最終更新日 2025-10-18

諏訪姫(由布姫)
 ~信玄側室病没前勝頼を立てよと託言~

諏訪姫(由布姫)が病没前に勝頼を立てよと信玄に託言した逸話の真相を徹底解明。史実と創作の狭間で生まれた「母の予言譚」の背景と影響、その意義を考察。

【徹底調査報告書】諏訪姫(由布姫)の託言 — 史実と創作の狭間で生まれた「母の予言譚」

序章:本報告の目的と構成

本報告書は、武田信玄の側室「諏訪姫(由布姫)」が病没する直前、「我が子、勝頼を立てよ」と信玄に遺言したとされる逸話に焦点を絞り、その全貌を徹底的に解明するものである。利用者様の要望に応じ、単なる概要の提示に留まらず、逸話が持つ物語的な情景、その背景にある歴史的文脈、そして逸話が史実であるか否かの検証を多角的に行う。

報告の構成は以下の通りである。まず第一章では、逸話が語り継がれる感動的な情景を、物語として再構成する。続く第二章では、逸話の舞台とされる弘治元年(1555年)当時の武田家の後継者構造を史実に基づき検証し、逸話の信憑性を問う。第三章では、この逸話が誕生した背景を探り、特に井上靖の歴史小説『風林火山』が与えた影響を分析する。第四章では、史実において武田家の後継者問題がどのように発生し、勝頼が台頭したのか、その真の転換点である「義信事件」を詳述する。最後に結論として、史実と創作が交差する中でこの「母の予言譚」がなぜ生まれ、人々の心を捉え続けているのか、その意義を深く考察する。


第一章:逸話の情景 — 諏訪姫、最期の託言(物語的再構成)

本章では、利用者様の「リアルタイムな会話内容やその時の状態がわかる形での解説」という要望に応えるため、後世に形成された物語としての逸話の情景を文学的に描き出す。これは史実の忠実な再現ではなく、あくまで逸話そのものが持つドラマ性を追体験するための一つの試みである。

舞台:弘治元年(1555年)秋、信濃上原城

信濃の空は高く澄み渡り、秋の気配が深まる頃。かつて諏訪氏の拠点であった上原城の一室は、静寂に包まれていた。部屋には薬草を煎じる匂いが微かに立ち込め、障子越しに差し込む陽光も、どこか力なく感じられる。病床に横たわるのは、武田信玄(当時は晴信)の側室、諏訪御料人。齢わずか24、5歳 1 。かつて「かくれなき美人」と称されたその面差しは病によってやつれてはいるものの、滅びた名門・諏訪家の姫としての凛とした気品は失われていなかった。

傍らには、戦の合間を縫って駆け付けた信玄が、静かに座している。その表情には、寵愛する若き側室を失うことへの深い悲しみと、甲斐の国主としての威厳が複雑に交錯していた。

かすれた声で、諏訪姫が口を開く。

「御屋形様…、お越しいただき、かたじけなく存じます。…もはや、私の命も長くないようにございます…」

信玄は、その弱々しい言葉を遮るように応えた。

「何を弱気なことを申す。そなたには、我が子・四郎(勝頼)の成長を見届けるという、大切な役目があるではないか。確と気を保て」

しかし、諏訪姫は静かに首を横に振る。自らの死期を悟った者の、穏やかで澄んだ瞳であった。

「いいえ…。私には、わかりまする。されど、最後に一つだけ…。御屋形様に、どうしても聞き入れていただきたい願いがございます」

「申してみよ。そなたの願いとあらば、この晴信、何でも叶えようぞ」

信玄の言葉に、諏訪姫は最後の力を振り絞るように、その視線に強い光を宿した。それは、一人の女性としてではなく、一人の母としての光だった。

「…我が子、四郎勝頼を…。何卒、武田の御嫡男として、お立てくださりませ。あの子こそが、御屋形様の覇業を継ぐべき者と、この母には思えるのです…」

その言葉は、部屋の静寂を切り裂いた。信玄は息を呑む。武田家には、正室・三条の方が産んだ嫡男・義信という、揺るぎない後継者がいる。側室の子を、それも滅ぼした敵の血を引く子を嫡男に立てよという願いは、武田家の秩序を根底から揺るがしかねない、あまりにも過酷な要求であった。信玄は驚きと葛藤に顔をこわばらせ、即答することができない。

