徳川家康
~戦前夜夢で白蛇見て吉兆陣整う~
家康が戦前夜に白蛇の夢を見て吉兆とした逸話は、史実ではない。しかし、弁財天信仰に篤い彼を、天命に選ばれた神君として象徴する、後世に生まれた必然の物語と言える。
徳川家康「白蛇吉兆の夢」の深層分析 ―史実、信仰、そして物語―
序章:語られざる吉夢の謎 ― 史料の沈黙と物語の雄弁
徳川家康の生涯を彩る数々の逸話の中でも、「戦前夜に夢で白蛇を見て吉兆とし、陣を整えた」という物語は、彼の強運と神仏からの加護を象徴するものとして、広く知られている。この逸話は、天下分け目の決戦を前にした家康の冷静さと、その成功が単なる武力や策略だけでなく、天運に導かれた必然であったかのような印象を与える。
しかし、この著名な逸話の調査を開始するにあたり、まず直面するのは、極めて重大かつ根源的な事実である。徳川幕府が編纂した公式の歴史書である『御実紀』(通称『徳川実紀』)、およびその附録として家康個人の言行や逸話を詳細に集めた『東照宮御実紀附録』のいずれにおいても、この「白蛇の夢」に関する直接的な記述は確認できないのである 1 。
この「史料上の不在」は、単に逸話が事実無根であったと断じるための結論ではなく、むしろ本報告書における分析の出発点となる。なぜなら、『徳川実紀』の編纂目的は、徳川支配の正当性と初代将軍である家康の偉大さを後世に伝え、盤石なものとすることにあった。もし家康の天運をこれほど劇的に、かつ分かりやすく示す吉兆の逸話が、彼の存命中に広く知られた「事実」であったならば、幕府の史家たちがこれを見逃す、あるいは意図的に除外するとは考え難い。むしろ、その神格化のために積極的に採用したはずである。
したがって、史料の沈黙は、この物語が後世、特に家康の神格化が進む過程で「必要とされた物語」であった可能性を強く示唆している。本報告書は、この逸話を史実か否かという二元論的な問いから解放し、以下の三つの視点からその本質を徹底的に解明することを目的とする。
- 文化的・宗教学的背景の探求: なぜ「白蛇」という存在が、戦国武将にとって究極の吉兆となり得たのか。その象徴性の源流を、古代日本の信仰まで遡って解き明かす。
- 個人的信仰の探求: 徳川家康自身は、蛇、特に白蛇に繋がる信仰をどのように捉えていたのか。彼の個人的な信念の軌跡を追い、この逸話との内的な繋がりを明らかにする。
- 物語としての機能と意義の分析: この逸話は、史実性を超えて、なぜ生まれ、語り継がれる必要があったのか。徳川家康という歴史上の人物が、文化的英雄、そして神へと昇華していく過程で、この物語が果たした役割を考察する。
本報告は、記録に残された歴史の行間を読み解き、人々の信仰と記憶の中に生き続けたもう一つの「真実」の姿、すなわち「物語」としての「白蛇吉兆の夢」の深層に迫るものである。
第一部:白蛇 ― 神使としての系譜と戦国時代の象徴性
徳川家康が見たとされる「白蛇」は、単に色彩が珍しい動物ではない。それは日本の精神史において、古代から幾重にも意味を重ねられ、畏敬と信仰の対象とされてきた強力な文化的シンボルであった。この逸話の衝撃度を理解するためには、まず白蛇という存在が持つ象徴性の多層性を解き明かす必要がある。
第一章:古代日本における蛇信仰の原風景
日本列島における蛇への畏敬の念は、歴史時代の遥か以前、縄文時代にまでその起源を遡ることができる。
縄文土器の表面には、蛇を思わせるとぐろを巻く文様がしばしば見受けられる。さらに、頭部に蛇を戴いたかのような女性の土偶も発見されており、これは当時から蛇を祀る巫女(蛇巫)が存在し、蛇が生命力や再生、豊穣の象徴として信仰されていた可能性を示唆している 5 。脱皮を繰り返す蛇の姿は、死と再生のサイクルを想起させ、人々にとって根源的な生命力の現れと映ったのであろう。
大和朝廷による国家形成期に入ると、蛇はより具体的な神格として崇拝されるようになる。その代表例が、奈良県の三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社の祭神、大物主神(おおものぬしのかみ)である。伝説によれば、大物主神は蛇の姿をしており、夜な夜な人間の女性のもとに通ったという 5 。これは「蛇婿入り」譚の原型ともされ、蛇が単なる動物ではなく、神威を示すための姿であり、人間の世界と交わる超越的な存在として認識されていたことを物語っている。
