最終更新日 2025-05-25

百里黒

百里黒

戦国時代の名馬「百里黒」に関する調査報告

序論:戦国時代における馬の役割と本報告書の目的

戦国時代において、馬は単なる移動手段としての価値を超え、武将の武威を示す象徴であり、戦場における機動力の源泉、さらには社会的地位を誇示する重要な要素であった。優れた馬は、その所有者である武将の勇猛さや統率力を体現するものとして認識され、数々の逸話や伝説とともに後世に語り継がれてきたのである 1 。名馬の存在は、合戦の勝敗を左右し得るだけでなく、武将個人の名声を高める上でも不可欠であったと言えよう。

本報告書は、戦国時代にその名が散見される「百里黒」という馬、及び関連すると考えられる「百里」という名の馬に着目する。現存する資料や各地に伝わる伝承を丹念に調査・分析し、その実像に可能な限り迫ることを目的とする。特に、その名称の由来、所有者とされる人物、具体的な逸話、そして史実としての確度について、多角的な検証を試みるものである。

第一部:「百里黒」の名と伝承 ― 現代における認識を中心に

第一章:「百里」という名称の含意

「百里」という言葉は、古来、長大な距離を示すと同時に、それを踏破し得る馬の卓越した速力や持久力を象徴する表現として、中国の古典や日本の軍記物語などで頻繁に用いられてきた 4 。例えば、「一日に千里を走る」と称された赤兎馬の伝説は、馬の並外れた能力を示す典型例である 4 。したがって、馬名に「百里」が冠される場合、その馬が単なる駄馬ではなく、特筆すべき駿馬であったことを強く示唆していると考えられる。

さらに「黒」という語が付加される場合、その馬の毛色が黒であったことを示すと解釈するのが自然であろう。戦国武将の愛馬には、武田信玄の「黒雲」 9 、本多忠勝の「三国黒」 9 など、黒馬の事例が数多く見受けられる。また、時代は遡るが、源義経の愛馬として名高い「太夫黒」も著名な黒馬の例として挙げられる 10 。黒という毛色は、力強さや精悍さを想起させ、武将の威容を際立たせるものとして好まれた可能性が考えられる。

ここで考慮すべきは、「百里」という名称が、特定の一個体を指す固有名詞である可能性と同時に、その馬が持つ百里を駆け抜けるほどの卓越した速力や持久力を称えた一種の称号、あるいは通称であった可能性である。「千里馬」という言葉が特定の馬名ではなく、優れた馬の代名詞として用いられるように、「百里」もまた、同様の機能を持っていたかもしれない。もし後者であれば、時代や地域を超えて、同名あるいは類似の呼称を持つ優れた馬が複数存在したとしても何ら不思議ではない。この視点は、「百里黒」という呼称が特定の時代の特定の馬を指すのか、あるいはある種の理想化された駿馬のイメージを指すのか、という本質的な問いへと繋がる。

第二章:諸資料に見る「百里黒」― 主に現代の資料から

近年の歴史関連のウェブサイトや、特に戦国時代を題材としたコンピュータゲームのデータベースなどにおいて、「百里黒」という名の馬が散見される 17 。これらの情報源を参照すると、「百里黒」は多くの場合、戦国武将・本多忠朝の愛馬として紹介されている。その特徴としては、「スピードタイプ」の軍馬として分類されたり 17 、「駈ければ瞬時に目的地に着いたと言われる俊足の名馬」といった伝説的な能力が付与されたりしている記述が見受けられる 20

これらの現代の資料における「百里黒」の描写は、本多忠朝の持ち馬であり、黒毛の俊足の馬という、ある程度共通したイメージを形成している。しかしながら、これらの情報の具体的な出所や、それを裏付ける一次史料、あるいは信頼性の高い二次史料については、必ずしも明確に示されていない場合が多い 20 。参考文献の探索においても、古典籍や古文書といった直接的な史料への言及は乏しく、情報の連鎖的な引用や、詳細不明な伝聞に基づく記述が少なくないことが窺える 21

