最終更新日 2025-06-04

浅野長重

浅野長重は戦国から江戸初期の武将。豊臣政権重臣・浅野長政の三男で、徳川幕府成立期を生き抜いた。赤穂浅野家初代当主の父。その生涯と事績を史料に基づき調査。
「浅野長重」の画像

日本の戦国時代における浅野長重の生涯と事績

序章:浅野長重とは

本報告書は、日本の戦国時代から江戸時代初期にかけて生きた武将、浅野長重(あさの ながしげ)の生涯、人物像、そして歴史における位置づけを、現存する史料に基づいて詳細かつ徹底的に調査し、明らかにすることを目的とする。浅野長重は、豊臣政権の重臣であった浅野長政の三男として生まれ、徳川幕府の成立という激動の時代を生き抜いた人物である。特に、後に「忠臣蔵」で知られる赤穂浅野家の初代当主・浅野長直の父であり、その家系の祖として、後世に大きな影響を与えた点において、その重要性は看過できない。本報告書では、長重の出自から、豊臣政権下での動向、徳川幕府への出仕、藩主としての治績、家族関係、そして死に至るまでを多角的に検証し、その実像に迫る。

第一部:浅野長重の生涯

第一章:出自と家系

生誕と家柄

浅野長重は、天正16年(1588年)に近江国で誕生した 1 。父は豊臣政権下で五奉行の一人に数えられた浅野弾正少弼長政(あさの だんじょうしょうひつ ながまさ)、母は長政の正室である長生院(ちょうせいいん)(やや、浅野長勝(ながかつ)の娘)である 1 。浅野宗家は、清和源氏の流れを汲む土岐氏の庶流であり、美濃国土岐郡浅野村に住したことから浅野氏を称したとされる名門の家柄であった 4

長重の父・長政は、豊臣秀吉の正室・高台院(こうだいいん)(ねね、おね)の養父・浅野長勝の婿養子であり、秀吉とは義理の兄弟という極めて近しい関係にあった 3 。この血筋と縁故は、長重の生涯、特にその初期のキャリア形成において、少なからず影響を与えたと考えられる。

幼名と名乗り

長重の幼名は又一郎(またいちろう)と伝えられている 1 。初めは長則(ながのり)と名乗り、後に長重と改名した 1 。通称は長兵衛(ちょうべえ)であった 1 。これらの名前の変遷は、当時の武士の慣習に則ったものであり、元服や主君からの偏諱(へんき)(名前の一字を与えられること)などが契機となった可能性が考えられるが、具体的な経緯を伝える史料は現時点では確認されていない。

浅野宗家における位置づけと父・浅野長政

浅野長重は、浅野長政の三男として生を受けた 1 。長兄に浅野幸長(よしなが)(後の紀州藩主)、次兄に浅野長晟(ながあきら)(後の広島藩主)がいた 1 。当時の武家社会では、家督は長男が継承するのが一般的であり、三男であった長重は、新たに分家を興すか、あるいは他の大名家に仕官する道を歩むことが予想された。彼の生涯は、この時代の武家の家督相続と分家形成の一つの典型例として捉えることができる。

兄弟姉妹とその関係

長重には、前述の幸長、長晟という二人の兄のほか、姉妹がいたことが記録されている。主な姉妹としては、杉原長房(すぎはら ながふさ)の妻、堀親良(ほり ちかよし)の妻、松平定綱(まつだいら さだつな)の妻などが挙げられる 8 。これらの婚姻関係は、浅野家の勢力拡大や他の大名家との連携において、戦略的に重要な役割を果たしたと考えられる。特に、次兄の長晟が後に安芸広島藩42万石の大封を得たことは、長重の系統である赤穂浅野家の将来にとっても、間接的ながら影響力を持つことになった。

第二章:豊臣政権下から徳川政権へ

宇都宮氏養子問題の経緯

浅野長重の少年期における特筆すべき出来事の一つに、下野国(現在の栃木県)の大名であった宇都宮国綱(うつのみや くにつな)への養子縁組問題がある。これは豊臣秀吉の意向によるもので、当時嗣子のいなかった国綱の後継者として長重を送り込もうとする計画であった 2 。文禄2年(1593年)5月、国綱は一度この養子縁組を了承したものの、国綱の弟である芳賀高武(はが たかたけ)ら家中の有力者の強い反対に遭い、この計画は最終的に中止に至った 2

この養子縁組の背景には、豊臣政権による全国の有力大名家への影響力拡大政策があったと考えられる。浅野家が秀吉と深い縁戚関係にあったことから、その一族である長重が、宇都宮家という関東の名門大名家への介入の駒として選ばれたのであろう。この養子話が不成立に終わったことは、長重のその後の人生航路に一つの転機をもたらし、結果的に徳川家への出仕へと繋がる遠因となった可能性が指摘できる。

徳川家への出仕と関ヶ原の戦い

豊臣秀吉の死後、日本の政治情勢は大きく変動し、徳川家康がその実権を掌握していく。慶長4年(1599年)、浅野長重は家康の命令により江戸へ移り住むこととなった 2 。これは、豊臣恩顧の大名の子弟が、人質もしくは近習として徳川家に差し出される当時の慣例に沿ったものであった。翌慶長5年(1600年)1月からは、家康の三男である徳川秀忠(後の二代将軍)の小姓として仕えることになる 2 。秀忠の近習となったことは、長重が後の徳川幕府において立身出世を遂げるための重要な基盤を築くことになった。

同年、天下分け目の戦いと称される関ヶ原の戦いが勃発する。長重は秀忠に従って会津征伐へ出陣することを希望したが、当時15歳に満たない若年であったため、江戸へ戻され、江戸城の留守居役を務めることとなった 2 。直接的な戦闘参加は叶わなかったものの、この留守居役は東軍への協力姿勢を示すものであり、戦後の論功行賞に繋がることになる。

第三章:江戸幕府初期における活動

表1:浅野長重 略年譜

年代

西暦

主な出来事

出典

天正16年

1588年

近江国にて誕生

1

慶長4年

1599年

徳川家康の命により江戸へ移る

2

慶長5年

1600年

徳川秀忠の小姓となる。関ヶ原の戦いでは江戸城留守居

2

慶長6年

1601年

下野国真岡藩主(2万石)となる

2

慶長7年

1602年

松平家清の娘(家康養女)と結婚

1

慶長10年

1605年

秀忠の将軍宣下のための上洛に供奉

2

慶長16年

1611年

父・長政死去に伴い、常陸国真壁藩主(5万石)となる

3

慶長18年

1613年

兄・幸長死去。家督相続問題起こる

2

慶長19年

1614年

大坂冬の陣に参陣

2

元和元年(慶長20年)

1615年

大坂夏の陣に参陣(天王寺・岡山の戦い)

2

元和8年

1622年

常陸国笠間藩主(5万3500石)となる

2

寛永4年

1627年

陸奥国若松城在番

2

寛永6年

1629年

江戸城西丸普請

2

寛永9年

1632年

死去(享年45)

