世初期日本の技術革新が、いかに中央の政治・イデオロギーという強固な制約の下にあったかを象徴する事例である。もし政治的な逆風がなければ、日本のワイン産業の歴史は全く異なる形で始まっていたかもしれない。彼の醸造所は、南蛮文化への開かれた好奇心と、それを許容しなくなった中央集権体制との狭間で消えていった、時代の徒花であったと言えるだろう。

第五章:「薔薇葡萄酒」の存在可能性に関する総合的考察

本報告書の出発点である「薔薇葡萄酒」、すなわちロゼワインが戦国時代の日本に存在し得たかという問いに対し、最終的な考察を加える。第一章で「薔薇葡萄酒」という呼称の時代錯誤性を論証したが、ここでは呼称の問題ではなく、「ロゼ状の葡萄酒」そのものが物理的に日本へもたらされた可能性を、当時のヨーロッパにおける醸造技術と、日本側の史料状況の両面から総合的に検証する。

第一節:16世紀欧州における醸造技術と淡色ワイン

現代的な意味で洗練されたロゼワインは後世の産物であるが、その原型となる色の淡いワインは、古代ギリシャ・ローマの時代から存在した 32 。当時の醸造技術では、黒葡萄を収穫後すぐに圧搾していたため、果皮からの色素の抽出が少なく、結果として出来上がるワインは現代の赤ワインよりもずっと淡い色合いになるのが一般的であった。

16世紀のヨーロッパにおいても、色の薄いワインを造る技術は存在した。黒葡萄と白葡萄を一緒に圧搾・発酵させる混醸や、黒葡萄の果皮と果汁を接触させる時間(マセラシオン)を意図的に短くすることで、ピンク色がかったワインを製造することは技術的に十分に可能であった 35 。日本に葡萄酒をもたらしたポルトガルでも、現代においてはヴィーニョ・ヴェルデ地方などでロゼワインが生産されている 39

このように、16世紀のヨーロッパにおいてロゼ状のワインを製造する技術的基盤は存在した。問題は、そうしたワインが数ある製品の中から選ばれ、日本への長く過酷な航海に供されたかどうかである。

第二節:史料の沈黙とその解釈

これまでの調査で繰り返し確認してきたように、日本の戦国時代から江戸初期にかけての史料には、ロゼ状のワインの存在を示唆する具体的な記述は皆無である。「珍陀酒(赤葡萄酒)」や「甘い葡萄酒(シェリー酒など)」の記録は存在する一方で、それらとは異なる淡い色の葡萄酒については、完全に沈黙している。

この「史料の沈黙」には、いくつかの複合的な理由が考えられる。

  1. 輸送と保存の問題: 赤道直下を通過する数ヶ月に及ぶ船旅は、ワインにとって極めて過酷な環境であった 16 。この長期間の輸送に耐えうるのは、天然の保存料であるタンニンが豊富で酸化に強い赤ワインや、アルコール度数を高めた酒精強化ワインが中心であった可能性が高い。繊細なロゼ状のワインは、そもそも輸出用の選択肢から外されていたと考えられる。
  2. 宗教的・象徴的意味の優位性: 日本への葡萄酒輸出の主要な動機の一つが、キリスト教のミサでの使用であった。ミサにおいて重要視されたのは、何よりも「キリストの血」を象徴する赤葡萄酒であり、これが優先的に輸出・献上されたのは当然の帰結であった。
  3. 日本側の認識の限界: 仮に少量のロゼ状ワインが日本に到達したとしても、当時の日本人にとって、葡萄酒は「赤くて珍しい南蛮の酒」という大雑把なカテゴリーで認識されていた。色の濃淡といった微妙な違いを記録し、別の種類の酒として分類するほどの知識や関心が存在しなかった可能性も否定できない。

結論として、「技術的に可能であったこと」と「歴史的に存在したこと」は同義ではない。ヨーロッパでロゼ状のワインが造られていたとしても、それが16世紀の日本という特定の場所に、特定の文脈で到達したという証拠がなければ、その存在を歴史的事実として肯定することはできない。現存するあらゆる史料が赤ワインの存在を強く示唆し、それ以外のワインについて沈黙している状況は、ロゼ状のワインが当時の日本において、少なくとも一般的、あるいは認識されるべき存在ではなかったことを示唆するには十分である。したがって、「戦国時代にロゼワインが飲まれた可能性はゼロとは断定できないものの、その可能性は極めて低く、歴史的事実として積極的に肯定するだけの証拠は存在しない」というのが、史料に基づいた慎重かつ学術的に誠実な見解となる。

結論:戦国時代の「葡萄酒」の実像と「薔薇葡萄酒」の幻影

本報告書は、「薔薇葡萄酒」という現代的なキーワードを起点に、戦国時代における葡萄酒文化の実像を多角的に検証してきた。その調査結果は、以下の四点に要約される。

第一に、戦国時代の日本に「薔薇葡萄酒」という呼称、およびロゼワインという概念は存在せず、それは後世の知識が投影された歴史的アナクロニズムである。当時の語彙体系には「薔薇色」という色彩表現自体が確立していなかった。

