織田信長
~安土城に黄金茶室を設け金箔磨く~
織田信長が安土城に黄金茶室を設けた逸話は、秀吉の黄金茶室と混同された創作。信長は天主最上階を黄金で飾り神格化。細部にこだわる信長像が「金箔磨く」逸話を生んだ。
織田信長と「黄金の茶室」伝説の深層:安土城天主の真実と逸話の成立
序章:逸話の解体と真実への序曲
「織田信長が安土城に黄金の茶室を設け、自ら金箔を磨かせた」。この逸話は、戦国時代の覇王、織田信長の革新性と豪奢な美意識を凝縮した、極めて魅惑的な物語として語り継がれてきた。天下統一を目前にした男が、その権力の象徴たる安土城の中枢で、静かに茶室の黄金を磨き上げる姿。それは、信長という人物の細部にまで及ぶ完璧主義と、壮大なスケールを併せ持つイメージを完璧に描き出している。この逸話は、単なる豪奢譚にとどまらず、信長の人物像そのものを象徴する物語として、人々の心を捉えて離さない。
しかし、歴史研究の探求は、時にこうした魅力的な物語の裏に隠された、より複雑で奥深い真実を明らかにする。結論から述べれば、史料を丹念に検証する限り、織田信長が安土城に「黄金の茶室」を建造したという直接的な記録は存在しない。歴史上、その存在が明確に記録されている移動式の「黄金の茶室」は、信長の後継者である豊臣秀吉によって作られたものである 1 。
では、信長の逸話は完全な創作なのだろうか。そうではない。信長がその権威の誇示のために「黄金」を用いたのは紛れもない事実である。ただし、それは茶室という小宇宙ではなく、彼が築き上げた安土城の「天主」、その最上層部という、より壮大で恒久的な建築空間においてであった 4 。
本報告書は、この「信長の黄金の茶室」という逸話を解体し、その根源にある二つの異なる歴史的真実を徹底的に探求するものである。第一部では、信長が実際に創造した「黄金の世界」、すなわち安土城天主の驚くべき構造とその思想的背景を、一次史料を基に再構築する。第二部では、逸話の直接のモデルとなった豊臣秀吉の「黄金の茶室」の実像を明らかにし、その目的と機能が信長のものといかに異なっていたかを比較分析する。そして第三部では、これら二つの歴史的事実が、後世の記憶の中でいかにして混同され、融合し、「金箔を磨く信長」という象徴的な逸話が誕生したのか、その成立過程を考察する。
この探求の目的は、単に逸話の誤りを正すことではない。一つの伝説の向こう側にある、信長と秀吉という二人の天下人が「黄金」に込めた思想の違い、そして安土桃山という時代が持つ比類なき創造性の本質を、より深く、より鮮明に描き出すことにある。
第一部:織田信長の「黄金」―安土城天主、神格化された空間の創造
信長が用いた「黄金」は、茶室という閉じた空間にではなく、天下を見下ろす壮大な建築の頂点にこそあった。それは単なる富の誇示ではなく、旧来の価値観を覆し、自らを世界の中心に据えようとする強烈な意志の表明であった。
1-1. 天主建立の刻:天下布武の象徴、その誕生の槌音
天正4年(1576年)正月、織田信長は丹羽長秀を総奉行に任じ、琵琶湖の東岸、安土山に新たな城の普請を開始させた 6 。その地は、京へと続く東山道、東海道、北陸道を押さえる戦略的要衝であると同時に、琵琶湖の水運を掌握できる経済の中心地でもあった 7 。しかし、信長の構想は単なる軍事拠点や政庁の建設に留まらなかった。彼が目指したのは、戦争のためだけの「城」ではなく、新たな時代の政治、経済、文化のすべてを統べる首都の創造であった 8 。安土城の築城は、まさに「天下布武」という理念を具現化する事業だったのである。
その中心に据えられたのが、前代未聞の高層建築物「天主」であった。普請は凄まじい規模で進められた。イエズス会宣教師ルイス・フロイスはその著書『日本史』の中で、天主台の石垣に使われた巨石の運搬作業について記録している。ある巨石はあまりに巨大で、運搬中に綱が切れ、下敷きになった150人以上が圧死したという 10 。信長の家臣、太田牛一が記した『信長公記』にも、「当山大石を以て、御構への方に石垣を築かせられ」との記述があり、安土山そのものから切り出した巨石を用いて、城が大地と一体化するような設計思想があったことが窺える 11 。数万人の人々が動員され、昼夜を問わず槌音が響き渡る中、信長の揺るぎない意志の下、壮麗な天主がその姿を現し始めたのである。
