百姓一揆勢
~百姓の世を夢見て年貢を焼き払う~
正長の土一揆は、百姓が年貢ではなく高利貸しへの借金証文を焼き払い、「百姓の世」を夢見た民衆蜂起。支配者層に衝撃を与え、後の徳政一揆に影響を与えた。
『理想譚』の実像:百姓はなぜ、何を燃やしたのか――正長の土一揆にみる民衆の蜂起と社会変革の夢
序章:『百姓の世』という夢――逸話の向こう側にある真実
「百姓が自らの世を夢見て、圧政の象徴である年貢台帳を焼き払った」――この逸話は、時代を超えて語り継がれる民衆抵抗の理想譚として、我々の心に強く響く。それは、支配者の理不尽に屈せず、自らの手で運命を切り開こうとした人々の、力強い意志の表れとして記憶されている。
しかし、この理想譚の歴史的実像に迫る時、我々はより複雑で、より切実な民衆の姿に遭遇する。本報告書では、この逸話の最も象徴的かつ原点的な事例として、ユーザーが指定した戦国時代より少し遡る室町時代中期、正長元年(1428年)に発生した「正長の土一揆(しょうちょうのつちいっき)」を徹底的に分析する。この一揆こそ、民衆が実力行使によって社会の変革を求めた、日本史上画期的な蜂起であったからだ。
分析を進めるにあたり、中心的な問いを提起したい。彼らが燃やしたのは、本当に領主への「年貢」に関する記録だったのだろうか。それとも、彼らの生活をより直接的に、そして無慈悲に脅かしていた別の何かだったのだろうか。この問いの答えを明らかにすることこそ、彼らが夢見た『百姓の世』の真実に迫るための鍵となる 1 。本報告は、理想譚のベールを剥がし、歴史の記録に残された民衆の生々しい声と行動を時系列に沿って解き明かすものである。
第一章:蜂起前夜――正長元年の絶望と希望
一揆は、単なる貧困や不満から偶発的に生まれるものではない。それは、社会全体を覆う構造的な問題と、人々の意識の変化が臨界点に達した時に起こる必然的な帰結である。正長元年は、民衆を奈落の底に突き落とす絶望と、旧弊を打ち破るかもしれないという微かな希望が、奇妙な形で同居する特異な年であった。
第一節:天災と疫病――抗いようのない絶望
正長元年(1428年)の日本、特に畿内は、まさに末世を思わせる惨状を呈していた。この年は、西日本を中心に異常気象による凶作が断続的に発生し、京都では二度にわたる洪水が発生、都は大飢饉に襲われた 3 。食料価格は前年の倍近くまで高騰し、庶民は日々の糧を得ることすら困難な状況に追い込まれた 3 。
追い打ちをかけたのが、「三日病(みっかやみ)」と呼ばれる致死性の高い疫病の蔓延であった 5 。この病は、今日の風疹などに比定される説もあるが、当時の人々にとっては恐るべき死病であり、働き盛りの人口を次々と奪っていった 6 。飢えと病によって、道端には餓死者や病人が溢れ、社会全体が深い無力感と絶望に包まれていた 7 。これらの天災や疫病は、人々の目には単なる不運ではなく、既存の社会秩序そのものが崩壊しつつある「世の終わり」の兆候と映ったであろう。
第二節:「代替わり」という希望の光
深い絶望が社会を覆う一方で、正長元年は人々に一条の光をもたらす、ある種の希望を抱かせる年でもあった。この年、室町幕府の第4代将軍・足利義持が死去し、さらに称光天皇も崩御するという、政治の最高権力者が相次いで交代する「代替わり」が起こったのである 4 。
中世社会において、「代替わり」は単なる権力者の交代以上の意味を持っていた。それは、旧体制下での悪政や社会の歪みがリセットされ、新たな為政者が仁政、すなわち「徳政(とくせい)」を行うべきだという社会的な期待が最高潮に達する特別な時であった 1 。この「徳政」への期待の中には、民衆の生活を最も苦しめていた借金を帳消しにする「徳政令」の発布という、極めて具体的かつ切実な願いが強く込められていた。天災という抗いようのない絶望が「天の理」の崩壊を示す一方で、「代替わり」という「人の理」の刷新は、この崩壊した世を人の手で正す「世直し」への希望を人々の心に灯したのである。
第三節:搾取の元凶――酒屋・土倉という金融資本
