柴田勝家
~お市と別れの杯、雪中自刃忠愛~
柴田勝家は賤ヶ岳敗北後、北ノ庄城で妻お市の方と別れの杯を交わし、娘を秀吉に託す。お市は勝家と運命を共にし、夫婦は辞世の句を詠み壮絶な自刃。雪中自刃は創作。
柴田勝家とお市の方 ― 北ノ庄城、訣別の杯と忠愛の自刃
序章:落日の始まり ― 賤ヶ岳からの敗走と府中城の湯漬け
天正11年(1583年)4月21日、近江国賤ヶ岳。織田信長亡き後の天下の主導権を巡り、織田家筆頭宿老・柴田勝家と、信長の遺志を継ぐ者として急速に台頭した羽柴秀吉が激突した 1 。この「賤ヶ岳の戦い」は、織田家の未来を決定づける天下分け目の決戦であった。しかし、戦況は柴田軍にとって非情な結果に終わる。合戦の最中、勝家の与力大名であった前田利家が突如として戦線を離脱したことが、柴田軍の士気を著しく低下させ、陣容の崩壊を招いたのである 3 。
「鬼柴田」の異名を取り、織田家随一の猛将として数多の戦場を駆け抜けてきた勝家も、この敗北は覆しがたかった。彼はわずかな手勢を率いて、本拠地である越前・北ノ庄城を目指し、決死の敗走を開始する 3 。その道中、勝家は驚くべき行動に出た。裏切りとも言える戦線離脱を行った前田利家が籠る越前府中城(現在の福井県越前市)に、自ら立ち寄ったのである 5 。
城内で対峙する二人。しかし、勝家の口から利家を詰問する言葉は一言も発せられなかった。彼はただ静かに「湯漬けを一杯、所望致す」とだけ告げたという 5 。極限の状況下で見せたこのあまりに日常的な振る舞いは、勝家の冷静さと、利家との長年にわたる交誼を重んじる心情の表れであった。利家はこれに応じ、湯漬けと替えの馬を用意した 7 。勝家は湯漬けを食した後、利家に対して「筑前(秀吉)につかれよ」と、秀吉への降伏を促し、静かに夜の闇へと去っていった 6 。
この「府中城の湯漬け」の逸話は、勝家が単なる猛将ではなく、私怨を超えて大局を見据え、旧友の行く末を案じる器の大きさを持った、旧時代の武士であったことを物語っている。自らの死を確信した者の静謐な覚悟が、そこにはあった。ここから、北ノ庄城における壮絶な悲劇の幕が上がるまでの時間は、わずか72時間ほどであった。
【表1】北ノ庄城落城に至る時系列表
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年月日 (天正11年) |
時刻 |
主要な出来事 |
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4月21日 |
昼過ぎ |
賤ヶ岳の戦いで柴田軍が敗北。勝家は北ノ庄城へ敗走を開始 1 。 |
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4月21日 |
夜 |
勝家、越前府中城に立ち寄り、前田利家と面会。湯漬けを食し、秀吉への降伏を勧める 5 。 |
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4月22日 |
- |
羽柴秀吉、府中城に入る。前田利家が降伏し、秀吉軍の先鋒となる 3 。 |
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4月23日 |
- |
秀吉軍、北ノ庄城を数万の兵で完全に包囲。秀吉は宕山に本陣を構える 3 。 |
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4月23日 |
夜 |
勝家、天守にて一族・家臣80余名と最後の宴を催す 4 。 |
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4月23日 |
夜半 |
勝家がお市の方に脱出を勧めるも、お市は拒絶。三人の娘のみを城外の秀吉陣営へ送り出す 2 。 |
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4月24日 |
午前4時頃 |
秀吉軍による本丸への総攻撃が開始される 11 。 |
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4月24日 |
正午頃 |
柴田方の激しい抵抗に、秀吉は精鋭部隊を突入させる 11 。 |
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4月24日 |
午後5時頃 |
天守に追い詰められた勝家が、お市の方らを介錯の後、自刃。城は炎上し落城する 13 。 |
第一章:籠城 ― 壮麗なる北ノ庄城、最後の舞台
勝家が命運を託した北ノ庄城は、単なる防衛拠点ではなかった。それは、彼の権勢と誇りの象徴そのものであった。天正3年(1575年)、織田信長より越前一国を与えられた勝家は、自ら縄張りを行い、この地に壮大な城郭の建設を開始した 3 。その規模は、主君・信長の安土城に匹敵、あるいはそれを凌ぐとまで言われ、七層とも九重とも伝わる壮麗な天守が福井平野を見下ろしていた 2 。宣教師ルイス・フロイスもこの城を訪れ、その壮大さを記録している 14 。城下町の規模は安土の倍にも及び、今日の福井市の礎を築いた勝家の治世の結晶であった 4 。
