武田信虎
~追放前夜、鶴鳴き止まず凶兆悟る~
武田信虎は追放前夜、庭の鶴が鳴き止まず凶兆を悟ったとされる。史実ではないが、信玄による父追放の正当化と、事件の悲劇性を高める役割を果たした伝説。
鶴鳴き止まず ― 武田信虎追放前夜、凶兆の真相と甲斐国の深層
序章:伝説への誘い
戦国時代の甲斐国に、一つの鮮烈な逸話が伝わっている。「武田信虎、追放前夜、庭の鶴が鳴き止まず凶兆と悟る」。この一節は、単なる歴史的事件の断片に留まらず、聞く者の心に深く刻まれる情景を喚起する。甲斐の絶対君主として君臨した男が、その権勢を失う前夜に耳にしたという不吉な鳥の声。そこには、父子の確執、権力の無常、そして人知を超えた運命の予兆という、物語の根源的な要素が凝縮されている。この逸話が持つ悲劇的な美しさと劇的な構成は、武田信虎追放という出来事に、単なる政変以上の深みと人間的な哀感を与え、我々を強く惹きつけてやまない。
しかし、この印象的な逸話は、『甲陽軍鑑』をはじめとする主要な軍記物や一次史料には、その直接的な記述を見出すことができない 1 。これは、逸話が史実そのものではなく、後世に形成された伝説、あるいは文学的な創作である可能性が高いことを示唆している。
したがって、本報告書は、この逸話の史実性を単に検証し、否定することに主眼を置くものではない。むしろ、その核心的な問いを「この逸話は、なぜ生まれ、語り継がれる必要があったのか」という点に据える。まず、逸話の背景にある日本の文化的土壌を深く掘り下げ、次に、史料に基づき追放前夜の状況を徹底的に再構築する。そして最後に、史実と伝説の間に横たわる乖離の意味を分析し、この逸話が武田信玄による父の追放という行為を正当化し、かつ事件そのものを普遍的な悲劇へと昇華させるために果たした歴史的役割を解明する。これにより、信虎追放という一大事件を、史実と物語の両面から多層的に理解することを目指す。
第一部:凶兆の文化的背景 ― なぜ「鳥の夜鳴き」は不吉なのか
「鶴が夜通し鳴き続けた」という逸話の不吉さを理解するためには、まずその根底にある日本古来の世界観に触れる必要がある。そこでは、鳥、特にその鳴き声が、しばしば人間界と異界を繋ぐ霊的なサインとして捉えられてきた。
日本古来の俗信における「鳥の夜鳴き」
日本各地には、鳥が本来鳴くべきではない時間に鳴くことを凶兆とする俗信が数多く存在する。例えば、夜明けを告げるはずの鶏が夜に鳴くことは、火事や人の死の前触れとされ、強く忌み嫌われた 3 。カラスも同様で、その鳴き声が不気味であったり、夜に鳴いたりすると、死人が出る、あるいは不幸が訪れると信じられていた 6 。実際に、武田氏の本拠地であった甲斐国(山梨県)においても、「カラス鳴きが悪いと人が死ぬ」という俗信が近代まで伝えられている 3 。
これらの伝承の背景には、夜を「常世(とこよ)」、すなわち神々や魔、死者の霊が活動する異界の時間と捉えるアニミズム的な世界観がある。昼の光の世界に属する鳥が、夜という時間の境界を侵犯して活動すること、すなわち夜に鳴くことは、世界の正常な秩序が乱れていることの証左であった。その異常な鳴き声は、これから起きるであろう世界の均衡の崩壊、すなわち凶事の到来を告げる不吉な予兆として人々に受け止められたのである。
平安貴族をも恐れさせた凶鳥「鵺(ぬえ)」の伝承
為政者が不気味な鳥の声に凶事を悟るという物語の類型は、古くから存在する。『平家物語』に記された鵺(ぬえ)の伝承は、その代表例である 7 。平安時代後期、帝の住まう清涼殿に、夜な夜な「ヒョウヒョー」という気味の悪い鳴き声が響き渡り、これに怯えた天皇はついに病に伏してしまう。高僧によるいかなる祈祷も効果がなく、宮中は深い不安に包まれた。この鳴き声の主は、猿の顔、狸の胴、虎の手足、蛇の尾を持つ怪物であったとされ、源頼政によって退治されるまで、京の都を恐怖に陥れた 8 。
この伝承が示すのは、権力の頂点に立つ天皇でさえ、正体不明の鳥(あるいは怪物の)声に心身を蝕まれ、その存在が国政を揺るがすほどの重大事と認識されていたという事実である。信虎の逸話は、この「国の主が、凶鳥の声によって自らの運命の変転を予感する」という、古典的で普遍的な物語の構造を色濃く受け継いでいると言える。
なぜ「鶴」が選ばれたのか ― 逆説の象徴性
ここで最も重要な問いは、なぜ逸話はカラスや鵺のような元来不吉とされる鳥ではなく、あえて「鶴」を選んだのか、という点である。鶴は「鶴は千年、亀は万年」という言葉に象徴されるように、長寿のシンボルであり、その高く澄んだ鳴き声は天に届くと信じられた 9 。神々と人間を繋ぐ神聖な鳥として、婚礼衣装の柄にも用いられるなど、鶴は吉祥の象徴の最たるものであった。
