最終更新日 2025-08-10

夕雲流剣術書

夕雲流剣術は、針ヶ谷夕雲が創始した無住心剣流の教えを小出切一雲が編纂。禅の思想を取り入れ「無住心」の境地を追求し、「活人剣」へと昇華。「相抜け」を理想とする。
夕雲流剣術書

『夕雲流剣術書』の総合的研究 ― 針ヶ谷夕雲と無住心剣流の思想体系

序章:『夕雲流剣術書』を巡る通説の検証

出発点の確認と核心的論点の提示

『夕雲流剣術書』は、一般に「無住心剣流の開祖・針ヶ谷夕雲が著した書」として認識されている。しかし、史料を精査すると、本書の直接の著者は夕雲本人ではなく、その教えを継いだ二代目・小出切一雲(おだぎり いちうん)であることが明らかとなる 1 。その成立も、夕雲の晩年から没後にあたる貞享三年(1686年)頃とされており、これは夕雲個人の思想の記録であると同時に、その教えが次代の達人によっていかに解釈され、論理的に体系化されたかを示す、二重の価値を持つ文献であることを意味している 2

「戦国時代」という視点の学術的再検討

針ヶ谷夕雲は文禄二年(1593年)頃に生まれ、寛文九年(1669年)に没したと伝えられる 4 。彼の生きた時代は、豊臣政権末期から、大坂の陣を経て「元和偃武」と呼ばれる泰平の世が確立された江戸時代初期にあたる。したがって、利用者の関心にある「戦国時代という視点」で本書を捉えることは、その本質を見誤る可能性がある。本書は、戦国の殺伐とした実戦の記録ではなく、むしろ戦乱が終焉した平和な時代にあって、武士が自らの存在意義、すなわち「剣の道」をいかに見出すかという、根源的な問いの中から生まれた、極めて思想的性格の強い書物である。本報告は、この「時代の転換期」という視座から、本書の思想的特質を徹底的に解明するものである。

この視点の転換は、本書の評価を根本から変える。本書は戦国時代の「戦闘教本」ではなく、戦乱が終結した泰平の世における「武士の自己改革の書」と位置づけられるべきである。剣の役割が、敵を殺傷するための「殺人刀(せつにんとう)」から、己を磨き、社会の安寧に貢献する「活人剣(かつにんけん)」へとその意味合いを変容させざるを得なかった時代の産物なのだ 6 。したがって、本書の分析は、単一の剣術流派の研究に留まらない。それは、江戸初期の武士階級全体が直面した「存在意義の危機」という巨大な社会的・思想的課題に対し、一人の天才剣客とその弟子たちがいかにして一つの回答を導き出したか、その精神的格闘の軌跡を追体験することに他ならない。本書は、日本の武芸が単なる「術」から精神性を高めた「道」へと昇華する、まさにその転換点を象徴する一級の思想史料なのである 7

報告書の構成

本報告は以下の三部構成を採る。第一部では、流祖・針ヶ谷夕雲の人物像とその剣の変遷を追う。第二部では、『夕雲流剣術書』に記された無住心剣流の思想体系を、同時代の他の流派との比較を交えながら詳細に分析する。そして第三部では、天才剣士・真里谷円四郎の登場による流儀の変質と、その後の道統断絶の悲劇を考察する。分析にあたっては、『撃剣叢談』などの近世史料から、甲野善紀氏らによる現代の研究までを横断的に活用し、多角的な視点からその全体像に迫る 6

表1:無住心剣流 主要人物・関連事項年表

年代(西暦/和暦)

針ヶ谷夕雲の動向

小出切一雲の動向

真里谷円四郎の動向

関連する歴史的出来事

1593年(文禄2年)頃

上野国針ヶ谷にて誕生 4

1600年(慶長5年)

関ヶ原の戦い

1615年(元和元年)

(青年期、小笠原源信斎に師事)

