最終更新日 2025-05-17

千鳥

戦国を駆け抜けた名香炉「千鳥」―その由来、伝承、そして現代に伝わる姿―

序章:千鳥香炉への誘い

本報告書は、日本の戦国時代において特に珍重された「千鳥」と称される香炉について、その名称の由来、形態的特徴、製作の背景、歴史的変遷、関わった人物、現存する作例、そして美術史における意義を多角的に調査し、詳述することを目的とする。特に、この香炉が辿った伝世の経緯やそれにまつわる数々の逸話を通じて、当時の武将や茶人たちが抱いた美意識、さらには香炉という器物が果たした文化的な役割を明らかにすることを目指す。調査にあたっては、関連する古文献、学術的研究論文、各美術館が公開する収蔵品情報などを参照し、客観的な記述を心がけるものとする。専門的な用語については、必要に応じて解説を加えることで、幅広い読者層の理解を助けることを期す。

本報告書で扱う「千鳥」香炉には、特定の固有名詞として知られる「銘 千鳥」と、同様の形状的特徴を有する一群の香炉、いわゆる「千鳥形」と呼ばれるものが存在する。本報告書では、主に前者、とりわけ歴史的に著名な伝世品を中心に据えつつ、後者についても言及し、両者の関係性やそれぞれの価値についても考察を深めていく。この区別を明確にすることは、千鳥香炉をめぐる議論の混乱を避け、その多面的な理解を促す上で不可欠である。一つの工芸品である千鳥香炉が、戦国という激動の時代の中で、政治、文化、そして個人の美意識とどのように交錯し、なぜこれほどまでに多くの著名な人物の手に渡り珍重されたのか、その背景にある社会的・文化的な要因を探求する。さらに、この香炉にまつわる伝説や逸話が、後世の美術品評価や物語の創作にどのような影響を与えた可能性についても考察を試みる。

第一章:「千鳥」の名の由来と形状の妙

「千鳥」という優美な名称は、この香炉の持つ独特な形状と、それから想起される詩的な情景に深く根差している。その名は、単なる識別のための符号を超え、香炉の美的特質と文化的背景を豊かに物語る。

  • 名称の起源:「千鳥」が意味するもの
    香炉の名称「千鳥」の由来については、いくつかの説が伝えられているが、最も一般的に受け入れられているのは、その形状、特に三本の足のあり方に着目したものである。香炉本体の中央に位置する高台が、香炉の縁よりも高く作られているため、縁に取り付けられた三本の足先が僅かに浮き上がり、あたかも千鳥が水辺で片足を上げて静かに佇む姿や、あるいは酒に酔って足元がおぼつかない「千鳥足」を想起させることから、「千鳥」あるいは「千鳥形」と名付けられたとされる 1。『遠碧軒記』には、足が紙一枚通るほど僅かに上がっている様を指して「千鳥手」と呼ぶという説が記されており、これが最も妥当であろうとも言われている 4。この微細な浮き上がりこそが、「千鳥」の名の核心的な由来であり、視覚的な特徴を捉えた命名と言えよう。
    さらに、この名称には茶人・千利休の関与を示唆する逸話も存在する。『洗心録』によれば、利休が新たに入手した青磁の香炉を眺め、その妻である宗恩と同感し、千鳥足に似た不揃いの足を一分だけ切ることに決め、これに「千鳥の香炉」の名を与えたと伝えられている 4 。この逸話は、名称が単に器物の形状を客観的に描写するだけでなく、特定の人物、それも当代随一の茶人の美的判断や作為、そしてそれにまつわる物語性と結びつくことで、より深い文化的含意を帯びるに至った可能性を示唆している。つまり、「千鳥」という名は、形状からの自然な連想と、利休のような文化の担い手による積極的な意味付けという、二つの側面から成立したと考えられる。
  • 器形の特徴:青磁の気品と機能美
    「千鳥」と称される香炉は、その多くが中国南宋時代の龍泉窯で焼成された青磁製品であり、中でも「砧青磁(きぬたせいじ)」と呼ばれる格調高い作例が知られている 5。砧青磁は、透明感のある澄んだ青緑色の釉薬が厚く施され、その表面には貫入(かんにゅう)と呼ばれる細かいヒビが一面に現れるのが特徴で、これが独特の深みと気品を醸し出している 3。この美しい釉調は、当時の日本の茶人や武将たちを魅了した大きな要因の一つであった。
    形状としては、円筒形の胴部に三つの獣足または単純な棒状の足が付くのが基本形である 6 。胴部には、しばしば数段の横筋(堆線または弦文とも呼ばれる)がリズミカルに巡らされており、これが釉薬の濃淡を生み出し、端正な器形に変化と視覚的なアクセントを与えている 2 。例えば、山形県指定文化財となっている本間美術館保管の「砧青磁千鳥香炉」は、上にわずかに広がる筒型の胴に、上部に二段、中部には三段の横筋が施され、これが釉色に美しい濃淡をもたらし、端正な美しさの中に変化を添えていると評されている 5
    多くの場合、これらの香炉には蓋が付属し、その蓋の頂部に設けられた鈕(ちゅう、つまみ)に千鳥の意匠が施されることがある。特に、徳川美術館が所蔵する「青磁香炉 銘 千鳥」の蓋に見られる銀製の千鳥の鈕は、室町時代の高名な金工師である後藤祐乗(ごとうゆうじょう)の作と伝えられており、香炉本体の価値を一層高める要素となっている 6
    そして、「千鳥」の名の由来ともなった三つの足が浮き上がるという特徴は、香炉本体の中央底部に設けられた、実際に器体を支えるための高台によって実現されている 1 。この構造により、装飾的な三足が宙に浮いたような軽やかな印象を与え、同時に熱を効果的に逃がす、あるいは香炉全体の安定性を高めるといった機能的な側面も持ち合わせていた可能性が考えられるが、資料からは主に意匠的な面白さが強調されている。このように、「千鳥」香炉は、素材の美しさ、洗練された造形、そして機能性が高度に融合した美術工芸品であったと言える。その価値の源泉の一つは、素材である「砧青磁」という、当時既に高級品としての評価が確立していたブランド力にあったことも見逃せない 7

