最終更新日 2025-08-11

四季花鳥図

狩野元信筆「四季花鳥図」は、戦国時代に大徳寺大仙院を飾った襖絵。和漢融合様式で理想郷を表現。戦国武将の癒しと権威の象徴として機能し、時代の精神性を映す美の秩序を築いた。
四季花鳥図

狩野元信筆「四季花鳥図」の総合的考察 —戦国時代の視点から—

序章:戦国乱世における美の殿堂 — 大徳寺大仙院の創建

応仁の乱(1467-1477)以降、日本社会は旧来の権威が失墜し、下克上が横行する未曾有の動乱期、すなわち戦国時代へと突入した。明日をも知れぬ命のやり取りが日常となる一方で、この時代は新たな文化が勃興し、力強いエネルギーをもって花開いた時代でもあった。その渦中、永正6年(1509年)、京の紫野に一つの禅刹が創建された。大徳寺の塔頭、大仙院である 1 。本報告書は、この大仙院の創建当初の姿を飾った狩野元信筆「四季花鳥図」襖絵(現・重要文化財)を主題とし、それが生まれた「戦国時代」という特異な時代の精神性をいかに映し出しているかを、多角的に解明することを目的とする。

大仙院を開いたのは、大徳寺第76世住持を務めた臨済宗の名僧、古岳宗亘(こがくそうこう、1465-1548)であった 2 。古岳は後柏原天皇や後奈良天皇からも帰依を受けるほどの高僧であり、中央の権力層と深い繋がりを持っていた 4 。大仙院は、この古岳が住持を退いた後の隠居所として建立されたものであり、その空間を飾る障壁画群の制作は、彼の思想と美意識を色濃く反映した一大事業であったと考えられる 5

この創建を経済的に支えたパトロンは、近江の守護大名であった六角政頼であり、古岳宗亘は政頼の実子であった 2 。この事実は、大仙院の創建が単なる一僧侶の宗教的営為に留まらない、より大きな社会的・文化的文脈の中に位置づけられるべきことを示唆している。戦国時代の武将たちにとって、禅宗は単なる信仰の対象ではなかった。いつ命を落とすとも知れぬ過酷な現実を生きる彼らにとって、自らの精神を律し、生死を超越した境地を目指す禅の教えは、何よりの精神的支柱であった 7 。その質実剛健な気風は武士の精神性と深く共鳴し 10 、武田信玄や今川氏をはじめとする多くの戦国大名が、臨済宗の寺院を庇護し、菩提寺としていたのである 8

したがって、六角氏による大仙院の創建は、宗教的な帰依の念の発露であると同時に、高度な文化的戦略であったと解釈できる。武力による覇権争いが激化する中で、有力な戦国大名は、武力のみならず「文化力」によって自らの権威を正当化し、その威光を天下に示そうとした。大仙院には、日本最古の方丈建築(国宝) 1 、禅院式枯山水庭園の最高傑作と称される石庭(特別名勝) 1 、そして当代一流の画家たちによる障壁画群といった、当時の最高水準の文化遺産が集積された。これは、大仙院が混沌とした俗世から切り離された精神的な「聖域」であると同時に、パトロンである六角氏の権勢と文化的洗練度を示す壮麗な「ショーケース」でもあったことを物語っている。この動乱期における「聖域」と「ショーケース」の二重性こそ、本稿で分析する「四季花鳥図」が生まれた背景を理解する上で、極めて重要な鍵となるのである。

第一章:時代の要請に応えた絵師 — 狩野元信とその画業

大仙院という文化の殿堂を飾るという大役を担ったのが、狩野元信(かのうもとのぶ、1476-1559)であった。彼は、室町幕府の御用絵師として狩野派の礎を築いた狩野正信の子として生まれ、巨大な絵師集団・狩野派の二代目を継承した人物である 14 。元信の画業を紐解くことは、彼が単なる優れた画家であったに留まらず、戦国という時代の変化を的確に読み解き、新たな美の潮流を創出した卓越した「文化的プロデューサー」であったことを明らかにする。

