飛騨征伐(1585)
天正十三年、豊臣秀吉は佐々成政討伐と連動し、金森長近に飛騨征伐を命じた。金森軍は姉小路頼綱を降伏させ飛騨を平定。直後に天正大地震が発生し、内ヶ島氏が滅亡。飛騨は金森氏の統治下へ。
天正十三年 飛騨征伐の詳説:豊臣政権の天下統一と山国の終焉
序章:天正十三年、飛騨国の岐路
天正13年(1585年)は、羽柴(豊臣)秀吉による天下統一事業が、その速度と規模を飛躍的に増大させた決定的な年であった。この年、秀吉は紀州の雑賀・根来衆を屈服させ(紀州征伐) 1 、長宗我部元親の四国を平定し 3 、そして北陸に反抗の牙を剥く佐々成政を降した(富山の役) 1 。これら一連の軍事行動は、もはや秀吉の覇権が西国から東国、中央から辺境に至るまで、抗うことのできない巨大な奔流となっていることを天下に知らしめた。本報告書が主題とする「飛騨征伐」は、この全国平定という壮大な構想の中で、越中の佐々成政討伐と連動して行われた、極めて戦略的な意味合いを持つ軍事作戦であった。
飛騨国は、四方を険しい山々に囲まれた典型的な山国である。その地理的条件は、外部からの侵攻を阻む天然の要害であると同時に、中央の政治動向から隔絶されやすい閉鎖性を生み出していた。しかし、その一方で飛騨は、豊富な山林資源と、金・銀・銅・鉛といった鉱物資源を内包する、経済的に極めて魅力的な土地でもあった 4 。さらに、越中、美濃、信濃といった周辺諸国を結ぶ交通の結節点としての役割も担っており 7 、その通路と利権を掌握することは、天下人にとって決して無視できない戦略的価値を有していた。
この年、飛騨を支配していたのは、旧来の国司の名跡を乗っ取り、実力で一国をほぼ統一した姉小路頼綱(三木自綱)であった。彼は、秀吉に敵対する佐々成政と盟約を結び、天下の奔流に抗う道を選択する。これに対し、秀吉は織田信長時代からの宿将・金森長近に飛騨攻略を命じた。本報告書は、この「飛騨征伐」の全貌を、合戦に至る背景から、両軍の編成、具体的な戦闘経過、そして戦後処理に至るまで、時系列に沿って詳細に解き明かすことを目的とする。さらに、この人為的な征伐劇の直後、飛騨を未曾有の天変地異が襲う。この天災がもたらした悲劇的な結末までを視野に入れ、飛騨国における戦国時代の終焉と近世の黎明を、軍事的、政治的、経済的、そして地理的側面から立体的に描き出すものである。
表1:飛騨征伐 関連年表
年月 |
出来事 |
関連 |
天正10年(1582)6月 |
本能寺の変、織田信長自刃 |
全国 |
天正10年(1582)10月 |
八日町の戦い。姉小路頼綱が江馬輝盛を破る |
飛騨 |
天正11年(1583) |
姉小路頼綱、広瀬氏らを滅ぼし飛騨をほぼ統一 |
飛騨 |
天正12年(1584) |
小牧・長久手の戦い。佐々成政、織田信雄・徳川家康方に与する |
全国 |
天正12年(1584)冬 |
佐々成政、家康に再挙を促すため「さらさら越え」を行う |
越中・信濃 |
天正13年(1585)3月 |
秀吉、紀州征伐を開始 |
紀伊 |
天正13年(1585)6月 |
秀吉、四国平定を開始 |
四国 |
天正13年(1585)8月 |
秀吉、越中の佐々成政を攻撃(富山の役)。同時に金森長近に飛騨征伐を命じる |
越中・飛騨 |
天正13年(1585)8月 |
金森軍、飛騨へ侵攻開始。松倉城攻防戦の末、姉小路氏降伏 |
飛騨 |
天正13年(1585)8月26日 |
佐々成政、秀吉に降伏 |
越中 |
天正13年(1585)閏8月 |
三沢の乱。姉小路氏旧臣が蜂起するも、金森軍が即座に鎮圧 |
飛騨 |
天正13年(1585)11月29日 |
天正大地震発生。帰雲城が埋没し、内ヶ島氏が滅亡 |
飛騨・中部一帯 |
天正14年(1586) |
金森長近、正式に飛騨一国を与えられる |
飛騨 |
天正16年(1588) |
