最終更新日 2025-10-30

明智光秀
 ~討たれし後光秀の首三度笑う怪奇~

明智光秀の「討たれし後、首が三度笑う」怪奇譚を深層分析。史実性、伝承の背景、江戸文化と怨霊信仰、そして物語が創り出した光秀像を考察する。

明智光秀「討たれし首が三度笑う」怪奇譚の真相 ―史実、伝承、創作の深層分析―

序章:逆臣・光秀の首、その怪異への序幕

日本の戦国史において、明智光秀ほど劇的な評価の変転を遂げた人物は稀である。主君・織田信長を本能寺で討ち、天下に手をかけた謀反人。しかし、その栄華はわずか十数日で潰え、「三日天下」の烙印と共に歴史から退場した。だが、光秀の物語は、その死をもって終わりはしなかった。彼の非業の最期は、人々の想像力を掻き立て、数多の伝説を生み出す土壌となった。その中でも、ひときわ異彩を放つのが「討たれた後も、光秀の首が三度笑った」と語られる怪奇譚である。

本報告書は、この特定の逸話に焦点を絞り、その詳細を徹底的に調査・分析するものである。光秀最期の瞬間から、首が晒されるまでの過程を時系列で再構成し、この怪奇譚がいつ、どこで、なぜ生まれたのかを多角的に検証する。核心的な問いは、この逸話は史実なのか、あるいは創作なのか。そして、もし創作であるならば、なぜ人々は光秀の首に「笑い」という不可解な現象を求め、語り継いできたのか、という点にある。

調査の初期段階で明らかになったのは、一つの重要な事実である。すなわち、『信長公記』のような一次史料はもとより、『明智軍記』や『川角太閤記』といった後世に編纂された主要な軍記物語の中にさえ、この「笑う首」に関する直接的かつ明確な記述は見当たらない。この「記録の不在」は、本調査の失敗を意味するものではない。むしろ、これこそが逸話の性質を解き明かす鍵である。この物語が、為政者によって公的に編纂された「書かれた歴史」の系譜ではなく、民衆の間で語り継がれた「口承の物語」として、あるいは後代の創作物の中で育まれた文化的記憶であることを、何よりも雄弁に物語っているからである。したがって、本報告書は単に出典を探す試みに終始するのではなく、「なぜ出典不明の逸話がこれほどまでに流布したのか」という、その文化的・心理的背景の解明へと分析の舵を切るものである。

第一部:山崎の敗走から介錯まで ― 怪奇譚の舞台設定

怪奇譚が生まれる前提として、明智光秀の最期がどのようなものであったかを、軍記物語などの記述に基づき再現する必要がある。彼の死の壮絶さと無念さが、後世の伝説が生まれるための舞台装置となったのである。

第一章:天正十年六月十三日、小栗栖の竹藪 ― 絶望の逃避行

天正十年(1582年)六月十三日、山崎の合戦において羽柴秀吉の大軍の前に明智軍は脆くも崩れ去った 1 。勝敗が決した戦場から、光秀は僅かな家臣と共に、夜陰に乗じて本拠地である近江・坂本城を目指し、再起を図るべく敗走を開始した 1 。しかし、その道程は困難を極めた。疲労困憊の一行が京の伏見区小栗栖付近に差し掛かった時、運命の瞬間が訪れる。

「明智藪」として後世に伝わる竹藪の小径で、一行は落武者狩りの土民たちの襲撃を受けた 2 。一説には、信長に恩義を感じていた現地の土豪、飯田一族による計画的な待ち伏せであったともいう 3 。竹垣の隙間から不意に突き出された一本の竹槍が、馬上の光秀の脇腹を深々と貫いた 4 。この不意の一撃は、天下人の夢を打ち砕く致命傷となったのである。

第二章:「もはやこれまで」― 溝尾庄兵衛への最後の言葉

槍を受け、三町(約327メートル)ほど進んだところで、光秀はもはやこれまでと自らの死を悟った 4 。馬を道端に寄せると、彼は忠臣・溝尾庄兵衛に向かい、静かに、しかし毅然とした口調で告げたという。