当時の民衆にとって、年貢を徴収する荘園領主や守護大名は、確かに支配者であった。しかし、日々の生活を破壊し、生存そのものを脅かすより直接的な元凶は、別のところに存在した。それが、酒屋や土倉(どそう)と呼ばれる高利貸金融業者であった 1 。
飢饉と物価高騰の中、民衆は生きるためにわずかな家財道具や農具を質に入れ、彼らから高利で銭を借りるほかなかった。これらの金融資本は、都市部だけでなく農村の隅々にまで深く浸透しており、多くの百姓が返済不能なほどの重い負債に喘いでいた 2 。彼らの無慈悲な取り立ては、百姓たちから土地や生産手段を奪い、生活の基盤を根こそぎ破壊するものであった。遠い存在である領主の「年貢」以上に、この目の前の「借金」こそが、彼らにとって最大の脅威として認識されていたのである。
第四節:力の胎動――自治村落「惣村」の成熟
もし当時の民衆が、ただ搾取されるだけの無力な存在であったなら、大規模な一揆は起こり得なかっただろう。しかし、鎌倉時代末期から室町時代にかけて、特に畿内とその周辺地域では、農民たちによる自治的な村落共同体である「惣村(そうそん)」が著しく発展していた 12 。
惣村は、村民が集まる「寄合(よりあい)」と呼ばれる会議で村独自の掟(惣掟)を定め、農業に不可欠な用水の管理、盗賊などからの自衛、さらには年貢を村単位で一括して領主に納める「地下請(じげうけ)」を行うなど、極めて高い自治能力を保持していた 11 。惣村の存在は、一揆が単なる烏合の衆による暴動ではなかったことを示す決定的な証拠である。彼らは日常的に団結し、問題を協議し、集団で行動する社会的な訓練を積んでいた。この惣村という、いわば民衆自身が作り上げた社会インフラがあったからこそ、荘園や郡といった支配者の行政区画を超え、広域にわたる大規模な一揆を組織化することが可能となったのである 5 。
第二章:近江の狼煙――蜂起の瞬間と拡大のダイナミズム
絶望と希望が渦巻く中、ついに民衆蜂起の火蓋が切られた。その最初の担い手となったのは、土地に縛られず、街道を駆け巡る機動的な集団であった。彼らの行動は、瞬く間に畿内全域を巻き込む巨大なうねりへと発展していく。
第一節:最初の行動者たち――馬借という存在
正長の土一揆の最初の狼煙は、正長元年8月、近江国(現在の滋賀県)の坂本や大津を拠点とする馬借(ばしゃく)たちによって上げられた 16 。馬借とは、馬の背に物資を載せて各地を結ぶ、中世の運送業者である 17 。
彼らは、土地に縛られる農民とは異なり、日々街道を往来することで、京都で起こっている政治の動きや経済の情報、そして各地の民衆の不満といった、多種多様な情報に精通していた 16 。また、彼ら自身も商業活動を行う中で酒屋・土倉から資金を借り入れることが多く、重い負債に苦しむ百姓たちと利害を共有する立場にあった 4 。この情報網と機動力、そして既存の支配秩序に対する強い反発心を持つ馬借が、鬱積した社会のエネルギーを解き放つ起爆装置の役割を果たしたのである。彼らは自らの生活を守るため、そして世の不正を正すため、「徳政」を要求して蜂起した。
第二節:蜂起の連鎖――醍醐・山科への波及
近江の馬借たちの蜂起というニュースは、彼らの情報網を通じて瞬く間に周辺地域へと伝播した。そして翌9月18日、京都南郊の醍醐において、土地の百姓たちである「地下人(じげにん)」が、近江の動きに呼応して立ち上がった 16 。彼らの行動は明確であった。借金をしていた高利貸しの元へ押し寄せ、その証拠である借用証文を実力で奪い取り、焼き捨てたのである。
この蜂起は、一つの村にとどまらなかった。醍醐から山科へ、そして京都を取り巻く惣村へと、まるで野火のように一気に拡大していった。この驚くべき拡大の速さは、これが単なる偶発的な連鎖ではなく、惣村間で事前に連絡が取り交わされていた可能性を強く示唆している。おそらく「廻状(かいじょう)」と呼ばれる連絡文書が村々を駆け巡り、「近江の馬借衆が立った。我らも続く時ぞ」といった形で、蜂起が組織的に誘発されたと考えられる 19 。
第三節:当時の声(再現)
村の鎮守の森に、松明の明かりを頼りに集まった惣村の寄合の光景を想像してみよう。年嵩の乙名(おとな)が、息を切らして駆け込んできた若者からの報告を皆に伝える。