このような状況を鑑みると、現代における「百里黒」の具体的なイメージ、特にその詳細な能力や逸話は、ゲームソフトをはじめとするエンターテイメント作品群を通じて形成され、拡散された側面が強いのではないかという可能性が浮上する。戦国時代を扱ったゲームでは、登場する武将だけでなく、その愛馬にも個性的な名称や能力を設定し、キャラクター性を際立たせるのが一般的である。その際、「百里」という名称が持つ「速さ」や「長距離走破能力」といった喚起力と、武将の馬として勇壮なイメージを持つ「黒」という毛色を組み合わせ、「百里黒」という魅力的な名馬像を創造することは、コンテンツ制作の観点からは自然な流れと言える。そして、これらの作品群で描かれた「百里黒」のイメージが、繰り返し参照され、語られることによって、史実としての確固たる根拠が薄いまま、あたかも著名な実在の馬であったかのような認識が広まったのではないか、という仮説が成り立つ。主要な歴史的名馬の一覧にその名が見られないこと 9 も、この仮説を補強する一材料となるかもしれない。

第二部:本多忠朝と愛馬「百里」― 寺伝と郷土の伝承を追う

第一章:本多忠朝の生涯と大坂の陣

本多忠朝は、天正10年(1582年)、徳川四天王の一人に数えられる勇将・本多忠勝の次男として誕生した 26 。関ヶ原の戦いの後には、その功績により上総国大多喜藩の藩主となっている 29

忠朝の武将としての生涯において、最も特筆すべき出来事は、慶長20年(1615年)に勃発した大坂夏の陣への参戦である。伝えられるところによれば、その前哨戦とも言える大坂冬の陣において、忠朝は酒による油断から失態を演じたともされる 26 。この汚名を返上すべく、夏の陣では天王寺・岡山の戦いにおいて徳川軍の先鋒の一翼を担い、毛利勝永隊をはじめとする豊臣方の精鋭と激しく衝突した。奮戦及ばず、忠朝は数多の傷を負い、戦場に斃れたと記録されている 26 。時に忠朝、34歳であった 32 。その死に際して徳川家康は、「父忠勝に劣らぬ武将であるぞ」と、その勇戦を称えたという 32

忠朝の死後、その墓所は大阪の天王寺区に位置する一心寺に設けられ、後世、「酒で身を誤る者を救おう」という遺言があったとの伝承から、「酒封じの神」として信仰を集めるようになった 26 。本多忠朝の人物像は、父・忠勝譲りの勇猛さを持ち合わせる一方で、酒席での失敗が伝えられるなど、人間的な弱さも併せ持っていたことが窺える。大坂夏の陣での壮絶な討死は、父祖の名を辱めまいとする強い意志と、冬の陣での不覚を挽回しようとする決意の表れとも解釈でき、その悲劇的な最期は、忠義の愛馬の物語と結びつきやすい土壌を提供した可能性がある。歴史上、悲運の武将とその愛馬の物語は数多く語り継がれており(例えば源義経と太夫黒など)、忠朝の勇戦と死、そして後述する「百里」という駿馬の存在が、同様の物語性を帯びるに至ったとしても不思議ではない。

第二章:行元寺の記録に見る愛馬「百里」

千葉県いすみ市に現存する天台宗の古刹、行元寺(旧称・荻原寺)には、本多忠朝とその愛馬に関する注目すべき記録が伝えられている。この記録によれば、忠朝はかの大坂夏の陣において、「百里」という名の愛馬に跨り奮戦し、壮絶な討死を遂げたとされる 31 。この記述は、「百里」という名の馬が本多忠朝と結びつけて語られる上で、現存する数少ない具体的な情報源の一つとして極めて重要である。

特に、資料 31 に見られる「無念に思った本多忠朝は、あくる大阪夏の陣に名誉挽回、愛馬『百里』にまたがって敵陣深く進んで首級をあげ討死」という一節は、忠朝の決死の覚悟と、その戦場における「百里」の役割を明確に示唆している。行元寺は、忠朝が深く帰依した亮運住職と縁の深い寺院であり 31 、忠朝に関する何らかの記録や伝承が残されていたとしても不自然ではない。

