本願寺顕如
~戦中信なき鉄砲撃つな宗教譚~
本願寺顕如の「信なき鉄砲は撃つな」逸話を徹底分析。史実と創作の対比から、石山合戦における信仰と武力の交差点、そして現代における歴史解釈の意義を解き明かす。
本願寺顕如「信なき鉄砲は撃つな」— 逸話の源流と歴史的実像の徹底分析
序論:本願寺顕如と「信なき鉄砲」の逸話 — 信仰と武力の交差点
日本の戦国時代、数多の武将が天下を争う中で、武士ではない一つの勢力が織田信長の前に10年もの長きにわたり立ちはだかった。浄土真宗本願寺、そしてその第11世法主、本願寺顕如が率いる一向一揆勢力である。彼らの力は、単なる兵力や城の堅固さだけでは測れない。阿弥陀如来への絶対的な信仰心を組織的な武力へと転換させた、他に類を見ない宗教的武装集団であった。
この本願寺の特異性を象徴する逸話として、利用者から提示されたのが『戦の最中、本願寺顕如が「信なき鉄砲は撃つな」と信徒を諭した』という宗教譚である。この言葉は、硝煙と怒号が渦巻く戦場のただ中で、宗教指導者が兵士(門徒)に対し、武器の操作技術以前に、その引き金を引く心の在り方を問うという、極めて印象的な情景を想起させる。それは、本願寺の戦いが、領土や覇権を争う世俗的な戦争とは一線を画す、「信仰の戦い」であったことを雄弁に物語るかのように響く。
しかし、この心を揺さぶる逸話は、果たして歴史的事実として記録されたものなのだろうか。それとも、利用者の言う通り、本願寺の精神性を伝えるために後世に創られた「宗教譚」なのであろうか。本報告書は、この「信なき鉄砲は撃つな」という一言に焦点を絞り、その源流を徹底的に調査するとともに、石山合戦の軍事的・思想的現実と対比させることで、逸話の歴史的信憑性と、それが内包する物語的真実を多角的に分析・解明することを目的とする。本調査は、単なる事実確認に留まらず、歴史が物語として消費される現代において、この逸話がなぜ生まれ、何を我々に問いかけるのかという深層にまで踏み込むものである。
第1章:逸話の源流調査 — 歴史的史実か、現代の創作か
本願寺顕如の指導者像を鮮烈に描き出すこの逸話の真偽を確かめるため、まずその出典を特定することが不可欠である。調査の結果、『信長公記』をはじめとする同時代の一次史料や、本願寺教団が残した公式な記録の中に、顕如が「信なき鉄砲は撃つな」と発言した、あるいはそれに類する指導を行ったという記述は一切見出すことができなかった 1 。
逸話の出所:歴史漫画『センゴク』
徹底的な調査が指し示した源流は、歴史的記録ではなく、宮下英樹による歴史漫画『センゴク』シリーズであった 4 。この作品は、膨大な史料調査に基づきながらも、大胆な歴史解釈と人間ドラマを織り交ぜて戦国時代を描き、高い評価を得ている。問題の逸話は、この『センゴク』の作中において、石山合戦の緊迫した場面で描かれる象徴的なシーンなのである。
この発見は、本報告書の性質を根本から変える。我々が分析すべき対象は、失われた歴史的事実の探求ではなく、現代の創作物がいかにして歴史上の人物や出来事に新たな解釈と生命を吹き込むか、という歴史受容の問題へと移行する。
逸話の情景再現
利用者の要望に応じ、『センゴク』における当該シーンを時系列に沿って再構成する。
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状況設定(The Setting)
石山本願寺の城砦内、織田軍の猛攻に晒される防衛線。空には鉛玉が飛び交い、火縄銃の轟音が絶え間なく響き渡る。門徒たちは土塁や櫓に身を潜め、必死の応戦を続けている。しかし、圧倒的な物量と戦術で迫る織田軍を前に、恐怖と焦りから冷静さを失い、ただ闇雲に弾を浪費する者も少なくない。戦場の混乱と絶望が兵士たちの心を蝕み始めている。 -
顕如の登場と行動(The Action)
その混乱の最前線に、法主である顕如が静かに姿を現す。彼は甲冑をまとった武将ではなく、あくまで宗教指導者としての威厳と静謐さを保っている。彼は前線で銃を構える門徒たちの様子をじっと見つめる。恐怖に駆られ、引き金を引くことだけが目的となっている彼らの姿を、その目に焼き付ける。 -
