最終更新日 2025-10-22

斎藤利三
 ~娘を託し脱出、春日局誕生へ~

斎藤利三は山崎の戦い敗北後、娘お福を託し脱出。お福は稲葉家、三条西家を経て、徳川家光の乳母・春日局となり、大奥を組織し幕府を支えた。その波乱の生涯。

天正十年、琵琶湖畔の訣別――斎藤利三、娘お福を未来へ託した最後の決断

序章:残照、山崎

天正10年(1582年)6月13日、摂津国山崎。この地で繰り広げられた戦いは、明智光秀とその家臣団の運命を、わずか半日で天国から地獄へと叩き落とした。本能寺において主君・織田信長を討ち、天下に手をかけたはずの明智軍は、「中国大返し」という驚異的な速度で畿内に帰還した羽柴秀吉の大軍の前に、脆くも崩れ去ったのである。

この決戦において、明智軍のまさに心臓部、最も重要な中央部隊の指揮を託されていたのが、筆頭家老・斎藤内蔵助利三であった 1 。丹波平定戦では巧みな戦略で数々の城を落とし 2 、光秀の覇業を支え続けた知将である。彼は、羽柴軍との決戦に際し、山崎での性急な迎撃ではなく、近江の居城・坂本城に一度兵を引き、態勢を立て直しての籠城戦を進言したとされる 3 。しかし、その献策は主君・光秀に容れられることはなかった。利三は、自らが最も危惧した形で、圧倒的に不利な戦況へと身を投じることとなる。

戦端が開かれるや、利三は獅子奮迅の働きを見せる。しかし、兵力で劣る明智軍は、秀吉軍の波状攻撃の前に次々と戦線を破られていく。中川清秀、黒田官兵衛といった猛将たちの猛攻を受け、利三が率いた中央隊もついに崩壊 4 。敗戦が決定的となっても最後まで踏みとどまった利三であったが、やがて主君・光秀の姿も見失い、戦場から離脱を余儀なくされる。この瞬間、彼は明智軍の将という栄光ある地位から、ただひたすらに追われる「落ち武者」へと転落した 1

武将としての斎藤利三の戦いは、この山崎の地で終わった。しかし、一人の父としての彼の戦いは、ここから始まったのである。主君を失い、組織的な抵抗の術も失った利三の脳裏に去来したのは、もはや自らの武名や再起の望みではなかった。逆賊の烙印を押された今、自らの一族、とりわけ愛娘の未来がいかに過酷なものになるか。戦国乱世の常として、謀反人の一族は女子供に至るまで根絶やしにされるのが常であった 5 。自らの死はもはや免れない。ならば、せめて血脈だけは、未来へと繋がねばならない。この絶望的な状況下で、利三の思考は、いかにして家族を生き延びさせるかという、ただ一点へと急速に収斂されていった。それは、武将としての死を受け入れ、父としての生を全うするための、最後の決断の始まりであった。

第一章:凶報、坂本より

山崎の戦場を辛くも離脱した斎藤利三が、身を潜めたのは近江国堅田の地であった 7 。琵琶湖西岸に位置するこの場所は、明智方の旧臣を頼れる可能性があり、また水運の要衝でもある。しかし、それは同時に、明智光秀の栄華の象徴であり、最後の拠点ともいえる坂本城と目と鼻の先の距離にあることを意味していた。

利三が息を潜めている間、明智方の最後の抵抗が繰り広げられていた。山崎で主君・光秀が敗れたとの報は、光秀の居城であった安土城を守っていた明智秀満のもとにも届く。秀満は直ちに安土城を明け渡し、決死の覚悟で坂本城へと向かった。道中、羽柴方の堀秀政の軍勢と遭遇しつつも、琵琶湖を渡り、かろうじて坂本城に入城することに成功する 9

しかし、城内の兵力はわずか。対する堀秀政の軍勢は、山崎の勝利の勢いを駆って城を幾重にも包囲した 10 。坂本城は、かつて明智光秀が織田信長から近江滋賀郡を与えられた後、心血を注いで築いた名城であった 12 。琵琶湖の水を巧みに引き入れた水城であり 13 、その壮麗さは、かの安土城に次ぐと宣教師ルイス・フロイスに言わしめたほどであった 15 。大天守と小天守が湖面に映えるその姿は、まさに光秀の権勢と才気の結晶であった。

