千利休
~茶碗割り侘びは形にあらず遺言譚~
千利休の「茶碗割り侘びは形にあらず」遺言譚の真実と伝説の深層を探る。史実との対比から、利休の死生観、芸術と権力の相克、そして侘び茶の真髄を解き明かす。
千利休と黒楽茶碗:切腹前の遺言譚、その真実と伝説の深層
序章:聚楽屋敷、最期の朝 ― 伝説への序曲
天正19年(1591年)2月28日、京都・聚楽屋敷。天下人・豊臣秀吉の怒りを買い、理不尽ともいえる切腹の命が下された茶人、千利休はその朝を迎えた。記録によれば、その日は雷鳴がとどろき、霰(あられ)が激しく降りしきる荒れた天候であったという 1 。あたかも、一人の偉大な芸術家の内なる葛藤と、時代の大きなうねりが呼応するかのように、天候までもがその悲劇性を演出していた。
この極限状況下で、利休の生涯と、彼が大成させた「わび茶」の哲学の集大成として、一つの逸話が後世に語り継がれてきた。それは、自らの美意識の究極の結晶ともいえる黒楽茶碗を、弟子たちの目の前で打ち砕き、「侘びは形にあらず」という趣旨の言葉を遺した、という壮絶な物語である。
この逸話は、単なる美談として消費されるべきものではない。そこには、利休の死生観、芸術と権力の相克、そして「侘び」という日本独自の美意識の真髄が凝縮されている。本報告書は、この「黒楽茶碗破壊の遺言譚」という一点にのみ焦点を絞り、物語として、思想として、そして史実として、その核心に徹底的に迫るものである。
第一部:逸話の再構成 ― 最後の茶会、その一挙手一投足
利用者様の要望である「リアルタイムな会話内容」や「その時の状態」を可能な限り再現するため、本章では、この逸話の最も詳細かつ劇的な記述が見られる岡倉天心の『茶の本』第七章「茶の宗匠」の記述を主軸に、最後の茶会の光景を文学的に再構成する 2 。ただし、これはあくまで後世に「語り継がれる伝説の姿」であり、史実そのものではないことを前提として読み進めていただきたい。
一.悲壮なる招集
切腹を定められた日、利休は動じることなく、主要な門人たちを「最後の茶の湯」に招いた。招きを受けたのは、蒲生氏郷、細川三斎(忠興)、古田織部といった、利休の茶の湯を深く理解し、戦国の世を共に生きた高弟たちであったと想像される 4 。彼らは、師の覚悟を察し、悲痛な思いを胸に、定められた時刻に聚楽屋敷の待合へと集った。
二.静寂の茶室 ― 死の気配
岡倉天心の筆によれば、その場の空気は尋常ではなかった 2 。庭の木々はまるで戦慄しているかのように見え、風にそよぐ木の葉の音すら、家なき亡者の囁きのように聞こえたという。庭先に佇む灰色の石燈籠は、さながら地獄の門前に立つ番兵のようであった。やがて、茶室からえもいわれぬ香が漂い、それが席入りの合図となった。
弟子たちが一人、また一人と躙り口(にじりぐち)をくぐり席に着くと、床の間には一幅の掛け軸があった。それは、浮世の儚さを綴った古僧の墨蹟であり、この茶会が何を意味するのかを静かに物語っていた。火鉢にかけられた茶釜の湯の沸く音は、過ぎ行く夏を惜しんで鳴く蝉の声のように、悲痛な響きを帯びていたとされる 2 。この空間の全ての設えが、「死」と「無常」を暗示し、茶会そのものが利休の死生観を体現する最後の舞台装置となっていた。
三.無言の一碗 ― 最後のもてなし
やがて亭主である利休が静かに席入りし、茶事が始まった。しかし、そこに言葉はなかった。利休は順次に茶を点て、弟子たちは黙ってそれを受け、飲み干す。最後に利休自身も一碗を喫した 2 。この沈黙は、言葉を超えた精神の交感であり、亭主と客が心を一つにして一会を成す「一座建立」の精神が、死を前にした究極の形で完成した瞬間であった 7 。この一杯の茶に、利休が生涯をかけて説いた「一期一会」の精神が、これ以上ないほどの重みをもって凝縮されていたのである 8 。
四.形見分け ― 継承されるべきもの
一通り茶事が終わると、定式に従い、主賓が道具の拝見を願った。利休は、床の間の墨蹟をはじめ、自らが愛蔵してきた数々の名器を弟子たちの前に並べた。皆がその美しさを心ゆくまで堪能し、讃え終わると、利休はそれらの道具を一つずつ、形見として弟子たちに与えていった 2 。それは、自らの美の精神を、信頼する弟子たちへと託す、最後の継承の儀式であった。
五.一撃、そして遺言 ― 形の超越
全ての道具が分け与えられたが、ただ一つ、利休が点てた茶碗だけは、彼自身の手元に残された。そして、一座の者が固唾をのんで見守る中、利休は静かに、しかし凛とした声でこう告げたという。
