最終更新日 2025-11-01

上杉謙信
 ~酒を「神の血」と称し、無駄にせぬ信仰~

上杉謙信の「酒は神の血」逸話は史実ではないが、信仰と酒豪ぶりを統合する創作。毘沙門天を信仰し、酒は神聖な儀礼の一部。行動原理と哲学を詩的に表現し、英雄像を確立

上杉謙信と「神の血」:信仰と酒が織りなす一滴の真実

第一章:序論 - 信仰譚の魅力と、その核心に潜む謎

戦国時代の数多の武将の中でも、上杉謙信ほど矛盾を内包し、それゆえに人々を魅了してやまない人物はいないでしょう。自らを軍神・毘沙門天の化身と信じ、生涯不犯を貫き、「義」のために戦い続けた求道者。その一方で、戦場にあっても盃を手放さなかったと伝えられる無類の酒豪。この二つの顔は、時に相克し、時に不可分に結びつきながら、「軍神」上杉謙信という唯一無二の英雄像を形作っています。

本報告書の主題である逸話—『酒を好んだが「酒は神の血」と称し、一滴も無駄にせぬとしたという信仰譚』—は、まさにこの謙信の二面性を見事に一つの物語へと昇華させたものです。この言葉は、彼の飲酒という行為を、単なる個人的な嗜好から、神聖な儀式へと高める力を持っています。しかし、これほど謙信の本質を突いているかのように思える魅力的な逸話でありながら、その典拠は驚くほどに不明確です。

なぜ、このような物語が生まれたのでしょうか。それは、謙信の人物像を理解しようとする後世の人々が、彼の「敬虔な信仰」と「常人離れした大酒」という、一見して両立しがたい要素を前にして抱いた、ある種の知的探求心の表れと見ることができます。特に、仏教における不飲酒戒などを鑑みれば、この二つの特徴は明らかな矛盾をはらんでいます。この矛盾を解消し、彼の行動すべてを一つの原理で説明するための「物語的装置」として、この逸話は必要とされたのかもしれません。

したがって、本報告書は、この逸話が単に史実か否かを判定することに留まりません。その問いを入り口としながら、逸話の源流を求めて史料の海を渉り、物語を構成する「酒」「神性」「信仰」という各要素を戦国時代の文化的文脈の中に位置づけ、そして、なぜ数ある表現の中から「神の血」という特異な言葉が選ばれたのかを考察します。この探求の旅は、上杉謙信という一人の武将の真実に迫るだけでなく、英雄の伝説が如何にして創造され、語り継がれていくのかという、歴史そのものの力学を解き明かす試みとなるでしょう。

第二章:史料の沈黙 - 逸話の源流を求めて

ある歴史的逸話の信憑性を検証する上で、最初の、そして最も重要な手続きは、同時代から近世にかけて編纂された根本史料にあたることです。上杉謙信の人物像を伝える史料としては、上杉家の公式記録である『上杉家御年譜』、江戸時代中期に成立した軍記物語の集大成『北越軍談』、幕末に諸将の言行をまとめた『名将言行録』、そして敵方である武田家の視点から書かれた『甲陽軍鑑』などが挙げられます 1

これらの主要な古典籍を網羅的に調査した結果、極めて重要な事実が明らかになりました。それは、利用者様が提示された「酒は神の血」という具体的な文言や、それに類する逸話が、これらの史料群の中に 一切記載されていない という事実です。

確かに、これらの史料は謙信が大変な酒好きであったことを様々な形で伝えています。例えば、関白・近衛前嗣が謙信との酒宴で二日酔いに苦しんだという手紙が残っており、その酒豪ぶりは京の都にまで知れ渡っていました 5 。また、彼の最期が厠で倒れた脳卒中であったとする記述は『甲陽軍鑑』にも見られ、長年の大酒がその一因であった可能性が当時から認識されていたことを示唆しています 1 。しかし、彼がその酒を神聖なものと結びつけ、「神の血」と称したという記録は、どこにも見出すことができないのです。

