町人
~秀吉の前で狂歌を詠み銭を授かる~
町人曽呂利新左衛門が秀吉の前で狂歌を詠み銭を授かった逸話は、知と笑いで権力を凌駕する庶民の機知を象徴。秀吉の英雄像と江戸の庶民感情が融合し、語り継がれた物語。
太閤を唸らせた一首―曽呂利新左衛門、狂歌による褒賞獲得譚の徹底解剖
序章:逸話への誘い
日本の戦国時代、とりわけ豊臣秀吉が天下を掌握した安土桃山時代を背景として、一人の「町人」が秀吉の前で即興の狂歌を詠み、褒美として銭を授かったという逸話が語り継がれている。この物語は、単なる頓知話としてだけでなく、当時の社会構造や文化の深層を映し出す、興味深いテクストとして分析の対象となる。本報告書は、この特定の逸話に焦点を絞り、その場の状況、会話の応酬、そして物語が持つ多層的な意味を、時系列に沿って徹底的に解剖するものである。
物語の主役であるこの「町人」とは、数々の頓知話で知られる半伝説的な人物、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)その人である 1 。伝承によれば、彼は和泉国堺の出身で、本業は刀の鞘(さや)を作る鞘師であった 3 。彼の作る鞘は、いかなる刀も「そろり」と滑らかに収まったことから、この異名がついたという 3 。その一方で、茶道や和歌、そして狂歌に優れた文化人でもあり、その話術と機知を買われて秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)—主君の側近くに仕え、話し相手や相談役を務める役職—に抜擢されたと伝えられる 6 。
この逸話の魅力の根源を理解するためには、まずその基本的な構造に着目する必要がある。物語は、武士階級の頂点に君臨する天下人・豊臣秀吉と、その威光の前に並み居る諸大名という「武」の世界を舞台とする。そこへ、堺の「町人」である曽呂利新左衛門が、武力ではなく「知」と「笑い」を武器に登場する。この身分差を背景とした対立構造こそが、物語に緊張感とカタルシスをもたらす核心的な要素である。武士たちが誇示する物理的な権威や広大さを、町人の機知がいかにして乗り越え、無化していくのか。その過程を丹念に追うことで、本逸話の真価が明らかになるであろう。
第一部:宴の始まり―舞台と登場人物
第一章:舞台設定
逸話の舞台は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の権勢を象徴する空間、大阪城の大広間であると伝えられる 8 。そこは、金碧障壁画がきらめき、全国から集められた名宝が飾られた、壮麗を極める場所であった。このような場で秀吉が主催する宴は、単なる慰安の場ではない。それは、彼の絶対的な権力を内外に示し、家臣団の序列と忠誠を確認するための、高度に政治的な儀式でもあった。
秀吉がこうした座興を好んだ背景には、「御伽衆」の存在が大きく関わっている。御伽衆とは、主君の側で昔語りや講釈、あるいは滑稽な話をして場を和ませる役職であるが、その役割は単なる道化に留まらない。彼らは豊富な知識や経験を持つ相談役であり、諸国から集めた情報を主君に伝える情報源であり、そして戦の合間の緊張を緩和するカウンセラーでもあった 6 。秀吉が八百人もの御伽衆を抱えていたという伝承は 2 、彼がいかに情報、対話、そして「笑い」という心の慰撫を重視していたかを示している。曽呂利新左衛門は、その中でも筆頭格として寵愛された人物であった 6 。
第二章:集いし大名たち
その日の宴席には、秀吉政権を支える錚々たる大名たちが顔を揃えていた。伝承によれば、そこには後の天下人となる徳川家康、加賀百万石の祖・前田利家、越後の龍・上杉謙信の後継者である上杉景勝、そして智勇兼備の名将・蒲生氏郷らの姿があったとされる 8 。
彼らにとって、秀吉が催す宴席での振る舞いは極めて重要であった。主君の機嫌を損ねることなく、いかに自身の存在を印象付けるか。この「歌比べ」という余興もまた、彼らにとってはや単なる遊びではなかった。それは、自身の教養の深さや機知の鋭さ、そして何よりも主君である秀吉を楽しませようとする忠誠心を示すための、絶好の機会であった。大名たちは、それぞれの威信をかけて、この風雅な戦いに臨むこととなる。
第二部:即興譚の時系列的再構成―「大きな歌比べ」の一部始終