1-2. 天主の構造と黄金の空間:神々の領域への階梯
焼失してしまった安土城天主の姿を今に伝えるのは、二つの信頼性の高い一次史料である。一つは内部構造を詳細に記した太田牛一の『信長公記』、もう一つは外部の壮麗さを目の当たりにしたルイス・フロイスの『日本史』である。これらを統合することで、天主の驚くべき全体像が浮かび上がる。
フロイスは、安土城をヨーロッパの最も壮大な城に比肩しうると絶賛し、天主を「七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営された」と記している 5 。彼の記述によれば、天主の外観は階層ごとに色が異なっていた。ある階層は漆喰の白壁に黒漆の窓が配され、ある階層は赤く、またある階層は青く塗られていた。そして、その頂点に輝く最上階は「全て金色であった」という 5 。瓦は青く見え、軒先には金色の金具が取り付けられていたとも記されており、その外観はまさに絢爛豪華、比類なきものであったことがわかる。
一方、『信長公記』は、我々を天主の内部へと誘う 4 。下層階は、狩野永徳が手掛けた金碧濃彩の障壁画で飾られ、花鳥や賢人などが描かれた書院造りの部屋が広がっていた 14 。しかし、この天主の真骨頂は、人々を圧倒する上層階の構造にあった。
- 六重目(地上五階) :この階は八角形の仏堂であった。「八角四間あり」と記され、外側の柱は朱塗りであったが、特筆すべきは「内柱は皆金なり」という記述である。内部の柱はすべて黄金で飾られていたのだ。壁面には釈迦の十大弟子や、釈迦が悟りを開き説法する様子が描かれ、さながら黄金の仏教的理想空間が広がっていた 4 。
- 七重目(最上階) :天主の頂点に位置するこの空間は、三間四方の正方形の座敷であった。『信長公記』は、その壮麗さを「御座敷の内、皆金なり。そとがは、是又、金なり」と記す。内部も外部も、すべてが黄金で覆われていたのである。そして、この空間の思想性を決定づけるのが、その内部の装飾であった。内柱には天に昇る龍と下る龍が描かれ、天井には天人が舞う姿があった。壁面を飾ったのは、仏教的なモチーフではなく、中国古代の理想的な為政者や賢人たちであった。三皇五帝、孔門十哲、商山四皓、竹林の七賢などが描かれていたのである 4 。
この建築構造は、単なる豪華さの追求ではない。それは信長の世界観そのものを建築として表現した、壮大なイデオロギーの表明であった。天主を昇ることは、俗世(下層階)から、既存の宗教的世界(六重目の仏教空間)を通り抜け、最終的に信長自身が君臨する、儒教的な理想政治を体現した世俗の天上(七重目の黄金空間)へと至る巡礼の旅を意味する。彼は、既存のあらゆる権威、すなわち軍事、宗教、哲学のすべてを超克した絶対的な支配者として、自らをこの黄金の神殿に祀り上げたのである。フロイスが、信長の家臣たちが「彼自身が地上で礼拝されることを望んでいる」と語っていたと記録しているのは、この建築が放つメッセージを的確に捉えていたからに他ならない 11 。安土城天主は、信長を現人神として祀るための神殿であったのだ 11 。
1-3. ある日の天主:フロイスが見た信長の宇宙
天正9年(1581年)、信長は完成したばかりの安土城に宣教師たちを招き、フロイスらに自ら天主を案内するという破格の待遇を与えた 12 。この時の光景を、フロイスの視点から再現してみよう。
城内に入り、壮麗な御殿を抜けて、天主へと続く急な石段を昇る。階を進むごとに、狩野永徳が描いた濃密な色彩の障壁画が次々と現れ、一行の目を奪う。信長は得意げに、名物の茶器や諸大名からの献上品が並べられた部屋を指し示す。そして、いよいよ上層階へ。
六重目の八角堂に足を踏み入れた瞬間、フロイスは息をのんだであろう。外光を浴びて鈍く輝く黄金の内柱、壁面に描かれた荘厳な仏画。ここはまさに仏教的な浄土の世界である。しかし、信長は一行をさらに上へと促す。
