最終更新日 2025-08-14

大友瓢箪

「大友瓢箪」は、明時代製の唐物茶入。大内氏から大友宗麟、豊臣秀吉を経て上杉景勝に下賜され「上杉瓢箪」となる。戦国武将の権力闘争と文化戦略を映し出し、天下六瓢箪の一つとしてその価値を現代に伝える。
大友瓢箪

大友瓢箪 ― 戦国の記憶を宿す名物茶入

序章:ひとつの茶入が映す戦国の世

日本の戦国時代、武将たちは領土や権力のみならず、文化的な権威をも激しく争った。その渦中にあって、一つの小さな茶入が、時代のうねりを静かに映し出し、所有者の栄枯盛衰と共にその名を変えながら、今日まで激動の記憶を伝えている。それが、本報告の主題である「大友瓢箪」である。

この茶入は、当初は西国の雄・大内氏が所持したことから「大内瓢箪」と呼ばれ、やがて豊後のキリシタン大名・大友宗麟の手に渡り「大友瓢箪」の名を得た。その後、天下人・豊臣秀吉を経て、越後の龍・上杉景勝に下賜されると「上杉瓢箪」として知られるようになる 1 。一つの器物が、これほどまでに所有者の名を冠して呼ばれ続けた事実は、この茶入が単なる美術品ではなく、その時々の最高権力者の威光を象徴し、彼らの運命と分かち難く結びついていたことの証左に他ならない。

本報告は、この一つの茶入が辿った五百年にわたる旅路を丹念に追うことで、それが目撃してきた権力闘争、文化交流、美意識の変遷、そして武将たちの情念を解き明かし、戦国という時代の多層的な実像に迫ることを目的とする。

第一章:「大名物」の誕生 ― 唐物茶入の価値と東山文化

「大友瓢箪」が後世に絶大な価値を持つに至った原点は、室町時代における中国伝来の文物「唐物」への憧憬と、それらを格付けする「大名物」という概念の成立にある。この章では、まず器物そのものの美しさに迫り、次いでその価値を不動のものとした歴史的背景を解明する。

第一節:器物としての「上杉瓢箪」

この茶入は、中国の明時代、15世紀頃に制作されたと見られる「唐物」である 4 。その物理的特徴は、後世の茶人たちを魅了し続けた。

  • 形状と寸法: 形状は、口の部分がややくびれた「口瓢箪」に分類される 6 。寸法は胴径が約6.0cmから6.4cm、高さが約6.5cmから7.0cmと、手のひらにすっぽりと収まるほどの小ぶりなものである 2 。その小ささにもかかわらず、薄手で精巧な作りは見る者に緊張感を与え、「名物茶入中最小」とも評される 6
  • 釉薬と「景色」: この茶入の最大の魅力は、その複雑で美しい釉薬の調子、すなわち「景色」にある。素地には柿色で鉄分を帯びた「柿金気釉」が施され、その中に共色の釉薬が円形に抜けた「抜け紋」が見られる。さらにその上から、黒みがかった飴色の釉薬が重なり、鶉の羽の斑紋を思わせる景色(鶉斑)をなしている。そして、口縁から肩にかけては濃い黒飴釉がなだれ落ちるようにかかり、器全体に劇的な表情を与えている 6 。これら複数の釉薬が織りなす景色は、偶然の産物でありながら、計算され尽くしたかのような調和を見せ、小さな器の中に無限の宇宙を想起させる。

