最終更新日 2025-10-19

徳川家康
 ~鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス~

家康の「鳴くまで待とう」の句は江戸後期に創作された。史実の彼は激情家だが、戦略的忍耐で天下を得た。この物語は理想化された家康像を象徴する。

徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の逸話:史実を超えた物語の徹底解剖

序章:国民的逸話への誘い ― 史実の扉か、創作の鏡か

導入:逸話の普遍性と象徴性

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」。この一句は、徳川家康という歴史上の人物を語る上で、あまりにも有名な言葉として知られている。織田信長の「殺してしまえ」、豊臣秀吉の「鳴かせてみせよう」という句と対をなすこの逸話は、単なる古人の言葉に留まらず、日本人の精神性やリーダーシップ論において、特定の人物像を瞬時に想起させる強力な文化的記号として機能している 1 。この三句を聞けば、多くの人々が信長の苛烈さ、秀吉の機知、そして家康の忍耐強さを即座に思い浮かべるであろう。その浸透度は、他の歴史逸話と比較しても類稀なものである。

問題提起:史実性の否定と本報告の目的

しかし、本報告が最初に提示する最も重要な前提は、この逸話が徳川家康、織田信長、豊臣秀吉が生きた戦国時代に実際にあった出来事ではないという厳然たる事実である。数々の文献調査が示す通り、この物語は彼らの死後200年近くが経過した江戸時代後期に創作されたものである 3

したがって、本報告の目的は「史実としてあった会話を再現する」ことではない。むしろ、「逸話が『物語』としてどのように描かれ、なぜ創られ、どのように受容されてきたのか、その全貌を徹底的に解明する」ことにある。利用者からの「リアルタイムな会話内容やその時の状態を知りたい」という要望に対しては、現存する典拠に描かれた「物語上の情景」を可能な限り詳細に再現し、分析することで応える。この逸話は、史実の記録ではなく、後世の人々が三英傑をどのように見ていたか、そして特に徳川家康という人物をどのように理想化したかを映し出す鏡なのである。

第一章:逸話に描かれる「時系列」の情景 ― 二つの原典風景

この逸話の「リアルタイムな情景」を理解するためには、その主要な典拠とされる二つの江戸時代の随筆、『耳嚢(みみぶくろ)』と『甲子夜話(かっしやわ)』に描かれた場面を詳細に再現する必要がある。これらは史実ではないが、逸話がどのように語られていたかを示す貴重な記録である。

第一節:『耳嚢』が描く三英傑の歌会 ― 鼎談の情景

現存する文献の中で、この逸話の初出とされるのが、旗本・根岸鎮衛によって天明年間(1780年代)から文化11年(1814年)にかけて書かれた随筆『耳嚢』である 3 。その巻八「連歌其心自然に顕はるゝ事」には、以下のような動的な情景が描かれている 7

状況設定の再現

  • 時と場所 :季節は「卯月のころ」(旧暦四月)。ホトトギスの初音が待たれる頃合いである。
  • 登場人物 :織田信長、豊臣秀吉、そして「恐れながら神君(家康)」の三人が一堂に会する「御参会」の場が設定されている 8
  • 発端 :その会合の席で、「いまだ郭公(ホトトギス)を聞かず」という話題が持ち上がる。これが、三者三様の句が詠まれるきっかけとなる 9

会話内容の時系列再現

『耳嚢』の記述は、三人の発言が連鎖していく会話形式を特徴とする。

  1. 信長の発句 :まず口火を切ったのは信長であった。「 鳴かずんば殺してしまへ時鳥 と、ありしに」と記されており、鳴かないホトトギスに対する苛烈で性急な態度が示される 7 。この一句が、場の空気を一変させたであろうことは想像に難くない。
  2. 秀吉の応句 :信長の句を受ける形で、次に秀吉が機転を利かせた句を詠む。「 なかずともなかせて聞かう時鳥 と、有りしに」と続く 7 。力で排除するのではなく、知恵や工夫を凝らして目的を達成しようとする、秀吉らしい才覚が表現されている。
  3. 家康の結句 :最後に、神君(家康)がおもむろに詠んだ句が、敬意を込めて記される。「 なかぬならなく時聞かう時鳥 とあそばされしは神君の由」 7 。前の二人とは全く異なるアプローチ、すなわち時が満ちるのを待つという悠然とした姿勢が描かれている。