「傷は深い。坂本までは無理だ。ここで自害する」 4

再起の望みが絶たれたことを悟った光秀は、敵の手に掛かる屈辱を避けるべく、潔く自刃の道を選んだ。介錯を頼む庄兵衛に、彼は懐から一紙を取り出して手渡した。そこに記されていたのが、彼の辞世の句であったとされる。

順逆二門無し 大道心源に徹す

五十五年の夢 覚め来て一元に帰す

— 『明智軍記』所収 4

この詩は、「人の道として正しいも逆らうも、行き着く先は同じである。我が心はその真理を悟っている。五十五年の人生も夢のようなもの、今その夢から覚めて根源へと帰るのだ」と解釈できる。ここには、信長を討ったことへの後悔も、秀吉に敗れたことへの無念も見られない。むしろ、全ての執着から解放されたかのような、ある種の悟りの境地が示されている。この超越的な死生観は、後に語られる「笑い」の意味を解釈する上で、重要な伏線となり得る。

光秀は腹を一文字にかき切り、庄兵衛が涙ながらにその首を落とした。ここに、明智光秀の肉体的な生は終わりを告げ、物語の主役は、その「首」へと移ることになる。

第三章:隠された首 ― 首塚伝説の始まり

主君の首が敵の手に渡り、辱めを受けることを恐れた溝尾庄兵衛は、首を布に包み、菩提寺である妙心寺へ届けようと試みた 4 。しかし、道中は既に秀吉方の兵で満ちており、やむなく断念。夜が明けたため、知恩院近くの地に首を埋めたと伝えられている 6 。この伝承が、現在も京都市東山区の白川のほとりに残る「明智光秀の塚」の由来である 3

しかし、首は結局何者かによって発見され、勝者である秀吉のもとへ届けられた。秀吉は、光秀の死を天下に知らしめるため、京の粟田口や六条河原でその首を晒しものにした 1 。戦国時代において、敵将の首を検分する「首実検」は、戦果を確認し、論功行賞を定めるための重要な儀式であった 9 。そして、その後の晒し首は、勝者の権威を絶対的なものとするための政治的パフォーマンスに他ならなかった。多くの人々の目に晒されるこの公開処刑の場こそ、「首が笑う」という怪奇現象が目撃されるにふさわしい、格好の舞台だったのである。

第二部:「三度笑った首」の逸話を徹底検証する

光秀の最期という舞台設定を確認した上で、いよいよ本題である「笑う首」の逸話そのものに深く切り込んでいく。文献調査を通じてその源流を探ると共に、類似する伝承との比較から、この物語が持つ類型的な特徴を明らかにする。

第四章:文献調査 ― 逸話はどこに記録されているのか

本逸話の出典を特定すべく、江戸時代に成立した主要な軍記物語や関連史料を網羅的に調査した。対象としたのは、光秀の人物像形成に大きな影響を与えた『明智軍記』 5 、秀吉の生涯を描きながら光秀についても言及する『川角太閤記』 12 、様々な逸話を収録した『祖父物語』 11 、そして比較的史料価値が高いとされる『信長公記』 15 などである。

その結論は、序章で述べた通りである。これらの主要な文献の中に、「明智光秀の首が三度笑った」という逸話を直接的かつ具体的に記したものは、現在のところ一つも確認されていない。これらの書物は、光秀の謀反の動機とされる信長からの屈辱や、山崎での最期については詳細に記述しているものの、その死後に起きたとされる怪奇現象については沈黙している。

この事実は、この逸話が正統な歴史記録や、それに準ずる権威ある軍記物語の系譜から外れた場所で生まれ育ったことを強く示唆している。すなわち、その源流は、より民衆に近い世界、講談や芝居、あるいは名もなき人々による口承文芸の世界に求めるべきなのである。

第五章:比較民俗学の視点 ― 「笑う首」と「祟る首」の系譜

光秀の逸話は、日本文学や伝承史において孤立したものではない。むしろ、古くから存在する「超自然的な力を持つ首」という物語の類型、いわばテンプレートに当てはめて解釈することが可能である。特に、非業の死を遂げた他の武将たちの首にまつわる伝説は、光秀の逸話を理解する上で重要な比較対象となる。