対話と諭し(The Dialogue)
顕如は、一人の門徒の肩にそっと手を置き、その行動を制止させる。そして、戦場に響き渡る声で、しかし落ち着いた口調でこう告げる。
「信なき鉄砲は撃つな」
門徒たちは一瞬、その言葉の意味を測りかねて動きを止める。顕如は続ける。恐怖や憎悪から放たれる弾丸は、ただの鉄塊に過ぎない。我らの戦いは、この世に阿弥陀仏の教えを守り、極楽浄土を顕現させるための聖なる戦である。故に、この引き金を引く一瞬一瞬が、仏への帰依であり、祈りでなければならないのだ、と。一発の弾丸に、己の信仰心のすべてを込めよ、と諭すのである。 -
門徒の変化(The Aftermath)
顕如の言葉は、混乱していた門徒たちの心に深く浸透する。彼らの目から恐怖の色が薄れ、代わりに静かな覚悟と信仰の光が宿る。彼らの銃の構えはより堅固に、狙いはより正確になる。単なる兵士から「信仰の戦士」へと変貌を遂げた彼らの反撃は、規律と精神的な強さを取り戻し、織田軍を押し返す力となる。
分析の転換点
以上の通り、この逸話は歴史的事実ではなく、非常に巧みに構成されたフィクションであると結論付けられる。この事実は、本調査の焦点を「何が起こったか」から「なぜこの物語が創られたのか、そして史実と対比した時に何が見えてくるのか」へと決定的にシフトさせる。現代の歴史物語の作り手が、なぜ顕如にこのような言葉を語らせる必要があったのか。その創作意図を解き明かすことは、戦国時代の本願寺勢力の本質を、新たな角度から理解する鍵となる。それは、歴史の記録が語らない人物の「内面」や「思想」を、現代の我々がいかに渇望しているかの証左でもある。この逸話は、歴史そのものではなく、歴史を解釈しようとする現代人の精神性を映す鏡なのである。
第2章:石山合戦の現実 — 「信仰」と「技術」が交差した戦場
フィクションの中で描かれた「信」を問う鉄砲とは対照的に、史実における石山本願寺の強さは、極めて現実的な軍事技術と組織力に支えられていた。彼らが織田信長という当代随一の軍事的天才を相手に10年間も持ちこたえた原動力は、精神論だけに留まらない、当時最先端のテクノロジーとそれを駆使する専門家集団の存在であった。
当代随一の鉄砲保有数
石山本願寺は、一個の宗教団体としては異常とも言える規模の武装を誇っていた。特に鉄砲の保有数は群を抜いており、数千挺、一説にはイエズス会士の報告として8000挺もの鉄砲を所有していたとされる 1 。これは当時の有力大名に匹敵、あるいは凌駕する数であり、本願寺が単なる門徒の集合体ではなく、一個の軍事大国であったことを示している。顕如自身も、各地の門徒や協力者に対し、鉄砲や火薬、兵糧の提供を求める書状を頻繁に送っており、兵站の重要性を熟知した総司令官として機能していた 1 。
最強の傭兵集団「雑賀衆」の存在
本願寺の火力の核心を担ったのは、熱心な門徒兵だけではなかった。紀伊国を本拠地とする、当時最強と謳われた鉄砲傭兵集団「雑賀衆(さいかしゅう)」の存在が決定的に重要であった 8 。鈴木孫一(すずきまごいち)に率いられた彼らは、単に鉄砲の扱いに長けているだけでなく、集団運用における革新的な戦術を編み出していたプロフェッショナル集団であった。
彼らの戦術の特筆すべき点は、鉄砲の連続射撃を可能にする「斉射(せいしゃ)・交代撃ち」である。これは、射撃隊を複数列に分け、一列目が撃っている間に後方の列が弾込めを行うことで、攻撃の空白時間をなくす画期的な戦法であった 9 。後に織田信長が長篠の戦いで用いたとされる有名な「三段撃ち」は、この雑賀衆の戦術に学んだものだという説も根強い 11 。
この高度な技術と戦術を持つ雑賀衆の威力は、石山合戦で遺憾なく発揮された。天正4年(1576年)の天王寺の戦いでは、雑賀衆の鉄砲斉射によって織田軍の将・原田直政が討ち死にし、部隊は壊滅的な打撃を受けた 9 。さらに、鈴木孫一は自ら狙撃を行い、信長自身を負傷させるという戦果も挙げている 9 。これは、個々の兵士の信仰心の強さというよりも、高度に訓練された専門家集団による、計算され尽くした軍事行動の成果であった。
総司令官としての顕如