第二章:千鳥香炉の誕生と海を渡るまで

「千鳥」香炉の物語は、遠く中国大陸の南宋時代にその源を発する。そこで生み出された青磁の器は、やがて海を渡り、日本の地で新たな価値と歴史を纏うことになる。

  • 製作地と年代:中国南宋時代の龍泉窯
    現存する主要な「千鳥」香炉、あるいは「千鳥形」と称される香炉の多くは、13世紀の中国・南宋時代に浙江省にあった龍泉窯(りゅうせんよう)で製作された青磁であると鑑定されている 9。例えば、東京国立博物館が所蔵する「青磁千鳥香炉」(作品番号TG-2166)は、その作者を中国・龍泉窯、時代を南宋時代・13世紀と明記しており 12、徳川美術館所蔵の「青磁香炉 銘 千鳥」も同様に中国龍泉窯で製作された砧青磁の香炉であると解説されている 10。
    龍泉窯は、中国陶磁史において青磁の主要な生産地として名高く、特に南宋時代にはその技術が頂点に達し、卓越した品質の青磁を大量に生産した。これらの製品は中国国内のみならず、日本をはじめとする東アジア、さらには東南アジアや中近東にまで広く輸出され、国際的に高い評価を得ていた 7 。日本にもたらされた龍泉窯青磁の中でも、特に粉青色(ふんせいしょく)や梅子青(ばいしせい)と称される美しい釉調を持つ優品は「砧青磁」と呼ばれ、至上のものとして珍重された。
  • 日本への伝来と初期の受容:舶載美術品としての価値
    鎌倉時代から室町時代にかけて、日本と中国(宋・元・明)との間では活発な貿易が行われ、禅僧や商人たちによって多くの中国美術工芸品が日本にもたらされた。龍泉窯の青磁もその重要な輸入品の一つであり、当初は主に禅宗寺院において仏具として、あるいは武家や公家の邸宅において書院を飾るための道具として用いられたと考えられる 2。これらの舶載品は「唐物(からもの)」と総称され、当時の日本社会において最新の文化や洗練された趣味の象徴として極めて高く評価された。
    室町時代に入り、足利将軍家を中心に書院飾りの文化が発展し、さらに茶の湯(当時は「茶寄合」や「闘茶」などとも呼ばれた)が流行するにつれて、これらの唐物青磁は茶席においても重要な役割を担うようになる。特に香炉は、茶会の空間を清め、香を楽しむという目的だけでなく、茶道具組物の一つとして、また床の間を飾る美術品として鑑賞の対象となった 11 。千鳥香炉のような優れた青磁香炉は、その美しい姿と希少性から、次第に茶人たちの間で特別な価値を持つものとして認識され、選び抜かれていったのである。
    龍泉窯の青磁器は、元々は中国で生産され、広範囲に流通した国際的な交易品であった。しかし、日本においては、特に茶の湯という独自の文化的土壌の中で、単なる輸入品を超えた特別な価値、すなわち「名物(めいぶつ)」としての価値を付与されていく。この価値の転換の過程は、外来の文化を積極的に受容し、それを自国の美意識や価値観に基づいて再解釈し、新たな創造へと昇華させるという、日本文化の特質を鮮やかに示している。千鳥香炉もまた、そのようなプロセスを経て、日本の美術史、特に茶道文化史において不動の地位を築くに至ったのである。この「唐物崇拝」とも言える風潮は、日本の美術工芸品に対する評価基準や美意識の形成に大きな影響を与え、千鳥香炉が珍重された背景には、こうした時代の文化的潮流が存在した。

