巫女
~南風立たば勝つと予言し的中させた~
巫女・鶴姫の「南風立たば勝つ」神託譚を分析。巫女としての覚醒、焙烙火矢を用いた海戦、厳島の戦いとの相似形、三島安精の創作による伝説の形成過程を解明。
神託の風、鶴姫の剣:逸話「南風立たば勝つ」の深層分析
序章:神託の謎 ― 「南風」に託された勝利の行方
日本の戦国時代、数多の合戦が繰り広げられる中で、神仏の加護を信じ、その神意を戦の行方に結びつけようとする逸話は枚挙にいとまがない。その中でも、ひときわ神秘性と戦略性を帯びて語られるのが、『合戦前に巫女が「南風立たば勝つ」と予言し、実際にその風が吹いて勝利した』という神託譚である。この一文は、神意の代弁者たる巫女の存在と、天候という自然現象を戦術に組み込む武将の知略が交差する、戦国時代ならではの魅力を凝縮している。
本報告書は、この神託譚の背景を徹底的に調査し、その歴史的・物語的真実に迫ることを目的とする。調査を進める中で、この逸話は伊予国大三島(現在の愛媛県今治市)を舞台に、大山祇(おおやまづみ)神社の巫女にして三島水軍を率いたとされる伝説の姫、「鶴姫(つるひめ)」の物語に帰属するものと強く推察される。しかしながら、この「南風立たば勝つ」という具体的な文言は、鶴姫伝説の根幹をなすとされる古文書や、信頼性の高い二次資料の中に明確な形で発見することは困難である。
したがって、本報告は単に逸話の有無を問うに留まらない。この「不在の神託」とも言うべき謎そのものを調査の核心と据え、なぜこの具体的で、いかにもありそうな神託が語られるようになったのか、その発生のメカニズムを解明する。それは、鶴姫という人物が持つ複数の属性―すなわち、神の言葉を伝える「巫女」としての側面、風を利した火計戦術を駆使した「指揮官」としての側面、そして天候を神意と結びつける戦国武将の普遍的な信仰心―が、後世の語りの中で結晶化し、象徴的な一句として凝縮された「物語的真実」の産物ではないか。この仮説を軸に、神託の舞台裏を多角的に再構築していく。
第一部:神託の巫女、鶴姫の肖像
第一章:神の島、存亡の秋(とき) ― 巫女、鶴姫の覚醒
1-1. 大三島と大山祇神社:神威と武威の交差点
鶴姫の物語の舞台となる大三島は、瀬戸内海のほぼ中央に位置する芸予諸島に属し、古来より「神の島」として崇敬を集めてきた 1 。この島の核となるのが、全国に一万社余りある山祇神社、三島神社の総本社である大山祇神社である 2 。祭神である大山積神は、山の神であると同時に海の神、そして戦いの神としての神格も持ち、その神威を頼って多くの武将たちが信仰を寄せてきた 2 。
その信仰の篤さは、神社に奉納された武具の数と質に如実に表れている。源頼朝や源義経が奉納したと伝わる鎧をはじめ、国宝8点、国の重要文化財は実に76件(資料により差異あり)にものぼり、全国の国宝・重要文化財に指定された武具甲冑類のうち約8割がここに収められているとまで言われる 1 。これは、大山祇神社が単なる信仰の対象ではなく、日本の武家社会における「武の聖地」として機能してきたことの証左である。
この神社の神職の頂点に立つのが大祝(おおほうり)家であった。大祝家は伊予の豪族・越智氏の末裔であり、神官でありながら、事実上、大三島周辺を支配する三島水軍を統括する領主でもあった 2 。神に仕える身でありながら、有事の際には一族の者を陣代(じんだい)として戦場に送り出すという、神威と武威が一体となった特異な存在。それが、鶴姫が生まれ育った環境であった 2 。
1-2. 鶴姫の出自と宿命
鶴姫伝説の典拠とされる『大祝家記』によれば、鶴姫は1526年(大永6年)、大山祇神社第31代大祝職・大祝安用(やすもち)の娘として生を受けた 5 。容姿端麗で体格にも恵まれ、幼い頃から男子も及ばぬほどの勇気を備えていたため、人々からは「明神の化身」ではないかと噂されたという 1 。
父・安用は、戦国の不穏な空気を察していたのか、娘である鶴姫にも武術の修行を勧め、彼女は5歳の頃から本格的に剣術を学び始めた 1 。神道書をはじめとする学問にも通じ、横笛や琴も奏でる才媛であったが、同時に兄たちの武術の稽古にも加わり、その才能を開花させていった 1 。鶴姫が単なる姫ではなく、神の巫女であり、そして戦士となる宿命は、この幼少期にすでに萌芽していたのである。
1-3. 兄の死と継承される意志