「不幸の人のくちびるによって不浄になった器は決して再び人間には使用させない。」 2
その言葉が終わるや否や、利休はその茶碗を石の上に投げつけ、粉々に打ち砕いた。
この行為と言葉は、多層的な解釈を可能にする。表層的には、自らの死によって「穢れた」道具への深い愛情と、それを他者に使わせまいとする美的な潔癖さの表れである。しかし、その深層には、より根源的なメッセージが込められている。利休の美学の集大成である「完璧な形」としての茶碗を自らの手で破壊することにより、その背後にある精神、すなわち「侘び」は、決して物質的な形に宿るものではないという究極の真理を体現して見せたのである。
興味深いことに、多くの人が記憶する「侘びは形にあらず」という直接的な言葉は、岡倉天心の原文には存在しない。これは、後世の人々がこの劇的な逸話からその哲学的エッセンスを抽出し、より普遍的な金言へと昇華させた結果であろう。具体的なセリフ(「不幸の人の…」)が、より抽象的な思想(「侘びは形にあらず」)へと結晶化していく過程そのものが、この伝説の持つ生命力を物語っている。
第二部:器物の探求 ― 黒楽茶碗という「掌中の宇宙」
逸話の中心に存在する「黒楽茶碗」とは、いかなる器物だったのか。それがなぜ、利休の最後のメッセージを託す媒体として選ばれ、そして破壊されねばならなかったのか。その物質的、思想的背景を深く探求する。
一.楽茶碗の誕生 ― 利休と長次郎の協働
楽茶碗は、千利休の創意と指導のもと、瓦職人であった楽家初代・長次郎によって創始された、全く新しい造形の茶碗である 10 。その最大の特徴は、陶工が用いる轆轤(ろくろ)を一切使わず、ただ掌とへらのみを用いて成形する「手捏ね(てづくね)」という技法にある 11 。この制作方法は、機械的な均一性や左右対称の完全性を意図的に放棄し、作り手の身体の痕跡や、制作過程における僅かな歪み、偶然性を作品のうちに留める。一つとして同じものが存在しない楽茶碗のあり方は、一回性を何よりも重んじる茶の湯の「一期一会」の精神と、深く響き合うものであった。
二.「黒」の哲学 ― 古きこころと反骨の美学
利休は、特に黒楽茶碗を深く愛した。その哲学は、博多の商人・神屋宗湛に語ったとされる「赤は雑なるこころ也、黒は古きこころ也」という言葉に集約されている 13 。利休にとって「黒」とは、単なる色彩の好みを超えた、思想的な表明であった。
当時、天下人である秀吉は、黄金の茶室に代表されるような、華美で豪華絢爛な美を好んだ。茶碗においても、派手な赤楽茶碗を好み、黒を「陰気な色」として嫌ったと伝えられる 14 。これに対し、利休が選んだ「黒」は、移ろいやすく外面的な価値(赤)に対する、静かで不変な本質(古きこころ)の象徴であった。それは、秀吉の価値観に対する、明確かつ静かなアンチテーゼであり、二人の美意識の対立が、やがて政治的・人間的決裂へと繋がっていった根本原因の一つと考えられる 14 。
さらに、この「黒」は機能的にも計算され尽くしていた。光を吸収するマットな黒釉は、蝋燭の光しか届かない暗く狭い茶室の闇に溶け込み、器自体の存在感を消し去る 15 。また、比較的低温で焼成される楽焼は熱伝導率が低く、熱い茶を点てても器が熱くなりすぎず、掌で包み込むように持つことができる 12 。道具が自己を主張するのではなく、茶を飲むという行為、そして客人の身体と精神に寄り添うこと。黒楽茶碗は、利休が追求した「用の美」の極致でもあった。
三.「侘び」の器としての完成
艶のない漆黒の肌、掌に収まる有機的なフォルム、そして静謐でありながら内に力を秘めたその姿。黒楽茶碗は、利休がそれまでの茶の湯の価値観を覆し、大成させた「わび茶」の理想を最も純粋に体現したアイコンであった 9 。高価な中国伝来の唐物名物を至上とする価値観を転換させ、不完全さや質素さの中にこそ真の美を見出すという、日本の美意識における一大革命を象徴する器物。利休が最後に破壊したのがこの茶碗であったことの意味は、計り知れないほど重い。
第三部:思想の検証 ―「侘びは形にあらず」という真髄
逸話の核心をなす「侘びは形にあらず」というメッセージを、利休の茶道哲学全体の文脈の中に位置づけ、その思想的深度を掘り下げる。
一.わび茶の革命 ― 価値の転換