「皆、聞いてくれ。近江の馬借たちが徳政を求めて立ったそうだ! 大津の関所も打ち破ったと聞く!」
集まった百姓たちの間に、どよめきが広がる。ある者が鍬の柄を握りしめて叫ぶ。
「今こそ我らも続くべきだ! このままでは、あの土倉に先祖代々の田畑を根こそぎ奪われてしまう!」
別の者が、天を仰いで応じる。
「これは天が与えた好機やもしれん。将軍様も帝も代わられた。今こそ世直しだ! 我らの手で、この世を正すのだ!」
その声に、皆の決意が固まる。
「おう! まずは奴らが持つ借金の証文だ。あれさえなければ、我らの負い目はない。証文を奪い、焼き捨てるのだ!」
この緊迫したやり取りは、彼らの行動が、生活を守るという切実な動機と、「世直し」という社会変革への希望に支えられていたことを物語っている。
第三章:京への奔流――借用証文焼却のリアルタイム
近江、そして京都南郊で上がった蜂起の波は、ついに室町幕府のお膝元である京の都へと雪崩れ込んだ。その目的は、政権の打倒ではない。彼らの生活を蝕む元凶、高利貸したちが持つ「借金の証拠」を、自らの手でこの世から消し去ることであった。
第一節:襲撃の光景――酒屋・土倉への突入
数千、数万ともいわれる一揆勢は、鬨の声を上げながら京都市中へと流れ込んだ。彼らの目標は明確であった。市中で巨大な富を蓄え、金融業を営む酒屋、土倉、そして時に大寺院であった 3 。普段は恐れ多い存在であるこれらの建物に、鍬や鎌、竹槍などで武装した百姓たちが殺到する。分厚い土蔵の扉をこじ開け、中から自分たちがかつて涙ながらに質入れした鍋釜、農具、晴れ着などを発見すると、歓声を上げて運び出した 4 。
この行動は、幕府や領主の許可を得ず、民衆が自らの実力で徳政を執行するものであったため、「私徳政(しとくせい)」と呼ばれた 16 。それは、法や秩序が自分たちを守ってくれない以上、自分たちの手で正義を取り戻すという、力強い宣言に他ならなかった。
第二節:炎の中の解放――借用証文の焼却
一揆勢のもう一つの、そして最大の目的は、借金の証拠である借用証文(借銭)の破棄であった 4 。彼らは土倉の帳場に押し入り、借用証文がびっしりと納められた箱や棚を打ち壊し、紙の束を路上へと運び出した。
広場にうず高く積まれた証文の山に、松明の火が投じられる。乾いた和紙は、パチパチと音を立てながら瞬く間に燃え上がり、夜空を赤く焦がす巨大な火柱となった 3 。この光景は、単なる証拠隠滅ではなかった。炎は、古来より不浄を清める力を持つと信じられてきた。借金という、彼らの生活を蝕み、家族を苦しめてきた「穢れ」を、聖なる炎によって浄化し、共同体を再生させるという、極めて象徴的で儀式的な意味合いを持っていたのである。舞い上がる灰は、長年彼らの両肩に重くのしかかっていた負債からの解放を意味していた。
第三節:会話の再構成――民衆の安堵と希望
燃え盛る炎を囲み、人々は様々な思いを口にしたであろう。
「見たか、これで俺たちの借金は綺麗さっぱりなくなったぞ!」
「もう、夜中に怯えながら土倉の者の取り立てを待つこともないんだ」
「ああ、この土地はこれからも俺たちのものだ。子供たちに、孫たちの代まで残してやれる…」
「これこそが、俺たちが望んだ『百姓の世』の始まりじゃ!」
これらの言葉から浮かび上がるのは、彼らが求めたものが、壮大な政治革命や身分制度の転覆ではなく、自分たちの土地で安心して働き、家族と暮らしていけるという、極めて穏当で切実な願いであったということである。借金証文の焼却は、そのささやかな、しかし人間としての尊厳に関わる未来を取り戻すための、決死の行動だったのである。
表1:中世における民衆の抵抗運動の類型
正長の土一揆の行動を理解するためには、当時存在した様々な抵抗運動の形態を区別することが重要である。これにより、彼らがなぜ領主の館ではなく、都市の金融業者を襲撃したのかが明確になる。
|
類型 |
主な担い手 |
主な対象 |
主な要求・目的 |
代表的な行動 |
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百姓一揆 |
農民(惣村) |