1

真岡藩主時代

関ヶ原の戦いにおける江戸城留守居の功績により、浅野長重は慶長6年(1601年)、宇都宮氏旧臣で西軍に与した芳賀高武の旧領であった下野国真岡(現在の栃木県真岡市)に2万石を与えられ、真岡藩を立藩した 2 。これは、長重が独立した大名としての第一歩を踏み出したことを意味する。

さらに慶長7年(1602年)には、徳川家康の養女(竹谷松平家当主・松平家清の娘)と結婚する 1 。この婚姻は、浅野家と徳川幕府との結びつきを一層強固なものにし、長重の幕府内における地位の安定に寄与したと考えられる。慶長10年(1605年)には、徳川秀忠の将軍宣下に伴う上洛に供奉しており、将軍家への忠勤に励んでいた様子がうかがえる 2

真壁藩主時代

慶長16年(1611年)、父である浅野長政が死去すると、長重は長政の隠居領であった常陸国真壁(現在の茨城県桜川市真壁町)5万石を相続した 2 。これに伴い、それまで領有していた真岡2万石は幕府に返上している。父の隠居領を子が相続することは当時の慣習として一般的であり、これにより長重は石高を大幅に増加させ、より大きな藩の藩主となった。

笠間藩主時代

元和8年(1622年)、下野国宇都宮藩主であった本多正純が改易されると、長重はその居城であった宇都宮城の収城使という重要な役目を務めた 2 。同年、幕府から加増の上での転封の内意が示されたが、長重は父・長政の菩提寺があり、自身も真壁藩主として統治した真壁の地の領有を強く望んだ 2 。この願いは幕府に認められ、結果として真壁の所領を含む形で常陸国笠間(現在の茨城県笠間市)へ5万3500石で移封され、笠間藩の初代藩主となった 2 。この逸話は、長重が単に石高の増加や領地の広さを求めるだけでなく、父祖の地や菩提寺といった精神的な価値を重んじる人物であったことを示唆しており、彼の孝行心や故郷への愛着を物語るものとして知られている。笠間藩においては、検地を実施した記録が残されている 20

大坂の陣への参陣

豊臣家と徳川家の最終決戦となった大坂の陣において、浅野長重は徳川方として参陣している。

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、酒井忠世の指揮下に属して従軍し、鴫野(しぎの)の戦いでは本多忠朝(ほんだ ただとも)軍の援護にあたった 7

翌年の元和元年(1615年)の大坂夏の陣では、最終決戦となった天王寺・岡山の戦いにおいて、本多忠朝と共に先鋒を命じられた 7 。この戦いで浅野勢は、豊臣方の毛利勝永(もうり かつなが)らの猛烈な攻撃を受け、一時は敗走を余儀なくされたが、徳川軍が反撃に転じると長重軍も奮戦し、最終的に首級60を挙げたと伝えられている 7

一方で、この戦いにおける浅野家の状況について、「主家を裏切り士気の上がらない浅野家は家臣30人・雑兵100人余りを失い敗走した」という記述も存在する 2 。この「主家を裏切り」という表現は、浅野家が元々豊臣恩顧の大名であったにもかかわらず、徳川方として豊臣家と敵対したことを指していると考えられる。長重自身は早くから徳川秀忠に仕えていたものの、家臣団の中には豊臣家への旧恩を感じる者もいた可能性があり、それが士気に影響したという解釈も成り立つ。ただし、これはあくまで一史料の記述であり、戦況の混乱や記録者の視点の違いによる可能性も考慮する必要がある。初期の苦戦と敗走は事実であったかもしれないが、その後の立て直しと一定の戦果も記録されているため、一方的な評価は慎重であるべきである。

この大坂夏の陣における浅野長重の家臣の戦功を具体的に示す史料として、「浅野采女正長重家臣大坂合戦場首帳」がたつの市立龍野歴史文化資料館に寄託されている若狭野浅野家資料の中に現存している 19 。この史料には、慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣で、長重の家臣が討ち取った敵の首63(討ち取った人数は61人)の内訳が記録されており、討ち取った際の状況、使用した武器、そして戦場でその戦功を目撃した証人などが詳細に記されている。これは、浅野軍の具体的な戦闘行動と戦果を示す貴重な一次史料と言える。

また、この天王寺・岡山の戦いでは、長重の家臣である大石良勝(おおいし よしかつ)(後の赤穂事件で有名な大石内蔵助良雄(くらのすけ よしお)の曽祖父にあたる)が戦功を挙げ、この功績により1500石を拝領し、浅野家の筆頭家老となった 2 。この事実は、後の赤穂浅野家における大石家の立場を理解する上で重要な伏線となる。

その他の役職

笠間藩主としての務めの傍ら、浅野長重は幕府からの公務も忠実にこなしていた。寛永4年(1627年)には、陸奥国会津若松城(現在の福島県会津若松市)の在番(城の守備)を命じられている 2 。さらに、寛永6年(1629年)には江戸城西の丸の普請(建設・修繕工事)にも携わった 2 。これらの役職は、長重が幕府から一定の信頼を得ていたこと、そして大名としての責務を滞りなく果たしていたことを示している。

表2:浅野長重 藩主歴一覧

藩名

在任期間

石高

主な出来事

出典

下野真岡藩

慶長6年~慶長16年 (1601-1611)

2万石

立藩、松平家清の娘(家康養女)との結婚

2

常陸真壁藩

慶長16年~元和8年 (1611-1622)

5万石

父・長政の隠居領相続

3

常陸笠間藩

元和8年~寛永9年 (1622-1632)

