最終更新日 2025-05-19

香川元景(香川満景の子)

戦国期讃岐の武将 香川元景(満景の子)に関する調査報告

1. はじめに

本報告の目的と対象人物の特定

本報告は、戦国時代の讃岐国における武将、香川元景(かがわ もとかげ)について、現時点で入手可能な史料に基づき、その出自、生涯、事績、および関連する歴史的背景を詳細に調査し、明らかにすることを目的とする。対象とする香川元景は、香川満景(みつかげ)の子であり、後に香川之景(ゆきかげ、信景(のぶかげ)とも)の父とされる人物である 1

調査の重要性と留意点

戦国時代は、中央政権の権威が揺らぎ、各地で地域勢力が興亡を繰り返した動乱の時代である。香川元景のような地方の有力国人領主の動向を丹念に追うことは、この時代の複雑な権力構造、中央と地方の関係、そして地域社会の実態を具体的に理解する上で極めて重要である。

しかしながら、香川元景に関する調査にはいくつかの留意点が存在する。第一に、同時代に複数の「香川元景」を名乗る人物が存在したことが確認されており 1 、人物の誤認を避けるためには慎重な史料批判が不可欠である。第二に、本報告の対象とする香川元景(満景の子)に関する直接的な一次史料は限定的である可能性が高く、その生涯や事績の多くを、周辺情報や後代に編纂された史料から推測せざるを得ない場合がある。これらの史料の取り扱いには細心の注意を払い、客観的な分析を心がける必要がある。

特に、香川元景(満景の子)の活動時期や没年に関しては、参照する史料によって若干の記述の揺れが見られる。例えば、ある系図資料では当主としての在位期間を「1507-31前」とする一方 3 、別の資料では「天文年間前後に活躍」と記されている 1 。天文年間は1532年に始まるため、これらの記述は一見矛盾するように見える。しかし、後者の資料も元景が享禄4年(1531年)に細川晴元のもとで活動したことを記しており 1 、これらの年代記述の差異が、活動の拠点や内容の違い、あるいは史料による記録の精粗を反映している可能性も考慮し、本報告ではこれらの情報を比較検討し、最も確からしい情報を提示するよう努める。

2. 香川元景の出自と家系

讃岐香川氏の概要

香川氏は、鎌倉時代にその名が見え始める武家であり、室町時代には讃岐国(現在の香川県)の守護代職を世襲する有力な国人領主へと成長した 1 。その出自については、相模国香川荘を本拠とした鎌倉党の一族とする説など諸説あるが 6 、本報告では主に讃岐における活動に焦点を当てる。

室町時代の讃岐国は、細川京兆家(管領家)の分国であり、香川氏は同じく守護代であった東讃の安富氏と共に、讃岐の東西を分担して統治する体制の一翼を担っていた 1 。香川氏は、在京して中央政務に関与する家と、在国して讃岐の支配に当たる家に分かれていた時期もあったとされる 1

父・香川満景について

香川元景の父は、香川五郎次郎満景である 1 。満景は上野介の官途名を名乗り 3 、当時の室町幕府管領であり、絶大な権勢を誇った細川政元の近習として仕えていた 1

しかし、永正4年(1507年)、細川政元が養子の一人である細川澄之を擁する香西元長らによって暗殺されるという政変(永正の錯乱)が勃発する 7 。この混乱の中で、満景は澄之方に与して戦ったが、同年8月1日、澄之方が細川澄元・高国連合軍に敗れた際に、同じく讃岐守護代であった安富元治と共に討死したと『不問物語』は伝えている 8 。この父・満景の死が、元景の家督相続、そしてその後の彼の政治的立場や行動に大きな影響を与えたことは想像に難くない。主君であった細川政元の近習でありながら 1 、その政元を暗殺した側に与して命を落としたという父の最期は、当時の複雑で流動的な政治状況を象徴していると言えよう。

【表1】香川氏略系図(満景、元景、信景(之景)を中心として)

香川元景の家系における位置づけを明確にするため、父祖と子孫の関係を以下に示す。

氏名

官位/仮名

他の名

続柄

当主在位

没年(年齢)

主な事績・備考

出典

香川和景

五郎次郎、中務少輔

元綱男?