第三章:戦国乱世を彩った名宝 ― 武将と茶人たちの物語

「千鳥」香炉は、その美術的価値もさることながら、戦国時代から江戸時代初期にかけて、当代一流の武将や茶人たちの手を渡り歩き、数々の興味深い逸話を生み出したことで知られている。これらの物語は、香炉に一層の魅力と歴史的な深みを与え、その名を不朽のものとした。

  • 武野紹鷗:初期の所持者としての可能性
    「千鳥の香炉」の初期の所持者として、しばしばその名が挙げられるのが、わび茶の祖とも称される茶人・武野紹鷗(たけのじょうおう)である。『古今名物類聚』をはじめとする江戸時代の名物記には、後に豊臣秀吉や徳川家康の手に渡ったとされる「千鳥の香炉」を、紹鷗が所持していたとの記述が見られる 6。紹鷗は千利休の師としても知られ、彼の美意識は後の茶道に大きな影響を与えた。もし紹鷗がこの香炉を愛蔵していたとすれば、その美的価値が早くから茶人たちの間で高く評価されていたことを示す証左となる。
  • 織田信長:天下人の蒐集
    戦国の覇者・織田信長もまた、「千鳥の香炉」と縁があった可能性が指摘されている。太田牛一が著した『信長公記』巻八には、天正三年(1575年)三月十六日の条として、今川氏真が信長に種々の品を献上した際に、「千鳥の香炉」と「宗祇香炉」を進上したが、信長は「宗祇香炉」は返却し、「千鳥之香炉」は手元に留め置いた、との趣旨の記述が見られる 6。信長は茶の湯を政治的に利用し、各地の名物茶道具を積極的に収集したこと(いわゆる「名物狩り」)で知られており 16、彼が「千鳥の香炉」を所持したとすれば、それは彼の強大な権力と洗練された文化的関心を示す一端と言えよう。
  • 豊臣秀吉と石川五右衛門 ― 真偽の狭間の伝説
    「千鳥の香炉」にまつわる逸話の中で、最も広く知られているのが、大盗賊・石川五右衛門と豊臣秀吉を巡る物語であろう。この伝説によれば、文禄年間(1592-1596年)、五右衛門が伏見城にいる秀吉の寝所に暗殺もしくは盗みの目的で忍び込んだ際、枕元に置かれていた「千鳥の香炉」の蓋に取り付けられた千鳥の飾りが突如として鳴き声を上げ、そのために五右衛門は発見され捕縛されたというものである 8。この劇的な逸話は、香炉に神秘的な力を付与し、その名声を飛躍的に高めた。
    しかしながら、この有名な逸話の史実性については、慎重な検討が必要である。徳川美術館は、同館が所蔵する「青磁香炉 銘 千鳥」について、「豊臣秀吉含め、徳川家康以前の所有者については未詳となっています」との見解を示しており 21 、秀吉の所持自体が確実ではないことを示唆している。この種の逸話は、江戸時代に成立した「実録本」と呼ばれる読み物や、歌舞伎などの演劇を通じて広まったと考えられており、その初出は安永年間(1772-1781年)以前に遡るとされる 22 。史実としての裏付けは乏しいものの、この伝説は「千鳥の香炉」を語る上で欠かせない要素となっている。
  • 仙石秀久 ― 褒美として与えられた香炉
    上記の石川五右衛門捕縛の伝説に付随して語られるのが、武将・仙石秀久(せんごくひでひさ)と「千鳥の香炉」の関わりである。五右衛門が香炉の知らせによって発見された際、最初に駆けつけて五右衛門を捕縛したのが仙石秀久であり、その功績に対する褒美として、秀吉からこの「千鳥の香炉」を拝領したと伝えられている 18。この逸話が事実であれば、「千鳥の香炉」が武功の証として武士に下賜された具体例となり、その価値の高さを示すものとなる。しかし、秀吉の所持自体に疑問符が付く以上、この褒美の逸話もまた、伝説の域を出ない可能性が高い。