第二に、当時日本にもたらされ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった権力者たちに飲まれたのは、主に「珍陀酒」と呼ばれるポルトガル産の赤葡萄酒、およびシェリー酒に代表される酒精強化ワインであった。

第三に、葡萄酒は単なるアルコール飲料ではなかった。それはキリスト教における「キリストの血」の象徴として神聖な意味を持ち、大名間の外交儀礼における重要な贈答品として機能し、さらには薬用としても珍重されるなど、権力、宗教、医療、国際関係が複雑に絡み合った、極めて象徴的な存在であった。

第四に、小倉藩主・細川忠利による国産葡萄酒醸造という、日本のワイン史を塗り替える可能性を秘めた画期的な試みが存在した。しかし、その先進的な挑戦も、幕府の禁教政策という強固な政治的障壁によって、短期間での終焉を余儀なくされた。

総括すれば、戦国時代の葡萄酒は、激動の時代の特質を色濃く反映する「文化的触媒」であったと言える。それは、日本が初めて世界と直接的に向き合った時代の好奇心と緊張感、そして異文化受容の光と影を、その一滴の中に凝縮している。

利用者の当初の疑問に立ち返るならば、「薔薇葡萄酒」は、戦国時代の歴史的事実ではなく、異文化との邂逅というドラマチックな時代に我々が馳せるロマンやイメージが投影された「幻影」である。しかし、その幻影を追いかける探求の旅は、我々を「珍陀酒」の謎や細川忠利の忘れられた挑戦といった、より深く、そして遥かに魅力的な歴史の真実へと導いてくれたのである。

引用文献

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  5. 薔薇色(ばらいろ)とは?|Bara-iro|#E73275 - 伝統色のいろは https://irocore.com/bara-iro/
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  25. 400 年前の国産ワイン醸造の詳細が明らかに - 熊本大学 https://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/kouhou/pressrelease/2018-file/release180402.pdf
  26. 400年前の国産ワイン醸造の詳細が明らかにー永青文庫史料の研究調査により薬用アヘンの製造も確認 | 熊本大学 https://www.kumamoto-u.ac.jp/whatsnew/zinbun/20180402
  27. 【Vol.1】いつ、どこで、誰が始めた?日本で初めての本格的ワイン造り https://japanwine-navi.com/1446
  28. 初の日本ワイン!?400年前に小倉藩・細川家が造っていた「ぶだうしゆ」とは https://wine-no-kanpe.com/contents/32150/
  29. 第10話 小倉藩でワインを造った第2代藩主・細川忠利 - 小倉城ものがたり https://kokuracastle-story.com/2020/02/story10-hosokawatadatoshi/
  30. 400年前に細川家が造った日本ワインをみやこ町に復活 - けいちく暮らし https://keichiku-gurashi.com/garami-readyfor
  31. 小倉藩主細川家、1632年にもワイン醸造を命令 熊本大学が資料発見 - 大学ジャーナルオンライン https://univ-journal.jp/68979/
  32. The Evolution of Rosé Wines - Long Meadow Ranch https://www.longmeadowranch.com/blog/the-evolution-of-rose-wines/
  33. The Evolution of Rosé Wine: Why it's More Popular than Ever - Singlefile Wines https://www.singlefilewines.com/blog/Evolution-of-Rose-Wine
  34. A Brief History of Rosé - GuildSomm International https://www.guildsomm.com/public_content/features/articles/b/victoria-james/posts/rose
  35. The history of rosé wine - tips, traditions and facts | Wines from Czech Republic https://www.vinazmoravyvinazcech.cz/en/encyclopedia/the-history-of-rose
  36. Elaboration of Rosé - Vins de Provence https://www.vinsdeprovence.com/en/le-rose/l-elaboration-du-rose
  37. The most common myths about rosé, or are rosé wines really a mixture of red and white? https://www.vinazmoravyvinazcech.cz/en/news/148184611-the-most-common-myths-about-rose-or-barely-are-rose-guilt-mixtures-white-and-red
  38. Rosé: A Brief History - Witches Falls Winery https://witchesfalls.com.au/blogs/news/rose-a-brief-history
  39. ポルトガルワイン|ヴィーニョ・ヴェルデ ハーザ・ロゼ 2023 キンタ・ダ・ハーザ 緑のワインロゼワイン 辛口 微発泡 | ワイン通販 https://www.vin2.jp/c/portugal/vinhoverderazarose
  40. カーザ・ド・ヴァーレ・ロゼ[2023] 750ml ロゼワイン 辛口 微発泡 ヴィーニョ・ヴェルデ地方 直輸入 ポルトガルワイン 【6sou】 https://www.m-portugal.jp/items/val-04.html