5万3500石

真壁領有の願い、宇都宮城収城使、大坂の陣参陣(藩主として)、若松城在番、江戸城西丸普請

2

第二部:浅野長重の人物像と治績

第一章:人物像と逸話

浅野長重の人となりを伝える史料は断片的ではあるが、いくつかの逸話や行動からその人物像の一端をうかがい知ることができる。

性格・能力に関する考察

  • 父の菩提寺と真壁領有の願い : 前述の通り、元和8年(1622年)に幕府から加増転封の内意を受けた際、長重は父・浅野長政の菩提寺がある真壁の地の領有を強く望み、これが認められたという逸話は、彼の性格を考察する上で非常に示唆的である 2 。単に石高の増加や領地の広さを求める一般的な武将像とは異なり、父祖への孝行心や、かつて自らが統治した土地への愛着といった情誼に厚い一面を持っていたことがうかがえる。この行動は、彼が単なる武断派の武将ではなく、精神的な価値観を重んじる人物であった可能性を示唆しており、家臣や領民からの信頼を得る上でも重要な要素であったかもしれない。
  • 兄・幸長の死後の家督相続問題 : 慶長18年(1613年)、長兄である浅野幸長が男子なくして死去した際、浅野家内部で家督相続問題が生じた。この時、重臣の一人である浅野氏重(史料によっては浅野良重とも 7 )は、徳川家との関係が深い長重を後継者として強く推した 2 。しかし、幸長の遺言や、父・長政の正室である長生院の周旋などもあり、最終的には次兄の浅野長晟が紀州藩主の地位を継承することとなった。この相続問題は、当時の浅野家内部における力関係や、徳川幕府との複雑な関係性を浮き彫りにするものである。長重が一部の重臣から後継者として支持された背景には、彼の能力や幕府との太いパイプに対する期待があったと考えられる。結果として長晟が家督を継いだものの、長重も有力な候補者の一人であったという事実は、彼が当時、一定の評価と影響力を持っていたことの証左と言えよう。
  • 武勇と統率力 : 大坂の陣における戦いぶりは、彼の武将としての側面を示している。特に夏の陣の天王寺・岡山の戦いでは、毛利勝永勢の猛攻により一時敗走を喫しながらも、その後軍を立て直して奮戦し、首級60を挙げるという戦果を記録している 7 。このことは、困難な状況下においても冷静さを失わず、軍を統率する能力を有していたことを示唆する。また、この戦いで家臣の大石良勝が戦功を挙げたことも、長重の指揮下における家臣団の奮闘を示すものと言える 2
  • 政治的手腕 : 長重は下野国真岡藩、常陸国真壁藩、そして常陸国笠間藩と、三つの藩で藩主を歴任した。これに加えて、陸奥国若松城の在番や江戸城西丸の普請といった幕府の重要な公務も遂行しており、これらの事績は、彼が武勇だけでなく、統治や実務に関わる一定の政治的手腕も有していたことを推測させる 2

同時代の武将との交流

現存する史料からは、浅野長重が同時代の他の武将や文化人とどのような交流を持っていたかの全貌を把握することは難しい。しかし、断片的ながらその一端を垣間見ることができる。

例えば、織田信長の弟であり、茶人としても高名な織田有楽斎(おだ うらくさい)(有楽)と書状のやり取りがあったことが確認されている 27 。その内容は、有楽斎が長重に対し、約束通り翌朝に自身の許を訪れるよう促し、その際に徳斎(とくさい、有楽斎の茶頭であった可能性が考えられる人物)を同伴するよう依頼するものである。この書状からは、両者が茶会などを通じた文化的な交流を持っていた可能性が示唆される。戦国時代から江戸初期にかけての武将が、武芸だけでなく茶道や和歌といった文化活動に親しむことは一般的であり、長重もそうした教養を身につけていた人物であったかもしれない。

第二章:藩主としての治績

浅野長重は、真岡藩、真壁藩、笠間藩と三つの藩で藩主を務めたが、それぞれの藩における具体的な藩政や治績に関する詳細な記録は、現存する史料の中では限定的である 2 。しかし、断片的な情報からその活動の一端をうかがうことができる。

真壁藩における統治

慶長16年(1611年)、父・浅野長政の隠居領を継承する形で、長重は常陸国真壁藩の藩主となった。真壁においては、それまでの真壁城を廃し、新たに陣屋を設けて藩庁としたと伝えられている 16 。この陣屋を中心として陣屋町としての整備が進められ、現在の真壁の町割りの基礎がこの時期に築かれたとされる 16 。これは、長重が都市計画や領地経営といった側面においても一定の能力を発揮していたことを示唆している。

笠間藩における統治

元和8年(1622年)、浅野長重は常陸国笠間藩へ移封となった。笠間藩における具体的な治績としては、領内の検地を実施した記録が一部残されている 20 。検地の実施は、藩の財政基盤を確立し、安定した統治を行う上で不可欠な政策であり、長重が藩政の基礎固めに着手していたことを示している。また、笠間においては、亡くなった妻(松平家清の娘)の菩提を弔うために盛岸院(じょうがんいん)を建立したと伝えられている 20 。これは、彼の信仰心や家族を思う情の深さを示すものと言えよう。

しかしながら、これらの断片的な情報を除けば、長重が各藩でどのような具体的な政策を打ち出し、領民とどのように関わり、どのような評価を得ていたのかを詳細に知ることは、現存史料の制約から困難である。

第三部:家族と子孫

表4:浅野長重 近親者一覧

続柄

氏名

備考

出典

浅野長政 (あさの ながまさ)

豊臣政権五奉行

1

長生院 (ちょうせいいん)(やや、浅野長勝の娘)

1

長兄

浅野幸長 (あさの よしなが)

紀州藩主

1

次兄

浅野長晟 (あさの ながあきら)

広島藩主

1

正室

松平家清の娘 (まつだいらいえきよのむすめ)

徳川家康養女、名前不詳

1

長男

浅野長直 (あさの なおなお)

播磨赤穂藩初代藩主

1

長女(推定)

浅野長治 (あさの ながはる)(三次藩主)正室

1

次女(推定)

桜井松平忠氏室 (さくらいまつだいらただうじしつ)

嫁ぎ先の桜井松平忠氏の詳細は不明瞭、「忠武」との表記も見られる 1

1

第一章:正室と子女

正室・松平家清の娘

浅野長重の正室は、慶長7年(1602年)に徳川家康の養女として嫁いだ女性である 1 。彼女の実父は三河国竹谷松平家の当主・松平家清(まつだいら いえきよ)であり、実母は家康の異父妹にあたる天桂院(てんけいいん)(高瀬君(たかせぎみ))であった 40 。従って、長重の正室は家康の姪にあたる。

史料からは、この正室の具体的な名前を特定することは難しいが、一部の記録では彼女の母である天桂院が「於きんの方」と呼ばれていたことが記されている 40 。しかし、正室自身の名前や、彼女個人の墓所、あるいは夫・長重の菩提寺である伝正寺や花岳寺との具体的な関連を示す直接的な情報は、提供された史料の中には見当たらない 2 。この婚姻は、浅野家と徳川家の結びつきを強化するための政略結婚としての側面が強かったと考えられ、家康の養女という立場は、長重の幕府内における地位を安定させる上で有利に働いたであろう。

長男・浅野長直

浅野長直(あさの なおなお)は、長重の嫡男として生まれた 1 。父・長重の死後、その家督を継いで笠間藩主となり、後に播磨国赤穂(現在の兵庫県赤穂市)へ移封され、赤穂浅野家の初代藩主となった。長直の赤穂への移封が、長重の血筋を赤穂の地で繋いでいくことになる。