金森長近、高山城の築城を開始 |
飛騨 |
第一章:飛騨征伐前夜 – 天下統一の奔流と山国の動乱
1.1 秀吉の天下統一戦略と「富山の役」
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いは、秀吉にとって軍事的には必ずしも完勝とは言えなかったものの、織田信雄、そして徳川家康と和睦を結んだことで、政治的には天下人としての地位を決定づけるものとなった。この和睦以降、秀吉の戦略目標は明確であった。すなわち、依然として中央政権に服従しない地方勢力を一つずつ、圧倒的な軍事力と巧みな外交戦略をもって屈服させていくことである 1 。
その中で、北陸地方において最大の障害となっていたのが、越中を支配する佐々成政であった。成政は織田信長の重臣として勇名を馳せた武将であり、小牧・長久手の戦いでは信雄・家康方に与して秀吉と敵対した。秀吉と家康の和睦後も、彼はその姿勢を崩さなかった 9 。天正12年の冬、成政は秀吉への抗戦継続を家康に説得するため、厳冬の北アルプスを越えて浜松城へ向かうという、常軌を逸した行動に出る。これが後世に伝わる「さらさら越え」である 8 。この逸話は、成政の秀吉に対する強烈な敵愾心と不屈の精神を象徴しており、秀吉が彼を天下統一の障害として看過できなかった理由を物語っている。諸説あるが、この困難な行軍には、同盟者であった姉小路氏の支配する飛騨国内を通過するルートが用いられた可能性も指摘されている 12 。
家康の説得に失敗した成政は失意のうちに越中へ戻るが、反秀吉の旗幟を降ろすことはなかった。これを放置すれば、自身の背後を脅かす危険な存在であり続ける。天正13年8月、四国平定を終えた秀吉は、満を持して自ら10万ともいわれる大軍を率いて越中へ侵攻した。世に言う「富山の役」である 1 。秀吉軍は呉羽山の白鳥城などに陣を敷き、成政の居城・富山城を完全に包囲した 16 。この圧倒的な兵力差を前に、成政は戦わずして降伏。ここに北陸の反秀吉勢力の中核は潰えたのであった。
1.2 飛騨の「梟雄」姉小路頼綱(三木自綱)
その頃、越中の南に隣接する飛騨国を支配していたのが、姉小路頼綱(本姓は三木、名は自綱とも)であった。三木氏は元来、飛騨守護であった京極氏の被官に過ぎなかったが、頼綱の父・良頼の代に、飛騨国司として権威を保っていた公家・姉小路家の内紛に乗じてその名跡を乗っ取り、飛騨における支配の正統性を手にした新興勢力である 18 。
当主である頼綱は、まさに戦国乱世を体現するような人物であった。彼の正室は美濃の斎藤道三の娘であり、道三の別の娘・帰蝶(濃姫)を正室としていた織田信長とは相婿(互いの妻が姉妹)という関係にあった 20 。この縁を最大限に活用し、信長の上洛時にはいち早く誼を通じるなど、中央の動向を見据えた外交感覚を持っていた。その一方で、かつては越後の上杉謙信にも従属し、二大勢力の間を巧みに渡り歩くことで自家の存続と勢力拡大を図った 9 。
彼の真骨頂は、飛騨統一にかける非情なまでの執念にあった。天正7年(1579年)、彼は嫡男・信綱に謀反の疑いをかけて誅殺 20 。そして天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が横死し、織田家の統制が緩むと、これを千載一遇の好機と捉え、国内のライバル勢力の一掃に乗り出す。同年10月、北飛騨の有力国人・江馬輝盛を「八日町の戦い」で討ち滅ぼし 24 、翌天正11年(1583年)には、協力関係にあったはずの実弟・鍋山顕綱や広瀬宗域らを次々と謀殺・追放し、その所領を併呑した 20 。この苛烈な手法により、頼綱は征伐直前の天正11年頃には、ついに飛騨一国のほぼ全域を手中に収めることに成功したのである。
1.3 反秀吉同盟の形成と征伐の決定