第二節:唐物崇拝と「大名物」の権威

この茶入が単なる美しい陶磁器にとどまらず、特別な価値を持つに至ったのは、その出自と初期の伝来に負うところが大きい。

  • 「大名物」の定義: 茶道具の世界における「大名物」とは、主に千利休以前の時代に選定された、由緒が深く、最も貴重とされる茶器群を指す言葉である 9 。その多くは、室町幕府八代将軍・足利義政が収集した「東山御物」に源流を持つ 9 。義政は、唐物の中でも特に優れた品々を求め、その審美眼によって選ばれた道具は、後世の武将や茶人にとって絶対的な権威の象徴となった。「上杉瓢箪」もまた、義政が中国に注文した数多の品々の中で「最上の出来」であったと伝えられている 3
  • 初期の伝来: 東山御物であったこの茶入は、義政から、わび茶の祖と称される村田珠光、そしてその弟子である武野紹鴎へと受け継がれた 2 。この伝来の系譜は、この茶入の価値を決定的にした。足利将軍家という最高の政治的権威と、珠光・紹鴎という茶の湯における最高の精神的権威。この二つの権威によって保証されたことで、「上杉瓢箪」は単なる美術品としての価値を超え、茶の湯の歴史と精神性を体現する「聖遺物」とも言うべき存在へと昇華されたのである。戦国の武将たちがこの茶入を渇望したのは、その物理的な美しさ以上に、この茶入に付与された「将軍家と茶の湯の祖が認めた最高峰の逸品」という、揺るぎない権威の物語そのものを手中に収めたいという欲望があったからに他ならない。

第二章:西国の覇権と血塗られた継承 ― 大内家から大友家へ

室町幕府の権威が揺らぎ、群雄が割拠する時代になると、「大友瓢箪」の物語は西国へと移る。そこでは、一つの茶入が、一族の命運と引き換えに取引されるという、戦国時代ならではの過酷な現実が繰り広げられた。

第一節:国際都市・豊後府内と大友宗麟の文化力

この茶入の新たな所有者となったのは、九州六カ国の太守にして、日本史上最も有名なキリシタン大名の一人、大友宗麟であった。

  • 人物と経済力: 宗麟は、後に豊臣秀吉が千利休にその人物を問うた際、利休が「なかなかの数寄者(茶の湯の道を深く理解する人物)です」と評したほどの、熱心な茶の湯の愛好家であった 13 。彼の文化的活動を支えたのは、その本拠地・豊後府内(現在の大分市)の経済力であった。府内は南蛮貿易の拠点として栄え、アジアやヨーロッパの文物が集まる国際貿易都市としての性格を帯びていた 14 。遺跡からの出土品は、中国や東南アジア産の陶磁器が多数を占め、その富裕さと国際性を物語っている 16
  • 名品収集: 宗麟は、この莫大な経済力を背景に、博多の商人などを通じて茶道具や書画を精力的に収集した。そのコレクションには、「天下三肩衝」の一つに数えられる「新田肩衝」も含まれており、彼の審美眼と収集への情熱が窺える 13 。宗麟にとって、名物収集は単なる趣味ではなく、西国随一の文化人たることを内外に示すための、重要な政治的・文化的戦略であった。

第二節:大内家の滅亡と瓢箪の行方

宗麟が「大友瓢箪」を手に入れる経緯は、戦国時代の非情さを象徴する逸話として語り継がれている。

  • 背景: 西国の名門・大内義隆が家臣の陶晴賢による謀反(大寧寺の変)で自刃した後、宗麟は自らの実弟である晴英を、名目上の当主「大内義長」として周防・長門に送り込んでいた 19 。しかし、宗麟と義長の関係は不和であったと伝えられている 20
  • 運命の取引: 弘治3年(1557年)、中国地方で勢力を拡大した毛利元就が、陶晴賢を厳島の戦いで破り、その勢いのままに大内領へ侵攻。義長を長門の長福寺(現在の功山寺)に追い詰めた。この時、元就は宗麟に使者を送り、義長の助命についてその意向を尋ねた。
  • 宗麟の選択: 宗麟の返答は、冷徹なものであった。「義長の命は元就殿のお考えのままでよい。兄弟仲も良くなかったので、助命は望まない。ただ、大内家に伝わる武野紹鴎所持の瓢箪の茶入、あれだけが惜しい。これを譲っていただけるならば本望である」 3
  • 結末: この返答を受け、元就は義長を自刃させ、その引き換えに瓢箪の茶入を宗麟に送った。こうして茶入は大友家の所有となり、「大友瓢箪」と呼ばれるようになったのである 3

この逸話は、単に宗麟の非情さや数寄狂いとして片付けるべきではない。当時の武将にとって、最高級の名物茶器は一城一国にも匹敵する価値を持ち、文化的な覇権を象徴するトロフィーであった 21 。政治的に見れば、すでに滅亡寸前の義長を救う実利はなく、むしろこの機に最大の文化資産を手に入れ、毛利との関係を安定させることは、極めて合理的な判断ともいえる。宗麟の選択は、個人的な感情を超え、自身の文化的権威の確立、領国の富と文化力の誇示、そして冷徹な政治的リアリズムが交錯した、戦国大名の価値観を象徴する決断だったのである。