代表的な例が、朝廷に反旗を翻し「新皇」を名乗った平将門の伝説である。討ち取られ、京で晒された将門の首は、数ヶ月経っても腐らず、夜な夜な歯ぎしりをし、やがて「我に五体あれかし。今一度戦わん」と叫び、自らの胴体を求めて故郷の関東へ飛んでいったと伝えられる 16 。また、より直接的な類似例として、最上義光に討たれた上杉家臣・上泉泰綱の逸話がある。彼の首は、大釜で煮ても萎びず、目を見開くなどの怪異を見せた。そこで修験者に七日間の祈祷をさせたところ、七日目にしてようやく首はにっこりと笑った表情になり、成仏したという 9

これらの伝承と光秀の逸話を比較すると、顕著な共通点と相違点が見えてくる。

項目

明智光秀の首(伝承)

平将門の首(伝説)

上泉泰綱の首(逸話)

人物背景

主君殺しの逆臣、三日天下 3

朝廷への反逆、新皇僭称 16

戦場での討死 9

死後の現象

三度笑う(とされる)

目を見開き、体を求め関東へ飛ぶ 16

煮られても萎びず、祈祷の後に笑う 9

現象の解釈

無念、嘲笑、野望の成就

強い怨念、故郷への執着 16

成仏、怨念の解消 9

主な出典

口承、怪談としての流布か(明確な文献なし)

『将門記』など 16

『奥羽永慶軍記』など 9

この比較から明らかなように、「非業の死を遂げた権力者の首が、死してなおその強烈な意志や怨念を怪奇現象として発露させる」という物語の構造は、光秀の逸話に固有のものではない。人々は、本能寺の変という日本史上最大級の事件を起こしながら敗れ去った光秀という著名な人物の死に、既存の物語のテンプレートを当てはめることで、その死をより劇的に、より意味深く解釈し、物語として消費したと考えられる。特に、上泉泰綱の首が具体的に「笑った」という先行例の存在は、光秀の逸話が全くのゼロから創作されたのではなく、既存のモチーフを借用し、変容させたものである可能性を強く示唆している。

第三部:なぜ怪奇譚は生まれたのか ― 時代と人心が創り出した光秀像

逸話が特定の物語類型に属することが明らかになった今、次の問いは「なぜ光秀がその物語の主人公に選ばれたのか」である。その答えは、逸話が形成された江戸時代の文化背景と、そこで新たに創出された光秀像の中に求めることができる。

第六章:江戸文化と怨霊信仰 ― 怪談ブームと敗者の物語

戦国の世が終わり、泰平の時代が訪れた江戸時代は、庶民文化が花開いた時代であった。その中で、怪談は一大ブームとなり、『新著聞集』 17 や『累ヶ淵』 18 のような説話集が人気を博し、人々の娯楽として広く受け入れられた。戦乱の記憶がまだ生々しい中で、非業の死を遂げた者の魂が怨霊(おんりょう)となってこの世に留まり、祟りをなすという「怨霊信仰」は、人々の心に深く根付いていた 17

菅原道真や平将門のように、政治的に敗れ、無念の死を遂げた人物は、強力な怨霊として恐れられるにふさわしいと考えられた 16 。主君を討ちながら天下を取れずに敗死した明智光秀もまた、怨霊となるに十分な背景を持つ人物であった。実際に、光秀が討たれた小栗栖の「明智藪」に立ち入ると祟りがあるといった伝承が京都には残されており 21 、また、光秀は信長に焼き討ちされた比叡山の修行僧の生まれ変わりで、その復讐を果たしたのだという物語も存在した 1 。これらの伝承は、光秀が早くから怪異と結びつけられ、その無念の死が超自然的な物語の源泉と見なされていたことを示している。

第七章:物語の中の光秀 ― 歌 publie・浄瑠璃が描いた「悪」と「悲劇」

江戸時代の怨霊信仰という土壌の上に、光秀の新たな人物像を植え付けたのが、歌舞伎や浄瑠璃といった大衆演劇であった。これらの物語の中で、光秀は単なる冷酷な謀反人ではなく、主君・信長の理不尽な仕打ちに耐えかね、やむなく謀反へと追い込まれていく「悲劇の人物」として描かれるようになる。

