徳川家康
~米一粒拾い一粒に万民の命節制譚~
徳川家康の「米一粒の教え」は史実ではないが、彼の倹約家としてのイメージ、米の絶対的価値、民政思想が融合し、後世に理想の君主像として語り継がれた物語。
徳川家康「米一粒の教え」の逸話に関する徹底的調査報告書
序論:語り継がれる「米一粒の教え」—その謎への序章
徳川家康にまつわる数多の逸話の中でも、ひときわ人々の心に深く刻まれている物語があります。それは、「朝に米一粒を拾い、『一粒に万民の命』と諭した」とされる、彼の節制と民への慈愛を象徴する一幕です。この短い物語は、天下人でありながら驕ることなく、一粒の米に宇宙を見、そこに万民の労苦と命の尊さを見出した家康の姿を鮮やかに描き出し、後世の我々に深い感銘を与え続けてきました。
しかし、この感動的な逸話は、果たして歴史的事実なのでしょうか。本報告書は、この問いを起点とし、関連する史料や伝承を網羅的に調査・分析するものです。その過程で明らかになったのは、この逸話を直接的に裏付ける同時代の史料が、現在のところ発見困難であるという重大な事実でした。
したがって、本報告書の目的は、逸話の真偽判定に終始することではありません。むしろ、史実性の検証を踏まえた上で、より深く、本質的な問いを探求することにあります。すなわち、①なぜこの逸話が、数ある武将の中から特に「家康の物語」として語り継がれることになったのか、②その背景にある家康の実像と、後世に創り上げられた虚像とは何か、そして③この逸話が、いつ、いかなる歴史的・社会的要請のもとで生まれ、広く国民の間に広まっていったのか、という三つの核心的な問いを解明することです。本報告書は、この「米一粒の物語」を多角的に分析することで、徳川家康という歴史的人物がどのように記憶され、理想化されていったのかという、歴史叙述そのものの深層に光を当てることを目指します。
第一章:逸話の情景分析—物語としての時系列再構築
本章では、利用者様の「リアルタイムな会話内容やその時の状態が時系列でわかる形」での解説要望に応えるため、この逸話がもし歴史的事実であったならば、という仮定に基づき、史料的想像力を駆使してその情景を再構築する試みを行います。これは歴史的事実の確定的な再現ではなく、あくまで物語の構造を深く理解するための分析の一環であることを、あらかじめお断りしておきます。
舞台設定
- 時間: 天下統一が成り、世に静謐が戻りつつあった頃の、ある日の早朝。東の空が白み始め、鳥のさえずりが聞こえ始める、一日が始まる前の静寂に包まれた時間帯。
- 場所: 駿府城、あるいは江戸城の本丸御殿。華美な装飾を排した、質実剛健ながらも隅々まで手入れの行き届いた板張りの廊下、もしくは庭に面した縁側。障子を通して差し込む柔らかな朝日が、磨き上げられた床の木目や、庭の白砂を静かに照らし出している。
- 登場人物: 物語の主役は、老境に入り、その威厳と深みを増した徳川家康。そして、その教えを直接受ける相手として、将来を嘱望されるまだ年若い小姓が傍らに控えています。戦国時代の武将にとって小姓は、身の回りの世話をするだけでなく、側近くでその薫陶を受ける後継者候補の一人でもありました 1 。あるいは、相手は二代将軍・秀忠のような息子か、本多正信のような信頼篤い近臣であった可能性も考えられます。
時系列による行動と会話の再現
- 発見: 家康は、朝の勤行か、あるいは城内の見回りのためか、静かに廊下を歩を進めていました。その時、彼の鋭い目が、板の間に落ちている小さな白い点を捉えます。それは、昨夜の膳からこぼれたものか、あるいは誰かが運ぶ際に落としたものか、一粒の飯粒でした。家康は、ぴたりと足を止めます。その場に一瞬の静寂が訪れ、供の小姓は何事かと緊張した面持ちで主君の顔を見上げます。
- 拾う: 家康は、天下人としての体面など微塵も感じさせず、ごく自然な所作でゆっくりと腰をかがめます。そして、皺の刻まれた指先で、その小さな一粒を丁寧につまみ上げました。その動きには、一切のためらいも気負いもなく、まるで貴重な宝物を扱うかのような静かな敬意が込められていました。
- 沈黙と問いかけ: 家康は立ち上がると、拾い上げた米粒を掌に載せ、それを無言で傍らの小姓の目の前に差し出します。小姓は、主君の意図が読めず、ただ困惑するばかりです。数瞬の沈黙の後、家康は静かな、しかし芯の通った声で問いかけます。「これ、何と見るか」。