一方で、蛇は恵みをもたらす神聖な存在であると同時に、人々に畏怖される存在でもあった。民間伝承において、蛇は神の使いや守り神として登場する一方 7 、安珍・清姫伝説に見られるように、裏切られた女性の深い怨念が大蛇と化す物語も存在する 5 。この豊穣と破壊、神性と魔性という二面性は、自然そのものが持つアンビバレントな力を蛇の姿に投影したものであり、日本の蛇信仰の深層を形成している。人々は蛇に豊作や繁栄を祈ると同時に、その祟りを恐れ、丁重に祀り上げたのである。
第二章:「白蛇」の神格化と弁財天信仰
一般的な蛇への畏敬の念を基盤としながら、「白い蛇」は、その際立った希少性から、さらに特別な存在として神聖視されるようになった。
体色の白い蛇は、多くの場合アルビノ(先天性色素欠乏症)の個体であり、自然界で生き残ることが難しい。そのため、その姿を目にすること自体が稀有な出来事であり、古来より「神の使い」や「神の化身」、あるいは重大な出来事の前触れを告げる「吉兆の現れ」として、信仰の対象となってきた 8 。日本各地に白蛇を祀る神社や伝承が点在しているのは、この観念が広く民衆に根付いていたことの証左である 7 。
この土着的な白蛇信仰は、仏教の伝来と共に新たな展開を見せる。特に重要なのが、七福神の一柱としても知られる弁財天(弁才天)との習合である。
弁財天は、元々インドのヒンドゥー教における河川の女神サラスヴァティーが仏教に取り入れられたものである 6。サラスヴァティーは水や豊穣、そして音楽や弁舌といった「流れるもの」を司る女神であった。この神格が日本に伝わると、古来からの水神信仰と結びついた。そして、日本の水神信仰はしばしば蛇や龍と関連付けられていたため、弁財天もまた蛇と深く結び付けられるようになったのである 8。
さらに中世以降、この関係は穀物や財福をもたらす蛇神、宇賀神(うがじん)との習合によって決定的なものとなる。宇賀神はしばしば人頭蛇身の姿で表され、富の象徴とされた。弁財天がこの宇賀神と同一視されることで、元来の「弁才天」(才能を司る天部)から、財宝を授ける「弁財天」へとその神格を変化させ、福の神、特に金運・財運の神としての性格を強めていった 6 。
この複雑な習合の結果、「白蛇は弁財天の使い、あるいはその化身である」という観念が、戦国時代までには武士階級を含む社会全体に広く定着していた。白蛇の出現は、単なる幸運の印に留まらず、弁財天からもたらされる「勝利」「富」「知恵」といった、より具体的で強力な神徳の保証と見なされるに至ったのである。
以下の表は、本章で論じた日本の信仰における蛇の多義的な象徴性をまとめたものである。
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信仰体系 |
象徴 |
神格・存在 |
司る領域(神徳) |
関連伝承・事例 |
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古代アニミズム・神道 |
一般的な蛇 |
土地神、水神、山の神 |
生命力、再生、豊穣、祟り |
三輪山・大物主神伝説 5 、縄文土器の文様 5 |
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白蛇 |
神の化身、神使 |
顕著な吉兆、神意の伝達 |
各地の白蛇伝承、希少性による神聖化 8 |
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仏教・神仏習合 |
一般的な蛇 |
宇賀神 |
財福、五穀豊穣 |
人頭蛇身の姿で描かれることが多い 9 |
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白蛇 |
弁財天の化身・神使 |
金運、財運、戦勝、知恵、芸能 |
弁財天と宇賀神の習合 6 、各地の弁財天を祀る神社(蛇窪神社など) 10 |