1467頃

3

香川満景

五郎次郎、上野介

和景男

?-1507

1507

細川政元近習。永正の錯乱にて細川澄之方に属し戦死。

1

香川元景

五郎次郎、備中守

基景

満景男

1507-31前

不詳

本報告の中心人物。永正の錯乱、両細川の乱に関与。讃岐で自立化を目指す。

1

香川信景

兵部少輔

之景、中務丞

元景男

1551前-79

三好氏、長宗我部氏と関わる。織田信長より偏諱を受け信景と名乗る(之景と同一人物説あり)。

3

香川親和

五郎次郎

親政

長宗我部元親二男

1579-85

1587

信景の養子。豊臣秀吉の四国征伐により香川氏失領。

3

この系図は、香川氏が戦国時代の激動の中で、養子縁組などを通じて他家との関係を構築しつつも、最終的には長宗我部氏の影響下に組み込まれ、豊臣政権による四国平定によってその所領を失うという、戦国期国人領主の典型的な変遷を辿ったことを示している。

3. 香川元景の生涯と事績

生誕と家督相続の経緯

香川元景の正確な生年は史料からは明らかでないが、室町時代末期に讃岐国で生まれたとされる 1 。父・満景が永正4年(1507年)に畿内における細川京兆家の内紛、いわゆる永正の錯乱の最中に戦死したことを受けて、元景が香川家の家督を相続した 1 。この時、元景が何歳であったかは不明である。

元景は通称を五郎次郎、官途名は備中守を称したとされ 3 、一部の史料では「基景」とも記されている 1

室町幕府管領・細川京兆家との関係

香川氏は代々讃岐国守護代として、室町幕府の管領を輩出した細川京兆家の重臣として活動してきた。元景の時代は、その細川京兆家が深刻な内紛状態にあり、畿内は戦乱が絶えなかった。

細川政元政権下とその後の混乱期における香川氏の立場

元景の父・満景は、管領細川政元の近習として仕えており 1 、香川氏は京兆家の政務執行を補佐する重要な役割を担っていた 1 。応仁の乱の最中に在京香川家の当主であった香川元明が戦死したことにより、香川氏の惣領家は断絶し、その後、在国していた香川家が宗家となったと考えられている 1 。この惣領家の変動が、元景の代における香川氏の立場や中央政界との関わり方にどのような影響を与えたのかは、興味深い点であるが、詳細は不明である。

永正の錯乱と両細川の乱への関与

永正4年(1507年)の細川政元暗殺(永正の錯乱)は、細川京兆家の家督を巡る長期にわたる内乱、いわゆる「両細川の乱」の幕開けとなった。元景はこの動乱の渦中に身を投じることになる。

細川澄元方への参加

家督を相続した元景が最初に与したのは、政元の養子の一人であった細川澄元であった 1 。父・満景は政元暗殺の実行犯である細川澄之方に属して戦死したとされているため 8 、元景が父とは異なる澄元方に与した背景には、複雑な事情があったと推測される。永正4年6月に政元が澄之派によって暗殺された後 7 、澄之は一時的に細川家の家督を認められるが、同年8月には澄元と、同じく政元の養子であった細川高国らの連合軍に攻められ自害に追い込まれている 11 。満景の戦死が同年8月1日とされており 8 、この時点で澄之方の敗色は濃厚であった。元景が家督を継いだのは、まさにこの混乱の最中であり、父の死が澄之方の敗北と直接的に結びついているならば、その敵対勢力であり、かつ当時勢いを増していた澄元・高国連合に与することは、香川家の存続を図る上で現実的な選択であった可能性が高い。