第三章:天下人の掌中 ― 豊臣秀吉と茶の湯の政治利用

九州の雄・大友宗麟の手中にあった「大友瓢箪」は、やがて時代の潮流に乗り、天下統一を目前にした豊臣秀吉の手に渡る。この章では、茶の湯が最も政治的な色彩を帯びた時代における、この茶入の役割を分析する。

第一節:九州平定と名物の献上

  • 服従の証: 天正15年(1587年)、豊臣秀吉が島津氏を討つために九州へ大軍を率いて侵攻すると(九州平定)、大友家もその軍門に降った。この時、宗麟の子である大友義統は、秀吉の権威に完全に服従する証として、大友家が所有する最高の宝である「大友瓢箪」を献上した 3 。名物の献上は、単なる贈答ではなく、自らの支配権を明け渡し、新たな主君の秩序に組み込まれることを認める、極めて重要な政治儀礼であった。
  • 天下人のコレクション: 秀吉は「初花肩衝」や「新田肩衝」といった「天下三肩衝」をはじめ、天下の名物をことごとく手中に収めることで、自らが文化的にも日本の頂点に立つことを示そうとした 21 。「大友瓢箪」もまた、その至高のコレクションに加えられ、天下人の権威を装飾する一つのピースとなった。

第二節:聚楽第行幸と上杉景勝への下賜

献上された「大友瓢箪」が、次に歴史の表舞台に登場するのは、豊臣政権の栄華の頂点ともいえる一場面であった。

  • 政治の舞台: 天正16年(1588年)4月、秀吉は京都に築いた壮麗な邸宅「聚楽第」へ後陽成天皇の行幸を迎えた。これは、秀吉が天皇をも動かす存在であることを天下に知らしめるための、空前の政治的パフォーマンスであった 3
  • 下賜の儀: この歴史的な行幸の最中、秀吉は列席した諸大名の前で、自らの手ずから「大友瓢箪」を上杉景勝に与えた 3 。この下賜の瞬間から、茶入は「大友瓢箪」から「上杉瓢箪」へとその名を変え、新たな物語を歩み始めることになる 1
  • 政治的意図: この場には徳川家康や織田信雄といった全国の有力大名が顔を揃えており、彼らの面前でこの儀式が行われたことの政治的意味は極めて大きい 23 。秀吉による「上杉瓢箪」の下賜は、単なる気まぐれな贈り物ではない。それは、豊臣政権における新たな秩序を視覚的に示す、高度に計算された政治的行為であった。父・謙信以来の独立性と強大な軍事力を保持する景勝に対し、土地の加増という直接的な恩賞ではなく、最高の文化的栄誉を与えることで、彼を豊臣政権の文化的な序列の中に組み込み、特別な信頼を示すと同時に、その力をコントロールしようとしたのである。他の大名に対しては、「景勝は私にとってこれほど重要な人物である」というメッセージを送ると同時に、「私にはこれほどの宝を人に与える権威と度量がある」という絶対的な権勢を見せつける効果があった。秀吉は、文化的な価値(名物)を政治的な価値(恩賞・忠誠)に変換するシステムを巧みに利用し、天下を統治したのである。

第四章:寡黙な大名の至宝 ― 上杉景勝の愛蔵と美意識の交差点

寡黙で質実剛健、生涯笑うことがなかったとも伝えられる上杉景勝が、この華麗な茶入を深く愛したという事実は、画一的な戦国武将のイメージに揺さぶりをかけ、桃山文化の多様性を考える上で極めて興味深い視点を提供する。

第一節:戦陣に携行された茶入

  • 景勝の愛蔵ぶり: 景勝はこの「上杉瓢箪」をことのほか秘蔵し、その愛着は異常なほどであったと伝えられる。特に有名な逸話が、戦場に赴く際にも錦の袋に入れて首から下げ、片時も身から離さなかったというものである 3 。この行動は、彼にとってこの茶入が単なる財産や秀吉からの下賜品というだけでなく、精神的な支え、あるいは守り神のような存在ですらあった可能性を示唆している。
  • 公の場での披露: 景勝の愛蔵は、秘められたものだけではなかった。慶長8年(1603年)、江戸幕府二代将軍となる徳川秀忠が上杉邸を訪れた際、景勝はこれを「太閤様より賜った天下無類の瓢箪茶入」として披露し、自ら茶を点じてもてなした 3 。これは、秀吉から受けた恩義と上杉家の格式を、新たな天下人である徳川家に対して誇りをもって示す行為であった。

