最終更新日 2025-08-07

裾野

裾野は、村田珠光が命名した唐物葉茶壺。その名は「遠山が下におりている」景色に由来し、わび茶の精神を体現。戦国期には天下無双と称され、加賀前田家を経て徳川美術館に所蔵される。
裾野

名物茶壺「裾野」―戦国時代の美意識と権威の象徴―

序章:一つの茶壺が映し出す時代

本報告書は、葉茶壺の名物「裾野」を主題とする。茶の湯の開祖・村田珠光による命名と、加賀前田家の伝来品であるという概要 1 を出発点とし、その背景に広がる戦国時代の精神文化、美意識の変革、そして茶道具が担った政治的・社会的役割の深淵へと分け入る学術的探求である。

戦国乱世において、なぜ一つの陶器が、一国一城にも匹敵するほどの価値を持ち得たのか。なぜこの「裾野」は、その土の質、形において「天下無双」とまで称えられたのか 1 。これらの問いに答えることは、単に一個の美術品の来歴を追うことに留まらない。それは、武力のみならず文化的な権威が支配の正当性を左右した、戦国という時代の特異な価値体系を解き明かす試みである。本報告書は、「裾野」というプリズムを通して、この激動の時代に花開いた日本の精神性の核心に迫ることを目的とする。

第一章:「遠山が下におりている」―村田珠光の美意識と「裾野」の誕生

この章では、「裾野」の命名譚を単なる逸話としてではなく、日本の美意識における一大転換点として捉え、その思想的背景を徹底的に分析する。

第一節:命名の逸話とその根源

葉茶壺「裾野」の銘は、茶の湯の開祖と称される村田珠光(1422頃-1502)が、この壺の景色を評して「遠山が下におりている」と述べたことに由来すると伝えられている 1 。これは、壺の胴部に流れる釉薬の様が、あたかも遠くに見える山の麓、その裾野の風景を想起させたことを示している。

しかし、この命名は単なる視覚的な描写に終わるものではない。それは、珠光が創始した「わび茶」の精神を凝縮した、思想的表明であった。珠光の美意識の核心は、「冷え枯れ」や「冷えやせ」といった言葉で表現される、静寂で簡素、そして不完全なものの中にこそ深い美を見出すという思想にあった 3 。珠光が弟子に宛てたとされる書状『心にふみ』には、「八月十五夜の月のようなるは好ましからず候」という一節がある 3 。これは、完璧に満ち足りた円満具足の状態よりも、むしろ欠けていく過程や、不足している状態にこそ心を寄せるべきだという、珠光の思想を端的に示すものである。

山の頂点という最も華やかで目立つ部分ではなく、その麓である「裾野」に価値を見出す。この謙虚で非中心的な視点は、まさに「不足の美」を尊ぶわび茶の精神そのものであった。珠光はこの壺に「裾野」と名付けることで、自らの美の哲学を一つの器物の上に完璧に具現化してみせたのである。

第二節:唐物崇拝から「わび」への価値転換

珠光以前、室町時代の茶の湯は、八代将軍足利義政が蒐集した「東山御物」に代表される、中国渡来の完璧で華麗な美術工芸品(唐物)を、書院造の広間で鑑賞する「書院の茶」が主流であった 5 。そこでは、道具の価値は、その由来の確かさや、技巧の完璧さ、そして希少性によって決定されていた。

興味深いことに、「裾野」自体も中国の南宋から元時代(13世紀から14世紀)にかけて製作された唐物の茶壺である 7 。しかし、珠光が行ったのは、この舶来の最高級品に対して、従来の価値基準とは全く異なる、新たな評価軸を与えることであった。「裾野」という、自然の風景を想起させる和様の、そして不完全さや静けさを内包する銘を与える。この行為は、絶対的な権威であった「唐物」を、日本独自の「わび」という新たな価値観の内に取り込み、再定義する試みであった。それは、異文化の産物を、自らの精神文化を表現するための器として昇華させる、極めて高度な文化的営為と言える。

ここに、日本文化史における「価値の再創造」という重要な現象が見て取れる。珠光は、最高の権威を持つ「唐物」を、自らが提唱する新しい美意識「わび」を体現する象徴として用いた。これにより、「裾野」は単に美しい中国の壺から、「わび茶の精神を宿す哲学的な壺」へと、その意味と価値を劇的に変容させた。この価値の転換こそが、後の千利休が朝鮮の雑器や国産の道具に新たな美を見出し、茶の湯を大成させていく大きな流れの源流となったのである。