顕如が雑賀衆に宛てた書状には、「鉄砲三千丁・手弁当で」参戦を要請する内容が残っており、彼が本願寺の防衛戦略において、雑賀衆の専門的な軍事力をいかに重視していたかがうかがえる 1 。彼のリーダーシップは、門徒の信仰心を煽る精神的なものに留まらず、最強の軍事ユニットを的確に調達し、戦線に投入する極めてプラグマティックなものであった。
この史実の側面から考察すると、「信なき鉄砲は撃つな」という逸話が持つ意味合いは大きく変わってくる。逸話は、本願寺の強さの根源を「信仰心」という内的な要素に還元し、精神化する。しかし、現実の戦場では、鉄砲の威力は射手の信仰心の深さではなく、訓練度、弾込めの速さ、集弾効率、そして指揮官の戦術的判断によって決まる。もし顕如が前線で指揮を執ったとすれば、その命令は「信を込めよ」という抽象的なものではなく、「敵が柵に迫るまで待て」「あの将を狙え」「一斉に放て」といった、より具体的で戦術的なものであった可能性が極めて高い。
つまり、このフィクションは、本願寺が駆使した「技術」の側面を意図的に後景に退かせ、「信仰」の側面を前景化させることで、彼らの戦いを単なる軍事衝突から「聖戦」へと昇華させる役割を担っている。織田軍も雑賀衆も同じ鉄砲という道具を使うが、本願寺の鉄砲だけは「信仰」によって質的に異なるのだ、という物語的な差別化を図っているのである。これは、本願寺の抵抗の正当性を、より高次の精神的次元に位置づけるための、巧みな創作的 কৌশলと言えるだろう。
第3章:門徒の精神性 — 「進者往生極楽」と逸話の思想的対比
本願寺門徒がなぜ死を恐れず、戦国のプロフェッショナルである武士団と互角以上に渡り合えたのか。その精神的支柱を理解するためには、彼らが実際に掲げたスローガンを検証する必要がある。それは、「信なき鉄砲は撃つな」という内省的な言葉とは全く異なる、行動を極限まで単純化し、死への恐怖を克服させるための強力なイデオロギーであった。
一向一揆の戦闘教義:「進者往生極楽 退者無間地獄」
石山合戦をはじめとする一向一揆の戦場で、門徒たちの士気を支えたのは「進者往生極楽 退者無間地獄(しんじゃおうじょうごくらく たいしゃむげんじごく)」という旗印であった 13 。これは、「進んで戦えば極楽往生が約束されるが、退いて逃げれば無間地獄に堕ちる」という意味であり、門徒に対して究極の二者択一を迫る、極めて強力な行動規範である。
このスローガンの心理的効果は絶大であった。
第一に、それは個人の内面的な葛藤や恐怖を思考の領域から排除する。戦場での選択肢は「前進」か「後退」しかなく、その結果は「極楽」か「地獄」という絶対的なものに直結している。これにより、兵士は複雑な状況判断から解放され、ただ前進し、戦うことだけに集中できる 16。
第二に、それは「死」の意味を根底から覆す。通常、人間にとって最大の恐怖である死が、この教義の下では最高の救済(極楽往生)への入り口となる。これにより、門徒たちは自らの命を惜しまず、武士たちが「犬死に」として最も恐れるような無謀な突撃をも敢行できた 14。彼らにとって、戦死は悲劇ではなく、信仰の完成形だったのである。
逸話との思想的対立
この「進者往生極楽」のスローガンと、「信なき鉄砲は撃つな」という逸話を比較すると、両者が思想的に正反対のベクトルを向いていることが明らかになる。以下の表はその対比をまとめたものである。
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比較項目 |
「進者往生極楽 退者無間地獄」(史実のスローガン) |
「信なき鉄砲は撃つな」(創作の逸話) |
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行動原理 |
無条件の前進・攻撃 |
内的状態に基づく条件的行動 |
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焦点 |
外部への物理的行動 |
個人の内面的な信仰心 |
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心理的効果 |
恐怖と懐疑の抑制、集団的熱狂の醸成 |