利休以前にも、村田珠光や武野紹鴎といった茶人たちによって、華美を嫌い、簡素なものに美を見出す「わび茶」の思想は育まれていた 7 。しかし、利休はこの流れを決定的なものにした。彼は、茶の湯を単なる富や権威を誇示するための遊芸から、禅の思想と深く結びついた精神修養の道へと昇華させたのである。身分に関わらず誰もが頭を下げて入らねばならない躙り口の設置は、茶室における人間の平等を促し 9 、高価な唐物よりも、名もなき国産の、あるいは歪みや素朴さを持つ器物を積極的に取り入れたことは、既存の美的価値観を根底から覆すものであった 9 。黒楽茶碗を打ち砕くという行為は、この価値転換の革命を、自らの死をもって完遂させる最終宣言と解釈することができる。
二.形骸化への警鐘
皮肉なことに、利休が「わび茶」を大成させ、その形式を確立したことで、その作法や道具が新たな権威となり、本質を見失ったまま形だけが模倣される「形骸化」の危険性が生まれていた。利休自身、茶の湯の道を妨げる最大のものは「慢心と自分への執着」であると説いている 21 。自らが完成させた美の象徴である黒楽茶碗を破壊する行為は、「利休が作った形」そのものに固執し、それを絶対視しようとする後進の者たちへの、最も痛烈な警鐘であった。それは、「私の形をなぞるな。その奥にある精神を探求し続けよ」という、血を吐くような遺言だったのである。
三.権力への最後の芸術的抵抗
この逸話は、芸術と権力の闘争の物語としても読み解くことができる。秀吉は茶の湯を政治の道具として巧みに利用し 22 、その美意識を自らの支配下に置こうとした。利休の創意が次第に秀吉の意に沿わなくなっていったという記録も残されている 1 。秀吉は利休の命を奪い、その道具を没収することはできたかもしれない。しかし、利休の精神そのものを所有し、支配することはできなかった。
最後の瞬間に、その美学の究極の象徴である器物を自ら破壊することで、利休は自らの芸術的精神が、権力によって決して所有・支配されることのない、自由な領域にあることを証明した。それは物理的な破壊であると同時に、物への執着や所有欲といった秀吉的な価値観に対する、完全なる精神的勝利の宣言であった。この静かながらも極めて激しい抵抗の意志は、後述する利休の辞世の句の凄絶な響きとも、深く通底している。
第四部:史実との対峙 ― この逸話は本当にあったのか
これほどまでに劇的で、利休の哲学を象徴する逸話は、果たして歴史的事実なのであろうか。伝説と史実を峻別し、なぜこの物語が生まれたのかを検証する。
一.同時代史料の沈黙
千利休の茶会については、『天王寺屋会記』や『松屋日記』、そして弟子である神屋宗湛が記した『宗湛日記』など、信頼性の高い同時代の記録が複数存在する 23 。しかし、これらの第一級史料の中に、利休が切腹前に弟子たちを集めて茶会を開き、黒楽茶碗を割ったという記述は一切見当たらない。これほど衝撃的な出来事であれば、同席した弟子や関係者が何らかの形で記録に残さないとは考えにくく、この「沈黙」は、逸話が史実ではない可能性を示唆する極めて有力な状況証拠となる。
二.伝説の源流 ― 江戸期から明治へ
利休に関する逸話の多くは、彼の死後、時代が下った江戸時代に編纂された逸話集にその源流を見出すことができる。例えば、「朝顔の茶会」の逸話は『茶話指月集』に記されている 24 。また、多くの逸話の宝庫とされる『南方録』は、かつては利休の直説を記録した秘伝書と信じられていたが、近年の研究では、利休没後100年ほど経った元禄時代に、筑前福岡藩の家老・立花実山によって創作されたもの(偽書)というのが定説となっている 26 。
そして、本報告書で再構成の基盤とした「黒楽茶碗破壊」の最も詳細な記述は、明治39年(1906年)に岡倉天心が日本の精神文化を西欧に紹介するために英語で著した『The Book of Tea』(茶の本)に登場する 2 。このことから、逸話は利休の死後、彼を神格化する過程で徐々に形成され、江戸期の逸話集でその原型が生まれ、近代日本が自己の文化を世界に発信しようとした明治期に、岡倉天心という卓越した思想家によって、世界に通用する完成された物語として結晶化したと考えられる。つまり、この逸話は「戦国時代の史実」というよりも、「近代日本の自己表象」という側面を色濃く持っているのである。
三.史実における利休の最期
では、史実として確認されている利休の最期はどのようなものであったか。