『耳嚢』の解釈

筆者の根岸鎮衛は、この三句の後に「自然とその御徳化の温純なる、又残忍、広量なる所、その自然をあらわしたるか」と評を加えている 7 。これは、これらの句がそれぞれの性格―家康の温和で徳のある人柄、信長の残忍さ、秀吉の度量の広さ―をありのままに表しているのではないか、という解釈であり、逸話が当初から人物評として認識されていたことを示している。

第二節:『甲子夜話』が描く贈物の場面 ― 静的な人物評

『耳嚢』から少し後の時代、肥前平戸藩主・松浦静山が文政4年(1821年)から天保12年(1841年)にかけて執筆した随筆『甲子夜話』にも、この逸話は収録されている 10 。しかし、その巻五十三に記された情景は、『耳嚢』の歌会とは異なる、より静的な設定となっている 8

状況設定の再現

  • 発端 :「郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ」と記されており、ある人物が三英傑にホトトギスを贈ったが、その鳥が鳴かなかった、という状況が設定されている 9 。これは三人が一堂に会する鼎談ではなく、鳴かないホトトギスという一つの「課題」に対し、三者がそれぞれどのように反応したかを示す形式である。

句の提示方法

『甲子夜話』には『耳嚢』のような会話の流れはなく、以下のように各人の句が、まるで人物紹介の札のように並べられている 8

  • なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府
  • 鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤
  • なかぬなら鳴まで待よ郭公 大権現様

この箇条書きのような提示方法は、三者の性格を類型的に示すキャラクターラベルとしての機能をより強く意識させる。

この逸話が単一の物語としてではなく、少なくとも二つの異なるバリエーション―「三英傑の歌会」という動的な物語と、「贈られたホトトギスへの反応」という静的な人物評―をもって江戸後期に流布していたことは明らかである。これは、逸話の核となる「三つの句」がまず存在し、それを語るための「物語のフレーム(状況設定)」が複数存在した可能性を示唆している。逸話は固定的なものではなく、語り継がれる中で変容していく「生きた伝承」であったと言える。

表1:主要典拠におけるホトトギスの句の比較

逸話の変遷をより明確に理解するため、各典拠における句の表記を比較する。

典拠(成立時期)

織田信長

豊臣秀吉

徳川家康

『耳嚢』写本A 7

鳴ずんば殺して仕まへ時鳥

啼かずとも啼せて聞ふ時鳥

なかぬなら啼時聞ふ時鳥

『耳嚢』写本B 7

鳴ずんば殺してしまえ時鳥

なかずともなかせて聞こう時鳥

なかぬならなく時聞こう時鳥

『甲子夜話』(1821-41) 10

なかぬなら殺してしまへ時鳥

鳴かずともなかして見せふ杜鵑

なかぬなら鳴まで待よ郭公

現代流布形 1

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

この比較表は、句、特に家康の句が「鳴く時を聞こう/待とう」という受動的なニュアンスから、「鳴くまで待つよ/待とう」という、より積極的で強い意志を伴う「忍耐」へと、意味合いを変化させていった過程を視覚的に示している。口承や筆写を通じて逸話が徐々に洗練され、現代に伝わる最も印象的で分かりやすい形へと定着していったことがうかがえる。