鶴姫が16歳となった天文10年(1541年)6月、彼女の平穏な日々は終わりを告げる。中国地方の覇者、周防の大内義隆が瀬戸内海の制覇を目論み、配下の水軍に大三島を襲撃させたのである 1 。この時、大祝家の次兄・大祝安房(やすふさ)が陣代として三島水軍を率い、河野氏や来島氏の水軍と連合してこれを迎え撃った 5 。
激戦の末、三島水軍は大内軍を撃退することに成功するが、その代償は大きかった。軍を率いた兄・安房が討死したのである 1 。兄の死の報せは、鶴姫に深い悲しみをもたらすと同時に、彼女の中に眠っていた戦士としての魂を呼び覚ました。
伝承によれば、兄の戦死を聞いた鶴姫は、三島明神に戦勝を祈願すると、自ら甲冑を身にまとい、大薙刀を振るって馬に乗り、敵陣へと駆け込んだという 5 。その姿は味方の兵士たちを奮い立たせ、残敵を掃討したと伝えられる。これは、彼女が神に仕える巫女から、神の名において戦う「神の戦士」へと変貌を遂げた決定的な瞬間であった。兄の死によって空位となった陣代の座を、16歳の少女が、神意と民の期待を背負って継承することになったのである。
第二部:神託の舞台 ― 天文十年の死闘と「南風」の謎
第二章:神風の戦場 ― 焙烙火矢と巫女の鬨(とき)の声
2-1. 戦況の再構築:天文十年十月の合戦
兄・安房の死からわずか4ヶ月後の天文10年(1541年)10月、大内軍は再び大三島に侵攻した 5 。先の敗戦の雪辱を期す大内勢は、大船団を組織して来襲したと推察される。対する三島水軍は、先の合戦で総大将を失い、兵力においても劣勢であったことは想像に難くない。勝利のためには、地の利を活かした奇策と、それを成功させるための「天の利」が不可欠な状況であった。
この絶体絶命の局面において、亡き兄に代わり三島水軍の陣代として采配を振るったのが、16歳の鶴姫であった。彼女の初陣ともいえるこの戦いこそ、件の「南風」の神託が下されたとされる舞台である。
2-2. 神託の瞬間(モーメント):歴史の空白を読み解く
まず明確にすべきは、「南風立たば勝つ」という具体的な神託の文言が、信頼に足る史料に記録として残されているわけではないという事実である。しかし、記録の不在が、そのような出来事がなかったことの証明にはならない。むしろ、当時の状況と鶴姫の立場から、神託が下されたであろう情景を歴史的蓋然性に基づいて再構築することにこそ、逸話の真相に迫る鍵がある。
【出陣前夜:神託の再構築】
時刻は、決戦を翌日に控えた夜。三島水軍の将兵たちは、沖合に展開する大内軍の大船団を目の当たりにし、その威容に気圧されていた。先の戦で総大将を失った痛手は大きく、兵の士気は決して高いとは言えない。不安と焦燥が陣営に満ちる中、鶴姫が将兵の前に姿を現す。
彼女は単なる指揮官ではない。大山祇神社の神威をその身に宿す、現人神(あらひとがみ)たる大祝の娘であり、神意を伝える巫女である。彼女の言葉は、兵士たちにとって神の言葉そのものとして響く。
古参の兵が不安を口にする。「姫様、敵の数は我らの倍はおりましょう。このままでは、神の島が…」
鶴姫は、その言葉を遮ることなく、静かに夜空を仰ぎ、肌を撫でる微かな風の流れを感じ取る。当時の軍配者(ぐんばいしゃ)が天候を読んで戦の日時を決めたように、彼女もまた、神職として培った自然を読む力で、戦況を読んでいたのかもしれない 7 。やがて、彼女は確信に満ちた声で、兵たちに告げる。
「案ずるな。三島の大神は、我らを見捨ててはおらぬ。見よ、雲の流れが変わり始めた。今宵、南より神の息吹が吹くであろう。この風こそ、我らが放つ浄火(きよめび)を敵船へと運び、大内の穢れを焼き払うための神意の表れぞ。これは戦にあらず、神罰の執行なり!」
この言葉は、単なる精神論ではない。南からの追い風を利用した火計、すなわち「焙烙火矢(ほうろくひや)」による奇襲攻撃の決行宣言であった。神託という形式をとることで、鶴姫は兵士たちの恐怖心を信仰心へと転化させ、作戦への絶対的な信頼を植え付けたのである。それは予言であると同時に、天候を読み切った上での、極めて合理的な戦術的判断でもあった。
2-3. 海戦の展開:神託の成就
鶴姫の予言通り、夜半過ぎから南寄りの風が吹き始めた。出撃の合図と共に、三島水軍の小早船(こばやぶね)が一斉に闇夜の海へと漕ぎ出す。鶴姫自身も、甲冑の上に燃えるような赤地の衣を羽織り、先頭の早舟に乗り込んでいた 5 。
