上杉謙信
~槍先撫で我が魂祈祷する信仰譚~
上杉謙信の「槍先撫で祈祷」は創作だが、毘沙門天信仰と武具への精神性が彼の強さの源泉。出陣儀礼は兵士を神の軍隊に変え、士気を高める戦略的統率術だった。
『槍は我が魂なり―上杉謙信、出陣儀礼の信仰譚に関する起源と歴史的再構築』
第一部:逸話の源流を探る―史実と創作の境界
序章:語り継がれる軍神の祈り
戦国時代の越後を統べ、「軍神」とまで畏怖された武将、上杉謙信。その人物像を彩る数多の逸話の中でも、ひときわ鮮烈な印象を放つものが存在する。すなわち、「出陣に際し、謙信自らが味方全軍の兵士の槍先を一つ一つ撫で、『この槍、我が魂』と祈祷を捧げた」という信仰譚である。
この情景は、我々の脳裏に一つの完成された絵画を想起させる。夜明け前の薄明かりの中、整然と並ぶ数千の兵。その槍先の林立する前を、神懸かった威厳を纏う大将が静かに歩み、一人一人の武器に自らの魂を分かち与えていく。この行為は、単なる士気高揚の手段を超え、軍団全体が一つの生命体、一つの意志と化す神聖な儀式として映る。この逸話が、上杉謙信の強さの根源である「義」と「信仰」を、これ以上なく見事に象徴する物語として、後世の人々の心を強く捉えてきたことは疑いようがない。
しかし、その劇的な魅力の半面、この物語は歴史の霧の中に深く包まれている。果たして、この儀式は史実として行われたのであろうか。それとも、謙信という非凡な人物を理解するために後世が生み出した、一つの「神話」なのであろうか。本報告は、この魅力的な逸話の史実性を、現存する史料に基づき厳密に検証することから始める。そして、たとえそれが史実でなかったとしても、なぜそのような物語が生まれ、語り継がれる必要があったのかを歴史的文脈から解き明かす。最終的には、史実の断片を繋ぎ合わせることで、この物語が内包する「本質的な真実」―すなわち、上杉謙信が行ったであろう出陣儀礼の本来の姿を、学術的推論に基づき再構築することを目的とする。
第一章:史料における沈黙―記録に残された謙信の姿
ある歴史的逸話の真偽を検証する上で、最初の、そして最も重要な手続きは、同時代からそれに近い時代に編纂された史料群を精査することである。上杉謙信の動向を伝える主要な軍記物語としては、敵方である武田家の視点から描かれた『甲陽軍鑑』や、越後上杉家の伝承をまとめたとされる『北越軍談』などが挙げられる。これらの文献は、謙信の人物像や合戦の様子を劇的に描き出すことで知られている。
例えば、第四次川中島の戦いにおける謙信と武田信玄の一騎打ち伝説は、両文献において詳細に語られている 1 。馬上の謙信が単騎で武田本陣に突入し、床几に座る信玄に三太刀斬りつけ、信玄はそれを軍配で受け止めたというこの場面は、戦国時代を象徴する名場面としてあまりにも有名である 4 。また、「敵に塩を送る」という逸話も、その原典は『甲陽軍鑑』などに求められるが、これもまた謙信の「義」を象徴する物語として広く知られている 5 。
しかしながら、これらの軍記物が劇的な逸話を好んで収録する傾向があるにもかかわらず、本稿の主題である「全軍の槍先を撫で、『この槍、我が魂』と祈る」という儀式に関する記述は、驚くべきことに一切見出すことができない。これは単なる情報の欠落とは考えにくい。数千、時には一万を超える兵士全員の槍を大将自らが撫でるという行為は、極めて大規模かつ視覚的に印象的な儀式である。もしこれが恒常的に行われていたのであれば、その特異性ゆえに、敵味方双方の記録者が何らかの形で言及しないとは考えられない。一騎打ちのような偶発的で一瞬の出来事ですら詳細に記録されていることを鑑みれば、出陣の度に行われる壮大な儀式が完全に無視されるとは、到底考えがたいのである。
この史料上の「沈黙」は、逸話の史実性を考察する上で極めて重要な意味を持つ。それは、この物語が戦国時代や、それに続く江戸時代初期の同時代的認識には存在せず、より後代になってから形成された可能性を示唆する「積極的な証拠」と解釈すべきである。したがって、この逸話の起源は、史実の記録そのものではなく、別の領域―すなわち、後世の創作の中に求めるのが妥当であるとの結論に至る。
第二章:創作における誕生の可能性―物語られる「軍神」
史料にその痕跡を見出せない以上、次に我々が目を向けるべきは、後世に創られた文学や映像作品の世界である。上杉謙信は、その劇的な生涯と「義」に生きたとされる高潔な人物像から、時代小説や歴史ドラマにおいて絶えず人気の題材であり続けてきた。海音寺潮五郎の不朽の名作『天と地と』や、NHK大igaドラマとして映像化された『武田信玄』、『天地人』、『風林火山』など、枚挙に暇がない 8 。