第二章:逸話の誕生と流布 ― 本当の時系列

物語の情景分析から一歩進み、この逸話がいつ、どのような文化的土壌から生まれ、広まっていったのか、その「史実としての時系列」を解明する。

第一節:最古の記録『耳嚢』と江戸後期の文化

前述の通り、この逸話が確認できる最古の文献は『耳嚢』である 3 。三英傑の時代から約200年後、江戸時代も後期に入り、世は泰平の長く続いた時代であった。この時期、町人文化が爛熟期を迎え、講談や草双紙といった大衆向けの娯楽が隆盛を極めていた。歴史上の人物は、厳密な史実の対象としてだけでなく、物語の英雄として、時には面白おかしく語られる文化が根付いていた。『耳嚢』自体が、旗本身分の著者が市井の噂話、奇談、逸話を書き留めた随筆集であるという事実は、この逸話が学術的な歴史事実としてではなく、一種の「都市伝説」や「面白い話」として人々の間で流通していたことを強く示唆している。

第二節:『甲子夜話』による定着と『誹風柳多留』の存在

『耳嚢』に現れた逸話は、大名であった松浦静山が著した『甲子夜話』に収録されたことで、より一層の権威性を帯び、知識人層へと広く定着する契機となった 10 。重要なのは、松浦静山自身はこの逸話の作者ではないという点である。彼は「夜話のとき或人の云けるは」と前置きし、これは誰かの作り話(仮託)であろうが、三人の実情をよく言い当てている、として紹介している 6 。これは、彼が執筆した時点で、既にこの話が一定の知名度を持っていたことの証左である。

さらに、『甲子夜話』は三英傑の句の後に、作者不詳として二つのパロディ句を追記している。「 なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす 」「 なかぬなら貰て置けよほとゝぎす 8 。研究によれば、これらは当時の将軍・徳川家斉の拝金主義的な政策や大御所政治を風刺したものと解釈されている 15 。この事実は、ホトトギスの逸話が単なる過去の人物評に留まらず、同時代社会への批評や風刺の道具としても機能していたことを示している。

また、これらの随筆に先んじて、川柳の世界では既に同様の着想が存在していた可能性がある。文化8年(1808年)に編纂された川柳句集『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』の五十三篇には、「 三将で思ひ思ひの時鳥 」という一句が収録されている 15 。これは『甲子夜話』よりも古く、三英傑とホトトギスを結びつけて彼らの性格を論じるという発想が、特定の物語形式に整えられる以前から、より短い川柳という形で広く共有されていたことを示唆している。

逸話が江戸時代後期に生まれ、広く受け入れられた背景には、徳川幕府による200年以上にわたる治世を正当化し、その始祖である家康を理想化する「徳川史観」の存在が深く関わっている。戦国の動乱を乗り越えて打ち立てられた「泰平の世」において、その価値観の中心は、信長的な「武力による破壊」や秀吉的な「機知による操作」よりも、社会の「安定」と「秩序」を維持する家康的な「忍耐」や「深慮遠謀」に置かれるようになった 16 。逸話の構造は、信長の「破壊」、秀吉の「創造」に対し、家康の「待望」が最終的な勝利者として描かれており、これは徳川の治世が最も優れているという結論に聞き手を自然に誘導する。つまり、この逸話は単なる性格分析ではなく、徳川の天下が歴史の必然であったと人々に納得させるための、巧みなプロパガンダとして機能したのである。家康の「忍耐」を絶対的な美徳として描くことで、徳川支配の正統性を補強するイデオロギー装置の役割を果たしたと考えられる。

第三章:「鳴くまで待とう」の人物像 ― 徳川史観と史実の乖離

逸話によって形成され、現代にまで続く「忍耐の人、徳川家康」というパブリックイメージ。しかし、一次史料から浮かび上がる実際の家康像は、それとは少なからぬ乖離を見せる。この章では、理想化された人物像と史実の姿を比較検討し、逸話がなぜこれほどまでに説得力を持ったのかを考察する。

第一節:泰平の世が求めた「忍耐」の象徴

ホトトギスの逸話が描く家康像は、まさしく江戸幕府が理想とする創業者、君主の姿そのものである。幼少期に今川氏と織田氏のもとで過ごした人質生活 18 、織田信長、豊臣秀吉という強大な存在に従い、雌伏の時を過ごした青年・壮年期、そして数々の苦難を耐え忍んだ末に天下を掌握したという彼の生涯は、「鳴くまで待とう」という物語と完璧に符合する 19

