最終更新日 2025-08-23

長船城

備前長船城は、日本刀の聖地・長船派の工房兼居館。足利尊氏から屋敷を賜り、刀工集団の生産拠点として栄える。戦火と天正の大洪水で壊滅し、産業と共に静かに歴史から姿を消す。

長船城調査報告書:鋼の都、その興亡の記憶

序章:剣の都に佇む城-長船城の特異性

備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市長船町)は、古来より「日本刀の聖地」としてその名を馳せてきた 1 。現存する国宝指定の刀剣類111口のうち、実に47口がこの地で生み出された「備前刀」であるという事実は、その卓越した技術力と生産規模を雄弁に物語っている 4 。この日本随一の刀剣産地の中心に、長船城は存在した。

しかし、長船城を一般的な「城」の概念で捉えることは、その本質を見誤ることに繋がる。それは単に領主が支配の拠点とした軍事施設ではない。むしろ、刀工集団が居住し、日々鋼を打ち、名刀を生み出す生産活動の場であった「工房」、彼らの生活の場である「館」、そしてその技術と生産物を守るための「城」という、三つの性格を併せ持つ、他に類を見ない複合的機能を有した城館であった 5

我々が通常「城」と聞いて想起するのは、武士による軍事支配の象徴である。しかし長船城の存在は、その固定観念に静かな揺さぶりをかける。なぜ刀鍛冶が「城」を必要としたのか。それは、刀剣が当時の最重要戦略物資であり、その生産技術自体が極めて高い戦略的価値を持っていたからに他ならない。高度な技術を持つ職能集団は、自らの生産拠点を外部の脅威から守るため、武装し、要塞化する必要に迫られた。長船城は、技術力そのものが権力と富の源泉であった中世社会における、「産業要塞」の原型と見なすことができる。

本報告書は、伝承、史料、考古学的痕跡、そして周辺環境の多角的な分析を通じて、この特異な城館の実像に迫るものである。それは、武士階級のみならず、経済活動を担う職能集団もまた、自らの領域を物理的に確保し、権益を守ったという、より複雑で躍動的な中世社会の姿を映し出す試みとなるだろう。

第一章:吉井川の恵みと鋼の響き-長船城前史

長船城が歴史の舞台に登場する以前、この地が日本一の刀剣産地へと発展した背景には、地理的、経済的、そして技術的な要因が奇跡的に絡み合っていた。

地理的優位性と産業基盤

備前国の繁栄を支えたのは、まず何よりも豊かな自然資源であった。中国山地の山々からは、刀剣の原料として最適な良質の砂鉄、特に「赤目砂鉄」が産出された 9 。そして、その砂鉄を玉鋼へと精錬する「たたら製鉄」や、鋼を鍛える鍛刀作業には大量の木炭が不可欠であったが、周辺にはその原料となる広大な森林が広がっていたのである 10

これらの資源を繋ぎ、製品を市場へと送り出す大動脈となったのが、地域を南北に貫流する吉井川であった。この川の水運は古くから発達し、山地で産出された砂鉄や木炭を効率的に下流の工房へと運び、完成した刀剣を瀬戸内海を通じて全国の市場へと送り出す、まさに生命線とも言える役割を果たした 12 。さらに、長船の地は東西の主要交通路である山陽道と吉井川が交差する結節点に位置しており、人、物、そして最新の情報が集積する絶好の立地条件を備えていた 13

経済中心地「福岡市」の繁栄

この地理的優位性を背景に、鎌倉時代には吉井川西岸の福岡(現在の瀬戸内市長船町福岡)に「福岡市(ふくおかのいち)」と呼ばれる大規模な市場が形成された。その賑わいは西国一と謳われ、一遍上人の旅路を描いた国宝『一遍上人絵伝』にもその繁栄ぶりが活写されている 12 。この絵図からは、刀剣はもちろん、米、魚介類、織物、陶器など多種多様な産品が取引され、多くの人々でごった返す一大交易拠点であったことが見て取れる。長船の刀工たちは、この巨大市場に隣接することで、原料の調達から製品の販売まで、極めて有利な環境を享受していたのである。