大坂夏の陣、元和偃武

1632年(寛永9年)

柳生宗矩『兵法家伝書』成立 11

1633年(寛永10年)頃

40歳頃、龍光寺の虎白和尚に参禅 4

1660年(万治3年)

誕生

1669年(寛文9年)

江戸八丁堀にて没(享年60余歳) 5

夕雲の跡を継ぎ二代目となる

1679年(延宝7年)

19歳で一雲に入門 13

1685年(貞享2年)

25歳で師・一雲に勝利し三代目となる 13

1686年(貞享3年)

『夕雲流剣術書』『天真独露』を著す 1

1742年(寛保2年)

没(享年82)。流儀は事実上断絶 13


第一部:流祖・針ヶ谷夕雲の実像

第一章:時代の狭間に生きた剣客

出自と特異な身体性

無住心剣流の流祖、針ヶ谷夕雲は、上野国針ヶ谷(現在の埼玉県深谷市)に生まれた 5 。通称を五郎右衛門正成という 4 。彼の人物像を語る上で欠かせないのが、その特異な身体的特徴である。伝承によれば、身長は六尺(約180センチメートル以上)に達し、力は大人三人分に相当するほどの怪力の持ち主であったという 4 。この恵まれた体躯が、彼の初期の剣技の形成に大きな影響を与えたことは想像に難くない。

「叩き潰す」剣 ― 初期剣技の考察

夕雲が壮年期までに用いていた剣は、一般的な剣術の常識から大きく逸脱するものであった。彼が腰に差した刀は二尺五寸(約75.7センチ)の長大で重いものであったが、驚くべきことに意図的に刃が引いてあった(刃を潰して斬れなくしてあった)という 4 。夕雲自身が語ったその理由は、「大勢を相手に闘う時、刃があると刃が欠けて動きが引っ掛かる。むしろ始めから刃引きしておいて叩き殺すのがよい」という、極めて合理的かつ凄まじいものであった 4 。これは、鋭利な刃で「斬る」ことを主眼とする多くの剣術とは対極にあり、自身の怪力を最大限に活かして相手を骨ごと「叩き潰す」という、戦国時代の合戦場における実用性を色濃く残した思想と言える。

「生涯五十二度の真剣勝負」のリアリティ

夕雲は生涯において52回の真剣勝負に臨み、一度も敗れることがなかったと伝えられている 15 。この逸話の史実性を厳密に証明することは困難であるが、彼の剣名が当時いかに轟いていたかを示すものとして重要である。事実、徳川将軍家師範役という当代随一の剣客であった柳生宗矩が、夕雲との試合を前にして「其の方の兵法の理に立ち向かって勝ちを得る覚えはない」と賛嘆し、対決を避けたという逸話も残されている 17 。江戸時代初期は、剣客同士の命を懸けた決闘が社会的に許容された最後の時代であり、このような伝説が生まれる土壌があったことも考慮すべきであろう。

在野の士としての生涯

夕雲は特定の藩に仕官することなく、生涯を浪人として過ごした 19 。しかし、その実力は高く評価され、紀州徳川家から内々に扶持(給与)を受けていたとされている 5 。これは、彼が単なる無頼の剣客ではなく、大藩がその武威を頼むほどの存在であったことを示している。晩年は江戸の八丁堀に居を構え、多くの弟子を育てながら、寛文九年(1669年)にその生涯を閉じた 5

夕雲の実像には、一見すると矛盾する二つの要素が同居している。「刃引きの刀で叩き潰す」という戦国的で荒々しい実利主義と、後に開花する禅的な精神主義である。彼の巨体と怪力は、その荒々しい剣技に説得力をもたらす物理的な基盤であった。この二重性は、夕雲個人が「戦国の記憶が色濃い時代」と「泰平の世」の狭間に生きた、まさに過渡期の人間であったことを体現している。彼の初期の剣は、実戦の匂いを残す「力の剣」であったが、時代の変化とともに、彼はその力を振るうことの意味そのものを問い直し、精神的な拠り所を求めるようになる。彼の生涯は、一人の剣客の中で「戦国」が「江戸」へと変容していく過程そのものであり、その軌跡を追うことは、時代の精神史を解剖することに等しい。