- 諭し: 小姓は、恐る恐る答えます。「はっ。ただの、飯粒にございまする」。その答えを聞いた家康は、小さく首を振り、諭すように語り始めました。「そうではない。この一粒にこそ、万民の命が懸かっておるのじゃ」。
- 教えの展開: 家康の言葉は、静かに、しかし深く響き渡ります。「そなたは知るか。この米一粒が、我らの食膳に上るまでに、どれほどの民の労苦があるかを。春には苗を植え、夏の炎天下に草を抜き、秋には実りを刈り取る。その間、日照りや嵐に心を痛め、ようやく収穫した米の中から、年貢として納められる。それが炊き上げられ、我らの命を繋ぐ糧となる。この一粒には、名もなき幾万の民の汗と、一年の労苦、そしてその暮らしそのものが詰まっておるのじゃ。これを疎かにするということは、万民の労苦を、ひいてはその命を疎かにすることと何ら変わりはない。天下を治める者は、決してこのことを忘れてはならぬ」。
- 結びと影響: 小姓は、家康の言葉に雷に打たれたような衝撃を受けます。今まで何気なく目にし、口にしていた一粒の米に込められた、あまりにも重い意味を悟ったのです。彼は深く頭を垂れ、主君の教えを心に刻みつけました。この早朝の出来事は、彼の生涯において決して忘れることのできない教訓となり、為政者としての心構えの礎となった、と物語は結ばれます。
第二章:史料的検証—「米一粒の教え」は歴史的事実か
前章で再構築した感動的な逸話ですが、歴史学の観点からは、その史実性を厳密に検証する必要があります。結論から先に述べると、この「米一粒を拾い、『一粒に万民の命』と諭した」という逸話が、徳川家康の生涯に実際に起きた出来事であると証明する、信頼性の高い史料的根拠は、現時点では極めて希薄であると言わざるを得ません。
一次史料の不在
まず、最も信頼性の高い史料とされる、家康自身が記した書状や日記、あるいは同時代に生きた人物による見聞録といった一次史料の中に、本逸話に該当する、あるいは類似する記述は見当たりません。家康の言動は多くの記録に残されていますが、この象徴的なエピソードが、もし事実であれば誰かしらの記録に残っていても不思議ではないにもかかわらず、その痕跡を見出すことはできません。
二次史料の沈黙
次に、江戸時代に編纂された二次史料に目を向けても、状況は同様です。特に重要なのは、江戸幕府が公式に編纂した徳川家の正史である『徳川実紀』です。この書物は、家康の言行を詳細に記録し、その偉大さを後世に伝えることを目的としていますが、その膨大な記述の中に「米一粒の教え」は含まれていません。
さらに、岡谷繁実によって幕末に編纂された『名将言行録』や、大道寺友山による『明良洪範』といった、戦国から江戸期にかけての武将たちの逸話や名言を集成した書物にも、この逸話は記載されていません 3 。これらの書物は、教訓的な逸話を積極的に収集しており、家康の倹約に関する他の多くのエピソードは収録されています。これほど象徴的で教訓に満ちた「米一粒の教え」が、もし当時から広く知られていたのであれば、これらの編纂者たちが見過ごすとは考えにくいでしょう。
この事実は、「消極的証拠(Argument from silence)」として非常に重要です。つまり、記録に残されるべき状況下で記録されていないという事実は、その出来事が存在しなかった、あるいは少なくとも当時は広く知られていなかった可能性を強く示唆するのです。
調査資料群の最終確認
本報告書を作成するにあたり収集された46件の関連資料群 6 を精査しましたが、そのいずれにおいても、この逸話を直接的かつ具体的に記述したものは一件も確認できませんでした。
以上の検証から、徳川家康の「米一粒の教え」は、歴史的事実として確定できるものではなく、後世に創作された物語である可能性が極めて高いと結論づけられます。しかし、重要なのはここからです。なぜ、史実ではない物語が、これほどまでに「家康らしい」と感じられ、広く受け入れられてきたのでしょうか。次章以降では、その背景にある歴史的・思想的な土壌を解き明かしていきます。
第三章:逸話の土壌—なぜ「家康」と「米一粒」は結びついたのか
「米一粒の教え」が史実である可能性は低いにもかかわらず、多くの人々がこの話を疑いなく受け入れ、家康の人物像を象徴する逸話として語り継いできました。それは、この物語が生まれるための、そして人々に真実として受け入れられるための、極めて肥沃な「歴史的・思想的土壌」が存在したからです。本章では、その土壌を形成した三つの要素を分析します。
3.1. 確立された「倹約家・家康」の人物像