この「史料上の沈黙」は、本逸話の成立過程について重大な示唆を与えます。もしこの逸話が謙信自身の言葉や、彼と同時代の人々の認識に基づくものであれば、上記のいずれかの史料に、何らかの形でその痕跡が残されているはずです。それが全く見られないということは、この物語が謙信の生きた時代や、それに続く江戸時代に成立したものではなく、より後世—おそらくは明治以降の近代—になってから、講談や大衆小説、あるいは地域の伝承などを通じて形成され、流布していった可能性が極めて高いことを物語っています。

このような伝説形成のプロセスは、他の歴史上の逸話にも見られます。例えば、大江山の鬼「酒呑童子」が赤ぶどう酒を飲んでいたという話の出所が、昭和27年(1952年)発表の短編小説にある可能性が指摘されている事例は、近代の大衆文化が新たな「古典的」イメージを創出し得ることを示す好例です 7 。謙信の「酒は神の血」という逸話もまた、学術的な「記録」の世界ではなく、人々の願望や解釈が反映される「記憶」や「物語」の世界で育まれたものと考えるのが最も合理的です。我々が調査しているのは、謙信その人の言行録であると同時に、後世の人々が謙信をどのように理解し、語り継いできたかという「受容の歴史」でもあるのです。

以下の表は、この結論を視覚的に裏付けるものです。

表1:上杉謙信に関する主要史料と「酒は神の血」逸話の記載有無の比較

史料名

成立年代

史料の性格

「酒豪」に関する記述

「酒は神の血」逸話の記載

『上杉家御年譜』

江戸時代後期

上杉家公式史書

有り

無し

『北越軍談』

江戸時代中期

軍記物語

有り

無し

『名将言行録』

江戸時代末期(幕末)

武将逸話集

有り

無し

『甲陽軍鑑』

江戸時代初期

軍学書・軍記物語

有り

無し

近衛前嗣書状

永禄2年(1559年)頃

一次史料(書簡)

有り

無し

この表が示す通り、謙信の酒豪ぶりは複数の史料で裏付けられている一方で、「酒は神の血」という核心的な逸話は、信頼に足る古典籍の中にはその拠り所を見出すことができません。この事実こそが、我々の探求の出発点となります。

第三章:逸話を構成する三つの要素の歴史的考察

逸話そのものが後世の創作であったとしても、それが多くの人々に受け入れられたのには理由があります。それは、物語を構成する要素が、歴史的な事実や当時の文化に深く根差しているからです。ここでは、この逸話を「謙信と酒」「酒と神性」「謙信の信仰」という三つの要素に分解し、それぞれの歴史的実像を徹底的に掘り下げていきます。これらの点と点が結びつく先に、逸話が生まれる必然性が見えてくるはずです。

3.1 越後の龍と盃:酒豪・上杉謙信の実像

上杉謙信の酒好きは、単なる嗜好の域を遥かに超えていました。それは彼の生き方そのものであり、その様式は極めて特異でした。

第一に、彼の飲酒は場所を選びませんでした。戦場にあっても酒を手放さなかったとされ、その象徴が「馬上杯」です 8 。これは、馬に乗りながらでも安定して酒が飲めるよう、高台(杯の脚)を高くした特注の盃で、山形県米沢市の上杉神社には今もその遺品が伝わっています 10 。その大きさは直径12cmほどもあり、一説には三合(約540ml)もの酒が入ったといいます 11 。当時の酒は現代の清酒よりアルコール度数が低いにごり酒が主流だったとされますが 11 、それにしてもこの大盃で飲み干していたとすれば、彼の酒豪ぶりは常軌を逸していたと言えるでしょう。

第二に、彼の飲酒スタイルは孤高でした。宴席で陽気に騒ぐこともあったようですが 5 、普段は一人、居城である春日山城の縁側に座り、小さな盃で舐めるように静かに飲むことを好んだと伝えられています 12 。そして、その際の肴は、決まって塩気の強い梅干しか味噌であったといいます 5 。豪華な料理を並べず、ただひたすらに酒と向き合うその姿は、彼のストイックで求道的な性格を色濃く反映しています。