例えば、鶴屋南北作の歌舞伎『時桔梗出世請状』(通称『時今也桔梗旗揚』)では、光秀(劇中では武智光秀)が信長(小田春永)から受ける数々の屈辱が、 dramaticに描かれる 22 。家康の饗応役を巡り、森蘭丸に鉄扇で眉間を打ち割られ 24 、宴席では馬の体を洗うための盥(たらい)で酒を飲むよう強いられ 24 、さらには、かつて光秀が貧しい浪人であった時代に、妻が生活の足しにと売った髪の毛を突きつけられ、満座の中で辱められる 24 。これらの逸話の多くは史実ではなく、観客の同情を引くために創作されたものである 11

こうした舞台上の演出は、観客に光秀への強い共感と、信長への反感を抱かせる。しかし、史実通り、物語の結末で光秀は敗北し、死ななければならない。このままでは、光秀に感情移入した観客の鬱屈とした感情は解消されないままである。ここに、「笑う首」の逸話が機能する余地が生まれる。舞台上では描かれないものの、巷で語られるこの怪奇譚は、物語の「続き」として、観客に一種のカタルシス(精神的浄化)を提供する。肉体的には敗北したが、その魂は屈服しておらず、死してなお勝者を嘲笑っているのだ、と。この超自然的な形での精神的勝利は、悲劇の主人公に同情した観客の溜飲を下げるための、いわば「物語的装置」として機能したのである。

特筆すべきは、演劇で描かれる信長からの屈辱の多くが、光秀の「頭部」に向けられている点である 11 。金柑頭と罵られ、額を割られる。生前に最も辱められた「頭」が、死後に「笑う」ことによって、その尊厳を回復するという構図は、極めて象徴的と言えよう。

第八章:「笑い」に込められた意味の多層性

この怪奇譚が持つ最大の魅力は、その「笑い」の意味が一義的に定まらない点にある。聞く人、語る人それぞれが、自らの光秀像を投影し、自由に解釈することが可能なのである。

  1. 野望成就の笑い: 本能寺で主君・信長を討ち果たし、たとえ「三日天下」であっても、一度は天下人としての夢を成就させたことへの満足と自負の笑い。
  2. 嘲笑・予言の笑い: 己を討った秀吉もまた、やがては滅び、天下が徳川のものとなる未来を見通しての、歴史の皮肉に対する冷笑。生前の光秀が秀吉の噂を聞き、「やくたいも無きこと」と笑い飛ばしたという『川角太閤記』の逸話とも通底する 27
  3. 解脱・悟りの笑い: 辞世の句 4 にも見られるように、生前の野心や怨念、全ての執着から解放され、運命を受け入れた安らかな笑い。これは、上泉泰綱の首が祈祷の末に笑い、成仏したという逸話 9 とも親和性が高い。

これらの解釈は相互に排他的なものではなく、重層的に存在し得る。この解釈の多様性、そして聞く者の想像力を掻き立てる「物語の余白」こそが、この怪奇譚が時代を超えて人々を魅了し、語り継がれる生命力の源泉となっているのである。

結論:史実と伝承の狭間で生き続ける明智光秀の霊威

本報告書を通じて明らかになったように、「明智光秀の首が三度笑った」という逸話は、特定の文献に記録された歴史的事実ではない。それは、光秀自身の劇的な生涯と非業の死、逸話が形成された江戸時代の怪談ブームと怨霊信仰という文化的背景、そして、彼を悲劇の英雄として描き変えた大衆演劇の流行、さらには古くから存在する物語の類型が複雑に絡み合って生まれた「文化的記憶」の結晶である。

謀反人という公式の評価の裏側で、民衆は光秀に同情し、その無念を晴らすかのように、彼に超自然的な力を与え、敗れてなお屈しない悲劇の英雄として語り継いだ。史実の光秀は小栗栖の露と消えたが、物語の中の光秀は、その首に全ての意志を宿し、時を超えて笑い続けている。

その霊威は、現代においてもなお、その名残をとどめている。京都市東山区に現存する光秀の首塚は、いつしか「首から上の病気に霊験あり」とされ、信仰の対象となっているのである 3 。これは、かつて祟りを恐れられた怨霊が、時を経て人々の願いを聞き届ける神へと昇華したことを示している。

史実の光秀と、物語の中で創られた光秀。この両義性の中にこそ、彼の歴史的存在の真の重みがある。「討たれし首が三度笑う」という怪奇譚は、史実の空白を埋め、人々の心を捉えて離さない、もう一つの「明智光秀伝」なのである。