  • 千利休 ― 茶の湯の巨匠と香炉を巡る逸話
    茶の湯の大成者である千利休もまた、「千鳥の香炉」あるいは同種の香炉と深く関わったとされる逸話が複数伝えられている。
    一つは、利休が新たに入手した青磁香炉の不揃いな足を、妻の宗恩と相談の上で切り揃え、「千鳥の香炉」と名付けたという前述の物語である 4。これは、利休の鋭い審美眼と、道具に対する積極的な「見立て」や「作りなし」の精神を示す逸話として興味深い。
    また、より有名なのは、細川幽斎(ゆうさい、藤孝)と蒲生氏郷(がもううじさと)を招いた茶会での出来事である。茶事が終わり、客が立とうとした際に、氏郷が利休が近頃入手したと噂の「千鳥の香炉」を拝見したいと申し出た。利休は一旦席を外し、香炉を手に戻ると、中の灰をざっと捨て、無造作に転がして客に見せたという。氏郷が言葉を失う中、正客であった幽斎はにこやかに「清見潟(きよみがた)の心ですな」と応じた。利休も「いかにも。仰せのごとく」と答えたというこの逸話は 24 、順徳院の和歌「清見潟 雲も迷わぬ 浪の上に 月の隈(くま)なる 群千鳥かな」を踏まえたもので、茶会の終わりに予定外の所望をされたことへの利休の不快感(千鳥=邪魔者)と、それを即座に読み解いた幽斎の教養の深さを示すものとして解釈されることが多い 24 。この逸話は、茶道具が単なる美術品ではなく、和歌や禅の精神といった高度な文化的背景を共有する者たちの間で、深い精神的なコミュニケーションの媒体となり得たことを鮮やかに示している。
    さらに、利休が雪の降る暁に茶人・藪内紹智(やぶのうちじょうち)の庵を訪れた際、互いに懐から火の入った香炉(これが「千鳥の香炉」であったかは明記されていない)を取り出して交換し合い、互いの心遣いに深く感じ入ったという心温まる逸話も伝えられている 25。
    これらの逸話が、徳川美術館所蔵の「青磁香炉 銘 千鳥」そのものを指すのか、あるいは利休が所持していた別の同種の香炉を指すのかは必ずしも明確ではないが 2、「千鳥」という名の香炉が利休の周辺で語られていたことは確かであろう。
  • 徳川家康と尾張徳川家への伝来
    数々の逸話に彩られた「千鳥の香炉」は、やがて徳川家康の手に渡ったと多くの資料で伝えられている。そして、家康の死後、慶長二十年(1615年)の元和偃武を経て、その遺産が分配された際(いわゆる駿府御分物(すんぷおわけもの))、この香炉は尾張徳川家の初代藩主である徳川義直に分与されたとされる 6。これが、現在、徳川美術館が所蔵する「青磁香炉 銘 千鳥」の基本的な伝来として広く認識されている。この伝来は、「千鳥の香炉」が武野紹鷗や千利休といった茶の湯の宗匠から、織田信長、豊臣秀吉といった天下人を経て、最終的に徳川将軍家の一翼を担う大名家へと受け継がれたことを意味し、その権威性と歴史的価値を不動のものとしたと言える。
    これらの逸話の多くは、その史実性を厳密に証明することが困難なものも含まれる。しかし、真偽を超えて、これらの物語が「千鳥の香炉」に多層的な意味を与え、人々の記憶に深く刻み込む役割を果たしたことは間違いない。香炉は、それを手にした人々の権力、美意識、そして時には人間的な葛藤までも映し出す鏡のような存在として、歴史の中を旅してきたのである。所有者の変遷は、そのまま当時の権力構造と文化のヒエラルキーを反映しているとも言え、一つの香炉がこれほどまでに多くの歴史上の重要人物と結びつけられること自体が、その並外れた価値を物語っている。