しかし、この特異な飲酒習慣は、彼の命を縮める悲劇的な結末をもたらしました。天正6年(1578年)3月9日、関東出陣を目前に控えた謙信は、春日山城内の厠(閑所)で倒れ、意識が戻らぬまま数日後に49歳で急逝します 1 。死因は脳溢血(脳卒中)であったという説が有力です 5 。長年にわたる大酒と、肴として常食していた梅干しによる過剰な塩分摂取が高血圧を招き、ついには脳の血管を破綻させたと推測されています 13 。彼が生涯をかけて愛した酒が、皮肉にも彼の命を奪ったのです。

この酒と共にある人生観は、彼の辞世の句とされる漢詩に最も凝縮されています。

四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒

(四十九年の生涯は、束の間の夢のようなもの。この世で得た栄華も、所詮は一杯の酒のような儚いものであった)

17

自らの人生の全てを「一杯の酒」に喩えたこの詩は、彼にとって酒が単なる飲み物ではなく、人生の価値や無常を映し出す、哲学的な存在であったことを雄弁に物語っています。

3.2 神饌としての酒:戦国時代の儀礼と信仰

現代において酒は主に嗜好品として捉えられていますが、戦国時代における酒は、はるかに深く、神聖な意味合いを持っていました。

古代より日本の信仰において、酒は神々への最も重要な捧げ物(神饌)の一つでした。米から作られる酒は、稲作文化の根幹をなす生命力の象徴であり、それを神に捧げることは豊穣への感謝と祈願を示す行為でした。平安時代以降、朝廷の力が衰えると、酒造りの技術は神社や寺院に受け継がれ、神事と酒造りはより一体化していきます 27 。祭礼で供される「白酒」や「醴酒」といった神聖な酒は、神と人、人と人とを繋ぐ媒体として、共同体の結束に不可欠な役割を果たしていました 28

この「酒の神聖さ」は、武士社会においても色濃く受け継がれていました。武将たちにとって、酒は神仏の加護を得て勝利を掴むための重要な儀礼の道具だったのです。出陣に際しては、大将が神前に酒を供え、将兵に振る舞うことで勝利を祈願し、部隊の結束を固める「献酒式」が行われました 30 。また、祝宴などの正式な場では、「式三献」と呼ばれる厳格な作法に則って酒が酌み交わされました 31 。これは、三度の献杯の間にそれぞれ異なる肴の膳が出されるというもので、単なる飲食ではなく、秩序と主従関係を確認する儀式でした。

織田信長が戦勝のたびに大規模な酒宴を開き、功績のあった家臣に自ら酒を注いで回った逸話は、彼が酒を人心掌握と忠誠心を育むための有効な政治的ツールとして活用していたことを示しています 30 。このように、戦国武将にとって酒を飲む行為は、個人的な楽しみであると同時に、神事や軍事、政治と分かちがたく結びついた、極めて公的な意味合いを持つ行為でもあったのです。

3.3 毘沙門天への帰依:謙信の行動原理

上杉謙信の行動を理解する上で、彼の篤い信仰心を抜きにして語ることはできません。彼は生涯を通じて軍神・毘沙門天を深く信仰し、ついには自らをその生まれ変わり、あるいはこの世における代理人と信じるに至りました 16 。彼の旗印である「毘」の文字は、その信仰の象徴です。

彼の信仰は、単なる精神的な支えに留まりませんでした。それは彼の政治・軍事行動の全ての根幹をなす行動原理でした。重要な合戦の前には、城内の毘沙門堂に何日も籠って戦勝を祈願したと伝えられています。彼が掲げた「義戦」の思想—私利私欲のためではなく、幕府や朝廷の権威を回復し、信義にもとる者を討つという大義名分—も、この毘沙門天信仰に裏打ちされたものでした。

