ダンテ『神曲』と戦国時代の世界観を比較。罪、権力、救済、神の絶対秩序と現世的実力主義、裏切り、統治、導き手、女性像の差異を分析し、人間探求の普遍性を結論。
14世紀初頭のイタリアで完成したダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』と、15世紀末から16世紀末にかけて日本で展開された戦国時代。これら二つの時空間は、歴史上、直接的な接点を何ら持たない。しかし、両者は共に、既存の秩序が崩壊し、新たな価値観が模索される激動の時代に生まれた、人間精神の偉大な産物である。本報告書は、「もし戦国時代の武将が『神曲』を読んだなら、そこに何を見出し、何を理解し、そして何を断固として拒絶するのか?」という大胆な問いを羅針盤として設定する。この問いを通じて、二つの世界観の根底に横たわる思想、倫理、そして死生観を徹底的に比較分析することを目的とする。
この比較は、単なる文学と歴史の並置に留まるものではない。それは、唯一絶対神を中心とするキリスト教的宇宙観と、輪廻転生と無常観を基盤とする仏教的、そして神道的な世界観との根源的な対話の試みである。罪とは何か、正義とは何か、権力の源泉はどこにあるのか、そして人間はいかにして救済されるのか。これらの普遍的な問いに対し、フィレンツェの詩人と日本の武士が、いかに異なる、しかしいずれも真摯な答えを提示したのか。その相違と共鳴の様相を浮き彫りにすることで、それぞれの文化の深層構造を解明していく。
本稿の比較分析に着手するにあたり、まずはその一方の極である『神曲』が構築する壮大な宇宙の全体像を、物語、神学、そして政治思想という三つの側面から解明する。これは、後の戦国時代との比較における強固な土台となる。
『神曲』は、作者ダンテ自身を主人公とする一人称の物語である 1 。その旅路は、個人的な魂の救済を求める遍歴であると同時に、全人類に向けられた普遍的な寓意に満ちている。
物語は、人生の半ば(35歳)で「暗い森」に迷い込んだ主人公ダンテが、自らの魂の救済を求めて彼岸の世界を旅するところから始まる 1 。この旅は、単なる奇異な冒険譚ではなく、罪を犯した魂が自己の罪を認識し、それを浄化し、最終的に神の愛を直観するに至る、人間の魂の成長の旅路そのものを描いている 2 。地獄で罪人たちの永遠の苦しみを目撃し、煉獄で罪を悔いる魂たちと出会い、そして天国で神の愛に満ちた世界を体験することを通じて、ダンテは人間としての精神的変容を遂げるのである 2 。この構造は、一個人の苦悩や政治的失意といった個人的体験を、全人類が経験しうる「罪からの救済」という普遍的な物語の枠組みへと昇華させることに成功している 2 。
この困難な旅において、ダンテは一人ではない。彼の傍らには、それぞれが深い象徴的意味を持つ二人の導き手が存在する。
第一の導き手は、ダンテが詩の師として深く敬愛する古代ローマの詩人ウェルギリウスである 1 。彼は地獄と煉獄の案内人を務めるが、その役割は「理性」と「哲学」の象徴とされる 4 。彼はダンテにとって「師」であり、「優しい父」であり、旅人を守り導く知恵の化身として描かれる 6 。しかし、ウェルギリウスはキリスト教が確立される以前に生きた人物であるため、洗礼を受けておらず、天国へ入ることは許されない 4 。彼の案内は煉獄山の頂上で終わり、人間の理性が到達しうる限界点を象徴している。
理性の限界を超えた先、天国でダンテを導くのが、第二の導き手ベアトリーチェである。彼女は、ダンテが若き日に愛し、24歳で夭逝した実在の女性であるが、作中ではもはや現世の個人ではなく、神聖化された存在として描かれる 1 。彼女は「神の愛」や「神学」、あるいは神の「恩寵」の象徴であり、理性の光が届かぬ神の世界へとダンテを引き上げる役割を担っている 4 。ウェルギリウスが理性の導き手であるならば、ベアトリーチェは信仰の導き手であり、この二人の導き手の交代は、人間が救済されるためには理性と信仰の両方が不可欠であるというダンテの思想を示している。