荘園領主、守護大名 |
年貢の減免、代官の罷免 |
強訴(集団での直訴)、逃散(耕作放棄と逃亡) 21 |
|
徳政一揆 |
農民、馬借、都市民 |
酒屋、土倉(高利貸し) |
借金の帳消し(徳政令の発布要求) |
債権者襲撃、借用証文の破棄 1 |
|
打ちこわし |
都市民 |
米商人、富裕商人 |
米の安売り、不正の追及 |
家屋や蔵の破壊、米の強奪 21 |
第四章:民衆の勝利宣言――『柳生の徳政碑文』に刻まれた声
歴史は、多くの場合、文字を操る支配者階級によって記録される。しかし、正長の土一揆は、被支配者である民衆自身が、自らの手で闘争の記憶を後世に伝えようとした、極めて稀有な物証を残している。それが、大和国柳生(現在の奈良市柳生町)の地に、今なお静かに佇む石碑である。
第一節:石に刻んだ記憶――現存する民衆の記録
柳生の里の街道沿いに立つ、通称「疱瘡地蔵」と呼ばれる巨石。その側面には、正長の土一揆に参加し、徳政を勝ち取ったこの地の民衆が、その勝利を記念して刻んだとされる碑文が残されている 25 。現在、「正長元年柳生徳政碑」として国の史跡に指定されているこの碑文は、支配者の記録からは窺い知ることのできない、民衆の生の声と意識を伝える第一級の歴史資料である 25 。
彼らが、燃やせば消え、書けば薄れる紙や木ではなく、永劫の時を耐える「石」という媒体を選んだこと自体に、深い意味が込められている。彼らは、自分たちの勝利を一過性の出来事として終わらせず、未来永劫にわたって揺らぐことのない「事実」として、この地に刻みつけようとしたのである。脆弱な紙の上の契約(借金)を炎で消し去り、不変の石の上の宣言(徳政)によって新たな社会秩序を創造する。この媒体の選択は、旧秩序を破壊し、新秩序を恒久的に打ち立てようとした彼らの強い意志の表れに他ならない。
第二節:碑文の解読――27文字の力強い宣言
風化が進み、肉眼での判読は困難となっているが、拓本によってその全文が解読されている。そこに刻まれたのは、わずか27文字の簡潔な文章である 25 。
正長元年ヨリサキ者カンへ四カンカウニヲ井メアルヘカラス
これは、「正長元年より先(さき)は、神戸四箇郷(かんべしかごう)に負い目(おいめ)あるべからず」と読み下すことができる 25 。その意味は、「正長元年(1428年)より以前に、この神戸四箇郷(大柳生・小柳生・坂原・邑地の四つの荘園)において発生した一切の負債は、すべて消滅した」という、力強い徳政の成立宣言である 25 。
この碑文の最も注目すべき点は、幕府や守護大名といった公権力による徳政令の発布を記しているのではなく、民衆が自らの共同体(神戸四箇郷)内部での債務消滅を、自らの言葉で宣言していることである。これは、彼らが領主の支配下にある単なる農奴ではなく、自らの地域のことは自らで決定するという、極めて高度な自治意識を持った共同体であったことの動かぬ証拠と言える 33 。
第五章:支配者の恐怖――『大乗院日記目録』に記された衝撃
民衆が自らの勝利を石に刻み、解放の喜びに沸いていた頃、支配者層は眼下で繰り広げられる光景を全く異なる視点で見ていた。彼らの目に映ったのは、社会秩序の崩壊であり、世界の終わりを予感させる悪夢であった。その衝撃と恐怖は、奈良興福寺の門跡・尋尊(じんそん)が残した記録に生々しく刻まれている。
第一節:エリート層の視点――尋尊の記録
尋尊は、大和国最大の荘園領主であり、当代随一の知識人でもあった。彼が編纂した年代記『大乗院日記目録』には、正長の土一揆に関する記述が残されており、これは当時の支配者層がこの未曾有の事態をどう受け止めたかを知るための、極めて貴重な史料である 4 。彼の記録は、客観的な傍観者のものではない。自らの支配基盤そのものを揺るがされた当事者としての、切迫した危機感がそこには満ちている。
第二節:「日本開白以来、土民の蜂起、是初めなり」
尋尊は、この一揆の様子を次のように記している。「一天下の土民蜂起す、徳政と号して酒屋・土倉・寺院等を破却せしめ、雑物等ほしいままにこれを取り、借銭等ことごとくこれを破る(天下の土民が蜂起した。徳政と称して酒屋・土倉・寺院などを打ち壊し、質物などをほしいままに奪い取り、借金の証文をことごとく破棄した)」 4 。そして、この出来事を評して、彼は歴史的な断定を下す。