「…四郎を、嫡男に…と申すか」

諏訪姫は、信玄の動揺を察しながらも、言葉を続けた。その声は、もはや予言の響きを帯びていた。

「諏訪の血を引くあの子が、武田と諏訪を真に一つにし、御屋形様が目指される日の本を治める礎となりましょう。どうか、どうか、この母の最後の願いを…」

言葉は、そこで途切れた。諏訪姫は静かに息を引き取り、その手から力が抜けていく。信玄は、亡きがらの手を固く握りしめ、彼女が遺した重い言葉を胸に刻み、深く思いを巡らせるのであった…。

このように、死にゆく母が我が子の未来を案じ、その将来を託すという感動的な情景は、物語として非常に魅力的である。しかし、この逸話は歴史的な事実なのでしょうか。次章では、この託言が交わされたとされる弘治元年当時の武田家の客観的な状況を検証し、この逸話の信憑性に迫っていく。


第二章:歴史の証言 — 弘治元年(1555年)、武田家の後継者構造

前章で描かれた物語的情景とは対照的に、本章では歴史的史実に基づき、逸話の舞台となった弘治元年(1555年)時点での武田家の状況を客観的に分析する。この検証を通じて、諏訪姫の「託言」がいかに非現実的なものであったかが明らかになる。

諏訪御料人の死とその立場

まず、諏訪御料人の死没年について、史料『鉄山録』などから弘治元年(1555年)11月6日であることが確認されている 1 。天文23年(1554年)説も存在するが 3 、弘治元年説が有力視されている。

彼女の出自は、この問題を考察する上で極めて重要である。彼女は、信玄によって攻め滅ぼされた信濃の名門・諏訪頼重の娘であった 4 。信玄が彼女を側室として迎えるにあたり、武田家中では「いつ寝首をかかれるやもしれぬ」といった強い反対論があったと『甲陽軍鑑』は記している 3 。山本勘助が諏訪への懐柔策として進言し、ようやく実現したとされるこの縁組は 3 、当初から政治的な緊張をはらんでいた。彼女と、彼女が生んだ子である勝頼の立場は、武田家の中で常に複雑かつ繊細なものであったと言える。

盤石だった嫡男・武田義信の地位

諏訪御料人が亡くなった弘治元年当時、武田家の後継者問題は存在しなかった。後継者は、正室であり公家の名門・三条家出身の三条夫人が生んだ嫡男・武田太郎義信であることが、家中内外において揺るぎない既定事実であった 6

義信は、父・信玄の期待に応える形で、次期当主としての道を順調に歩んでいた。天文23年(1554年)、16歳で信濃佐久方面への攻略戦で初陣を飾ると、わずか1日で9つの城を攻め落とすという目覚ましい武功を立てている 9 。これは、彼が単なる血筋だけの後継者ではなく、武将としての器量も備えていることを家中に示すものであった。

さらに、彼の地位を外交的にも固めていたのが、甲相駿三国同盟である。この同盟の一環として、義信は今川義元の娘を正室に迎えていた 10 。これは武田家の安全保障の要であり、義信自身がその楔(くさび)としての重要な役割を担っていたことを意味する。血筋、実績、そして外交的立場、そのいずれから見ても、義信の嫡男としての地位は盤石であり、疑いようのないものであった。

武田勝頼の立場

一方、四男である武田勝頼は、天文15年(1546年)に生まれている 3 。彼に与えられていた役割は、武田家の家督を継ぐことではなかった。彼の使命は、母方の諏訪家の名跡を継ぎ、「諏訪四郎勝頼」として信濃高遠城主となることであった 7 。これは、信濃統治を安定させるための信玄の深謀遠慮であり、勝頼は旧諏訪領の国衆をまとめるための象徴的な存在として位置づけられていた。信玄の遺言とされる『甲陽軍鑑』の記述を見ても、信玄は勝頼に「諏訪法性の兜」を着用させ、武田本家の家督とは一線を画していたことがうかがえる 12