元信は、父・正信と同様に足利将軍家に仕えることからそのキャリアを開始したが、彼の生きた時代は、将軍家の権威が地に堕ち、権力の担い手が目まぐるしく変転する動乱の時代であった 15 。このような状況下で、元信は旧来の権威にのみ依存することなく、その庇護者を朝廷、有力寺社(石山本願寺など)、そして新興の有力町衆にまで拡大していった 16 。この驚くべき適応力と交渉力は、彼が単なる職人絵師ではなく、自らの工房の存続と発展をかけた戦略的な経営者としての側面を持っていたことを示している。事実、元信は町衆向けの扇絵制作を積極的に行い、その販売権益を巡って幕府に働きかけるなど、工房の利益を守る有能な事業主としての一面も記録に残されている 16

時代の要請に応えるべく元信が打ち立てた最大の功績が、「和漢融合」と称される新たな絵画様式の確立である。これは、父・正信から受け継いだ中国由来の漢画(水墨画)の力強い筆法と構築的な画面構成を基盤としながら、日本の伝統的な絵画である大和絵、特に宮廷絵所預であった土佐派の様式が持つ、鮮やかな色彩感覚や装飾的な特質を大胆に取り入れたものであった 15 。元信がライバルであった土佐派の長、土佐光信の娘を妻に迎えたという伝承は、この和漢の美の融合を象徴する逸話として語り継がれている 15 。この新しい様式は、武家社会で新たに発展した書院造建築の広壮な空間を飾る障壁画として、まさにうってつけであった。力強さと華麗さを兼ね備えた元信の画風は、新興の権力者たちの美意識に合致し、後の桃山時代に花開く豪華絢爛たる金碧障壁画への道を拓く、画期的な発明だったのである 14

さらに元信は、増大し多様化する注文に効率的に応えるため、狩野派を一個人の工房から、組織的な制作集団へと変革させた。彼は、中国絵画の様々な画風を研究・整理し、書道の書体になぞらえた「真(しん)・行(ぎょう)・草(そう)」という三つの画体を確立した 16 。これは、弟子たちに体系的な教育を施し、様式の統一性を保ちながら、多様な注文に迅速かつ大量に対応するための画期的なシステムであった。これにより、狩野派は一個の天才の技量に依存する集団から、安定した品質の作品を量産できる巨大な制作工房へと脱皮し、その後約400年にわたり日本の画壇に君臨する礎を築いたのである 17

このように、狩野元信の業績は、芸術的才能のみならず、時代のニーズを的確に捉え、新たな「製品」(和漢融合様式)を開発し、それを効率的に生産・供給する「システム」(工房組織と真行草の画体)を構築した、類稀なるプロデュース能力の賜物であった。彼が戦国の世を生き抜き、狩野派を史上最大の画派へと導いた背景には、このような芸術家と経営者の両面を兼ね備えた、非凡な資質が存在したのである。

第二章:大仙院方丈障壁画の全貌と「四季花鳥図」

狩野元信の「四季花鳥図」は、単独の作品として存在するのではなく、大仙院方丈という一つの建築空間を総合的に演出するために制作された、壮大な障壁画群の一部である。したがって、この作品の真価を理解するためには、まず方丈全体の空間構成と、その中で「四季花鳥図」が担っていた役割を把握する必要がある。

大仙院の方丈は、永正10年(1513年)の建立とされ、現存する日本最古級の方丈建築として国宝に指定されている 2 。この方丈は、住職の居室や仏事を執り行う私的な空間であると同時に、重要な来客を迎え、儀礼を行う公的な空間でもあった。内部は、最も格式の高い中心的な部屋である「室中(しっちゅう)」、来客や寄進者のための「檀那(だんな)の間」、接客や儀礼のための「礼(らい)の間」といった、機能の異なる複数の部屋で構成されていた 22

これらの部屋の襖や壁面は、当代随一の画家たちによって制作された障壁画で埋め尽くされていた。室中の「四季山水図」は同朋衆の相阿弥、礼の間の「四季耕作図」は元信の弟とされる狩野之信、そして檀那の間の「四季花鳥図」は狩野元信が、それぞれ担当したと伝えられている 1 。近年の研究では、これらの障壁画の画題と配置には、部屋の方角と四季を関連付ける「四方四季」の思想が反映されており、方丈全体で一つの壮大な宇宙観を表現しようとした意図が指摘されている 5 。この壮大なプロジェクトの全体像を、以下の表に整理する。

表1:大仙院旧方丈障壁画の構成

部屋の名称

機能

主題

筆者

現状(主要所蔵先)

典拠

室中(しっちゅう)