この「忍耐」の物語は、天下統一という結果から遡って家康の人生を再解釈する「徳川史観」の典型例と言える。彼の人生における一つ一つの決断や行動が、すべては天下泰平という遠大な目標のための布石であったかのように描かれ、神君「大権現様」として神格化されていったのである 9

第二節:史実の家康 ― 短気、激情家としての一面

一方で、同時代の史料や記録に残る家康は、逸話のイメージとは大きく異なる、非常に人間臭い激情家としての一面を持っていた。

  • 癇癪持ちの癖 :戦況が不利になったり、自身の思惑が外れたりすると、イライラして軍配や自らの爪を噛む癖があったと記録されている 21 。さらに、激高すると馬の鞍を拳で血が滲むほど殴りつけることもあり、後年にはその影響で指の曲げ伸ばしが不自由になったとさえ伝わっている 22
  • 三方ヶ原の戦いでの激情 :元亀3年(1572年)、武田信玄が自らの居城である浜松城を素通りしようとした際、家康はこれを挑発と受け取った。家臣たちが籠城を主張するのを振り切り、「自分の庭先を横切られて黙っていられるか」と感情的に出陣し、結果として生涯最大の大敗を喫した 22 。この行動は、冷静沈着な忍耐とは程遠い、短気で負けず嫌いな性格を如実に示している。
  • 関ヶ原の戦いでの苛立ち :慶長5年(1600年)の天下分け目の戦いにおいても、彼の激情家としての一面が垣間見える。事前に内応を約束していた小早川秀秋が一向に動こうとしないことに極度に苛立ち、しびれを切らして秀秋の陣に向かって威嚇の鉄砲を撃ちかけたという逸話は有名である。これは計算高い策略であると同時に、極度の焦りと激情の発露でもあった 23 。戦の最中に、目の前を横切っただけの兵卒を斬りつけようとしたという記録さえ残っている 24

これらの史実が示す家康像は、逸話が描く温和で忍耐強い人物像とは明らかに異なる。では、なぜ「鳴くまで待とう」というイメージがこれほどまでに定着したのだろうか。

その答えは、家康の「忍耐」が、生来の温和な性格からくるものではなく、強者に囲まれた厳しい環境を生き抜くために後天的に習得した「戦略的処世術」であったという点に見出せる。人質時代、信長や秀吉への臣従時代など、彼の人生には耐えなければ生き残れない局面が連続していた 18 。彼にとって「待つ」ことは、数ある選択肢の一つではなく、しばしば唯一の生存戦略であった。それは性格というより、冷徹な状況判断に基づく「戦略」だったのである。

ホトトギスの逸話は、この生存のための「戦略的忍耐」を、生まれながらの「性格的忍耐」という美徳に巧みにすり替えている。これにより、彼の野心や策略、激情といった生々しい人間的側面を覆い隠し、より道徳的で後世の人々が共感しやすい理想の君主像を創り出すことに成功したのである。

第四章:文化的受容と現代的解釈

江戸時代に生まれたこの逸話は、近代化の波を乗り越え、現代に至るまでなぜ、そしてどのように語り継がれているのか。その文化的生命力の源泉を分析する。

第一節:国民的逸話としての浸透と類型化

明治維新以降、日本が近代的な国民国家を形成していく過程で、この逸話は歴史教育、特に道徳教育である「修身」などを通じて、三英傑の性格を分かりやすく示すための典型的な教材として利用されたと考えられる 26 。その簡潔さと対比の鮮やかさは、子どもたちに歴史上の人物の個性を印象付ける上で非常に効果的であった。

その結果、三者のイメージは「苛烈な改革者・信長」「機知に富む人たらし・秀吉」「忍耐の末に天下を得た家康」という形で強力に類型化され、国民的教養の一部として社会に深く浸透した 3 。現代においてもこの類型化は非常に強力であり、ビジネス書やリーダーシップ論において、異なるタイプの経営者や組織のリーダーを説明するための格好の比喩として頻繁に引用されている 1

