最終更新日 2025-10-28

堀尾吉晴
 ~城普請中鼓の音地の神悦ぶ霊感譚~

堀尾吉晴による松江城築城時の「鼓の音」霊感譚を分析。地の神の吉兆と人柱の凶兆という二つの伝説が融合した背景と、その歴史的意義を探る。

地の神の悦びか、乙女の嘆きか ― 堀尾吉晴と松江城に響く鼓の音、霊感譚の深層分析

序章:伝承の入口 ― 問いかけられた逸話

戦国武将、堀尾吉晴。彼が松江城の築城(城普請)の最中、夜な夜な響き渡る鼓の音に耳を澄まし、「あれは地の神が我らの働きを悦び、拍子をとっておられるのだ」と語ったとされる霊感譚。この逸話は、為政者の持つ神秘的な感性と、大事業が神々の祝福を受けているという吉兆の物語として、聞く者の心に深く印象を残す。

しかし、この逸話の源流を求めて史料や伝承の海を深く探査すると、一つの奇妙な事実に突き当たる。それは、この物語が単一の、明瞭な形で記録されたものではないという事実である。調査の結果、この霊感譚は、松江城築城という歴史的事業をめぐって語り継がれてきた、全く性質の異なる二つの伝説の断片が、後世の人々の心の中で融合し、変容を遂げた末に生まれた、重層的な「記憶の結晶」である可能性が極めて高いことが明らかとなった。

一つは、築城の難所を乗り越えるために土地の荒ぶる神を鎮め、その加護を得たという「吉兆」の物語。もう一つは、城の礎に捧げられた乙女の悲しみと、その怨念が鼓の音に呼応して祟りをなすという「凶兆」の物語である。正と負、光と影。これら相反する二つの物語が、なぜ「地の神が悦ぶ鼓の音」という一つの逸話へと昇華されたのか。

本報告書は、この謎を解き明かすための調査記録である。まず、物語の舞台となった松江城築城の困難な状況を再現し、次に、逸話の源流をなす二つの伝説をそれぞれ時系列に沿って詳述する。そして最後に、これら二つの物語が融合・変容するに至ったメカニズムを分析し、堀尾吉晴の霊感譚が持つ真の意味に迫るものである。これは、単なる逸話の真偽を問う作業ではない。歴史的な出来事が、いかにして人々の心の中で「物語」となり、語り継がれていくのか、そのダイナミックな過程を解明する試みである。

第一章:普請の舞台 ― 難航する松江城築城

物語は、関ヶ原の合戦を経て出雲・隠岐二十四万石の領主となった堀尾吉晴とその子・忠氏が、新たな拠点として松江の地に城を築くことを決意した慶長の時代に始まる。それまでの居城であった月山富田城は、中世的な山城であり、城下町の発展や水運の便、そして火器を用いた新たな戦術に対応するには、もはや時代遅れの城であった 1 。吉晴親子が新たな城地に選んだのは、宍道湖畔に位置する亀田山。ここに、近世城郭としての松江城の建設が開始されたのである。

しかし、この一大事業は、開始早々から人知を超えた困難に見舞われる。特に、天守の鬼門、すなわち北東の方角に位置する石垣の普請は、凄絶を極めた。慶長十三年(1608年)四月末、職人たちが心血を注いで築き上げた石垣が、完成を目前にして、一大音響と共に崩れ落ちてしまったのである 2 。現場にいた人夫たちの間に走った衝撃と動揺は計り知れない。原因不明の崩落は、彼らの心に不吉な影を落とした。

現場の士気を立て直し、すぐさま再建に取り掛かるも、悪夢は繰り返される。同年五月二十七日の夜半、再び完成間近となった石垣が、今度は礎から根こそぎ崩れ去った 2 。二度にわたる不可解な崩落。それはもはや、単なる技術的な欠陥や自然現象として片付けられるものではなかった。現場の誰もが、この土地に宿る何者かが、築城を拒んでいるのではないかという根源的な畏怖の念を抱いた。

総責任者である堀尾吉晴の苦悩は深かった。平時は「仏の茂助」と称されるほど柔和でありながら、戦場では「鬼茂助」と恐れられた猛将 3 。合理的な判断力と、神仏への深い信仰心を併せ持つ彼にとって、この事態は単なる建設上の障害ではなく、この出雲という神々の国を治める為政者として、土地そのものから発せられる問いかけのように感じられたに違いない。彼の治世の根幹を揺るがしかねないこの難局を、いかにして乗り越えるのか。吉晴の決断が、後の伝説を生み出す最初の引き金となるのであった。

第二章:地の声 ― 鎮撫された荒ぶる神(吉兆の物語)