伝承によれば、この鶴姫の姿を見た大内方の見張りは、夜の海に現れた派手な舟を遊女の舟と見誤り、油断したという 5 。その油断こそが、彼らの命取りとなった。三島水軍の小舟は瞬く間に敵の巨船に取り付き、鶴姫は先陣を切って敵船に乗り移る。
大薙刀を振るい、次々と敵兵を薙ぎ倒す鶴姫は、戦場の喧騒の中で高らかに鬨の声を上げた。
「われは三島明神の鶴姫なり、立ち騒ぐ者あれば摩切り(なでぎり)にせん!」 5
この口上は、彼女が神の代理人として戦っていることを敵味方に知らしめるものであった。鶴姫の神がかり的な奮戦に呼応し、兵士たちは焙烙火矢に火をつけ、次々と敵船に投げ込む。素焼きの壺に火薬を詰めたこの原始的な手榴弾は、南風に乗って威力を増し、大内軍の船団を瞬く間に火の海に変えた 5 。
風は火の回りを早め、立ち上る黒煙は敵の視界と指揮系統を奪う。神託として示された「南風」は、まさに勝利を呼び込む「神風」となった。混乱の極みに陥った大内軍はなすすべもなく敗走。こうして、16歳の巫女が率いた三島水軍は、圧倒的な戦力差を覆し、奇跡的な勝利を収めたのである。
表:鶴姫の合戦年表(天文十年~十二年)
鶴姫の短いながらも激しい戦いの生涯を時系列で整理するため、以下の年表を作成した。これにより、各合戦の背景と彼女の立場の変遷が明確になる。
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年月 |
合戦名(通称) |
主な出来事 |
関連人物 |
結果 |
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天文10年(1541)6月 |
第二次大三島合戦 |
大内軍が侵攻。三島水軍は連合軍と共にこれを迎撃。 |
兄・大祝安房(戦死) |
三島水軍が撃退するも、総大将の安房が討死する。 |
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天文10年(1541)10月 |
伝・鶴姫初陣 |
鶴姫が陣代として出陣。南風を利用した焙烙火矢による奇襲で大内軍を撃破。 |
鶴姫、敵将・小原隆言 |
三島水軍の大勝利。鶴姫の名声が高まる。 |
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天文12年(1543)6月 |
第三次大三島合戦 |
陶隆房(後の晴賢)率いる大内主力軍が侵攻。激戦となる。 |
恋人・越智安成(戦死) |
鶴姫の夜襲で勝利するも、恋人の安成は戦死。鶴姫はその後、安成を追って入水したとされる。 |
第三部:神託の解剖 ― 歴史、戦術、そして物語
第三章:なぜ「南風」でなければならなかったのか
鶴姫の神託譚が「南風」という具体的な気象条件を伴っている点は、極めて示唆に富む。それは単なる物語の装飾ではなく、当時の海戦術、戦場の心理、そして歴史的文脈と深く結びついている。
3-1. 瀬戸内海の水軍戦術と風の価値
戦国時代の海戦、特に潮流が複雑に絡み合う瀬戸内海においては、風向きと潮の流れを読む能力が勝敗を分ける決定的な要因であった 9 。中でも、鶴姫が用いたとされる「焙烙火矢」は、その威力を最大限に発揮するために風の助けを必要とする兵器であった。
焙烙火矢は、現代の手榴弾のように投擲して使用するが、その飛距離は限られている。そのため、敵船に効果的に打撃を与えるには、可能な限り接近する必要があった。しかし、敵の矢や鉄砲の射程圏内に入ることは大きな危険を伴う。このリスクを軽減し、攻撃効果を最大化する上で、風上を取ることは絶対的な条件であった。風上から攻撃すれば、焙烙火矢の飛距離を伸ばせるだけでなく、火災が発生した際に煙が敵の視界を遮り、火の粉が風下へと燃え広がることで延焼効果を高めることができる。
大三島沖の海戦において、北方に布陣するであろう大内水軍に対し、南から攻撃を仕掛ける三島水軍にとって、「南風」はまさに天佑であった。鶴姫の神託は、この戦術的優位性を確保するための気象条件を、神の言葉として兵士に示したものと解釈できる。
3-2. 神託と軍配:戦場の心理学
戦国時代の武将たちは、合戦に際して軍配者と呼ばれる専門家を重用し、出陣の日時や方角、戦の吉凶を占わせていた 7 。これは単なる迷信ではない。当時の人々にとって、占いとは神意を知るための科学であり、神意を味方につけていると信じることは、兵士の士気を極限まで高めるための高度な心理戦術であった 11 。