第二節:パロディと多様な価値観の表出 ― 「文化的プラットフォーム」として

この逸話の構造的な完成度の高さは、単に過去の物語として消費されるだけでなく、様々なパロディや新たな解釈を生み出す「文化的プラットフォーム」としての機能を持たせている。

例えば、「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」や「鳴かぬなら 代わりに鳴こう ホトトギス」といった現代的なパロディは、画一的な価値観への抵抗や多様性の尊重といった現代社会の気分を反映している 32 。また、「鳴かぬなら 季節を変えよう ホトトギス」「鳴かぬなら トラウマ取ろう ほととぎす」といった解釈は、問題解決のアプローチは一つではないことを示唆しており、逸話が単なる歴史物語ではなく、思考実験のツールとして機能していることを示している 33

この逸話が史実でないにもかかわらず、200年以上にわたって生き続けている最大の理由は、その圧倒的な「物語としての完成度」と、そこに内包された豊かな「解釈の余地」にある。物語の構造を分析すると、(1)身近な題材(鳴かない鳥)、(2)三者三様の対照的なキャラクター、(3)明確な対立軸(破壊・操作・待望)、(4)歴史的結末との整合性、という人々の心に残りやすい物語の要素を完璧に満たしている。

このシンプルかつ奥深い構造は、聞き手や読み手が自身の価値観や状況を投影し、自由に解釈することを可能にする。経営者は戦略を読み取り、教育者は徳目を読み取り、現代人は多様性を読み取る。この逸話は、もはや徳川家康個人の逸話という枠を超え、人々が時代ごとの価値観を映し出し、議論するための共有された「文化的テキスト」となっているのである。その史実性ではなく、この普遍的な物語性こそが、逸話の生命力の源泉に他ならない。

結論:史実を超えた「物語」の力

本報告を通じて、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という逸話が、徳川家康の生きた戦国時代の史実ではなく、後世の江戸時代に創られた「物語」であることを、典拠の分析を通じて徹底的に論証した。

この物語は、徳川の治世を正当化する「徳川史観」という政治的・文化的要請の中で生まれ、家康の複雑な人間性を「忍耐」という一つの美徳に集約させることで、泰平の世の理想的な創業者像を構築した。史実の家康が持っていた激情や人間臭さは巧みに覆い隠され、より道徳的で後世に範を示すべき人物として再構成されたのである。

しかし、この逸話の真の価値は、その史実性にあるのではない。むしろ、史実ではないからこそ、時代を超えて多様な解釈を受け入れ、人々の想像力を刺激し続ける「鏡」として機能してきた。ビジネスの現場から個人の生き方に至るまで、人々はこの物語を拠り所として様々な教訓を見出し、自らの状況を映し出してきた。

最終的に、この逸話は、歴史的事実そのものよりも、後世の人々が歴史をどのように解釈し、英雄に何を求め、自らの時代をどのように投影してきたかという、「歴史認識の歴史」そのものを我々に教えてくれる、極めて貴重な文化遺産であると結論付けられる。それは、史実を超えた「物語」が持つ、人々の心を動かし、価値観を形成する強大な力を雄弁に物語っているのである。