日本開白以来、土民の蜂起、是初めなり 2
(日本が始まって以来、土民が蜂起したのはこれが初めてである)
もちろん、これ以前にも農民による小規模な抵抗や蜂起が全くなかったわけではない。しかし、尋尊が敢えて「日本開白以来、初めて」と記したのは、この一揆が、畿内一円に広がる広域性、明確に「徳政」をスローガンとして掲げた思想性、そして何より支配者の権威を完全に無視して「私徳政」を強行したという点で、過去のいかなる抵抗とも比較にならない、前代未聞の規模と質を持っていたからである。彼のこの言葉は、社会の根底が覆されるような事態に直面した、支配者層全体の戦慄と衝撃を代弁している。
第三節:「亡国の基」という恐怖
尋尊の恐怖は、さらに続く言葉で頂点に達する。
凡そ亡国の基、これに過ぐべからず 4
(およそ国を滅ぼす根本は、これ以上のものはないだろう)
なぜ一介の民衆蜂起が、国を滅ぼす「亡国の基」とまで言われたのか。それは、この一揆が、武士や寺社といった支配者が民衆を支配するという、中世の身分制社会の根本原理そのものを突き崩す行為だったからである。本来、法を定め、秩序を維持し、徳政を行うか否かを決定するのは、支配者の専権事項であった。しかし、正長の土一揆では、民衆が自らの実力で法(私徳政)を創り出し、執行した。これは、支配者から統治の正統性を奪い去るに等しい行為であり、尋尊の目には、国家転覆、すなわち「亡国」への第一歩と映ったのである。
『柳生の徳政碑文』が民衆にとっての「解放」と「世直し」の記念碑であったのに対し、『大乗院日記目録』は支配者にとっての「破壊」と「秩序崩壊」の記録であった。同じ一つの出来事が、見る立場によって全く正反対の意味を持つ。この認識の巨大な断絶こそが、当時の社会が抱えていた深刻な階級的対立を浮き彫りにしている。
終章:理想譚の解体と再構築――『百姓の世』の真の意味
本報告書は、「百姓の世を夢見て年貢を焼いた」という理想譚の歴史的実像を、正長元年(1428年)の土一揆を事例に検証してきた。その結果、理想譚は解体され、より複雑で切実な民衆の姿が再構築される。
第一節:結論――百姓が燃やしたもの、求めたもの
分析の結果、明らかになった事実は以下の通りである。百姓たちが燃やしたのは、領主への「年貢」台帳ではなかった。彼らが炎に投じたのは、日々の生活を破壊し、土地や未来を奪い去る元凶であった、酒屋・土倉といった高利貸しへの「借金証文」であった。彼らの直接の敵は、封建領主そのものというよりも、飢饉や社会不安に乗じて農村に深く浸透し、人々を搾取する金融資本だったのである。
第二節:『百姓の世』の再解釈――革命思想か、世直しか
では、彼らが夢見た『百姓の世』とは、一体何だったのか。それは、身分制度を打倒し、農民が主権を握るといった近代的な意味での革命思想ではなかった。彼らの思想の根底にあったのは、弥勒菩薩が下生して理想世界を現出させるという弥勒思想などとも結びついた、不正や搾取のない公正な社会秩序が回復された世界、すなわち「世直し」への渇望であった 37 。借金に追われることなく、先祖代々の土地で安心して働き、家族と共に暮らしていける世。それこそが、彼らが命を懸けて求めた、ささやかで、しかし尊い理想の姿であった。
第三節:歴史的遺産――後世への影響
正長の土一揆は、最終的に幕府によって鎮圧され、公式な徳政令が発布されることはなかった 40 。しかし、その歴史的意義は決して小さくない。民衆が自らの団結と実力によって、一時的にではあれ「私徳政」を成し遂げたという事実は、後続の世代に巨大な影響と勇気を与えた。この一揆を皮切りに、嘉吉の徳政一揆(1441年)をはじめ、室町時代を通じて徳政を求める一揆は頻発するようになる 3 。
これにより、民衆はもはや単なる支配の対象ではなく、為政者にとって無視できない政治勢力として、歴史の舞台に確固たる地位を占めることになった。「借金証文を焼いた理想譚」は、単なる物語ではない。それは、民衆が自らの手で未来を切り開こうとした、記念碑的な闘争の記憶として、戦国時代、そしてさらに後の世まで、抵抗のシンボルとして語り継がれていくのである。