鶴姫の場合、彼女自身が大山祇神社の神威を背負う巫女であった。彼女が軍配者の役割を兼ねることで、その言葉は他のいかなる軍配者のそれよりも絶大な効果を発揮したであろう。兵士たちは、自分たちが神の加護の下に戦っていると確信し、死の恐怖を乗り越えて勇猛果敢に戦うことができた。鶴姫の「南風」の神託は、兵士たちの心を一つに束ね、劣勢を覆すための精神的な支柱となったのである。
3-3. 歴史的相似形:厳島の戦いにおける天候の役割
鶴姫の戦いからわずか12年後の弘治元年(1555年)、同じく瀬戸内海を舞台に、天候が勝敗を決定づけた歴史的な合戦が行われた。毛利元就が、鶴姫が戦った大内義隆の後継者である陶晴賢を破った「厳島の戦い」である 12 。
兵力で圧倒的に劣る元就は、陶の大軍を狭い厳島におびき寄せ、奇襲をかける策を立てた。決行前夜、瀬戸内海は激しい暴風雨に見舞われる 14 。多くの将兵が出陣の延期を進言する中、元就は「この荒天こそ好機なり」と断じ、嵐に紛れて自軍を厳島へと渡海させた 16 。暴風雨の音は舟を漕ぐ音をかき消し、視界不良は敵の警戒を緩ませた。夜明けと共に元就軍は奇襲を開始し、油断していた陶軍は総崩れとなり、晴賢は自害に追い込まれた 14 。
この劇的な勝利は、戦後、「厳島明神の加護」によるものとして神聖化された 12 。元就自身も、この勝利は神の助けがあったからだと深く信じていたという。
この厳島の戦いの事例は、鶴姫の神託譚を考察する上で重要な示唆を与える。すなわち、同じ瀬戸内海で、同じ大内氏(およびその後継勢力)を相手に、天候を利して勝利を収めるという構図が共通している点である。厳島の戦いは、戦国史における最も有名な奇襲戦の一つであり、その成功体験は広く知られていた。鶴姫の伝説が後世、特に昭和期に物語として再構築される過程で、この「神意と天候の結合」という劇的なモチーフが、鶴姫の物語に参照、あるいは投影された可能性は十分に考えられる。ただし、元就のような稀代の謀将の策略としてではなく、鶴姫の悲劇性と神聖さを際立たせるため、神秘的な「巫女の神託」という形に変換されたのではないか。神託譚は、歴史的なリアリティのパターンを借用しつつ、鶴姫というキャラクターに合わせて物語的に最適化された創作である可能性が浮かび上がってくる。
第四部:伝説の源流 ― 昭和に生まれた「戦国のジャンヌ・ダルク」
第四章:『海と女と鎧』と失われた『大祝家記』
これまで見てきた鶴姫の勇壮にして悲劇的な物語、そして「南風」の神託譚が成立する背景は、その多くが現代になってから形成されたものであることが、近年の研究で指摘されている。
4-1. 伝説の創造主、三島安精
今日我々が知る「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」としての鶴姫像の直接的な源流は、昭和41年(1966年)に大山祇神社宮司の三島安精(みしま やすきよ)によって執筆・出版された小説『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』(後に『つる姫さま』として改題)にある 17 。
三島安精は、大山祇神社に奉納されている一領の鎧、「紺糸裾素懸威胴丸(こんいとすそすがけおどしどうまる)」に着目した 1 。この鎧は、胸部が膨らみ、腰部が細くくびれているという特徴的な形状から、女性が着用したものではないかと考えられていた 5 。三島安精はこの鎧から着想を得て、鶴姫という悲劇のヒロインの物語を創作したのである 5 。この鎧が鶴姫のものであるという直接的な証拠はなく、むしろ小説がこの鎧に「鶴姫の鎧」という物語を与えた側面が強い 2 。
4-2. 『大祝家記』の謎
三島安精の小説が典拠としたとされるのが、大祝家に伝わっていたという古文書『大祝家記』である 5 。鶴姫の生没年や合戦の様子など、物語の細部の多くはこの文献に基づいているとされる。しかし、鶴姫伝説の史実性を検証する上で最も大きな壁となるのが、この『大祝家記』が現存しないという事実である 4 。その内容は三島安精の小説を通してしか知ることができず、第三者による客観的な検証が不可能となっている。そのため、鶴姫の物語がどこまでを史実とし、どこからが創作なのかを明確に線引きすることは、極めて困難な状況にある。
