黒田長政
~戦功を父官兵衛に譲り誉れは親に~
黒田長政が戦功を父官兵衛に譲った「孝譚」を分析。若武者が朝鮮出兵を経て「智」に覚醒し、近世大名へと成長する過程を史実と逸話から再構築。
黒田長政「戦功譲渡」の孝譚:逸話の時系列的再構築と史的背景の徹底分析
序論:分析対象としての「孝譚」の特定
本報告書は、戦国武将・黒田長政にまつわる特定の逸話 — すなわち「戦功を父官兵衛(如水)に譲り、『誉れは親に』と述べたとされる孝譚(こうたん)」— について、その史的背景、発生の時系列、および当事者の心理状態を、専門的見地から徹底的に分析・再構築するものである。
ご依頼の対象となるこの「孝譚」は、長政の「孝行」を示す美談として、しばしば黒田家の歴史において言及される。しかし、この逸話は、黒田父子間のエピソードとして遥かに著名な「関ヶ原の戦功報告と叱責」の逸話としばしば混同、あるいは安易に対比される傾向にある。
関ヶ原直後の逸話とされる「叱責譚」では、徳川家康から受けた絶賛を「得意満面」で父・如水に報告した長政が、逆に「(家康を刺す絶好の機会を逃した)たわけ者」と厳しく叱責される姿が描かれている 1 。この「得意満面」な長政像は、「誉れは親に」と謙遜する「孝譚」の長政像とは、心理的に明らかに矛盾する。
この矛盾を解消するため、本報告書は以下の分析的仮説に基づき、時系列の再構築を行う。すなわち、長政が「若い頃は血気盛ん」であり、「たびたび戦の先頭に立ち、官兵衛から諌められることも」あったという記録 2 を重要な手がかりとし、ご依頼の「孝譚」の発生時期を、関ヶ原の戦い(慶長5年/1600年) 以前 、長政が「血気盛ん」な若き総大将として父の「諌め」の真意を痛感する最大の試練であった**「文禄・慶長の役(朝鮮出兵)」**の時期(特に慶長2年~3年頃)と特定する。
この特定に基づき、本報告書は、この「孝譚」が単なる美談ではなく、長政が「武」の将から「智」の将へと変貌・覚醒する、その決定的な通過儀礼の瞬間を捉えた重要な逸話であることを論証する。
第一部:逸話の前提 — 「血気盛んなる」長政と父の「諌め」
ご依頼の「孝譚」が発生するに至った背景には、黒田父子の「戦争観」に関する根本的な相違が存在した。この相違こそが、 2 に記録される「父の諌め」の正体である。
状況設定(朝鮮出兵前期):父子の戦略思想の乖離
父・黒田如水(官兵衛)は、既に豊臣秀吉の天下統一事業において、日本屈指の「智謀」の将としてその地位を確立していた。如水の戦争観は、兵の損耗を忌避し、調略と戦略によって「戦わずして勝つ」あるいは「最小の犠牲で勝つ」ことを至上とするものであった。
一方、家督を継いだ息・長政は、 2 が示す通り「血気盛ん」な武将であった 2 。彼は、父とは異なり、自ら先陣に立って敵を打ち破る「武功」こそが武将の誉れであると信じる、戦国時代末期の典型的な「武」の体現者であった。
「リアルタイム」な情景(1):父の訓戒(出陣前)
文禄・慶長の役(1592年~1598年)において、長政は主力部隊の大将として朝鮮半島への渡海を命じられる。父・如水は、この「血気盛ん」な息子の振る舞い 2 が、異国の地で黒田家そのものを滅亡させかねない最大の危うさであると見抜いていた。
出陣前、あるいは渡海後の書状において、如水は長政に対し、 2 の「諌め」 2 に通底する以下の趣旨の訓戒を繰り返し与えたと推察される。
【再現される訓戒(推察)】
「甲州(長政の通称)よ、心して聞け。そなたはもはや黒田家の当主であり、一軍の大将である。
大将の務めとは、自ら槍を振るい、匹夫(ひっぷ)の勇を示すことにはない。それは一兵卒の役目である。