技術的系譜「長船派」の確立

こうした恵まれた環境の中で、平安時代中期の古備前鍛冶を源流とする刀工たちが技術を磨き、鎌倉時代中期には光忠を祖とする「長船派」が確立された 9 。長船派は、光忠の子・長光、その子・景光、そして景光の子・兼光へと続く名工の系譜を輩出し、その作刀は質・量ともに他を圧倒した。長船の繁栄は、砂鉄という鉱物資源、森林という燃料資源、そして吉井川という物流網という三つの自然要素が完璧に組み合わさった「生態系」に支えられていた。それは、中世の人々が自然環境を巧みに利用して形成した、高度な産業クラスターの輝かしい成果であった。

しかし、この自然への強い依存関係は、諸刃の剣でもあった。特に、製鉄と鍛刀のための大規模な森林伐採、そして砂鉄採取法「鉄穴流し」による河川への大量の土砂流出は、吉井川の治水バランスを徐々に、しかし確実に蝕んでいった可能性がある 11 。長船の繁栄を支えた基盤そのものが、後の大災害の遠因となるという皮肉な構造は、この時点で既に内包されていたのである。

第二章:名工、城主となる-伝兼光屋敷の誕生

長船城の創始は、一人の名工と時の最高権力者との出会いにその端を発すると伝えられている。それは、武家の権威と職人の技術が結びつき、新たな時代の秩序が形成されつつあった南北朝の動乱期のことである。

築城の伝承と足利尊氏

伝承によれば、長船城は、備前長船派を代表する名工・兼光が、室町幕府初代将軍・足利尊氏から屋敷地を賜ったことに始まるとされる 5 。兼光は尊氏に召し出されて太刀を鍛え、その見事な出来栄えに対する褒美として、この地を与えられたという 21 。『太平記』には、尊氏が正平6年(1351年)の正月に備前福岡の陣中で越年したという記録があり、この滞在中に兼光との交流があった可能性は十分に考えられる 22

この逸話は単なる褒美の物語に留まらない。幕府という新たな武家政権を樹立した尊氏にとって、刀剣という軍事力の根幹をなす生産技術を掌握し、その担い手である最高の刀工集団を自らの権威下に置くことは、極めて重要な政治的意味を持っていた。兼光に単なる屋敷ではなく、櫓を備えた「城」の保有を許すことは、彼とその一門に特別な地位と幕府による保護を約束する象徴的な行為であり、幕府への忠誠と奉仕を促すものであった。兼光は尊氏の「番鍛冶」という名誉ある地位にあり 21 、長船城の誕生は、その武家の権威と職人の技術が直接結びついた関係性を物理的に具現化した証左と言える。

城の構造と工房としての機能

長船城跡は、現在でも「城の内築地(つんじ)」という地名で呼ばれている 5 。これは、土を突き固めて築いた「築地塀(ついじべい)」に由来すると考えられ、防御施設があったことを示唆している。記録によれば、城は一町(約100メートル)四方の方形居館であり、周囲には堀(壕)が巡らされ、土塁の上には四隅に櫓が建てられていたという 5 。これは、単なる居住区を超えた、明確な防御意識をもって設計された施設であったことを示している。

そして、この城の最大の特徴は、代々刀鍛冶が居住し、鍛刀を行った「工房」としての機能にあった 5 。その何よりの証拠が、城跡周辺の田畑から現在でも多数出土する「カナクソ」と呼ばれる鉄滓(てっさい)である 5 。鉄滓は鍛冶作業の際に生じる不純物であり、その大量の出土は、この地で長年にわたり大規模な鍛刀活動が行われていたことを示す動かぬ考古学的証拠である。長船城は、名工兼光とその一門が、将軍から与えられた権威を背景に、安定した環境で最高品質の刀剣を生産するための、まさに理想的な拠点であった。


表1:長船城関連年表

西暦(年)

和暦

出来事

関連人物

備考(社会的背景など)