4-3. 「ふるさと創生」とメディアミックス
三島安精の小説によって生まれた鶴姫伝説は、昭和後期から平成にかけて、当時の大三島町が推進した「ふるさと創生事業」によって、地域の観光資源として大きく脚光を浴びることになる 5 。鶴姫の銅像が建立され、「三島水軍鶴姫まつり」が開催されるなど、町を挙げてのプロモーションが行われた 17 。
その人気を決定的なものにしたのが、平成5年(1993年)に放送された、後藤久美子主演の日本テレビ年末時代劇スペシャル『鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-』である 22 。このテレビドラマは大きな反響を呼び、鶴姫の名を全国区へと押し上げた 17 。小説に端を発した物語は、メディアミックス展開を通じて、あたかも古くから語り継がれてきた伝承であるかのように、広く社会に受容されていったのである。
終章:神託譚が映し出すもの ― 史実を超えた「物語」の力
本報告書で詳述してきた通り、『合戦前に「南風立たば勝つ」と予言し、実際その風が吹いたという神託譚』は、具体的な史料や一次伝承によって裏付けられたものではなく、昭和期に形成された鶴姫伝説の象徴的なエピソードである可能性が極めて高い。それは、史実の記録というよりも、後世の人々が鶴姫という存在に託した願いや理想が凝縮された「物語」と捉えるべきであろう。
しかし、この逸話が単なる作り話であるとして、その価値を切り捨てるべきではない。なぜなら、この神託譚は、鶴姫という人物が持つ本質的な二面性―すなわち、「神意を代弁する巫女」としての神聖さと、「天候を読み戦術を組み立てる指揮官」としての理知―を、見事に一つの情景の中に描き出しているからである。それは、史実の断片を繋ぎ合わせて生まれた、一つの「物語的真実」と言える。
風を読み、神意を語り、故郷を守るために薙刀を振るった少女。恋人を失い、18歳の若さで海に消えた悲劇のヒロイン。たとえその細部が創作であったとしても、「南風」の神託譚は、戦乱の世に翻弄されながらも、神への祈りと自らの知勇を頼りに懸命に生きた一人の女性の姿を、現代に生きる我々に鮮やかに伝えてくれる。史実の記録を超え、人々の心に深く刻み込まれ続ける「伝説」の力と、その中に込められた普遍的な願いを、この逸話は静かに物語っているのである。
引用文献
- 大祝鶴姫 戦国武将を支えた女剣士/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/14215/
- 大山祇神社 - 伊予一之宮に残る“鶴姫”伝説 - 日本伝承大鑑 https://japanmystery.com/ehime/ooyamatumi.html
- 大内義隆軍を打ち破った三島水軍の長・鶴姫の入水伝説とは? - 歴史人 https://www.rekishijin.com/27114/2
- 瀬戸内海に咲いて散った悲劇の姫~鶴姫伝説 - note https://note.com/akihitomanabe/n/n5c6de43a2570
- 鶴姫 (大三島) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%A7%AB_(%E5%A4%A7%E4%B8%89%E5%B3%B6)
- Happy Women's Map 愛媛県今治市大三島町 三島水軍の女海賊頭 三島 鶴 女史 / The Female Pirate Captain of the Mishima Navy, Ms. T - note https://note.com/happywomen_jp/n/n54cdc65099e9
- 天気予報と占いで大名を導いた黒子たち|文化 - 中央公論 https://chuokoron.jp/culture/116545.html
- 大内義隆軍を打ち破った三島水軍の長・鶴姫の入水伝説とは? - 歴史人 https://www.rekishijin.com/27114
- 【戦国時代解説】意外と大切だった戦国時代の『天気』について - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=S1hARx6_yu4