飛騨統一を成し遂げた頼綱は、信長亡き後の天下の動向を注視する中で、越中の佐々成政と同盟を結ぶ道を選んだ 9 。これは、地理的に隣接しているという単純な理由だけではなかった。両者ともに信長旧臣であり、信長の血筋を無視して天下人の座に就こうとする秀吉の存在を快く思わないという点で、感情的な共通項があったと考えられる。また、白川郷を支配していた国人・内ヶ島氏理も、成政と誼を通じており、飛騨・越中にまたがる反秀吉の緩やかな連携が形成されていた 21 。
この姉小路氏の存在は、佐々成政討伐を決意した秀吉にとって、極めて深刻な戦略的脅威であった。飛騨は成政の領国である越中の真南に位置する。もし秀吉が大軍で越中に侵攻した場合、背後の飛騨から姉小路軍による攪乱攻撃を受ける可能性がある。あるいは、追い詰められた成政が飛騨を経由して美濃や信濃方面へ逃亡し、再起を図ることも十分に考えられた。これらのリスクを排除しない限り、成政を完全に無力化することはできない。
ここに、飛騨征伐の必然性が生まれる。この作戦は、単に「秀吉に従わない姉小路氏を討つ」という懲罰的な意味合い以上に、「対佐々成政戦略における、不可欠な側面支援作戦」として計画されたのである。秀吉の狙いは、主力の越中侵攻と同時に、別動隊に飛騨を制圧させることで、成政を地理的に完全に孤立させ、逃げ場のない「袋の鼠」にすることにあった 15 。この重要な別動隊の指揮官として白羽の矢が立ったのが、越前大野城主・金森長近であった。彼は織田信長配下として数々の戦功を挙げた宿将であると同時に、城下町経営にも優れた手腕を持つ人物であり 5 、飛騨の地理にも明るい。この人選は、軍事制圧とその後の統治までを見据えた、極めて合理的な判断であったと言えよう。
第二章:合戦の刻 – 金森長近、飛騨へ進攻す
天正13年8月、秀吉本隊が越中を席巻し、佐々成政が富山城で降伏の意を固めつつあったのと時を同じくして、金森長近は秀吉の厳命を奉じ、飛騨への進攻を開始した 32 。飛騨の山々に、戦国の終わりを告げる軍靴の響きがこだました。
表2:飛騨征伐における両軍の構成
|
攻城軍(金森方) |
守城軍(姉小路方) |
総大将 |
金森長近 |
姉小路頼綱(三木自綱) |
主要武将 |
金森可重(長近養子) |
姉小路秀綱(頼綱次男)、姉小路季綱(頼綱三男) |
推定兵力 |
数千人規模 |
2,000人程度(分散配置) |
主要拠点 |
越前大野城(出撃拠点) |
松倉城(本城)、高堂城、鍋山城、桜洞城など |
構成 |
越前衆を中核とし、反姉小路の飛騨国人衆(江馬・牛丸氏旧臣など)が加わる |
三木一族及び譜代家臣 |
2.1 天正13年(1585年)8月:出陣
越前大野城主であった金森長近は、秀吉の命令一下、速やかに軍を編成した。その兵力に関する正確な記録は残されていないが、後の関ヶ原の戦いにおいて長近が約1,140の兵を動員していること 33 、また飛騨の石高が約3万8千石であったこと 4 から、数千人規模の軍勢であったと推定される。軍の中核を成したのは、長近率いる越前衆と、その養子である金森可重が率いる部隊であった。
2.2 二方面からの侵攻作戦
長近は、山深く城砦が点在する飛騨を迅速に制圧するため、軍を二手に分ける作戦を採用した 38 。これは姉小路方の兵力を各地の城に釘付けにし、戦力を分散させることを狙った巧みな戦術であった。
- 北ルート(長近本隊) : 長近自らが率いる主力部隊は、秀吉本隊のいる越中方面から飛騨北部に侵入した 37 。その目標は、姉小路氏の本拠地である松倉城の攻略であった。
- 南ルート(可重隊) : 養子の可重が率いる別動隊は、美濃国との国境に近い街道、おそらくは津保街道などを経由して 7 、飛騨南部の益田郡へと進軍した。こちらの部隊には、姉小路氏の支城群を掃討する任務が与えられていた 22 。