表:「千鳥」香炉にまつわる主要人物と関連年表

年代(推定含む)

関連人物

出来事(香炉の入手、逸話の発生、譲渡など)

関連史料・伝承

室町時代後期~戦国時代

武野紹鷗

所持

『古今名物類聚』など 6

天正3年(1575年)

織田信長、今川氏真

今川氏真より献上され、信長が所持

『信長公記』 6

文禄年間(1592-1596年)

豊臣秀吉、石川五右衛門

五右衛門が秀吉の寝所に忍び込んだ際、千鳥の香炉が鳴いて知らせ、捕縛される(伝説)

江戸時代成立の実録本、歌舞伎など 18

文禄年間(1592-1596年)

仙石秀久、豊臣秀吉

五右衛門捕縛の功により、秀吉から褒美として拝領(伝説)

諸伝承 18

天正年間(1573-1592年)

千利休

青磁香炉の足を調整し「千鳥の香炉」と命名(逸話)

『洗心録』 4

天正年間(1573-1592年)

千利休、細川幽斎、蒲生氏郷

茶会にて、氏郷の所望に対し利休が香炉を無造作に扱い、幽斎がその意図を和歌で読み解く(逸話)

諸茶話集 24

慶長年間(1596-1615年)

徳川家康

秀吉(またはそれ以前の所持者)から入手し所持

『古今名物類聚』など 6

元和年間(1615年~)

徳川義直(尾張徳川家初代)

家康死後、駿府御分物として分与される

尾張徳川家伝来 6

江戸時代中期(安永期以前)

石川五右衛門と千鳥の香炉の逸話が実録本などで成立・流布

『石川五右衛門実記』など 22

(注:上記年表は伝承や逸話に基づく部分が多く、必ずしも全てが確定された史実ではありません。)

第四章:現存する千鳥香炉 ― その姿と守り伝えられた価値

戦国乱世を駆け抜け、数々の逸話に彩られた「千鳥」の名を持つ香炉は、幸いにも幾つかの作例が今日まで伝えられている。これらは、美術館等で大切に保管・展示され、その美しさと歴史的価値を現代に伝えている。

表1:主要な現存「千鳥」香炉一覧

名称(よみがな)

所蔵場所

製作年代・製作地

材質・技法

寸法(高さ、口径など)

文化財指定(指定区分、指定年月日)

主な特徴・伝来の概要

関連資料例

青磁香炉 銘 千鳥(せいじこうろ めい ちどり)

徳川美術館(愛知県名古屋市)

中国 南宋時代(13世紀)・龍泉窯

砧青磁

高6.4cm、口径9.1cm

(国宝・重文指定なし、ただし「大名物」)

胴に三段の横筋。蓋の千鳥鈕は後藤祐乗作と伝。武野紹鷗、秀吉、家康を経て尾張徳川家へ伝来と伝える。石川五右衛門伝説と結びつく。

6

青磁千鳥香炉(せいじちどりこうろ) TG-2166

東京国立博物館(東京都台東区)

中国 南宋時代(13世紀)・龍泉窯

青磁

高9.6cm、口径13.7cm、底径7.0cm

(特になし)

三足香炉。「口寄香炉」とも。釉の美しさが格別で、かつて南宋官窯作とも。昭和22年広田松繁氏寄贈。

12

砧青磁千鳥香炉(きぬたせいじちどりこうろ)

本間美術館保管(山形県酒田市、個人所有)

中国 南宋時代(13世紀)・龍泉窯

砧青磁

高6.3cm、口径8.8cm

山形県指定文化財(工芸品)、昭和28年8月31日指定

三足が浮く千鳥形。胴に横筋。銀菊透かし蓋添う。砧青磁千鳥香炉の代表的優品。尾張徳川家伝来品を本歌として比較される。

5

(その他「千鳥形」香炉)

各所(例:旧前田家伝来品など)

主に中国 南宋時代・龍泉窯

青磁

(作品により異なる)

(作品により異なる)