細川澄之の養子縁組に関する文書への署名

史料によれば、細川澄之が細川政元の養子となることを記した文書に、上原元秀、秋庭元重、薬師寺元長、安富元家といった細川京兆家の重臣たちと共に、「香川元景」の名が署名者として見られる 12 。この文書の具体的な作成時期や、署名した「香川元景」が本報告の対象人物であるかについては、慎重な検討を要する。仮に本報告の元景(満景の子)が署名したのであれば、それは彼が家督を相続する以前の出来事である可能性が高く、父・満景の名代として、あるいは満景自身が「元景」を名乗っていた時期の記録である可能性も考えられる。いずれにせよ、この署名の事実は、香川氏が細川京兆家の重要な意思決定に関与し得る立場にあったことを示唆している。しかし、参照されている末柄豊氏の論文の現物を確認できないため、この点に関する詳細な分析は今後の課題としたい。

細川高国方への転属

その後、元景は細川高国方に属して戦うことになる 1 。この立場の変更は、永正15年(1518年)に、それまで高国を支援していた周防の大内義興が本国へ帰国したことを契機とする細川京兆家の再分裂と関連している 1 。澄元と高国は当初協力関係にあったが、やがて対立を深めていく。元景は、同じく讃岐守護代であった安富氏と共に高国方に降ったとされており 1 、これは畿内における澄元方の勢力後退と高国方の台頭というパワーバランスの変化に対応した、讃岐の国人領主としての現実的な判断であったと考えられる。

細川晴元方への帰属

両細川の乱はその後も一進一退の攻防が続くが、享禄4年(1531年)6月、細川高国は細川晴元(澄元の子)との戦い(大物崩れ)に敗れて自害する 1 。この決定的な戦いの結果を受けて、元景は新たに管領となった晴元の麾下に属した 1 。これもまた、畿内の覇権を握った新たな実力者への帰属であり、元景の一貫した現実主義的な行動パターンを示していると言える。

【表2】香川元景の細川氏内紛における立場変遷と関連史料

香川元景の細川氏内紛における複雑な政治的立場の変遷を以下に時系列で整理する。

時期(年号)

所属勢力

主要な出来事

関連史料

永正4年(1507年)

細川澄元方

父・満景戦死、家督相続。当初、澄元方に属す。

1

永正年間(時期不明)

不明

細川澄之養子縁組文書に「香川元景」署名(対象人物かは要検討)。

12

永正15年(1518年)頃

細川高国方

大内義興の帰国を機に細川家再分裂。安富氏と共に高国方に降る。

1

享禄4年(1531年)

細川晴元方

細川高国敗死(大物崩れ)。新管領となった晴元の麾下に属す。

1

讃岐国守護代としての活動

香川元景は、畿内における主家の内紛に関与する一方で、本国である讃岐国の守護代としての活動も行っていた。

本拠地・天霧城と西讃岐の統治

讃岐香川氏の累代の拠点であったのは、讃岐国西部に位置する天霧城(現在の香川県善通寺市・三豊市境)であった 1 。天霧城は険峻な山城であり、有事の際の詰城としての役割を果たした。平時の居館は、多度郡の本台山城(現在の香川県多度津町)の東麓にあったとされている 13 。香川氏は西讃岐の守護代として、多度郡、三野郡、豊田郡などを支配領域としていた 4

細川氏勢力後退後の讃岐における自立化の動きと内政への着手

細川高国が敗死し、元景が細川晴元の麾下に属した後、彼は「自国の内政に着手」し、香川氏は「自立の道を歩み始めることとなる」と記録されている 1 。これは、中央の混乱が長期化し、守護である細川氏の讃岐に対する統制力が相対的に弱体化する中で、守護代である香川氏が在地における実質的な支配権を強化し、独自の勢力基盤を固めようとした動きと解釈できる。

戦国時代の在地領主が、中央の権威の低下を背景に自領の経営強化や家臣団の統制、周辺勢力との関係構築を通じて自立化を図ることは、全国的に見られた傾向である。元景が着手した「内政」の具体的な内容については、残念ながら現存する史料からは乏しい。しかし、検地の実施による所領の把握、家臣団の再編成、あるいは在地寺社との関係強化などが考えられる。この時期の元景による讃岐国内での統治基盤の強化が、次代の香川之景(信景)が三好氏や長宗我部氏といった強大な外部勢力の侵攻に直面した際に、どの程度の影響を与えたのかは考察すべき点である。