「託言」の政治的意味と致命的な不自然さ

以上の歴史的状況を踏まえると、諏訪御料人が死に際に「勝頼を嫡男に」と進言したという逸話は、極めて不自然かつ危険なものとして浮かび上がる。

この発言は、単なる母の願いではない。それは、正室である三条夫人と、盤石たる嫡男・義信の存在を完全に否定し、その権威に真っ向から挑戦する行為に他ならない。寵愛されていた側室とはいえ、このような発言が許されるはずがなく、実行されれば家中に深刻な内紛の火種をまき、武田家の分裂を招きかねない。それは、諏訪御料人自身と勝頼の身を危うくするだけの、政治的に見て自殺行為に等しい言動である。

この逸話が「予言」として成立するためには、聞き手である我々が「義信が後に廃嫡される」という未来の結末を知っていることが絶対的な前提となる。つまり、この物語は未来から過去を振り返って、結果(勝頼の家督相続)に都合の良い原因を後付けした、典型的な「結果論の物語」なのである。弘治元年の時点では、それは「予言」ではなく、「謀反の勧め」と解釈されても仕方のない、あり得ない発言であった。


【参考資料】武田家後継者問題 年表

以下の年表は、諏訪御料人の死と、実際に武田家の後継者問題が深刻化した「義信事件」との間に、 約10年間 という決定的な時間的乖離が存在することを示している。これは、逸話が史実ではないことを裏付ける強力な状況証拠である。

出来事

年号(西暦)

解説

関連資料

武田勝頼 誕生

天文15年(1546)

諏訪御料人が信玄の四男・勝頼を出産。

3

武田義信 初陣

天文23年(1554)

嫡男・義信が16歳で初陣を飾り、武功を立てる。次期当主として盤石。

9

諏訪御料人 死去

弘治元年(1555)

本逸話の舞台とされる時期。義信が嫡男として健在であり、後継者問題は存在しない。

2

第四次川中島の戦い

永禄4年(1561)

義信も参戦し、負傷しながらも奮戦する。

7

義信事件 発生

永禄8年(1565)

信玄と義信が対今川政策を巡り対立。義信に謀反の疑いがかかり、廃嫡・幽閉される。

10

武田義信 死去

永禄10年(1567)

義信が東光寺にて死去(自害説、病死説あり)。これにより勝頼の後継が現実的になる。

9

武田信玄 死去

元亀4年(1573)

信玄が死去。遺言により勝頼が正式に家督を相続。

12

武田家 滅亡

天正10年(1582)

勝頼が天目山にて自害。甲斐武田氏の嫡流は滅亡。

7


第三章:伝説の誕生 — 小説『風林火山』と「由布姫」の像

史実の検証により、諏訪姫の託言が歴史的事実である可能性は極めて低いことが明らかになった。では、この感動的な逸話は、どのようにして生まれ、広まっていったのか。その起源をたどると、一人の文豪と、彼が生み出した不朽の歴史小説に行き着く。

「諏訪御料人」から「由布姫」へ

歴史上の諏訪御料人には、残念ながら実名が伝わっていない 4 。我々が今日、当たり前のように口にする「由布姫」という名は、昭和の文豪・井上靖が、1953年(昭和28年)から雑誌『小説新潮』に連載を開始した歴史小説『風林火山』の中で、彼女に与えた創作名である 16 。一説には、井上がこの小説を執筆した大分県の湯布院(ゆふいん)の地名に由来するとも言われている 17

同様に、新田次郎の小説『武田信玄』では「湖衣姫」と名付けられるなど 4 、記録の少ないミステリアスな存在であった彼女は、作家たちの創作意欲を大いに掻き立てる格好の題材であった。しかし、その中でも井上靖が創造した「由布姫」の人物像は、その後の彼女のイメージを決定づけるほどの絶大な影響力を持った。