だが、その栄華ももはや風前の灯火であった。6月14日、秀満は城内にて光秀の妻子を自らの手で介錯すると、城に火を放ち、一族郎党と共に自刃して果てた 4 。光秀が収集した天下の名物である刀剣や茶器を、燃え盛る炎の中から敵将・堀秀政の家老へと引き渡し、その潔い最期を遂げたという逸話も残っている 10 。湖畔に聳え立った天下第二の名城は、ごうごうと音を立てて燃え盛り、明智一族の滅亡を天下に知らしめる巨大な松明となった。

この坂本城落城の報が、堅田に潜む利三の耳に届いたのは、おそらく6月15日のことであろう。それは、単なる一つの城の陥落を意味するものではなかった。明智家による組織的抵抗の完全な終焉であり、近江一帯が完全に羽柴方の支配下に入ったことを示す号砲であった。もはや再起の拠点も、守るべき主君の一族も、この世から消え去った。残されたのは、羽柴秀吉による徹底的な「残党狩り」の嵐が吹き荒れる現実だけであった。利三のような大物にとって、潜伏し続けられる時間はもはや尽きた。この凶報は、利三にとっての事実上の死の宣告であり、同時に、家族を未来へ送り出すための最後の行動を開始せよ、という非情な合図でもあったのである。

第二章:訣別の刻――「お福、生きよ」

坂本城が燃え落ちたという絶望的な報せは、斎藤利三に最後の決断を促した。堅田の潜伏先、おそらくは旧臣の屋敷の一室であろう。彼は密かに呼び寄せた妻と子に、最後の対面を果たした。妻は、美濃の名門・稲葉一鉄の一族である、おあん 18 。そして、その腕に抱かれているのは、天正7年(1579年)に丹波黒井城下の館で生まれた娘、お福。数えでわずか4歳の幼子であった 18 。ほんの十数日前まで、父が築いた栄華の中で、何不自由なく暮らしていた少女である 3

部屋の空気は、張り詰めていた。利三は、静かに、しかし有無を言わせぬ決意を込めて口を開いたであろう。

「おあん、聞こえるか。坂本は落ちた。もはや、これまでじゃ。わしは京へ向かい、武士としての一分を立てる。されど、そなたたちは死なせぬ」

妻おあんが言葉を失う中、利三は続けた。

「美濃へ参れ。そなたの実家、稲葉家を頼るのだ。彼らならば、血縁の情けで必ずや匿ってくれよう。道中のことは、腹心の者に固く申し付けてある。必ずや、そなたたちを送り届けるはずじゃ」

そして、利三はお福を自らの腕に抱き寄せた。父の鎧も太刀も、今はもうない。ただの追われる男の、やつれた着物だけが幼い頬に触れる。利三は、娘の瞳をまっすぐに見つめ、一語一語を刻みつけるように言った。

「お福、よいか。父の顔を、よう覚えておけ。そして、明日からは忘れるのじゃ。そなたは、斎藤利三の子ではない。よいな、決して、誰にも言うてはならんぞ」

この言葉は、後世の伝承として残されている 22 。それは、単なる戒めの言葉ではなかった。父から娘への、最も過酷で、最も深い愛情の発露であった。逆賊・斎藤利三の娘という名は、この瞬間から、お福が社会で生きていくことを阻む「呪い」となる。その名を名乗れば、待っているのは追手と死だけであった。生き延びるためには、父の存在そのものを、自らの人生から抹消しなければならない。利三は、自らの存在を否定することで、娘の未来を肯定しようとしたのである。

最後に、彼はこう付け加えたであろう。

「ただ、生きよ。生きて、父が見ることのできなんだ世を見るのじゃ」

それは、父が娘に与えることのできる、最後の、そして最大の「祝福」であった。父の存在を自己否定するという壮絶な犠牲の上に、お福の新しい人生が始まる。この訣別の瞬間に交わされた言葉が、後の春日局という人物の、決して揺らぐことのない強靭な精神の原点となった。4歳の少女には、その言葉の真意を理解することはできなかったであろう。しかし、父の鬼気迫る表情と、最後の温もりは、彼女の魂の最も深い場所に、生涯消えることのない印として刻み込まれたに違いない。