最も格式の高い中心的な部屋

四季山水図(瀟湘八景図)

伝 相阿弥

京都国立博物館

11

檀那(だんな)の間

来客・寄進者のための部屋

四季花鳥図

狩野元信

京都国立博物館

5

礼(らい)の間

接客・儀礼のための部屋

四季耕作図

伝 狩野之信

京都国立博物館

22

衣鉢の間・書院の間

住持の私的空間

禅宗祖師図など

伝 狩野元信

東京国立博物館

22

本稿の主題である「四季花鳥図」は、この中で「檀那の間」を飾っていた 5 。檀那とは、サンスクリット語の「ダーナ」に由来し、寺院や僧侶を経済的に支援するパトロンを意味する。つまり「檀那の間」とは、六角氏のような創建の功労者や、その他の有力な支援者、重要な来客を迎え、もてなすための、寺院にとって極めて重要な接客空間であった 25

この空間に、なぜ元信の「四季花鳥図」が選ばれたのか。それは、この絵画が単なる美しい装飾品ではなく、寺院とパトロンとの関係を円滑にし、双方の権威を高めるための、高度に戦略的な意味を担っていたからに他ならない。この部屋を訪れる武将や有力者に対し、その色鮮やかな花鳥画は、まずもてなしの心と楽園のような空間を提供することで、彼らの心を和ませる。次に、その壮大で格調高い画風は、大仙院という禅刹の格式の高さを示す。さらに、後述する画中の希少なモチーフは、パトロン自身の富と教養を称揚する役割を果たす。そして、漢詩文などの古典的教養を背景に持つ図様は、知的な会話を誘発し、文化的な交流の場を創出する。

このように、「四季花鳥図」は「檀那の間」という特定の社会的機能を持つ空間のために、周到に設計された視覚的なコミュニケーション・ツールであった。それは、寺院の威信とパトロンへの敬意を同時に表現し、両者の良好な関係を維持・強化するという、きわめて重要な役割を担っていたのである。

第三章:画中の楽園 — 「四季花鳥図」の図様分析

元信筆「四季花鳥図」は、現在では8幅の掛軸に改装され、京都国立博物館に所蔵されているが 5 、元来は檀那の間の北面と東面を飾る8面の襖絵であった 5 。その画中に展開される世界は、単なる日本の四季の風景ではなく、戦国時代人の憧れと理想が凝縮された、一つの「楽園」であった。本章では、その空間構成、描かれた花鳥の図様を詳細に分析し、そこに込められた多層的な意味を解き明かす。

3.1 空間構成の革新性 — 雪舟様式からの飛躍

室町時代の大画面花鳥図といえば、画聖・雪舟等楊の作品群が想起される。元信は、雪舟をはじめとする先行作例を深く学習しつつも、それらとは一線を画す、革新的な画面を創造した 5 。雪舟の「四季花鳥図屏風」(京都国立博物館蔵)などが、個々のモチーフを画面全体に拡大し、装飾的かつ平面的な印象を与える構成であるのに対し、元信の「四季花鳥図」は、中国・南宋の宮廷画家であった馬遠や夏珪の画風(馬夏様式)を巧みに取り入れている 5 。具体的には、画面の対角線を意識した構図や、水墨の濃淡を駆使して描かれた霞や広大な水景といった余白を効果的に用いることで、鑑賞者の視線を自然に奥へと導き、奥行きのある広々とした三次元的な空間の創出に成功しているのである 5

この空間表現の巧みさは、元信の「和漢融合」様式の真骨頂を示すものである。力強い筆致の水墨で描かれた巨大な松の木やごつごつとした岩、そして滝の流れといった「漢画」的な要素が画面の骨格を形成し、その中に、色鮮やかな顔料を用いて細密に描写された花や鳥といった「大和絵」的な要素が違和感なく配されている 5 。この構成力によって、壮大な自然景観と、そこに息づく生命の輝きとが、一つの統一された世界観の中に調和をもって共存している。これは、先行する水墨障壁画から大きく発展した、画期的な空間構成であった 5

3.2 四季の移ろいと花々の描写

8面の襖絵は、全体として右から左へと視線を移すにつれて、春、夏、秋、冬という四季の移ろいが壮大に展開される構成となっている 5 。春には梅や椿が咲き誇り、夏には水辺に芙蓉が涼しげな姿を見せ、秋には紅葉が山を彩り、冬には雪を頂いた松が厳しい自然の中で屹立する。