鎌倉時代中期

-

長船派の祖・光忠が活動を開始。備前刀隆盛の礎を築く。

光忠

モンゴル襲来などにより刀剣需要が増加。

1336-1392頃

南北朝時代

長船兼光が足利尊氏より屋敷地を拝領し、長船城を築くと伝わる。

長船兼光, 足利尊氏

室町幕府成立期。武家政権による刀工の庇護。

1483

文明15

福岡合戦。松田元成勢により、赤松方の福岡城が攻撃され、その過程で長船城も焼き討ちに遭う(『備前軍記』)。

松田元成, 浦上則国

応仁の乱後の守護大名間の抗争激化。

16世紀後半

戦国時代

宇喜多直家の重臣として、長船貞親が活躍。「宇喜多三老」の一人に数えられる。

長船貞親, 宇喜多直家

下克上の時代。宇喜多氏が備前国を統一。

1590

天正18

吉井川の大洪水が発生。長船の刀工集団は壊滅的な被害を受け、刀剣生産地としての機能が失われる。

-

豊臣秀吉による天下統一期。

2004

平成16

邑久郡長船町、邑久町、牛窓町が合併し、瀬戸内市が発足。

-

-


第三章:戦国乱世の渦中で-焼き討ちと新たな支配者

室町幕府の権威が揺らぎ、群雄が割拠する戦国時代に入ると、長船の地もまた激しい動乱の渦に巻き込まれていく。刀剣の需要が爆発的に増加する一方で、その生産拠点である長船城は、戦火と新たな支配者の台頭という厳しい現実に直面することになる。

第一節:福岡合戦の劫火

応仁の乱以降、備前国では守護の赤松氏、その重臣である守護代の浦上氏、そして在地勢力の松田氏などが複雑な権力闘争を繰り広げていた 26 。文明15年(1483年)、金川城主・松田元成が赤松氏から離反し、浦上氏が守る福岡城を攻撃した。これが「福岡合戦」である 27

この戦いの詳細を記した軍記物『備前軍記』には、松田勢が福岡城を攻める過程で、その周辺にあった長船城や民家までもがことごとく焼き払われたという、衝撃的な記述が残されている 5 。この事件は、刀工たちの平和な生産拠点が、いかに戦乱と隣接し、その脅威に晒されていたかを物語っている。長船城が持つ防御機能も、大軍勢の前では無力であった。この焼き討ちにより、城と工房は深刻な打撃を受けたものと推測される。

第二節:宇喜多氏の台頭と長船一族

福岡合戦の後、備前国では浦上氏の家臣であった宇喜多直家が下克上によって台頭し、やがて岡山城を拠点に備前一国を平定する 12 。この直家の創業を支えた重臣の一人に、長船貞親という武将がいた。彼は戸川秀安、岡家利とともに「宇喜多三老」と称されるほどの重要人物であった 33

貞親の出自は甲斐源氏の名門・小笠原氏に繋がるとされ 34 、明善寺合戦などで数々の武功を挙げた猛将であった 34 。しかし、この武士である長船貞親と、刀工の拠点である長船城との直接的な関係については、史料上、判然としない部分が多い 24 。貞親は後に、より軍事的に堅固な山城である虎倉城を居城としており 33 、平地に位置する長船城が彼の主たる本拠地であった可能性は低いと考えられる。

この事実は、戦国時代の「長船」に二つの異なる実体が存在したことを示唆している。一つは、伝兼光屋敷を起源とする刀工集団とその生産拠点としての「長船」。もう一つは、貞親に代表される武士の氏族としての「長船」である。両者は無関係ではなく、武士の長船氏が刀工たちの支配者、あるいは庇護者として君臨していた可能性は高い。しかし、その機能と拠点は明確に分かれていた。これは、平時の生産拠点(長船城)と、有事の際の軍事拠点(虎倉城)を分離・連携させる、より高度化・専門化した戦国大名の領国経営の一端を物語っている。貞親が「長船」を名乗ったのは、その地の領主であることの表明であると同時に、日本一の刀剣産地というブランドが持つ名声を利用する意図もあったのかもしれない。

第三節:刀工にして武将-職能集団の変容

戦国時代は、刀剣の需要が空前に高まった時代でもあった。各地の合戦で消費される刀剣を賄うため、「数打物」と呼ばれる規格化された大量生産品も盛んに作られた 9 。このような状況下で、刀工たちの社会的地位も変化していく。