そして、最上階。そこに広がっていたのは、眩いばかりの黄金の光に満たされた、全く異なる世界であった。壁、柱、天井、すべてが黄金に輝き、その光が互いに反射し合い、空間全体が揺らめいているかのようだ。信長は、壁に描かれた中国の賢人たちを指差し、こう語ったかもしれない。「これらこそ、天下を泰平に導いた者たちである。我もまた、この日ノ本において、かくあるべし」。その言葉は、自らを古代の聖天子になぞらえる、絶対的な自信に満ちていたであろう。
フロイスは、その黄金の輝きの中に、ヨーロッパの君主とは全く異なる種類の権威を見る。それは神に仕える王ではなく、自らが神になろうとする者の権威である。窓から眼下に広がる琵琶湖と近江平野、そして整然と区画された城下町を見下ろしながら、彼はこの城が単なる要塞ではなく、信長という一人の人間の意志によって創造された小宇宙の中心であることを痛感したに違いない。この体験は、彼にとって畏怖と、そして宣教師としての深い懸念を同時に抱かせるものであった。
1-4. 「黄金」に込められた思想:静的なる神殿、絶対的中心の誇示
信長が安土城天主に込めた「黄金」の意味を分析すると、その本質が「静的」かつ「建築的」であったことがわかる。安土城は、信長が構想する新しい世界の絶対的な中心として、恒久的にその場に存在し続けることを運命づけられていた 9 。天皇の行幸を想定した「御幸の御間」が本丸に設けられていたことからもわかるように 11 、人々は、そして既存の最高権威である天皇でさえも、この新たな中心地である安土に「来る」ことを求められた。
天主の黄金空間は、居住空間や饗宴の場というよりは、信長を頂点とする新たな世俗的秩序を祀るための神殿であった。その黄金は、遠くからでも望むことができ 11 、比叡山延暦寺のような旧来の宗教的権威に取って代わる、新しい時代の灯台として輝くことを意図されていた。城郭内に、信長自身の菩提寺として摠見寺を建立し、管理下に置いたことも、古い権威を自らの新しい権威の下に従属させるという意思の表れである 20 。信長の「黄金」は、人々を招き入れるためのものではなく、人々がひれ伏し、仰ぎ見るための、絶対的で静的な権威の象徴だったのである。
第二部:豊臣秀吉の「黄金」―黄金の茶室、移動する権威の舞台
信長の「黄金」が静的で建築的な神殿であったのに対し、歴史上有名な「黄金の茶室」を創り上げた豊臣秀吉の「黄金」は、全く異なる性質を持っていた。それは移動可能で、政治的なパフォーマンスのための、華麗なる舞台装置であった。
2-1. 歴史の舞台への登場:天下人のための組み立て式舞台装置
信長の死後、天下統一を成し遂げた秀吉は、その絶大な権力を天下に知らしめる必要があった。彼がその手段として選んだのが、信長もまた政治的に利用した「茶の湯」であった 3 。そして、その権威の象徴として、前代未聞の茶室を考案する。
「黄金の茶室」が歴史の表舞台に初めて登場するのは、天正13年(1585年)のことである。関白に就任した秀吉が、その返礼として正親町天皇に茶を献じる「禁中献茶」を催した際、御所の内にこの茶室が設えられた 1 。これは、伝統的権威の最高峰である朝廷の懐に、自らの新しい権威の象徴を持ち込んでみせるという、極めて巧みな政治的パフォーマンスであった。この茶室の設計には、当代随一の茶人であり、わび茶の大成者である千利休が関わったとされ、秀吉の絢爛たる志向と利休の美意識が複雑に交錯した産物であったことが窺える 1 。
この茶室の最大の特徴は、それが「組み立て式( kumitate-shiki )」であったことだ 2 。解体して運搬することが可能であり、秀吉は大坂城や聚楽第、さらには九州征伐の拠点となった名護屋城など、行く先々でこの茶室を組み立て、大名や公家、商人たちを招いて茶会を催した。信長の「黄金」が人々を安土に呼び寄せたのに対し、秀吉の「黄金」は自ら人々の元へ赴いたのである。
2-2. 『宗湛日記』に見る茶室の姿:豪商が体験した絢爛の小宇宙
この移動式茶室の内部がどのようなものであったか、その貴重な記録を残しているのが、博多の豪商・神屋宗湛の日記『宗湛日記』である。彼は文禄元年(1592年)、朝鮮出兵の拠点であった肥前名護屋城にて、秀吉からこの茶室での茶会に招かれる栄誉を得た 26 。