この点を踏まえると、逸話の作者が「鶴」を登場させた意図は極めて明確になる。もし不吉の象徴であるカラスが鳴いたのであれば、それは単なる凶兆に過ぎない。しかし、吉祥の象徴であるはずの鶴が不吉に鳴くということは、単なる不運を超えた、世界の秩序そのものが根底から覆るほどの異常事態を示唆する。それは、天が与えた祝福が呪詛へと反転する瞬間であり、守護するはずの神聖な存在が警告を発するという、究極の凶兆なのである。
この「秩序の反転」というテーマは、まさに武田信虎追放という事件の本質と完全に符合する。嫡男が実の父親を追放するという行為は、当時の儒教的価値観において最大の「不孝」であり、家と国の秩序を根底から揺るがす禁忌であった。逸話の作者は、最も神聖で縁起の良い鳥にあえて不吉な役割を担わせるという高度な文学的技法を用いることで、このクーデターが持つ倫理的な衝撃度と、武田家の運命が根底から覆されるという悲劇性を、最大限に増幅させることに成功したのである。
第二部:史実の再構築 ― 追放前夜、躑躅ヶ崎館の真実
伝説のベールを一旦外し、史料を基に天文十年(1541年)六月十三日、すなわち追放前夜の躑躅ヶ崎館の状況を再構築する。そこに響いていたのは、鶴の声ではなく、人間たちの静かな、しかし確実な意志の蠢きであった。
第一章:舞台設定 ― 天文十年(1541年)六月十三日、静寂の裏側
その夜、信虎が過ごした躑躅ヶ崎館は、表面上は静寂に包まれていたかもしれない。しかし、その水面下では、甲斐国全体を覆う深刻な閉塞感が渦巻いていた。信虎による度重なる外征は領国を疲弊させ 10 、それに追い打ちをかけるように凶作や飢饉が領民を苦しめていた 10 。軍資金を確保するための重税は、国人衆や農民の不満を増大させていた 13 。その鬱積した空気は、後に編纂された『妙法寺記』が、信虎追放を「地下侍出家男女共喜致満足候事無限(身分の上下や性別を問わず、誰もが限りなく喜んだ)」と記すほど、臨界点に達していたのである 15 。
この状況下で、登場人物たちはそれぞれの胸中を抱えていた。
- 武田信虎(48歳) : 長年の内乱を鎮め、甲斐統一を成し遂げたばかりの信虎は、絶対君主としての自負に満ちていたであろう。しかし、その過程で多くの家臣を粛清するなど、その統治は強権的であり、人心は静かに離反していた 14 。『甲陽軍鑑』などによれば、彼は嫡男である晴信を疎んじ、才気煥発な次男・信繁を寵愛し、廃嫡すら考えていたとされる 10 。翌日に控えた娘婿、駿河の今川義元との会見を前に、彼は自らの足元に迫る危機に全く気づいていなかった可能性が高い。
- 武田晴信(21歳) : 後の信玄である晴信は、廃嫡されるかもしれないという個人的な恐怖と、崩壊寸前の領国を救わねばならないという当主後継者としての公的な使命感との間で、激しく葛藤していたに違いない 10 。この時すでに、板垣信方ら重臣たちとの密約は固まっており、決行前夜の極度の緊張感の中に身を置いていたはずである。
- 板垣信方・甘利虎泰ら重臣 : 信虎の代から武田家を支えてきた宿老たちもまた、限界を感じていた。信虎の強権政治と、甲斐を疲弊させるばかりで実りの少ない外交政策は、もはや武田家の存続を危うくすると判断していた 18 。彼らは主君を追放するという、断腸の思いでクーデターを主導した。この計画は、晴信の側近であった駒井高白斎にすら直前まで知らされなかったほど、極秘裏に進められた 19 。彼らこそが、この静かな夜の真の主役であった。
第二章:最後の夜 ― 鶴の代わりに蠢く、人の気配
その夜、信虎が耳にしたのは鶴の声ではあり得ない。彼が過ごしたのは、おそらくいつもと変わらぬ夜であっただろう。近習たちとの酒宴か、あるいは翌日に控えた駿河への旅の準備を確かめる声か。館に響いていたのは、日常の物音だけであったはずだ。彼は、伝説が語る超自然的な凶兆ではなく、現実世界で静かに進行していた人の気配という真の凶兆を、完全に見過ごしていた。
一方で、館の別の場所や城下の重臣たちの屋敷では、息を殺したような最後の打ち合わせが行われていた。板垣信方から甘利虎泰へ、そして甲駿国境を封鎖する部隊長へと、密使が闇の中を駆け巡る。配置につく兵たちの草鞋の音、武具の微かな響き。それらこそが、信虎の運命の終わりを告げる、真実の「凶兆」であった。
信虎の悲劇は、運命的なものでも、超自然的な力によるものでもなかった。それは、人心の離反という最も重要な兆候に気づくことができなかった、統治者としての決定的な失敗に起因する。伝説は、聞こえるはずのない「鶴の声」に信虎の注意を向けさせる。しかし史実は、彼が見るべきであった「家臣たちの動きと領民の呻き」を、より冷徹に、そして残酷に描き出すのである。
第三部:運命の日 ― 天文十年六月十四日、国境封鎖