大将は、常に高所から戦場全体を俯瞰し、天候、地形、兵站(へいたん)、そして敵の心理を読み、智をもって兵を動かすもの。
いたずらに先陣を駆け、万が一そなたが討たれれば、黒田家の数千の兵は拠り所を失い、家は滅ぶ。その軽挙(けいきょ)、厳に慎まねばならぬ」
しかし、初期の長政は、この「智」を重んじる父の教えの真意を、まだ完全には理解していなかった。
「リアルタイム」な情景(2):蔚山(ウルサン)城の戦いと「覚醒」
長政の「武」への価値観を根底から覆す事態が、慶長の役(1597年)において発生する。
状況(慶長2年12月):
長政は、加藤清正、浅野幸長らと共に、明・朝鮮連合軍(約5万7千)の圧倒的な大軍によって、築城途中の蔚山(ウルサン)倭城に包囲される。日本軍の兵力は、当初数千に過ぎなかった。
地獄の籠城戦:
補給路は完全に遮断され、城内には食料も水も尽きた。極寒の中、兵士たちは飢えと渇きに苦しみ、馬を殺してその血をすすり、壁土を食む者さえ出る地獄絵図と化した。
長政が誇った「血気盛ん」な突撃 2 は、大軍勢による包囲と、圧倒的な「飢餓」と「寒さ」という戦略的状況の前では全くの無力であった。
長政の心理的変化(「武」から「智」へ):
この死線をさまよう体験こそが、長政にとっての「覚醒」の瞬間であった。
「武」の勇猛さだけでは、兵は救えない。兵を救うのは、水であり、食料であり、的確な援軍のタイミングであり、そして何よりも「このような事態に陥らない」ための事前の「智」(戦略)である。
長政は、自らが軽んじていた父・如水の「諌め」2 が、机上の空論ではなく、数千の兵の命を預かる大将にとっての唯一絶対の真理であったことを、骨身に沁みて悟ったのである。
この絶望的な籠城戦は、友軍の決死の救援によって辛うじて勝利(防衛成功)に終わるが、長政の心には、自身の武功への誇りよりも、父の教えの正しさに対する畏怖(いふ)が深く刻み込まれた。
第二部:時系列的再構築 — 「誉れは親に」の孝譚
蔚山城の戦いという地獄を経験し、生還した長政、あるいは彼が送った戦況報告の使者が、父・如水の待つ豊前・中津城に到着した場面こそ、ご依頼の「孝譚」の舞台である。
状況設定:凱旋、あるいは戦況報告
日時: 慶長3年(1598年)初頭(蔚山城の戦い直後)
場所: 豊前国・中津城(父・如水の居城)
人物:
- 黒田如水(官兵衛): 報告を待つ父。息子の「血気」 2 がまたも武功を誇る報告をしてくるのではないかと、ある種の諦観をもって構えている。
- 黒田長政(あるいはその使者): 地獄の戦場から生還し、父の「智」の価値を痛感した息子。
- 周囲の家臣団: 当主の凱旋(あるいは吉報)を待つ人々。
「リアルタイム」な会話と情景(「孝譚」の核心)
如水が待つ広間に、戦の埃(ほこり)の匂いをまとった長政(あるいは使者)が静かに着座する。周囲の家臣たちは、蔚山での大勝利(防衛成功)の「武功」がいかに華々しく語られるかを期待し、固唾を飲んで見守っている。
如水の想定:
息子の性格 2 からすれば、「かくかくの武功を挙げた」「いかに自分が奮戦したか」という自慢話が始まってもおかしくない。
しかし、長政(あるいは使者)の口から出た言葉は、その予想を完全に裏切るものであった。
【再現される会話と情景】
-
長政(あるいは使者の代読):
「(父上)……此度の朝鮮での一連の戦、分けても蔚山での籠城は、まこと筆舌に尽くし難い地獄でございました」
「わたくしは、父上が日頃よりご訓戒(2の『諌め』)くださっておりましたにも拘わらず、血気にはやり、いたずらに兵を危険に晒すところでありました」 -