しかし、その栄華の象徴も、今や最後の砦と化していた。4月22日に府中城で前田利家を恭順させた秀吉は、その追撃の手を一切緩めなかった 3 。翌23日、利家を先鋒とする秀吉軍は北ノ庄城に到達し、城を幾重にも包囲した 3 。この時、城内に籠る柴田勢はわずか3,000人足らずであったのに対し、秀吉軍は数万(一説に18,000)という圧倒的な兵力を誇った 2 。
秀吉は武力による攻撃だけでなく、巧みな心理戦をも仕掛けた。賤ヶ岳の戦いで捕らえた勝家麾下の猛将・佐久間盛政や、勝家の子(養子ともされる)・勝敏を城の目前に引き据え、晒し者にしたのである 3 。これは、城兵の士気を根底から打ち砕き、降伏を促すための冷徹な策であった。
築城からわずか8年 4 。勝家の夢とプライドが注ぎ込まれた壮麗な巨城は、その生涯で最も絶望的な状況下で、最後の舞台となろうとしていた。この城の壮大さは、その上で演じられることになる悲劇を、より一層際立たせるための巨大な装置であった。栄華の頂点を象徴する建築物が、一族郎党の墓標となる皮肉が、目前に迫っていたのである。
第二章:最後の宴 ― 天守に響く名残りの声
天正11年4月23日の夜。城外では数万の敵兵が鬨の声を上げ、明日には落城が免れないことを誰もが悟っていた。この絶望的な状況下で、柴田勝家は天守に一族と譜代の家臣たち約80名を集め、最後の宴を催した 4 。それは、乱痴気騒ぎの酒宴ではなく、死を前にした者たちが主従の絆を確かめ合い、自らの運命を受け入れるための厳粛な儀式であった。
杯を交わす中、勝家は静かに口を開いたと『甫庵太閤記』は伝える。
「故右大臣家(信長公)に仕え、百たび、二百たびの合戦に出たが、一度もわしは不覚をとらず、敗軍ということを知らなかった。しかしながらこのたび筑前と戦い、かように武運が尽きた。このざま、深く恥じ入る」 16。
この言葉には、自己弁護や言い訳は一切ない。自らの生涯を総括し、運命を甘受する武将としての潔い覚悟が込められていた。
宴もたけなわの頃、勝家は一つの名器を家臣の前に差し出した。それは、かつて信長から拝領した青磁の名器「蕪梨子(ぶりなし)の花入」であった 17。勝家はこれを近臣の中村聞荷斎(文荷斎)に与えようとし、「この名器を我と共に滅ぼすのは畏れ多い。そちに取らせるゆえ、大切に伝えよ」と述べた。しかし、聞荷斎は恭しくこれを拝領すると、おもむろに立ち上がり、縁の柱に叩きつけて粉々に砕いてしまった。そして、こう言い放ったという。
「今更何を仰せになります。君亡き後に独り生き残り、この名器で花を活ける聞荷斎にはござりません」 17。
主君と死を共にするという、絶対的な忠誠心の表明であった。この壮絶なやり取りを見て、勝家とお市の方は静かに微笑んだと伝えられている 17。
この最後の宴は、死を前にした混乱や絶望ではなく、武家社会の美学に則った、高度に様式化された儀式であった。主君は自らの運命を受け入れ、家臣は殉死の覚悟を示す。この一連のやり取りを通じて、彼らは自らの死を「名誉ある死」として意味づけ、その精神を後世に伝えようとしたのである。
第三章:夫婦の訣別 ― お市の方、不動の決意
最後の宴が終わり、勝家は妻であるお市の方と向き合った。お市は信長の妹であり、かつて近江の浅井長政に嫁ぎ、三人の娘(茶々、初、江)をもうけたが、小谷城の落城で夫を失っていた 9 。その後、清洲会議を経て勝家と再婚し、北ノ庄城に入ってからまだ一年にも満たない 15 。勝家にとって、彼女は主君の妹であり、心から愛した妻であった。
勝家は、お市と三人の娘たちの身を案じ、城からの脱出を強く勧めた。
「そなたは主君信長公の妹御なれば、秀吉とて疎略には致すまじ。早く城を出て、秀吉を頼られよ」 17。
それは、戦国の世の習わしとしても、夫としての情としても、至極当然の言葉であった 18。
しかし、お市の答えは、勝家の予想を、そして戦国の常識をも超えるものであった。彼女は毅然としてこれを拒絶したのである。『賤ヶ岳合戦記』などによれば、彼女は次のように答えたという。
「かつて浅井家のときに逃げ出したことさえ、いまでも悔やまれます。どうして今度も逃げ出すことができましょうか。柴田殿と運命をともにいたします」 12。
この言葉は、彼女の生涯における最も主体的で、気高い決断であった。兄・信長の政略の駒として、その意のままに生きてきた彼女が、人生の最後に自らの意志で「死に様」を選んだ瞬間であった。小谷城で夫・長政を見捨てて生き延びたことへの悔恨が、武家の妻としての矜持が、彼女をその場に留まらせた。