長船勝光のように、優れた刀工でありながら、播磨の守護大名・赤松政則に仕える武将でもあった人物が登場する 25 。また、浦上氏や宇喜多氏といった戦国大名は、特定の刀工に刀を注文(注文打ち)し、その茎(なかご)に注文主の名を刻ませることがあった 39 。これは、刀工がもはや単なる独立した職人ではなく、特定の大名の軍事力を支える重要な構成員として、その家臣団に組み込まれていったことを示している。刀工集団は、有力な武士の庇護下に入ることで生産活動の安定と販路を確保し、武士は優れた刀工を抱えることで軍事力の強化と権威の向上を図った。武力と技術が、互いの専門性を尊重しつつ、より緊密に連携・共存する、まさに戦国期ならではの社会システムがそこにはあった。

第四章:大洪水と時代の終焉-長船城の黄昏

福岡合戦の戦火を乗り越え、戦国時代の旺盛な需要に応え続けた備前長船であったが、その繁栄は突如として、そして決定的な形で終焉を迎える。それは敵軍の襲来ではなく、足元を流れる吉井川の牙がもたらした、未曾有の大災害であった。

天正18年の大災害

天正18年(1590年)8月、長雨の影響で吉井川がかつてない規模で氾濫し、さらに背後の熊山では山津波(土石流)が発生した 9 。濁流は一瞬にして長船、畠田、福岡の一帯を飲み込み、この地は泥水の下に沈んだ。記録によれば、この災害による死者は7千数百人に及び、刀工とその家族のほとんどが命を落としたとされている 9

この洪水がもたらした被害は、単なる物理的な破壊に留まらなかった。何世代にもわたって受け継がれてきた鍛刀の秘伝、名工たちの熟練の技、そしてその技術を体現する「人」そのものが、一瞬にして失われたのである。刀剣製作は、文書化できない暗黙知の集合体であり、名工たちの死は、長船派が数百年にわたり築き上げてきた技術体系の断絶を意味した 11 。鍛刀場は流され、人的資源は枯渇し、日本一の刀剣生産地としての備前長船は、この日を境に事実上壊滅した 9

災害の背景にあるもの

この大洪水は、単なる天災として片付けることはできない。その背景には、長年の刀剣生産活動が環境に与えた負荷、すなわち「人災」の側面があった可能性が指摘されている 11 。たたら製鉄や鍛刀のために消費される膨大な量の木炭は、広範囲にわたる森林伐採を招き、山々の保水能力を著しく低下させた。さらに、砂鉄を採取する「鉄穴流し」という手法は、大量の土砂を下流に流出させ、吉井川の河床を徐々に上昇させていた。森林の荒廃と河床の上昇。この二つの要因が複合的に作用し、長雨という引き金によって、破滅的な大洪水を引き起こしたと考えられる。長船の繁栄を頂点に導いた要因(豊富な自然資源の活用)が、最終的にその繁栄を根こそぎ奪うという、歴史の壮大な皮肉がそこにはあった。

長船城の終焉

この産業基盤の完全な崩壊は、そのまま長船城の運命を決定づけた。城の存在意義は、そこに住み、刀を打つ刀工集団そのものであった。その担い手が消滅した以上、彼らの館城であった長船城もまた、その役割を完全に喪失したのである。近隣の福岡城も、これより前の大永年間(1521年~1528年)の洪水によって廃城となったと伝えられており 43 、この地域がいかに水害と隣接していたかがわかる。

長船城の終焉は、戦闘による落城や、一国一城令のような政治的命令によるものではなかった。それは、城を支える「産業」と運命を共にし、その経済的・社会的基盤が崩壊したことによって、静かに歴史の舞台から姿を消したのである。魂を失った城は、やがて耕作地や宅地へと転用され、自然に廃墟と化していった。この静かな死は、戦国の城の末路として極めて稀有な事例であり、地域の産業構造が城の存亡をいかに左右していたかを如実に示している。

第五章:現代に遺るもの-景観の中の記憶

数百年という時を経て、かつての「鋼の都」の中心であった長船城は、その姿を大きく変えた。しかし、その記憶は完全に消え去ったわけではなく、現代の景観の中に、そして人々の営みの中に、今なお深く刻み込まれている。

遺構の現状と往時の面影

現在の長船城跡を訪れると、そこには畑や墓地、住宅地が広がり、往時の壮麗な姿を想像することは難しい 45 。しかし、注意深く観察すると、その一角にこんもりとした土塁が断片的に残り、その手前の水田がかつての堀の跡であることを示している 23 。現地に設置された説明板が、ここが名工兼光の屋敷跡であったことを静かに伝えている 5 。航空写真で見ると、一町四方であったという方形の区画が、水田の畦や道路の線形として、今もなお大地にかすかな痕跡を留めていることがわかる 24