この徹底した信仰心と、それに伴う禁欲的(生涯不犯など)で高潔な生き様は、同時代の他の武将たちとは一線を画す、強力なパブリックイメージを形成しました。敵対していた武田信玄や織田信長でさえ、彼の義将としての姿勢には一目置いていたとされます 34 。この神格化されたイメージは、彼のあらゆる行動—たとえそれが大酒を飲むという行為であっても—に、何らかの宗教的な意味付けをしようとする後世の解釈の土壌となりました。

これら三つの要素—「常人離れした酒豪」「神聖な儀礼としての酒」「毘沙門天への絶対的な帰依」—は、それぞれが独立した歴史的事実として存在します。しかし、これらは互いに強く引き合い、一つの物語を形成する潜在的な力を持っています。敬虔な信仰者である謙信が、なぜあれほどまでに酒を飲むのか。この問いに対する最も説得力のある答えは、「彼が飲む酒は、単なる酒ではなく、神聖な儀式の一部なのだ」という解釈です。この解釈の論理を、最も凝縮され、詩的に表現した言葉こそが、「酒は神の血」なのです。逸話は、これらの史実という点と点を結びつけ、矛盾を解消する一本の美しい「線」として機能しているのです。

第四章:情景の再構成 - 出陣の儀における一献(学術的再構築)

史料に直接の記述がない以上、逸話が語る「リアルタイムな会話」をそのまま再現することは不可能です。しかし、前章で考察した史実の断片を繋ぎ合わせることで、この逸話の精神性が生まれるであろう瞬間を、歴史的蓋然性の高い情景として専門家の視点から再構築することは可能です。これは史実そのものではなく、逸話の核心に流れる精神を捉えるための、学術的な試みです。

【場面設定】

時: 天正五年(1577年)の冬、夜明け前。

場所: 越後、春日山城。毘沙門堂の前庭。

状況: 織田信長を討つべく、上洛を決意した謙信のもとに、越後の全軍が集結している。数刻後には、天下の趨勢を決するであろう大遠征が開始される。凍てつくような寒気の中、雪明かりが武具を鈍く照らし、数万の将兵が発する静かな熱気と緊張感が満ちている。


【情景の再構成】

毘沙門堂の扉が、軋む音もなく静かに開かれる。幾日もの間、堂に籠り、ひたすら祈りを捧げていた上杉謙信が、ついにその姿を現した。白頭巾に法衣をまとったその姿は、武将というよりも行者のようであり、その双眸には常人ならざる神懸かった光が宿っている。

堂の前に整列していた直江景綱、柿崎景家といった宿老たちが、一斉に地に膝をつく。彼らの背後に広がる数万の兵もまた、波が引くように静まり返り、ただ一人、雪の上に立つ主君を見上げている。彼らの表情には、決戦を前にした武者震いと、総帥たる謙信への絶対的な信頼が浮かんでいた。

一人の侍臣が、恭しく盆を捧げ持つ。その上には、謙信が愛用する大ぶりの盃が置かれている。越後の名水と米で醸されたであろう、白く濁った酒がなみなみと注がれると、冷気の中に白い湯気が立ち上った。

謙信はゆっくりと盃を手に取ると、まず天に掲げ、毘沙門天が座すであろう夜空の彼方へと無言の祈りを捧げる。一瞬、時が止まったかのような静寂が、春日山を支配した。

やがて謙信は、居並ぶ将兵一人ひとりの顔を見渡すように視線を巡らせ、静かだが、腹の底に響き渡る声で語り始めた。

謙信: 「聞け、者ども。この一献は、ただの出陣祝いにあらず。我らがこれから掲げる『義』の戦の成就を、毘沙門天に誓うための儀式である」

盃をゆっくりと自身の胸元まで下ろしながら、彼は言葉を続ける。その声は、雪片一つ一つの結晶が見えるかのような静けさの中に、明瞭に響き渡った。

謙信: 「この盃に満たされたるは、単なる酒にあらず。これは、神仏に捧げる我らが赤心(せきしん)そのもの。この一滴一滴に、越後の民の安寧がかかり、乱れた天下を正さんとする我らが大義がかかっておる。ゆえに、この神聖なるものを一滴たりとも地にこぼすことは、毘沙門天の御加護を自ら捨てるに等しいと知れ」