利用者からの「リアルタイムな会話内容」や「時系列でわかる形」での解説という要望に応えるため、本章では複数の伝承を統合し、逸話の光景を物語的に再構成する。特に、場の雰囲気の推移と登場人物たちの心理を、あたかもその場に居合わせたかのように描き出すことを試みる。
第一章:秀吉の「お題」
宴もたけなわとなり、一座の空気が心地よく緩んだ頃、上座に座す豊臣秀吉が満座を見渡し、朗々たる声で言った。
「皆の者、今日はひとつ、趣向を変えた遊びを催そうと思う。題して『日本一大きな歌比べ』じゃ。己が思う限りの、最も大きな歌を詠んでみせよ。さて、誰が一番大きな歌を詠むか、見ものじゃな」 8。
その一言で、広間のざわめきは静まり、大名たちの顔に緊張の色が走った。天下人の前で己の力量を試される時が来たのである。
第二章:大名たちの挑戦
秀吉はまず、徳川家康に目を向けた。指名された家康は、しばし思案の後、静かに詠み始めた。
「武蔵野に 咲きはじまりし梅の花 天地にひびく 鴬の声」 8。
自らが治める広大な関東平野(武蔵野)の広がりを詠んだ、堂々たる一首である。秀吉は「なるほど、これは大きい」と頷き、次に前田利家を促した。利家は、日本一の高峰を題材に取った。
「富士山を 枕になして 寝てみれば 足は堅田の 浦にこそあれ」 8。
富士山を枕にすれば、足は琵琶湖のほとり(堅田)にまで届くという、雄大な構想である。秀吉も「これも大きいぞ」と満足げな表情を見せた。
歌比べは次第に熱を帯び、そのスケールは現実世界を超えていく。上杉景勝は、仏教の宇宙観を取り入れて詠んだ。
「須弥山に 腰うちかけて 大空を 笠にかぶれど 耳は隠れず」 8。
世界の中心にそびえるという伝説の山、須弥山に腰掛け、大空を笠にしても、自身の巨大な耳は隠しきれない。その奇抜な発想に、一座からは感嘆の声が漏れた。
しかし、その上を行ったのが蒲生氏郷であった。彼は景勝の歌を受ける形で、さらに壮大な一首を披露する。
「須弥山に 腰うちかけし その人を まつ毛の先で 突き飛ばしけり」 8。
須弥山に座るほどの巨人でさえ、自分のまつ毛の先で突き飛ばしてしまうという、想像を絶する大きさである。これには秀吉も「これは、いちだんと大きいぞ」と大いに感心した。もはやこれ以上の歌は出まい、という空気が広間を支配し始めていた。
第三章:曽呂利、満を持して登場
蒲生氏郷の歌で満座が感嘆の息を漏らす中、秀吉は勝ち誇ったように言った。
「どうじゃ、これ以上の大きな歌を詠める者はあるか。あらば遠慮なく申し出てみよ」 8。
一座は静まり返った。大名たちは互いに顔を見合わせるばかりで、誰も名乗り出る者はいない。勝負は決したかに見えた。その時、末席に控えていた男がすっくと立ち上がり、静かに進み出た。堺の町人、曽呂利新左衛門である。彼は秀吉の前に進み出ると、こう言った。
「恐れながら申し上げます。大きさでは、この私のがいちばん大きいかと存じます。お驚きになりませぬように」 8。
大名たちの侮りと好奇の視線が、その小柄な男に一斉に注がれた。
第四章:天下を呑む狂歌
ここからの展開は、逸話をより劇的に伝える鳥取県の民話伝承を基に再構成する 12。
曽呂利が登場する直前、ある大名(伝承では細川幽斎とされる)が、まさに究極とも言える壮大な歌を詠んだ。
「天と地を 団子に丸め 手に乗せて ぐっと飲めども 喉にさわらず」 12。
天と地、すなわち宇宙そのものを団子にして丸呑みしても、喉にさえ引っかからないという、途方もないスケールの一首である。これには秀吉も手を打ち、「おう、りっぱな! こりゃ大きな歌だ。褒美を取らせる!」と叫び、勝負は決したかに思われた。
その瞬間、曽呂利が響き渡る声で制した。
「殿下、今しばらくお待ちください。わたくしめにも、一首詠ませていただきとうございます」 12。
一座の注目が集まる中、曽呂利は先の幽斎の歌をちらりと見やり、にやりと笑うと、即興でこう詠み放ったのである。
「天と地を 団子に丸め 飲む人を 鼻毛の先で 吹き飛ばしけり」 12。
第五章:太閤の感嘆と褒賞
一瞬の静寂。そして、次の瞬間、大広間は割れんばかりの爆笑に包まれた。宇宙を丸呑みにするほどの巨大な存在でさえ、鼻毛の先でいとも簡単に吹き飛ばしてしまう。その奇抜さ、滑稽さ、そして前の歌を鮮やかに凌駕した見事な機知に、誰もが度肝を抜かれたのである。