この逸話が持つ説得力の最大の源泉は、家康が生前から一貫して示し、後世に数多くの逸話として語り継がれた「徹底した倹約家」という強固なパブリックイメージにあります。
- 麦飯の逸話: 家康の倹約ぶりを最も象徴するのが、麦飯を常食としていたことです。ある時、近臣が家康を気遣い、茶碗の底に白米を盛り、その上に麦飯を被せて出したところ、家康はそれを見抜き、厳しく叱責しました。「お前たちは私の心を知らないな。今、天下は戦争の世となって、上も下も寝食を安らぐことはない。そこで、我が身一人の食費も節約して、戦費に充てようとしているのだ」と諭したと伝えられています 8 。これは単なる個人の食の好みや吝嗇ではなく、乱世を治める為政者としての覚悟と、家臣や民と苦楽を共にするという姿勢を示す、高度な政治的パフォーマンスでした。
- 生活全般の質素倹約: 家康の倹約は食事に限りませんでした。衣服はほとんど新調せず、同じものを着回し 11 、お手洗いから出た際に風で飛ばされた懐紙を、自ら庭まで追いかけて拾い上げ、「わしはこれで天下を取ったのだ」と語ったという逸話も残されています 12 。また、城で働く女中たちの食費がかさむことを気にして、おかわりをさせないよう漬物の味を非常に塩辛くさせたという話もあり 3 、その徹底ぶりがうかがえます。
これらの無数の倹約譚によって、「家康=倹約」という揺るぎないブランドイメージが社会に定着しました。この強固なイメージがあったからこそ、「米一粒」という極めて微細なものさえも疎かにしないという物語が、誇張された作り話としてではなく、彼の本質を的確に表現したものとして、人々にごく自然に受け入れられたのです。
3.2. 戦国・江戸期における「米」の絶対的価値
逸話のもう一つの重要な構成要素である「米」は、当時の日本社会において絶対的な価値を持つ存在でした。
- 経済的基盤としての米: 徳川幕府が確立した社会経済システムは、土地の生産性を米の収穫量(石高)で測る「石高制」を根幹としていました 14 。大名の領地も、武士の俸禄も、すべて石高で示され、米は貨幣と同様、あるいはそれ以上の価値を持つ経済の基軸でした。年貢も米で納められ、国の富そのものでした。
- 生命維持の糧としての米: 戦乱の時代において、米は兵士たちの士気と生命を維持する「兵糧」として、戦略的に最も重要な物資でした 15 。関ヶ原の戦いでは、雨で炊事ができなくなった際、家康は兵たちに生米を水に浸してから食べるよう指示し、腹痛を防いだとされています 16 。平時においても、米は庶民の命を繋ぐ主食であり、その年の米の作柄は、文字通り何百万もの人々の生死を左右しました。
このような時代背景において、「一粒に万民の命」という言葉は、単なる詩的な比喩ではありませんでした。それは、米一粒の向こうに、生産者である農民の労苦と、それを糧とする万民の生活が透けて見える、極めて切実なリアリティを持った言葉だったのです。
3.3. 家康の民政思想との響き合い
家康の倹約は、単に富を蓄えるためだけのものではありませんでした。その根底には、民の暮らしを安定させることが、ひいては国家の安泰に繋がるという、為政者としての深い洞察がありました。
- 民衆観の表明: 家康は二代将軍・秀忠に対し、「水よく船を浮かべ、水よく船を覆す」という言葉を繰り返し説いたと伝えられています 17 。これは、古代中国の思想に由来する言葉で、民衆(水)は為政者(船)を支え、浮かべる力を持つが、ひとたび怒らせれば、その船を簡単に転覆させることもできる、という戒めです。民を軽んじる為政者は必ず滅びるという、民の重要性を説いた教えでした。
- 思想的連続性: この民政重視の思想と、「米一粒の教え」は完璧に響き合います。一粒の米を大切にすることは、その米を生産する「万民」の労苦を尊び、その命を大切にすることに直結します。逸話の中で語られる家康の言葉は、彼が持っていたとされる統治哲学と完全に一致しており、物語に単なる節約話以上の、深い思想的な裏付けと説得力を与えているのです。
このように、確立された「倹約家」のイメージ、社会における「米」の絶対的価値、そして民を重視する「為政者の思想」という三つの要素が複雑に絡み合い、史実とは別に、「米一粒の教え」という物語が真実味を帯びるための強固な土壌を形成したのです。
第四章:類型としての「節制譚」—他の教訓との比較分析