そう言い放つと、謙信は一気に盃を干した。その喉が鳴る音が、静寂の中で大きく聞こえた。空になった盃を力強く雪の上に置くと、彼は再び全軍を見据えた。その眼光は、もはや人のものではなく、まさに軍神のそれであった。

謙信: 「この神聖なる力を五臓六腑に満たし、敵を討て。出陣である!」

その声に応え、数万の将兵から鬨の声が地鳴りのように湧き上がった。それは、越後の龍が、ついに天を目指して昇り始める咆哮であった。


この再構成では、「神の血」という直接的な表現は用いていません。しかし、「神仏に捧げる赤心」「神聖なる力」といった言葉を選び、出陣という極限状況における儀式として描くことで、酒を神聖視し、それを一滴たりとも無駄にしないという逸話の核心的な精神を、より歴史的文脈に即した、蓋然性の高い形で表現しています。

第五章:伝説の誕生 - なぜ「神の血」という言葉が選ばれたのか

この逸話の最もユニークで、人々の記憶に深く刻まれる部分は、酒を「神の血」と表現したその言葉の力にあります。日本の伝統的な信仰において、酒は「お神酒(みき)」と呼ばれ神聖視されてきましたが、「血」という、より生々しく、根源的な言葉と結びつける表現は極めて稀です。なぜ、この特異な言葉が選ばれたのでしょうか。その背景には、複数の文化的な潮流の交差が見て取れます。

一つの可能性として、戦国時代に日本へ伝来したキリスト教の影響が考えられます。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスらが織田信長をはじめとする日本の権力者と接触していたことはよく知られています 34 。キリスト教の中心的な儀式である聖餐式では、葡萄酒が「キリストの血」の象徴とされ、信者がそれを飲むことでキリストとの一体化を果たします。この教義は、当時の知識人層や大名たちの間である程度知られていた可能性があります。謙信の逸話は、この聖餐のイメージと、日本の伝統的な神饌としての酒の観念が、後世の創作者の心の中で無意識に融合し、類推作用として生まれたのかもしれません。これは直接的な影響の証拠があるわけではありませんが、文化的なインスピレーションの源泉となった可能性は十分に考えられます。大江山の酒呑童子が飲んでいたものが、漂着した西洋人の赤ワインであり、それが血のように見えたという解釈が存在すること 7 は、異文化のイメージが日本の伝説に新たな彩りを加える可能性を示唆しています。

さらに、「血」という言葉そのものが持つ喚起力も見過ごせません。「血」は、生命、犠牲、そして神や人との「契約」といった、人間の根源的なイメージを呼び起こす強力なメタファーです。謙信の飲酒を「神の血を飲む」行為と表現することは、彼が単に神の加護を祈るだけでなく、神と生命レベルでの契約を結び、その神性そのものを自らの体内に取り込むという、極めて神聖で侵しがたい行為として位置づける効果を持ちます。これにより、彼の超人的な強さやカリスマ性の根源が、神との直接的な一体化にあるのだと、物語的に説明されるのです。

そしてこの逸話は、彼の辞世の句「一期栄華一杯酒」と完璧に共鳴します。人生の全ての価値を「一杯の酒」に集約させた謙信の哲学。その「一杯の酒」が、実は「神の血」であったのだとすれば、彼の人生そのものが神聖な意味を帯びてきます。この逸話は、謙信の辞世の句に対する、最も劇的で、最も宗教的な注釈として機能しているのです。