『神曲』の中でも特に強烈な印象を与えるのが、緻密に構築された地獄の世界である。そこでは、罪の重さと性質に応じて、秩序ある罰が科せられている。
ダンテの描く地獄は、聖地エルサレムの地下に広がる巨大な漏斗状の大穴であり、九つの圏(サークル)で構成される 5 。上層から下層へ向かうにつれて圏は狭くなり、罪もまた重くなる 1 。この壮大かつ均整のとれた構造は、しばしばゴシック様式の大聖堂に譬えられる 9 。地獄の最下層、すなわち地球の中心には、かつて最も光り輝く天使でありながら神に叛逆した堕天使ルチフェロ(ルシファー)が、氷の中に閉じ込められている 5 。この地獄の構造は、単なる空想の産物ではない。その根底には、アリストテレスの倫理学、特に『ニコマコス倫理学』と、それをキリスト教神学の枠組みへと統合した聖トマス・アクィナスの『神学大全』の影響が色濃く見られる 10 。地獄の上層(第二圏から第五圏)に配置されるのは、理性が情念に負けた「放縦(抑制の欠如)」の罪であり、肉欲、貪食、貪欲、憤怒などがこれにあたる 7 。これに対し、地獄の下層(第七圏以降)は、理性を積極的に悪のために用いた「悪意」の罪であり、暴力、欺瞞、そして裏切りが含まれる 1 。このように、地獄は単なる罪の陳列棚ではなく、「人間特有の能力である理性を、いかに誤って使用したか」という極めて知的な基準によって階層化されているのである。
地獄で罪人たちが受ける罰は、無秩序で恣意的なものではない。それは「応報(コントラパッソ)」と呼ばれる詩的正義の原則に基づいている 2 。これは、科される罰が生前の罪の性質を象徴的・寓意的に反映するという法則である。例えば、生前に肉欲の嵐に身を任せた者は、地獄で荒れ狂う暴風に永遠に翻弄され続ける 16 。また、聖職売買の罪を犯した教皇たちは、頭から穴に逆さに突っ込まれ、足の裏を炎で焼かれるが、これは洗礼盤を金で満たそうとした行為の裏返しである 7 。この応報の論理は、それぞれの罪の本質を鋭く抉り出し、物語に強烈なリアリティと哲学的な深みを与えている。
ダンテの倫理体系において、最も重い罪と見なされるのは「裏切り」である。地獄の最下層、第九圏「コキュートス」は、炎ではなく、あらゆる熱を奪う氷の世界として描かれている 5 。ここは裏切り者が堕ちる場所であり、その罪の対象に応じて四つの円に分けられる。第一円「カイーナ」は肉親への裏切り者、第二円「アンテノーラ」は祖国への裏切り者、第三円「トロメーア」は賓客への裏切り者、そして第四円「ジュデッカ」は恩人への裏切り者が、それぞれ氷の中に永遠に閉じ込められている 17 。
この氷地獄の中心で、魔王ルチフェロが三つの顔を持つ巨大な姿で存在する。その三つの口は、人類史上最悪とされる三人の裏切り者を永遠に噛み砕いている。中央の口には、神の子イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダ。左右の口には、ローマ帝国建国の父であり、ダンテにとって理想の君主の祖であるユリウス・カエサルを暗殺したブルートゥスとカッシウスが罰せられている 17 。この三者の選定は、ダンテの価値観を明確に示している。すなわち、神の権威(教会)と地上の権威(帝国)という、神が定めた二つの秩序を破壊する「裏切り」こそが、人間が犯しうる最悪の罪であるという思想である。
地獄の絶望的な世界とは対照的に、煉獄と天国は希望と光に満ちた世界として描かれる。