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民間伝承 |
一般的な蛇 |
神聖な存在、または怨霊 |
婚姻、子孫繁栄、または祟り、破滅 |
「蛇婿入り」譚 5 、「安珍清姫」伝説 5 |
この表が示すように、家康の夢に現れたとされる白蛇は、単一の意味を持つシンボルではない。それは「古代からの生命力(神道)」、「富と豊穣(宇賀神)」、そして「戦勝と知恵(弁財天)」という三つの強力な神性が重なり合った、究極の吉兆の象徴(スーパーシンボル)であった。当時の人々が「白蛇の夢」と聞いた時、彼らの心に浮かんだのは、これら全ての文化的・宗教的背景に裏打ちされた、絶大な神威のイメージだったのである。
第二部:徳川家康と弁財天信仰 ― 個人的信念の軌跡
白蛇が持つ強力な象徴性は、戦国時代の武将にとって一般的な知識であった。しかし、徳川家康にとって、それは単なる知識に留まらず、彼の波乱に満ちた人生と深く結びついた、個人的かつ切実な信念であったことが史料からうかがえる。この逸話がなぜ「白蛇」でなければならなかったのかを理解するためには、家康個人の信仰の軌跡を追う必要がある。
第一章:武家の守護神としての弁財天
弁財天信仰は、家康がその正統な後継者を自任した清和源氏の時代から、武家の守護神として篤く信仰されてきた歴史を持つ。特に鎌倉幕府を開いた源頼朝は、江の島や鶴岡八幡宮の弁財天を深く信仰し、源氏再興を祈願したと伝えられている 11 。武家政権の創始者である頼朝の先例は、同じく新たな武家政権を打ち立てようとする家康にとって、重要な意味を持っていたはずである。
また、弁財天が司る「弁才」、すなわち優れた知恵や弁舌の才は、戦場における策略や外交交渉の駆け引きにも通じるものとして、武将たちに重視された。弁財天は元々、戦いを司る八本の腕(八臂)を持つ勇ましい姿で描かれることもあり、単なる財宝や芸能の神ではなく、勝利をもたらす武神としての側面も持ち合わせていたのである 11 。家康が弁財天に帰依したのは、こうした武家の伝統と、神格が持つ多面的な神徳に惹かれたからであろう。
第二章:家康の「開運出世大辨才天」
家康の弁財天信仰が、単なる形式的なものではなく、極めて個人的で強いものであったことを示す動かぬ証拠が存在する。それが、徳川家の菩提寺である増上寺(東京都港区)の塔頭・宝珠院に伝わる弁財天像にまつわる逸話である。
この弁財天像は、元々三井寺の開祖・智証大師の作とされ、源氏に伝えられてきた由緒あるものであった 11 。増上寺と深い縁を結んだ家康は、この像を自身の念持仏として篤く信仰したという 14 。そして、ここからが最も重要な点である。家康はこの像を、元々の「除波辨才天(じょはそんてん)」という名から、自ら「 開運出世大辨才天(かいうんしゅっせだいべんざいてん) 」へと改名させたと伝えられているのである 11 。
この「改名」という行為は、家康の信念の核心を雄弁に物語っている。「除波」が戦乱の波を鎮めるという平定後の安寧を願う意味合いであるのに対し、「開運出世」は、まさに家康自身の人生そのものを表す言葉である。幼少期に今川家の人質となり、織田信長と同盟を結んで勢力を拡大し、豊臣秀吉の死後に天下取りへと乗り出すという、彼の生涯はまさしく逆境から運を開き、最高位へと駆け上がった「開運出世」の物語であった。
家康は、自身の人生の軌跡を、この弁財天の神徳と完全に重ね合わせていた。彼にとって弁財天は、抽象的な信仰の対象ではなく、苦難の時代から彼を導き、成功をもたらしてくれた具体的な守護神であり、人生の伴走者であった。その神の使いである白蛇は、家康にとって、自らの「開運出世」の道を保証してくれる、最も信頼すべき神託の使者だったのである。
この個人的な信仰の深さを踏まえると、家康の夢に現れるのが、龍や麒麟といった他の瑞獣ではなく「白蛇」であったことには、物語上の強い必然性が生まれる。彼の人生のクライマックスとも言える天下分け目の決戦の前夜に、長年信奉してきた弁財天の神使たる白蛇が夢に現れるという筋書きは、彼の篤い信仰心に神が応えたという、最も論理的で感動的な「証明」となる。この逸話は、家康の成功が単なる実力や幸運によるものではなく、彼の深い信仰に対する天からの応報であったと結論づけるための、完璧な物語装置として機能しているのである。