宗湛の記録によれば、茶室の広さは三畳敷であった 27 。そして、その内部は想像を絶する光景であった。壁、天井、柱、そして格子の障子に至るまで、すべてが黄金で覆われていた。障子に貼られていたのは和紙ではなく、「紋様が織り込まれた赤い薄絹」であったという 29 。畳の縁も通常の黒や茶ではなく、緋色の毛織物か羅紗で覆われていた 30 。さらに驚くべきは、茶道具である。釜、水指、茶碗、建水など、茶筅と茶巾を除くすべての道具が黄金で作られていた 30 。
通常、茶室の床の間には掛け軸が飾られるが、宗湛の記録にはその記述がない 29 。黄金そのものが持つ圧倒的な存在感が、もはや他の装飾を必要としなかったのかもしれない。金と赤の二色に支配されたこの小さな空間は、外部の現実世界から完全に切り離された、秀吉の権力と富が凝縮された小宇宙であった。宗湛は、この絢爛たる空間で秀吉が点てる茶を賜り、生涯忘れ得ぬ体験をしたのである。
2-3. 信長の「黄金」との比較:動的なる劇場、遍在する権力の演出
信長の「黄金」と秀吉の「黄金」を比較すると、両者の権力に対する思想の違いが鮮明に浮かび上がる。これは、静的な「神殿」と動的な「劇場」の対比と言えるだろう。
信長の安土城天主は、動かざる世界の中心であり、その黄金は神格化された統治者のための聖域であった。それは、訪れる者に絶対的な権威を体感させ、畏怖の念を抱かせることを目的とした、恒久的な建築物である。
対して、秀吉の黄金の茶室は、権力者自身が演者となるための移動舞台であった 22 。彼はこの舞台装置を、天皇の前、大名たちの前、そして豪商たちの前へと運び込み、茶を点てるというパフォーマンスを通じて、自らの権威を演出し、見せつけた。信長が「我こそが中心である」と宣言する神殿を築いたのに対し、秀吉は「私がいる場所こそが中心である」と知らしめる劇場を携えて全国を巡ったのである。この違いは、新たな秩序をゼロから創造しようとした革命家・信長と、既存の権力構造を巧みに利用し、その頂点に立った実務家・秀吉の、本質的なスタイルの差を象徴している。
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特徴 |
織田信長の「黄金」 |
豊臣秀吉の「黄金」 |
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対象 |
安土城天主(六重目・七重目) |
移動式・黄金の茶室 |
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性質 |
建築的、恒久的、静的 |
演劇的、移動式、動的 |
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規模 |
巨大な建築物の一部 |
三畳敷の小宇宙 |
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一次史料 |
『信長公記』(太田牛一)、『日本史』(フロイス) |
『宗湛日記』(神屋宗湛) |
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思想的目標 |
自己の神格化、絶対的な新世界の中心の確立 |
政治的パフォーマンス、既存の権力構造への権威の投影 |
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関連する美意識 |
仏教・儒教・道教などを統合した独自の宇宙観 |
千利休のわび茶と対極をなす、意図的な絢爛豪華 |
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機能 |
仰ぎ見られるための聖域、統治者だけの空間 |
中に入り体験するための舞台、政治的茶会を催す場 |
第三部:逸話の成立と「金箔を磨く信長」像の考察
信長の「黄金の天主」と秀吉の「黄金の茶室」。この二つの明確に異なる歴史的事実が存在するにもかかわらず、なぜ「信長が黄金の茶室を建てた」という逸話が生まれたのだろうか。その背景には、後世における記憶の変容と、理想の英雄像を求める人々の心理が深く関わっている。