地獄の旅を終えたダンテとウェルギリウスがたどり着くのは、南半球の海上にそびえ立つ巨大な「煉獄山」である 5 。ここは、生前に罪を犯したものの、死に際に悔い改めた魂や、救済の可能性がある魂が、天国へ昇る前に罪を浄化するための場所である 18 。地獄の罰が永遠であるのに対し、煉獄の苦しみは浄化のための試練であり、祈りによってその期間は短縮されうる 20 。したがって、この世界は希望に満ちている 16 。山の麓から頂上にかけては、キリスト教の「七つの大罪」(高慢、嫉妬、憤怒、怠惰、貪欲、貪食、色欲)に対応した七つの冠(階層)が設けられている 1 。ダンテは額に、罪を象徴する七つの「P」(ラテン語の
Peccatum 、罪)の印を天使によって刻まれ、各階層を登り、それぞれの罪を浄化する試練を経るごとに、印が一つずつ消されていく 5 。
煉獄山の頂上でウェルギリウスと別れたダンテは、ベアトリーチェに導かれて天国へと昇天する 5 。ダンテの天国は、古代のプトレマイオス朝の宇宙観に基づき、地球を中心とした十の天界から構成されている 5 。下から月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天、恒星天、原動天、そして最上階の至高天(エンピレオ)へと続く 5 。ダンテは各天界を上昇しながら、様々な聖人たちと出会い、高邁な神学や哲学に関する問答を交わす 1 。天国は光と愛と喜びの世界であり、上へ昇るほどにその輝きは増していく。最終的に至高天において、ダンテは神の直接の似姿を見ることはできないものの、宇宙のあらゆるものを動かす根源が神の「愛」であることを直観し、一瞬の「見神」の域に達して、その長大な旅を終える 5 。
『神曲』は単なる宗教詩ではない。それは、作者ダンテの熾烈な政治的闘争の産物でもある。
詩人であると同時に、ダンテは故郷フィレンツェの要職を務めた政治家でもあった 1 。当時のフィレンツェは、ローマ教皇を支持する教皇派(グエルフィ)と神聖ローマ皇帝を支持する皇帝派(ギベッリーニ)の対立に揺れていた 25 。ダンテが属した教皇派は、やがてフィレンツェの自立を重んじる白党と、教皇との結びつきを強めようとする黒党に分裂する 26 。白党の指導者の一人であったダンテは、1301年の黒党による政変と、それに介入したローマ教皇ボニファティウス8世の策謀により、故郷から永久追放の宣告を受ける 25 。以後、彼は二度とフィレンツェの地を踏むことなく、北イタリア各地を流浪する亡命者として生涯を終えた 3 。『神曲』全編は、この長く苦しい流浪の生活の中で執筆されたのである 9 。
この過酷な運命は、『神曲』に強烈な政治的色彩を与えた。ダンテは作中、神の視点に立つかのごとく、自らの政敵や、彼が堕落していると見なした人物たちを容赦なく地獄に配置している 4 。特に、聖職売買(シモニア)の罪で地獄に堕ちた者たちの中には、ダンテを追放に追い込んだ張本人である教皇ボニファティウス8世をはじめとする複数の教皇が含まれている 14 。これは単なる私的な怨念の表明ではない。それは、神の代理人たる教皇がその聖なる職務を金で汚すことは、神に対する最大の冒涜であり、神の正義は決してそれを見逃さないという、ダンテの揺るぎない信念の現れであった 9 。