引用文献

  1. 京都の路地にひっそり佇む明智光秀の塚――2つの怨霊を封じ込めた首塚の「謎」 - note https://note.com/honno_hitotoki/n/n8a9651647b5a
  2. 明智光秀の胴塚 - 【京都市公式】京都観光Navi https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=2214
  3. 京都にもある明智光秀の首塚・胴塚と謎 - Leaf KYOTO https://www.leafkyoto.net/makai/2020/04/mitsuhide/
  4. 小栗栖で明智光秀の首を取ったのは誰か? - WEB歴史街道 https://rekishikaido.php.co.jp/detail/4819
  5. 諸説ある明智光秀の出自について〜ほんとうに土岐氏の系譜なのか https://hojo-shikken.com/entry/20190907/1567832848
  6. YA063 明智光秀胴塚 - 京都市 https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ya063.html
  7. 明智光秀の塚 - 【京都市公式】京都観光Navi https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=208
  8. 明智光秀の死後、首塚は流転の歴史をたどった たたりから信仰の対象へ、さらに2回も移転! https://maidonanews.jp/article/13803630
  9. 首を煮る・ムチで打つ…。戦国武将の「恐怖の首実検」エピソードを紹介 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/79531/
  10. 本能寺の変、死を覚悟した信長がとった最期の行動 - JBpress https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/79367?page=2
  11. だから光秀はキレた?本能寺の変「珍説」の真相 - 今につながる日本 ... https://maruyomi.hatenablog.com/entry/2018/02/21/000000
  12. 「信長への怨恨」でも「黒幕がいた」でもない…最新研究でわかった明智光秀が本能寺の変を起こした本当の理由 きっかけは四国の長宗我部元親との交渉決裂 - プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/86387?page=1
  13. 本能寺の変「怨恨説」 引き金は信長への恨みつらみ? - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/852
  14. 川角太閤記 - CiNii 図書 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN15089841
  15. 【麒麟がくる】第9回「信長の失敗」レビューと解説 - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/887
  16. 【日本三大怨霊】3人はなぜ怨霊に?菅原道真・平将門・崇徳天皇の生涯とゆかりの場所 https://thegate12.com/jp/article/351
  17. 江戸時代の怖い説話集『新著聞集』とは?背景や作者・怪異エピソード・怨霊信仰も紹介 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/74415/
  18. 夫に殺された妻が6人の後妻を呪い殺す…輪廻転生の怪談話「累ヶ淵」は実話だった? - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/122984/
  19. 江戸の町に今も潜む怨霊と物怪『江戸の怪異と魔界を探る』 いわくつきのスポット紹介も https://realsound.jp/book/2020/04/post-539692.html
  20. 江戸の怪談にみる死生観 - CORE https://core.ac.uk/download/pdf/328015627.pdf
  21. H18.3.59 敗走中に落命した明智光秀の祟りで、様々な異変が… | 京 Angya https://ameblo.jp/kyo-angya/entry-12768239601.html
  22. 時桔梗出世請状(ときもききょうしゅっせのうけじょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%99%82%E6%A1%94%E6%A2%97%E5%87%BA%E4%B8%96%E8%AB%8B%E7%8A%B6-1189529
  23. 時桔梗出世請状 - 歌舞伎・鶴屋南北|文化デジタルライブラリー https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc15/sakuhin/p2/index.html
  24. あらすじ - 歌舞伎・鶴屋南北|文化デジタルライブラリー https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc15/sakuhin/p2/a.html
  25. 【歌舞伎・時今也桔梗旗揚】光秀“謀反への道” 主君からのパワハラに…菊之助が心情描く https://tsumugu.yomiuri.co.jp/acts/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E3%83%BB%E6%99%82%E4%BB%8A%E4%B9%9F%E6%A1%94%E6%A2%97%E6%97%97%E6%8F%9A/
  26. 時今也桔梗旗揚 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BB%8A%E4%B9%9F%E6%A1%94%E6%A2%97%E6%97%97%E6%8F%9A
  27. 光秀=「温厚な常識人」は一つのベストセラーがつくった。呉座勇一、待望の新連載!「戦国武将、虚像と実像」 | カドブン https://kadobun.jp/serialstory/sengoku-kyojitsu/a8b9iad83f48.html