周辺勢力との関係(三好氏、長宗我部氏など)

香川元景が主に活動した永正年間(1504年~1521年)から享禄年間(1528年~1532年)にかけては、後に四国全土を巻き込む戦乱の中心となる三好氏や長宗我部氏の勢力は、まだ限定的であった。三好氏は阿波国を拠点とする細川氏の有力被官であり、長宗我部氏は土佐国の一国人に過ぎなかった。

しかし、元景の子である香川之景(信景)の時代になると、状況は一変する。天文22年(1553年)以降、三好長慶の弟である三好実休が讃岐に侵攻し、永禄元年(1558年)には香川之景も三好氏に降伏を余儀なくされた 16 。さらにその後、土佐から勢力を拡大した長宗我部元親の侵攻を受け、天正7年(1579年)頃にはその次男である親和を養子として迎え入れ、実質的に長宗我部氏の支配下に組み込まれることとなる 3

元景の時代の「自立化の動き」が、これらの外部勢力の侵攻に対してどの程度有効な抑止力となり得たのか、あるいは逆に介入を招く一因となったのかは、史料的制約から明確には判断できない。しかし、元景が築こうとした讃岐国内における香川氏の支配体制が、次代における周辺勢力との関係に影響を与えた可能性は否定できない。

晩年と死没

香川元景の正確な没年や死因については、史料によって記述が異なり、明確ではない。

ある系図資料では、元景の当主在位期間を「1507-31前」としており 3 、これは享禄4年(1531年)以前に彼が死去したか、あるいは家督を子の之景に譲って隠居した可能性を示唆している。一方、Wikipediaでは「天文年間前後に活躍」との記述があるが 1 、これは元景自身が当主として天文年間(1532年~1555年)に活発な活動を継続していたことを必ずしも意味するものではなく、彼の讃岐における影響力がその時期まで及んでいた、あるいは彼の事績が後代にそのように認識されていた可能性も考えられる。

享禄4年(1531年)に細川高国が敗死し、元景が細川晴元方についた後、「自国の内政に着手」したという記述 1 が、彼の活動の最後期を示すものかもしれない。もし、前述の系図資料の「1531前」が没年あるいは隠居年を指すのであれば、彼が内政に着手できた期間は極めて短かったことになる。この点の整合性については、さらなる史料の発見と検討が待たれる。現時点では、元景の最期に関する具体的な情報は不明と言わざるを得ない。

4. 同名人物との比較検討

「香川元景」という名は、戦国時代において複数の人物に見られるため、本報告の対象人物を特定する上で、これらの同名人物との区別が不可欠である。

安芸香川氏の香川元景との明確な区別

特に注意すべきは、安芸国(現在の広島県西部)を拠点とした香川氏にも同姓同名の「香川元景」が存在したことである 2 。この安芸香川氏の元景は、以下の点で本報告の対象である讃岐香川氏の元景(満景の子)とは明確に区別される。

  • 活動地域: 安芸国であり、讃岐国ではない。
  • 主家: 安芸武田氏の家臣であり、細川京兆家ではない 2
  • 拠点: 安芸国八木城主であった 2
  • 親子関係: 父は香川吉景、子には香川光景、香川元正らがいる 2 。これは、父を満景、子を之景(信景)とする讃岐香川氏の元景とは異なる。
  • 具体的な事績: 大永4年(1524年)に、主君の武田光和を攻めた大内氏の軍勢を、毛利元就らと共に撃退した記録がある 2