自らの運命を定めたお市は、ただ娘たちの行く末だけを案じた。彼女は秀吉に宛てて娘たちの助命を嘆願する自筆の手紙を書き、三人の娘たちを一台の輿に乗せて城から送り出した 2 。敵陣も、信長の姪たちが出てくるのを見て道を開け、一行を丁重に通したという 12 。娘たちを乗せた輿が遠ざかるのを、お市は三の間まで出て静かに見送った。その時の彼女の姿は、実年齢の37歳よりもずっと若々しく、たとえようもなく美しかったと伝えられている 12 。政略の道具として生きた女性が、自らの意志で忠愛を貫き、母として、そして武家の妻としての務めを全うした、悲しくも凛とした姿であった。
第四章:別れの杯と辞世の句 ― 夏の夜の夢
娘たちを無事に送り出し、城内には死を覚悟した者たちだけが残った。勝家とお市の方は、二人きりになると、静かに最後の杯を交わしたと伝えられる 15 。それは、夫婦として過ごした短い日々の名残を惜しみ、共に死出の旅路へ向かう覚悟を固めるための、静謐な儀式であった。
そして、二人は互いの心情を和歌に託し、辞世の句を詠み交わした。この一連の歌は、戦国武将とその妻の死の美学が凝縮された、日本文学史上に残る悲しくも美しい応酬歌として知られている。
まず、お市の方が詠んだ。
「さらぬだに うちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな」 22
(ただでさえ短い夏の夜の眠りなのに、そのはかない夢路から、私をあの世へと誘うかのようにほととぎすが鳴いていることよ)
これに対し、勝家は返歌を詠んだ。
「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」 22
(夏の夜の夢のように、私の人生ははかなく終わるが、その死後の名を、雲の上まで高く響かせておくれ、山ほととぎすよ)
この二首の歌は、共通して「夏の夜」と「ほととぎす」を詠み込んでいる。落城は旧暦の4月24日であり、季節は夏にあたる 10 。和歌の世界で「夏の夜」は、その短さから人生の儚さの象徴として用いられる 24 。また、「ほととぎす」は、死出の山を越える旅人を案内する鳥とも信じられており、ここでは「死への誘い」を象徴している 24 。
お市の歌が、避けられぬ死を静かに受け入れる無常観と諦観を示しているのに対し、勝家の歌は、肉体の死を超えて「武士としての名」を後世に残すことへの強い執着を詠んでいる。これは、運命を受容する妻と、運命に抗って名を刻もうとする武将という、それぞれの立場と死生観を鮮やかに映し出している。彼らは和歌という高度な文化的行為を通じて、単に共に死ぬのではなく、自らの「死の物語」を共同で創造し、後世へと遺したのである。
【表2】柴田勝家・お市の方 辞世の句 対照表
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作者 |
辞世の句(原文) |
読み下し |
現代語訳 |
象徴的キーワードの解説 |
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お市の方 |
さらぬだに うちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな |
さらぬだに うちぬるほども なつのよの ゆめじをさそう ほととぎすかな |
ただでさえ短い夏の夜の眠りなのに、そのはかない夢路から、私をあの世へと誘うかのようにほととぎすが鳴いていることよ。 |
夏の夜 : 人生の短さ、儚さの比喩。 ほととぎす : 死出の山へ案内する鳥とされ、ここでは「死への誘い」を象徴する。 |
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柴田勝家 |
夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす |
なつのよの ゆめじはかなき あとのなを くもいにあげよ やまほととぎす |
夏の夜の夢のように、私の人生ははかなく終わるが、その死後の名を、雲の上まで高く響かせておくれ、山ほととぎすよ。 |
夏の夜の夢路 : 自身の儚い生涯。 跡の名 : 武将として最も重要視した、死後に残る名誉や評価。 |
第五章:壮絶なる自刃 ― 鬼柴田、最後の武威
夜が明け、天正11年4月24日の早朝、羽柴軍による本丸への総攻撃が開始された 5 。城内に残る柴田方の精兵はわずか200名ほどであったが、彼らは死を覚悟し、弓や鉄砲で決死の防戦を繰り広げた 11 。しかし、圧倒的な兵力差はいかんともしがたく、正午頃には秀吉が投入した精鋭部隊によって防衛線は次々と破られ、勝家たちはついに天守へと追い詰められた。
燃え盛る天守の九重目、最上階。勝家は、もはやこれまでと覚悟を決めると、まずお市の方をはじめ、母や侍女など一族の女性たちを自らの手で刺し殺した 4 。愛する者を敵の手に渡さず、自らの手で介錯することは、武将としての最後の情けであり、責任であった。
そして、最後まで付き従った家臣たちを前に、勝家は高らかに叫んだと伝えられる。
「我が腹の切り様をよく見て、後学にせよ」 4。