その他の子女

長重には、長男・長直の他にも子女がいたことが記録されている。

  • 娘(浅野長治正室) : 長女(推定)は、長重の次兄である広島藩初代藩主・浅野長晟の庶長子であり、備後国三次(現在の広島県三次市)を領した三次藩初代藩主・浅野長治(あさの ながはる)の正室となった 1 。これは浅野家一門の結束を強化するための婚姻であったと考えられる。
  • 娘(桜井松平忠氏室) : もう一人の娘(次女と推定)は、桜井松平忠氏(さくらい まつだいら ただうじ)に嫁いだ 1 。史料には「忠氏」という名前で複数回登場するが、桜井松平家の詳細な系図 46 には該当する人物を明確に特定することが難しく、一部史料では「忠武」(ただたけ)という表記も見られる 1 。この婚姻もまた、徳川譜代の有力な家との関係を構築する一環であった可能性が高い。
  • 鶴姫(大石良重室)について : 史料 47 には、浅野長直の生母不明の子女として「鶴姫 - 大石良重室」との記載があるが、これは長重の娘ではなく孫娘にあたるため、本項では詳述しない。

第二章:赤穂浅野家の祖として

浅野長重自身は播磨国赤穂藩の藩主となることはなかったが、その長男である浅野長直が赤穂藩の初代藩主となったことから、長重は赤穂浅野家の実質的な祖と位置づけられる 3 。この家系が、後に「忠臣蔵」として広く知られる元禄赤穂事件の中心人物である浅野長矩(あさの ながのり)(内匠頭(たくみのかみ))へと繋がっていくため、長重の存在は赤穂事件を理解する上での重要な起点となる。

浅野長重から浅野長矩に至る系譜

  1. 浅野長重 (1588年~1632年) - 赤穂浅野家初代(実質的な祖)
  2. 浅野長直 (1610年~1672年) - 長重の長男。常陸国笠間藩主を経て、播磨国赤穂藩初代藩主となる。
  3. 浅野長友 (1643年~1675年) - 長直の長男。播磨国赤穂藩2代藩主。
  4. 浅野長矩 (1667年~1701年) - 長友の長男。播磨国赤穂藩3代藩主。「浅野内匠頭」として知られる。 3

その後の赤穂浅野家の動向と断絶

浅野長矩が江戸城内で吉良上野介(きら こうずけのすけ)に刃傷に及んだ元禄赤穂事件により、赤穂浅野家は改易となった。その後、長矩の弟である浅野長広(あさの ながひろ)(大学(だいがく))が、宝永7年(1710年)に500石の旗本として浅野家の家名を再興した 3 。しかし、この旗本浅野家も代を重ね、昭和61年(1986年)に浅野長楽(あさの ながよし)が嗣子なく死去したことにより、その血筋は断絶した 3 。大名家の成立から改易、そして旗本としての再興と最終的な断絶という流れは、江戸時代の武家社会における家の盛衰の一つの様相を示している。

表3:赤穂浅野家略系図(浅野長重から浅野長矩まで)

Mermaidによる血縁関係図

graph LR A[浅野長政] --> B(浅野長重); B --> C(浅野長直); C --> D(浅野長友); D --> E(浅野長矩 内匠頭); D --> F(浅野長広 大学);

この系図は、赤穂事件の中心人物である浅野長矩と、本報告書の主題である浅野長重との血縁関係を視覚的に明確にし、両者の歴史的な繋がりを理解する一助となる。

第四部:晩年、死、そして後世への影響

第一章:晩年の動向と死

寛永年間の活動

笠間藩主としての浅野長重は、藩政に務める傍ら、幕府からの公務も忠実にこなしていた。寛永4年(1627年)には陸奥国会津若松城の在番を命じられ、城の守備という重要な任務を果たした 2 。また、寛永6年(1629年)には江戸城西の丸の普請にも携わっており、幕府のインフラ整備にも貢献していたことがわかる 2 。これらの活動は、長重が幕府から一定の信頼を得て、大名としての責務を全うしていたことを示している。

死因に関する記録と考察

浅野長重は、寛永9年(1632年)9月3日に45歳でその生涯を閉じた 1 。しかし、現存する史料には、彼の具体的な死因、例えば病名などに関する記録は見当たらない 2 。当時の平均寿命や医療水準を考慮すると、何らかの病により亡くなった可能性が高いと推測されるが、その詳細は不明である。

第二章:墓所と菩提寺

浅野長重の墓所は、茨城県と兵庫県の二箇所に存在することが確認されている。

伝正寺(茨城県桜川市真壁町桜井)

浅野長重は、その父である浅野長政と共に、常陸国真壁の伝正寺(でんしょうじ)に葬られている 1 。伝正寺は、鎌倉時代に法身国師(ほっしんこくし)により開山されたと伝えられる古刹である。浅野家との縁は、長重の父・長政が関ヶ原の戦いの後、隠居料として真壁5万石を拝領したことに始まる 60 。長重が笠間への加増転封の内意を受けた際に、真壁の領有を強く望んだ理由の一つとして、父・長政の菩提寺(あるいは墓所)がこの地にあったことが挙げられており 7 、この伝正寺がその場所であったと考えられる。したがって、長重の遺体は、父と同じこの伝正寺に埋葬されたと考えるのが自然であろう 57 。父と同じ場所に葬られたという事実は、長重の父への孝心と、真壁の地への深い愛着を改めて示している。

花岳寺(兵庫県赤穂市加里屋)

もう一つの墓所は、播磨国赤穂(現在の兵庫県赤穂市加里屋)にある花岳寺(かがくじ)である 1 。花岳寺は、長重の長男である浅野長直が、父・長重の死後、赤穂藩に移封された後の正保2年(1645年)に、父の菩提を弔うために建立した寺院である 57 。寺号である「花岳寺」は、長重の戒名「華岳院殿鋳山道牛大居士(かがくいんでんちゅうざんどうぎゅうだいこじ)」に由来している 1 。花岳寺の境内には浅野長重の墓碑(廟)が存在するが 57 、これは遺骨を伴わない供養塔、あるいは分骨されたものである可能性が高いと考えられる 57 。花岳寺はその後、赤穂浅野家の菩提寺として、長重以降の歴代藩主や、元禄赤穂事件で命を落とした赤穂義士たちの慰霊の中心的な役割を担っていくことになった。

振姫との関連について

一部史料 7 で、伝正寺が振姫(ふりひめ)によって建立されたとの記述が見られるが、振姫は浅野長重の次兄である広島藩主・浅野長晟の正室であり、徳川家康の三女である 8 。浅野長重の正室は前述の通り松平家清の娘であり、振姫と長重の墓所との直接的な関連は薄いと考えられる。この記述は、長重の兄・長晟とその正室・振姫に関する情報との混同である可能性が高い。本報告書では、長重の正室(松平家清の娘)と墓所の関連に焦点を当てるが、史料上、彼女が墓所の建立に直接関与したという記録は見当たらない。

第三章:関連史跡と文化財

浅野長重に関連する史跡や文化財は、彼の生涯や活動を今日に伝える上で貴重なものである。

肖像画

浅野長重の姿を伝えるものとして、兵庫県赤穂市の花岳寺に「浅野長重像」と伝えられる肖像画が所蔵されている 1 。この肖像画は、長重の風貌を今に伝える唯一のものとして重要である。