第二章:師・小笠原源信斎と真新陰流の遺産

師・小笠原源信斎(長治)の実像

夕雲が兵法を学んだ師は、真新陰流の開祖・小笠原源信斎長治である 5 。源信斎は、剣聖・上泉信綱の直弟子である奥山休賀斎に学び、自らを新陰流の正統三代目と称した人物であった 4 。彼は豊臣秀吉に仕え、大坂の陣にも(西軍として)参戦した後、明国に渡ったという、当時の剣客としては極めて特異な経歴を持つ 20 。彼の流派は「真新陰流」とも呼ばれるが、その系譜は神影流、さらには竹刀稽古をいち早く導入したことで知られる直心影流へと繋がっており、伝統に安住しない革新的な側面も持っていた 21

夕雲が学んだ剣技 ― 「八寸の延金」

夕雲は、師である源信斎が明から持ち帰ったとされる秘術「八寸の延金(はっすんののべがね)」を修得していたと伝えられる 12 。この技の具体的な内容は史料に残されておらず不明であるが、相手との間合いを自在に伸縮させるような、特殊な身体操法であったと推測される。後年、夕雲はこの技を「虚構に過ぎない」として捨て去ることになるが、彼の剣術キャリアの出発点として、また乗り越えるべき対象として重要な意味を持っていた 23

同門・神谷伝心斎との比較

夕雲と同じく小笠原源信斎の門下には、神谷伝心斎(直光)という高弟がいた。興味深いことに、この神谷伝心斎もまた、晩年には儒教や禅の思想に深く傾倒し、師の流儀から離れて独自の剣の道を切り開いたと記録されている 5 。二人の高弟が同じように精神的な探求へと向かった事実は、師である源信斎の教え自体に、後の思想的深化を促す素地があった可能性を示唆している。あるいは、それは泰平の世という新しい時代を生きた高弟たちが、共通して直面した課題であったのかもしれない。

夕雲が無住心剣流を創始する上で、師から受け継いだ真新陰流の技法や秘術「八寸の延金」は、肯定的に継承すべき遺産ではなく、むしろ否定し、乗り越えるべき「型」としての役割を果たした。彼がこれらを「捨て去った」という事実は、彼の悟りが、既存の技術体系の延長線上にある漸進的なものではなく、それを根底から覆す質的な転換であったことを物語っている 12 。武芸の伝承における「守破離」の概念で言えば、夕雲の行動は「破」の段階の徹底的な実践であった。彼は師の教え(守)を完全に体得した上でその限界を悟り、意図的にそれを破壊(破)することで、全く新しい次元(離)へと至ったのである。この「捨てる」という行為自体が、彼の思想の核心である「無住(とらわれない心)」の、最初のそして最も劇的な実践であったと言えよう。

第三章:剣禅一如への道程

虎白和尚との邂逅

四十歳頃、夕雲の人生に決定的な転機が訪れる。江戸本郷駒込にある天澤山龍光寺に住した虎白(こはく)大宣和尚のもとで、参禅を始めたのである 12 。龍光寺は臨済宗東福寺派の名刹であり、開山である虎白和尚は、三代将軍・徳川家光に禅を講じるほどの高僧であった 24 。この傑出した禅僧との出会いが、夕雲の剣を、そして彼の人生を根底から変えることになる。

「無住心」の悟り

禅の修行を通じて、夕雲は「自性本然受用の勝理」、すなわち、人が作り出した兵法の理屈を超えた、人間本来の自然の理に基づく勝利のあり方に目覚めたとされる 12 。彼の到達した新たな境地を聞いた虎白和尚は、禅の重要な経典である『金剛般若経』の一節、「応無所住而生其心(応(まさ)に住(じゅう)する所無くして、而(しか)も其の心を生ずべし)」から言葉を取り、その剣を「無住心剣」と命名した 5