第二章:「天下無双」の器―唐物茶壺「裾野」の物理的実像と格付け

本章では、「裾野」が持つ器物としての物理的な魅力と、茶道具の世界における客観的な格付けについて詳述する。珠光の精神性だけでなく、器そのものが持つ力が、いかにしてその評価を不動のものとしたかを探る。

第一節:器物としての特徴

文化庁のデータベースによれば、「裾野」は「唐物茶壺 銘 松花」として重要文化財に指定されており、その分類は「松花(しょうか)」手とされる 7 。製作年代は南宋から元時代(1201-1400年)と鑑定されており、中国南部、おそらくは福建省や広東省あたりの窯で焼かれた大型の貯蔵用陶器が、13世紀頃に喫茶文化の広まりと共に日本へもたらされ、茶壺として見出されたものと考えられる 8

その物理的特徴は、まさに「土も形も天下無双」 1 と評されるにふさわしい。素地は鉄分を多く含んだ灰色の陶胎で、その器表には黒褐色から赤褐色へと変化に富んだ釉薬がかかっている。特筆すべきは、胴の下半まで白化粧土を施し、その上からさらに灰釉を掛ける「二重掛け」の技法である。これにより、焼成中に釉薬がなだれのように流れ落ち、変化に富んだ景色を生み出している。この自然の作用によって生まれた偶発的な文様こそが、珠光に「遠山の裾野」を想起させ、後世の茶人たちを魅了した景色(けしき)の源泉であった 7

こうした壺は、16世紀末にはフィリピンのルソン島を経由して大量に輸入され、「呂宋壺(るそんつぼ)」として茶人の間で珍重された 10 。現地では水や穀物を入れるための安価な日用品であったものが、日本の茶人の審美眼によって見出され、至高の美術品へと価値転換したのである 10 。「裾野」は、この呂宋壺ブームの遥か以前に見出された、その先駆的かつ最高峰の作例と位置づけることができる。

第二節:「大名物」という位

茶道具の世界には、その格を示す厳格な分類が存在する。その代表的なものが「大名物(おおめいぶつ)」「名物」「中興名物」という格付けである 12 。この分類法を体系的に整理し、後世の規範としたのが、江戸時代後期の大名茶人・松平不昧(ふまい)であった 13 。不昧が著した『古今名物類聚』によれば、「大名物」とは、千利休(1522-1591)の時代よりも前、すなわちわび茶の創始者である村田珠光や、その流れを汲む武野紹鴎(たけのじょうおう)の時代に、すでに名品として世に知られていた道具を指す、最高位の格付けである 15

「裾野」がこの「大名物」に分類されているという事実は、極めて重要である。それは、この壺の評価が単に古いというだけでなく、わび茶の黎明期そのものを象徴する記念碑的な存在であることを物語っているからだ。利休によって完成される茶の湯の、まさに原点に位置づけられた名器なのである。

この壺の価値は、単一の要素によって構成されているわけではない。それは、三つの異なる権威が重なり合った、強固な価値構造によって成り立っている。第一に、舶来品としての希少性と異国情緒を持つ「唐物」という出自の権威。第二に、わび茶の祖・珠光によってその核心的な美意識を託されたという、他に類を見ない「哲学的価値」。そして第三に、松平不昧によって歴史的に裏付けられた最高ランクである「大名物」という歴史的格付け。これら三層の価値構造こそが、「裾野」を他の名物とは一線を画す存在たらしめ、一国にも値するとされた戦国時代の武将たちが、この壺を渇望した根本的な理由であった。この壺を所有することは、経済力、文化的教養、そして茶の湯における正統性の三つを同時に手に入れることを意味したのである。

第三章:乱世を駆ける名物―戦国武将と「裾野」

本章では、本報告書の核心である戦国時代に焦点を当て、「裾野」がどのような存在であったかを、当時の歴史的文脈の中に位置づけて考察する。

第一節:茶の湯と天下布武―「名物狩り」の時代

織田信長や豊臣秀吉といった天下人は、単に武力によって日本を統一したのではない。彼らは文化の力、特に茶の湯を巧みに利用した。信長が始めたとされる「名物狩り」は、その象徴である 17 。著名な茶道具を武士や商人から強制的に、あるいは献上という形で集め、それを服従の証や、戦功に対する恩賞として家臣に与えた 18 。これにより、茶道具は土地や金銀と同等、あるいはそれ以上の価値を持つ政治的な道具となった。名物を披露する茶会は、自らの文化的権威と支配の正当性を内外に誇示する、重要な政治パフォーマンスの場であったのである 20