このように、活動の舞台、仕えた主君、家族構成が全く異なるため、両者を混同することは避けなければならない。

その他、史料に見られる可能性のある「元景」姓の人物との比較検討

讃岐香川氏の歴史を研究する上で、他にも「元景」という名を持つ人物や、それに類する名を持つ人物が史料に登場する可能性が指摘されている。

  • 『全讃史』には「景美(かげよし、または、かげみ)」という人物が登場し、これが「元景」ではないかとする説がある。この景美は「兵部」の仮名が伝えられているとされる 18
  • また、史料には文明11年(1479年)に活動が見られる「香川孫兵衛元景」や、天文6年(1537年)に活動が見られる「香川中務丞元景」といった人物も記録されている 18

これらの人物について、本報告の対象である「満景の子、之景の父」という条件と照らし合わせると、以下のように考えられる。

  • 文明11年(1479年)の孫兵衛元景は、本報告の元景(父・満景の戦死は永正4年=1507年)よりも活動時期が早く、別人である可能性が極めて高い。
  • 天文6年(1537年)の中務丞元景は、本報告の元景の活動時期(永正~享禄年間)と一部重なるか、あるいはやや後になる。しかし、 3 の系図では元景の当主在位を「1507-31前」としており、もしこれが正しければ、この中務丞元景も別人である可能性が高い。あるいは、元景が隠居後に名乗ったか、あるいはその子である之景(信景)が一時的に「元景」を名乗った可能性も皆無ではないが、現時点では断定できない。

「元景」という名が香川氏の中で複数世代にわたって使用された可能性や、あるいは通称や官途名との関連で史料記述に混乱が生じている可能性も考慮し、人物の特定には慎重な史料批判が求められる。本報告では、あくまでWikipediaで特定されている「香川満景の子、之景の父」とされる香川元景に焦点を当てる。

5. 香川元景に関する史料とその検討

香川元景(満景の子)の実像に迫るためには、関連する史料を丹念に検討し、その史料的価値を吟味する必要がある。しかしながら、彼個人に関する直接的な一次史料は極めて限定的であり、多くを二次史料や編纂史料、周辺情報からの推測に頼らざるを得ないのが現状である。

主要参考文献の概要と史料的価値

本報告を作成するにあたり参照した主要な情報源とその史料的価値は以下の通りである。

  • Wikipedia日本語版「香川元景」 1 : 香川元景(満景の子)に関する情報を網羅的に記述しており、本報告の出発点となった。しかし、二次資料であるため、記述の正確性や典拠については、他の史料との照合が不可欠である。特に活動時期や没年に関する記述には慎重な検討を要する。
  • 系図サイト (gioan-mdxcvii.cafe.coocan.jp 3 , his-trip.info 10 など): 香川氏の系譜や歴代当主の変遷を把握する上で参考となる。特に 3 は比較的詳細な情報(官途名、続柄、当主在位期間、没年など)を提供している。ただし、これらのサイトの情報の典拠が明示されていない場合も多く、他の史料とのクロスチェックが必須である。
  • 研究論文・専門サイト:
  • 末柄豊氏の論文( 12 の言及先): 細川澄之の養子縁組に関する文書に香川元景の署名があるとの指摘は、一次史料に迫る情報であり、極めて重要である。しかし、現時点ではこの論文の現物を直接参照できておらず、詳細な分析は今後の課題となる。論文のタイトルは「『不問物語』をめぐって」(『年報三田中世史研究』15号、2008年)とされている 12
  • 溝渕利博氏の諸論文( 5 など): 讃岐の中世国人領主や在地社会に関する広範な研究であり、香川氏や関連史料(例えば『蔭凉軒日録』 5 )についての記述は、元景の活動した時代の背景を理解する上で非常に有益である。
  • 香川大学学術リポジトリ所収論文 ( 8 ): 『不問物語』の記述を引用し、香川満景の最期について重要な情報を提供している。

『不問物語』における父・香川満景戦死の記述とその意義

香川大学学術リポジトリに掲載された論文 8 によれば、軍記物語である『不問物語』の永正四年八月一日条に、香川満景が安富元治と共に細川澄之方として戦い、討死したとの記述が見られる。