「無住心」とは、心が特定の一点にとどまらず、いかなる対象にも、いかなる思考にも執着しない、完全に自由で清浄な心の状態を指す。敵の動き、勝ちたいという欲、負けたくないという恐怖、そうした一切の「とらわれ」から解放された心こそが、最強の剣を生むという思想である 26

流儀の確立と精神的変容

この禅の悟りによって、夕雲の剣は質的な大変容を遂げた。彼は、それまで拠り所としてきた師伝の真新陰流の刀法や、秘術とされた「八寸の延金」さえも「虚構に過ぎない」として捨て去った 23 。彼の剣は、刀をいかに操るかという技術論(技)の世界から、心をいかにあるべき状態に置くかという心法(心)を根本とするものへと、完全にその重心を移したのである。ここに、夕雲流、またの名を無住心剣流、あるいは「想いを破る」という意味の破想流が誕生した 27

夕雲の禅との出会いは、単なる剣技の改良や洗練ではなかった。それは、剣術というアプリケーションを動かすためのオペレーティングシステム(OS)そのものを、「技術(真新陰流)」から「心(禅)」へと完全に入れ替える行為に等しかった。この「OSの入れ替え」は、柳生宗矩が沢庵宗彭の思想を取り入れて「活人剣」を大成させたのと同様に、江戸初期の武芸における巨大なパラダイムシフトを象徴している 7 。戦場で有効な「技」の蓄積が価値を持った時代は終わり、平和な社会で武士の精神を支える「心」の探求が価値を持つ時代へと移行したのである。夕雲の個人的な変容は、この時代の先進的な武芸者たちが、自らの存在意義を再定義するために、仏教や儒教といった外部の思想体系を積極的に導入し、武芸を「人間学」へと高めていった歴史的プロセスの縮図であった。


第二部:『夕雲流剣術書』の思想と体系

第一章:編纂者・小出切一雲の役割

夕雲の教えの成文化

流祖・針ヶ谷夕雲は、その天才的な剣の境地とは裏腹に、無学文盲であったとも伝えられ、自身の思想を文字として書き残すことはなかった 4 。その奥深い教えを体系的に編纂し、『夕雲流剣術書』や『天真独露』といった伝書として後世に遺したのは、彼の跡を継いだ二代目・小出切一雲(号は空鈍)であった 1 。これらの伝書は、夕雲の没後である貞享三年(1686年)頃に成立したと見られている 1

小出切一雲という人物

小出切一雲は会津の出身で、幕末の剣術研究家である白井亨から「日本史上最高の名人」と称賛されるほどの傑出した剣客であった 2 。彼は、師である夕雲の言葉や振る舞いの中に秘められた哲理を、「私利私欲を離れた柔和・無拍子の哲理」として深く理解し、それを論理的な言葉で伝書にまとめた 16 。一雲の理知的な解釈と体系化の労なくして、夕雲の直感的で深遠な思想が、後世にまで具体的な形で伝わることはなかったであろう。

伝書の形態

無住心剣流の教えは、主に『夕雲流剣術書』という表題で知られている。しかし、例えば立身流に伝わった写本には表題が存在しないものもあり、その伝承形態は一様ではなかったことが窺える 3 。また、『天真独露』という別名の伝書も存在が確認されており、これは『夕雲流剣術書』とほぼ同内容の書物であると考えられている 2 。こうした事実は、流派の教えが、様々な系統を通じて写本として伝えられていく中で、多様な形を取っていったことを示唆している。