3-1. 二つの「黄金」の混同:記憶の変容と物語の創造
安土桃山という激動の時代が終わり、徳川の治世下で社会が安定した江戸時代になると、過去の出来事の細部は人々の記憶の中で次第に曖昧になっていった 31 。信長は「始まりの英雄」、秀吉は「その後継者」として、二人ともに空前絶後のスケールと豪奢さのイメージで一括りに語られることが多くなった。
その中で、秀吉の「黄金の茶室」は、その奇抜さと逸話としての分かりやすさから、非常に強い印象を人々に与えた。一方で、信長の安土城天主の思想的な複雑さや建築の詳細は、専門家でなければ理解しにくい。物語として語り継がれる際、より具体的でインパクトの強い「黄金の茶室」というアイテムが、時代の象徴として記憶に残りやすかったのは自然なことであろう。
さらに決定的なのは、安土城が信長の死の直後に謎の焼失を遂げ、地上から姿を消してしまったという事実である 12 。後の人々にとって、安土城は実在の建築物というより、伝説上の存在となった。この想像力の空白に、より記録が豊富でイメージしやすい秀吉の「黄金の茶室」の物語が入り込み、いつしか「始まりの英雄」である信長の功績として語られるようになったと考えられる。偉大な信長であれば、絢爛豪華な黄金の茶室を創っていても何ら不思議はない、という人々の共通認識が、この記憶の混同を後押ししたのである。
3-2. 「金箔を磨く」という行為の意味:後世が描いた理想の信長像
逸話の中でも特に興味深いのが、「自ら金箔を磨かせた」という細部である。言うまでもなく、信長が自ら金箔を磨いた、あるいは磨かせたということを示す一次史料は存在しない。これは、物語が語り継がれる中で付け加えられた、創作のディテールである。
しかし、この創作されたディテールこそが、逸話の生命力を支えている。なぜなら、この行為は信長の本質として知られる性格的特徴と完璧に合致するからである。ルイス・フロイスは信長の人物評として、「家居ではきわめて清潔を好み、諸事の指図にたいそう几帳面に気をくばっていた」と記している 33 。彼は、壮大なビジョンを持つと同時に、細部にまで徹底的にこだわる完璧主義者であった。
「金箔を磨く」という行為は、まさにその性格を象徴している。天下人でありながら、ただ命令するだけでなく、自らの創造物が完璧な輝きを放つまで、その最終仕上げにまで関与する。このイメージは、信長を単なる冷徹な支配者から、情熱を持った創造主へと昇華させる。史実ではないこのディテールは、しかし、後世の人々が信長という人物に抱いた「かくあるべき」という理想像を、見事に描き出した秀逸な創作と言えるだろう。それは、史実を超えた「真実味」を物語に与え、人々の共感を呼んだのである。
3-3. 逸話が語る歴史の深層:史実を超えた象徴としての価値
結論として、「織田信長、安土城に黄金茶室を設け金箔磨く」という逸話は、歴史的事実ではない。それは、信長の「黄金の天主」と秀吉の「黄金の茶室」という二つの史実が混同され、そこに信長の人物像を象徴する創作のディテールが加えられて生まれた、後世の物語である。
しかし、この逸話が史実ではないからといって、無価値なわけではない。むしろ、この物語は、事実を超えた象徴としての価値を持っている。それは、旧来の権威を破壊し、大胆で劇的な自己表現によって新しい時代を切り拓いた、安土桃山という時代の精神そのものを凝縮している。そして、革新的で、大胆不敵で、完璧主義者であったとされる織田信長という人物の本質を、これほど的確に、そして魅力的に伝える物語は他にない。人々がこの逸話を語り継いできたのは、それが史実だからではなく、信長という英雄の物語として、あまりにも「真実」に感じられるからなのである。
結論:真実の向こう側にある歴史の魅力
本報告書における調査は、織田信長と「黄金の茶室」にまつわる逸話が、歴史的事実とは異なることを明らかにした。移動式の「黄金の茶室」は豊臣秀吉の創造物であり、信長がその権威の象徴として「黄金」を用いたのは、安土城天主の最上層部という、より壮大で思想的な建築空間であった。そして、この二つの史実が後世の記憶の中で融合し、「金箔を磨く」という信長の性格を巧みに表現した創作のディテールが加わることで、今日知られる魅力的な逸話が形成されたのである。