徳川美術館の「銘 千鳥」を規範としつつ、同様の形状的特徴(三足が浮くなど)を持つ一群の香炉。堀家旧蔵品などの存在も記録される。

2

  • 徳川美術館所蔵「青磁香炉 銘 千鳥」
    愛知県名古屋市に在る徳川美術館が所蔵する「青磁香炉 銘 千鳥」は、数ある千鳥香炉の中でも最も著名であり、「大名物」としての誉れ高い逸品である 20。中国南宋時代(13世紀)に龍泉窯で焼かれた砧青磁で、高さ6.4cm、口径9.1cmの小ぶりながらも気品に満ちた姿をしている 8。その特徴は、円筒形の胴部に巡らされた三段の横筋(堆線)と、僅かに浮き上がった三つの足、そして室町時代の金工師・後藤祐乗の作と伝えられる蓋の銀製千鳥の鈕にある 6。明時代の堆朱輪花形の美しい台が付属することも、この香炉の格の高さを物語っている 10。
    伝来については、武野紹鷗から豊臣秀吉、徳川家康へと渡り、家康の死後、駿府御分物として尾張徳川家初代藩主・徳川義直に分与されたと広く伝えられている 6。しかし、徳川美術館自身は、豊臣秀吉を含め、徳川家康以前の所有者については未詳であるとの慎重な見解を示している点は留意すべきである 21。石川五右衛門の伝説と最も強く結びついているのもこの香炉であるが、その史実性についても同様に確証はない。文化財としての国宝や重要文化財の指定は受けていないものの、「大名物」としての評価は極めて高く、日本の茶道文化史において特別な位置を占めている。この香炉は、徳川美術館が発行した図録『香(かおり)の文化』にも掲載され、その詳細が解説されている 6。
  • 東京国立博物館所蔵「青磁千鳥香炉」(TG-2166)
    東京国立博物館が所蔵する「青磁千鳥香炉」(作品番号TG-2166)もまた、南宋時代・13世紀の龍泉窯で製作された優れた青磁香炉である 12。高さ9.6cm、口径13.7cmと、徳川美術館のものよりやや大きい 12。三つの足を持つこの形式の香炉は、日本では「千鳥」あるいは「口寄香炉(くちよせこうろ)」と呼ばれ珍重されてきた 12。この香炉は、釉薬の美しさが格別であり、かつては郊壇下(こうだんか)に先駆ける南宋「修内司官窯(しゅうないしかんよう)」の作ではないかと考えられたこともあるほど評価が高い 12。昭和22年(1947年)に、著名な古美術蒐集家である広田松繁(号・不孤斎)氏によって同館に寄贈されたものである 12。それ以前の伝来については詳細は不明であるが、南宋龍泉窯の優品として美術史的価値は非常に高い。
  • 本間美術館所蔵「砧青磁千鳥香炉」
    山形県酒田市に在る本間美術館が保管する(所有者は個人)「砧青磁千鳥香炉」は、昭和28年(1953年)8月31日に山形県の指定文化財(工芸品)に指定された優品である 5。これも中国南宋時代の龍泉窯で焼かれた砧青磁で、高さ6.3cm、口径8.8cmと比較的小ぶりな作である 5。三つの足が浮き上がる「千鳥」の名で呼ばれる典型的な形式を持ち、筒型の胴には上部に二段、中部には三段の横筋が施され、これが釉色に濃淡を与え、端正な美しさの中に変化を添えている 5。銀製の菊透かし彫りの蓋が付属している。伝来の詳細は不明ながら、伝世品であり、砧青磁の千鳥形香炉を代表する優品の一つとされ、尾張徳川家伝来の「青磁香炉 銘 千鳥」を本歌(ほんか、規範となる作品)として比較されるほどの高い評価を受けている 5。釉色は淡青と青緑の中間のような落ち着いた発色で、釉が薄く均一にかかり、斑のない見事な焼き上がりと評されている 5。口縁に残る擦れ疵は、長年愛用されてきた香炉であることを物語っている 5。
  • その他の「千鳥形」香炉と文化財としての評価
    上記の三点の他にも、「千鳥」の名で呼ばれる、あるいは類似の形状を持つ青磁香炉は複数現存している。江戸時代の名物記である『玩貨名物記』には、「千鳥なる青磁聞香炉二つありて、一は尾張様(尾張徳川家)、一は堀美作殿(堀直寄か)」との記述があり 4、徳川家以外にも著名な「千鳥」香炉が存在したことが窺える。この堀家旧蔵品は、後に加藤正治家に伝来したとも言われている 4。また、前田家に伝来したとされる「千鳥香炉」も存在し、これは元々、堀秀政、さらにその前は越前朝倉氏の重臣であった青木景康が所持していた可能性が指摘されている 2。
    これらの香炉は、その独特の形状的特徴、すなわち円筒形の胴に三つの足が付き、その足が僅かに浮き上がっている点から、「千鳥形」あるいは「千鳥手」と総称され、茶の湯の世界では一つの類型として認識されてきた 1 。徳川美術館の「銘 千鳥」は、その中でも特に由緒と物語性に富み、固有名詞を持つ「大名物」として別格の扱いを受けるが、他の「千鳥形」香炉もまた、南宋時代の龍泉窯で製作された質の高い青磁器であり、それぞれが独立した美術的価値と歴史的背景を有している。これらの香炉が美術館に収蔵され、文化財として指定されることは、それらが単なる古道具ではなく、地域社会や国にとって保護し、後世に伝えていくべき貴重な文化遺産として認識されていることを示している。そして、美術館における展示や研究は、これらの文化遺産の価値を再発見し、未来へと継承していく上で極めて重要な役割を担っている。