ダンテの政治思想は、政治論文『帝政論』において、より体系的に示されている 28 。彼は、人類全体の幸福、すなわち人間が持つ「可能知性」を最大限に発揮するためには、世界に恒久的な平和が必要不可欠であると説いた 29 。そしてその平和を実現できるのは、諸国家の利害を超越した、単一の法の下で世界を統治する普遍的な君主、すなわちローマ皇帝以外にはありえないと主張した 30 。さらに、その皇帝の権威は、教皇を介して与えられるのではなく、神から直接与えられるものであるとし、聖俗両権の分離とそれぞれの独立性を強く訴えた 29 。この思想は、『神曲』における皇帝派の英雄たちへの敬意や、教皇庁の世俗的権力への野心に対する厳しい批判にも通底しており、彼の作品全体を貫く政治的バックボーンとなっている 9 。
次に、比較の対象となる日本の戦国時代の精神世界を、「権力と倫理」「宗教的世界観」「土着信仰」という三つの観点から析出し、その構造を明らかにする。これにより、ダンテの世界観との対話の土台を築く。
15世紀後半から約1世紀にわたり、日本は未曾有の戦乱の時代にあった。この時代を特徴づけるのは、既存の権威の崩壊と、実力主義の徹底である。
1467年に始まった応仁の乱を契機として、室町幕府の権威は決定的に失墜した 31 。幕府が任命した地方長官である守護大名はその力を弱め、代わってその家臣である守護代や、現地の有力者である国人たちが、実力で主君を打ち破り、その地位と領国を奪い取る「下剋上」の風潮が日本全国に蔓延した 33 。これにより、日本には多くの独立した小国家ともいえる勢力(戦国大名)が乱立し、互いに領土拡大を目指して絶え間ない争いを繰り広げる「群雄割拠」の時代が到来したのである 35 。この時代においては、家柄や伝統的権威よりも、個人の武力、智謀、そして運といった「実力」が全てを決定づけた。
戦乱が日常と化した社会で、戦闘員階級である武士は、常に死と隣り合わせの生を送っていた 36 。このような極限状況は、彼ら独自の死生観と倫理観を育んだ。武士にとって最高の徳目は、自らが仕える主君への絶対的な「忠義」であった。主君のため、家名の存続のためには、自らの命を躊躇なく投げ出すことが最高の栄誉とされた 36 。彼らにとって死は、単なる生命の終わりではなかった。それは敗北の責任を取り、あるいは不名誉を雪ぐための手段(切腹)であり、恐怖の対象であると同時に、名誉を懸けて潔く受け入れるべきものであった 36 。この「死の覚悟」は、生への執着を断ち切り、いざという時に尋常ならざる力を発揮する「死狂い」となるための、日常的な精神修養によって培われた 36 。この倫理観は、絶対的な神の法ではなく、主君という特定の個人や、家という共同体との「関係性」の中にその基盤を置いていた。したがって、忠義の対象である主君が力を失えば、より力のある新たな主君に仕えることも、家の存続のためには許容されうる。下剋上という現象は、この倫理の流動性、相対性の上に成り立っていたのである。
戦国時代の人々の精神世界を形成する上で、仏教は決定的な役割を果たした。特に、死後の世界に関する観念は、人々の行動や思考に深く影響を与えていた。
日本の地獄のイメージは、平安時代に天台宗の僧、源信が著した『往生要集』によって体系化され、それを絵画化した『地獄草紙』などの作品を通じて、貴族から民衆に至るまで広く浸透した 39 。仏教の地獄は、生前の悪業(カルマ)に応じて堕ちる世界であり、殺生、偸盗(窃盗)、邪淫、妄語(嘘)などの罪の種類によって、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄など、八つの大きな地獄(八熱地獄)に分けられるとされた 39 。そこで罪人が受ける責め苦は、鬼によって肉体を切り刻まれたり、熱した鉄の上を歩かされたり、煮えたぎる糞尿の池に沈められたりと、極めて身体的かつ視覚的な描写が特徴である 40 。これらの地獄は、人々に悪行を戒めるための強力な教訓として機能した。
