最終更新日 2025-10-16

明智秀満
 ~城に火放ち湖へ身投げ忠節譚~

明智秀満の最期を忠節譚として解説。本能寺の変後、安土城を放棄し坂本城へ帰還。伝説の「湖水渡り」を経て、名宝を敵将に託し、一族介錯後、忠義を胸に自刃した。

明智秀満、坂本城に散る ― 忠節と滅びの美学、その終焉の一日

序章:天王山からの凶報、坂本城への道

天正十年六月十三日夜~十四日未明:運命の転換点

天正十年(1582年)六月、日本の歴史が大きく揺れ動いた。主君・織田信長を本能寺で討ち、天下に号令をかけた明智光秀の栄華は、わずか十数日で潰えることとなる。その運命の転換点となったのが、六月十三日の山崎の合戦であった。羽柴秀吉率いる大軍の前に光秀は敗れ、京の小栗栖で非業の死を遂げる。

この時、光秀の娘婿であり、明智家中で最も信頼の厚い将の一人であった明智秀満(通称、左馬助)は、本能寺の変の後、信長の居城であった近江安土城の守備を任されていた 1 。彼の元に、舅であり主君でもある光秀の敗死という、一族の存亡を根底から覆す凶報が届いたのは、十三日の夜から十四日の未明にかけてのことと推測される。この一報は、秀満に残された選択肢が、もはや一族郎党の待つ本拠地・近江坂本城への帰還以外にないことを意味していた。秀満は即座に決断し、安土城を放棄。手勢を率いて、琵琶湖の東岸を南下する、絶望的ともいえる撤退行を開始したのである 3

この撤退に際し、後世の軍記物である『秀吉事記』や『太閤記』は、秀満が安土城に火を放ったと記している 3 。信長の天下布武の象徴であった壮麗な城が、明智一族の手によって灰燼に帰したというこの記述は、物語として非常に劇的である。しかし、より信頼性の高い同時代の史料はこの説に疑問を投げかける。イエズス会宣教師ルイス・フロイスの書簡や、公家・吉田兼見の日記『兼見卿記』によれば、安土城に火を放ったのは信長の次男・織田信雄であり、その日付は十五日であったとされる 3 。秀満が坂本城で自刃したのが同日であることから、時間的な矛盾が生じる。歴史学者の高柳光寿氏は、当時まだ大きな力を持っていた信雄の失態を隠蔽するため、秀吉側の史書が意図的に秀満を犯人とした可能性を指摘している 3 。この安土城放火の濡れ衣は、秀満の悲劇性を一層際立たせるものであり、彼の最後の行動を理解する上で重要な前提となる。彼は破壊者としてではなく、一族の終焉を見届けるため、ただひたすらに坂本城を目指していたのである。

第一章:伝説の誕生 ― 「明智左馬助、湖水渡り」の虚実

六月十四日、大津・打出浜:絶体絶命の遭遇

安土城を発った秀満一行の行く手には、すでに秀吉軍の先鋒が迫っていた。坂本城を目前にした大津・打出浜(うちideはま)付近で、秀満らは羽柴軍の猛将・堀秀政の軍勢に捕捉される 3 。背後には琵琶湖が広がり、陸路は敵兵によって固められている。舟を確保する時間も、遠回りして敵の包囲を抜けることも不可能な、まさに絶体絶命の状況であった。

『川角太閤記』が描く英雄譚

この窮地において、一つの伝説が生まれる。江戸時代初期に成立した逸話集『川角太閤記』が、この場面を鮮烈に描き出した 3 。それによれば、進退窮まった秀満は、常人では考えも及ばない大胆な行動に出る。彼は愛馬「大鹿毛(おおかげ)」にまたがったまま、雄叫びとともに琵琶湖の水中へと乗り入れた。そして、巧みな手綱さばきで馬を操り、波を蹴立てて対岸の唐崎浜まで泳ぎ切ったというのである 3