個人の内省の促進、行動への精神的責任の付与 |
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指導の方向性 |
集団を一つの方向へ駆り立てる |
個々の行動に精神的な意味と規律を与える |
史実のスローガンが個人の内省を停止させ、集団を一つの巨大な力として機能させることを目的としているのに対し、逸話の言葉は行動の前に個人の内面を問う。それは兵士に対し、引き金を引く前に「汝の信仰は本物か」と自問自答することを要求する。これは、一瞬の躊躇が死に繋がる実戦の場においては、極めて非現実的かつ危険な問いかけである。一向一揆の強さの源泉が、個人の判断を超越した集団的な突進力にあったとすれば、この逸話はむしろその力を削ぐ方向に作用しかねない。
この根本的な矛盾は、逸話が史実ではなく、現代的な価値観に基づいて本願寺の思想を「再解釈」したものであることを強く示唆している。史実の一向一揆が、現代人の目には時に狂信的な集団と映る可能性があるのに対し、逸話は彼らを「自らの行動に精神的な意味を見出そうとする、内省的な個人」として描き出す。これにより、読者は門徒一人ひとりに感情移入しやすくなる。つまり、この逸話は、前近代的な集団主義の宗教運動を、近代的な個人主義の道徳観を通して理解可能にするための、物語的な翻訳作業として機能しているのである。それは歴史の再現ではなく、歴史の人間化と言えるだろう。
第4章:指導者・顕如の実像 — 一次史料から読み解く言動と戦略
フィクションの中で精神的な指導者として描かれる顕如だが、彼自身が残した書状(消息・御書)などの一次史料を分析すると、そこには全く異なる、現実主義的な組織の統率者としての姿が浮かび上がってくる。彼の言葉は、戦場の兵士の心を直接諭すものではなく、巨大な宗教国家のトップとして、戦争を遂行するための戦略、外交、兵站を差配するものであった。
行政官・外交官としての顕如
顕如のリーダーシップの核心は、彼が全国に張り巡らされた門徒のネットワークを、書状を通じて遠隔操作した点にある 19 。これらの書状は、本願寺という組織を動かすための神経網であり、その内容は極めて具体的かつ戦略的であった。
- 動員と兵站の管理 :顕如は各地の門徒に対し、決起を促す檄文(げきぶん)を送り、兵士や兵糧、そして鉄砲などの武器を石山本願寺に集結させるよう指示した 3 。前述の通り、雑賀衆に「鉄砲三千丁」を要求した書状は、彼が単なる精神的象徴ではなく、自軍の兵站を正確に把握し、必要なリソースを確保しようとする最高司令官であったことを明確に示している 1 。
- 巧みな外交戦略 :顕如は、本願寺単独で信長に対抗することが困難であると理解しており、武田信玄、朝倉義景、毛利輝元といった反信長勢力と巧みに連携し、「信長包囲網」の一翼を担った 22 。彼の書状は、これらの大名との同盟関係を維持・強化するための重要な外交ツールでもあった。
- 現実的な和平交渉 :10年に及ぶ抗争の末、兵糧攻めによって本願寺が追い詰められると、顕如は徹底抗戦を主張する息子・教如の反対を押し切り、朝廷の仲介による信長との和睦という現実的な判断を下した 23 。これは、教団の存続を最優先する組織のトップとしての冷徹な決断であり、理想だけでは動いていなかったことを物語る。和睦後も、信長やその家臣との関係修復に努め、贈答品を交換するなど、したたかな外交感覚を見せている 24 。
戦場における神秘性の不在
これらの史料から浮かび上がる顕如像は、戦略家であり、組織の管理者である。彼の権威はもちろん法主という宗教的地位に根差しているが、その行使のされ方は、戦争と政治の現実に対応した、極めて世俗的なものであった。彼の言葉の中に、戦場で個々の兵士の信仰のあり方を問うような、神秘主義的な指導は見られない。
この点は、同じく信仰を力とした武将、例えば上杉謙信と比較するとより鮮明になる。謙信は自らを毘沙門天の化身と信じ、その信仰を軍事行動のアイデンティティと不可分に結びつけていたことが知られている 26 。彼の戦いは、個人的な信仰の発露という側面が強かった。一方、顕如の戦いは、一個人の信仰というよりも、浄土真宗という巨大な「組織」を守るためのものであり、その指導法も組織論に基づいていた。