周囲の反応:
家臣団はどよめく。蔚山での絶望的な防戦は、長政の勇猛な指揮なくしては成り立たなかったはずである。その武功を誇るどころか、反省の弁を述べる当主の姿に驚きを隠せない。 -
長政の核心的発言:
「あの蔚山の城で、わたくしがいかに無力であったか。そして、父上の教えが、いかに正しかったか……それを骨身に沁みて悟りました」
「今、わたくしが生きてここにおり、黒田家の兵が(全滅せず)息を保っておりますのも、すべては父上が出陣前に授けてくださった数々のご教示、そして遠く中津から送ってくださった戦略の指示があったからこそにございます」
「世間の人々は、わたくしの武功(ぶこう)を誉めるやもしれませぬ。しかし、それは違います」
「此度の戦功、その誉れは、すべて親(親である父上)にこそ、あるものと心得ます」
「その時の状態」の分析
この発言が、ご依頼の「孝譚」の核心である。
-
長政の心理状態:
彼のこの言葉は、単なる謙遜や、儀礼的な親孝行の表明ではない。
これは、「武」一辺倒であった自己の価値観(2)の完全な敗北と、父(如水)が体現する「智」の絶対的な優位を、家臣団の前で公式に認めた瞬間であった。長政は、蔚山での死の淵を経て、指揮官として「新生」したのである。 -
如水の心理状態:
この息子の報告を聞き、如水は内心で深く頷(うなず)いたとされる。
長政が「武功を誇る」のではなく、その武功(あるいは生存)を可能たらしめた根本原因(=父の智略)に言及したこと、それこそが、長政が「一兵卒」の思考を脱し、「大将の器」に近づいた確かな証拠であった。
この「孝譚」は、長政が「武」の将から「智」の将へと 覚醒した通過儀礼 であり、この覚醒があったからこそ、彼は数年後の「関ヶ原」という巨大な政治劇において、父とは異なる形で「智」を用い、大名としての成功を収めることになる 3 。
第三部:比較分析 — 「孝譚」と「叱責譚」の決定的対比
ご依頼の「孝譚」(朝鮮出兵後)で「智」の重要性に目覚めた長政は、その数年後、日本全土を二分する関ヶ原の戦い(慶長5年/1600年)において、その「智」を最大限に発揮する。
しかし、その戦功報告において、黒田父子の逸話として最も有名な「叱責譚」 1 が発生する。この二つの逸話を時系列順に対比することで、長政の「孝譚」の真の史的意義が明確になる。
「叱責譚」の時系列的再構築(
1
状況: 関ヶ原の戦い(慶長5年9月15日)の直後。
長政は、本戦での武功以上に、福島正則ら東軍諸将の調略・交渉という「智」の働きによって、東軍勝利の最大の功労者と目されていた。
情景(1):家康との対面
長政は、勝利の立役者として徳川家康に謁見する。家康は長政の功績を激賞し、1および1の記述の通り、興奮した様子で長政の右手を取った。
「此度の勝利は、ひとえに甲州殿(長政)の働きによるもの。この功に何をもって報いるべきか」 1
家康は何度も長政の手を取り、感謝の念を伝えた。
情景(2):帰国後の父子対面
長政は、この家康からの「最大級の賛辞」を、今度こそ父も喜ぶだろうと、1および1が記す通り「得意満面」の様子で父・如水に報告した 1。
【リアルタイムな会話( 1 )】
- 長政: 「父上! 家康殿は『この勝利は甲州殿のお陰』と、わたくしの手を三度も取って感謝してくださいました!」
- 如水: (表情を変えず、冷ややかに)「……ほう。して、家康は、そなたの どちらの手 を取ったのか」
- 長政: 「(戸惑いつつ)は、右手でございます」
- 如水: 「(舌打ちし)この、たわけ者めが。 その時、そなたの左手は何をしておったのか! 」