- すべては占いで決める!戦国時代に出陣の日時などを占いで決めていた呪術師「軍配者」とは何者?【後編】 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/231870
- まるで戦国の世のシャーマン!戦国時代に出陣の日時などを占いで決めていた呪術師「軍配者」とは?【前編】 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/231867
- 「厳島の戦い(1555年)」まさに下剋上!元就躍進の一歩は見事な奇襲戦だった | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/87
- 【歴史】厳島の戦い~毛利元就 VS 陶晴賢~ - 家庭教師のひのきあすなろ https://hinoki-a.com/hs-resolution/post-0109-2/
- 厳島の戦い/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/11092/
- 厳島の戦いとは?宮島での毛利元就vs陶晴賢の攻防戦!! - 広島スターストック https://pleasure-luck.com/448.html
- 厳島の戦い 通説・俗説を斬る! 【豪族達と往く毛利元就の軌跡・補遺06】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=bMwg3r4sxmI
- 大三島で、「鶴姫伝説」の謎を巡ってみた! - 今治タオルとは https://www.imabaritowel.jp/imabari_life/imabari/imabari_life/imabari8594
- 鶴姫をテーマとした作品とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E9%B6%B4%E5%A7%AB%E3%82%92%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BD%9C%E5%93%81
- つる姫さま : 原題海と女と鎧 - 日本の古本屋 https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=234119582
- しまなみ海道・鶴姫伝説 (しまなみ海道(周辺の島々)) - フォートラベル https://4travel.jp/travelogue/10217444
- 鶴姫の辞世 戦国百人一首⑱|明石 白(歴史ライター) - note https://note.com/akashihaku/n/n29ca827b9099
- 「鶴姫伝奇−興亡瀬戸内水軍−」瀬戸内海のジャンヌ・ダルク。強気娘後藤久美子が大暴れ - 時代劇専門チャンネル https://www.jidaigeki.com/peri/tagyo/index_28.html
- 鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍- - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%A7%AB%E4%BC%9D%E5%A5%87_-%E8%88%88%E4%BA%A1%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E6%B0%B4%E8%BB%8D-
- 「鶴姫伝奇−興亡瀬戸内水軍−」瀬戸内海のジャンヌ・ダルク。強気娘後藤久美子が大暴れ - ペリーのちょんまげ|時代劇専門チャンネル https://www.jidaigeki.com/peri/tagyo/index_11.html
- 作品データベースWORKS DATABASE - ユニオン映画 https://union.gptw.net/filmlist/detail.php?gid=591
- 後藤久美子主演 興亡瀬戸内水軍 ~鶴姫伝奇~(DVD) - きょうとウェルカム https://www.kyoto-wel.com/item/IS81212N01587.html?device=pc