これらの創作物は、史実を骨格としながらも、登場人物の性格や思想を読者・視聴者により深く、より鮮烈に伝えるため、象徴的なシーンやセリフをしばしば挿入する。例えば、『天と地と』において、謙信が毘沙門天への帰依を誓い、生涯不犯を貫くことを決意する場面は、彼の内面を深く掘り下げるための創作として極めて効果的に機能している 10 。
この観点から「槍と魂」の逸話を分析すると、その物語的機能が見えてくる。創作者たちが直面する課題は、「上杉謙信の神がかり的な強さの源泉は何か」という問いに、読者が納得できる形で答えを示すことであった。その答えは、歴史研究が示す通り、彼の篤い「毘沙門天信仰」と、それによって培われた「兵士との絶対的な一体感」にある。しかし、これらの抽象的な概念をただ説明するだけでは、物語としての推進力は生まれない。
ここに、「槍と魂」の逸話が「物語的解決策」として発明される必然性が生まれる。この逸話は、謙信の強さの二つの源泉を見事に一つの視覚的で感動的なシーンに凝縮しているのである。
第一に、「信仰」の要素は、出陣前に行う「祈祷」という形で表現される。
第二に、「兵士との一体感」は、大将自らが一人一人の兵士の武器に物理的に触れるという「槍を撫でる」行為によって象徴される。
そして、この二つの行為を統合し、完成させるのが、「この槍、我が魂」という力強い言霊である。この言葉は、謙信自身の魂、彼が信奉する毘沙門天の神威、そして兵士が手にする武器を完全に一体化させる。
つまり、この逸話は、上杉謙信という人物の本質を捉え、そのカリスマ性を読者に直感的に理解させるために、後世の優れた創作者によって生み出された、芸術的に洗練された「神話」の一部である可能性が極めて高い。それは厳密な意味での史実ではないかもしれないが、謙信の精神性をこれ以上なく的確に表現した、「真実味のあるフィクション」と結論付けることができるであろう。
第二部:歴史的文脈からの逸話再構築
第三章:儀礼の土壌―毘沙門天信仰と出陣の作法
「槍と魂」の逸話が後世の創作である可能性が高いという結論は、しかし、上杉謙信の出陣儀礼が形式的なものであったことを意味しない。むしろ、彼の強さの根源を理解するためには、史実として確認できる彼の信仰のあり方と、それに基づいた儀礼の本質を深く掘り下げる必要がある。
謙信の信仰の中核をなすのは、軍神・毘沙門天への絶対的な帰依であった 12 。彼は単に毘沙門天を加護の対象として崇めるだけでなく、自らを「毘沙門天の化身」であると公言して憚らなかった 13 。そのことを示す逸話は数多く残されている。例えば、ある時、急いで誓約を結ぶ必要が生じた際、居城である春日山城内の毘沙門堂へ行く時間がないため、家臣に自らの前で誓うよう命じた。家臣がためらうと、謙信は「私がいてこそ、毘沙門天が降りてくる。私を毘沙門天だと思い、ここで誓いなさい」と語り、従わせたという 15 。これは、彼が自身の神格性を固く信じ、それを統率の根幹に据えていたことを明確に示している。戦場に翻る「毘」の一文字を染め抜いた軍旗もまた、その信仰の象徴であった 16 。
彼の出陣前の行動は、この信仰と不可分に結びついていた。重要な合戦の前には、必ず春日山城内の毘沙門堂に何日間も籠り、一心不乱に祈りを捧げたとされる 16 。これは、単なる勝利祈願ではない。俗世の指導者「長尾景虎」としての自己を滅却し、精神を研ぎ澄ませ、神そのものと一体化するための神聖なプロセスであった。この瞑想と祈りの中で、彼は戦の神意を問い、最終的な戦略的決断を下したのである。
この神との一体感は、謙信個人の内面にとどまらず、軍団全体で共有されていた。それを象徴するのが「泥足毘沙門天」の逸話である。戦に明け暮れる日々の中、謙信が久々に毘沙門堂へ参拝すると、堂内には泥に汚れた足跡が点在し、それが堂内に祀られた毘沙門天像まで続いていた。これを見た謙信は、「毘沙門天が我らと共に戦場を駆け巡ってくださったのだ」と感激したという 18 。この物語は、上杉軍が単なる封建的な主従関係で結ばれた軍隊ではなく、神の代理として「義」の戦いを遂行するという使命感を共有する、一種の「信仰共同体」であったことを示唆している。