徳川家康の「米一粒の教え」は、歴史上、孤立して存在するユニークな物語ではありません。むしろ、古くから存在する「卑小なものに宿る大きな価値を説く」という、教訓譚の一つの「類型(タイプ)」に属するものとして理解することができます。本章では、この逸話を他の類似した構造を持つ教訓譚と比較分析することで、その物語としての本質と、家康の逸話ならではの特徴を明らかにします。
分析の枠組みとして、家康の逸話の基本構造を次のように定義します。
- 主人公: 社会的に高い地位にある権力者や賢者。
- 題材: 日常にある、見過ごされがちな些細な物(モノ)。
- 行動: そのモノを特別な行為で取り上げ、その背後にある価値を明らかにする。
- 教訓: 周囲の者、あるいは後世の人々に対する道徳的な教えを導き出す。
この枠組みを用いて、家康の逸話と、江戸時代の他の著名な人物にまつわる類似の逸話を比較したのが、以下の【表1】です。
【表1:主要な「一粒・一枚」にまつわる教訓譚の比較】
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項目 |
徳川家康の逸話(本件) |
新井白石の逸話 |
徳川光圀の逸話 |
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主人公 |
徳川家康(天下人・幕府創始者) |
新井白石(大学者・政治家) |
徳川光圀(大名・『大日本史』編纂者) |
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題材(モノ) |
米一粒 |
米一粒 |
紙一枚 |
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行動 |
自ら拾い上げ、その価値を説く |
机の上に置き、自戒のしるしとする |
紙すきの現場を見せ、その価値を説く |
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教訓の核心 |
民衆の労苦への感謝と為政者の責任 |
学問における継続的な努力の重要性 |
生産者の苦労への理解と物を大切にする心 |
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文脈 |
政治・統治 |
自己修養・学問 |
生活倫理・道徳 |
分析と考察
この表から明らかなように、三つの逸話は「小さなものから大きな教訓を学ぶ」という共通の構造を持っています。しかし、それぞれの物語は、主人公の社会的立場や歴史的文脈に応じて、教訓の核心が巧みに変奏されています。
- 新井白石の逸話: 江戸中期の大学者である新井白石の物語では、「米一粒」は学問の比喩として用いられます。「毎日一粒ずつ米びつから米を取ってもすぐには減らないが、続ければやがて減る。学問も同じで、一日の努力は小さくとも、継続すれば必ず大きな成果となる」という教えです 18 。ここでの焦点は、為政者の責任ではなく、個人の内面における自己修養と継続的な努力の尊さにあります。これは、学者である白石の人物像にふさわしい教訓です。
- 徳川光圀の逸話: 「水戸黄門」として知られる徳川光圀の物語では、題材は「紙一枚」です。女中たちが紙を粗末にするのを見た光圀は、彼女たちを冬の寒い日に紙すきの作業場へ連れて行きます。冷たい水の中で苦労して紙をすく人々の姿を見せることで、一枚の紙の背後にある生産者の労苦を実感させ、物を大切にする心を教えました 19 。この逸話は、日常生活における倫理や、他者への共感を主題としており、民の暮らしに関心を寄せた名君としての光圀のイメージを補強します。
- 徳川家康の逸話の特異性: これらと比較して、家康の逸話の際立った特徴は、その教訓が極めて 政治的・統治的 な文脈に特化している点です。「米一粒」は、単なる節約の象徴や努力の比喩にとどまりません。それは直接的に「万民の命」と結びつけられ、それを預かる 為政者の責任 という、極めて重いテーマへと昇華されています。この物語は、家康が単なる倹約家ではなく、民衆の生活基盤の上に国家を築いた偉大な創業者であることを強調するために、最適化された教訓譚なのです。
このように、家康の逸話は、既存の教訓譚の類型を借用しつつも、その主人公を「天下人・家康」に設定することで、他の類話にはない、国家統治の根本思想を語る壮大な物語へと再構築されています。物語は、最も強力な象徴性を持つ人物に引き寄せられ、その人物の逸話として「帰属」する傾向がありますが、この逸話はまさにその典型例と言えるでしょう。
第五章:逸話の誕生と流布—「神君」家康像の完成