2.3 緒戦:南部の無血開城と抵抗の瓦解
南から侵攻した金森可重の部隊は、破竹の勢いで進撃した。姉小路頼綱がかつて本拠とし「冬城」とも呼ばれた桜洞城 22 、そして頼綱が実弟を殺害して手に入れた鍋山城 28 といった益田郡の主要な城砦は、金森軍の姿を見るや、ほとんど組織的な抵抗を示すことなく、わずか数日のうちに次々と開城、あるいは放棄された 22 。
このあまりにも早い南部の瓦解は、単に金森軍の兵力が優越していたからだけではない。その背景には、姉小路頼綱による恐怖政治への根深い反発があった。頼綱の飛騨統一は、敵対勢力や、かつての協力者さえも容赦なく粛清することで成し遂げられたものであった 20 。そのため、領内には滅ぼされた江馬氏や広瀬氏の旧臣など、頼綱に恨みを抱く者たちが数多く存在していた。金森軍には、こうした反姉小路勢力が道案内や協力者として加わっていたと記録されている 41 。秀吉の「天下」という新しい秩序を掲げた金森軍は、彼らにとって圧政からの解放軍と映ったのかもしれない。姉小路氏の支配は、外部からの強力な一撃によって、内部から脆くも崩れ始めたのである。
2.4 決戦:松倉城攻防戦
南部の支城群が瞬く間に制圧される中、飛騨の命運を決する戦いの舞台は、北部の本城・松倉城へと移った。この城には、父・頼綱から家督を譲られていた次男の姉小路秀綱と、三男の季綱が籠城し、金森軍を迎え撃った 9 。一方、隠居の身であった頼綱自身は、松倉城の北方にある高堂城に布陣し、全体の指揮を執っていた 9 。
松倉城は、険しい山容を利用して築かれた堅城であり、その防御力は高かった。金森長近率いる本隊は城を包囲したものの、力攻めは容易ではなく、攻めあぐねる状況が続いた 41 。数日間にわたり、鉄砲を撃ちかけ、堀際に迫るなど、激しい攻防が繰り広げられたと推測される 43 。城兵も必死に防戦し、戦況は膠着状態に陥ったかに見えた。
しかし、この堅城もまた、内部からの崩壊を免れることはできなかった。戦いが数日に及ぶ中、籠城していた姉小路家の家臣の一人、藤瀬新蔵が密かに金森方に内応したのである 27 。藤瀬は城内の本丸屋形に火を放った。突如として城の中心部から上がった火の手は、籠城兵たちの士気を一瞬にして打ち砕いた。城内が混乱に陥ったこの機を、百戦錬磨の長近が見逃すはずはなかった。金森軍はこれを合図に総攻撃を開始。防衛線を維持できなくなった松倉城は、炎と鬨の声の中、ついに陥落した。
2.5 終焉:姉小路一族の末路
松倉城の陥落により、姉小路氏の組織的抵抗は事実上終結した。城から辛くも脱出した秀綱・季綱の兄弟は、妻の実家を頼って信濃国を目指し、山中を落ち延びていった。しかし、その逃避行はあまりにも悲劇的な結末を迎える。彼らはその道中で、武装した土民(落ち武者狩り)に襲われ、非業の最期を遂げたのである 9 。
一方、高堂城にいた姉小路頼綱は、本城の陥落と息子たちの死(あるいはその報)を知り、もはやこれまでと覚悟を決めた。秀吉本陣から、あるいは朝廷を通じての降伏勧告もあり 21 、彼は全ての抵抗を断念し、金森長近に降伏した 6 。
飛騨の「梟雄」として君臨した頼綱であったが、命は助けられた。彼は妻子と共に京へと護送され 37 、以降は政治の表舞台から姿を消す。京都では、公卿である親族の近衛前久らの庇護を受け、比較的穏やかな幽閉生活を送ったと伝えられる 9 。そして天正15年(1587年)4月25日、頼綱は波乱の生涯を京都で閉じた。享年48であった 9 。ここに、実力でのし上がり飛騨を席巻した戦国大名・三木(姉小路)氏は、完全に滅亡した。
第三章:戦後の動乱 – 三沢の乱と金森氏の支配確立
3.1 旧勢力の最後の抵抗
金森長近による飛騨平定は、姉小路頼綱の降伏によって完了したかに見えた。しかし、新支配体制への移行は、完全な無風状態では進まなかった。姉小路氏の滅亡後も、その旧臣の中には金森氏の支配を潔しとせず、抵抗を試みる者たちがいた。その最後の抵抗が「三沢の乱」である 45 。