第三部:逸話の時系列的再構築と心理分析 ― ある「戦前夜」の情景
本逸話は前述の通り、幕府の公式史書には記載がない。したがって、ここで行うのは歴史的事実の確定ではない。しかし、利用者様の要望に応え、これまでの文化的・宗教学的背景と家康個人の信仰に関する分析に基づき、専門家の視点からこの逸話が起こったであろう状況を、蓋然性の高い一つの「歴史的シミュレーション」として時系列で再構築する。これは、この物語が持つであろう心理的・社会的インパクトを具体的に描き出す試みである。
第一章:舞台の特定 ― 運命の夜はいつか
逸話の舞台として、家康の生涯におけるいくつかの重要な合戦が候補として考えられる。羽柴(豊臣)秀吉と直接対決した天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いもその一つである 15 。しかし、この物語が持つ「天下の運命を決する」という劇的な性格を考慮するならば、最もふさわしい舞台は、慶長5年(1600年)9月15日に行われた関ヶ原の戦いであろう 17 。
この戦いは、豊臣恩顧の西軍約8万に対し、家康率いる東軍が約7万4千(異説あり)と、兵力ではやや劣勢であった。何よりも、西軍には毛利輝元、宇喜多秀家といった大物が名を連ね、東軍内部にも豊臣恩顧の武将が多く、寝返りの危険性を常にはらんでいた。家康にとって、これは生涯で最大級の賭けであり、精神的な重圧は計り知れないものがあった。このような極限状況こそ、人知を超えた「吉兆」を最も必要とする局面であったと言える。
本報告では、この逸話の舞台を、決戦前夜である 慶長5年9月14日の夜、美濃国桃配山(ももくばりやま)に布陣した徳川家康の本陣 と仮定し、再構築を進める。桃配山は、壬申の乱において大海人皇子(後の天武天皇)が兵に山桃を配って士気を高め、勝利したという故事に由来する縁起の良い土地でもあった 18 。
第二章:夢の情景 ― 闇の中の啓示
【状況設定:夜半】
慶長5年9月14日、夜。桃配山の家康本陣は、静かな、しかし張り詰めた緊張に包まれている。昼過ぎにこの地に到着して以来、慌ただしく陣の設営と軍議が続いた。眼下に広がる関ヶ原の盆地には、石田三成らが布陣する西軍の無数の篝火が、まるで地上の星々のように揺らめいている。時折、風に乗って遠くの馬のいななきや、武具の触れ合う金属音が微かに聞こえてくる。
家康は、本多忠勝、井伊直政、榊原康政といった腹心の将たちとの最後の軍議を終え、陣幕の奥でしばしの休息を取っていた。具足は緩めているが、完全に脱いではいない。いつでも出陣できる態勢である。齢59歳。幼少期の人質生活から始まり、幾多の死線を越えてきた彼の人生の全てが、明日の夜明けにかかっている。天下の趨勢を一身に背負うその肩には、極度の疲労と精神的重圧がのしかかっていた。浅い眠りの中で、彼の意識は現実と夢の狭間を漂う。
【夢の内容:夢占いの援用】
突如、家康の意識は深い静寂に包まれた空間へと引き込まれる。それは混沌とした戦場の夢ではない。音も光も曖昧な、しかし不思議と安らぎを感じる場所。その中心に、一体の巨大な白蛇が、静かにとぐろを巻いている。
その鱗は磨き上げられた銀のように、あるいは清らかな月光そのもののように白く輝いている。大きさは計り知れないが、威圧感や恐怖は全く感じられない 19 。むしろ、神聖さと絶対的な肯定の気に満ちている。夢占いにおいて、白蛇は最高の吉夢とされ、特に金運や人生全体の好転を意味するが 21 、家康が見た夢の中の蛇は、そうした現世利益を超えた、神々しいまでの存在感を放っていた。
蛇は何も語らない。しかし、その金色に輝く瞳は穏やかに家康をじっと見つめている。その視線は、言葉以上に雄弁であった。「恐れるな。迷うな。汝の道は天に通じている。勝利は揺るぎない」――。それは、家康が長年信奉してきた弁財天からの、疑いようのない神託であった。
【覚醒と確信:夜明け前】
はっと、家康は目を覚ます。外はまだ漆黒の闇に包まれているが、東の空が白み始める気配が感じられる。夢の残像が、脳裏に鮮やかに焼き付いている。汗一つかいていない。心臓の鼓動は、驚くほど穏やかであった。