誰よりも大声で笑っていたのは、秀吉その人であった。彼は腹を抱え、涙を流しながら言った。
「はっはっは、参った! 新左、お主の勝ちじゃ! はあ、はあ、こりゃ実にりっぱなもんだ」 12。
秀吉は曽呂利の頓知を心から称賛し、その場で褒美として金子(銭)を与えることを宣言した。こうして、堺の一介の町人は、天下人と諸大名の前で、武力でも財力でもなく、ただ一首の狂歌によって、見事な勝利を収めたのであった。
第三部:一首に込められた機知―狂歌の深層分析
第一章:狂歌とは何か
この逸話の面白さの核心をなすのは、「狂歌」という文学形式そのものである。狂歌は、伝統的な和歌と同じ五・七・五・七・七の三十一文字の形式(定型)を踏襲しながら、その内容は風刺、諧謔、滑稽、皮肉に満ちている 13 。特に、貴族や武士が詠む格調高い和歌(本歌)の世界観や言葉遣いを意図的にパロディ化し、卑近な題材や俗な言葉と結びつけることで笑いを生み出す手法は、その真骨頂であった。曽呂利新左衛門は、この狂歌の名手として、後世に名を残している 13 。
第二章:詠まれた歌の徹底分析
この「大きな歌比べ」の展開を分析すると、単なる「大きいもの比べ」ではなく、「価値観の転覆」を競うゲームであったことがわかる。
まず、大名たちが詠んだ歌のモチーフを検証する。家康の「武蔵野」、利家の「富士山」、景勝の「須弥山」—これらはすべて、地理的、宗教的に確立された「大きいもの」の象徴である 8 。彼らは、既存の権威(領土の広さ、自然の雄大さ、宗教的世界観)の枠組みの中で、そのスケールを競い合っている。蒲生氏郷の歌は、「須弥山に座る人」を「まつ毛」で突くという観念的な飛躍を見せるが、これもまだ「大きいもの」との対比という構造からは逸脱していない 8 。
これに対し、曽呂利の歌は根本的に構造が異なる。彼は、細川幽斎(とされる人物)が提示した「天と地を団子にして飲む」という究極の「大きさ」に対し、さらに大きなものを提示するのではない。彼は、その宇宙を飲み込むほどの存在を、「鼻毛の先」という、人体の中でも極めて小さく、滑稽で、価値の低いとされるもので「吹き飛ばす」という行為に焦点を移した。
これは、大きさのインフレーション競争からの意図的な離脱であり、競争のルールそのものを破壊する行為である。この一首によって、それまで大名たちが真剣に競い合ってきた「大きさ」の概念そのものが、取るに足らない滑稽なものとして相対化されてしまう。曽呂利の勝利は、スケールの勝利ではなく、視点(パラダイム)の転換による勝利なのである。絶対的な権力者を前にして、その土俵で勝負するのではなく、笑いによって土俵そのものを無効化してしまう。これこそが、権力を持たない町人が取りうる最高の知恵であり、この物語が時代を超えて人々にカタルシスを与える源泉となっている。
第四部:逸話の源流を探る―史実と伝承のはざまで
第一章:資料に見る「歌比べ」
本報告書で再構成した逸話は、単一の確定した物語ではなく、時代や地域によって様々なバリエーションが存在する。その源流と変遷をたどることは、物語の理解を一層深める上で不可欠である。
曽呂利新左衛門に関する逸話の原型は、江戸時代初期に成立した書物に見出すことができる。例えば、安楽庵策伝が編纂した笑話集『醒睡笑』(1623年)や、堺の地誌である貞享元年(1684年)刊行の『堺鑑』には、曽呂利の頓知話が収録されており、これらが後世の物語の源流となったと考えられる 4 。
明治時代に入ると、大衆向けの読み物である『立川文庫』シリーズから『太閤と曽呂利』が出版され、曽呂利のキャラクターは全国的に広まった 6 。また、本報告書でも参考にした鳥取県三朝町に伝わる民話のように、口承文芸としても各地で語り継がれてきた 12 。これらの伝承は、語り継がれる中で細部が変化し、より面白く、より劇的な内容へと脚色されていった。以下の表は、主要な伝承のバリエーションを比較したものである。
表1:『大きな歌比べ』逸話のバリエーション比較
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比較項目 |
資料A群(読み物系伝承) |
資料B群(民話系伝承) |