この観点から見ると、「信なき鉄砲は撃つな」という逸話は、顕如のリーダーシップの役割を誤認させる可能性がある。史実の顕如は、大局的な戦略を立て、外交交渉を行い、兵站を確保する「総司令部」であった。それに対し、逸話の中の顕如は、個々の兵士の精神状態に介入する「前線指揮官」として描かれている。これは、例えるなら、国家の最高指導者が、一兵卒の銃の構え方を直接指導するようなものであり、リーダーシップの階層を混同している。
なぜこのような創作が行われたのか。それは、物語の主人公として、顕如をより魅力的で共感できる人物に仕立て上げるためであろう。遠くの御堂から書状で指示を出す管理者よりも、前線に立ち、兵士一人ひとりと心を通わせる指導者の方が、物語の登場人物としてはるかにカリスマ的に映る。この逸話は、史実の顕如が担っていた組織運営という地道な役割を、よりドラマティックで英雄的な行為へと変換する、フィクションならではの脚色なのである。
第5章:創作における顕如像の再構築 — 「信なき鉄砲」が生まれた理由
これまでの分析で、「信なき鉄砲は撃つな」という逸話が史実ではなく、現代の創作物、特に漫画『センゴク』に由来することが明らかになった。では、なぜ作者は、史実とは異なる、甚至は史実の精神性と対立するようなこの言葉を顕如に語らせる必要があったのか。その理由は、現代の読者に向けて本願寺の戦いを物語る上で、乗り越えなければならないいくつかの「物語上の課題」を解決するための、優れた創作的解答であったと考えられる。
物語上の課題:狂信集団のジレンマ
歴史的視点から見れば、一向一揆の門徒たちは「進者往生極楽」の旗の下、死を恐れずに敵に突撃する恐るべき集団であった 14 。この姿は、現代の価値観からすると、ともすれば自己の判断を放棄した「狂信者の集団」として映りかねない。このような集団を物語の主要な勢力として描く際、読者の共感を得ることは非常に難しい。主人公の敵対勢力であればそのままでも機能するが、本願寺を一定の理解と共感をもって描こうとする場合、この「狂信性」は大きな障壁となる。
逸話による物語的解決策
「信なき鉄砲は撃つな」という一言は、この課題を解決するための、極めて効果的な物語装置として機能する。
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道徳的複雑性の注入
この言葉は、顕如を単なる狂信者の扇動者から、聖戦を率いることの道徳的重荷に苦悩する、深みのある指導者へと変貌させる。彼は単に勝利を求めるだけでなく、門徒たちが「いかに戦うか」という、その手段の純粋性をも問う。これにより、顕如は倫理的な内省を行うキャラクターとして描かれ、読者は彼の葛藤に共感することが可能になる。 -
門徒たちの人間化
この命令は、名もなき門徒たちを、スローガンを叫ぶだけの集団から、個々の信仰と向き合う「個人」へと引き上げる。引き金を引くという暴力的な行為が、彼らにとって自己の信仰を試すための深遠な宗教的瞬間となる。これにより、読者は門徒一人ひとりが、単なる駒ではなく、自らの意志で信仰と暴力の狭間で戦う人間であると感じることができる。 -
本願寺の戦いの差別化
この逸話は、本願寺の戦いを、他の戦国大名のそれとは質的に異なるものとして明確に位置づける。武士たちが領土、権力、名誉のために戦うのに対し、本願寺は「信仰を守る」という、より高次の目的のために戦っている。そして、その戦いにおいては、目的だけでなく、手段(戦い方)もまた信仰に裏打ちされていなければならない、という独自の倫理観を提示する。これにより、彼らの10年にも及ぶ抵抗に、単なる権力闘争以上の、崇高な物語的意味が付与される。
作者の宮下英樹は、作品制作にあたり膨大な文献調査を行うことで知られているが、同時に歴史の大きな流れの中に埋もれた「人間の物語」を見出すことを重視している 29 。この逸話は、史実の記録の隙間を埋め、歴史上の人物の内的世界を探求しようとする、まさにそうした創作姿勢の表れであろう。