末法の世、すなわち仏の教えが廃れ、自力での悟りが困難になった時代には、阿弥陀仏の慈悲にすがり、その名を唱える(念仏)ことで、死後に極楽浄土へ往生できるという他力本願の教え(浄土教)が、多くの人々の心を捉えた 44 。特に、鎌倉時代に現れた親鸞が開いた浄土真宗は、「悪人正機」という画期的な思想を打ち出した 46 。これは、有名な『歎異抄』の一節、「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」に集約される 46 。この思想は、自らの行いを善いものと信じ、自力で救われようとする「善人」よりも、自らが煩悩にまみれ、到底救われるはずのない罪深い存在(悪人)であると深く自覚した者こそ、阿弥陀仏の救いの真の対象(正機)であるとする、逆説的な救済論である 48 。ここでの「悪人」とは、道徳的な悪人を意味するのではなく、仏の視点から見れば誰もが逃れられない、煩悩具足の凡夫のことを指す 46 。
一方で、武士階級に深く浸透したのが禅宗であった。禅は、経典の学習よりも、座禅といった実践的な修行を通じて、自らの内にある仏性を見出し、自力で悟りを開くことを目指す 38 。禅宗の死生観を特徴づけるのが、「生死一如(しょうじいちにょ)」という思想である 50 。これは、生と死を対立する二つのものとして捉えるのではなく、本来は一つのものの裏表であり、本質的には同じものであると見る考え方である 38 。この境地に達すれば、死への恐怖や生への執着から解放される。この思想は、常に死を覚悟し、主君のためには潔く死ぬことを美徳とした武士の精神性と強く共鳴し、彼らの行動原理に大きな影響を与えた 38 。このように、戦国時代の日本には、他力に頼る道と自力で切り拓く道という、複数の救済の選択肢が併存していた。これは、救済の道がキリスト教信仰にほぼ一本化されているダンテの世界とは対照的である。
仏教と並行して、日本古来の神道もまた、人々の死生観に影響を与え続けていた。
伝統的な神道において、死は「穢れ(けがれ)」として忌避される傾向が強かった 38 。このため、葬送儀礼の多くは仏教が担うことになった。しかし、死者の魂が完全に消滅するとは考えられておらず、祖先の霊は子孫を見守る存在(祖霊)になると信じられていた 54 。
神道の死生観で特に重要なのが、「怨霊(おんりょう)」に対する信仰である。政治的闘争に敗れたり、無念の死を遂げたりした有力者の魂は、この世に強い恨みを残し、怨霊となって疫病や天変地異といった祟りをなすと、古くから強く信じられてきた 55 。平安時代の菅原道真や平将門、崇徳上皇は「日本三大怨霊」として知られる 56 。こうした強力な怨霊を鎮めるためには、その霊を神として丁重に祀り上げる必要があった(御霊信仰)。この信仰は、死者の魂が現世に対して直接的かつ強力な影響を及ぼし続けるという、神道的な世界観を色濃く反映している。戦国時代から江戸時代にかけて、天下人である豊臣秀吉(豊国大明神)や徳川家康(東照大権現)が死後に神として祀られたのも、この怨霊鎮魂と権威神格化の伝統の延長線上にあると理解することができる 53 。
第一部、第二部で明らかにした二つの世界の構造を基盤とし、いよいよ本報告書の核心である比較分析に着手する。「戦国武将の視点」という仮想のレンズを通して『神曲』を読み解き、両世界観の衝突と共鳴の様相を明らかにする。
ダンテの世界と戦国日本の世界観が最も根本的に衝突するのは、「罪」の概念そのものである。
ダンテのキリスト教的世界観における「罪(ラテン語: peccatum )」とは、神が定めた絶対的な法に対する、人間の自由意志による意図的な違反行為を指す 10 。それは理性的選択の結果であり、個人の魂が神に対して直接負う責任である。一方、仏教における「罪」の概念に近い「業(ごう、サンスクリット語:
karma )」は、より自然法則に近い因果律として捉えられる。それは、無明(真理に対する無知)から生じる行為であり、その行為自体が必然的に結果(報い)を生み出す 39 。必ずしも神に対する意図的な反逆を前提とするわけではない。
戦国時代の武将は、神の法よりも、主君の法、家の存続、領国の安寧といった、より具体的で現世的な規範を優先して行動する。彼らにとって、ダンテが提示する神への絶対的服従を前提とした罪の定義は、理解しがたい、あるいは現実離れした観念に映る可能性が高い。
罪に対する罰の考え方も大きく異なる。ダンテの地獄における「応報(コントラパッソ)」は、神の詩的正義が具現化したものであり、罪と罰の内容が鏡像のような寓意的関係を結んでいる 2 。これは「裁き」の論理である。対して、仏教の「因果応報」は、より非人格的な「法則」の論理である。殺生という原因が、地獄で殺されるという結果を直接的に生み出し、盗みという原因が、餓鬼道で飢えるという結果を必然的にもたらす 39 。この二つの論理の差異は、以下の表に集約することができる。
比較軸 |
ダンテ『神曲』地獄篇 |
日本の仏教的地獄(『往生要集』など) |
最大の罪 |
裏切り (特に恩人への裏切り) 17 |
五逆罪 (父・母・阿羅漢殺し等)、 謗法罪 (仏法を謗る) 39 |
代表的な罪状 |
神と帝国の秩序への反逆。人間関係の基盤である信頼の破壊。理性の最も悪質な使用。 |
親殺しなど儒教的倫理の破壊。仏教共同体(サンガ)の破壊。仏の教えそのものの否定。 |
罰の性質 |
応報(コントラパッソ) 。詩的・象徴的な罰。罪の性質を反映する罰 16 。 |
因果応報 。行為が直接的な結果を生む。身体的・直接的な苦痛 40 。 |
罰の具体例 |
氷地獄コキュートスで永遠に凍らされる。魔王ルチフェロが裏切り者を噛み砕き続ける 17 。 |
阿鼻地獄(無間地獄)で絶え間なく続く激しい苦痛。責め苦に間断がない 39 。 |
思想的背景 |
唯一神の絶対的秩序への反逆。自由意志による悪の選択。 |
宇宙的な因果の法則(業)。無明から生じる悪業の報い。 |
この比較から明らかなように、ダンテが最悪の罪と見なす「裏切り」は、日本の地獄観においては、五逆罪や謗法罪といった、より根源的な倫理や宗教秩序への反逆に次ぐもの、あるいは同列の罪として扱われる。下剋上が常態であった戦国武将にとって、主君への裏切りは家の存続のための戦略的選択肢でありえた。彼らがダンテの地獄の階層を見たとき、その最下層に裏切り者が置かれていることに、強い違和感と反発を覚えることは想像に難くない。
ダンテの地獄の基準を、戦国時代の具体的な人物に適用してみると、両者の価値観の断絶はより一層鮮明になる。
将軍・足利義輝を殺害し、主家である三好家を乗っ取り、さらには奈良の東大寺大仏殿を焼き討ちにしたとされる松永久秀 59 。彼はその後、天下人となりつつあった織田信長に仕えるが、二度にわたって信長を裏切った 61 。ダンテの基準に照らせば、久秀の行為はまさに地獄のカタログそのものである。将軍殺しと主家乗っ取りは「恩人への裏切り」として第九圏ジュデッカに、信長への裏切りも同様に最下層の罪に値する。しかし、戦国時代の価値観では、彼は己の才覚と野心で乱世を渡り歩いた「梟雄(きょうゆう)」として、ある種の畏敬をもって語られる。特に、最期は信長が渇望した名物茶器「平蜘蛛」とともに爆死したという伝説は、彼の壮絶な美学の象徴として記憶されている 60 。戦国武将は、久秀の罰せられるべき罪よりも、その最後まで貫かれた強烈な意志にこそ、魅力を感じるだろう。