それは、自らの死を、家臣たちへの最後の教育とするという凄絶な意志の表明であった。心ある侍たちは、その言葉に涙をこらえ、鎧の袖で顔を覆ったという 26。
勝家は、武士の最も正式な作法とされる「十文字切り」を敢行した。まず左の脇腹に刀を突き立てると、右脇まで一気に引き裂き、さらにその刀を返すや、みぞおちから臍の下まで縦に切り裂いた 4 。一部の記録では、さらに自らの五臓六腑を掴み出し、投げつけたとまで記されている 18 。これは、武士として最も苦痛に満ち、しかし最も名誉ある死に様であり、「鬼柴田」と呼ばれた猛将の最後の武威を示すものであった。
介錯は、最後の宴で忠義を示した中村聞荷斎が務めた 13 。勝家の首を落とした聞荷斎は、かねてより用意していた大量の火薬に火を放った。轟音と共に天守は内部から爆ぜ、勝家をはじめ、殉死を選んだ80余名の家臣たちの遺体もろとも、燃え盛る炎の中に崩れ落ちていった 11 。時刻は午後5時頃(寅の下刻)であったという 13 。遺体の一片たりとも敵の手に渡さぬという、柴田家の歴史を自らの手で完全に終わらせる、徹底した最期であった。
終章:逸話の検証と後世への影響 ― 「雪中自刃」の真相
本稿で詳述してきた柴田勝家とお市の方の最期は、戦国時代の悲劇の中でも特に人々の心を打ち、後世に語り継がれてきた。しかし、ご依頼の主題にもあった「雪中自刃」というイメージについては、歴史的事実との間に明確な乖離が存在する。
史実として、勝家が自刃したのは天正11年4月24日である 10 。これを現代の太陽暦に換算すると1583年6月14日となり、北陸・越前の地であっても雪が降ることはあり得ない。この年の気候が春夏の長雨による冷害で凶作であったという記録は存在するが 28 、4月下旬に降雪があったという記録は見当たらない。
では、なぜ「雪」のイメージがこの逸話に付与されたのであろうか。その一因として考えられるのが、賤ヶ岳の戦いの前、天正10年の冬から11年の春にかけての状況との混同である。この時期、勝家は越前の豪雪によって軍事行動を封じられており、秀吉はその隙を突いて勝家方の長浜城を攻め落としている 29 。この「雪に閉ざされた北陸の猛将」という強烈なイメージが、最期の場面と結びつき、後世の創作物の中で再構成された可能性は高い。
さらに重要なのは、日本の文化・芸術における「雪」の持つ象徴性である。雪は、しばしば「純粋さ」「清らかさ」「悲劇の美しさ」、そして「静謐な死」を演出するための舞台装置として用いられてきた。血と炎にまみれた凄惨な自刃の場面も、静かに降りしきる雪に包まれることで、その悲劇性が浄化され、一枚の美しい絵画のような情景へと昇華される。浄瑠璃や歌舞伎、浮世絵といった後世の創作において、この物語が格好の題材とされた際に 30 、より美しく、より感動的に描くための詩的演出として「雪」が加えられたと考えられる。
結論として、「柴田勝家とお市の雪中自刃」という逸話は、歴史的事実ではない。しかし、それは単なる誤伝や間違いとして切り捨てられるべきものでもない。それは、この夫婦の忠愛と悲劇的な最期が、後世の人々の心に深く刻まれ、史実を超えた「物語」として愛され、語り継がれる中で育まれた、一種の文化的記憶なのである。史実の勝家は炎の中で死んだが、物語の中の勝家とお市は、人々の心象風景の中に降り積もる清らかな雪の中で、永遠にその愛と忠義を語り継いでいる。この史実と創作の交錯こそが、この逸話が持つ不変の魅力の源泉と言えよう。
引用文献
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- 信長の後を継ぐのは誰か?柴田勝家と羽柴秀吉、最終決戦「北ノ庄城」 | 夢中図書館 いざ城ぶら! https://favoriteslibrary-castletour.com/fukui-kitanoshojo/
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- 賤ケ岳の戦いで板挟みになった前田利家! 究極の選択の結果は? - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/89985/
- 無類の律儀者(前田利家) - 今月のよもやま話 https://2466-hachi.com/yomoyama_2404.htm
- 前田利家 「槍の又左」から加賀百万石の大名にまで出世した勇将の生涯 | ページ 4 | 歴史の読み物 https://app.k-server.info/history/maeda_toshiie/4/
- 柴田勝家が築いた北ノ庄城~勝家・お市の方終焉の地~ - 中世歴史めぐり https://www.yoritomo-japan.com/sengoku/etizen/kitanosho-jyo.html
- 1583年 賤ヶ岳の戦い | 戦国時代勢力図と各大名の動向 https://sengokumap.net/history/1583/