- 記録上の最後の茶会: 利休の生涯で記録に残る最後の茶会は、切腹の約1ヶ月前、天正19年閏1月24日に、徳川家康ただ一人を客として招いたものであった 1 。
- 形見の品: 利休は死に際して、自ら削った一本の竹の茶杓に「泪(なみだ)」と銘をつけ、高弟の古田織部に与えたと伝えられている。織部はこの茶杓を大切にし、位牌代わりとして拝んだという 6 。
- 最後の言葉: 利休が遺した最後の言葉は、茶碗を前にした静かなものではなく、切腹の3日前(2月25日)にしたためた、禅の気迫に満ちた凄絶な遺偈(ゆいげ、辞世の句)であった。「人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺…」(人生七十年、えいやっ!この宝剣で、祖師も仏も共に斬り殺してしまえ…)という、激しい言葉がそこにはあった 5 。
史実は、伝説とは大きく異なる様相を呈している。最後の客は弟子たちではなく家康であり、象徴的な形見は「破壊」された茶碗ではなく「継承」された茶杓であった。
四.傍証 ― 破壊による創造の美学
では、茶碗を割るという逸話は、全くの創作に過ぎないのだろうか。ここで、極めて重要な傍証となる別の逸話が存在する。利休は、室町時代に作られた完璧な姿の「古芦屋春日野釜」を、あえて槌で打ち、わざと傷をつけた上で、懇意の釜師・辻与次郎に鎹(かすがい)で修繕させたという記録があるのだ 38 。
この「釜を壊した」逸話は、茶碗の逸話が史実でなくとも、利休の美意識の根幹を裏付けるものとして非常に重要である。利休には、完成された「形」にあえて傷をつけ、不完全さの中に新たな美、すなわち「侘び」を見出すという、「破壊による創造」の美学が一貫して存在した。この思想的核を、利休の死という最も劇的な瞬間に当てはめて創作された物語、それが「黒楽茶碗破壊の遺言譚」である可能性は極めて高い。それは、史実ではないかもしれないが、利休の精神の「真実」を伝える寓話なのである。
以上の検証を以下の表にまとめる。
|
項目 |
語り継がれる伝説(『茶の本』など) |
確認されている史実 |
根拠史料 |
|
最後の茶会の客 |
主要な弟子たち(複数人) |
徳川家康(一人) |
1 |
|
象徴的な形見 |
最後に 破壊 された黒楽茶碗 |
継承 された茶杓「泪」(古田織部へ) |
6 |
|
最後の言葉 |
「不幸の人の…」(→「侘びは形にあらず」) |
辞世の句「人生七十…祖佛共殺…」 |
[30, 31, 32] |
|
逸話の初出 |
江戸期の逸話集に原型、明治期に完成 |
同時代の茶会記・書簡 |
[2, 23, 27] |
第五部:結論 ― 史実を超えた「真実」
本報告書の検証によれば、千利休が切腹前に黒楽茶碗を割り、「侘びは形にあらず」と語ったという逸話は、歴史的事実である可能性は極めて低い。しかし、この物語がなぜこれほどまでに力強く、利休という人物の本質を伝えるものとして語り継がれてきたのか。その意味を最後に総括する。
一.精神の一貫性 ― 寓話としての完成度
この逸話は、利休の他の行動原理と見事に一致する。庭一面に咲き誇る朝顔をすべて摘み取り、茶室の床の間にただ一輪だけを生けることで、その花の美の本質を際立たせた逸話 24 。あるいは、完璧な釜をあえて壊して修繕させた逸話 38 。これらに共通するのは、「本質を抽出するために、既存の形を操作し、時には破壊する」という思想である。茶碗を割る物語は、利休の生涯と哲学を、死という一点に凝縮させた、完璧な寓話として機能しているのである。
二.辞世の句との響き合い ― 究極の自己超克
この逸話の真の価値は、利休が遺した辞世の句と響き合う点にある。「吾這寶剣 祖佛共殺(わがこのほうけん そぶつともにころす)」―この宝剣で、祖師も仏も共に殺す―という凄絶な一句。ここでいう「宝剣」とは、単に切腹に用いる短刀を指すのではなく、利休が生涯をかけて磨き上げた「わび茶の精神」そのものであると解釈できる 32 。
この解釈に立つならば、「祖佛」とは、人が乗り越えるべきあらゆる権威や既存の形式の象徴である。そして利休にとって、自らが完成させたわび茶の象徴たる黒楽茶碗すらも、最後には乗り越えるべき「形」であり、自らが作り出した「権威(祖佛)」であった。