彼は一瞬でその夢の意味を悟った。
「……白蛇……。弁財天様が、お示しくださったか」
長年の篤い信仰が、夢の意味を瞬時に、微塵の疑いもない確信へと変えた。彼の顔から、それまで微かに漂っていた疲労や不安の色が完全に消え去り、そこには静かな、しかし鋼のような決意が宿っていた。
第三章:陣営の動揺と確信 ― 吉兆の伝播
【側近への伝達:払暁】
夜が明けきらぬうちから、家康は直ちに側近中の側近である本多忠勝と井伊直政を陣幕に呼び寄せた。二人が駆けつけると、そこにいたのはいつもの慎重な主君ではなく、内なる興奮と絶対的な自信に満ちた、別人のような家康であった。彼の落ち着き払った、しかし力強い声が、静かな陣幕に響く。
- 家康(再現台詞): 「平八郎(忠勝)、兵部(直政)、夜明け前に良い知らせだ。今しがた、夢枕に大きな白蛇が現れた。その姿、まことに神々しく、我に勝利を約束されたとしか思えぬ。これは長年我らが信奉する開運出世大辨才天様のお導きに相違ない」
【重臣たちの反応】
忠勝と直政は、一瞬、驚きに目を見開いた。しかし、すぐにその表情は歓喜と興奮に変わった。彼らもまた、戦国の世に生きる武将として、白蛇が何を意味するかを骨身に染みて理解している。それは、あらゆる戦術や兵力の優劣を超越した、天からの最終的な承認であった。
- 本多忠勝(再現台詞): 「おお、それは誠にございますか! 天が、神仏が我らに味方せりとの御印! これほどの吉兆はございませぬ! もはや、我らに迷いはございません!」
- 井伊直政(再現台詞): 「これで将兵の士気は天を衝きましょう。殿の御運の強さ、改めて拝しました。小早川(秀秋)や毛利(輝元)の動きなど、もはや些事。我らはただ、殿の御下命のままに突き進むのみにございます」
【「陣整う」の真意】
この吉兆は、瞬く間に本陣の主要な将たちに伝えられた。それは、軍全体の士気を爆発的に高める効果をもたらした。決戦を前に、誰もが抱いていた不安――敵の兵力、味方の裏切り、戦の行方――が、この一つの吉兆によって払拭されていった。
家康は命じる。「この吉兆、ことさらに触れ回る必要はない。だが、我が確信は全軍に行き渡らせよ。我らが陣は、もはや揺るがぬ。神仏の加護を得て、今こそ陣容は真に整ったのだ」と。
ここで逸話が伝える「陣整う」とは、単に物理的な部隊配置が完了したという意味ではない。それは、この絶対的な吉兆によって、総大将から末端の兵士に至るまで、全軍の心が「勝利」という一点で固く結ばれ、精神的な戦闘準備が完璧に完了したことを意味するのである。兵士たちは、大将である家康の揺るぎない確信に満ちた態度から、何か特別な天佑があったことを察し、胸中の不安は戦場に臨む勇気へと変わっていった。桃配山の東軍本陣は、夜明けの光と共に、必勝の気に満ち溢れていた。
結論:史実を超えた「物語」の力 ― なぜ家康は白蛇の夢を見るのか
本報告書で詳述してきたように、「徳川家康が戦前夜に白蛇の夢を見た」という逸話は、徳川幕府の公式史書にその記述を見出すことができず、歴史的事実として確定することは極めて困難である。しかし、この逸話の真の価値は、「事実かどうか」という一点に収斂されるものではない。
この物語は、徳川家康という人物像を後世に伝える上で、極めて重要な三つの要素を、わずか一つのエピソードの中に凝縮して表現している。
- 篤い信仰心: 家康が「開運出世大辨才天」と自ら名付けるほどに弁財天を深く信奉していたという背景は、彼の成功が単なる現世的な策略だけでなく、敬虔な信仰心に支えられていたことを示唆する。
- 危機に動じない胆力: 天下分け目の決戦前夜という極限のプレッシャーの中で吉夢を見て、それを自軍の勝利への確信へと転化させる姿は、彼の類稀なる精神力の強さを象徴している。
- 天命に選ばれた者としての神性: 究極の吉兆である白蛇が彼の夢に現れるということは、彼が天命によって選ばれ、神仏の加護を受けた特別な存在であることを物語る。