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- 北ノ庄城の歴史 - 攻城団 https://kojodan.jp/castle/119/memo/4317.html
- 勝家とお市の方の悲話を伝える<北庄城> https://sirohoumon.secret.jp/kitanosyoujo.html
- 司馬遼太郎の『新史 太閤記』にある柴田勝家のちょっといい話。 - 読書生活 https://www.yama-mikasa.com/entry/2018/03/26/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AE%E3%80%8E%E6%96%B0%E5%8F%B2_%E5%A4%AA%E9%96%A4%E8%A8%98%E3%80%8F%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%AE%B6%E3%81%AE%E3%81%A1
- 9.北の庄城の陥落 http://www.ibukiyama1377.sakura.ne.jp/shizugatake/4-9.html
- 死の影がつきまとった「悲劇の美女」 歴史に翻弄され続けた信長の妹・お市の方の悲運とは? https://www.rekishijin.com/48662
- 柴田勝家(しばた かついえ) 拙者の履歴書 Vol.15〜信長と共に北陸を制す - note https://note.com/digitaljokers/n/nc2683617fd04
- お初(常高院) 戦国の姫・女武将たち/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/48073/
- 柴田勝家 ― 北庄に掛けた夢とプライド - 福井市立郷土歴史博物館 https://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/tenji/tenran/katsuie.html
- 柴田勝家・お市の方 | 歴史あれこれ | 公益財団法人 歴史のみえるまちづくり協会 https://www.fukui-rekimachi.jp/category/detail.php?post_id=32
- 「勝家の切腹を見て後学にせよ」真っ先にお市夫人を刺殺し自分の腹を十文字に切った柴田勝家の壮絶な最期 北庄城で宴会を開いたあと天守閣で一族30人と自決 (2ページ目) - プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/72228?page=2
- 辞世の句・歌 その24「夏の夜の夢路はかなき跡の名を雲居にあげよ山ほととぎす」(柴田勝家) https://wakadokoro.com/learn/jisei/%E8%BE%9E%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%AD%8C-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92%EF%BC%94%E3%80%8C%E5%A4%8F%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%81%AE%E5%A4%A2%E8%B7%AF%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%8D%E8%B7%A1%E3%81%AE%E5%90%8D/
- 五臓六腑を自分の手で掻き出す…!? 秀吉も感服した武将の豪胆すぎる死に様【柴田勝家】/『残念な死に方事典』③ https://ddnavi.com/article/d611014/a/
- 戦国武士の「名誉ある死」――柴田勝家の最期から紐解く、《切腹》の多面的な性格 - 幻冬舎plus https://www.gentosha.jp/article/27777/
- 柴田勝家の亡霊は、北の庄創成の神! - 福井県 https://www2.pref.fukui.lg.jp/press/atfiles/pa6e1488766853V1.pdf
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- 賤ヶ岳の戦い - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/7258/
- 喜多川歌麿 作 「柴田勝家」/ホームメイト - 刀剣ワールド/浮世絵 https://www.touken-world-ukiyoe.jp/mushae/armor/art0007820/
- 柴田勝家-歴史上の実力者/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/44323/