乱の首謀者は、姉小路氏の家臣であった三木国綱(入道して三沢と号す)であった。彼は姉小路氏への忠義からか、あるいは新支配者への反発からか、約500の兵を集めて蜂起した。この反乱は、飛騨平定が完了した直後の天正13年閏8月16日に発生した 45 。
しかし、この抵抗はあまりにも無謀であった。飛騨全土を制圧し、秀吉という巨大な後ろ盾を持つ金森軍の対応は迅速かつ的確であった。長近は即座に鎮圧軍を派遣し、翌17日には三沢率いる一揆勢を攻撃、これを完全に壊滅させた 45 。この動きに呼応しようと、益田川筋の土豪たち約500〜600人も北上を試みたが、彼らが戦場に到着する前に三沢軍はすでに敗北しており、なすすべなく解散したという 45 。
乱の後、首謀者である三沢の首は鍋山城の麓に晒され、金森氏の支配に逆らう者への見せしめとされた 45 。この「三沢の乱」を迅速に、そして徹底的に鎮圧したことにより、金森長近は武力をもって飛騨における支配権を完全に確立し、戦後の統治へ向けた盤石の体制を築き上げたのである。
第四章:天地鳴動 – 天正大地震と内ヶ島氏の悲劇
4.1 天正13年11月29日、未曾有の大災害
金森長近が飛騨の平定を終え、新たな統治体制を固めつつあった天正13年11月29日の深夜、人知を超えた巨大な力がこの地を襲った 46 。日本の中部地方一帯を震源域とする、マグニチュード8クラスと推定される巨大地震、すなわち「天正大地震」である 48 。
この地震による被害は、近畿から東海、北陸地方の広範囲に及び、各地で城郭の倒壊や山崩れ、液状化現象、津波までもが記録されている 47 。秀吉が築いた長浜城は全壊し、山内一豊の娘が圧死。美濃の大垣城は全壊焼失、越中の木舟城も倒壊し、前田利家の弟・秀継夫妻が命を落とした 47 。飛騨国も例外ではなく、各地で山崩れが発生し、甚大な被害に見舞われた 49 。この未曾有の天変地異は、飛騨における戦国時代の終わりを、あまりにも劇的かつ物理的な形で象徴する出来事となった。
4.2 帰雲城の埋没と内ヶ島氏の滅亡
天正大地震がもたらした数々の悲劇の中でも、後世に最も衝撃的な物語として語り継がれているのが、白川郷における帰雲城の埋没と、それに伴う内ヶ島一族の滅亡である。
飛騨国白川郷を治めていた国人・内ヶ島氏は、飛騨征伐の際には佐々成政・姉小路頼綱に与していたが、金森長近の侵攻を受けて降伏。長近は彼らを赦し、所領を安堵していた 30 。当主の内ヶ島氏理は、一族の存続が決まったことに安堵し、帰雲城に戻っていた。
運命の11月29日、氏理は本領安堵を祝う宴を翌日に控え、一族郎党や主要な家臣たちを城内に集めていた 52 。まさにその夜、大地震が発生した。激しい揺れは、帰雲城の背後にそびえる帰雲山に大規模な山体崩壊を引き起こした 46 。山は轟音と共に崩れ落ち、膨大な量の土砂が津波のように城と城下町に襲いかかった 48 。
その結果は、壊滅的であった。堅固な山城であった帰雲城も、麓に広がっていた城下町も、一瞬にして数千万立方メートルともいわれる土砂の下に完全に埋没した 53 。城内にいた当主・氏理はもちろん、宴のために集まっていた一族、家臣、そして城下町の住民数百名(一説には500人以上)の命が、一夜にして奪われた 60 。仏門にあり宴に参加しなかった氏理の弟・経聞坊など、ごく少数の者を除き 53 、内ヶ島氏は文字通り地上から姿を消し、ここに滅亡したのである。