小出切一雲の役割は、単なる「記録者」に留まるものではない。彼は、天才肌で直感的であった師・夕雲の断片的な教えや逸話を、自身の深い洞察力と知性によって解釈し、後進が学びうる論理的な思想体系へと「翻訳」し、再構築した「体系者」であった。この関係は、思想や芸術の伝承における「媒介者」の決定的な重要性を示している。ソクラテスにとってのプラトンがそうであったように、一雲は夕雲の思想を後世が理解可能な「テクスト」へと変換したのである。したがって、我々が今日『夕雲流剣術書』を通して触れる思想は、純粋な夕雲の思想というよりも、常に「一雲の理知的なフィルターを通して解釈された夕雲の思想」であると認識することが、本書を読み解く上で不可欠な視点となる。

第二章:「殺人刀」から「活人剣」への昇華

江戸初期の剣術思想の潮流

戦国乱世が終焉し、徳川幕府による泰平の世が訪れると、武士の剣はその役割を大きく変えざるを得なくなった。実戦における殺傷技術としての「殺人刀」は、その存在意義を問われ、代わって自己の人格を陶冶し、ひいては社会の安寧に貢献するための「活人剣」という思想が台頭した 31 。これは、武芸が単なる「術」から、人間形成を目指す「道」へと昇華していく大きな流れであった 6

柳生新陰流における「活人剣」

この「活人剣」の思想を江戸幕府の公式イデオロギーとして大成させたのが、将軍家兵法指南役であった柳生宗矩である。彼の主著『兵法家伝書』において説かれる「活人剣」とは、「一人の悪を殺すことによって、万人を活かす」という、為政者の統治術としての側面が極めて強い 34 。それは、社会秩序を維持するための「大なる兵法」であり、武士の公的な役割と深く結びついていた 29

無住心剣流における「活人剣」

一方、『夕雲流剣術書』が説く「活人剣」は、柳生新陰流とは趣を異にし、より個人の内面的な精神性に深く分け入る。その核心は、敵と対立する自己という意識さえも捨て去り 6 、あらゆる執着から解放された「無住心」を得ることにある 26 。それによって、争いそのものを超越する境地を目指すのである。その究極の理想は、互いに傷つけあうことなく、技を交わさずして分かれる「相抜け」であり、これは敵も我も共に「活かす」ことを意味する 5 。無住心剣流の活人剣は、社会的な秩序維持よりも、個人の精神的完成を第一義とする、「小なる兵法」の極致であったと言える。

柳生新陰流と無住心剣流の「活人剣」思想を比較すると、両者の思想的立脚点の違いが鮮明になる。柳生宗矩は徳川将軍家の師範という「公」の立場から、社会秩序の維持を目的とするマクロな視点の「活人剣」を説いた。対照的に、生涯を在野の士として貫いた夕雲は、一個人の内面における魂の救済と完成を目指す「私」の立場から、ミクロな精神世界の「活人剣」を追求した。この二つの「活人剣」は、江戸時代の武士が担っていた二重のアイデンティティ、すなわち幕藩体制を支える「官僚」としての一面と、自己の精神性を磨く「求道者」としての一面を、それぞれ象徴的に反映している。江戸時代の武士道思想の全体像を立体的に理解するためには、この両者の視点が不可欠なのである。

表2:主要剣術流派の思想比較

項目

無住心剣流

柳生新陰流(江戸柳生)

一刀流(小野派)

主要人物

針ヶ谷夕雲、小出切一雲

柳生宗矩

小野忠明

時代背景

江戸初期、在野

江戸初期、将軍家指南役

江戸初期、将軍家指南役

中核思想

無住心、赤子の心、不立文字

活人剣、無刀、治国平天下

一刀即万刀、我意を切り落とす

理想の境地

相抜け (争いの超越)

無刀取り (相手を制し活かす)

切落 (相手ごと斬り込む)

思想的源流

禅(臨済宗)、老荘思想

禅(臨済宗)、儒教

(神道思想の影響も)