第三章:闇夜の逃避行――落ち武者狩りの恐怖

父との訣別を終えたお福と母おあん、そして利三が信頼を置く数名の家臣たちの一行は、その夜のうちに堅田の潜伏先を発った。目指すは、東の美濃。しかし、その道程は、文明社会から無法地帯へと足を踏み入れるに等しい、死と隣り合わせの旅路であった。

当時の日本社会において、合戦に敗れた者は「法の外の人」と見なされる慣行があった 23 。彼らは「落ち武者」として、勝利した側の兵だけでなく、近隣の村々に住む武装した農民や僧兵、雑兵たちの格好の標的となったのである 24 。彼らが落ち武者を狩る目的は、身に付けている高価な鎧兜や刀、馬といった武具の略奪であり、時には、勝者側が懸けた懸賞金目当てにその首を狙うこともあった 25 。昨日までその土地を支配していた領主でさえ、戦に敗れれば、自らの領民から命を狙われるという非情な現実がそこにはあった 24

お福たち一行は、まず武家の妻女であることを示す華美な着物を脱ぎ捨て、みすぼらしい農民や行商人のような身なりに変えたはずである。そして、街道を避け、夜陰に紛れて獣道や山中の間道を選んで進んだ 26 。昼間は打ち捨てられた古寺や山中の洞窟に身を潜め、人の気配、犬の鳴き声、遠くで聞こえる鐘の音にさえ、絶えずおびえ続けた。

その恐怖は、具体的な形で何度も彼らを襲ったであろう。山道で、松明を掲げた村人の一団と鉢合わせになり、息を殺して闇に溶け込むようにやり過ごした夜。渇いた喉を潤すために立ち寄った村で、値踏みをするような、あるいはあからさまな敵意に満ちた視線に晒された昼。言葉遣いの端々や、ふとした所作から身分が露見することを恐れ、母おあんは心を鬼にして口を閉ざした。

最も危険だったのは、幼いお福の存在であった。疲労と空腹、そして恐怖から泣き出しそうになる娘を、母は必死にあやし、口を塞いだに違いない。その泣き声一つで、一行の命運は尽きてしまう。護衛の家臣たちは、常に周囲を警戒し、追手の気配がないか、待ち伏せの危険はないか、五感を研ぎ澄ませていた。彼らは、一度は武士として戦場で命を懸けた者たちである。しかし、今や彼らの戦場は、名誉も武功もない、ただ生き延びるためだけの暗闇の中へと移っていた。

この逃避行は、単に物理的な危険に満ちていただけではない。それは、人間不信と社会的紐帯の完全な喪失という、より根源的な恐怖との戦いであった。社会全体が敵と化し、頼れるのは血縁と主従という、極めて限定された人間関係のみ。この世は信頼できぬ危険な場所であり、生き残るためには常に疑い、警戒し、決して弱みを見せてはならない――。この原体験は、幼いお福の心に、強烈な教訓として刻み込まれた。後に大奥という権謀術数が渦巻く世界で彼女が頂点に立ち、その生涯を生き抜くための精神的な礎は、この琵琶湖畔から美濃へと続く、暗く長い道程で形作られたのである。

第四章:一条の光――美濃、稲葉の庇護

幾多の困難と恐怖を乗り越え、お福と母おあんの一行は、ついに美濃国へとたどり着いた。そこは、母の実家である稲葉氏の所領であった。彼らを迎えたのは、西美濃三人衆の一人として織田信長に仕えた猛将・稲葉一鉄の一族である 18 。この強力な血縁こそが、斎藤利三が最後に託した蜘蛛の糸であった。

しかし、一行の到着は、稲葉家にとっても諸手を挙げて喜べるものではなかった。この時、天下の趨勢は、完全に羽柴秀吉へと傾きつつあった。その状況下で、本能寺の変の首謀者の一人であり、秀吉が「逆賊」として指名手配する斎藤利三の妻子を匿うことは、秀吉への明確な敵対行為と見なされかねない。それは、稲葉一族の存亡そのものを揺るがしかねない、極めて危険な賭けであった 27

一族内では、激しい議論が交わされたであろう。秀吉に事が露見した際のリスクを説く者。一方で、血を分けた縁者を見捨てることは武家の恥であると主張する者。最終的に稲葉家が下した決断は、リスクを承知の上での庇護であった。それは、戦国武将の冷徹な政治判断よりも、血縁の情と武家の面子を重んじるという、当時の価値観が勝った結果であった。