自らの精神(宝剣)によって、自らの最高傑作(祖佛)を打ち破る。この行為によって、利休の哲学は物質的な形から完全に解放され、純粋な精神として永遠性を獲得した。茶碗を割る逸話は、利休が死の瞬間に到達した、この究極の自己超克の境地を、これ以上なく鮮やかに描き出しているのである。
最終総括
千利休が切腹前に黒楽茶碗を割ったという逸話は、歴史の教科書に載る事実ではないかもしれない。しかし、それは利休の芸術と哲学の核心を射抜く「詩的真実」であり、彼の悲劇的な生涯と、権力に屈することのなかった不屈の精神を後世に伝える、不滅の物語なのである。形は砕けても、その精神は砕けない。この逸話は、まさにそのことを、私たちに静かに、しかし力強く語りかけている。
引用文献
- 表千家不審菴:利休の茶の湯とその流れ:晩年の利休 https://www.omotesenke.jp/list3/list3-1/list3-1-4/
- 茶の本 第七章「茶の宗匠」を分かりやすく要約 ~茶人の影響と死 ... https://www.aishinkankyoto.jp/tya-no-hon-7/
- 茶道具 翔雲堂 岡本 茶人とは2 http://shoundo.jpn.com/tool/hito2.html
- 千利休の7人の弟子「利休七哲」とは? https://www.garakudo.co.jp/information/2023/08/18/rikyu7/
- 大阪の今を紹介! OSAKA 文化力 - ここまで知らなかった!なにわ大坂をつくった100人=足跡を訪ねて=|関西・大阪21世紀協会 https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/057.html
- 利休十哲/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/103984/
- 南方録・南坊宗啓 千利休述 - DCP https://dcp.co.jp/meikaits/2020/09/11/%E5%8D%97%E6%96%B9%E9%8C%B2/
- 「謎の茶人 千利休 その1」 茶道とは。何モノか。8 https://kyotolove.kyoto/I0000399/
- 【茶道1】第5回:侘び寂びと千利休の思想 - note https://note.com/kgraph_/n/nef824bfed4e5
- 黒楽茶碗 - 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/465157
- 黒楽茶碗 銘むかし咄 くろらくちゃわん むかしばなし - ColBase https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/G-74?locale=ja
- 今焼黒茶碗 | 工芸品 | KOGEI STANDARD | 日本工芸のオンラインメディア https://www.kogeistandard.com/jp/craft/imayaki-black-tea-bowl/
- 尼ヶ﨑 彬『利休の黒 美の思想史』|KAZE - note https://note.com/novalisnova/n/nb630709aa2b4
- 利休&織部 - BS-TBS THEナンバー2 ~歴史を動かした影の主役たち~ https://bs.tbs.co.jp/no2/73.html
- 利休さんが意図した楽茶碗とは | 浜松 茶の湯 浅葱庵(せんそう庵) https://ameblo.jp/asagiitigo/entry-12787364682.html
- 千利休の「利休七則」から学ぶ、書き手の心持ち - まほろばデザイン https://design.mahoroba.co.jp/blog/writing/1240/
- わび茶とは「茶道」の原型|わび・さびの歴史と作法 - 茶舗山年園 https://www.e-cha.co.jp/contents/wabi-cha/
- 千利休が紡いだ侘び茶の世界〜戦国の権力者と茶の精神 - 知覧茶のブログ https://blog.chirancha.net/991/
- 茶道の歴史と流派(3) | 千利休の登場と「侘び茶」の完成 | 静亮庵 - 江戸千家渭白流 https://www.edosenkewakabakai.com/blog/history3