ここで特に注目すべきは、行元寺の記録において、馬の名が「百里黒」ではなく、単に「百里」と記されている点である。これは、「百里」が元々の馬名、あるいは通称であり、「黒」という毛色を示す語は後世に付加されたか、あるいは全く別の伝承系統で語られたものである可能性を示唆している。寺伝の成立時期やその性質については更なる詳細な検討を要するものの、この行元寺の記録こそが、後に「百里黒」として知られるようになる名馬伝説の核となる史料である可能性は高い。寺社縁起や記録類は、必ずしも厳密な歴史史料とは言えない側面も持つが、一方で、地域における特定の人物や出来事に関する伝承の核となる貴重な情報を保持している場合も少なくない。もし「百里」が中核的な名称であり、後になって「黒」という毛色の情報が何らかの形で加わったとすれば、「百里黒」という呼称の成立過程の一端を垣間見ることができる。これは、情報が人々の間で伝播する過程で、詳細が付加されたり、複数の異なる情報が統合されたりする可能性を示唆するものと言えよう。

第三章:「駒返し坂」の伝承

千葉県夷隅郡大多喜町およびその周辺地域には、「駒返し坂」と呼ばれる坂の地名由来として、本多忠朝にまつわる民話が語り継がれている 32 。この伝承の骨子は、忠朝が大坂へ出陣する途上、道端から現れたイタチが馬の前を横切ったのを不吉の兆しと捉え、軍勢に馬を引き返させ、別の経路を選んで進軍したというものである。この故事に因んで、その坂が「駒返し坂」と呼ばれるようになったとされている。

この興味深い伝承に登場する馬について、その具体的な名称は、現存する資料の中では残念ながら記されていない。「忠朝の馬」 32 、あるいは単に「馬(駒)」 32 といった一般的な表現が用いられているのみである。したがって、この「駒返し坂」の逸話に登場する馬が、前述の行元寺の記録に見える「百里」、あるいは現代に伝わる「百里黒」と同一の馬であったと直接的に結びつける史料は、現時点での調査では確認することができなかった 32

「駒返し坂」の伝承は、本多忠朝という武将の人物像の一面(例えば、戦に際して縁起や迷信を重んじる当時の武士の一般的な心性)や、大多喜藩主としての地域との関わりを示す貴重な民俗資料と言える。しかしながら、「百里」あるいは「百里黒」という特定の馬の物語とは、現時点では別系統の伝承と見なすのが妥当であろう。もちろん、藩主が重要な軍事行動である出陣に際して用いた馬であれば、それなりの資質を備えた良馬であった可能性は十分に推測できる。しかし、それが特定の名称を持つ名馬「百里(黒)」であったと断定するには、より直接的な証拠が必要となる。この逸話は、「百里(黒)」の調査においては参考情報として留めつつも、直接的な証拠として扱うことには慎重であるべきであり、地域に根差した本多忠朝と彼の(特定の名前ではない)馬に関する物語として位置づけるのが適切である。

第三部:「百里黒」の実在性と史料的検討

第一章:情報源の比較検討と「百里」から「百里黒」へ

「百里黒」に関する情報は、その性質や時代背景から、大きく以下の三つに分類することができる。第一に、江戸時代以降に成立した可能性も視野に入れるべき寺社縁起や記録類(具体的には行元寺の記録に見える「百里」)。第二に、近現代に編纂された可能性のある郷土史資料や民話集(例えば「駒返し坂」の伝承など)。そして第三に、現代の出版物やインターネット上で流通している情報(特にコンピュータゲームの関連情報や、それを基にしたと思われるウェブサイトの記事など)である。

これらの情報源の中で、本多忠朝の愛馬に関する最も古い、あるいは中核的な記述と考えられるのは、行元寺の記録に見られる「百里」という名称である 31 。この記録の史料としての価値(例えば、記録が成立した正確な年代、記録の性質や目的など)については、更なる専門的な精査が望まれるところではあるが、現時点においては、これが「百里」という馬の存在を具体的に示す最も重要な手がかりと言える。

一方、現代の情報源、特にインターネット上の情報やゲーム関連の資料においては、「百里黒」という名称でほぼ統一され、さらに「俊足である」「スピードタイプの馬である」といった具体的な能力や特徴が付与される傾向が顕著に見られる 17 。この現象は、情報が伝達され、あるいは再生産される過程で、「百里」という名称自体が持つ「速さ」や「長距離走破」といったイメージが強調され、さらに「黒」という具体的な毛色が特定され、付加されていった結果である可能性が考えられる。