追撃してきた堀秀政の軍勢は、その神がかり的ともいえる光景を、ただ呆然と見守るしかなかった。「今に沈むか、沈むか」と固唾を飲んで見つめる敵兵を尻目に、秀満は悠々と湖上を進み、坂本城へと入城を果たしたと伝えられている 3 。この華麗にして奇跡的な脱出劇は、後世、「明智左馬助の湖水渡り」として長く語り継がれることとなり、その勇姿は武者絵の題材となり 9 、現地には今なお伝説を伝える石碑が建てられている 1

琵琶曲『湖水渡』による物語の昇華

この伝説は、やがて琵琶法師によって語られる演目『湖水渡(こすいわたり)』として、一つの芸術の域にまで高められた 10 。この琵琶曲の中で、物語はさらに人間的な深みを増す。無事に対岸の唐崎の浜に上陸した秀満(作中では光俊)は、生死を共にした愛馬「大鹿毛」を労い、こう語りかける場面が描かれている。

「光俊多年武勇の誉、半ばは汝が勲功ぞ」

「かかる名馬を光俊が命と共に殺さんは、いといと惜しき心地ぞする。天晴(あっぱれ)汝は長生(ながら)へて、武勇勝(すぐ)れし主を取り、我が武名をも後の世の武辺の語りに残せかし」 8

自らの死を覚悟した上で、功のあった愛馬の命を救い、己の名誉を後世に託そうとするその姿は、武士の情と矜持の表れとして、聴く者の胸を打った 8

史実性の検証

しかし、この劇的な「湖水渡り」は、同時代の一次史料には一切記録がなく、史実というよりは伝説の域を出ないというのが今日の定説である 5 。地理的な考証を踏まえると、実際には、当時の大津の町と湖岸線の間にあった狭い陸地、すなわち波打ち際を馬で一気に駆け抜けたのではないかと考えられている 7 。当時の琵琶湖の湖岸線は現在とは異なり、埋め立てが進む前はより内陸に入り組んでいた可能性があり、浅瀬や砂浜が広がっていたとすれば、馬での強行突破は十分に可能であった 12

では、なぜこのような伝説が生まれ、広く受け入れられたのであろうか。それは単なる武勇伝の誇張ではない。そこには、日本文化に根差した「敗者の英雄化」というメカニズムが働いている。明智光秀は主君を討った「逆臣」であり、その一族は歴史の敗者として断罪されるべき存在であった。しかし、日本には古来より「判官贔屓(ほうがんびいき)」という言葉に代表されるように、悲劇的な運命を辿った敗者に同情し、その中に美学を見出す文化的土壌が存在する 13

秀満の絶望的な状況下での奮闘は、人々の同情を引くに十分であった。そこに「湖を馬で渡る」という超人的で幻想的なイメージを付与することによって、彼は単なる敗残兵から、非情な運命に最後まで抗い続けた悲劇の英雄へと昇華されたのである。これは、光秀本体が犯した謀反という罪とは切り離し、一個の武士としての「忠義」と「武勇」だけを純粋な形で抽出し、それを賞賛したいという後世の人々の無意識の願望の表れであったと言えよう。

第二章:籠城と覚悟 ― 包囲された城、定められし運命

六月十四日、坂本城:最後の拠点

「湖水渡り」が史実か伝説かにかかわらず、秀満が坂本城への帰還を果たしたことは確かである 4 。しかし、彼に安堵の時間は許されなかった。城はすでに堀秀政の軍勢によって幾重にも包囲されており、もはや脱出も援軍も望めない、完全な孤立状態に陥っていた 3

坂本城は、かつてルイス・フロイスが「信長の安土城に次ぐ豪壮華麗な城」と称賛した、光秀が心血を注いで築いた名城であった 2 。しかし、圧倒的な兵力差の前では、その堅固な城壁も長くは持ちこたえられない。秀満は、この城が自らにとって、そして明智一族にとって最後の場所となることを静かに覚悟したのである。