「米一粒の教え」が史実ではなく、類型的な物語であるとすれば、この逸話はいつ、なぜ、誰によって生み出され、世に広められていったのでしょうか。その歴史的プロセスを推論することで、この物語が担った役割が見えてきます。
江戸時代における「神君」化の進展
逸話の原型が生まれた可能性のある最初の土壌は、江戸時代を通じて進められた家康の神格化の過程にあります。幕府の創始者である家康は、死後「東照大権現」として神として祀られ、次第に理想的な君主「神君(しんくん)」として崇拝の対象となっていきました。この「神君」像を補強し、人々に分かりやすく伝えるために、彼の偉大さ、仁徳、先見性を示す様々な逸話が、講談師や学者、あるいは幕府の役人などによって創作、あるいは脚色されていきました。家康の倹約や民政重視は、神君の重要な資質であり、「米一粒の教え」のような、その資質を象徴的に示す物語が、この時期に原型として生み出された可能性は十分に考えられます。
明治期における国民道徳教育の需要
しかし、この逸話が現在知られるような形で完成し、国民的な物語として広く定着したのは、明治時代に入ってからである可能性が極めて高いと考えられます。その背景には、近代国民国家を形成するという、明治政府の喫緊の課題がありました。
- 修身教科書の役割: 明治政府は、西洋列強に伍していくために、国民一人ひとりが国家への忠誠心と高い道徳観を持つことを目指し、「修身」という道徳教育を学校教育の中心に据えました。その教材として、歴史上の偉人たちの言行録が、国民の模範として盛んに取り上げられました 20 。
- 逸話の教育的価値: この文脈において、徳川家康の「米一粒の教え」は、まさに理想的な教材でした。この物語には、
- 勤勉: 米を育てる農民の労苦を尊ぶ。
- 倹約: 一粒たりとも無駄にしない。
- 感謝: 生産者への感謝の念を持つ。
-
国民への責任: 為政者は国民(万民)の生活に責任を持つ。
といった、明治政府が国民に奨励した価値観が見事に凝縮されています。家康は、封建時代の支配者から、近代日本の礎を築いた偉大な経営者・リーダーとして再評価され 20、その思想を象徴する物語として、「米一粒の教え」が修身教科書などを通じて、子どもたちの心に深く刻み込まれていったのです。
大衆文化による浸透
学校教育と並行して、講談や浪曲、あるいは明治後期から大正にかけて少年たちを熱狂させた「立川文庫」のような大衆向けの読み物も、逸話の流布に大きな役割を果たしました。これらのメディアは、歴史上の英雄たちの物語を、勧善懲悪の分かりやすい筋立てと、人情味あふれる語り口で大衆に届けました。学術的な史実性よりも、物語としての面白さや教訓としての分かりやすさが重視され、その過程で「米一粒の教え」のような感動的な逸話は、ますます磨き上げられ、人々の記憶に定着していきました。
以上の考察から、本逸話の成立と流布のプロセスは次のように推論できます。まず、江戸時代に家康を神君とする過程で物語の原型が生まれ、それが明治期に国民道徳教育という国家的な要請と結びつくことで、現在我々が知るような完成された形に整えられた。そして、教育と大衆文化という両輪によって、世代を超えて語り継がれる国民的記憶として定着したのです。
結論:史実を超えた「真実」—逸話が現代に問いかけるもの
本報告書を通じて行ってきた徹底的な調査と分析の結果、徳川家康が「朝に米一粒を拾い、『一粒に万民の命』と諭した」という逸話は、厳密な意味での歴史的事実である可能性は極めて低い、という結論に至りました。同時代の信頼性の高い史料にその記述はなく、江戸幕府の公式史書にも収録されていないことから、後世、特に行政の理想像や国民道徳が強く求められた時代に創作・脚色された物語であると考えられます。
しかし、史実でないからといって、この逸話が持つ価値が損なわれるわけではありません。むしろ、この物語は、歴史的事実を超えた一つの「真実」を我々に伝えています。それは、徳川家康という人物が持つ本質的な側面—すなわち、苦難の時代を耐え抜いた忍耐強さ、質素倹約を旨とする現実主義、そして民の安定こそが国家の礎であると見抜いた為政者としての深い洞察—を、一粒の米という最小の単位に象徴的に凝縮した、優れた文学的寓話なのです。人々がこの物語を「家康らしい」と受け入れてきたのは、それが家康という人物像の核心を的確に捉えていたからに他なりません。