歴史的景観のネットワーク

長船城跡の歴史的価値は、単体で存在するのではなく、周辺に点在する関連史跡と一体となった「歴史的景観(ランドスケープ)」として捉えることで、より深く理解することができる。

  • 備前おさふね刀剣博物館 : 城跡のすぐ南東に位置するこの博物館は、長船の刀剣文化を現代に伝える中核施設である 3 。常時約40口の刀剣が展示されるほか、月に一度の古式鍛錬の公開や、ペーパーナイフ製作などの体験講座も行われ、失われた技術の一端に触れることができる 1 。この意図的な配置は、城跡が持つ歴史的正統性を博物館が継承し、逆に博物館が城跡の価値を解説するという、相互補完的な関係性を築いている。
  • 慈眼院(じげんいん) : 長船の刀工たちの菩提寺であり、境内には江戸時代に長船鍛冶の伝統を守り続けた横山祐定家が寄進した梵鐘(市指定文化財)などが残る 4 。ここは、名刀を生み出した職人たちの魂が眠る場所である。
  • 靱負神社(ゆきえじんじゃ)・天王社 : 刀鍛冶たちが篤く信仰した神社であり、この地域が古くは「靱負郷(ゆきえのごう)」と呼ばれ、朝廷の警護などを担う武官の居住地であった可能性を示唆している 4
  • 造剣之古跡碑 : 政治家・犬養毅の力強い筆による石碑など、地域の先人たちが刀剣王国の記憶を後世に伝えようとした努力の跡が各所に残されている 22

文化資源としての新たな息吹

近年、オンラインゲームやアニメーション作品の影響で巻き起こった刀剣ブームは、長船の地に新たな光を当てた。国内外から多くのファンが「聖地巡礼」に訪れるようになり、長船は再び活気を取り戻している 4 。特に、戦国武将・上杉謙信の愛刀であり、この地で生み出された国宝「山鳥毛」が瀬戸内市に収蔵されたことは大きな話題となった 33 。市ではこれを活用し、車体に刃文をあしらった「備前おさふね刀剣タクシー」の運行や、高精細VRコンテンツの開発など、新たな観光振興にも力を入れている 2

現代の長船は、物理的な遺構(土塁)という最も古い地層の上に、博物館での学術的な知の継承、サブカルチャーを通じた新たな物語の受容、そして観光資源としての活用という、多層的な「記憶のレイヤー」が重ねられた場所となっている。長船城跡は、この過去と現代が対話する壮大な物語の起点となる、静かながらも極めて重要な「核」として、今もその存在意義を保ち続けているのである。

終章:鋼と土に刻まれた物語-長船城の歴史的意義の再評価

長船城の歴史は、日本の城郭史において他に類例を見ない、特異な軌跡を辿った。それは、南北朝期に当代随一の名工の館として生まれ、戦国期の動乱に翻弄され、そして近世初頭の自然災害によって、その存在基盤であった産業と共に歴史から姿を消した、壮大な物語である。

この城は、単なる軍事施設ではなかった。それは、卓越した「技術」、それを支える「経済」、時の権力者と結びつく「政治」、そしてその繁栄の源泉でありながら最後には牙を剥いた「自然環境」という、四つの要素が複雑に絡み合った「産業文化複合体」の拠点であった。武士と職人、戦乱と生産、繁栄と災害といった、一見すると対照的な要素が、この一町四方の空間には凝縮されていた。

長船城の歴史は、我々に多くのことを示唆する。それは、中世社会が武士だけの世界ではなく、高度な専門技術を持つ職能集団が、自らの権益と生活を守るために拠点を要塞化するという、多様な社会の姿があったことを教えてくれる。また、人間の営みがいかに自然環境と深く結びつき、そのバランスを崩した時、いかに大きな代償を払うことになるかという、現代にも通じる普遍的な教訓を内包している。

今日、長船城跡に残るのは、ささやかな土塁と堀の痕跡のみである。しかし、その土くれの中には、鋼を打ち鳴らす槌音、職人たちの熱気、戦火の恐怖、そして濁流の轟きといった、この地で繰り広げられた数百年間の記憶が深く刻み込まれている。長船城は、その静かな佇まいをもって、かつてこの地に存在した「鋼の都」の壮大な物語を、今も我々に語りかけているのである。