二度にわたる石垣の崩落を「奇怪千万なこと」と捉えた堀尾吉晴は、これを人知を超えた現象とみなし、神仏の領域に解決の道を求めた。これが、ご依頼の逸話における「地の神」の側面を形成する、吉兆の物語の幕開けである。

協議と調査の開始

吉晴はまず、軍師の堀尾因幡ら重臣と協議を重ねた。そして、単なる祈祷に頼るのではなく、原因の物理的な究明を試みる。彼は甲州流築城術の専門家である武井四郎兵衛に命じ、崩落箇所の徹底的な調査を行わせた 2 。この人選は、吉晴が迷信に惑わされることなく、専門家の知見を重んじる合理的な指導者であったことを示している。

聖なる発見

武井四郎兵衛は、崩落が最も激しかった地点を深く掘り下げていった。すると、地中約二メートルの深さから、異様な物体が姿を現す。それは、錆びついた槍の穂先が突き刺さったままの、巨大な頭蓋骨であった 2 。この発見は、現場に新たな衝撃と緊張を走らせた。この頭蓋骨こそ、土地が発するメッセージの根源であると、誰もが直感した。

吉晴の解釈と鎮撫の儀式

この報告を受けた吉晴の対応は、迅速かつ丁重であった。彼はこの頭蓋骨を、かつてこの地で果てた武将の無念の霊、あるいはこの土地を守護する荒ぶる神の依り代と解釈した。単に不吉なものとして処理するのではなく、敬意を払い、祀り上げることを決断する。頭蓋骨は丁寧に川津の市成(現在の松江市内)へと移され、その霊を祀る「今宮神社」が建立された 2

さらに吉晴は、芦高神社の神官であった松岡兵庫頭周誠を招聘し、国家的な神事を執り行う。それは、三日二夜にもわたる壮大な「地割の大祈祷」であった 2 。この祈祷は、土地の神に対して築城の非礼を詫び、事業への理解と加護を請う、厳粛な対話の儀式であった。実際に、後の時代に松江城内からは築城年代を記した祈祷札が発見されており、築城という事業において祈祷が極めて重要な役割を果たしていたことが物理的にも裏付けられている 5

神の受容と吉兆の完成

大祈祷の後、三度目の石垣普請が開始された。すると、今度は嘘のように工事は順調に進み、ついに難攻不落と思われた鬼門の石垣は、揺るぎない姿で完成したのである 2

この劇的な成功体験は、人々の目に「地の神が鎮まり、我らの築城を受け入れたもうた証」と映った。石垣の崩落という神の「拒絶」に対し、吉晴が調査、供養、そして祈祷という「対話」を通じて神の「許し」を得て、事業を成就させた。この一連の出来事こそが、「地の神が悦んでいる」という観念の直接的な起源であり、為政者が土地の神と調和を達成する、模範的な吉兆の物語として語り継がれていくことになったのである。

第三章:鼓の響き ― 乙女の嘆きと祟り(凶兆の物語)

吉晴が地の神との調和を成し遂げたという光の物語の裏側で、松江城築城にはもう一つの、深く暗い影の物語が語り継がれていた。それは、城の礎に犠牲となった一人の乙女の悲劇であり、ご依頼の逸話における「鼓の音」の源流をなす、凶兆の物語である。

非情なる人柱の選定

築城工事が難航する中(これが石垣崩落と同一の出来事か、あるいは別の困難であったかは定かではない)、いつしか家臣たちの間で、事業を成就させるためには人柱を立てるべきだという声が上がり始めた。人柱とは、神の加護を得るために生きた人間を捧げる古来の儀式である 7 。そして彼らは、最も純粋で生命力に満ちた供物として、「盆踊りの輪の中で、最も美しく、最も踊りの上手い娘」を人柱に捧げることを密議したと伝えられている 7

悲劇の盆踊り

ある月明かりの晩、普請中の城の二の丸広場で、町の人々による盆踊りが催された 2 。太鼓や音頭に合わせて、踊りの輪は次第に大きくなり、祭りは最高潮に達していた。その喧騒のただ中で、悲劇は起こる。踊りの輪の中心で、ひときわ美しく舞っていた一人の乙女が、突如として城中へと連れ去られた。そして、人々の歓声が響くすぐ傍らで、彼女は生きたまま城の礎として、冷たい土の中に埋められたという 2

鼓の音と城の鳴動

慶長十六年(1611年)、松江城はついに完成する。人々はその威容を祝い、再び二の丸の広場で盆踊りを催した。しかし、その祝祭の場で、恐ろしい怪異が発生する。

夜が更け、盆踊りの大鼓の音が「ドンドン」と高らかに響き渡った、その瞬間。壮麗な天守閣が、メキメキと不気味な軋み音を立て、まるで地震が起きたかのように激しく揺れ動き始めたのである 2