謙信の信仰は、個人的な救済を求める内面的なものではなく、寄せ集めの国人衆から成る軍団を、死を恐れぬ一つの超自然的戦闘体へと変容させるための、極めて高度な「統率技術」そのものであった。彼の出陣儀礼の核心は、彼自身を触媒として軍全体を「聖なる領域」へと引き上げ、兵士一人一人に「我々は神の軍隊である」という強烈な自覚を植え付けることにあった。これこそが、生涯70回以上の合戦に臨み、敗北はわずか2度のみであったという、彼の驚異的な勝率を支える精神的基盤だったのである 20 。
第四章:武具への精神性―戦国武将と槍
「この槍、我が魂」という言葉が、なぜそれほどまでに人々の心を打ち、真実味をもって受け入れられてきたのか。その背景には、上杉謙信個人の特異な信仰心だけでなく、戦国時代の武士たちが武具、とりわけ槍に対して抱いていた普遍的な精神性が存在する。
戦国時代の合戦において、主役となる武器は刀剣ではなく、長大なリーチを誇る槍であった 23 。集団戦における槍衾は戦術の基本であり、個々の武士の武功もまた「槍働き」によって評価された。「一番槍」の功名は、武士にとって最高の栄誉とされ、主君から与えられる感状の最も重要な理由の一つであった 23 。上杉謙信自身も、卓越した槍の使い手であったことを示す逸話が残る。唐沢山城の戦いでは、軽装のまま槍を携えて敵陣に突撃し 24 、また、佐野城には十文字槍を横たえ、わずか十三騎で入城し、包囲していた北条の大軍を退かせたと伝えられる 25 。
このような時代にあって、槍は単なる鉄と木でできた道具ではなかった。それは、生死を分かつ戦場で、武士が唯一頼ることのできる相棒であり、自らの生命と武勇を託す存在であった。上杉家の猛将・甘粕景持が遺したとされる「この槍をはじめて握ったとき、槍の方からそれがしの手に吸い付くような感覚におそわれ、全身が震えたものよ」という言葉は、武将が自身の槍を、魂を分かち合う人格的な存在として捉えていたことを如実に物語っている 26 。
この武具の人格化は、天下三名槍と謳われた「日本号」や「御手杵」といった槍に、固有名詞が与えられていることからも明らかである 27 。槍は、持ち主の武功と共に語り継がれ、その武将の魂の象徴、すなわち「依り代」としての役割を担うようになった。
刀が「武士の魂」として象徴的な意味合いを強めるのは、合戦がなくなった江戸時代以降のことである 28 。戦乱の世においては、まさしく戦場で血を吸い、敵を貫き、自らの命を守る槍こそが、武士の魂と最も密接に結びついた存在であった 29 。
このような文化的土壌が存在したからこそ、「槍に魂を込める」という儀式や、「この槍、我が魂」という言葉が、戦国の兵士たちにとって極めて自然で、かつ強力な意味を持つものとして受け入れられたのである。この言葉が響く背景には、槍を単なる武器ではなく、魂の宿る神聖な器と見なす、当時の武士たちの精神世界が存在したのだ。
第五章:情景の再構築―あるべき出陣儀礼の姿(学術的推論に基づく再現)
これまでの分析―すなわち、逸話そのものは創作の可能性が高いが、その背景にある謙信の信仰と武具への精神性は紛れもない史実であるという二点を踏まえ、ユーザーが求める「リアルタイムな情景」を、学術的推論に基づき再構築する。これは、文字通りの史実の再現ではなく、歴史的蓋然性が極めて高い「あるべき出陣儀礼の姿」の描写である。
【夜明け前:春日山城・毘沙門堂】
天正の空に、まだ星が瞬く時刻。春日山城の一角、毘沙門堂は漆黒の闇に沈んでいる。堂内には、焚かれた香の厳かな匂いが満ち、時折、謙信が身に纏う鎧の金属が擦れる微かな音だけが響き渡る。彼はすでに数日にわたり、この聖域に籠っている。俗世の食事を断ち、水垢離を繰り返し、ひたすらに経を唱え、瞑想を続ける。この過程を通じて、越後の国主「長尾景虎」という俗世の殻は剥がれ落ち、その精神は戦神・毘沙門天そのものへと昇華していく 17 。これは、来るべき合戦の神意を問い、必勝の戦略を神から授かるための、不可欠にして神聖な時間である。
【払暁:城下の練兵場】
東の空が白み始め、山々の稜線が瑠璃色に浮かび上がる頃、城下の練兵場には数千の兵が整然と隊列を組んで集結している。吐く息は白く、夜明け前の冷気が肌を刺す。静寂の中、兵士たちの立てる槍の穂先が林立し、暁の光を鈍く反射している。彼らの間に流れるのは、極度の緊張と、これから現れるであろう「神」の姿を待ち望む静かな興奮が入り混じった独特の空気である。誰も私語を発さず、ただ一点、毘沙門堂へと続く道を見つめている。
【日の出:謙信の出御と儀礼の執行】