この記述は、満景の具体的な最期と、元景が家督を相続する直接的な契機となった永正の錯乱の具体的な戦闘状況を伝える貴重な情報と言える。しかしながら、『不問物語』は軍記物語であり、その記述の全てが史実を正確に反映しているとは限らないため、史料としての取り扱いには慎重な吟味が必要である。他の一次史料との比較検討や、記述内容の合理性などを多角的に検証することが求められる。

仮にこの記述が事実であるとすれば、細川政元の近習であったはずの満景が 1 、政元暗殺の張本人である澄之方に与して戦死したことになり、当時の武士たちが置かれていた複雑で流動的な政治状況と、主君や恩義といった価値観が揺らぐ中で下さなければならなかった苦渋の選択を浮き彫りにする。この事実は、元景が家督相続直後に、父とは敵対する立場であった細川澄元方に与した背景を理解する上でも重要な示唆を与える。

『全讃史』『香川県史』における香川元景(満景の子)に関する記述の有無と内容の検証

江戸時代後期の讃岐の地誌である『全讃史』や、近代以降に編纂された『香川県史』は、讃岐の歴史を研究する上で基本的な文献である。しかし、現時点での調査では、これらの史料から本報告の対象である香川元景(満景の子)個人に関する直接的かつ詳細な記述を具体的に特定するには至っていない 1

18 では、『全讃史』に登場する「景美」という人物が香川元景ではないかという説や、『香川県史』における「五郎景則」との関連性が示唆されている。これらの記述は、香川氏全体の系譜や歴史を考察する上で手がかりとなる可能性があるが、本報告の対象人物である元景(満景の子)に直接結びつくかどうかは、さらなる詳細な史料調査と厳密な比定作業が必要である。これらの編纂史料は、香川氏全般や讃岐の中世史を理解する上で重要な価値を持つものの、元景個人に特化した情報は限定的である可能性が高いと考えられる。

その他関連史料の分析

上記の主要な史料以外にも、香川元景の活動や当時の状況を間接的に示す可能性のある史料が存在する。

  • 細川澄之養子縁組に関する文書 ( 12 ): 前述の通り、この文書には「香川元景」の署名があるとされる。これが本報告の対象人物である元景(満景の子)、あるいはその父・満景が「元景」を名乗っていた時期のものであるならば、香川氏が細川京兆家の枢要な決定に関与していたことを示す重要な証左となる。この文書の正確な作成年代、署名者の具体的な比定、そして文書の現存状況の確認は、今後の研究における重要な課題である。
  • 『蔭凉軒日録』( 5 ): 室町時代の禅僧・亀泉集証の日記であるこの史料には、明応2年(1493年)6月18日の条に「讃岐は十三郡なり、六郡香川これを領す。・・・七郡は安富これを領す」との記述が見られる。これは元景の活動時期よりもやや遡るが、香川氏が讃岐国の西半国(六郡)を伝統的に支配してきた有力な守護代であったことを示しており、元景の時代の香川氏の勢力基盤を理解する上で参考になる。

これらの史料を総合的に検討すると、香川元景(満景の子)のような、中央の政争に翻弄されつつも在地に確固たる基盤を持った国人領主の実像を詳細に描き出すことの難しさが浮き彫りになる。彼に関する直接的な一次史料は極めて乏しく、その生涯や事績の多くは断片的な情報や後世の編纂史料から再構築せざるを得ない。そのため、系図資料、軍記物語、地誌、関連人物の日記などを相互に比較検討し、矛盾点や不明点を明らかにしつつ、可能な限り客観的かつ多角的な視点からその実像に迫る努力が求められる。

6. 結論

香川元景(満景の子)の歴史的評価と、その生涯に関する知見のまとめ

本報告で調査対象とした香川元景(満景の子)は、戦国時代初期の讃岐国における有力な国人領主であり、讃岐香川氏の当主として活動した人物である。彼の生涯は、中央政局の激動と深く結びついていた。