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主な典拠 |
『太閤と曽呂利』など 8 |
鳥取県三朝町の民話 12 |
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曽呂利の役割 |
歌比べの最終的な詠み手 |
他者の歌を凌駕する「返し歌」の詠み手 |
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クライマックスの歌 |
天と地を 団子に丸めて 手にのせて ぐっと飲めども 喉にさわらず |
(他者の詠んだ上記歌に対し)…飲む人を 鼻毛の先で 吹き飛ばしけり |
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結末 |
満座の爆笑(褒美の言及は不明確) |
秀吉の感嘆と明確な褒美の授与 |
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物語構造 |
頓知による場の盛り上げ |
競争における明確な「勝利」と報酬 |
この表からわかるように、物語は語り継がれる過程で、単に場を盛り上げる話から、曽呂利が明確な「勝利者」として「褒美」を得るという、よりカタルシスの強い筋書きへと発展していった可能性が示唆される。
第二章:物語はなぜ生まれたか
曽呂利新左衛門という人物が実在したかについては、諸説が存在する。実在を肯定する説、完全に架空の人物であるとする説、あるいは落語の祖ともされる僧侶・安楽庵策伝と同一人物であるとする説などがあり、定説を見ていない 3 。いずれにせよ、本報告書で扱った「歌比べ」の逸話が、そのまま史実として起こった可能性は極めて低いと考えられる。
では、なぜこのような物語が生まれ、特に江戸時代の庶民に広く受け入れられたのであろうか。その背景には、いくつかの社会的・文化的要因が考えられる。
第一に、権力者への風刺と庶民の溜飲である。封建社会の厳しい身分制度の下で暮らす庶民にとって、絶対的な権力者である秀吉や諸大名を、自分たちと同じ町人の代表である曽呂利が、機知とユーモアでやり込めるという筋書きは、この上なく痛快であった 2 。日頃の鬱憤を晴らす、一種の代理満足の機能が物語に備わっていたのである。
第二に、自由都市・堺の気風の反映である。戦国時代、堺は環濠に囲まれた自治都市として繁栄し、権力に容易に屈しない自由闊達な町衆の気風で知られていた。曽呂利新左衛門というキャラクターには、そうした堺商人の誇りや反骨精神が色濃く投影されている 2 。
第三に、江戸時代の出版文化の隆盛である。『曽呂利狂歌咄』や『曽呂利物語』といった、彼の活躍を描いた「咄本(はなしぼん)」が次々と出版されたことで、曽呂利は頓知の利く庶民の英雄として、そのキャラクターが確立されていった 2 。物語は、活字メディアを通じて増幅され、国民的なキャラクターへと成長していったのである。
結論:語り継がれる頓知の価値
本報告書で解剖してきた曽呂利新左衛門の「狂歌による褒賞獲得譚」は、単なる面白い逸話に留まるものではない。それは、安土桃山時代の文化的背景、絶対権力者と町人という社会構造、江戸時代の庶民感情、そして説話文学が形成され変容していく過程が凝縮された、極めて重層的な意味を持つ物語である。
この逸話の核心にあるのは、権力や物量、領土の広さといった物理的・外面的な「大きさ」を、機知と笑いという非物理的・内面的な「大きさ」が凌駕するという構造である。大名たちが既存の価値観の中でスケールの大きさを競い合う中、曽呂利は全く異なる次元からその競争自体を無化し、笑い飛ばす。この鮮やかな価値の転覆こそが、この物語に時代を超えた普遍的な魅力を与えている。
力には力で対抗するのではなく、知恵とユーモアでその前提を覆す。曽呂利新左衛門が示したこの姿勢は、権力を持たざる者が最強の権力者と渡り合うための一つの理想形として、現代に至るまで多くの人々の心を捉え続けているのである。
引用文献
- 第495話 落語「太閤の猿」(たいこうのさる) - FC2 https://rakugonobutai.web.fc2.com/495taikounosaru/taikounosaru.html