第二節:唐物名物とわび茶の美意識

景勝が「上杉瓢箪」を愛した時代は、茶の湯の世界で大きな美意識の転換が起きていた時期でもあった。

  • 対極の美: 「上杉瓢箪」は、精緻な技巧と華やかな釉薬を特徴とする中国伝来の「唐物」の代表格である 6 。その美意識は、完璧さや豪華さを志向するものであった。一方、同時代に千利休によって大成された「わび茶」は、不完全さ、素朴さ、静寂さの中にこそ深い美を見出すものであり、その精神は、ろくろを使わず手捏ねで成形された樂家初代・長次郎作の黒樂茶碗などに象徴される 24
  • 桃山文化の二面性: この二つの美意識は、一見すると対極にある。しかし、この両者を庇護し、楽しんだのが豊臣秀吉その人であった。秀吉は、移動式で組立て可能な「黄金の茶室」に代表される豪華絢爛な趣味を持つ一方で、利休が追求した究極の簡素美である「わび茶」を深く理解し、取り入れた 27 。このことから、桃山文化は一つの美意識に収斂されるものではなく、華麗と質朴、動と静といった、相反する要素が共存し、互いに刺激し合うダイナミックなものであったことがわかる。

質実剛健な景勝が華麗な「上杉瓢箪」を愛したという事実は、一見すると矛盾に満ちている。しかし、この「矛盾」こそが、戦国武将の画一的なイメージを覆し、桃山文化の持つ多面性と奥深さを体現しているのである。景勝の愛蔵は、彼が単なる武人ではなく、秀吉との関係性という政治的文脈を深く理解し、同時に純粋な美を愛でる感性を持ち合わせた、複雑な人格の持ち主であったことを示している。彼の姿は、豪華さと素朴さ、武と文が共存した桃山文化そのものの縮図と見ることができるだろう。

第五章:泰平の世の流転 ― 徳川の世から近代へ

戦乱の時代が終わり、泰平の世が訪れると、「上杉瓢箪」の役割もまた変化する。権力闘争の象徴から、家の格式を示す道具へ、そして近代には市場で取引される美術品へと、その価値のあり方を変えながら流転していく。

第一節:上杉家から将軍家へ ― 藩財政と名物の献上

  • 背景: 関ヶ原の戦いの後、上杉家は会津120万石から米沢30万石へと大幅に減封され、家臣団の規模を維持したままだったため、常に深刻な財政難に苦しんでいた 29 。藩の財政は逼迫し、先祖伝来の道具類を質入れして借金を重ねるほどであった 29
  • 献上: 正保2年(1645年)、米沢藩三代藩主・上杉綱勝は、父・定勝の遺物として、家宝中の家宝であった「上杉瓢箪」を将軍家(徳川家光)に献上した 3 。これは、藩主交代時に新たな主君への忠誠を示す重要な儀礼であり、同時に、財政的に苦しい中でも最高の宝を差し出すことで、幕府との良好な関係を維持しようとする必死の表れでもあった。景勝が戦陣にまで携行した愛蔵品は、藩の存続をかけた外交カードとなったのである。

第二節:大名間の移動と紀州徳川家への伝来

将軍家の所有となった「上杉瓢箪」は、その後もしばらく流転を続ける。

  • 権威の通貨として: 将軍家から加賀百万石の藩主・前田利常に下賜され、その孫である綱紀の代に再び将軍家へ献上されるという経緯を辿る 3 。このように、江戸時代において名物茶道具は、もはや武功の恩賞ではなく、幕府と有力大名との間の関係性を潤滑にするための、高度な贈答品、いわば「権威の通貨」として機能した。
  • 安住の地: 寛文7年(1667年)、徳川御三家の一つである紀州徳川家の初代藩主・徳川頼宣に下賜され、以降、幕末を経て近代に至るまで、約260年間にわたり長く紀州徳川家に安住することになる 2