夜が明け、天文十年六月十四日の朝が訪れる。それは、武田家の歴史が大きく転換する一日となった。クーデターは、複数の視点から、冷徹かつ緻密に実行されていった。
旅立ちの朝
躑躅ヶ崎館の門前には、駿河へ旅立つ信虎を見送る人々が並んでいた。その中には、嫡男・晴信や、板垣信方、甘利虎泰といった重臣たちの姿もあったはずである。そこで交わされたであろう父子の最後の会話は、表面上は穏やかなものだったと推測される。
「父上、道中ご無事で」
「うむ。義元にはよろしく伝えておく」
しかし、その言葉の裏で、見送る側の目は冷徹な決意に満ちていた。晴信にとって、これは父との今生の別れであり、自らが甲斐の国主となるための儀式であった。信虎は、息子や家臣たちの表情の裏に隠された真意に気づくことなく、慣れ親しんだ館を後にした。
二つの進軍
この瞬間から、甲斐国内では二つの行列が、異なる目的を持って南下を開始した。
- 信虎一行 : 信虎は、娘婿である今川義元との会見のため、少数の供回りを連れて駿州往還を進んだ 20 。彼の心にあったのは、同盟関係の確認や政治的な談合であり、自らが甲斐から永久に追放されることになるとは夢にも思っていなかった。一行は完全に無防備な状態であった。
- 晴信の部隊 : それと時を同じくして、晴信の密命を受けた足軽部隊が、別の道から甲駿国境の河内路へと急行していた 20 。彼らの任務はただ一つ、信虎の帰路を物理的に遮断し、甲斐への帰還を不可能にすることであった。この部隊の静かな進軍こそ、クーデターの成否を分ける鍵であった。
国境での対峙
駿河での用事を終え、帰路についた信虎一行が甲駿国境に差し掛かった時、その運命は暗転する。道の先には、見慣れた武田の旗指物を掲げた兵たちが、物々しく道を封鎖していた。
何事かと不審に思う信虎の前に、晴信からの使者を名乗る武者が進み出る。そして、おそらくは丁重な、しかし有無を言わさぬ口調で、主君への最後通牒を告げたであろう。
「御屋形様。若君(晴信様)からの言伝にございます。『これより先、甲斐へのご帰還はなりませぬ。御身は駿河の今川様のもとにて、穏やかにご隠居なされませ』と」
この言葉を聞いた瞬間、信虎が感じたであろう衝撃、屈辱、そして裏切りに対する激しい怒りは想像に難くない。しかし、周囲はすでに晴信の兵によって固められており、抵抗は無意味であった。長年、力ですべてを支配してきた絶対君主が、自らの息子と信頼していたはずの家臣たちによって、力でその道を断たれたのである。絶望と諦観の中、信虎は甲斐の地を背に、駿河へと引き返すしかなかった。
このクーデターが、一滴の血も流れることなく完遂されたという事実は、いかに計画が周到であり、甲斐国内で信虎に味方する者が皆無に等しかったかを物語っている 10 。国境を封鎖した兵たちも、追放される主君に同情するより、新しい時代への期待を抱いていたのかもしれない。
第四部:逸話の成立と後世への影響
史実の記録には存在しない「鶴鳴き止まず」の逸話は、なぜ生まれ、語り継がれることになったのか。その背景には、歴史的事件を後世の人々がどのように解釈し、受容していったかという、複雑な過程が存在する。
逸話の起源を探る
前述の通り、この逸話は『甲陽軍鑑』のような主要な軍記物にも見当たらない 1 。史実として記録されたものではないとすれば、その起源はどこにあるのか。可能性として最も高いのは、江戸時代以降に隆盛した大衆文化の中で創作されたという説である。講談や浪曲、歌舞伎といった芸能は、歴史上の出来事や人物を題材に、民衆の興味を引くように物語を脚色して語り聞かせた 1 。信虎追放という劇的な事件は、こうした創作の格好の題材であっただろう。あるいは、甲斐の地に古くから伝わる何らかの口承伝説が、後世の創作者によって信虎の物語と結びつけられ、洗練された逸話として完成した可能性も考えられる。
逸話が果たした歴史的役割
この逸話は、単なる創作物として片付けることはできない。なぜなら、それは武田信玄の治世を語る上で、極めて重要な二つの歴史的役割を果たしてきたからである。
第一の役割は、 信玄による父の追放という行為の正当化 である。嫡男が実父を追放することは、儒教倫理が社会の根幹をなしていた当時において、許されざる「親不孝」であり、信玄の経歴における最大の汚点となりかねない行為であった。そのため、後世、信玄を戦国の名君として顕彰する上で、この行為を正当化する必要が生じた。「信虎は領民を苦しめる暴君だった」という言説 16 は、追放を「民を救うためのやむを得ない正義の行い」とするための、直接的な論理であった。