結論として、この逸話は歴史的事実の欠如を補うための「歴史解釈としてのフィクション」である。それは、史実が提供する「何が起こったか」という外面的な情報に対し、物語が「彼らは何を考えていたのか」という内面的な問いに答えようとする試みである。史実的には不正確であっても、この言葉は現代の読者が本願寺という複雑な存在を感情的・倫理的に理解するための、重要な橋渡し役を果たしている。それは、歴史の「真実」とは何かを考える上で、事実の記録と同じくらい価値のある「物語的真実」を提示していると言えるだろう。
結論:歴史的事実と物語的真実 — 逸話が現代に問いかけるもの
本報告書は、本願寺顕如が戦の最中に発したとされる「信なき鉄砲は撃つな」という逸話について、その源流と歴史的背景を徹底的に分析した。以下に、調査によって明らかになった結論を要約する。
第一に、この逸話は同時代の歴史的史料には一切記録されておらず、その源流は宮下英樹による現代の歴史漫画『センゴク』にある、創作された場面である。したがって、この言葉が戦国時代に実際に語られたという歴史的信憑性は存在しない。
第二に、この逸話が描く思想は、史実における石山合戦の実態とは複数の点で対立する。
- 軍事的には 、本願寺の強さは信仰心のみならず、雑賀衆というプロフェッショナル集団が駆使する高度な鉄砲技術と戦術に大きく依存していた。逸話は、この技術的・専門的側面を精神的側面へと意図的に還元している。
- 思想的には 、門徒を鼓舞した史実のスローガンは「進者往生極楽 退者無間地獄」であり、個人の内省を排して集団的な行動を促すものであった。これに対し、逸話は行動の前に個人の内面的な信仰を問う、正反対のベクトルを持つ。
- 指導者像としては 、史実の顕如は書状を通じて組織を動かす現実的な戦略家・管理者であった。逸話は、彼を前線で兵士の心に直接語りかける、物語的なカリスマ指導者として再構築している。
しかし、この逸話が歴史的事実でないからといって、その価値が無意味になるわけではない。むしろ、その非歴史性こそが、この逸話の持つ現代的な意義を浮き彫りにする。
この物語は、歴史と我々現代人との関わり方を象徴している。我々は過去の出来事を単なる事実の羅列として知るだけでは満足せず、そこに生きた人々の感情、葛藤、そして道徳的な複雑さを求め、理解しようと試みる。逸話「信なき鉄砲は撃つな」は、一向一揆という、現代の価値観からは理解が難しいかもしれない歴史上の運動に対して、共感可能な人間性を見出そうとする現代的な欲求が生み出した「物語的真実」なのである。
それは、狂信的に見える集団の中にも個人の内省があり、宗教指導者もまた自らが引き起こす暴力の倫理的意味に苦悩していたのではないか、という人間的な想像力の産物である。この逸話は、戦国時代そのものの事実ではないかもしれないが、21世紀の我々が戦国時代とどう向き合おうとしているかを示す、極めて興味深い「現代の事実」であると言える。
最終的に、この逸話は歴史が過去に固定されたものではなく、現代との対話の中で常に再解釈され、新たな意味を付与され続けるダイナミックなプロセスであることを示している。歴史的事実の探求が過去を正確に知るための営みであるとすれば、優れた歴史物語は、その事実を基に我々自身の人間性を問い直すための鏡となる。本願寺顕如のこの逸話は、まさにその鏡として、我々に歴史を学ぶことの豊かさと奥深さを教えてくれるのである。
引用文献
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- 1580年 – 81年 石山本願寺が滅亡 | 戦国時代勢力図と各大名の動向 https://sengokumap.net/history/1580/
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- 一向一揆、なぜ農民は織田信長と戦ってもくじけなかったの? - ぽっぽブログ - studio poppo https://studiopoppo.jp/poppoblog/chat/36760/
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