引用

5

29

8

第三章:相討ち、そして「相抜け」の至境

第一段階:「相討ちを以て至極の幸いとなす」

無住心剣流の修業体系は、一見すると極めて逆説的な教えから始まる。夕雲は、剣を振るうべき場面を「戦場での太刀打ち」「主命による上意討ち」「不意の喧嘩」の三つに限定した上で、いずれの場合もその目的は相手を確実に倒すことであり、その結果として自らも命を落とす「相討ち」は、決して恥でも失敗でもなく、「至極の幸い」であると説いた 4 。これは、生き残りたいという自己保存の本能(我執)を捨て去り、死の恐怖を根底から克服するための、徹底した心構えであった。二代目・一雲もまた、「初心者は相討ちだけを考えよ」と教えており、この「死の覚悟」こそが、流儀の修業における第一の関門であったことを示している 9

第二段階:「相抜け」という究極の理想

この「相討ち」の境地を完全に乗り越えた先に、無住心剣流が目指す真の理想、「相抜け(あいぬけ)」が存在する 9 。相抜けとは、互いに高い境地に達した名人同士が対峙した際に、互いの剣が空を切り、あるいは技を交える以前に互いの力量を瞬時に感得し、戦わずして無傷で分かれる状態を指す 5 。相討ちが、自らの「死」を覚悟することで敵を倒す境地であるのに対し、相抜けは、自らの「生」を全うし、かつ相手をも「生かす」境地である。ここに、無住心剣流が目指した「活人剣」の究極の姿があった。

思想的構造の分析

「相討ち」と「相抜け」は、一見すると矛盾する教えのように思える。しかし、その思想構造を分析すると、両者が修業の階梯を示す、巧みな弁証法的構造を成していることがわかる。「相討ち」の覚悟は、自己保存の本能という人間最大の執着を断ち切るための、いわば「毒をもって毒を制す」ための方便であり、精神的な荒療治である。この死の覚悟、すなわち執着からの完全な解放が成し遂げられて初めて、心は一点にとらわれることなく、相手の動きに自然に対応できる「無住心」の状態となる。そして、その心が働く時、結果として争いそのものが無化される「相抜け」が可能になるのである。

無住心剣流の「相討ち」から「相抜け」へと至るプロセスは、単なる技術論ではなく、人間の精神変容の過程そのものを描き出している。まず「相討ち」の覚悟によって、「死の恐怖」と「生への執着」という根源的なエゴを破壊する(自己の否定)。その結果として生まれた無の心(空)から、初めて敵も我も生かすという、より高次の境地である「相抜け」が生まれる(否定の否定)。この思想は、多くの武道や東洋思想に見られる「逆説の論理」の典型例である。「生きんとする者は死し、死なんとする者は生きる」という言葉に象"象徴されるように、目的(生きること)を直接追求するのではなく、一旦それを放棄(死の覚悟)することで、かえって目的が達成される。無住心剣流は、この逆説の論理を、剣術の修業体系として他に類を見ないほど徹底的かつ鮮やかに理論化した流派であった。

第四章:「赤子の心」― 無為自然の理合

「赤子の心」という基本理念

『夕雲流剣術書』には、「夕雲流では初めから極意の段階まで、赤子の心と所作にもとづいて…」という一節があり、この「赤子の心」こそが、無住心剣流のあらゆる教えの根幹をなす基本理念であった 15

「赤子の心」の具体的要素

この理念は、特定の技術や型を指すものではなく、人間が生まれながらに持つ、自然で本来的な心身の状態を理想とするものである。その具体的な要素は、以下のように解釈することができる 37

  • 不動心・純粋無垢 : 善悪、美醜、勝敗といった後天的な分別や既成概念にとらわれず、物事をありのままに受け入れる心。
  • 直観力・感応力 : 理屈や分析を介さず、瞬時に物事の本質を捉え、周囲の状況の変化に鋭敏に反応する力。
  • 胎息・丹田 : 意識的な操作を離れ、自然に行われる腹式呼吸と、それによってもたらされる心身の根源的な安定。
  • 自由性 : 定められた型にはまることなく、状況に応じて自在に変化し、滞ることのない動き。