第五章:千鳥香炉の美術史的意義と茶の湯における存在

「千鳥」香炉は、単に美しい美術工芸品であるに留まらず、日本の美術史、特に戦国時代から江戸時代初期にかけての茶の湯文化において、多層的な意義を持つ存在であった。その価値は、素材の良さ、形状の妙、そして何よりもそれにまつわる人々の物語と時代の精神性を反映している点にある。

  • 「大名物」としての格式と美意識:「唐物」尊重の文化
    特に徳川美術館所蔵の「青磁香炉 銘 千鳥」は、茶道具の格付けにおいて最高位の一つである「大名物(おおめいぶつ)」として知られている 6。この格付けは、香炉そのものの美術的完成度の高さに加え、武野紹鷗、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった歴史上の重要人物が所持したとされる由緒ある伝来によって、一層権威づけられた結果である。「青磁の色の深みと肌の質感は、これぞ大名物と呼ぶにふさわしい時代物で、ただただ見入るばかりでした」という言葉は 6、その圧倒的な存在感と美的価値を端的に示している。
    戦国時代から江戸時代初期にかけて、茶の湯の世界では中国渡来の美術品、すなわち「唐物」が至上のものとして尊重される風潮があった 11 。「千鳥」香炉もまた、この唐物尊重の文化を象徴する代表的な作例の一つであり、当時の支配階級や茶人たちの美意識を色濃く反映している。その評価は、砧青磁特有の深みのある釉調、洗練された器形、そして何よりも名だたる武将や茶人たちがこの香炉を求め、愛蔵したという来歴によって、重層的に形成されていったのである。
  • 戦国時代の茶の湯における香の役割と香炉
    戦国時代の茶の湯において、香は極めて重要な役割を果たした。香を焚くことは、茶室という非日常的な空間をさらに清浄にし、客人の精神を集中させ、茶会全体の雰囲気を厳粛かつ雅やかなものへと高める効果があった 17。香炉は、仏画や花瓶(花入)と共に「三具足(みつぐそく)」の一つとして、床の間や書院の中心的な飾りとしても用いられた 14。
    香炉は単に香を焚くための実用的な道具であるだけでなく、茶席においてはそれ自体が鑑賞の対象となる重要な「道具」の一つであった 28 。亭主は香炉の選択を通じて自らの趣味や教養、美意識を表現し、客人はそれを鑑賞することで亭主の心映えを読み取ろうとした。千利休と細川幽斎、蒲生氏郷の茶会での逸話 24 に見られるように、一つの香炉を介して、和歌の教養や禅的な精神性に基づいた高度な知的コミュニケーションが交わされることもあった。このように、香炉は茶の湯の精神性を体現する器物として、特別な意味を担っていたのである。
  • 権力と教養の象徴として
    織田信長や豊臣秀吉といった天下人たちは、名物と呼ばれる茶道具を積極的に収集し、それらを自らの権威の象徴とした。これらの名物は、功績のあった家臣への褒賞として下賜されたり、外交儀礼の際の贈答品として用いられたりすることもあった 16。このようにして、名物茶道具は政治的なツールとしての側面も持つようになった。
    「千鳥の香炉」が、信長、秀吉、家康といった当代の最高権力者の手を経た(あるいは、そう伝えられた)という事実は、この香炉が単なる美しい美術品を超え、権力と富、そして高度な文化的教養を併せ持つ者のみが所有し得る、一種のステータスシンボルとしての意味を帯びていたことを物語っている。当時、伽羅や沈香といった貴重な香木そのものもまた権力の象徴とされ、例えば正倉院宝物の名香「蘭奢待(らんじゃたい)」は、足利義政、織田信長、明治天皇といった時の権力者によって切り取られたことが知られている 17 。貴重な香を焚くための器である香炉もまた、同様の権威性を纏っていたと考えられる。
    「千鳥」香炉の価値は、このように、①素材(砧青磁)、②形状(千鳥形)、③製作技術(龍泉窯)、④伝来(著名な所有者)、⑤逸話(物語性)、⑥茶の湯における役割、⑦権力の象徴性といった、複数の要素が複雑に絡み合い、相互に影響し合うことで形成されてきた。中国で生まれた美術品が日本に渡り、日本の独自の美意識、特に「わび・さび」を基調とする茶の湯の美学の中で再解釈され、新たな価値を付与された典型例として、「千鳥」香炉は戦国時代という激動の時代を生きた人々の精神性や価値観を映し出す鏡のような存在であり、単なる美術品を超えた歴史的アイコンとしての意味を持つに至ったのである。