それに対し、「鶴の凶兆」の逸話は、より情緒的かつ間接的な正当化装置として機能する。この物語は、信虎追放が晴信個人の野心や憎悪によるものではなく、「天が信虎を見放した」結果であると示唆する。吉祥の象徴である鶴が凶兆を告げたということは、天命が信虎から去り、新たな時代を晴信に託したことの証左と解釈できる。人の意志を超えた「天命」によって追放は行われたのだと物語ることで、信玄個人の倫理的な罪を軽減し、その行為を神聖化する効果を持ったのである。
第二の役割は、 歴史的事件の普遍的な人間ドラマへの昇華 である。この逸話は、追放される信虎の視点から描かれている。「凶兆を悟った」のは、他ならぬ信虎自身である。これにより、彼は単なる暴君ではなく、自らの没落を天の啓示によって予感する、悲劇の主人公としての側面を持つことになる。天に見放され、最も信頼すべき息子や家臣に裏切られる孤独な為政者として描くことで、聞き手や読者は彼に同情の念を抱き、物語はより深い人間的な葛藤のドラマへと昇華される。
このように、「鶴鳴き止まず」の逸話は、信玄の行為を正当化するという政治的な機能と、事件に関わった人々の悲劇性を描くという文学的な機能の両方を併せ持つ、極めて優れた物語装置であったと言える。
結論:史実と伝説の狭間で
本報告書を通じて明らかになったように、武田信虎の追放は、単なる親子の確執や暴君討伐といった単純な図式で語れるものではない。それは、度重なる戦乱と飢饉、経済的疲弊という深刻な社会情勢を背景に、武田家の存続という大義のために、家臣団ぐるみで断行された、極めて政治的な無血クーデターであった 11 。信虎は甲斐統一という偉業を成し遂げたが、その強権的な統治スタイルが時代の変化と領国の実情に合わなくなり、人心の離反を招いた結果、歴史の舞台から退場させられたのである。
その一方で、「鶴鳴き止まず凶兆悟る」という逸話は、歴史的事実ではない可能性が極めて濃厚である。しかし、史実でないからといって、その価値が損なわれるわけではない。この短い逸話は、クーデターという冷徹な政治判断の裏にあったであろう、晴信の葛藤、重臣たちの苦悩、そして信虎自身の孤独と絶望といった、史料には現れにくい人間の情念を、「鶴の夜鳴き」という象徴的なイメージの中に凝縮して後世に伝えている。
歴史を理解する営みは、史料を丹念に読み解き、客観的な事実を追求する知的な作業と、物語に心を寄せ、そこに生きた人々の感情に共感する情緒的な作業の両輪によって成り立つ。「鶴の逸話」は、史実の行間を埋め、我々に事件の持つ人間的な重みを体感させてくれる「もう一つの真実」として、これからも語り継がれていくに違いない。それは、冷徹な史実と豊かな伝説の狭間にこそ、歴史の奥深い魅力が存在することを教えてくれる、貴重な文化遺産なのである。
添付資料:武田信虎を巡る「凶兆」の比較
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凶兆の種類 |
具体的な内容 |
信虎の認識 |
出典・根拠 |
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伝説上の予兆 |
躑躅ヶ崎館の庭で、飼っていた鶴が追放前夜に鳴き止まず、それを不吉と悟った。 |
不吉と悟った(とされる)。 |
後世の伝承・創作 1 。 |
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政治・経済的予兆 |
度重なる外征による国力の疲弊。飢饉、疫病の蔓延と物価高騰。領民の不満が限界に達していた。 |
根本的な対策を講じず、さらなる外征を計画していた。 |
『勝山記』、『妙法寺記』など 10 。 |
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人事的予兆 |
板垣信方、甘利虎泰ら譜代の重臣たちが晴信を擁立し、クーデターを計画。人心が完全に離反していた。 |
全く気づかず、彼らを信頼し、重要な役職に就けていた。 |
『高白斎記』など 18 。 |
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家族内の予兆 |
嫡男・晴信を疎んじ、次男・信繁を偏愛。これにより晴信との間に深刻な確執が生じていた。 |
晴信の不満を軽視し、廃嫡すら考えていたとされる。 |
『甲陽軍鑑』など 10 。 |
引用文献
- 武田信虎の甲斐追放と「武田入道」の在京奉公 - k-holyの史跡巡り・歴史学習メモ https://amago.hatenablog.com/entry/2014/10/08/124554
- 【甲陽軍鑑】信虎追放事件年号の誤りに見るロマン - note https://note.com/gunkan2222neco/n/n47492d1efce2