このような時代において、「裾野」のような「大名物」を所有することの意味は計り知れない。それは単なる富の誇示に留まらず、足利将軍家が築いた室町文化の正統な継承者であることを示すものであった。わび茶の祖である珠光に由来し、最高の格付けを持つ「裾野」の存在を、当代随一の茶人でもあった信長や、その政策を受け継いだ秀吉が認識していなかったとは到底考えられない。

第二節:『山上宗二記』に見る「裾野」

この推測を裏付ける決定的な証拠が、利休の一番弟子であった山上宗二が天正16年(1588年)に著した秘伝書『山上宗二記』に存在する 21 。この書は、信長・秀吉時代の茶の湯の在り様を伝える、最も信頼性の高い第一級の史料である。

その中に、「大壺の次第」と題された一節がある。これは、宗二が当代における最高峰の葉茶壺を格付けし、列挙したリストである 22 。そこには、本能寺の変で焼失したとされる「三日月」「松島」や、秀吉が所持した「四十石」といった、天下に名だたる茶壺と並んで、明確に「スソ野」の名が記されている 23 。これは、「裾野」が珠光の時代の伝説上の名器であっただけでなく、戦国時代のまさに中心、利休や宗二といった茶人たちの間で、現存するトップクラスの名物として共通認識されていたことを示す動かぬ証拠である。

宗二は道具を評価する基準として、「ナリ・比・膚さ」(全体の姿・寸法バランス・器肌の味わい)という三つの要素を挙げている 24 。「裾野」がこのリストに加えられていることは、珠光の命名という物語性だけでなく、器物そのものが、利休流の厳しい審美眼にも完全に応えるものであったことを意味している。

第三節:戦国期の伝来―空白をめぐる考察

諸記録において、「裾野」の伝来は珠光から一足飛びに江戸時代の加賀前田家へと繋がっている 1 。しかし、前節で確認した通り、この壺が信長・秀吉の時代に最高の名物として認識されていた以上、この百数十年間の空白は極めて不自然である。この「空白の期間」をどう解釈すべきか。

他の名物茶壺の伝来が、この謎を解く鍵となる。例えば、同じく『山上宗二記』に記載のある茶壺「橋立」は、足利将軍家に始まり、織田信長、千利休へと伝わった。秀吉がこの壺を再三にわたり望んだが、利休はこれを拒み、自刃する直前に大徳寺に託した。利休の死後、最終的に加賀藩主・前田利常の所蔵となっている 25 。また、茶壺「松島」は、堺の豪商・今井宗久が信長に献上し、服従の証としたことで知られる 6

これらの事例から類推するに、「裾野」もまた、これら天下の名物と同様の軌跡を辿ったと考えるのが最も蓋然性が高い。すなわち、珠光の後、堺の有力な豪商(例えば、津田宗及や今井宗久など)の手に渡り、やがては信長や秀吉といった天下人、あるいはその周辺の有力武将や茶人の所蔵となった後、何らかの経緯で最終的に前田家に伝来したというシナリオである。戦国時代の所有者に関する直接的な記録が残っていないという事実は、むしろこの壺が権力の中枢を移動し続けたことの証左であり、戦乱の世における名物の流転の激しさを物語っていると言えよう。

第四章:加賀百万石の什宝―前田家への伝来とその意味

本章では、戦国時代を生き抜いた「裾野」が、加賀藩前田家という安定した所有者の下でどのように扱われ、その価値を伝承していったかを追う。

第一節:文化大名・前田家の茶の湯

加賀藩は、その強大な経済力と軍事力に加え、高度な文化政策によって「加賀百万石」の威光を天下に示した大名であった。藩祖・前田利家以来、歴代藩主は茶の湯を深く愛好し、藩の威信をかけて名物道具を積極的に蒐集した 29 。茶の湯は、単なる趣味ではなく、大名としての格式を維持し、幕府や他の大名との外交を円滑に進めるための重要な政治的手段でもあった。