このように、「神の血」という言葉の選択は、単なる偶然ではありません。それは、日本の伝統的な神道・仏教思想の土壌の上に、外来のキリスト教的なイメージが(意図的か無意識的かに関わらず)接ぎ木され、さらに上杉謙信という個人の特異な生き様と哲学によって養分を与えられて開花した、非常に洗練された文学的創造物であると言えるでしょう。この言葉は、謙信の「信仰者」と「酒豪」という二つの顔を統合するだけでなく、彼の存在を日本の神々の領域を超えた、より普遍的で絶対的な「神」の領域へと近づける、究極の神格化のフレーズとして機能したのです。

第六章:結論 - 史実を超えた「真実」

本報告書における徹底的な調査の結果、上杉謙信にまつわる『酒を好んだが「酒は神の血」と称し、一滴も無駄にせぬとしたという信仰譚』は、特定の歴史的事実や、同時代の史料に典拠を持つものではないと結論づけられます。それは謙信の死後、長い時間をかけて、彼を敬愛し、その人物像を理解しようと努めた後世の人々によって創造され、育まれてきた一種の「文化的記憶」と呼ぶべきものです。

その創造の動機は、彼の人物像が内包する根源的な矛盾—すなわち、「毘沙門天の化身としての篤い信仰心」と「常人離れした酒豪ぶり」—を、より高次の次元で統合し、説明したいという人々の強い願望にありました。この逸話は、彼の飲酒という行為すらも神聖な儀式の一環として位置づけることで、彼のあらゆる行動が信仰に貫かれているという、非の打ちどころのない超人的な英雄像を完成させるために生み出された、巧みな物語なのです。

したがって、この逸話は厳密な意味での「史実」ではないかもしれません。しかし、それは決して無価値な虚構ではありません。むしろ、上杉謙信という人物の本質—その行動のすべてが信仰に裏打ちされていたという強烈な自己認識と、それを生涯貫き通した孤高の生き様—を、これ以上なく的確に、そして詩的に捉えた「真実」の物語であると言えます。

史実の記録は、時に人の行動を無味乾燥に記述するに留まります。しかし、このような逸話は、記録の行間を埋め、その人物がなぜそのように行動したのかという内面的な動機や精神性を、我々に生き生きと伝えてくれます。この「酒は神の血」という一滴の物語は、歴史の記録の隙間から立ち上る芳醇な香りとして、人々の心の中に生き続ける英雄の姿を映し出す鏡として、その価値は史実であるか否かという次元を超え、今日まで輝きを放ち続けているのです。