歴史研究の使命は、厳密な史料批判を通じて、事実としての歴史を明らかにすることにある。しかし、それと同時に、なぜ事実とは異なる物語が生まれ、かくも長く人々の心を捉え続けるのかを理解することもまた、歴史を探求する上での重要な課題である。
「信長の黄金の茶室」という伝説は、その好例と言える。この逸話は、史実としては誤りであるが、安土桃山という時代の比類なきエネルギーと、織田信長という人物の破壊的かつ創造的なカリスマ性を象徴する、強力な文化的記憶装置として機能してきた。この伝説を入り口として、我々は、信長が目指した神殿としての天主と、秀吉が駆使した劇場としての茶室という、より複雑で、そして伝説以上に壮麗な歴史の真実へと分け入ることができる。
逸話の向こう側に見えてくる歴史の深層。それこそが、我々が過去を学び、物語を紐解くことの尽きない魅力の源泉なのである。
引用文献
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- 黄金の茶室と北野の大茶会 | シリーズ 分かりやすい「わび・さび」 日本美術をより深く理解するための一考察 https://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/art/antique/antique_5/post_1001.html
- 天下人・豊臣秀吉と茶の湯|黄金茶室、北野大茶湯、三成との出会い - 山本山 https://yamamotoyama.co.jp/blogs/column/reading287
- 地上46メートルに黄金で覆われたド派手な御殿を作った…織田信長が建てた安土城天主の奇想天外さ 「フィレンツェの大聖堂」との意外な共通点 - プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/66652?page=1
- 安土城 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E5%9F%8E
- 明智光秀とその周辺 第9回 安土城下の明智邸はどこにあったか - 城びと https://shirobito.jp/article/1211
- 安土城跡 http://www.enyatotto.com/fieldnote/kengai/adsuchi/field91.htm
- 第3章.“「幻の安土城」見える化”の基本理念 - 滋賀県 https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/5310843.pdf
- 【織田信長の築城史】最高傑作・安土城、裏の利用目的は何だったのか? - 今日のおすすめ https://news.kodansha.co.jp/books/20170326_b01
- 外出自粛でも楽しめる?安土城 3つの謎 https://maruyomi.hatenablog.com/entry/2020/05/01/134151
- 安土城の空間特性 - 滋賀県文化財保護協会 https://www.shiga-bunkazai.jp/wp-content/uploads/site-archives/download-kiyou-30_oonuma.pdf
- 7. 安土城(天下布武の夢の跡) | 須賀谷温泉のブログ https://www.sugatani.co.jp/blog/?p=1340
- 安土城復元研究の過去・現在・未来 - 滋賀県 https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/5391312.pdf
- 信長公記・11巻その1 「正月の茶会と内裏の節会」 - 歴史ハック https://rekishi-hack.com/shincho_11_1/
- 安土城 http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/nob/nobu7.htm