引用文献

  1. 「信長」「秀吉」「家康」。働きがいのある会社を創るのは誰? https://hatarakigai.info/library/column/20180807_121.html
  2. 「鳴くまで待とう ほととぎす」の徳川家康、でも実際には気が短かった説。 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/103172
  3. 戦国三英傑の特徴と逸話/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/26430/
  4. 三英傑 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8B%B1%E5%82%91
  5. 【有名なホトトギスの句は誰が詠んだ?】武将が教える歴史の面白い話し - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=_46wzcB0r9k
  6. 雑記帳・ホトトギス考 - BIGLOBE https://www2s.biglobe.ne.jp/gokuh/ghp/think/zakki_08.htm
  7. 信長、秀吉、家康が詠んだというほととぎすの句の出典を確認 ... https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000225924&page=ref_view
  8. 鳴かぬなら……(「ほととぎす」の句) http://sybrma.sakura.ne.jp/206nakanunara.hototogisu.html
  9. 〈鳴かぬなら~〉信長、秀吉、家康とホトトギスの歌に秘められた「徳川史観」の印象操作【麒麟がくる 満喫リポート】 | サライ.jp https://serai.jp/hobby/1011714
  10. 「ほととぎす」の歌はいつ,だれがつくったの? | 生徒の広場 - 浜島書店 https://www.hamajima.co.jp/rekishi/qa/a11.html
  11. 甲子夜話 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%A4%9C%E8%A9%B1
  12. 「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」「鳴かぬなら鳴かせてみせよ... | レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/reference/show?page=ref_view&id=1000085590
  13. 週刊東洋文庫1000:『甲子夜話 3、4』(松浦静山著、中村幸彦・中野三敏校訂) - ジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/articles/blogtoyo/entry.html?entryid=306
  14. 寓話から教訓を学ぶ「信長・秀吉・家康のホトトギス」 - 株式会社きらめき労働オフィス ブログ https://www.kirameki-sr.jp/blog/business-skill/lesser-cuckoo-business/
  15. 三英傑「ホトトギスの歌」を詠んだのは誰か - 今につながる日本史+α https://maruyomi.hatenablog.com/entry/2023/04/07/002057
  16. 戦国最強のケチ!徳川家康を天下人にした原動力は「蓄える力」にあった https://serai.jp/tour/149800
  17. 徳川家康公が遺した・・・(下) https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202312/202312h.html
  18. 【探究・知識を深める】原点は幼少期にあり? 家康をつくった人質生活 - ブリタニカ・ジャパン https://www.britannica.co.jp/blog/tokugawaieyasu/
  19. 徳川家康の名言・逸話・エピソード /ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/78167/
  20. 徳川家康に学ぶ成功の本質 泰平の世を築いた「忍耐」と「戦略思考」 https://www.diamondv.jp/article/irm3isUUEF1H7K2HnRsdgR
  21. 徳川家康の性格、色恋、人柄エピソード選などの雑学的プロフィール https://netlab.click/jphistory/prof_ieyasu
  22. 気長な性格はウソ!?神君徳川家康の知られざる姿とは - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/251
  23. 先見性ゼロの徳川家康が、どう戦国を生き抜き天下を取れたのか? - HULFT https://www.hulft.com/hulft_square/interview_8-1
  24. ブチ切れて絶叫する家康、突っ切る信長。絶体絶命時にわかる主君の本当の姿 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/85352/
  25. 忍耐と戦略で勝利を掴む:徳川家康に学ぶ、失敗を糧にする生き方|AI (8)ight Lab - note https://note.com/8ightlab/n/nadcdd61f4ccc
  26. あの逸話は作り話だった!? 最新研究の「家康像」とは――? | ノジュール https://nodule.jp/info/ex20230103/
  27. 断絶した歴史の向こう側に、本当の日本が存在する。戦後の教育から消された「修身」、その教科書『初等科修身』復刻版が刊行 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000018.000049367.html
  28. 意外!?信長・秀吉・家康の本当の性格とは?|出陣!歴史ワールド - ポプラ社 https://www.poplar.co.jp/rekishi/history/history1.html
  29. 三者三様の人柄をかぎくらべ!織田信長・豊臣秀吉・徳川家康イメージインセンス - note https://note.com/f_museumbu/n/ncacc02943753
  30. 【信長・秀吉・家康に学ぶ】あなたの「リーダーシップ」タイプ別、最適な組織運営術 https://spread-site.com/article/vlfpdzqvf8on
  31. 徳川家康と江戸幕府。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の意味とは? | 歴史ハック https://rekishi-hack.com/ieyasu_edobakuhu/2/
  32. 2010年8月号より「鳴かぬなら、代わりに鳴こうホトトギス」 | 敬和学園高等学校 https://www.keiwa-h.jp/?p=46871
  33. 鳴かぬなら・・・どうする? Part 2|ahiraga - note https://note.com/pingdun/n/n59006583749a