すなわち、「百里黒」という具体的な名称と、それに伴う詳細な設定(特にゲーム内における能力値や特殊能力など)は、行元寺に伝わる「百里」という馬の伝承を原点としつつも、現代のコンテンツ制作者が物語性やキャラクター性を付与するために肉付けし、再構築した結果として生まれた「現代の伝説」としての側面が強いと推察される。歴史的事実としての「百里」の可能性と、物語や創作物の中で形成された「百里黒」のイメージとを、明確に区別して捉える必要がある。元のシンプルな伝承(本多忠朝の愛馬「百里」)が、よりドラマチックな物語性を求める現代のコンテンツの中で脚色され、より魅力的で具体的なキャラクターとして再構築された過程がここには見て取れる。特にゲームという媒体においては、登場する馬にも個別の名称と能力値を与える必要性から、「百里」という名から「速力」を、そして武将の馬として一般的で勇壮なイメージを持つ「黒」という毛色を組み合わせ、「百里黒」というキャラクターを創造した可能性は十分に考えられるのである。

第二章:他の名馬との比較 ― 特に本多忠勝の「三国黒」

本多忠朝の父であり、徳川四天王の一人としてその武勇を天下に轟かせた本多忠勝には、「三国黒」という名の愛馬がいたことが広く知られている 9 。この三国黒は、後に二代将軍となる徳川秀忠から拝領した馬であり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて忠勝を乗せて活躍したと伝えられているが、島津勢の銃撃により傷を負ったともされる 9

本多忠朝の愛馬とされる「百里(黒)」と、父・忠勝の愛馬「三国黒」は、共に本多家の武将が所有した馬であり、その毛色が「黒」である(あるいは「百里」の場合、後世に黒とされた)点で共通項を持つ。この類似性から、伝承が形成され、あるいは語り継がれていく過程で、両者の情報が混同されたり、一方の逸話が他方のイメージ形成に何らかの影響を与えたりした可能性も考慮に入れる必要がある。

しかしながら、両馬に関する記録や伝承を詳細に比較すると、活躍した主要な戦役(三国黒は関ヶ原の戦い、百里は大坂夏の陣)、直接の所有者(忠勝と忠朝)、そして伝えられる逸話の具体的な内容には明確な相違点が見られる。以下の表は、両馬に関する情報を比較検討したものである。

項目

本多忠朝の愛馬「百里(黒)」

本多忠勝の愛馬「三国黒」

所有者

本多忠朝

本多忠勝

主な活躍・戦役

大坂夏の陣 31

関ヶ原の戦い 9

毛色(史料・伝承)

「黒」は主に現代の資料による 17 。行元寺の記録では「百里」であり毛色不明だが、黒の可能性も否定できない。

9

主な特徴・逸話

俊足であったと伝わる 20 。主君と共に討死したとされる 31

徳川秀忠より拝領 9 。関ヶ原の戦いで被矢したとされる 9

主な登場史料・情報源

行元寺の記録 31 、ゲーム関連資料 17 、和樂webなどのウェブ記事 20

『藩翰譜』(の引用元として考えられる) 11 、各種名馬一覧 9 、その他歴史記録。

知名度・評価

歴史的にはその存在は限定的にしか知られていない。現代、特にゲームなどのエンターテイメント分野では一定の認知度がある。

歴史的に著名な名馬の一頭として広く認識されている。

この比較から、「三国黒」が比較的しっかりとした史料的裏付けを持つ名馬であるのに対し、「百里(黒)」に関する情報は伝承的要素が強く、特に「百里黒」という名称と詳細な能力については現代的な付加が多いことが改めて確認できる。

父・忠勝に「三国黒」という確固たる名馬の存在があったという事実は、後世の人々がその息子である忠朝にも、父に比肩するような「黒い名馬」のイメージを無意識のうちに求めたか、あるいはそのような物語を受け入れやすくした心理的背景を生んだ可能性も否定できない。行元寺に「百里」という馬の伝承が存在したとして、それが「黒馬」であったと解釈されたり、あるいは「黒」という属性が後から付加されたりすることで、父・忠勝の「三国黒」と対をなすような、あるいはそれを想起させるようなイメージが形成されたという間接的な影響も考えられる。これは、物語や伝説が形成される過程において、既存の有名なモチーフ(この場合は本多忠勝と三国黒)が、新たな物語(本多忠朝と百里)の形成や受容に影響を与える一例と言えるかもしれない。