やがて、山の端から朝日が射し、世界が黄金色に染まるその瞬間、毘沙門堂の扉が開かれる。朝日を背に受け、後光が差すかのように現れるのは、もはや人の領域を超えた、神がかり的な威厳に満ちた上杉謙信その人である。彼は馬上に跨り、全軍を睥睨しながら、練兵場の中央に設けられたであろう祭壇へと静かに駒を進める。
ここで、逸話にあるように、彼が物理的に全軍数千の槍を一本一本撫でて回ることは、時間的にも物理的にも非現実的である。代わりに行われたのは、より象徴的で、かつ軍団全体に影響を及ぼす行為であったと推測される。謙信は、自らの十文字槍、あるいは「毘」の文字が染め抜かれた軍旗を、天高く掲げる。その瞬間、山伏が吹く法螺貝の音が天地に轟き、全軍の視線がその一点に集中する。謙信の鋭い視線が、ゆっくりと、兵士たちの列を端から端まで舐めるように動く。その視線は、もはや人間のそれではない。神の視線そのものであり、見つめられた兵士は、自らの魂の芯まで見透かされ、その手に持つ槍に神威が宿ったと直感する。彼の身振り一つ、視線一つが、全兵士との精神的な接触を果たす、強力な象徴的儀式なのである。
【祈祷の言霊:「この槍、我が魂」の解釈】
法螺貝の音が止み、再び訪れた地を揺るがすような静寂の中、謙信は腹の底から響く声で、全軍に聞こえるように言霊を放つ。その内容は、以下のようなものであったと想像される。
「聞け、越後の兵(つわもの)どもよ。此度の戦、私利私欲にあらず。天下に蔓延る不義を討ち、乱れたる世を正すための義戦(ぎせん)なり。我は毘沙門天の化身としてここに立つ。そして汝らの手に持つ槍は、もはやただの鉄(くろがね)に非ず」
ここで一拍の間を置き、天に掲げた槍を兵士たちに向け、あるいは全軍を見渡しながら、最後の言葉を叩きつける。
「この槍、我が魂にして、毘沙門天の神威そのものなり! この槍をもって不義を貫け! 勝利は天命にあり! いざ、出陣!」
この言葉において、「我が魂」とは、謙信個人の魂であると同時に、彼が一体化した毘沙門天の神威そのものを指す。この言霊は、兵士一人一人が手にする無機質な槍を、神の力を宿した「聖遺物」へと変える絶大な力を持つ。この儀式を経て、兵士たちはもはや自分の力で戦うのではなく、神の力を振るうのだという絶対的な確信を得る。鬨の声が上がり、上杉軍は一つの意志を持つ神の軍勢として、戦場へと進軍を開始するのである。
第六章:儀礼の機能―精神的・戦略的インプリケーション
前章で再構築した出陣儀礼は、単なる精神論や宗教的パフォーマンスにとどまるものではない。それは、上杉謙信の軍事的天才性を支える、極めて高度な戦略的合理性に基づいた統率術の核心であった。
謙信の戦は、常に「義」を掲げたものであったことが知られている 5 。他国からの救援要請に応じる形での出兵が多く、領土的野心に基づかないとされる彼の戦いは、兵士たちに大義名分を与えた。出陣儀礼は、この抽象的な「義」を、兵士一人一人が実感できるレベルまで浸透させ、自らの戦いの正当性を確信させるための最終段階として機能した。
このような精神的武装は、兵士の士気を極限まで高め、人間が本能的に抱く死への恐怖を克服させる強力な効果があったと考えられる。人気ゲーム『信長の野望』において、上杉謙信の固有特性「毘沙門天信仰」が、兵糧が尽きても士気が下がりにくくなるという効果を持つのは、この歴史的背景を的確に捉えたものと言えよう 30 。兵士たちは、神の軍勢の一員として戦うことに誇りを持ち、たとえ討ち死にしてもそれは不名誉な死ではなく、神の許へ召される名誉であると信じることができたのである。
さらに重要なのは、この儀礼が謙信の得意戦法と密接に結びついていた点である。謙信の戦術の真骨頂は、自らが先頭に立って敵陣の中央を楔のように突破する、極めて攻撃的な「車懸りの陣」であったとされる 4 。この戦術は、後続の部隊が一切の躊躇なく、大将を信じて一点に突撃し続けるという、絶対的な統率と異常なまでの高士気がなければ成立しない。
まさに、出陣儀礼こそが、この戦術を可能にするための心理的装置として機能していたのである。兵士たちの視点から見れば、神の化身である大将が、神の力を与えられた槍を手に先陣を切って突撃していく。これに続けば勝利は疑いなく、神の加護は我々と共にある。この強烈な信念が、兵士たちを恐怖から解放し、自己保存の本能を超えた超人的な突撃を可能にさせた。
結論として、「槍と魂」の儀礼、あるいは本稿で再構築したそれに類する儀礼は、信仰と戦略が分かちがたく結びついた、上杉軍の強さの源泉そのものであった。それは、謙信の軍事思想の頂点を示す精神掌握術であり、彼が「軍神」と畏怖された所以を解き明かす鍵なのである。