小説における由布姫と山本勘助の物語

井上靖の『風林火山』は、武田信玄に仕えた伝説的軍師・山本勘助を主人公に据えている 17 。小説の中で勘助は、異形の外見と内に秘めた深い孤独を抱える人物として描かれる。彼は、父の仇である信玄を憎みながらも、その器量に惹かれていく由布姫に、密かな思慕の情を寄せる 19 。そして、由布姫が勝頼を産むと、勘助は自らの果たせなかった夢のすべてをこの若君に託し、彼を武田家の後継者にすべく生涯をかけて奔走することを誓うのである 17

この物語構造において、由布姫が病死する場面は極めて重要な意味を持つ。彼女が死の間際に「勝頼を頼む」と勘助に、そして信玄に託す場面は、勘助のその後の行動に絶対的な大義名分を与えるための、不可欠なクライマックスとして機能する。勘助の行動は、もはや個人的な野心や思慕の情からではなく、「亡き姫君の遺志を継ぐ」という、より純粋で自己犠牲的な使命へと昇華される。

逸話の創作的意図と流布

つまり、「諏訪姫の託言」という逸話は、山本勘助という主人公の物語を完成させるための、極めて巧みな創作的装置であった可能性が非常に高い。それは、勘助の物語と切り離しては、その本質を理解することができない。

さらに、この物語は、後に武田家が滅亡するという史実を知っている読者に対して、二重の悲劇性を与える。母の願いが、結果的に息子を悲劇的な運命へと導いてしまうという皮肉。この「託言」は、勝頼の栄光と悲劇の双方を予兆する「運命の伏線」として描かれている。これは、歴史の結末から逆算して物語を構築する、歴史小説ならではの卓越した手法である。

この井上靖の小説は、その後、映画やテレビドラマとして繰り返し映像化された 21 。特に2007年のNHK大河ドラマ『風林火山』は大きな反響を呼び、勘助の視点から描かれる由布姫と勝頼の物語は、国民的な共通認識として広く浸透した。こうして、一編の小説から生まれた創作の逸話は、多くの人々の心の中で、史実と見紛うほどのリアリティを獲得していったのである。


第四章:史実の転換点 — 義信事件と勝頼の台頭

諏訪姫の死から10年の歳月が流れた後、武田家の運命を実際に、そして決定的に変えたのは、母の予言ではなく、父と子の間に生じた冷徹な政治闘争であった。本章では、勝頼が後継者として台頭する真のきっかけとなった「義信事件」の経緯を詳述する。

対外政策の対立 — 信玄と義信の亀裂

事件の最大の原因は、対今川氏への外交方針を巡る、信玄と嫡男・義信との深刻な対立にあった 24 。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、名門・今川家の権勢は急速に衰退する。この状況を見た信玄は、長年の同盟関係であった甲相駿三国同盟を破棄してでも、今川家の領国である駿河へ侵攻することを密かに画策し始めた 25

しかし、この信玄の方針転換に、義信は真っ向から反対した。彼の正室は、今川義元の娘であり、今川氏真の妹であった 10 。義信にとって、妻の実家である今川家を攻めることは、信義にもとる裏切り行為に他ならなかった。親今川派の立場にあった彼は、父の計画に頑強に抵抗した 11 。家臣団からの人望も厚かった義信の反対は、武田家中に深刻な亀裂を生じさせることになった 27

嫡男の廃嫡と死

信玄と義信の対立は、もはや修復不可能なレベルに達していた。そして永禄8年(1565年)、事件は起きる。義信の傅役(もりやく)であった飯富虎昌らが、信玄暗殺の謀反を企てたという嫌疑がかけられたのである 24 。この計画は、虎昌の実弟である山県昌景の密告によって事前に露見したとされ、虎昌らは処刑された 10

この謀反計画に義信がどの程度関与していたかは不明だが、信玄はこの事件を口実に、対立勢力の排除に乗り出す。義信は嫡男の座を追われ(廃嫡)、甲府の東光寺に幽閉されることとなった 8 。かつて武田家の未来を嘱望された若武者の、あまりにも突然の失脚であった。

そして、幽閉から2年後の永禄10年(1567年)10月19日、義信は失意のうちにこの世を去る。自害とも病死とも言われるが、その死の真相は定かではない 9 。享年30歳であった 9