恐怖と禁令

踊りの輪は、恐怖に叫ぶ人々によって一瞬にして崩れ去った。誰かが叫んだ。「お城が踊る!あれは、人柱になった娘の怨霊が、楽しげな大鼓の音に誘われて、その無念を訴えているのだ!」 2 。この解釈は瞬く間に城下に広がり、人々を恐怖の底に突き落とした。この瞬間、「鼓の音」は祝祭の響きから、怨霊を呼び覚ます禁断のトリガーへと、その意味を反転させたのである。

この事件以降、松江の城下では盆踊りを催すことが固く禁じられたとされ、その風習は後の時代まで長く続いたという 1 。この悲しい伝説は、明治時代に松江で暮らした文豪ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、その著作『知られぬ日本の面影』の中で世界に紹介したことにより、松江城を象徴する物語として広く知られることとなった 9

第四章:逸話の再構築 ― 吉兆と凶兆の融合

これまでに詳述した二つの伝説は、同じ松江城築城を舞台としながら、その結末も、物語が持つ意味も、全く正反対である。一方は神との和解による「吉兆」、もう一方は犠牲と祟りによる「凶兆」。では、これら二つの物語が、どのようにして「夜な夜な聞こえる鼓の音を、吉晴が『地の神が悦ぶ』と語った」という一つの霊感譚へと結実したのであろうか。そのメカニズムを、二つの仮説から考察する。

まず、二つの伝説の構造的な対比を以下に示す。

要素

第二章:地の神の鎮撫譚

第三章:人柱の祟り譚

中心人物

堀尾吉晴

名もなき美しい娘

キーアイテム

槍の刺さった頭蓋骨

(なし)

音の象徴

(直接的な音の記述なし)

盆踊りの 鼓(太鼓)の音

音の意味

-

凶兆 (怨霊の呼び水、祟り)

物語の結末

吉兆 (工事の成功、神との和解)

凶兆 (祟り、盆踊りの禁止)

吉晴の役割

賢明な統治者、神を敬う者

悲劇の(間接的な)原因を作った者

この対照的な構造を踏まえ、逸話の形成過程を分析する。

仮説1:藩祖・吉晴の神聖化と物語の浄化

人柱という非人道的な儀式の伝説は、藩の創始者である堀尾吉晴の治世に付けられた汚点とも解釈されかねない。特に、堀尾家が三代で断絶したことと人柱の祟りとを結びつける見方も存在する 9 。後世の人々、とりわけ堀尾家やその後の松江藩の支配層にとって、この悲劇的な物語を覆い隠し、藩祖・吉晴をより賢明で霊的な資質を備えた指導者として神聖化したいという動機が働いた可能性は十分に考えられる。

この動機に基づけば、物語の「錬金術」とも呼べるプロセスが浮かび上がる。

  1. まず、人々の記憶に強く残る「鼓の音」という象徴を、物語から消し去ることはできない。
  2. ならば、その 意味を180度転換 させるのが最も効果的である。つまり、「祟りの音」を「祝福の音」へと変えるのである。
  3. 幸いにも、吉晴には「地の神を鎮撫し、築城を成功させた」という輝かしい吉兆の物語(第二章)が存在する。
  4. この二つの物語の要素を巧みに組み合わせる。「あの忌まわしい鼓の音は、人柱の娘の嘆きではない。あれこそ、我らの普請を嘉(よみ)し、悦んでおられる地の神の声なのだ」と、藩祖・吉晴自身に語らせるのである。

この解釈の変更によって、凶兆は吉兆へと浄化され、吉晴は単なる武将から、神の意を解する聖君へと昇華される。人柱の悲劇は巧妙に背景へと追いやられ、松江城築城という偉業が、神々の全面的な祝福のもとに行われたという、公式の歴史にふさわしい物語が完成するのである。

仮説2:普請現場の音に対する神秘的解釈

もう一つは、より現実的な状況に根差した仮説である。「夜な夜な聞こえる鼓の音」の正体は、超自然的な現象ではなく、 普請作業そのものから発せられる音 であった可能性である。

戦国時代から近世にかけての築城工事では、昼夜を問わず作業が続けられることも珍しくなかった。特に、土塁や地面を突き固める「胴突き」と呼ばれる作業や、巨大な杭を打ち込む際の音は、低く、リズミカルな響きを持っていた 11

  1. これらの作業音が、静まり返った夜の闇の中で、遠くから聞く人々の耳には、まるで誰かが鼓を打っているかのような、不気味な音として響いたのではないか。
  2. 原因不明の音は、ただでさえ難工事が続く現場の人夫たちの間に、不安や恐怖を広げた可能性がある。
  3. このとき、指導者である吉晴が、彼らの士気を鼓舞し、不安を鎮めるために、機知に富んだ一言を発したと考えるのである。「恐れることはない。あの音は不吉なものではない。我らの懸命な働きぶりに、この土地の神が感心なされ、悦びのあまり拍子をとっておられるのだ」と。