引用文献

  1. 歴史を巡る旅 | モデルコース - 瀬戸内市観光協会 https://www.i-setouchi.org/course/timetravel
  2. 備前おさふね刀剣の里 備前長船刀剣博物館 - 岡山観光WEB https://www.okayama-kanko.jp/spot/11175
  3. 備前長船刀剣博物館 - Japan Travel Planner - ANA https://www.ana.co.jp/ja/in/japan-travel-planner/okayama/0000003.html
  4. 備前長船刀剣博物館「日本刀の聖地」拠点計画 - 文化庁 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/pdf/93093801_24.pdf
  5. 長船城 旧邑久郡長船町 | 山城攻略日記 https://ameblo.jp/inaba-houki-castle/entry-12816475650.html
  6. 街の史跡 太平記を歩く 岡山県 兼光屋敷跡 https://tansaku.sakura.ne.jp/sp/walk_taiheiki/taiheiki_okayama/kanemitu_yasiki.html
  7. 城の内〔伝兼光屋敷跡〕(瀬戸内市・旧長船町) | おすすめスポット - みんカラ https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/717923/
  8. 長船城 http://a011w.broada.jp/oshironiikou/shirobetu%20osafune.htm
  9. 長船鍛冶の歴史/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/7827/
  10. 備前長船刀剣の里 - 備後 歴史 雑学 - FC2 http://rekisizatugaku.web.fc2.com/page020.html
  11. 三十六振目 日本刀が洪水を起こす - ふわっとした刀剣メモetc(一江左かさね) - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054882193931/episodes/1177354054887999255
  12. 長船町福岡 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%88%B9%E7%94%BA%E7%A6%8F%E5%B2%A1
  13. 備前長船 前編 - sogensyookuのブログ https://sogensyooku.hatenablog.com/entry/2020/06/22/221517
  14. 長船刀匠の霊を供養する備前・刀工菩提寺 ~瀬戸内市長船町~ | 地球の歩き方 https://www.arukikata.co.jp/tokuhain/245681/
  15. 備前刀工集団・長船派はどのようにして生まれたのか (2ページ目) - まっぷるウェブ https://articles.mapple.net/bk/13788/?pg=2
  16. 瀬戸内市の中世城館跡 https://www.seto-reki.or.jp/assets/site/files/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E5%B8%82%E3%81%AE%E4%B8%AD%E4%B8%96%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E8%B7%A1.pdf
  17. 【特集】備前福岡・岡山 軍師・黒田官兵衛の足跡を訪ねて | DISCOVER WEST ディスカバー・ウエスト:JRおでかけネット https://www.jr-odekake.net/navi/discoverwest/special/vol12/
  18. 資料館のかたな①備州長船勝光 https://toyotomi-kyodo-museum.note.jp/n/na0c93dbd8927
  19. 【岡山 9/23まで】国宝『山鳥毛』 – [Okayama -Sep. 23] National Treasure “Sanchōmō” https://yousakana.jp/sanchomo/
  20. 長船派 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%88%B9%E6%B4%BE
  21. 備前長船兼光(刀工) - 名刀幻想辞典 https://meitou.info/index.php/%E5%85%BC%E5%85%89
  22. 備前長船の刀工 https://www.n-p-s.net/st_osafune.html
  23. 備前長船兼光屋敷 http://oshiro-tabi-nikki.com/osafunekanemitu.htm
  24. 長船城 http://kojousi.sakura.ne.jp/kojousi.osafune.htm
  25. さらに刀剣を極めるなら!ひと足延ばして、備前長船のゆかりのスポットへ - ウォーカープラス https://www.walkerplus.com/article/216379/
  26. 岡山県瀬戸町 松田元成墓所 - 吉備の国探訪 https://www.kibi-guide.jp/top/matuda.htm
  27. 福岡合戦 - BIGLOBE https://www7a.biglobe.ne.jp/echigoya/ka/Fukuokakassen.html
  28. 三石城と浦上氏-福岡合戦から戦国時代の幕開けへ http://limestone.blue.coocan.jp/outdoor/iroiro/bizen/bizen2.htm