描かれた花々は、単に季節の指標であるだけでなく、それぞれが吉祥的な意味合いを帯びている。例えば、松は長寿、牡丹は富貴の象徴として、古くから東洋美術において好んで描かれてきた題材である 28 。元信は、これらの伝統的な画題を踏まえつつ、芙蓉と枯れた芦、あるいは棘のある植物を組み合わせるなど、先行する雪舟の作品にも見られるモチーフの描写を継承している 5 。しかし、元信の独自性は、それらの個々のモチーフを、前述した奥行きのある統一的な景観の中に、より体系的かつ自然な形で配置した点にある。鑑賞者は、この連続する画面を眺めることで、あたかも理想化された大自然の中を逍遥し、生命の循環と時間の流れを体感するような感覚を得るのである。

3.3 珍鳥の象徴性 — 権力と知識の表象

本作を他の花鳥図と明確に区別し、その独自性を決定づけている最大の要因は、画面の主役として描かれている鳥の種類にある。そこに描かれているのは、鶴や鷺といった日本で馴染み深い鳥だけではない。金鶏(キンケイ)、杜鵑(トジュケイ)、鸚鵡(オウム)といった、色鮮やかな羽を持つ、当時としては極めて珍しい舶来の鳥たちが、静かな佇まいで画面を彩っているのである 5

これらの鳥は、日明貿易などを通じて中国大陸から舶来した、極めて希少価値の高い輸入品であった。それらを所有したり、あるいは実物を見聞したりすることは、一部の特権階級にのみ許されたことであり、それ自体が莫大な富と権力の象身であった 5 。金鶏は、その豪華な姿から、当時の権力者たちに特に賞玩されていたことが、漢詩の記述などからも窺える 5

さらに重要なのは、これらの珍鳥が、単なる珍品や富の象徴に留まらなかった点である。並木誠士氏の研究によれば、これらの鳥は中国の漢詩文の世界では頻繁に詠まれ、高貴さや徳性を象徴する存在、すなわち「詠詩の対象」であった 5 。したがって、檀那の間にこの「四季花鳥図」を飾ることは、来客である武将や有力者に対して、多層的なメッセージを発信する行為であった。それは第一に、この寺院のパトロンが、これほど希少な鳥を所有(あるいは見聞)できるほどの経済力を持つ人物であることを示唆する。そして第二に、パトロンが、これらの鳥にまつわる漢詩文の古典的教養を身につけた、文化的に洗練された人物であることを称揚するものであった。

結論として、元信が描いた「四季花鳥図」は、日本の豊かな四季の自然(身近な理想)と、海外からもたらされる富と知識(手の届きにくい理想)とが融合した、ハイブリッドな理想郷の姿であった。渡野りつ佳氏が的確に表現したように、それは「色鮮やかな四季の花鳥の集う異国の楽園」だったのである 27 。戦乱の世に生きた人々、特に新たな時代の担い手であった武将や文化人にとって、この画中に描かれた争いのない秩序だった「楽園」は、過酷な現実から逃れるための精神的な避難所であると同時に、自らが目指すべき富と教養に満ちた世界の理想的なビジョンでもあった。この作品は、まさしく戦国時代人の憧れそのものを視覚化したものと言えるのである。

第四章:戦国武将の精神世界と禅院美術

これまで分析してきた「四季花鳥図」の諸要素を統合し、この作品が戦国時代の人々、とりわけ武士階級の精神世界にとっていかなる意味を持っていたのかを考察することで、本報告書の総括としたい。この襖絵は、単なる美しい絵画ではなく、当時の人々の思想や価値観、そして時代の精神そのものを映し出す、きわめて重要な文化的装置であった。

4.1 枯山水庭園と障壁画の相互補完的宇宙観

大仙院の方丈を訪れた鑑賞者は、特異な鑑賞体験をすることになる。建物の内側に目を向ければ、そこには狩野元信が描いた色彩豊かで生命感あふれる「四季花鳥図」の世界が広がる。一方で、縁側から外に目を転じれば、白砂と石のみで山水の景観を表現した、モノクロームで抽象的な「枯山水庭園」が静かに佇んでいる。