さらに、この逸話の成立と流布の歴史は、我々が歴史上の人物をどのように記憶し、理想化し、そして時代の要請に応じてその姿を再創造していくのかという、歴史叙述そのものの本質的な問題を浮き彫りにします。家康は、江戸時代には幕府の権威を象徴する「神君」として、明治時代には近代国家の模範となる「偉人」として、その時々の社会が求める役割を担わされてきました。「米一粒の教え」は、その過程で生まれた、時代の価値観を映し出す鏡でもあるのです。
そして最後に、この一粒の米に込められた教えそのものが持つ普遍的な価値を見過ごすことはできません。資源の有限性、生産者への感謝、そして社会の指導的立場にある者が持つべき責任。これらのテーマは、封建時代や近代国家の枠組みを超え、グローバル化と環境問題に直面する現代社会に生きる我々にとっても、極めて重要な示唆を与え続けています。
徳川家康の「米一粒の教え」は、歴史の事実を記録したものではないかもしれません。しかし、それは人々の心の中で生き続け、時代を超えて価値を問い直させる、力強い「記憶の遺産」であると言えるでしょう。
引用文献
- 家康の「食」と「健康法」 - 歴史人 https://www.rekishijin.com/24802
- 「男色」は武士のたしなみ!?徳川家康が寵愛した美少年・井伊直政との絆【中編】 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/196640
- 初代将軍/徳川家康の生涯と家系図・年表|ホームメイト https://www.meihaku.jp/tokugawa-15th-shogun/tokugawa-ieyasu/
- 戦国武将と食~徳川家康/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/90453/
- 徳川家康の気配りで血染めの米を食らう羽目になる話 - note https://note.com/furumiyajou/n/nf704838dca46
- 宇津救命丸の歴史 https://www.uzukyumeigan.co.jp/corp/history/
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- Untitled - 静岡県 https://www.pref.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/043/510/ieyasudensyou2.pdf
- 約 は 他 の ため に せ よ https://www.specialtygoods.jp/wp-content/uploads/2023/05/3-13.pdf
- 徳川家康のヘルスケア論や、節約マインドなど。人生に役立つ「家康・名言集」 - 家庭画報 https://www.kateigaho.com/article/detail/166354/page2
- 徳川家康の名言・逸話・エピソード - 戦国武将一覧/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/78167/
- 徳川家康の性格、色恋、人柄エピソード選などの雑学的プロフィール https://netlab.click/jphistory/prof_ieyasu
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- 家康公が遺した名言 - 浜松・浜名湖だいすきネット https://hamamatsu-daisuki.net/ieyasu/person/words/
- 教育コラム「愛のかけはし」:166号 平成27年 8月 江差町教育委員会 学校教育課 『一粒 https://www.hokkaido-esashi.jp/common/fckeditor/editor/filemanager/connectors/php/transfer.php?file=/lifeinfo/kyouiku/gakkyou/column/h27/uid000036_636F6C756D6E5F6832375F30382E706466
- ここでは修身の教科書の内容をご紹介します。 - ギブアンドギブ株式会社 https://www.giveandgive.jp/s1/
- 「そりゃ天下をとるわけだ…」徳川家康に学ぶ“ただのケチ”と“一流の倹約家”の決定的違い https://diamond.jp/articles/-/371240