「下剋上の先駆け」と評される北条早雲は、主君であった大森氏を策略をもって欺き、小田原城を奪取した 63 。ダンテの世界ならば、これは理性を悪用した「欺瞞」の罪であり、地獄第八圏に配置される行為である。しかし、早雲は為政者として極めて有能であり、領国では検地を実施して「四公六民」という当時としては異例の低い税率を定めるなど、民に寄り添う善政を敷いたことでも知られている 63 。戦国時代において、権力を得るための手段の是非よりも、権力を得た後にどのような治世を行うかという「結果」が重視される傾向があった。早雲の評価は、この二面性によって成り立っている。
これらの事例が示すのは、倫理の絶対性と相対性の違いである。戦国武将にとって「裏切り」は、絶対的な悪ではなく、状況に応じて選択されうる「戦略」であった。その評価は、動機や結果、そして誰の視点から見るかによって流動的に変わる。ダンテの世界では神の視点が唯一絶対の基準であるが、戦国の世にはそのような超越的な審判者は存在しない。武将たちは、ダンテが描く裏切りの罪の重さに共感するどころか、むしろ現実を知らない理想論として一蹴する可能性すらある。
地上の秩序をいかにして構築するか、という政治思想においても、両者の間には深い溝が存在する。
織田信長が掲げた「天下布武」の印は、一般に「武力をもって天下に号令する」、すなわち武力による天下統一の意志表明と解釈されている 67 。これは、目の前の敵を打ち破り、日本の実質的な支配者たらんとする、極めて現実的かつ軍事的なスローガンである。一方、ダンテが『帝政論』で説いた「普遍的帝政」は、全人類の知的発展という究極目的を達成するために、世界に「恒久平和」をもたらすという、哲学的かつ理想的な統治理念である 29 。信長の目的が「支配」であるとすれば、ダンテの目的は「平和」であり、その射程も日本という地域国家と、全人類という普遍共同体とで大きく異なる。
権力の正当性の根拠もまた対照的である。ダンテにとって、理想の君主である皇帝の権力は、教皇を介することなく神から直接与えられるものであり、その正当性は神の摂理に由来する 29 。対して、信長は圧倒的な実力で権力を掌握しつつも、その支配を正当化するために、足利将軍や天皇といった既存の伝統的権威を巧みに利用した 69 。後の徳川家康が、豊臣政権とは異なる武家の棟梁としての正当性を得るために、朝廷から征夷大将軍の位を授かったのも同じ論理である 70 。ここに、権威の源泉を天上の神に求めるか、地上の伝統と自己の実力に求めるかという、根本的な姿勢の違いが見て取れる。
信長は、楽市楽座の設置や関所の撤廃といった革新的な経済政策を断行し、現実世界を力強く変革しようとした「実践の政治家」であった 68 。ダンテは、現実の権力闘争に敗れ、詩と哲学の世界で理想の政治を追求した「理念の思想家」であった 3 。もしダンテが信長の苛烈な行動、例えば比叡山焼き討ちなどを見れば、彼を「暴君」として地獄第七圏の「暴力の罪」に配置するかもしれない。しかし同時に、古い秩序を破壊し、新たな世界を創造しようとするそのエネルギーには、ある種の共感を覚える可能性も否定できないだろう。
主人公を導く「師」の役割にも、興味深い差異が見られる。
ダンテの導き手ウェルギリウスは、地獄と煉獄を案内する「象徴的存在」である 4 。彼がダンテに語るのは、理性や哲学といった普遍的な知恵であり、特定の政治状況に直接介入することはない。一方、戦国大名に仕えた禅僧たちは、単なる精神的指導者の枠を超えた役割を担っていた。例えば、今川義元の教育係であった太原雪斎は、義元の家督相続を画策し、軍師として合戦を指揮し、さらには外交官として武田・北条との三国同盟を締結するなど、今川家の政治・軍事・外交の全てを支える「実践的アドバイザー」であった 74 。また、武田信玄の師であった快川紹喜も、信玄の精神的な支えであると同時に、重要な相談役であったことがうかがえる 78 。