- 第25話 〜曽呂利新左衛門 - ここまで知らなかった!なにわ大坂をつくった100人=足跡を訪ねて=|関西・大阪21世紀協会 https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/025.html
- 曽呂利新左衛門(ソロリシンザエモン)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%9B%BD%E5%91%82%E5%88%A9%E6%96%B0%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80-555728
- 第18回 - FUJITSUファミリ会 2015年度連載 https://jp.fujitsu.com/family/sibu/kansai/17koramu/Vol18.html
- 曽呂利新左衛門 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E5%91%82%E5%88%A9%E6%96%B0%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
- 秀吉の御伽衆筆頭「曽呂利新左衛門」とは? 愉快痛快な頓智をご紹介 | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/2619
- 第233話 落語「しの字嫌い」(しのじぎらい) - FC2 https://rakugonobutai.web.fc2.com/233sinojigirai/sinojigirai.html
- 大鏡の曽呂利と曽呂利新左衛門のとんち | Omoroiさかい - おもろい堺 https://www.sakai.click/sorori/
- 戦国武将を癒した「遊び人」の話|松浦玄侍 - note https://note.com/kensurf/n/n6a7ab5c335ed
- 御伽衆(おとぎしゅう)の第一歩! - 美命の会所 https://mikotonokaisho.jp/%E5%BE%A1%E4%BC%BD%E8%A1%86%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%8E%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%86%EF%BC%89%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AD%A9%EF%BC%81/
- 任務は将軍や大名のお話し相手!戦国時代から存在した役職「御伽衆(おとぎしゅう)」とは? https://mag.japaaan.com/archives/163451
- 太閤さんの歌比べ(三朝町大谷) - とりネット https://www.pref.tottori.lg.jp/269389.htm
- 狂歌 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%82%E6%AD%8C
- 曽呂利物語 - Wikiwand https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E6%9B%BD%E5%91%82%E5%88%A9%E7%89%A9%E8%AA%9E
- 秀吉のお伽衆(おとぎしゅう)、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)の「米の倍増し」に関する話の出典を... | レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000060031
- 太閤と曽呂利 (立川文庫 ; 第8編) | NDLサーチ | 国立国会図書館 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I890462
- 曽呂里物語 - 国書データベース - 国文学研究資料館 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100346062