勝頼の浮上

嫡男・義信の死により、武田家の後継者問題は現実のものとなった。信玄の次男・信親は盲目であり、三男・信之は早世していた。その結果、これまで諏訪家の後継者と目されていた四男の諏訪勝頼が、消去法的に、しかし必然的に武田家の後継者として浮上することになる 7

信玄は、義信事件の直後から、勝頼と織田信長の養女(龍勝院)との婚姻を進めるなど、勝頼を新たな後継者とするための布石を着々と打っていた 24 。勝頼の家督相続は、母の霊的な予言によって運命づけられたものではなく、父・信玄と兄・義信の間の、極めて現実的で血腥い政治闘争の「結果」として訪れたものであった。ロマンチックな母の予言譚の裏には、父子相克という戦国時代ならではの冷厳な史実が隠されていたのである。


第五章:結論 — 史実と創作の交差点に咲いた「母の予言譚」

本報告書における徹底的な調査と多角的な分析の結果、以下の結論に至る。

逸話の真相 — 後世の創作

「諏訪姫(由布姫)が病没前に勝頼を立てよと託言した」とされる逸話は、同時代の一次史料には一切その記述が見られない、後世の創作であると断定できる。

その根拠は、二つの決定的な歴史的事実に基づいている。第一に、彼女が亡くなった弘治元年(1555年)当時、武田家には正室所生の嫡男・武田義信が健在であり、その地位は盤石であった。後継者問題そのものが存在しない状況で、このような「託言」がなされる余地はなかった。第二に、実際に勝頼が後継者として浮上したのは、彼女の死から10年もの歳月が流れた永禄8年(1565年)の「義信事件」という、全く別の政治的事件が直接の原因である。この二点から、逸話と史実との間には、直接的な因果関係は存在しない。

物語が持つ力と、人々に受け入れられた理由

では、なぜこの史実とは異なる創作の物語が、これほどまでに広く受け入れられ、あたかも事実のように語り継がれてきたのであろうか。その理由は、この物語が持つ、人間の心に深く訴えかける複数の力にある。

第一に、「 悲劇性の連結 」である。若くしてこの世を去った悲劇の母(諏訪姫)と、勇猛でありながらも最終的に名門・武田家を滅亡させてしまった悲劇の当主(勝頼)。この二人の悲劇的な生涯を、「母の予言」という一本の運命の糸で結びつけることで、勝頼の人生は単なる敗将の物語ではなく、より宿命的で、人々の同情を誘う感動的な物語へと昇華される。

第二に、「 歴史の『空白』を埋める創造性 」である。諏訪御料人という人物は、歴史上の記録が極めて少なく、その人物像は謎に包まれている 16 。その「空白」に対し、井上靖のような優れた作家が、「由布姫」という魅力的な人格と、母としての深い愛情に満ちた物語を吹き込んだ。これにより、人々は彼女の人物像を生き生きと想像することが可能となり、その物語を真実として受け入れたのである。

第三に、「 人間的共感の普遍性 」である。権力闘争や政略結婚が渦巻く非情な戦国の世にあって、「我が子の輝かしい未来を案じ、その将来を託す母の純粋な愛情」というテーマは、時代や立場を超えて、あらゆる人々の心を打つ。武田家の後継者交代劇の裏にある「父が息子を廃嫡した」という複雑で暗い史実よりも、この普遍的な感情に根差した物語の方が、より強く記憶に残り、語り継がれやすいのである。

歴史を享受する視点

本件は、私たちが歴史と向き合う上で、歴史的事実(ファクト)と、人々が語り継いできた物語(ナラティブ)を区別することの重要性を示唆している。

「諏訪姫の託言」は、史実ではない。しかし、それは武田勝頼という人物の数奇な運命を、後世の人々がどのように受け止め、解釈し、そして記憶してきたかを示す、一つの貴重な「文化的記憶」の産物であると言える。この逸話は、武田信玄と勝頼の関係性を美化し、後継者交代の暗部を覆い隠す機能すら果たしてきた。