書状

長重自身が記した、あるいは彼に宛てられた書状もいくつか現存している。

  • 山田家文書(広島県立文書館所蔵) : 浅野長重が家臣であった山田監物(やまだ けんもつ)(重次(しげつぐ))に宛てた元和9年(1623年)8月8日付の書状が残されている 32 。その内容は、山田監物からの遠路の見舞いの書状と干鯛30枚が届いたことに対する感謝を述べたものであり、特に迅速な心遣いに対して大変喜んでいる旨が記されている。この書状は、当時の主君と家臣の間の具体的なやり取りや贈答文化、そして両者の人間関係を垣間見ることができる貴重な史料である。
  • 織田有楽斎書状(刀剣ワールド財団所蔵) : 織田信長の弟であり、高名な茶人でもあった織田有楽斎が浅野長重に宛てた書状も存在する 27 。内容は、約束通り翌朝に自身の許を訪れるよう促し、その際に徳斎という人物(有楽斎の茶頭であった可能性が考えられる)を同伴するよう依頼するものである。この書状は、長重が有楽斎のような文化人と交流があったことを示唆しており、彼の文化的な側面をうかがわせる。

武具・ゆかりの品

  • 「浅野采女正長重家臣大坂合戦場首帳」(たつの市立龍野歴史文化資料館寄託・若狭野浅野家資料) : 前述の通り、大坂夏の陣における長重の家臣たちの戦功を詳細に記録したものであり、一次史料として極めて重要である 19 。当時の戦闘の具体的な様子や、戦功評価の実態を知る上で欠かせない。
  • 徳島市立徳島城博物館には、過去の展示において「浅野長重所用三所」とされる武具が公開された記録がある 83

その他、府中市郷土の森博物館 84 や一宮市博物館 85 など、浅野家に関連する資料を所蔵する博物館は各地に存在するが、浅野長重個人に直接関連する武具や品が具体的にどれだけ現存しているかについては、さらなる詳細な調査が必要である 45

史跡

  • 真壁陣屋跡(茨城県桜川市真壁町) : 浅野長重が常陸国真壁藩主であった時代に、藩庁として機能した陣屋の跡地である 16 。発掘調査により堀や水路などの遺構が確認されており、近世真壁の成立を知る上で重要な史跡となっている。
  • 笠間城跡(茨城県笠間市) : 長重が常陸国笠間藩主であった時代の居城跡である 19 。この地には、後に赤穂事件で活躍する大石内蔵助の父・大石良欽の屋敷跡も残ると伝えられている 100

これらの史跡や文化財は、浅野長重という人物を多角的に理解し、彼が生きた時代を考察する上で、欠くことのできない手がかりを提供している。

結論:浅野長重の歴史的意義

浅野長重は、豊臣政権から徳川幕府へと移行する激動の時代を生きた武将であり、その生涯は当時の武家社会のあり方を映し出している。名門浅野家に生まれ、豊臣家との縁故を持ちながらも、早くから徳川家に仕え、関ヶ原の戦いを経て江戸幕府の成立に貢献した。真岡藩、真壁藩、笠間藩と三つの藩の藩主を歴任し、大坂の陣では徳川方として戦功を挙げ、幕府の要職も務めるなど、外様大名として着実にその地位を築き上げた。

彼の人物像は、父祖の地や菩提寺を重んじる孝行心や情誼に厚い一面と、武将としての武勇や統率力、そして藩主としての政治的手腕を併せ持っていたと推察される。特に、加増転封の内意に対して父の菩提寺がある真壁の領有を願い出た逸話は、彼の人間性を象徴するものとして記憶されるべきであろう。

浅野長重の最も大きな歴史的意義は、何と言っても「忠臣蔵」で知られる赤穂浅野家の祖であるという点に集約される。彼自身は赤穂の地を踏むことはなかったが、その長男・長直が赤穂藩初代藩主となったことで、長重の血脈は赤穂へと受け継がれ、数代を経て浅野内匠頭長矩の悲劇へと繋がっていく。長重の生涯や彼が築いた家は、元禄赤穂事件という日本史上名高い出来事の遠因、あるいは背景を形成したと言える。

彼の選択や行動は、浅野家という一つの武家の盛衰だけでなく、豊臣から徳川へという時代の大きな転換期における武士の生き方、主従関係のあり方、そして家の存続という普遍的なテーマを我々に問いかけている。断片的な史料からその全貌を明らかにすることは容易ではないが、浅野長重という人物を深く掘り下げることは、日本の近世初期の歴史を理解する上で不可欠な作業と言えるだろう。

補遺:主要参考文献及び史料一覧

本報告書の作成にあたり、以下の主要な史料及び参考文献を参照した。

  • 一次史料・編纂史料
  • 『寛政重修諸家譜』:江戸幕府が編纂した大名・旗本の系譜集。浅野氏の巻には、長重の経歴、家族、官位などが記載されていると推測されるが、詳細な内容については国立国会図書館デジタルコレクション等での直接的な確認が必要である 51 。国民図書株式会社から刊行された翻刻版の第3輯に関連記述が存在する可能性がある 109
  • 『山田家文書』(広島県立文書館所蔵):浅野長重が家臣の山田監物(重次)に宛てた書状が含まれる 32
  • 「浅野采女正長重家臣大坂合戦場首帳」(たつの市立龍野歴史文化資料館寄託・若狭野浅野家資料):大坂夏の陣における長重家臣の戦功記録 19
  • 織田有楽斎書状(刀剣ワールド財団所蔵):織田有楽斎から浅野長重に宛てられた書状 27
  • 『土芥寇讎記』:元禄期の大名評判記。浅野長矩(内匠頭)に関する評価は存在するが、浅野長重に関する直接的な記述は見当たらない 31
  • 新井白石著『藩翰譜』:諸大名の由来と事績を記した書物。浅野家に関する記述は巻七 上に見られるが、長重に関する具体的な内容は不明である 72
  • 地方史・市史
  • 『赤穂市史』 65
  • 『桜川市史』または桜川市発行の関連資料(歴史的風致維持向上計画など) 2
  • 『笠間市史』または笠間市発行の関連資料 19
  • 研究論文・報告書
  • 名古屋城調査研究センター研究紀要「『山下家覚書』から読み解く浅野家相続問題」 26
  • 史学研究集録「浅野長矩の処罰と戸田氏定」 131
  • 広島県立文書館紀要 38
  • その他、CiNii、J-STAGE、国立国会図書館サーチ等で検索された関連論文・資料 29 。ただし、浅野長重個人に焦点を当てた学術論文は限定的であった。
  • その他ウェブサイト・データベース
  • 各博物館・資料館のウェブサイト(たつの市立龍野歴史文化資料館、徳島市立徳島城博物館など)
  • 個人研究者や歴史愛好家のウェブサイト(「広島ぶらり散歩」、「郷土士の歴史探究」など)