終章:千鳥香炉が現代に語りかけるもの

本報告書を通じて、「千鳥」と称される香炉が、その優美な名称と独特の形状、中国南宋時代の龍泉窯における誕生から、戦国時代の武将や茶人たちの手を経て数々の逸話をまとい、今日に伝えられるまでの軌跡を明らかにしてきた。この香炉は、単に香を焚くという実用的な機能を超え、時代の美意識、権力構造、個人の精神性、そして後世に語り継がれる豊かな物語性を凝縮した、類稀な文化遺産であると言える。

数世紀の時を超えて現代にその姿を留める「千鳥」香炉は、私たちに多くのことを語りかける。それは、戦国という激動の時代を生きた人々の息吹であり、彼らが追い求めた美への探求心であり、そして一つの器物に込められた物語が持つ力である。中国で生まれ育まれた工芸品が、日本という異なる文化土壌に移植され、茶の湯という独自の精神文化の中で新たな価値を見出され、変容を遂げていった過程は、日本文化が持つ受容と創造のダイナミズムを象徴している。

「千鳥」香炉のような貴重な文化遺産を、美術館における適切な保存と公開、学術的な調査研究、そして本報告書のような形での情報発信を通じて、次世代へと確実に継承していくことの重要性は論を俟たない。未だ解明されていない伝来の空白期間や、数々の逸話の史実性のさらなる検証など、今後の研究によって新たな事実が明らかになる可能性も残されている。関連する考古学的発見や新たな文献資料の分析が進むことで、「千鳥」香炉、ひいては戦国時代の美術工芸品や茶道文化に対する私たちの理解は、より一層深まることであろう。

「千鳥」香炉の物語は、一つの工芸品が時代を超えて多くの人々に影響を与え、多様な意味を纏っていく「モノが語る歴史」の普遍性を示している。それはまた、歴史的価値の高い美術品をどのように保護し、同時に現代の人々がその価値を享受し、未来へと繋いでいくかという、文化財保護と活用のあり方についても、私たちに問いを投げかけている。この小さな香炉が内包する豊かな歴史と文化の奥行きは、これからも多くの人々を魅了し続けるに違いない。

引用文献

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  2. 第57号 - 遠山記念館 https://www.e-kinenkan.com/tayori/vol57.pdf
  3. NHK「へうげもの」名品名席より『青磁香炉「千鳥」』 | 三十路女のヤマトナデシコな日々 - 楽天ブログ https://plaza.rakuten.co.jp/ming375ming/diary/201201200000/
  4. 千烏の香炉 ちどりのこうろ - 鶴田 純久の章 https://turuta.jp/story/archives/9739
  5. 砧青磁千鳥香炉 (きぬたせいじちどりこうろ) - 山形県 https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1376
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  30. 香の歴史 - 株式会社 山田松香木店|江戸時代から続く京都の老舗香木専門店 https://yamadamatsu.co.jp/knowledge/history/