- 怪異・妖怪伝承データベース - 国際日本文化研究センター https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/YoukaiDB3/simsearch.cgi?ID=2240142
- 類似事例 - 国際日本文化研究センター | 怪異・妖怪伝承データベース https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/YoukaiDB3/simsearch.cgi?ID=1232271_005
- た上で、鶏が人に様々なことを「知らせる」という性質を持って - 東京学芸大学リポジトリ https://u-gakugei.repo.nii.ac.jp/record/35927/files/AA12318691_03_114.pdf
- カラスが夜に鳴く理由とは?迷惑なカラスの対策方法もチェックしよう - ミツモア https://meetsmore.com/services/harmful-animal-removal/media/112127
- 鵺の鳴く夜は恐ろしい – sotosotodays CAMPGROUNDS https://www.ezbbq.com/country/2017/07/%E9%B5%BA%E3%81%AE%E9%B3%B4%E3%81%8F%E5%A4%9C%E3%81%AF%E6%81%90%E3%82%8D%E3%81%97%E3%81%84-2/
- 鵺(ぬえ)は実在した!? 鳴き声・姿・伝説で読み解く謎の妖怪の正体 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/9579/
- 振袖の鶴の意味とは?縁起の良い柄の由来と表現 |みんなの質問【ORIEN】 https://www.orien.jp/faq/15111/
- 武田信玄の父・信虎追放の成功の裏にあった、弟・信繁の献身 - WEB歴史街道 https://rekishikaido.php.co.jp/detail/12810
- 信玄が乗り越えた父・信虎の追放と嫡男・義信の死 - 歴史人 https://www.rekishijin.com/20307
- 天文10年(1541)6月14日は武田信虎が嫡男の晴信(信玄)により娘婿の ... https://note.com/ryobeokada/n/n7fac1bdd3d9f
- 武田信虎- 维基百科,自由的百科全书 https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E8%99%8E
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- 「武田信玄」は不利な状況を抱えながら天下を見据えた名将だった! - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/543
- 逸話とゆかりの城で知る! 戦国武将 第9回【武田信玄・前編】父子の相克と龍虎相打つ川中島 https://shirobito.jp/article/1466
- 武田信玄の名言・逸話49選 | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/247
- 国史跡 武田氏館跡 http://www.pcpulab.mydns.jp/main/takedajinjya.htm
- 「板垣信方」若き信玄を指南するその姿は、まさに武田家の”重鎮” - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/734
- 武田信虎 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E8%99%8E
- こども講談 <二> | 有限会社パムリンク https://www.pamlink.jp/rakugokodan/11227
- 映画『信虎』が描く、武田家の礎を築いた信虎が息子・信玄に追放された理由 - 歴史人 https://www.rekishijin.com/15341
- 『武田信虎』|感想・レビュー - 読書メーター https://bookmeter.com/books/14642420
- 「武田信虎」信玄の父は悪行によって国外追放されたワケでは ... https://sengoku-his.com/542
- 板垣駿河守信方 - 川中島の戦い・主要人物 https://kawanakajima.nagano.jp/character/itagaki-nobukata/