これらの史料・文献は、浅野長重の生涯や彼が生きた時代背景を理解する上で重要な情報を提供しているが、依然として不明な点も多く、今後のさらなる研究が期待される。

引用文献

  1. 浅野长重- 维基百科,自由的百科全书 - Wikipedia https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E6%B7%BA%E9%87%8E%E9%95%B7%E9%87%8D
  2. 浅野長重 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E9%87%8D
  3. 浅野氏とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%B5%85%E9%87%8E%E6%B0%8F
  4. 浅野氏- 维基百科,自由的百科全书 https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E6%B7%BA%E9%87%8E%E6%B0%8F
  5. 淺野氏- 維基百科,自由的百科全書 https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%B7%BA%E9%87%8E%E6%B0%8F
  6. 浅野長政の肖像画、名言、年表、子孫を徹底紹介 - 戦国ガイド https://sengoku-g.net/men/view/141
  7. 浅野長重の紹介 - 大坂の陣絵巻へ https://tikugo.com/osaka/busho/asano/b-asano-sige.html
  8. 徳川秀忠の家臣 - 歴史の目的をめぐって https://rekimoku.xsrv.jp/2-zinbutu-20-tokugawa-hidetada-kashin.html
  9. 浅野長勝とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E5%8B%9D
  10. 「浅野氏一族の群像」浅野長重。 川村一彦 | 歴史の回想のブログ川村一彦 - 楽天ブログ https://plaza.rakuten.co.jp/rekisinokkaisou/diary/202405160003/
  11. 豊臣期関東における浅野長政 https://glim-re.repo.nii.ac.jp/record/1570/files/shigaku_49_18_32.pdf
  12. 宇都宮国綱 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%9B%BD%E7%B6%B1
  13. 孫に伝える小説忠臣蔵【002回】 関ヶ原の戦い前後の浅野家 http://chushingura.biz/shosetu/01/003.htm
  14. 浅野長重(あさの ながしげ)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E9%87%8D-1049627
  15. 浅野長政の歴史 /ホームメイト - 戦国武将一覧 - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/38337/
  16. www.city.sakuragawa.lg.jp https://www.city.sakuragawa.lg.jp/data/doc/1394591744_doc_296_0.pdf
  17. 浅野家歴代一覧 - 広島市立図書館 https://www.library.city.hiroshima.jp/news/docs/2019asanoshi_pamph_naka.pdf
  18. 笠間藩 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E9%96%93%E8%97%A9
  19. 赤穂浅野家資料/たつの市ホームページ https://www.city.tatsuno.lg.jp/soshiki/1041/gyomu/4/3/2433.html
  20. 茨城県内「続日本百名城」と社寺巡り その13:かさま歴史交流館 井筒屋 | JINさんの陽蜂農遠日記 https://plaza.rakuten.co.jp/hitoshisan/diary/202111120000/
  21. www.kyotofu-maibun.or.jp https://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu7/27miyoshi.pdf
  22. 桜川市歴史的風致維持向上計画(第2期) https://www.city.sakuragawa.lg.jp/data/doc/1614927419_doc_23_2.pdf
  23. 大石良雄屋敷 https://ss-yawa.sakura.ne.jp/menew/zenkoku/shiseki/kinki/ooishiyoshitaka.y/ooishiyoshitaka.y.html
  24. 大石良定 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E8%89%AF%E5%AE%9A
  25. 桜川市歴史的風致維持向上計画 https://www.city.sakuragawa.lg.jp/data/doc/1614927419_doc_23_0.pdf
  26. www.nagoyajo.city.nagoya.jp https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/center/uploads/6099bf8891441e027ffce1894dbcccc4.pdf
  27. 織田有楽 書状/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/search-calligraphy/art0019020/
  28. 浅野長重とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E9%87%8D
  29. 展示パネル(浅野家歴代藩主紹介) ~初代長政から最後の藩主長勲まで~ - 広島市立図書館 https://www.library.city.hiroshima.jp/hiroshima/asano/asano400/images/2019asanoshi_panel_rekidai.pdf
  30. 真壁陣屋 http://tanbou25.stars.ne.jp/makabejinya.htm
  31. 浅野長矩 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E7%9F%A9
  32. www.pref.hiroshima.lg.jp https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/198810-yamada.pdf
  33. 歴史館だより No.110 - 茨城県立歴史館 https://rekishikan-ibk.jp/cms/wp-content/uploads/2022/03/notice110.pdf
  34. 兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako- -赤穂城跡、赤穂の歴史民俗、文化財 http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/column/rekishi.html
  35. 浅野長政の武将年表/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/62088/
  36. 藩 政 成 立 期 に お け る 藩 主 の「鵜 鷹 逍遥」的行為の政治文化史的意義 - 高松大学・高松短期大学 https://www.takamatsu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/12/58-59_2_001-077_mizobuchi.pdf
  37. 徳川将軍中心の贈物伝統 1 この論文は筆者が二十五年位前に書き始めて完成しなかったもので https://repository.upenn.edu/bitstreams/5e1349f4-78da-40de-a967-2a367d8f84a6/download
  38. 広島県立文書館紀要 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/kiyo/kiyo_08.pdf
  39. 常陸国下館藩家老牧家資料目録 - 学校法人学習院 https://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/publication/pdf/index_pdf_catalog_23.pdf
  40. 郷土士の歴史探究記事 その51 http://kyoudosi.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-7fb022.html
  41. 史跡東京港区 - 月虹神殿~会津・庄内藩~ http://seuru.pupu.jp/sisekitokyominatoku.html
  42. 大石りく | 大石内蔵助の妻と大石主税など子孫の記録 https://akoinfo.com/akogisi/gisikojin/rdrct/ohoisiriku.html
  43. 安芸浅野家供養塔 https://gururinkansai.com/akiasanokekuyoto.html
  44. 徳川家康公の三女で広島藩主浅野長晟公の正室であった振姫について調べている。生没年,人となり,お墓の現... | レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000310693&page=ref_view
  45. 忠臣蔵館 | ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館 https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/kikaku/chushingura/
  46. 桜井松平家 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%B6
  47. 浅野長直 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E7%9B%B4
  48. 5agc 広島浅野・赤穂浅野関係について - 広島ぶらり散歩 http://masuda901.web.fc2.com/page5agc.html
  49. 浅野内匠頭長矩 | その生涯と赤穂藩浅野家の一部始終 - 忠臣蔵のふるさと赤穂においでよ https://akoinfo.com/akogisi/asanotosiro/asanoke.html