  29. e-Bizen Museum <戦国武将浦上氏ゆかりの城> - 備前市 https://www.city.bizen.okayama.jp/soshiki/33/558.html
  30. 松田氏の足跡をたどる2 https://www.yomimonoya.com/kaidou/okayama/matuda02.html
  31. 宇喜多秀家の歴史 - 戦国武将一覧/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/38338/
  32. 「瀬戸内市人物列伝 ~郷土の“偉人”とは?~」 https://www.k-digitalarchive.net/seto-city-lib/dbmanage/img/db/newsfile1_23197143849.pdf
  33. 長船城(城をやる) - FC2 http://shiroyaru.web.fc2.com/tanbo/okayama/osafune/osafune.html
  34. 長船貞親 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%88%B9%E8%B2%9E%E8%A6%AA
  35. 宇喜多直家 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%96%9C%E5%A4%9A%E7%9B%B4%E5%AE%B6
  36. 人物紹介(宇喜多家:長船貞親) | [PSP]戦極姫3~天下を切り裂く光と影~ オフィシャルWEBサイト https://www.ss-beta.co.jp/products/sengokuhime3_ps/char/ukita_osafune.html
  37. 日本刀販売 | 銀座長州屋 |銘 備前国住長船勝光作 天文五年二月吉日 (良業物), 1498 https://www.choshuya.co.jp/senrigan-1/%E9%8A%98%E3%80%80%E5%82%99%E5%89%8D%E5%9B%BD%E4%BD%8F%E9%95%B7%E8%88%B9%E5%8B%9D%E5%85%89%E4%BD%9C%E3%80%80%E5%A4%A9%E6%96%87%E4%BA%94%E5%B9%B4%E4%BA%8C%E6%9C%88%E5%90%89%E6%97%A5%E3%80%80(%E8%89%AF%E6%A5%AD%E7%89%A9)/1498
  38. 短刀 銘 備州長舩勝光 文明十二年二月日(棟)臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前 https://sanmei.com/contents/media/T2174_T5010_PUP.html
  39. テーマ展「注文打ち~武将のために作られた刀~」 - 岡山県庁 https://www.pref.okayama.jp/site/kenhaku/982612.html
  40. 刀剣の流派 五箇伝/ホームメイト https://www.meihaku.jp/sword-basic/gokaden/
  41. 備前伝 - 米子(西伯耆)・山陰の古代史 http://yonago-kodaisi.com/Toukou-Bizenden-1.html
  42. 古刀・新刀・新々刀・現代刀の違い/ホームメイト - 名古屋刀剣ワールド https://www.meihaku.jp/sword-basic/kotou-shintou-shinshintou-gendaitou/
  43. 備前 福岡城-城郭放浪記 https://www.hb.pei.jp/shiro/bizen/fukuoka-jyo/
  44. H職揮鮪0会 歴颯民僣暉費部繊 https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/05/fe778d5a892fb5bc0737628dc28713c7.pdf
  45. 兼光(長船) 屋敷(城) - 城塞史跡協会ホームページ https://forts-castles.sakura.ne.jp/20190706/kanemitu.html
  46. 備前 長船城-城郭放浪記 https://www.hb.pei.jp/shiro/bizen/osafune-jyo/
  47. 岡山県瀬戸内市長船町 長船の刀剣 - ふるさとおこしプロジェクト https://www.jr-furusato.jp/setouchi-takumi-colors/setouchi-takumi-colors_detail_2/
  48. 長船紀伊守屋敷 http://oshiro-tabi-nikki.com/osafunekii.htm
  49. 日本刀の聖地「備前長船」を訪ね、匠の技に触れる半日コース - 岡山観光WEB https://www.okayama-kanko.jp/course/16194
  50. 備前長船刀剣発祥之地① https://840.gnpp.jp/bizen-osafunetoken1/
  51. ゲームやアニメ効果で続く刀剣ブーム 日本刀に魅了され専門博物館で働く英国人男性の思い https://japan-forward.com/ja/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%84%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E3%81%A7%E7%B6%9A%E3%81%8F%E5%88%80%E5%89%A3%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%80%E3%81%AB/
  52. 国宝「太刀 無銘一文字(山鳥毛)」高精細VRコンテンツ開発 - DNP https://www.dnp.co.jp/biz/case/detail/20173173_4968.html