こうして、お福と母は、ひとまずの安息の地を得ることができた。しかし、稲葉家は、さらなる安全を確保するための次の一手を講じる。武家の世界に留まる限り、追討の危険が完全になくなることはない。そこで彼らが頼ったのが、稲葉家と縁戚関係にあった京の公家、三条西家であった 18

三条西家は、大臣にもなれる高い家格を誇る名門公卿である。武家の権力闘争が渦巻く世界とは一線を画した、文化と伝統の世界に生きる人々であった。秀吉の武力支配が直接及びにくい、ある種の治外法権的な領域とも言える。逆賊の娘を隠すには、これ以上ない場所であった。お福は、三条西公国のもとで養育されることとなり、武家の娘から公家の姫へと、その身分を偽装することになる 19

この三条西家での日々は、お福の人生に決定的な影響を与えた。彼女はここで、和歌や書道、香道といった公家の高度な教養を、肌で吸収する機会を得たのである 18 。それは単なる知識の習得ではなかった。彼女の出自を覆い隠し、新たなアイデンティティを構築するための、強力な武器となった。この経験が、後年、徳川三代将軍・家光の乳母を公募した際に、数多の候補者の中から彼女が選ばれるための、決定的な要因の一つとなったことは想像に難くない。

お福の生存は、単なる幸運の産物ではなかった。それは、父・利三が死の間際に指し示した、母方が持つ「社会資本」の賜物であった。稲葉家という武家の強力なネットワークと、三条西家という公家の文化的なネットワーク。この二重のセーフティネットが、彼女を死の淵から救い出し、さらには未来への飛躍台を用意したのである。父の死が彼女を奈落の底に突き落としたとすれば、母の血筋が、彼女をそこから力強く引き上げたと言えるだろう。

終章:萌芽――春日局へと続く道

娘の未来を託し、自らは死地へと向かった斎藤利三の最期は、壮絶なものであった。堅田で旧臣に裏切られ捕縛された彼は 8 、京へと送られ、市中を引き回された上、6月18日、六条河原で処刑された 5 。一説には、磔刑に処されたとも伝わっている 28 。その亡骸は、主君・明智光秀の首と共に、粟田口に晒されたという。逆賊として、武士の名誉を完全に剥奪された、無残な死であった。

父がそのような非業の死を遂げた頃、娘お福は、美濃の地で一条の光を見出していた。父の願い通り、彼女は生き延びたのである。やがて、伯父にあたる稲葉重通の養女となり 20 、稲葉氏の縁者である稲葉正成に後妻として嫁ぐ 19 。この夫・正成こそが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて、主君・小早川秀秋を説得して東軍へ寝返らせ、徳川家康に天下分け目の勝利をもたらした最大の功労者の一人であった 20

この夫の功績と、三条西家で身につけた高い教養。それらが、後にお福が徳川家光の乳母として公募に応じる際に、彼女の「逆賊の娘」という過去を覆い隠し、輝かしい経歴として評価されるための強力な後ろ盾となった 19 。父が命を賭して消し去ろうとした「斎藤利三の娘」という出自は、歴史の大きなうねりの中で、新たな人脈と功績によって上書きされていったのである。

ここに、壮大な歴史の皮肉(アイロニー)が存在する。本能寺の変という、天下を揺るがした「破壊」行為の中心人物であった斎藤利三。彼の行動は、結果的に織田政権を崩壊させ、豊臣、そして徳川の世へと繋がる道を開いた。そして、その利三が命と引き換えに未来を託した娘が、奇しくもその徳川幕府の三代将軍を育て上げ、大奥を組織し、幕政に絶大な影響力を持つ存在、春日局として歴史に名を刻むことになる。

父・斎藤利三の最後の願い「生きよ」は、ただ娘の生命を繋ぐことだけを意味していたのではなかった。それは結果として、斎藤家の血脈を、形を変えて歴史の新たな中枢へと送り込むという、彼の意図を遥かに超えた結末をもたらした。絶望の淵から始まった一人の少女の逃避行は、徳川三百年の泰平を内側から支える一人の偉大な女性、春日局を生み出すための、長く、そして暗い序曲だったのである。父の「破壊」が、遠因となって娘による幕府体制の「創造」と安定化に繋がる。個人の決断と愛情が、いかに壮大で予測不可能な歴史の因果を紡ぎ出すか。斎藤利三とお福の物語は、そのことを雄弁に物語っている。