  50. 家康暗殺計画」で表舞台から姿を消した、浅野長政の生涯|豊臣政権下で頭角を現した“五奉行”の一人【日本史人物伝】 | サライ.jp https://serai.jp/hobby/1158217
  51. 浅野幸長 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E5%B9%B8%E9%95%B7
  52. 五奉行筆頭の跡取り息子ー浅野幸長とその死因 - 秦野北クリニック https://hadanokitaurology.jp/blog/%E4%BA%94%E5%A5%89%E8%A1%8C%E7%AD%86%E9%A0%AD%E3%81%AE%E8%B7%A1%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%83%BC%E6%B5%85%E9%87%8E%E5%B9%B8%E9%95%B7%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%BB%E5%9B%A0
  53. 赤穂事件関係年譜 №2 http://www.age.ne.jp/x/satomako/nenpu2.htm
  54. 広島城の歴代城主 https://hiroshimacastle.jp/history/lord-of-castle/
  55. 04ca2 広島ゆかりの人たち(明治以前の人物) http://masuda901.web.fc2.com/page04cax2.html
  56. 國學院大學図書館所蔵『浅野家伝記』について https://k-rain.repo.nii.ac.jp/record/2000646/files/koshigakujyutsu_006_008.pdf
  57. 播磨赤穂 豊臣政権の五奉行筆頭の長政を祖父とし笠間より転封の浅野長直が父長重の菩提を弔うため創建の浅野家三代の菩提寺『花岳寺』散歩 - フォートラベル https://4travel.jp/travelogue/10968933
  58. 浅野長政 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E6%94%BF
  59. 真壁 - Kenichi Yamagishi's Web Site http://classic.music.coocan.jp/_treasures/02kanto-tohoku/makabe/index.htm
  60. 伝正寺 (桜川市) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E6%AD%A3%E5%AF%BA_(%E6%A1%9C%E5%B7%9D%E5%B8%82)
  61. 地域の歴史秘話を求めて~日本全国探訪記~ - FC2 http://miyaketomoya.blog.fc2.com/?pc
  62. 0478 古河公方足利成氏館跡 0480 小堤城跡 https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/52/52702/131674_8_%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%B8%AD%E4%B8%96%E5%9F%8E%E9%A4%A8.pdf
  63. 真壁の町並み | 桜川市観光協会公式ホームページ http://www.kankou-sakuragawa.jp/sp/page/page000141.html
  64. 勝瑞城シンポジウム~戦国期・武家の館 https://syugomati-syouzui.sakuraweb.com/pdf/h27sinpo.pdf
  65. 花岳寺 - 赤穂観光協会 https://ako-kankou.jp/sightseeing/kagakuji.html
  66. ひょうごさんぽ 赤穂へ① 浅野家と赤穂義士ゆかりのお寺 花岳寺~息つぎの井戸へ~赤穂市立歴史博物館へ。 - フォートラベル https://4travel.jp/travelogue/11771436
  67. 花岳寺 - 赤穂市 https://www.city.ako.lg.jp/kensetsu/kankou/shisetsu/kanko/hanadakedera.html
  68. 泉岳寺②(赤穂浪士引き揚げルート25 - 気ままに江戸 散歩・味・読書の記録 https://wheatbaku.exblog.jp/18989747/
  69. 花岳寺 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B2%B3%E5%AF%BA
  70. 新西国第三十一番 花岳寺 http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku31.html
  71. 07hb03 (台雲山)花岳寺 - 広島ぶらり散歩 - FC2 http://masuda901.web.fc2.com/page07hbx03.html
  72. 赤穂事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
  73. 赤穂花岳寺(華嶽寺)の絵図 - まほろば http://mahoroba3.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-b0e30c.html
  74. 名所めぐり:花岳寺 | 兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会 https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/trip/road_sonota/kagakuji/
  75. 浅野家と義士のお寺 播州赤穂台雲山 花岳寺 https://kagakuji.jp/about/
  76. 元禄 15 年8月 12 日隅田川舟中会議 - 中央義士会 https://www.chuogishikai.com/G_kaihou/chuogishikaikaihou68.pdf
  77. 花岳寺 : 観光 : 赤穂観光 FEEL AKO TIME - 赤穂観光協会 https://www.ako-kankou.jp/sightseeing/kagakuji.html
  78. 安芸浅野家供養塔(二番石) https://gururinkansai.com/akiasanokenibanishi.html
  79. 浅野内匠頭の画像、名言、年表、子孫を徹底紹介 - 江戸ガイド https://edo-g.com/men/view/34
  80. 広島県立文書館所蔵史料の調査・撮影 syoho30-saiho - 東京大学史料編纂所 https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/30/saiho_HIROSH~1.HTM
  81. 広島藩浅野家初代藩主・浅野長晟書状 (年不詳)5 月 27 日 山田家文書(8810‑79‑2) 江戸から https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/internetkomonjo/komonjo8a.pdf
  82. 広島市公文書館紀要の発行 https://www.city.hiroshima.lg.jp/tourism-culture/history/1003068/1027539/1021535.html
  83. 。a.r - 徳島県立博物館 https://museum.bunmori.tokushima.jp/mus-pdf/pdf/135/nenpo_013.pdf
  84. 府中市郷土の森博物館だより https://www.fuchu-cpf.or.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/000/688/almuseo99.pdf
  85. 会期は11月27日(日)まで。『三英傑とともに歩んだ浅野長政~いちのみやの戦国時代~』(一宮市博物館様) | 戦国魂ブログ https://sengokudama.jugem.jp/?eid=4732
  86. 徳川将軍と贈物 - ScholarlyCommons https://repository.upenn.edu/server/api/core/bitstreams/5d8f8eab-db7a-4182-930a-0ed642ace80e/content
  87. ① 赤穂義士ゆかりの 47 箇所めぐり http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/tazunete/tazunete8_2.pdf
  88. 旗本がみた忠臣蔵-若狭野浅野家三千石の軌跡- - 江戸東京博物館 https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/project/2510/%E6%97%97%E6%9C%AC%E3%81%8C%E3%81%BF%E3%81%9F%E5%BF%A0%E8%87%A3%E8%94%B5%EF%BC%8D%E8%8B%A5%E7%8B%AD%E9%87%8E%E6%B5%85%E9%87%8E%E5%AE%B6%E4%B8%89%E5%8D%83%E7%9F%B3%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1%EF%BC%8D/
  89. 武士の装い―平安~江戸 - 東京国立博物館 https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4002
  90. 展示・催し物 展示 本館(日本ギャラリー) 刀剣 作品リスト - 東京国立博物館 https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=7275
  91. 所蔵作品 | 千葉市美術館 https://www.ccma-net.jp/collection/
  92. 御朱印・御朱印帳:花岳寺(兵庫県播州赤穂駅) | ホトカミ - 神社お寺の投稿サイト https://hotokami.jp/area/hyogo/Hmzts/Hmztstm/Dzktp/11402/goshuins/
  93. 館蔵資料データベース - 国立歴史民俗博物館 https://www.rekihaku.ac.jp/research/document/image_database/
  94. 広島県立歴史博物館 収蔵品データベース http://jmapps.ne.jp/hrsmkrh/
  95. 開館記念シンポジウム特集 - 長崎県対馬歴史研究センター https://tsushima-hrc.jp/wp-content/uploads/bbfd8fd93a8077405d327d8dbcca23c8.pdf
  96. 高岡市立博物館年報 https://www.e-tmm.info/nenpou35_R2.pdf