城壁越しの対話:武士の矜持

落城が目前に迫る中、秀満の武士としての矜持を示す一つの逸話が伝えられている。城への一番乗りを狙い、城壁に迫る一人の武者がいた。その名を、入江長兵衛という。彼と面識のあった秀満は、燃え盛る城の混乱の中にあっても冷静さを失わず、城壁の上から静かに声をかけたという。

「入江殿とお見受けする。この城も我が命も今日限り。末期(まつご)の一言として貴殿に聞いてもらいたい」 7

敵兵である入江が「何事であろう」と応じると、秀満は自らの生涯を総括するかのように語り始めた。

「我は若年の時より、戦場に臨むごとに攻めれば一番乗り、退却の時は殿(しんがり)を心とし、武名を揚げることを励みとしてきた。つまるところ、我が身を犠牲にして、子孫の後々の栄を思っての事だった。その結果はどうであろう」 7

この言葉は、武士として最高の栄誉を求め続けた男の、その努力が水泡に帰したことへの無常観と、それを受け入れる潔い覚悟に満ちている。敵を前にしてなお、自らの武士道哲学を語るその姿は、秀満という武将の器の大きさと、死を目前にした人間の精神性の高みを我々に示している。

第三章:武士の美学と最後の務め ― 炎に消えるには惜しき名宝

戦国武将の価値観と「名物」

明智秀満の最期を語る上で最も象徴的な逸話が、城内にあった「名物(めいぶつ)」の引き渡しである。この行動の真意を理解するためには、まず、戦国時代における名物の価値を正しく認識する必要がある。高価な茶器、名工の手による刀剣、高僧の書画といった名物は、単なる美術品や財産ではなかった。それらは所有者の権威、教養、そして社会的地位を象徴するものであり、時には一つの城、一つの国に匹敵するほどの価値を持つと見なされていた 15 。織田信長が家臣への恩賞として、土地の代わりに名物茶器を与えた「名物狩り」は、その価値観を如実に物語るものである 15

秀満の決断:「天下の宝を灰燼に帰すは、末代までの恥辱」

自らの死と、栄華を誇った坂本城が焼け落ちることを悟った秀満は、一つの決断を下す。それは、光秀が生涯をかけて蒐集したこれらの名宝を、戦火によって失うことは武門の恥であるとし、敵将である堀秀政に託すというものであった 3 。彼は家臣に命じて城内の宝物をかき集めさせ、その目録を作成し、城外の堀の陣へと使者を送ったのである。

この行動は、単に文化財を惜しむ心からだけではない。それは、滅びゆく者が勝者に対して行う、最後の文化的マウンティングであり、自らの「格」を誇示する高度な政治的パフォーマンスであった。宝を渡すという行為を通じて、秀満は堀秀政を単なる敵将ではなく、「文化の価値がわかる継承者」として認める立場に自らを置いた。これは、軍事的には敗者であっても、文化的価値の序列においては自分が上位にいることを暗に示す行為であり、「お前にはこの宝の価値がわかるか」と相手を試す、極めて洗練された駆け引きであった。

使者を通じた対話の再現

使者を通じて行われた秀満と堀秀政の間のやり取りは、緊迫した戦場にありながら、静謐な緊張感を伴うものであったと伝えられている。

  • 秀満の使者: 「我が主、左馬助(秀満)が申し上げる。この城も我が命も今日限り。されど、日向守(光秀)様が生涯をかけて蒐集された天下の名物を、いたずらに煙と成すは武門の忍びざるところ。これらを貴殿(堀秀政)に託し、後世に伝えていただきたい」
  • 堀秀政: (目録を検分し)「左馬助殿の心遣い、見事である。確かに拝領つかまつる。だが、目録の中に、光秀殿が秘蔵されていたという天下の名刀、『郷義弘(ごうのよしひろ)の脇差』(倶利伽羅郷)の名が見当たらないが、これは如何に」 3
  • 秀満の返答(使者より): 「その一振りは、亡き主君が命と等しく愛でられた品。この秀満が腰に差し、死出の山の供とし、冥途にて直接お渡しする所存にござる」 3