「裾野」が前田家に伝来した正確な時期や経緯は、現存する資料からは判然としない。しかし、ひとたび前田家の所有となるや、それは藩の権威を象徴する第一級の什宝(じゅうほう)として、厳重に管理され、後世へと伝えられた 1 。これは、戦乱の世を駆け巡った流動的な政治的資産としての価値から、泰平の世における大名の「家の宝」という、固定的で永続的な価値へと、「裾野」の性格が大きく変化したことを示している。

第二節:近代への継承と現在の姿

明治維新による封建体制の崩壊は、多くの大名家の宝物が散逸する危機をもたらした。しかし、前田家に伝来した膨大な文化財は、1926年に設立された前田育徳会によって守られ、その多くが今日まで良好な状態で受け継がれている 32 。名物「裾野」も、この時に前田家の所有から育徳会の所蔵品の一つとなったと考えられる。

そして現在、「裾野」は愛知県名古屋市にある徳川美術館に所蔵されている 7 。これは、前田家から尾張徳川家のコレクションを母体とする徳川美術館へと、所有が移ったことを意味する。この移管の詳しい経緯はさらなる調査を要するが、この事実が示すのは、一個人の、あるいは一族の所有物であった名物が、広く一般に公開される公共的な文化遺産へと、その社会的役割を再度変化させたということである。

「裾野」の伝来の軌跡は、日本の権力構造と、文化財が社会の中で担う役割の変遷そのものを体現している。その歴史を辿ると、以下のような段階が見えてくる。

  1. 創生期(室町時代): 茶人・村田珠光による「美の発見」。わび茶の精神を宿す、文化的権威の誕生。
  2. 流転期(戦国時代): 織田信長、豊臣秀吉ら武将たちによる「権威の道具」化。政治的価値の獲得。
  3. 安定期(江戸時代): 加賀前田家による「家の象徴」化。世襲的・固定的価値の確立。
  4. 公開期(近代以降): 美術館による「国民の文化遺産」化。公共的価値への転換。

このように、「裾野」は単に物理的に存在し続けただけでなく、それぞれの時代の要請に応じてその役割と意味を変えながら、日本の歴史を生き抜いてきた。その伝来史自体が、一つの壮大な物語なのである。

第五章:記録の海に「裾野」を追う

本章では、「裾野」に関する記述が見られる主要な歴史的文献を比較検討し、時代ごとの評価の変遷を跡付ける。これらの文献記録は、「裾野」の評価がどのように形成され、後世に定着していったかを客観的に示している。

葉茶壺「裾野」に関する主要文献記録一覧

以下の表は、「裾野」がいつ、誰によって、どのように記録され、その評価が後世にどう固定化されていったかを時系列で整理したものである。文献の性格(一次史料か二次史料か、同時代的評価か後世の編纂か)を明確にすることで、より深い歴史的文脈の中で「裾野」を捉えることが可能となる。

文献名

成立年代/刊行年

著者/編者

「裾野」に関する記述内容の要点

文献の性格と歴史的意義

典拠

『山上宗二記』

天正16年 (1588)

山上宗二

「大壺の次第」の中に「スソ野」として明確に記載。当代一流の名物茶壺の一つとして認識。

利休の高弟による一次史料。戦国時代当時の茶人社会における「裾野」の格付けを証明する最重要文献。

23

『玩貨名物記』

万治3年 (1660)

不詳(小堀遠州の見聞を補うとの序文あり)

徳川将軍家や諸大名の所蔵品を記録。新しい権力者への道具移動を示す。

江戸初期の刊本名物記。大名間の道具の所有状況を記録し、「裾野」が武家社会の至宝として定着したことを示す。

34

『古今名物類聚』

寛政年間 (1789-1797)

松平不昧

茶道具を「大名物」「中興名物」などに分類・体系化。図録として後世の規範となる。

江戸後期の集大成的な名物記。「裾野」を歴史的に権威ある「大名物」として最終的に位置づけた。

13

『大正名器鑑』

大正10年 (1921) 以降

高橋義雄(箒庵)

実見調査に基づき、写真付きで名物を集成。近代における茶道具研究の基礎資料。

近代的な実証主義に基づく名物図鑑。この時代まで「裾野」が名物として揺るぎない評価を保っていたことを示す。

35

文献の比較分析

これらの文献を比較検討すると、「裾野」の評価が時代と共に昇華していくプロセスが浮かび上がる。

『山上宗二記』における記述は、戦国乱世の緊張感の中で生きる茶人による、生々しい同時代の評価を伝えている。「スソ野」は、まさに今、ここにある最高の道具の一つとして、他の名壺と共に並び称されている。