この二つの芸術は、一見すると対照的である。枯山水庭園が、禅の思想における「無」や「空」、すなわち万物の根源にある本質を象徴的に表現するものであるとすれば 30 、「四季花鳥図」は、生命の躍動や世界の豊かさ、すなわち現象世界としての「色」や「有」を具体的に描き出すものである。しかし、これらは決して対立するものではない。むしろ、方丈という建築空間を媒介として、互いを補完し合い、一つの完結した禅的な宇宙観を形成していたと考えるべきである。鑑賞者は、この「有」と「無」、「色」と「空」が共存する空間を体験することによって、言葉や経典を介さずとも、禅の思想の核心にある二元論を超えた世界観に触れることができたのではないだろうか。

4.2 画中の楽園 — 癒しと権威の装置

戦国武将の日常は、常に死と隣り合わせの極度の緊張状態にあった 8 。彼らが禅や、禅の精神と深く結びついた茶の湯に心の安らぎを求めたのは、必然であった 7 。「四季花鳥図」が描き出す、争いのない、美しく秩序だった理想の自然(楽園)は、そのような彼らにとって、何よりの精神的な「癒し」の空間として機能したであろう 32 。画中の穏やかな楽園に没入することは、現実世界の過酷さや無常観から一時的に解放され、心の平穏を取り戻すための重要な時間であったに違いない。

しかし、この作品は単なる癒しのための装置に留まらない。同時に、それは所有者や鑑賞者の「権威」を代弁し、強化する装置でもあった。前章で詳述したように、画中に描かれた舶来の珍鳥や、和漢の高度な教養を背景とするその画風は、この絵画を寺院に寄進し、その価値を理解できるパトロンが、経済力と文化的洗練を兼ね備えた当代一流の人物であることを雄弁に物語る。すなわち、「四季花鳥図」は、戦国武将が渇望したであろう二つの要素 — 精神的な「癒し」と社会的な「権威」— を、一つの作品の中で同時に満たす、極めて効果的な文化的装置として機能したのである。

この作品の構成要素を改めて見渡すと、そこには静的な要素(禅、水墨、枯山水との関係性)と動的な要素(鮮やかな色彩、珍鳥、権力や富の象徴)とが見事に共存している。これは単なる様式の折衷ではない。戦国時代という時代そのものが、仏教的な無常観に根差した静謐への憧れ(静)と、下克上や経済活動に象徴される激しい生のエネルギー(動)という、相反するベクトルを内包していた。狩野元信は、この時代のアンビバレントな精神性を、「和漢融合」という絵画様式によって、見事に一つの芸術作品へと昇華させたのである。「四季花鳥図」は、静的な禅の世界観をその基盤としながらも、動的な世俗の価値(富、権威、知識)を決して否定せず、むしろ肯定的に取り込んでいる。それは、禅の精神性を拠り所としながらも、現実世界を力強く生き抜こうとする戦国武将の理想的な生き方そのものを映し出す鏡であり、まさしく戦国という時代の精神性が結晶化した作品であると結論付けられる。

結論:狩野元信が築いた美の秩序とその後世への影響

大徳寺大仙院の「四季花鳥図」は、日本の美術史において、極めて重要な画期をなす作品である。それは、室町時代を通じて深化してきた禅宗文化と水墨画の伝統における一つの頂点を示すと同時に、来るべき桃山時代の豪華絢爛たる金碧障壁画の世界へと、決定的な橋渡しをする役割を果たした。

狩野元信が本作で完成の域にまで高めた、力強い構成力と骨格を持つ「漢」の要素と、華やかな色彩と装飾性を持つ「和」の要素とを両立させた「和漢融合」の様式、そしてそれを支えた体系的な工房システムは、その後400年近くにわたって日本の画壇の頂点に君臨し続ける狩野派の、絶対的な基盤となった 14 。元信以降の狩野派の絵師たちは、彼が確立したこの様式と制作体制を規範とし、時の権力者のあらゆる要求に応え、日本の美術界を牽引し続けたのである。

したがって、大仙院の「四季花鳥図」は、単に美しい花鳥を描いた一枚の絵画ではない。それは、戦国の動乱という混沌の中から、新たな「美の秩序」を創造しようとした稀代の絵師・狩野元信の、野心的かつ壮大な試みの記念碑である。彼が築いたこの美の秩序は、単に一つの作品に留まらず、その後の日本美術の歴史そのものを大きく規定する、巨大な源流となったのである。

引用文献

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