第三章:戦国時代の馬に関する一般的考察

戦国時代の日本において、馬は主として軍馬として用いられており、その体格は現代競馬で見られるサラブレッド種などと比較すると、総じて小柄な在来種が中心であった 1 。これらの馬は、時にポニーに分類されることもあり、平均的な体高は130センチメートル前後であったと推定されている 1

日本の在来馬が持つ特徴としては、粗末な飼料にもよく耐え、総じて体質強健であり、蹄が堅固であることなどが挙げられる 1 。また、「側対歩」と呼ばれる、同じ側の前後の肢を同時に動かす独特の歩様は、特に山道などの不整地における荷駄輸送に適していたとされる 1

当時の主要な馬産地としては、奥州(特に南部駒などが知られる) 1 や甲斐国などが有名であった。本多忠朝が藩主を務めた上総国や、父・忠勝が後に移封された伊勢国も、それぞれ馬産や馬市と何らかの関連があったことが史料から窺える 29

戦国の武将たちは、単に馬の外見や体力だけでなく、その気性、縁起、時には血統なども重視し、愛馬との間には数多くの逸話が残されている。優れた馬は、各地で開かれた馬市などで高額で取引されることもあった 3

これらの背景を踏まえると、「百里(黒)」が仮に実在したとするならば、それは当時の日本在来馬の一頭であったと考えられる。その上で「百里を駆ける」と称されたのであれば、数多いる在来馬の中でも特に優れた速力や持久力を有していた個体であったと推測される。そして、その毛色が黒であったとすれば、当時の武士階級に好まれたであろう、力強く精悍な印象を周囲に与え、主君である本多忠朝の武威を高める一助となったことであろう。伊達政宗が黒で統一された武具を好んだ例 45 や、同じく政宗の愛馬「五島黒」 46 のように、黒馬は武将の威厳を示す上で好まれた可能性があり、もし「百里」が黒馬であったならば、その点も名馬としての評価を高める要因となったかもしれない。この考察は、「百里(黒)」の伝説が、当時の馬に関する一般的な特徴や、武士たちが抱いていた価値観とどのように関連しうるかを示すものである。

結論:「百里黒」に関する総合的評価

本多忠朝の愛馬として「百里」という名の馬が、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣において活躍し、主君と共にその最期を遂げたという伝承は、千葉県いすみ市の行元寺に残る記録にその名を見出すことができ 31 、一定の信憑性を持つものと考えられる。この「百里」こそが、「百里黒」伝説の原型である可能性が極めて高い。

「百里黒」という具体的な名称については、この行元寺の記録にある「百里」を指し、その毛色が黒であったとする解釈、あるいは後世の創作や、特に現代のコンピュータゲームなどのエンターテイメント作品の影響により、「黒」という属性が付加された呼称である可能性が高いと結論付けられる。特に「駈ければ瞬時に目的地に着いた」 20 といった具体的な能力や、ゲーム内で設定される詳細なパラメータ 17 などは、現代における脚色や創作の要素が色濃く反映された結果であると考えられる。

「百里(黒)」は、その父・本多忠勝の愛馬として名高い「三国黒」ほど、広範な歴史的史料にその名が登場する名馬ではない。しかしながら、本多忠朝という、若くして大坂の陣で勇猛果敢に戦い、悲壮な最期を遂げた武将の物語と強く結びつき、特定の地域(千葉県行元寺周辺など)や、特定の媒体(近年の歴史関連ウェブサイトやゲームなど)を通じて、その名と逸話が語り継がれてきた存在と言えるだろう。

今後の研究課題としては、まず行元寺に残る「百里」に関する記録の成立年代や、より詳細な内容について、古文書学的な再検証を行うことが挙げられる。また、他の地方史料、例えば大多喜藩や本多家関連の記録、あるいは大坂の陣に関するより広範な軍記物や覚書の中に、本多忠朝の馬に関する記述、あるいは「百里」という名の馬に関する更なる情報が存在しないか、探索を続けることが望ましい。これらの地道な調査を通じて、「百里」そして「百里黒」の実像は、より明確なものとなっていくであろう。

参考文献

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引用文献

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