時代が下り、江戸初期の『玩貨名物記』では、戦国が終わり、徳川の泰平の世で名物の所有者が固定化していく過渡期の状況が示される。茶道具はもはや流動的な戦利品ではなく、大名の家格を示す財産として記録されるようになる 34

そして江戸後期、松平不昧による『古今名物類聚』の登場は決定的であった。不昧は、過去から伝わる膨大な名物を歴史的に整理・再評価し、「大名物」という最高の格を与えることで、「裾野」の価値を学術的に、そして恒久的に権威づけた 37 。個人の審美眼による評価は、ここに社会的な共通認識としての「格」へと昇華されたのである。

さらに近代に入り、高橋箒庵の『大正名器鑑』は、写真という新たな技術を用いて、これらの名物を実証的に記録した 35 。これにより、「裾野」は伝説や逸話の中の存在から、誰もがその姿を確認できる客観的な美術品として、新たな時代を迎えることになった。

このように、記録の変遷を追うことは、「裾野」という一つの器が、いかにして時代の評価を受け止め、その価値を揺るぎないものとして後世に伝えてきたかを物語っている。

終章:「裾野」が語り継ぐもの

本報告書で詳述してきた通り、葉茶壺「裾野」は、単なる美しい陶器ではない。それは、村田珠光の革新的な美意識の結晶であり、戦国武将たちの権威の象徴であり、加賀百万石の栄華の証人であった。その名は、完璧さよりも不足や静寂の中にこそ真の美を見出す「わび」の精神を今に伝え、その複雑な伝来の軌跡は、室町、戦国、江戸、そして近代に至る日本の権力と文化の変遷そのものを物語っている。

珠光がこの壺に見出した「遠山の裾野」という景色は、一つの美の発見であった。それが戦国の世では、天下人の渇望の的となり、政治を動かす力を持った。泰平の江戸時代には、大名の威光を支える家の宝となり、そして近代以降は、国民の文化遺産として、その姿を我々の前に現している。

一つの器物が、これほどまでに時代の精神を吸収し、後世に雄弁に語りかける存在となり得たこと。それこそが、日本の茶の湯文化が持つ奥深さであり、「裾野」という名物が湛える不変の価値である。この報告書を通じて、「裾野」という一つの窓から、戦国という時代の広大で複雑な風景を垣間見ることができたとすれば、専門家としての望外の喜びである。

引用文献

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  2. Untitled https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/ba/NDL1154986_%E5%A0%BA%E5%B8%82%E5%8F%B2_%E7%AC%AC2%E5%B7%BB_%E6%9C%AC%E7%B7%A8%E7%AC%AC2_part4.pdf
  3. 日本の美意識8 わび|cha-bliss - note https://note.com/chabliss/n/nd34c077c0c1c
  4. 【茶道】侘び寂びとは?村田珠光「心の文」より侘びの心のツールを改めて。|茶人 松村宗亮の一客一亭 - YouTube https://m.youtube.com/watch?v=VQZ81jWiBlA&pp=ygUNI-advuadkeWul-S6rg%3D%3D
  5. 東山御物 - 名刀幻想辞典 https://meitou.info/index.php/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E5%BE%A1%E7%89%A9
  6. 日本のお茶・茶道・茶の湯の歴史を簡単にわかりやすく解説 https://tabunka.carreiraenglish.com/history-cha/
  7. 唐物茶壺(松花) - 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/169505
  8. 茶壺―武家の美意識― | 彦根城博物館|Hikone Castle Museum|滋賀県彦根市金亀町にある博物館 https://hikone-castle-museum.jp/exhibition_old/14692.html
  9. 呂宋壺(るそんつぼ)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%91%82%E5%AE%8B%E5%A3%BA-1438332
  10. 呂宋壷 - 戦国日本の津々浦々 https://proto.harisen.jp/mono/mono/rusontsubo.htm
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  15. 古今名物類聚(ここんめいぶつるいじゅ)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%90%8D%E7%89%A9%E9%A1%9E%E8%81%9A-265908
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  19. 茶道具の歴史で知っておきたい出来事を紹介!買取ポイントも解説! - 永寿堂 https://www.eijyudou.com/news/p1624/
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  22. 掲示板:寺子屋 素読ノ会|Beach - ビーチ https://www.beach.jp/circleboard/ad25106/latest?archive=201103
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