歴史の真実を厳密に探求する学術的な視点と、物語を通して歴史上の人々の喜怒哀楽に思いを馳せる文学的な視点。その両方を併せ持つことで、私たちは歴史をより深く、そして豊かに享受することができる。諏訪姫の託言という、史実と創作の交差点に咲いた一輪の花は、私たちにそのことを教えてくれる、絶好の事例と言えるだろう。

引用文献

  1. 建福寺 - DTI http://www.zephyr.dti.ne.jp/bushi/siseki/kenpukuji.htm
  2. 諏訪御料人 https://suwacitymuseum.jp/nandemo/koumoku/1000/100103.htm
  3. 諏訪御料人 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%BE%A1%E6%96%99%E4%BA%BA
  4. 武田信玄 - 長野市「信州・風林火山」特設サイト 川中島の戦い[戦いを知る] https://www.nagano-cvb.or.jp/furinkazan/tatakai/jinbutsu.php.html
  5. 父の仇・武田信玄の側室となった「諏訪御料人(湖衣姫)」は夫を愛したのか? 諏訪氏の血が流れる勝頼の最期 - 歴史人 https://www.rekishijin.com/48291
  6. 苦労人!武田勝頼の前半生~父・信玄のせいで生まれた時から波乱万丈 - 戦国 BANASHI https://sengokubanashi.net/person/takedakatsuyori-half-life/
  7. 武田勝頼 - 長野市「信州・風林火山」特設サイト 川中島の戦い[戦いを知る] https://www.nagano-cvb.or.jp/furinkazan/tatakai/jinbutsu2.php.html
  8. 武田義信 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E7%BE%A9%E4%BF%A1
  9. 武田信玄に逆らった知勇完備の嫡男であり、真の武田家3代目【武田義信】 - 歴史人 https://www.rekishijin.com/39887
  10. 武田義信幽閉事件 - BIGLOBE https://www7a.biglobe.ne.jp/echigoya/key/TakedaYoshinobu~yuuhei.html
  11. 武田家の滅亡の遠因「義信事件」はなぜ起きたのか。戦国時代の家中と家督は難儀なものだった! https://san-tatsu.jp/articles/252892/
  12. 命より、夫との死を選ぶ。19歳で壮絶な最期を迎えた武田勝頼夫人の愛 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/117343/
  13. 武田勝頼の母「諏訪御料人」、いくつもの名を持つ?謎多き女性 - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/2352
  14. 【義信事件】武田の若き御曹司に起きた悲劇(信玄との確執&事件と義信の子孫のその後) https://www.youtube.com/watch?v=S0XM-r3X3-U
  15. 武田信玄が臨終の時に自分の死を3年間伏せるように言ったという逸話の出典を知りたい。 | レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000073055
  16. 歴史・人物伝~エピソード編⑳:諏訪御寮人「謎多き武田勝頼の母」 - note https://note.com/mykeloz/n/nc3b7ffee8611
  17. 風林火山 (小説) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%9E%97%E7%81%AB%E5%B1%B1_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
  18. 『風林火山』風雲を駆ける軍師の魂、戦国の夢を紡ぐ物語|岡田 基俊 @ 読書家 - note https://note.com/mystery_1970/n/n598998925b29
  19. 『風林火山』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター https://bookmeter.com/books/549923
  20. 映画『風林火山』感想―烈しい心理劇|aozora504 - note https://note.com/aozora504/n/n06cde3df55ab
  21. 大河ドラマ 風林火山/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/taiga-list-detaile/furinkazan/
  22. 風林火山 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%9E%97%E7%81%AB%E5%B1%B1_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
  23. 『風林火山』 井上靖 - 新潮社 https://www.shinchosha.co.jp/book/106307/
  24. 義信事件とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E7%BE%A9%E4%BF%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
  25. 今川氏真~はたして愚将だったのか? 相手が強すぎ? 運も悪かった? - WEB歴史街道 https://rekishikaido.php.co.jp/detail/4611
  26. 『今川氏滅亡』氏真は無能だったのか?恐るべき武田信玄、頼りにならない上杉謙信 https://sengokubanashi.net/history/imagawashi-extinction/
  27. 「どうする家康」甲斐の虎・武田信玄は駿河の今川氏真をなぜ攻めたのか? | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/137