元景は、父・香川満景が畿内における細川京兆家の内紛(永正の錯乱)の最中に戦死するという波乱の中で家督を相続した 1 。その後、彼自身も細川家の家督と幕府の実権を巡る「両細川の乱」の渦中に身を置き、その政治的立場は、細川澄元方から細川高国方、そして最終的には細川晴元方へと、畿内の権力闘争の推移に応じて変遷した 1 。これは、主家の内紛と自家の存続という狭間で、常に現実的な判断を下し続けた結果と言えるだろう。

細川氏の勢力が中央で後退し始めると、元景は本国である讃岐国における支配体制の強化、すなわち「自国の内政に着手」し、香川氏の「自立の道」を模索し始めたとされる 1 。しかし、その具体的な政策や成果、そしてその影響については、現存する史料からは詳細を明らかにすることは難しい。

香川元景の活動は、戦国時代初期において、守護代クラスの国人領主が中央政権の動乱にいかに対応し、在地における自領の維持と勢力拡大を図ろうとしたかを示す一例として歴史的に評価することができる。彼の生涯は、中央の権力構造の変化が地方の政治情勢にいかに直接的な影響を及ぼしたか、そして地方領主たちがその中でいかに巧みに立ち回り、あるいは翻弄されたかを示す好個の事例と言えよう。

史料的制約と今後の研究課題

香川元景(満景の子)に関する研究は、いくつかの史料的制約に直面している。

第一に、彼個人に関する直接的な一次史料は極めて限定的であり、その生涯の具体的な詳細、特に讃岐における内政の内容、正確な没年や死因、そして家族構成(子の之景以外の兄弟姉妹や妻など)については不明な点が多い。

第二に、『不問物語』や『全讃史』といった後代の軍記物語や編纂史料に彼の名や関連情報が見られるものの、これらの史料の記述については、その成立背景や編纂意図を考慮した上で慎重な史料批判を行い、他の史料との比較検討を通じてその信頼性を多角的に評価する必要がある。例えば、父・満景の戦死に関する『不問物語』の記述 8 は具体的であるが、その史料的性格を十分に理解した上で取り扱わねばならない。

第三に、細川澄之の養子縁組に関する文書に「香川元景」の署名があるとされる情報 12 は非常に興味深いが、この文書の現物の確認、正確な作成年代の特定、そして署名者が本報告の対象人物であるかの比定など、解決すべき課題が多い。末柄豊氏の論文「『不問物語』をめぐって」 12 の入手と精査は、これらの点を明らかにする上で不可欠である。

今後の研究においては、未発見の一次史料の探索はもとより、現存する周辺史料(例えば、細川氏や関連寺社、他の讃岐国人の文書など)をより広範かつ丹念に渉猟し、香川元景とその時代の讃岐国の実像を多角的に再構築していく努力が求められる。また、同時代に活動した他の地域の国人領主の事例との比較研究も、彼の歴史的評価をより深める上で有効であろう。

香川元景(満景の子)の研究は、戦国時代という大きな転換期における地方社会の動態を理解する上で、依然として多くの可能性を秘めていると言える。

引用文献

  1. 香川元景 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E5%85%83%E6%99%AF
  2. 香川元景 (安芸香川氏) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E5%85%83%E6%99%AF_(%E5%AE%89%E8%8A%B8%E9%A6%99%E5%B7%9D%E6%B0%8F)
  3. 香川県の主要大名 http://gioan-mdxcvii.cafe.coocan.jp/daimyou-37kagawa.htm
  4. 香川之景 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E4%B9%8B%E6%99%AF
  5. 中世後期讃岐における国人・土豪層の贈答・文化芸能活動と地域社会秩序の形成(上) https://www.takamatsu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2023/01/79_UG001_001-031_mizobuchi.pdf
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  84. 第2部 大忍庄を読み解く https://sa4d6b00f1f29c6d4.jimcontent.com/download/version/1638432942/module/13901369490/name/%E7%AC%AC%EF%BC%92%E9%83%A8%E3%83%BB%E5%A4%A7%E5%BF%8D%E5%BA%84%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F.pdf
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