この返答こそが、この逸話の核心である。秀満は、天下の文化遺産は後世に託すが、主君への「忠義」という最も神聖な価値だけは、誰にも渡さず、自らの命と共に冥府へ携えていくと宣言したのだ。これにより、彼は文化の守護者であると同時に、忠義の体現者としてのアイデンティティを完璧に演じきった。それは、武力で敗れても、武士としての精神性においては決して負けてはいないという、強烈なメッセージであった。


表1:明智秀満が堀秀政に託したとされる名物一覧

カテゴリー

品名

概要・文化的価値

関連史料・逸話

刀剣

不動国行(ふどうくにゆき)

鎌倉時代の刀工・来国行作の太刀。織田信長が所持し、後に光秀に下賜されたとされる天下の名物。

『乙夜之書物』などに記述が見られる 11

刀剣

二字国俊(にじくにとし)

鎌倉時代の刀工・来国俊作の太刀。茎(なかご)に「国俊」と二字銘があることからこの名で呼ばれる。

数々の大名家を渡り歩いた名刀として知られる。

茶器

高麗茶碗(こうらいぢゃわん)

朝鮮半島で作られた茶碗。侘び茶の精神を体現するものとして、戦国武将の間で極めて高く評価された。

秀満が託した品の一つとして記録されている 3

茶器

平釜(ひらがま)

茶の湯で湯を沸かすための釜の一種。信長から拝領した品とされる。

秀満が託した品の一つとして記録されている 3

書画

大燈国師墨蹟(だいとうこくしぼくせき)

鎌倉時代の禅僧・大燈国師(宗峰妙超)による書。禅の精神性を宿すものとして珍重された。

秀満が託した品の一つとして記録されている 3

書画

虚堂智愚墨蹟(きどうちぐぼくせき)

南宋の禅僧・虚堂智愚の書。日本の禅宗に大きな影響を与えた人物であり、その墨蹟は至宝とされた。

虚堂智愚は日本の禅宗の祖師筋にあたる人物である 19


第四章:滅びの序曲 ― 一族の最期と燃え盛る天守

一族の介錯

天下の名宝を敵将に託し、最後の務めを終えた秀満は、いよいよ城と一族の終焉に向けた最後の儀式に取り掛かる。彼はまず、天守の一室に光秀の妻子、そして自らの妻など、明智一族の婦女子を集めた。そして、敵兵の手に渡って辱めを受けることがないように、自らの手で一人ずつ介錯していったと伝えられている 3 。これは、当時の武家社会において、一族の名誉を守るための悲壮な作法であった。血の涙を呑み、愛する者たちの命を絶った秀満の胸中はいかばかりであったか、想像に難くない。

放火

一族の始末を終えると、秀満は家臣に命じ、城内の各所に次々と火を放った 3 。光秀がその権勢の象徴として築き上げ、かつては多くの文化人や宣教師を魅了した坂本城は、瞬く間に黒煙を上げ、紅蓮の炎に包まれていった。

「琵琶の音」の伝承

この燃え盛る天守から、あたかも誰かが琵琶を奏でているかのような、雅でありながらも哀切な音色が聞こえてきた、という伝承が残されている。史料上でこの記述を直接確認することはできないが、この詩的な逸話が生まれた背景には、いくつかの要因が複合的に絡み合っていると考えられる。

第一に、地理的な要因である。城が面しているのは、その名も「琵琶湖」であり、湖の名前そのものが音楽的な連想を誘う。第二に、文化的な要因である。明智光秀自身が和歌や連歌、茶の湯に通じた当代一流の文化人であったことは広く知られている 21 。その居城から最後に響くのが、武骨な鬨(とき)の声や兵たちの怒号ではなく、雅な楽器の音色であるという構図は、物語として非常に美しく、光秀と明智一族の文化的イメージに合致する。