- 信長の夢と共に散る!安土城は何故「幻の城」なのか? https://madeinlocal.jp/area/shiga/knowledge/033
- 残念すぎる日本の名城シリーズ第8回:安土城|信長の夢の跡|天下統一のシンボルが伝える栄光と失われた真実|白丸 - note https://note.com/just_tucan4024/n/n8d0dccd7d8bd
- 安土城天主信長の館 展示案内 - 安土文芸の郷 http://bungei.or.jp/smarts/index/96/
- 織田信長だけ? 幻の「安土城天主」その“住み心地”を考察してみる - 三井でみつけて https://www.mitsui-mall.com/article/731.html
- 摠見寺特別拝観 https://www.azuchi-nobunaga.com/temple
- 摠見寺本堂跡 | 安土城のガイド - 攻城団 https://kojodan.jp/castle/19/memo/1254.html
- 豊臣秀吉の茶会/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/117559/
- 400年の時を越えて茶の湯の文化を知る『黄金の茶室』 | 記事 | 【公式】佐賀県観光サイト あそぼーさが https://www.asobo-saga.jp/articles/detail/9f2c968f-4568-4a45-9277-54dadde1b6cc
- 千利休-歴史上の実力者/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/44325/
- 秀吉の黄金の茶室と利休の黒楽茶碗 | 馬場泰嘉『焔(ほのお)の哲学者の書斎』 https://ameblo.jp/sinemon1978/entry-12935659471.html
- 【理文先生のお城がっこう】歴史編 第53回 秀吉の城5(黄金の茶室) https://shirobito.jp/article/1642
- 天下人・豊臣秀吉が築いた、幻の名城・名護屋城跡に「黄金の茶室」がよみがえる!佐賀県立名護屋城博物館 | Discover Japan https://discoverjapan-web.com/article/86254
- 黄金の茶室|佐賀県立 名護屋城博物館 - 佐賀ミュージアムズ https://saga-museum.jp/nagoya/exhibition/permanent/golden-tea-room.html
- 豊臣秀吉の「黄金の茶室」実際に入ったらどうなる!? 名護屋城博物館の復元茶室に潜入! https://intojapanwaraku.com/culture/274148/
- 【豊臣兄弟!】豊臣秀吉の悪趣味を象徴?侘び寂びを裏切った「黄金の茶室」とはどんな造りだったのか | 歴史・文化 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/256954
- 軍記物から江戸時代へ | 日本近世文学者「板坂耀子」 - いたさかランド https://itasaka-yoko.com/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/%E5%8D%94%E5%8A%9B%E8%80%85%E5%88%97%E4%BC%9D/%E8%BB%8D%E8%A8%98%E7%89%A9%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%B8
- 中世城郭における天主とは何か・・・『信長公記』を参考に http://yogokun.my.coocan.jp/koukitenshu.htm
- 週刊東洋文庫1000:『日本史4 キリシタン伝来のころ』(ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳) https://japanknowledge.com/articles/blogtoyo/entry.html?entryid=346