- 侘び寂びがつなぐ禅と茶道、そして畳との関係 - Interra USA https://interra-usa.com/zen-tatami-jp/
- 千利休と侘び寂びの精神 - ケイベイ - KEIBAY.COM 古美術品専門サイト https://www.keibay.com/articles/1
- お茶と千利休の死 - 十字町商店会 https://jyujimachi.com/archives/904
- 利休を考える〜どんな人間だったのか〜|武井 宗道 - note https://note.com/sototakei/n/nc0177bbecb90
- 千利休とは?天下一の茶聖利休の生涯や逸話を紹介 https://www.baku-art.co.jp/blog/20230920246/
- 逸話が伝える侘び茶の心 A Study of Stories about Chanoyu and Tea Masters https://ishcc.stars.ne.jp/bulletin/03/3025.pdf
- 南方録 - 遠州流茶道 https://www.enshuryu.com/tag/%E5%8D%97%E6%96%B9%E9%8C%B2/
- 「利休聞き書き「南方録 覚書」全訳注」筒井紘一さん / 原著:立花実山さん(講談社学術文庫) https://trillion-3934p.hatenablog.com/entry/2017/08/28/151350
- 特別公開「千利休 泪の茶杓」 - 名古屋・徳川美術館|The Tokugawa Art Museum https://www.tokugawa-art-museum.jp/news/%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%85%AC%E9%96%8B%E6%B3%AA%E3%81%AE%E8%8C%B6%E6%9D%93/
- 竹茶杓 銘 泪 - 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/96849
- 茶室の密室性を悪用?!「千利休」が秀吉に切腹させられた本当の理由 <茶人最期の言葉> https://www.miyabi-sougi.com/topics/974e383040f6bbe13e7e554bae8fb1bab95c7b41
- 千利休 ~切腹の日 | 京都トリビア × Trivia in Kyoto https://www.cyber-world.jp.net/sen-no-rikyuu/
- 謎だらけの利休の辞世の句は、孫の宗旦に当てた心の叫びだ! - note https://note.com/kagerounoyoru/n/n1bdf42347614
- 千利休 http://www.sadoukaikan.com/tea/rikyu.html
- 著名人が遺した辞世の句/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/historical-last-words/
- 禅について(1)~千利休の遺偈を手がかりに(甲)~|同人雑誌『概論』 - note https://note.com/gairon/n/nd01aa90da738
- 利休居士の遺徳をしのぶ利休忌 御茶湯(おちゃとう) - 茶道体験 https://teaceremony-yu.com/rikyuki/
- 秀吉の命令で陰陽師に? 千利休「切腹」の謎に迫る | コラム 京都「人生がラク」になるイイ話 https://www.tm-office.co.jp/column/20160725.html
- 千利休がわざと壊した釜 | 藤田美術館 | FUJITA MUSEUM https://fujita-museum.or.jp/topics/2020/06/12/970/
- 千利休 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91
- 朝顔を最も美しく見せるには? 茶の湯の心を今に伝える、千利休エピソード集1 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/lifestyle/218356/