第三節:近代 ― 競売と新たな所有者

明治維新による武家社会の終焉は、「上杉瓢箪」の運命を再び大きく変える。

  • 価値の変容: 昭和2年(1927年)4月、紀州徳川家の所蔵品が売り立てに出され、「上杉瓢箪」も競売にかけられた。これを、実業家であり当代随一の茶人でもあった野村徳七(号・得庵)が、35,960円という高値で落札した 3
  • 貨幣価値の換算: 当時の企業物価指数を基に換算すると、昭和2年の1円は令和元年の約636円に相当する 32 。したがって、落札価格は現在の価値で約2,287万円となる。かつて一国の価値にも例えられた名物としては、この価格は新たな時代の価値観を象徴している。絶対的な権威の象徴から、市場経済の中で価格が付けられる「美術品」へと、その価値の尺度が完全に移行した瞬間であった。
  • 現代へ: その後、この茶入は野村得庵の優れたコレクションを母体として設立された、京都の野村美術館に収蔵され、多くの人々の目に触れる機会を得て現在に至っている 1

この一連の変遷は、「上杉瓢箪」が個人の所有物から、社会全体の「文化遺産」へとその性格を変えていくプロセスそのものである。武家の権威の象徴であった茶入は、近代資本主義の担い手である実業家の手に渡り、最終的には美術館という公共の場でその物語を語り継がれることになった。それは、日本の社会における「価値」の尺度が、政治的・封建的なものから経済的・文化的なものへと移行していく過程を象徴している。

第六章:「天下六瓢箪」の世界

「大友瓢箪」の価値をより立体的に理解するためには、それが属する「天下六瓢箪」というカテゴリーの中に位置づけることが有効である。この枠組みは、数ある瓢箪形茶入の中で、この器が如何に特別な存在であったかを浮き彫りにする。

第一節:「天下六瓢箪」の概要

  • 定義と構成: 「天下六瓢箪」とは、江戸時代から近代にかけての茶書、特に高橋箒庵が編纂した『大正名器鑑』などで定められた、唐物瓢箪茶入の中でも特に優れた六つの名品の総称である 35 。その構成は、
    上杉瓢箪 (一名 大友瓢箪)、 稲葉瓢箪 真珠庵瓢箪 佐久間瓢箪 茶屋瓢箪 玉津島瓢箪 の六つを指す 3
  • 文化的意味: 瓢箪は、多くの種子を持つことから子孫繁栄の、蔓が伸びて実が鈴なりになる様から商売繁盛の象徴とされた 38 。さらに、「六瓢(むびょう)」が「無病(むびょう)」に通じることから、無病息災を願う吉祥文様としても人々に愛された 38 。このため、「天下六瓢箪」という呼称には、単なる格付け以上の、縁起の良さや文化的含意が込められている。

第二節:各瓢箪の概要と比較

「天下六瓢箪」に数えられる茶入たちは、それぞれ異なる運命を辿った。「上杉瓢箪」の際立った地位は、他との比較によってより鮮明になる。

  • 上杉瓢箪: 本報告の主題。天下六瓢箪の「随一」、すなわち筆頭と称される 3 。その伝来は足利義政から始まり、途切れることなく詳細に記録され、現存する。現在は野村美術館蔵。
  • 稲葉瓢箪: 上杉瓢箪に次ぐ「第二の名品」と評価される 36 。小田原藩主・稲葉正則が所持したことによる名。明治期に岩崎家に渡り、現在は静嘉堂文庫美術館に所蔵されている 36
  • 玉津島瓢箪: 中興名物の一つ。尾張徳川家に伝来し、現存する 37 。現在は徳川美術館蔵。
  • 真珠庵瓢箪、佐久間瓢箪、茶屋瓢箪: これら三つの茶入は、かつて名物として知られていたものの、その後の伝来は不明確であり、現在は散逸したか、戦火などで失われたと考えられている 37