終章:真実を超える物語
本報告は、上杉謙信にまつわる「出陣前に味方全員の槍先を自ら撫で、『この槍、我が魂』と祈祷した」という信仰譚が、厳密な意味での史実である可能性は極めて低いことを明らかにした。主要な軍記物語にその記述が見られないことは、この物語が後世、おそらくは謙信の人物像をより劇的に、より象徴的に描こうとした創作者たちの手によって生み出されたことを強く示唆している。
しかし、この結論は、当該逸話の価値を何ら貶めるものではない。むしろ、我々はその逆の事実を目の当たりにした。すなわち、この逸話は、上杉謙信という稀代の武将が持つ信仰の深さ、独自の統率術、そして兵士たちとの精神的な絆といった、彼の強さの本質を、これ以上なく的確に、そして美しく捉えた「物語的真実」であるということだ。
史実の謙信は、自らを毘沙門天の化身と信じ、出陣前には神と一体化するための神聖な儀式を執り行い、それによって軍団全体を「神の軍隊」へと変容させた。また、当時の武士たちは、戦場で生死を共にする槍を、自らの魂の延長として捉える精神文化を持っていた。この二つの歴史的文脈が交差する点に、「この槍、我が魂」という言葉の核心が存在する。たとえ謙信自身がその言葉を口にしなかったとしても、彼の全ての行動が、その言葉に集約される精神性を体現していたことは間違いない。
我々がこの物語に強く惹かれるのは、それが単なる歴史の一コマを切り取ったものではないからだ。そこには、リーダーシップの本質とは何か、信仰は人間にいかなる力を与えるのか、そして組織がいかにして死の恐怖を超克し、一つの目的に向かって邁進するのかという、時代を超えた普遍的なテーマが描き出されている。
史実か否かという二元論的な問いを超えて、この逸話は「軍神」上杉謙信の魂を現代に伝える、不滅の神話としてその価値を持ち続けるであろう。それは、歴史の真実が、時に記録された事実そのものよりも、人々の心の中で語り継がれる物語の中にこそ、より深く宿ることを示す好例と言える。
引用文献
- 川中島合戦について その2 https://yogokun.my.coocan.jp/kawanakajima2.htm
- 山本勘助 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%8B%98%E5%8A%A9
- 川中島、謙信・信玄一騎打ちの真相について https://yogokun.my.coocan.jp/kawanakajima.htm
- 執念の石 /【川中島の戦い】史跡ガイド - 長野市 https://www.nagano-cvb.or.jp/furinkazan/siseki/entry/000154.html
- 上杉謙信の逸話やエピソード・名言 教え 現代教育 https://gogatuningyou.net/blogs/q-a/uesugi-teaching
- 上杉謙信の名言・逸話48選 - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/304
- 上杉謙信とは? したことや性格、敵に塩を送った逸話や女性説の真偽など解説 | マイナビニュース https://news.mynavi.jp/article/20211110-2164859/
- 天地人 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E4%BA%BA_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
- 武田信玄 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%8E%84_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
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- 上杉謙信の歴史 - 戦国武将一覧/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/33844/
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- 上杉謙信はなぜ最強だったのか|城と地酒と食の案内人 Sobako - note https://note.com/rootsofjapan/n/nefdfd1f94164