この言葉は、現場の恐怖を希望へと転換させ、自らの労働に神聖な意味を与える、極めて効果的な心理的マネジメントであったと言える。この吉晴の言葉が口伝えで広まっていく過程で、具体的な作業音という部分は抜け落ち、「夜な夜な不思議な鼓の音が聞こえ、吉晴はそれを神の悦びの証とした」という、神秘的な霊感譚として結晶化していった。この仮説は、逸話の持つ「リアルタイムな会話」の情景に、最も説得力のある説明を与えるものである。

終章:語り継がれる音 ― 伝説の意義と変容

堀尾吉晴が城普請中に聞いたとされる「鼓の音」をめぐる霊感譚。その深層を追う調査は、この逸話が単一の史実ではなく、松江城築城という巨大事業が人々の心に刻み込んだ、**畏怖、希望、そして痛みという複数の感情が織りなす、重層的な「記憶の結晶」**であるという結論に至った。

この逸話は、明確に異なる二つの物語の断片―すなわち、荒ぶる神を鎮撫し加護を得た「地の神の物語」と、人柱の乙女の怨念が響く「鼓の音の物語」―から構成されている。そして、その融合と変容の背景には、二つの有力な可能性が浮かび上がった。

一つは、藩祖の功績を讃え、治世の影となる悲劇を浄化しようとする後世の意図である。凶兆の象徴であった「鼓の音」を、吉兆の物語である「地の神」と結びつけ、その意味を反転させることで、堀尾吉晴を神意を解する賢君として神聖化する物語の再構築が行われた可能性。

もう一つは、築城現場で実際に発生していたであろう出来事への霊的な解釈である。夜の闇に響く作業音に怯える人々を前に、指導者・吉晴が発したであろう機知に富んだ言葉が、人心を掌握し、士気を高めるための知恵として語り継がれるうちに、神秘的な霊感譚へと昇華していった可能性。

どちらの仮説が真実に近いか、あるいは両方の要素が複雑に絡み合っているのか、今となっては断定できない。しかし、確かなことは、松江城という物理的な建造物の背後には、それに関わった人々の心が生み出した、もう一つの精神的な城が存在するということである。ラフカディオ・ハーンによって人柱の悲劇が世界に知られる一方で、地元では為政者の偉大さを示す吉兆の物語もまた、形を変えながら語り継がれようとしていた。

堀尾吉晴の霊感譚を追う旅は、歴史が単なる事実の記録ではなく、人々の願いや恐れによって絶えず再解釈され、新たな意味を付与されていく生きたプロセスであることを我々に教えてくれる。この逸話は、史実としての真偽を超え、人々の精神史を探る上で、極めて示唆に富む貴重な一例であると言えるだろう。

引用文献

  1. 逸話|松江城のみどころ https://www.matsue-castle.jp/highlight/anecdote
  2. 史料調査の現場から 第 24 回 - 松江城にまつわる“怪異な伝説” - 松江市 https://www.city.matsue.lg.jp/material/files/group/34/chosa_colmn24.pdf
  3. 堀尾吉晴 どうする家康/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/97801/
  4. 松江城 - 天守閣造営の人柱にまつわる怪談 - 日本伝承大鑑 https://japanmystery.com/simane/matuejo.html
  5. 松江の吉田くん - 国宝五城 https://kokuho-gojo.com/wp/wp-content/themes/kokuho-gojo/pdf/5jo_sogo_honbun0322h.pdf
  6. 情緒あふれる歴史ある街並み散策とご縁の夫婦旅 | チームJマダム さっちゃんのブログ https://eclat.hpplus.jp/article/137804
  7. お城をつくる時「人柱」として人が捧げられたって本当?どんな人柱伝説が?ー超入門!お城セミナー - 城びと https://shirobito.jp/article/1429
  8. 松江城の謎、明智光秀の夢を砕いた城主「堀尾吉晴」と人柱伝説 - たびりん ~ふるさと探訪記~ https://tabirin2021.com/journey/202210-007-matsuejyo-hitobashira/
  9. 城に眠る伝説と謎 【松江城】歴代城主を苦しめたのは美しき娘の呪い!? https://shirobito.jp/article/399
  10. Kwaidan/八雲(やくも)とセツが紡いだ怪談 - 島根県 https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/esque/2021/shimanesuque119/2.html
  11. 攻めと守りの要! 何もない場所に「お城」が出来るまで | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/367