引用文献
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- 惣村 日本史辞典/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/soson/
- 「惣村とは?」「自治的な村ってどういう意味?」室町時代の惣村の特徴や土一揆、についてわかりやすく解説! - 元予備校講師の受験対策ブログ https://kiboriguma.hatenadiary.jp/entry/souson
- 『山科七郷』と正長・嘉吉の土一揆 http://furusato.la.coocan.jp/kagamiyama/tatakai/tatakai01.htm
- 1428年 正長の土一揆がおこる。 https://www.hamajima.co.jp/rekishi/nengo/files/pdf/26.pdf
- 第26回日本史講座まとめ③(あいつぐ土一揆) - 山武の世界史 https://yamatake19.exblog.jp/21696880/
- 百姓一揆【江戸時代】 - 彡みちのく歴史フォト散歩 彡 https://rekipho.jugem.jp/?eid=17
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- 中学社会 定期テスト対策【近世(安土桃山時代~江戸時代)】 打ちこわしと百姓一揆の違い https://benesse.jp/kyouiku/teikitest/chu/social/social/c00105.html
- 農民反乱の歴史!百姓一揆の真実 https://chibanian.info/20240422-269/
- 「百姓一揆」とはわかりやすく簡単に解説 - 中学社会 歴史塾 https://education-geo-history-cit.com/%E3%80%8C%E7%99%BE%E5%A7%93%E4%B8%80%E6%8F%86%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%8F%E7%B0%A1%E5%8D%98%E3%81%AB%E8%A7%A3%E8%AA%AC/
- 正長の土一揆 | 株式会社カルチャー・プロ https://www.culture-pro.co.jp/2022/06/17/%E6%AD%A3%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%9C%9F%E4%B8%80%E6%8F%86/
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- 【奈良市】正長元年柳生徳政碑 | 奈良の地域密着型・総合情報サイト Narakko!(奈良っこ) https://www.narakko.jp/shoutyougannenyagyuutokuseihi/
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- 世直し一揆 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%9B%B4%E3%81%97%E4%B8%80%E6%8F%86
- 【第六節 「世直し」一揆の意味】 - ADEAC https://adeac.jp/tsurugashima-lib/text-list/d100010/ht041390
- 弥勒菩薩 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9
- 【高校日本史B】「争乱と一揆」 | 映像授業のTry IT (トライイット) https://www.try-it.jp/chapters-12583/lessons-12702/point-2/