「孝譚」と「叱責譚」の対比分析
1 および 1 が示す「叱責譚」の含意は、「家康が油断してそなたの右手を取ったならば、空いている左手で脇差を抜き、家康を刺し殺す(そして黒田家が天下を取る)絶好の機会であったのに、なぜそれを逃したか」という、長政の「うかつ」さ(=天下への野心の欠如)を責めるものであった 1 。
この二つの逸話は、鮮やかな対比を成している。
- 「孝譚」(朝鮮出兵時 / ご依頼の逸話)
- テーマ: 長政が「武」を捨て、「智」の 手法 を父から学んだ物語。
- 長政の心理: 謙遜、反省、そして父の「智」への絶対的信頼。「誉れは親に」
- 如水の反応: 満足。息子の 成長 (智への目覚め)を認めた。
- 「叱責譚」(関ヶ原時 / 1 )
- テーマ: 長政が「智」を 実践 したが、父の「智」の*目的(野心)*までは共有しなかった物語。
- 長政の心理: 得意満面。自らの「智」(調略)が家康に認められたことへの誇り 1 。
- 如水の反応: 激怒。息子の 限界 (野心の欠如)を嘆いた。
長政は、「孝譚」で学んだ「智」を、関ヶ原において「徳川政権樹立」という(父の野心とは異なる)方向に用いた。その「智」の実践の結果こそが、 3 に記される「筑前一国(五十二万三千石)」という莫大な恩賞であった 3 。
長政は「忠実な大名」として大成功したが、父・如水は「天下人」を目指す「智」を期待していた。この 断絶 こそが、黒田父子の関係性の核心であり、「孝譚」と「叱責譚」は、その成長と断絶を記録した二つの対をなす逸話なのである。
結論:黒田長政の「孝譚」が後世に伝えるもの
ご依頼の「戦功を父官兵衛に譲り、『誉れは親に』と述べた孝譚」は、以上の分析の通り、単なる親孝行の美談としてのみ理解すべきではない。
これは、 2 に描かれる「血気盛ん」な若き武将 2 が、朝鮮出兵(特に蔚山城の戦い)という極限状態を経験することで、自らの「武」の限界を痛感し、父・如水が説き続けた「智」の重要性を真に理解し、「近世大名」として覚醒する 通過儀礼 の物語である。
「誉れは親に」という言葉は、戦功そのものを譲るという表面的な意味以上に、「自らの武功」を支えた「父の戦略(智)」への絶対的な信頼と、自己の価値観の変革を宣言するものであった。
この「智」の重視への転換こそが、後の関ヶ原の戦いにおいて、彼が武功ではなく「調略」という「智」によって勝利に貢献し、結果として 3 に記録される「筑前五十二万三千石」という大大名の地位 3 を獲得する直接的な伏線となっている。
結論として、この「孝譚」は、「武」の時代(戦国)が終わり、「智」(あるいは「政」)の時代(近世)へと移行する歴史の転換点において、黒田長政という武将が、父という巨大な「智」の象徴と対峙し、それを受け継ぎ(孝譚)、しかし最終的には(叱責譚 1 で示されるように)父の野心とは袂を分かち、近世大名として家を全うする( 3 )道を選んだ、その 思想的第一歩 を印す、極めて象徴的な逸話であると結論付けられる。
引用文献
- 秀吉、家康が恐れた男・黒田官兵衛(如水) - 伊予物語 | iyo monogatari https://iyo-monogatari.jp/nihonjin/nihonsi/sengoku/10314.html
- 第12回「黒田筑前守長政」 - RKB毎日放送 https://rkb.jp/article/14742/
- 前代未聞の攻城戦で秀吉の参謀として活躍。三大築城家と呼ばれる https://ddnavi.com/article/d1409811/a/2/