思想的源流の考察

「赤子」を理想の境地とする思想は、特に老荘思想にその顕著な源流を見出すことができる(例:老子「赤子に復帰す」)。禅宗が説く「無心」や「無分別智」とも深く通底するが、「赤子の心」という言葉には、より素朴で根源的な生命力そのものを肯定するニュアンスが強い。武術研究家の甲野善紀氏は、無住心剣術の思想的基盤を、一般的に連想される「剣禅一致」の禅思想よりも、むしろ老荘思想に求める見解を示しており、傾聴に値する 42

「赤子の心」という理念の核心は、「作為(さくい)」、すなわち後天的に学習された技術や知識、分別といったものを徹底的に否定し、人間が生まれながらに持つ「自然(じねん)」の働きに全面的に依拠しようとする点にある。『夕雲流剣術書』は、具体的な「やり方(how to)」を教える技術マニュアルではない。むしろ、後天的に身につけた技術や知識という精神の「ノイズ」をいかにして取り除き、本来の自然な状態に回帰するかを説く、「アンチ・マニュアル」としての性格を色濃く持つ。これは、情報や技術を「加える(足し算する)」ことで上達を目指す近代的な発想とは全く逆の、「引く(引き算する)」ことで本質に到達しようとする、東洋思想に特徴的なアプローチである。この流儀が最終的に目指すのは、熟練の剣客になることではなく、剣を持った「赤子」になることなのであった。


第三部:無住心剣流の展開と終焉

第一章:天才剣士・真里谷円四郎の衝撃

三代目・真里谷円四郎の登場

無住心剣流の歴史は、三代目を継いだ真里谷円四郎(まりや えんしろう)の登場によって、劇的な展開を迎える 13 。円四郎は十九歳で二代目・小出切一雲に入門すると、たちまちその天賦の才を開花させ、二十五歳の時、師である一雲との二度にわたる立ち合いにおいて、二度とも勝利を収めたことで免許皆伝を得たと伝えられている 13

「相抜け」の理想の崩壊

この師弟対決の結果は、無住心剣流の思想体系にとって、根幹を揺るがすほどの大きな衝撃であった。名人同士が立ち会えば、互いに打てず打たれずの「相抜け」になる、という流儀の至高の理想が、師と弟子による現実の勝負によって覆されてしまったからである 23 。この事実は、円四郎の剣技が、師である一雲や、流儀が掲げた理念そのものさえも凌駕する、全く規格外のものであったことを物語っている。

円四郎の剣 ― 理解を超えた「自然」

円四郎の剣について、彼の伝書には「生まれのままなものに立て刀を引上げ、かんずる所へ刀をおとすの計りなり」と、ごく簡潔に記されているのみである 43 。これは、彼の剣が特定の理論や形を超越し、説明不可能な究極の「自然体」そのものであったことを示唆している。事実、彼は生涯で千回を超える他流試合に臨んで一度も敗れることがなく、門弟は一万人に及んだと伝えられるほどの、圧倒的な強さを誇った 10

真里谷円四郎は、無住心剣流が目指した「無住心」や「赤子の心」という理念を、誰よりも完璧に、そして純粋に体現した「完成者」であった。しかし、その完璧さゆえに、彼は「相抜け」という、凡人が理想に至るための方便、あるいは教育的プロセスを必要とせず、それを現実の勝負において打ち破ってしまった。その意味で、彼は理念の「破壊者」でもあったのである。この円四郎の存在は、「天才」が、その天才を育むために作られた「システム(流儀の教え)」そのものを、その存在によって破壊してしまうという、普遍的なジレンマを提示する。流儀の教えは、凡才を秀才に引き上げるための「梯子」である。しかし、生まれながらに翼を持つ天才は、梯子を使うことなく頂点に達し、その梯子の存在意義すら揺るがしてしまう。円四郎の師越えは、無住心剣流というシステムの成功の頂点であると同時に、その崩壊の始まりを告げる出来事だったのである。