この違いは、彼らが置かれた状況の違いに起因する。ウェルギリウスは、魂の救済という普遍的な旅の案内人である。雪斎や快川紹喜は、主君が下剋上の乱世を生き抜き、領国を拡大するという、極めて個別的かつ現実的な課題に直面していた。前者が示すのは「真理への道」であり、後者が授けるのは「乱世を生き抜くための処方箋」である。戦国武将にとって、ウェルギリウスの導きは高尚に過ぎ、雪斎のような現実的な知恵こそが、真に価値あるものと映るだろう。
最後に、作品の根幹をなす理想の女性像を比較する。
ダンテにとってのベアトリーチェは、神の愛と恩寵を体現する、ほとんど人間離れした天上の存在である 1 。彼女はダンテを信仰の高みへと引き上げる、崇拝の対象であり、精神的な救済者である。一方、戦国時代に理想とされた女性像は、より現実的で地に足の着いた存在であった。例えば、豊臣秀吉を貧しい時代から支え、その天下統一事業を内助の功で助けた正室・ねね(北政所) 81 。あるいは、父・明智光秀が謀反人となった後も、キリシタンとしての信仰と誇りを貫き、壮絶な最期を遂げた細川ガラシャ 81 。また、夫・山内一豊の出世を支えた賢妻として知られる千代などである 83 。彼女たちの美徳は、夫や家に対する献身、忍耐力、そして時には政治的な判断力といった、現実世界で発揮される能力によって測られた。
ベアトリーチェの美徳がその超越性、非現実性にあるとすれば、戦国時代の女性の美徳はその現実的な貢献度にある。戦国武将がベアトリーチェの物語を読んだとしても、それを現実の妻やパートナーに求める理想像とは考えにくい。むしろ、現世利益をもたらし、人々を救済すると信じられた観音菩薩のような、信仰の対象に近いものとして捉えるのではないだろうか 85 。
本報告書を通じて明らかになったのは、ダンテ・アリギエーリの『神曲』が描く世界と、日本の戦国時代の世界観との間に横たわる、容易には埋めがたい深い溝である。その根源は、唯一絶対の神が創造し、最後の審判へと向かう「創造論的・直線的時間的」世界観と、絶対的な中心を持たず、諸行無常と輪廻転生を前提とする「循環論的・関係論的」世界観との根本的な差異に帰結する。罪、正義、権力、救済といった根源的な概念の意味そのものが、この思想的基盤の違いによって全く異なってくるのである。戦国武将の視線は、ダンテの描く神の絶対的正義を捉えることなく、その上を滑り、現世的な力と結果へと注がれるだろう。
しかし、この埋めがたい断絶にもかかわらず、両者には時代と文化を超えて強く響き合うテーマが存在する。それは、混沌とした世界の中でいかにして新たな秩序を打ち立てるかという「政治的探求」、自らの罪や限界と向き合い、いかにして救済や心の平穏を得るかという「宗教的・哲学的探求」、そして何が人間を人間たらしめるのか、いかに生きるべきかという「倫理的探求」である。
フィレンツェの亡命詩人と、日本の下剋上の武将。彼らが互いの世界を完全に理解し、共感することは叶わないだろう。ダンテは戦国武将の多くを裏切りと暴力の罪で地獄に送るであろうし、戦国武将はダンテの理想を現実離れした空論と見なすかもしれない。だが、彼らがそれぞれの場所で、それぞれの文化的地平の中で、極限状況の中から紡ぎ出した人間性の探求の深さと真摯さにおいては、驚くべきほどの普遍性が宿っている。本報告書は、その交わらぬ視線の中にこそ、人間文化の豊饒な多様性と、その根底に流れる普遍的な問いを見出すことができると結論づける。二つの偉大な精神的格闘の跡を辿ることは、我々自身の時代と人間性を省察するための、比類なき鏡となるのである。