この出来事は、金森長近の飛騨統治に、意図せざる影響を与えた。長近は、姉小路氏という最大の敵対勢力を武力で排除したが、内ヶ島氏のような在地勢力の強い国人領主は、統治の安定化のために降伏させて存続させるという現実的な選択をしていた。しかし、こうした在地勢力は、将来的に反乱の火種となる可能性を常にはらんでいる。天正大地震は、その潜在的なリスクの一つを、長近が自ら手を下すことなく、天災という形で物理的に消滅させた。この人知を超えた衝撃的な出来事は、飛騨の民衆に「古い時代は完全に終わった」「金森氏の支配は天命である」という強烈な印象を与え、新しい支配体制への移行を心理的な側面からも決定づけたと言えるだろう。
4.3 帰雲城埋蔵金伝説
内ヶ島氏の悲劇的な滅亡は、後世に一つのロマンあふれる伝説を生み出した。「帰雲城埋蔵金伝説」である 60 。内ヶ島氏は、その領内にあった茂住鉱山などを通じて金の採掘を行い、莫大な富を蓄えていたとされる 31 。その黄金が、城と共に土砂の下に埋もれているのではないか、という伝説である。その額は数兆円ともいわれ、今日に至るまで多くの人々の想像力を掻き立てている 57 。
この伝説の真偽は定かではないが、内ヶ島氏が高い経済力と、当時としては先進的な鉱山経営・採掘技術を有していたことの傍証と見ることはできる。秀吉や長近が、敵対した内ヶ島氏理を助命し、所領を安堵した背景には、この鉱山利権と高度な技術を平和裏に手に入れたいという経済的な思惑があった可能性は十分に考えられる 30 。悲劇の結末は、戦国武将たちが渇望した富もまた、自然の猛威の前には無力であることを物語っている。
第五章:新たな飛騨の黎明 – 金森長近の国づくり
飛騨征伐と天正大地震という二つの大きな動乱を経て、飛騨国は新たな時代を迎えた。その扉を開いたのは、初代飛騨国主となった金森長近であった。彼は単なる武人ではなく、優れた都市計画家であり、経済政策家でもあった。彼の国づくりは、その後の飛騨の歴史を決定づけ、今日の「飛騨高山」の礎を築くことになる。
5.1 高山城と城下町の建設
天正14年(1586年)、秀吉から正式に飛騨一国3万8千石余を与えられた長近は 37 、国の新たな中心地として高山の地を選定した。そして天正16年(1588年)、かつて高山外記が城を構えた天神山を利用し、近世城郭としての高山城の築城を開始する 67 。この築城は16年の歳月を要し、慶長8年(1603年)に完成したと伝えられている 67 。
高山城の築城と並行して、長近は自身の経験と知識を総動員し、計画的な城下町の建設に着手した。特に、かつて信長から与えられた越前大野での城下町建設の経験は、高山の町づくりに大いに活かされた 5 。彼は京都の町並みを参考に、宮川を挟んで碁盤目状の整然とした区画を整備 69 。商人町、武家屋敷を機能的に配置し、さらに城の東側の丘陵地帯には寺院を集中して配置した(東山寺院群)。これは、火災の延焼を防ぐと同時に、有事の際には城下町の防衛拠点とするための、極めて合理的な都市計画であった 69 。この長近による都市計画が、現在の高山市の美しい町並みの原型となっている。
5.2 経済政策と産業振興
長近は、飛騨の国力の源泉が、石高に現れる米の生産量ではなく、山々がもたらす恵みにあることを見抜いていた。彼の経済政策は、飛騨の地理的・資源的特性を最大限に活用するものであった 5 。
- 山林支配と鉱山経営 : 長近は、飛騨の広大な森林から産出される良質な木材を藩の重要な財源と位置づけ、その管理と活用を進めた 5 。また、家臣の糸屋彦次郎(茂住宗貞)らに命じて茂住鉱山などの開発を積極的に行い、金・銀・銅・鉛といった鉱物資源から大きな利益を上げた 5 。
- 「飛騨の匠」の活用 : 奈良時代からその名を知られた木工技術者集団「飛騨の匠」の技術を高く評価し、彼らを保護・育成した 81 。高山城や城下町の建設にその卓越した技術を動員する一方で 75 、木工品を飛騨の特産品として奨励し、産業振興の柱とした。