そして第三に、物語的な要因である。『平家物語』に代表されるように、日本の古典文学において、滅びゆく者の物語はしばしば琵琶法師によって語られてきた。琵琶の音色は「諸行無常」の響きを帯び、栄枯盛衰の理(ことわり)を象徴する。明智家の短すぎた天下とその劇的な滅亡のフィナーレを飾る効果音として、この「琵琶の音」というモチーフが後世の創作の中で加えられた可能性は極めて高い。

第五章:終焉 ― 忠節の完成

自刃

燃え盛る炎が天守を包み込む中、秀満は静かに死に装束を整えた。そして、主君への最後の忠義の証である「倶利伽羅郷」を傍らに置き、腹を十文字にかき切って自刃を遂げたとされる 3 。これが、複数の史料や軍記物が一致して伝える、明智秀満の壮絶な最期である。

「湖へ身投げ」説の検証

一方で、「最期は湖へ身を投じた」という説も語られることがある。しかし、これは信頼できる史料には見られない。この説が生まれた背景には、第一章で述べた「湖水渡り」の伝説の鮮烈なイメージが、彼の最期の場面と混同され、あるいは融合して後世に派生した伝承である可能性が極めて高い。馬で湖を渡った英雄ならば、その最期もまた湖に身を投じたであろう、という物語的な連想が働いた結果と考えるのが自然であろう。

明智一族の滅亡

秀満の自刃をもって、坂本城は完全に落城した。これにより、本能寺の変を主導した明智光秀の嫡流は完全に途絶え、明智一族は歴史の表舞台からその姿を消すこととなった 9 。なお、福知山城に残っていた秀満の父も、後に捕縛され、京の粟田口で磔(はりつけ)に処されている 3 。ここに、光秀の野望と共にした一族の物語は、悲劇的な終焉を迎えたのである。

結論:語り継がれる忠節譚 ― 史実と創作の狭間で

主君・明智光秀が日本史上最大の「裏切り者」「逆臣」として記憶されているにもかかわらず、なぜその腹心である明智秀満の最期は、非難されるどころか「忠節譚」として美化され、後世に語り継がれてきたのだろうか。

その最大の理由は、彼の死に至るまでの一連の行動が、時代を超えて武士の理想とされた「忠義」の姿を、あまりにも完璧に体現していたからに他ならない。主君の敗北を知っても裏切ることなく、最後まで運命を共にする。滅びの瀬戸際にありながらも冷静さを失わず、文化財を保護し、敵将に対してさえ武士としての矜持を示す。そして、主君への忠義の証(倶利伽羅郷)を胸に、一族の名誉を守り、潔く自刃する。

これらの行動は、光秀が起こした謀反の是非という政治的な評価軸とは切り離された、一個人の「家臣としての理想的なあり方」の純粋なモデルとして捉えられた。特に、戦乱の世が終わり、社会の安定と共に武士道が理念化・体系化されていく江戸時代において、彼の物語は主君への忠義を教えるための格好の教材として、人々の心に深く刻み込まれていったのである 22

明智秀満の坂本城における最期は、「一族と共に自刃した」という史実の核に、「湖水渡り」という英雄譚、「名宝の引き渡し」という滅びの美学、「琵琶の音」という詩的表現が幾重にも重ねられて形成された、壮麗な物語である。それは、単なる歴史的事件の記録に留まらず、日本人が「滅びの美学」や「忠義」という価値観をどのように捉え、理想化し、後世に伝えようとしてきたかを示す、極めて貴重な文化的遺産と言えるだろう。