第二章:流儀の断絶 ― 至高故の悲劇

継承者の不在

千回無敗、門弟一万人と、その武名は天下に轟いた真里谷円四郎であったが、彼の剣の真髄を真に理解し、無住心剣流の道統を継承する者は、ついに現れなかった 13 。結果として、日本剣術史上、最高峰の流儀とまで賞賛された無住心剣流は、天才・円四郎の代で事実上、その歴史に幕を閉じることになった。

断絶の原因分析

その断絶の最大の原因は、円四郎の剣があまりにも至高の境地にあり、常人には理解も模倣も不可能なものであったためと考えられる 23 。彼の剣は、言語化や体系化が可能な「技術」や「理論」ではなく、彼の存在そのものと分かちがたく一体化した「あり方」であった。そのため、師から弟子へという形での伝達が、原理的に不可能だったのである。

現代における再評価

一度は歴史の闇に消えたかに見えたこの幻の剣術は、現代において、武術研究家の甲野善紀氏らによってその思想と歴史が深く掘り起こされ、再び光が当てられている 6 。甲野氏の研究は、古文書の緻密な読解と、武術家としての身体的実践知を通して、無住心剣流の思想が持つ現代的な意義を問い直すものであり、その評価は今なお続いている 42

無住心剣流の断絶の直接の原因は、後継者不足や時代の変化といった外的要因よりも、その思想と技術が「伝達不可能な領域」にまで達してしまったという、極めて内的な要因にある。この流儀の歴史は、「知」が内包するパラドックスを鮮やかに示している。夕雲と一雲は、剣の奥義を言語化・体系化しようと試み、『夕雲流剣術書』という形で一定の成功を収めた。しかし、その体系が生み出した究極の到達点である円四郎は、逆説的にも言語化や体系化を拒絶する存在であった。これは、あらゆる「道」の探求が最終的に行き着く壁、すなわち「真に究極的な知は、言葉や理論では伝達できない」というアポリア(難問)を我々に突きつけている。無住心剣流は、その探求のあまりの誠実さゆえに、自らこの壁に突き当たり、その歴史的役割を終えて消滅していった、悲劇の流派なのである。


結論:戦国という幻影と、江戸の剣が求めた精神

本報告を通じて明らかになったように、『夕雲流剣術書』は「戦国時代の書」という通説的なイメージとは異なり、戦乱が終息した江戸初期の泰平の世という、全く新しい時代状況への応答として生まれた、極めて思索的な書物である。それは、もはや戦場での殺傷を目的としない武士たちが、自らの存在意義をいかにして内面に見出すかという、切実な問いへの一つの回答であった。

針ヶ谷夕雲、小出切一雲、そして真里谷円四郎という三代にわたる無住心剣流の軌跡は、日本の武芸が、単なる殺傷の「技術」から、自己の人格完成を目指す「道」へと昇華していく歴史的プロセスを、最も先鋭的かつ劇的に示した事例であったと言える。「相討ち」から「相抜け」へ、そして「赤子の心」へと至るその思想は、戦いのない時代に生きる武士の精神的な探求の、一つの頂点を示している。

流儀そのものは、そのあまりの至高性ゆえに継承者を失い、歴史の中に消えていった。しかし、『夕雲流剣術書』に記された思想や、彼らを巡る数々の逸話は、後世の武道思想に静かな、しかし深い影響を与え続けた。その悲劇的な結末さえも、マニュアル化できない「道」の厳しさと、言葉を超えた境地の存在を後世に伝える、貴重な精神的遺産として、今なお我々に「強さとは何か」「道とは何か」という根源的な問いを投げかけているのである。

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