これらの巧みな経済政策の結果、飛騨高山藩は公式な石高である3万8千石をはるかに上回る実質的な経済力を有するに至った。その豊かさは、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて、長近が倍近い6万石クラスの大名に匹敵する軍役を負担できたという逸話にも表れている 5 。
5.3 統治体制の確立
新たな支配者として、長近は近世大名としての統治体制の確立にも注力した。飛騨入国後、領内の実態を正確に把握するために検地(太閤検地の一環)を実施し、年貢徴収の基準を明確化して安定した支配の基礎を固めた 75 。また、美濃や越中へと通じる街道を整備することで 5 、物流を活性化させ、山国であった飛騨を中央政権の経済圏・政治圏と緊密に結びつけた。これらの施策を通じて、長近は飛騨を戦国時代の動乱から脱却させ、近世社会へと移行させる役割を果たしたのである。
結論:飛騨征伐が残したもの
天正13年(1585年)の飛騨征伐は、単なる一地方の合戦ではなく、豊臣秀吉の天下統一事業という巨大な構想の中で、戦略的に配置された重要な一ピースであった。それは、北陸の雄・佐々成政を孤立させ、無力化するための不可欠な作戦であり、秀吉の周到な戦略眼を示すものであった。
この征伐は、飛騨国の歴史における一大転換点となった。姉小路頼綱に代表される、在地の実力者が旧来の権威を借りながら実力で支配するという中世的な統治形態は、この合戦によって完全に終焉を迎えた。代わって飛騨を治めたのは、金森長近という、中央政権と密接に結びついた近世大名であった。彼の統治は、検地、城郭と城下町の建設、産業振興といった近世的な手法によって行われ、飛騨は新たな時代へと歩みを進めることになった。
金森長近が築いた高山城と城下町、そして彼が育んだ産業と文化は、その後の金森氏6代107年にわたる統治 85 、さらには江戸幕府の直轄領(天領)時代 86 を通じて発展し、今日の「飛騨高山」の比類なき歴史的景観と文化的基盤を形成した。その意味で、飛騨征伐は破壊の記憶であると同時に、創造の序章でもあったと言える。
最後に、飛騨における戦国時代の終焉が、武力による平定という「人災」と、その直後に発生した天正大地震という「天災」という、二つの抗いがたい力によって、極めて劇的な形で幕を閉じたという事実は、歴史の皮肉と必然性を我々に強く印象付ける。人の営みがいかに激しくとも、それは常に、より大きな自然の摂理の中に存在することを、飛騨征伐とその後の出来事は静かに物語っているのである。
引用文献
- 1585年 – 86年 家康が秀吉に臣従 | 戦国時代勢力図と各大名の動向 https://sengokumap.net/history/1585/
- 紀州征伐 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%B7%9E%E5%BE%81%E4%BC%90
- 四国攻め - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E6%94%BB%E3%82%81
- 金森可重(かなもり あるしげ) 拙者の履歴書 Vol.257~飛騨に城を築きし生涯 - note https://note.com/digitaljokers/n/n7b8a21dc7886
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- 金森長近(かなもり ながちか) 拙者の履歴書 Vol.256~~|デジタル城下町 - note https://note.com/digitaljokers/n/n6c64e49a580d
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- 【公式】高山陣屋|国指定史跡|岐阜県高山市 https://jinya.gifu.jp/