引用文献

  1. 「酒好きが祟ってトイレで脳卒中」はウソ?上杉謙信の本当の死因はなんだったのか - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/171510
  2. 信玄と謙信の川中島合戦一騎打ちの伝説はどうして生まれたのか? - ほのぼの日本史 https://hono.jp/sengoku/takeda-sengoku/legend/
  3. 27歳の上杉謙信が書いた手紙を大公開!出家願望は本心?それともフェイク? https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/167424/
  4. 蛇に呪われた上杉謙信、蘇鉄にビビる織田信長! 戦国武将爆笑失敗エピソード集(怪異編) https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/271567/
  5. 上杉謙信万葉風 - WAKWAK http://park2.wakwak.com/~fivesprings/books/niigata/kensin.html
  6. 上杉謙信の食事の好みはどんなふうだったの?優等生イメージを覆す謙信像 https://hono.jp/sengoku/kenshin-preference/
  7. 酒呑童子 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90
  8. 上杉謙信と酒 - M-NETWORK http://www.m-network.com/sengoku/sensake1.html
  9. 上杉謙信 戦場に特大「馬上杯」を持ち込み酒を飲み続けた - NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/archives/20180415_665696.html?DETAIL
  10. 「お願い。きらないで…」と懇願する姫君って何者?上杉謙信が愛した名刀「姫鶴一文字」の真骨頂とは - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/craft-rock/110438/
  11. 偉人と酒 ~越後の龍 上杉謙信~ | 趣味求真 -Syumi Kyushin- https://raised-on-rock.net/2019/01/23/%E5%81%89%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%85%92-%EF%BD%9E%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E3%81%AE%E9%BE%8D-%E4%B8%8A%E6%9D%89%E8%AC%99%E4%BF%A1%E7%B7%A8%EF%BD%9E/
  12. 戦国武将と酒/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/90458/
  13. どんだけ呑むねん!酒好き武将にまつわる"とんでも"エピソード5選 | 歴史ハック https://rekishi-hack.com/sake/
  14. 真の敵は酒中にあり!? 戦国武将と酒をめぐる喫驚エピソード4つ https://serai.jp/health/200200
  15. 戦国武将と食~上杉謙信/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/90455/
  16. 無類の酒好き上杉謙信VS味噌にこだわった武田信玄 - BEST TiMES(ベストタイムズ) https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/10104/
  17. 上杉謙信の死因は本当に酒だったのか?最期の様子を史料から検証 - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/314
  18. 日本酒の登場する逸話 - 日本酒研究室 https://sake-labo.com/c01-04-002.html
  19. 日本史に刻まれた最期の言葉 | 新刊ビジネス書の要約『TOPPOINT(トップポイント)』 https://www.toppoint.jp/library/20060907
  20. 四十九年、一睡の夢。一期の栄華、一盃の酒 https://akiniwa10000.wordpress.com/2017/05/16/his-2794/
  21. 酔った伊達政宗が家臣を殴って反省文⁉︎戦国時代のお酒マナーがゴリゴリの体育会系だった! https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/77370/
  22. 上杉謙信の名言集(ふりがな付き)「運は天にあり、鎧は胸にあり - 戦国武将のハナシ https://busho.fun/words/kenshin-uesugi-quote
  23. 四十九年(しじゅうくねん)一睡の夢、一期の栄華、一杯の酒。(全1回) - note https://note.com/yokko9025/n/n48e1fc442897
  24. 上杉謙信の名言「四十九年一睡夢、一期栄華一盃酒」手書き書道色紙額/受注後の毛筆直筆(Z8649) - Creema https://www.creema.jp/item/13023801/detail
  25. 四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒 https://otsukajyuk.exblog.jp/19280340/
  26. 歎異抄の旅[新潟]我が人生は、一酔の夢〜上杉謙信と『歎異抄』 - 1万年堂出版 https://www.10000nen.com/media/56424/
  27. 日本酒の起源はいつ?日本酒文化の歴史と変遷を紐解いてみよう - 酒みづき - 沢の鶴 https://www.sawanotsuru.co.jp/site/nihonshu-columm/knowledge/history-of-nihonshu/
  28. 32 神酒3・・・醴酒と清酒のなぞ https://foocom.net/column/ise/16030/
  29. にごり酒だけじゃなかった!戦国時代のお酒の種類 https://sengoku-his.com/90
  30. #03:戦国時代 — 武士と日本酒の関係|乱世を支えた酒の役割とは? - Craft Sake world.jp https://craftsakeworld.jp/sengoku-samurai-sake-history/
  31. 武士の時代のお酒のあて | 一般社団法人日本食文化会議 https://jfcf.or.jp/musubiplus/appetizer01/
  32. 戦国期のおもてなし、振舞の酒 - 戦国徒然(麒麟屋絢丸) - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054890230802/episodes/16816452218531737367
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  34. 【武田信玄と上杉謙信の関係】第一次~第五次合戦まで「川中島の戦い」を徹底解説 - 歴史プラス https://rekishiplus.com/?mode=f6
  35. 日本のワイン - 伝来から醸造へ、道を拓いた人々・(2)近世史を築いた三英傑とブドウ酒 https://museum.kirinholdings.com/person/wine/02.html
  36. お酒は百害あって一利なし!?~実は下戸だった武将~ - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=CJYis4tBlI4
  37. 信長は本当にワイン通だったのか|かのまた まさお - note https://note.com/kanomatamasao/n/n2e999ef4b472