引用文献

  1. 本能寺の変後、明智軍と信長軍が船戦 伝説生んだ戦いか https://craft.asahi.com/article/2020/09/honnouji/
  2. 近江國 坂本城 (滋賀県大津市) - FC2 http://oshiromeguri.web.fc2.com/ohmi-kuni/sakamoto/sakamoto.html
  3. 「明智秀満(明智左馬助)」坂本城と最期をともにした家老 | 戦国 ... https://sengoku-his.com/843
  4. 明智光秀の家臣は琵琶湖を馬で渡った!?本能寺の変まで時を戻そう - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/109341/
  5. 新近江名所圖会 第285回 明智左馬之助湖水渡り伝承の地・大津市打出浜 https://www.shiga-bunkazai.jp/shigabun-shinbun/best-place-in-shiga/%E6%96%B0%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%90%8D%E6%89%80%E5%9C%96%E4%BC%9A-%E7%AC%AC285%E5%9B%9E%E3%80%80%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%B7%A6%E9%A6%AC%E4%B9%8B%E5%8A%A9%E6%B9%96%E6%B0%B4%E6%B8%A1%E3%82%8A%E4%BC%9D/
  6. 太閤記|国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典 - ジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1871
  7. 明智秀満 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E7%A7%80%E6%BA%80
  8. 湖水渡|琵琶曲ライブラリー|琵琶曲図書館 | シルヴァン 旭西 ... https://guignardbiwa.com/library/kosuiwatari/
  9. 第4章 この人物も要チェック! 明智秀満「左馬助(さまのすけ)」 - 福知山市 https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/site/mitsuhidemuseum/18102.html
  10. 明智秀満の「湖水渡り」 歴史考察その2 - 双山 敦郎 https://www.biwa-souyama.com/%E6%98%8E%E6%99%BA%E7%A7%80%E6%BA%80%E3%81%AE%E6%B9%96%E6%B0%B4%E6%B8%A1%E3%82%8A%E3%80%80%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92/
  11. 光秀は本能寺にいなかった! メディアで大きく報道された新史料『乙夜之着物』を見つけた著者が徹底解読し、戦国史最大の謎に迫る。 - 株式会社 八木書店出版部のプレスリリース - valuepress https://www.value-press.com/pressrelease/293205
  12. 滋賀県大津市の歴史を巡る「大津町古絵図」が公開 - Stroly https://biz.stroly.com/case/area_kinki/otsutyo-koezu/
  13. 明智秀満の辞世 戦国百人一首㉛|明石 白(歴史ライター) - note https://note.com/akashihaku/n/ne4ab54387bd7
  14. 光秀の生涯にわたる本拠・坂本城から見た琵琶湖の景観 坂本城址|滋賀県 - たびよみ https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/article/000878.html
  15. 戦国時代の経済状況は http://www.kyoto-be.ne.jp/rakuhoku-hs/mt/education/pdf/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E6%9C%AC15%EF%BC%88%E7%AC%AC31%E5%9B%9E%EF%BC%89%E3%80%8E%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD%EF%BC%92%E3%80%8F.pdf
  16. 日本刀の格付けと歴史/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/10006/
  17. 論功行賞からの恩賞で貰える褒美と黙認された乱妨取りの闇 - 戦国武将のハナシ https://busho.fun/column/reward
  18. 明智光秀 滋賀・京都の武将/ホームメイト - 刀剣ワールド大阪 https://www.osaka-touken-world.jp/kansai-warlords/kansai-mitsuhide/
  19. 径山祖庭复建与展望 https://zjjcmspublic.oss-cn-hangzhou-zwynet-d01-a.internet.cloud.zj.gov.cn/jcms_files/jcms1/web3095/site/attach/0/7004da9fbbfd456a8cbdd5e107f4cd71.pdf
  20. 坂本城址碑 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる! https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/876/
  21. 第3回 坂本城主明智光秀 - 亀岡市公式ホームページ https://www.city.kameoka.kyoto.jp/site/kirin/1293.html
  22. 教科書で『平家物語』はどう読まれてきたか : 「忠度都落」を例に https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00072643-00950001-0290.pdf?file_id=69531
  23. 日本の古典の「義」とは?|sakuraba - note https://note.com/sakuramaru726/n/n0b17a30a1843