この六つの名物の情報を以下の表に整理する。

別名

主な伝来の要点

現所蔵

備考

上杉瓢箪

大友瓢箪、大内瓢箪

足利義政→大友宗麟→秀吉→上杉景勝→紀州徳川家

野村美術館

天下六瓢箪の随一 。本報告の主題。

稲葉瓢箪

大友家?→稲葉正則→岩崎家

静嘉堂文庫美術館

天下六瓢箪の第二とされる。現存。

玉津島瓢箪

尾張徳川家

徳川美術館

中興名物。現存。

真珠庵瓢箪

不明

散逸・所在不明

佐久間瓢箪

不明

散逸・所在不明

茶屋瓢箪

茶屋家→本多家

散逸・所在不明

「天下六瓢箪」という枠組み(カノン)の形成は、茶道具の価値を体系化し、後世に伝える上で決定的な役割を果たした。この格付けの中で、六つのうち三つまでもが時の流れの中に失われているという事実は、名物がいかに失われやすいものであったかを物語っている。その中で「上杉瓢箪」が、最も劇的で詳細な伝来の物語と共に、筆頭の評価を冠して現存しているという事実は、数多の名物が戦火や政変で失われた歴史を鑑みれば、まさに奇跡的と言えるだろう。物そのものの美しさと、それに劣らぬ物語の豊かさが一体となって、「上杉瓢箪」の六瓢箪中の筆頭という評価を不動のものにしているのである。

終章:歴史の証人として

足利義政の審美眼によって見出されてから、実業家・野村徳七のコレクションに収まるまで、およそ五百年にわたる「大友瓢箪」の旅路は、日本の歴史そのものの縮図であった。

この一つの小さな茶入は、室町幕府の文化的権威、戦国大名の熾烈な興亡、天下人の野望と政治戦略、泰平の世の新たな秩序、そして近代資本主義の勃興という、日本の歴史の大きな転換点をことごとく目撃してきた、寡黙な「証人」である。大友宗麟の冷徹な決断、豊臣秀吉の計算された下賜、上杉景勝の戦陣での愛蔵。それぞれの逸話は、この茶入が単なる器物ではなく、所有者の情念や時代の価値観を色濃く映し出す鏡であったことを示している。

その呼び名が「大内」「大友」「上杉」と変遷したこと自体が、権力と文化の中心が時代と共に移り変わっていった歴史のダイナミズムを物語る。そして最終的に美術館に収蔵され、特定の家の秘蔵品から、誰もが鑑賞できる公共の文化財となった現代の姿は、この茶入の物語が新たな章に入ったことを意味している。

「大友瓢箪」の物語は、モノが単なる物質ではなく、人間の記憶、価値観、情念を宿し、時代を超えて我々に語りかける媒体となりうることを力強く示している。この歴史的遺産に刻まれた物語を丹念に読み解き、その意味を問い、次代に継承していくこと。それこそが、過去と対話し、現在を深く理解するための、我々に課せられた文化的な責務と言えるだろう。

引用文献

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  2. (摸)大名物 上杉瓢箪茶入(一名 大友瓢箪)(仕覆:青木廣東) | seishodo.com https://www.seishodo.com/product-page/%E6%91%B8-%E5%A4%A7%E5%90%8D%E7%89%A9-%E4%B8%8A%E6%9D%89%E7%93%A2%E7%AE%AA%E8%8C%B6%E5%85%A5-%E4%B8%80%E5%90%8D-%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E7%93%A2%E7%AE%AA
  3. 上杉瓢箪 - 名刀幻想辞典 https://meitou.info/index.php/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E7%93%A2%E7%AE%AA
  4. 上杉瓢箪茶入に惹きつけられる。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎名古屋店) https://fu-ko-sya.com/archives/6863
  5. 平成29年度 - 米沢市上杉博物館 https://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/pdf/nenpo/nenpo30.pdf
  6. 上杉瓢箪 うえすぎひょうたん - 鶴田 純久の章 https://turuta.jp/story/archives/1153
  7. 展覧会名 - 広島県立美術館 http://www.hpam.jp/htdocs/images/about/AnnualReport1997H9-2.pdf
  8. 送料無料(茶道具/濃茶器)大名物唐物 上杉瓢箪茶入写し 笹田有祥作 正絹仕服 桐箱入 https://store.shopping.yahoo.co.jp/teakomaya/yusho-uesugi.html
  9. 大名物(オオメイブツ)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%90%8D%E7%89%A9-450962
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  39. 六瓢箪 吟醸仕込み 佐藤酒造 - かねなか酒店 https://www.kanenaka-sake.com/?pid=145381568
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