家康の死後、その遺骸は久能山、そして日光へと移され、朝廷から神号「東照大権現」を授かり、神として祀られることになる。この家康の神格化の過程において、「白蛇吉兆の夢」の逸話は、彼が単なる優れた武将・政治家ではなく、神仏の意志を地上で体現する「権現様」であったことを、民衆に分かりやすく伝えるための、極めて効果的な神話(サーガ)として機能したと考えられる。
最終的な結論として、「家康が戦前夜に白蛇の夢を見た」という逸話は、歴史的記録の真偽を超え、徳川による260年余の治世の正当性と、その創始者である家康の神性を担保するために創出され、語り継がれた「 必要不可欠な物語 」であると言える。それは、人々の心の中に存在する、記録には残らないもう一つの「真実」の姿であり、徳川家康という歴史上の人物が、いかにして文化的アイコンへと昇華していったかを雄弁に物語っている。この逸話を通して、我々は史実としての家康だけでなく、人々が信じ、理想とした「家康像」そのものに触れることができるのである。
引用文献
- 東照宮御実紀附録/巻十六 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E5%BE%A1%E5%AE%9F%E7%B4%80%E9%99%84%E9%8C%B2/%E5%B7%BB%E5%8D%81%E5%85%AD
- 東照宮御実紀附録/巻一 - Wikisource https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E5%BE%A1%E5%AE%9F%E7%B4%80%E9%99%84%E9%8C%B2/%E5%B7%BB%E4%B8%80
- 東照宮御実紀附録 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E5%BE%A1%E5%AE%9F%E7%B4%80%E9%99%84%E9%8C%B2
- 42.御実紀(東照宮御実紀) - 歴史と物語 - 国立公文書館 https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/rekishitomonogatari/contents/42.html
- 蛇信仰の歴史 ~巳年によせて - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/2651
- 2025年は巳年!蛇や弁財天に関係する神社にお参りしよう - 株式会社 折橋商店 https://orihasisyouten.jp/blog/jinnja_hebi_benzaiten/
- 人間と結婚したり、祟ったり。ヘビ年の今こそ知りたい「日本人とヘビ」の愛憎物語 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/265474/
- 白蛇 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%9B%87
- 巳年に参拝したい! 財運と健康運をもたらす蛇の神社5選 - nippon.com https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900291/
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- 増上寺:塔頭宝珠院~開運出世大辨才天~ - 中世歴史めぐり https://www.yoritomo-japan.com/zojyoji/hoshuin.html
- 鎌倉時代の江の島と弁財天信仰 • えのしま・ふじさわポータルサイト https://enopo.jp/2021/06/24/%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%B1%9F%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%81%A8%E5%BC%81%E8%B2%A1%E5%A4%A9%E4%BF%A1%E4%BB%B0/
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