  97. 地域総合センター叢書9.pdf[PDF:22.6MB] - 尾道市立大学 https://www.onomichi-u.ac.jp/_files/00061384/sousyo09.pdf
  98. 全国特殊コレクション - レファレンス協同データベース - 国立国会図書館 https://crd.ndl.go.jp/jp/info/reference/collection_list.html
  99. 真壁陣屋 http://cf916626.cloudfree.jp/Jinyameguri/Kanto/MakabeJinya.html
  100. 忠臣蔵と笠間市に縁があることをご存じでしたか? - 特集 https://www.city.kasama.lg.jp/data/doc/1452065576_doc_76_3.pdf
  101. 広島県史年表(近世 1) 慶長 6 年(1601)~1780 安永 9 年(1780) https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/nenpyou/nenpyou-kinsei1.pdf
  102. 寛政重修諸家譜 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%94%BF%E9%87%8D%E4%BF%AE%E8%AB%B8%E5%AE%B6%E8%AD%9C
  103. 寛政重修諸家譜 1520巻 索引 https://kafuka.onmitsu.jp/kanseifu.html
  104. 浅野長広とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E5%BA%83
  105. 寛政重修諸家譜|国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典 - ジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=909
  106. 歴史の目的をめぐって 浅野長政 https://rekimoku.xsrv.jp/2-zinbutu-01-asano-nagamasa.html
  107. 大日本史料第十編之二十四編纂ノート https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/chusei/10-24.html
  108. 五 吹上御殿における日常 - 四 江島事件と月光院 https://rinseishi.tokugawa.or.jp/pdf_file/kiyou50-matsuo.pdf
  109. 寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)の中で、「曽我丹波守古祐」の系図はどこに載っているか知... | レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000233074&page=ref_view
  110. 下総山川藩 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E7%B7%8F%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%97%A9
  111. 豪) は荒木村重とわたりあって村重に傷を負わせたが、 逆に殺された。 2人の首脳を失った和田 茨木 - 方200余人の軍は捨て身で戦ったので https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach_mobile/54/54190/30369_7_%E5%AE%89%E5%A8%81%E5%B7%9D%E7%B7%8F%E5%90%88%E9%96%8B%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E3%81%AB%E4%BC%B4%E3%81%86%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E7%AD%89%E7%B7%8F%E5%90%88%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E4%B8%AD%E9%96%93%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf
  112. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BD%E6%94%BF%E9%87%8D%E4%BF%AE%E8%AB%B8%E5%AE%B6%E8%AD%9C
  113. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/
  114. https://dl.ndl.go.jp/search?keyword=%E5%AF%9B%E6%94%BF%E9%87%8D%E4%BF%AE%E8%AB%B8%E5%AE%B6%E8%AD%9C%20%E6%B5%85%E9%87%8E&searchWord=%E5%AF%9B%E6%94%BF%E9%87%8D%E4%BF%AE%E8%AB%B8%E5%AE%B6%E8%AD%9C%20%E6%B5%85%E9%87%8E
  115. dl.ndl.go.jp https://dl.ndl.go.jp/search?keyword=寛政重修諸家譜+浅野&searchWord=寛政重修諸家譜+浅野
  116. https://dl.ndl.go.jp/search?keyword=寛政重修諸家譜+第2集+国民図書+浅野&searchWord=寛政重修諸家譜+第2集+国民図書+浅野
  117. https://dl.ndl.go.jp/search?keyword=寛政重修諸家譜+国民図書+浅野&searchWord=寛政重修諸家譜+国民図書+浅野
  118. 浅野内匠頭長矩の評判(江戸検お題「本当の忠臣蔵」6) https://wheatbaku.exblog.jp/19664594/
  119. hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/16641/0410800817.pdf
  120. 土芥寇讎記 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E8%8A%A5%E5%AF%87%E8%AE%8E%E8%A8%98
  121. 加賀藩救恤考 ――非人小屋を中心に―― 丸本由美子 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/180454/2/dhogk00151.pdf
  122. 土芥冦讎記 - 元禄期大名 - 横浜歴史研究会 https://www.yokoreki.com/wp-content/uploads/2020/12/%E6%A8%AA%E6%AD%B4%E3%80%8C%E5%9C%9F%E8%8A%A5%E8%A8%98%E3%80%8D20201201.pdf
  123. 忠臣蔵新聞第040号-事件の背景をさぐる(2) http://chushingura.biz/gisinews02/news040.htm
  124. 浅野内匠頭長矩とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%B5%85%E9%87%8E%E5%86%85%E5%8C%A0%E9%A0%AD%E9%95%B7%E7%9F%A9
  125. 福井県文書館 | 「どうした秀康?-史料によって異なる逸話-」 https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/bunsho/category/column/29509.html
  126. 藩翰譜 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A9%E7%BF%B0%E8%AD%9C
  127. 加越能文庫解説目録 https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/kinsei/16kaetsunou.pdf
  128. 藩翰譜の記述内容とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E8%97%A9%E7%BF%B0%E8%AD%9C%E3%81%AE%E8%A8%98%E8%BF%B0%E5%86%85%E5%AE%B9
  129. 文化財論文 「山下家覚書」から読み解く浅野家相続問題 - 全国遺跡報告総覧 https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/123607
  130. 「山下家覚書」から読み解く浅野家相続問題 - CiNii Research https://cir.nii.ac.jp/crid/1520020984027533440
  131. glim-re.repo.nii.ac.jp https://glim-re.repo.nii.ac.jp/record/1821/files/shigaku_50_1_18.pdf
  132. 『同時代史研究』総目次 https://www.doujidaishi.org/journal/contents.html
  133. 研究者詳細 - 浅野 豊美 https://w-rdb.waseda.jp/html/100000014_ja.html
  134. 大石内蔵助とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E5%86%85%E8%94%B5%E5%8A%A9
  135. 志村喬とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E5%BF%97%E6%9D%91%E5%96%AC
  136. フレイル研究部 - 国立長寿医療研究センター https://www.ncgg.go.jp/ri/lab/cgss/department/frailty/
  137. 浅野 正一郎 (Shoichiro Asano) - マイポータル - researchmap https://researchmap.jp/shoichiro_asano
  138. ‪Russell Garwood‬ - ‪Google 학술 검색‬ https://scholar.google.com.sg/citations?user=xI6uxfUAAAAJ&hl=ko
  139. 三田図書館・情報学会 2024 年度研究大会 発表論文集 https://mslis.jp/wp-content/uploads/2024/08/mslis2024all.pdf
  140. 3−1 資料の種別 - 東北大学図書館 https://www.library.tohoku.ac.jp/tohokuchiku/fresh_manual.doc