引用文献

  1. プロローグ 斎藤利三 - 五十五年の夢(明智光秀編、第一)(いずもカリーシ) - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354055619985796/episodes/1177354055620019524
  2. 斎藤利三(さいとう としみつ) 拙者の履歴書 Vol.260~明智を支えた丹波の影の宰相 - note https://note.com/digitaljokers/n/n30532b86a533
  3. 斎藤利三 名軍師/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/90090/
  4. 「山崎の戦い(1582年)」明智光秀と羽柴秀吉の運命を決めた天下分け目の戦い | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/204
  5. 第149話 磔にされた光秀と粟田口と首塚 - 一般社団法人 明智継承会 | https://akechikai.or.jp/archives/oshiete/60929
  6. 落ちゆく者たちへの憐憫の情『平家の落人』/「T・Pぼん」で学ぶ日本②|藤子Fノート - note https://note.com/shatoru0619/n/nf0cc3a65dcb0
  7. タモ氏の日本100名城 紀行 その39 勝竜寺城から、惟任退治記を読む https://note.com/tamoshi/n/n461506a39a8f
  8. 斎藤利三家――明智光秀の重臣にして春日局の父は、本能寺の変の原因になった? - ウチコミ! https://uchicomi.com/uchicomi-times/category/topix/main/14015/
  9. 信長の城と戦国近江 - 滋賀県 https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/4035617.pdf
  10. 安土城天主焼失の謎 - 攻城団 https://kojodan.jp/castle/19/memo/823.html
  11. 堀秀政 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%A7%80%E6%94%BF
  12. 第3回 坂本城主明智光秀 - 亀岡市公式ホームページ https://www.city.kameoka.kyoto.jp/site/kirin/1293.html
  13. 古城の歴史 坂本城 https://takayama.tonosama.jp/html/sakamoto.html
  14. 明智光秀の出勤ルートを再現!織田信長の居城安土城へは船で通っていた - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/travel-rock/89918/
  15. 今は幻の明智光秀の居城「坂本城」|滋賀県・大津の観光・レジャー - FreeLife Colors https://freelife.ne.jp/article/8747
  16. 光秀の生涯にわたる本拠・坂本城から見た琵琶湖の景観 坂本城址|滋賀県 - たびよみ https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/article/000878.html
  17. 悲劇の武将・明智光秀【湖に沈む幻の城】 - 海と日本PROJECT in 滋賀県 https://shiga.uminohi.jp/information/mitsuhide/
  18. 春日の局、お福ちゃんの一生ーエピソード高校日本史(110-04) http://chushingura.biz/p_nihonsi/episodo/101_150/110_04.htm
  19. 「春日局」謀反人の娘から将軍家の乳母へ。大奥を築いた女傑 | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/989
  20. 春日局 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5%E5%B1%80
  21. 「斎藤利三」光秀の家老。本能寺の変の動機にも絡むキーパーソン | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/631
  22. 斎藤利宗(さいとう としむね) 拙者の履歴書 Vol.261~明智の影に消える - note https://note.com/digitaljokers/n/n63d1b89c6dfb
  23. 落ち武者狩り - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E3%81%A1%E6%AD%A6%E8%80%85%E7%8B%A9%E3%82%8A
  24. 【歴史解説】悲惨すぎる?落ち武者の末路!【MONONOFU物語】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=e3Q_UUDRFxw
  25. The fate of the losers in the Sengoku period. How were the dead who flooded the battlefields afte... - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=Qbmgb3SkzNQ
  26. [The fate of samurai who lost in battle...] What was the harsh life of a defeated samurai like? - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=AbEj3l4QWP4
  27. 大奥をつくった女「春日局」とは? 徳川家康の女性対策のブレーン - 歴史人 https://www.rekishijin.com/28840
  28. 春日局と父白樫城主斎藤利三の事 - 揖斐川町 https://www.town.ibigawa.lg.jp/cmsfiles/contents/0000001/1300/sasi.pdf
  29. 稲葉正成 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89%E6%AD%A3%E6%88%90
  30. 第18回企画展 稲葉正成展 - 安八町 https://www.town.anpachi.lg.jp/heartpia/0000000921.html
  31. 春日局お福の物語 - 大江戸歴史散歩を楽しむ会 https://wako226.exblog.jp/242188962/