徳川家康
~鷹狩途中家臣に天下は辛抱と語る~
徳川家康が鷹狩の途中で「天下は辛抱」と語った逸話は、史実ではない。しかし、彼の生涯と統治の本質を、後世の人々が理解し記憶するために生まれた優れた寓話と言える。
徳川家康と鷹狩り ―「天下は辛抱」の逸話に秘められた歴史的真実の探求
序章:語り継がれる家康像の核心 ― 逸話への誘いと謎
徳川家康という人物を語る上で、その生涯を彩る逸話は枚挙に暇がない。中でも、「鷹狩りの途中、家臣に『天下は辛抱と語る』」という一場面は、彼の成功哲学と人間性を凝縮した物語として、後世の人々の心に深く刻み込まれてきた。趣味である鷹狩りという私的な空間で、天下統一という公的な偉業の本質が、わずか一言で喝破される。このドラマティックな構成は、家康を単なる権力者ではなく、深遠な人生観を持つ賢者として描き出している。
しかし、この鮮烈な印象を与える逸話は、江戸幕府が公式に編纂した歴史書である『徳川実紀』をはじめ、信頼性の高い同時代の史料の中に、その直接的な記述を見出すことができない。これは一体何を意味するのだろうか。本報告書は、この「史実としての不在」を調査の出発点とする。目的は、単に逸話の真偽を判定することに留まらない。なぜこの物語が生まれ、家康の象徴的なエピソードとして語り継がれるに至ったのか、その歴史的背景と文化的意味を徹底的に解明することにある。我々は、一つの逸話の深層に分け入り、史実を超えて形成された「家康像」の核心に迫る。
第一部:舞台の考証 ― 徳川家康と鷹狩り
逸話の真実性を探る第一歩として、まずその「舞台装置」である鷹狩りそのものを詳細に分析する。家康にとって鷹狩りとは何だったのか。それは単なる娯楽だったのか、それとも別の意味が込められていたのか。この問いを解き明かすことで、逸話の背景にある情景がより鮮明に浮かび上がってくる。
第一章:ある日の鷹狩り ― その情景の再現
徳川家康の鷹狩りは、決して個人的な気晴らしではなかった。それは周到な準備と組織的な動員を伴う、さながら一つの統治行動であった 1 。記録によれば、家康は葛西領(現在の東京都葛飾区周辺)や東金(現在の千葉県東金市)といった特定の「鷹場」を好み、頻繁に足を運んでいた 2 。これらの地域は川や沼が多く、獲物となる鶴や鴨が豊富であったため、鷹狩りに最適な場所だったのである 2 。
その行列は、一大名行列さながらの壮観なものであったと想像される。中心にはもちろん家康がいるが、その周囲には鷹を巧みに操る専門家集団「鷹匠(たかじょう)」、遠くに獲物を見つけ出す偵察役の「鳥見(とりみ)の衆」、そして家康の身辺を固める弓や槍を持った「六人衆」などが随行していた 1 。これは単なる狩猟ではなく、組織の連携と規律が求められる、小規模な軍事行動の様相を呈していた。
家康自身も、ただ輿の上から見物するだけの主君ではなかった。彼は生涯を通じて健康に人一倍気を遣っており、鷹狩りを重要な鍛錬の場と捉えていた 1 。自ら馬を駆り、荒野を疾走し、機を見て腕に据えた愛鷹を放つ。その姿は、天下人であると同時に、自然と対峙し、心身を研ぎ澄ます一人の武人そのものであった 1 。
彼の鷹狩りが如何に広範囲かつ日常的に行われていたかは、各地に残る伝承からも窺い知ることができる。例えば、東京都新宿区には、家康が鷹狩りの帰路に井戸水で汚れた鞭(策)を洗い、喉を潤したという伝説に由来する「策の井(むちのい)」という旧跡が存在する 6 。また、埼玉県越谷市には、家康が鷹狩りの際に馬の手綱を結んだとされる「駒止のマキ」と呼ばれる大木が今も残っている 7 。これらの地名や伝説は、家康の鷹狩りが単なる記録上の出来事ではなく、地域の記憶に深く刻み込まれた、民衆にとっても身近な光景であったことを物語っている。
第二章:鷹狩りに込められた多層的な意味
家康がこれほどまでに鷹狩りに情熱を注いだ理由は、単にそれが好きだったからというだけではない。彼にとって鷹狩りは、個人的な趣味の領域を遥かに超えた、多層的な意味を持つ戦略的行為であった。
健康法としての鷹狩り
家康は、戦国の英傑たちが次々と病や戦で命を落としていく中で、長寿を保ち天下を掌握した人物である。その背景には、徹底した自己管理と健康への高い意識があった 4 。幕府の公式記録である『徳川実紀』には、「鷹狩は遊娯の為のみにあらず(中略)山野を奔駆(ほんく)し、身体を労働して、兼(かね)て軍務を調達し給は(たまわ)んとの盛慮(せいりょ)にて」という一節がある 8 。これは、鷹狩りが単なる遊びではなく、野山を駆け巡ることで身体を鍛え、同時に軍事訓練も兼ねるという深遠な考えに基づいていたことを示している。事実、家康は75歳でその生涯を閉じる数ヶ月前まで鷹狩りを楽しんでおり、彼にとって鷹狩りは生涯を通じた重要な健康維持法であった 5 。
統治と軍事演習の場
鷹狩りの行列が領内を進むことは、為政者である家康にとって、自らの目で領地の状況を視察する絶好の機会であった 1 。街道の整備状況はどうか、田畑の作物の出来はどうか、そこに暮らす領民たちの表情はどうか。城の中にいては知り得ない生の情報を収集することは、安定した統治に不可欠であった。また、馬を巧みに操る馬術、獲物を追い込むための部隊の連携、そして狩りそのものの緊張感は、平時における極めて実践的な軍事演習としての側面も持っていた 2 。戦のない時代にあっても、武士としての技量と精神を鈍らせないための、重要な訓練だったのである。
権威の象徴と外交手段
天下統一後、家康は鷹の売買を禁止し、鷹狩りを徳川将軍家が独占する特権的な行事とした 8 。これにより、鷹狩りは単なる武家の趣味から、将軍のみに許された絶対的な権威の象徴へとその意味を昇華させた。鷹狩りで捕らえた鶴を朝廷に献上することは、幕府と朝廷の良好な関係を内外に示す重要な政治的パフォーマンスであった 4 。また、有力な大名に対して特別に「鷹場」を与えることは恩賞となり 1 、逆に諸大名から名鷹を献上させることは忠誠の証となった 9 。鷹は、茶の湯における名物茶器と同様、高度な政治的価値を持つ外交ツールとしても機能したのである。
家臣とのコミュニケーション
公式な評定の場では、主君と家臣の関係は儀礼的なものになりがちである。しかし、鷹狩りの場では、共に野山を駆け、獲物を追う中で、より人間的な交流が生まれる。家康は、この機会を利用して家臣の能力や忠誠心、あるいは人間性を見極めていたと考えられる 1 。鷹匠の出身でありながら、家康の側近として重用された本多正信の例は、鷹狩りにおける働きが出世に繋がる可能性があったことを象徴している 1 。主君と苦楽を共にし、時には非公式な会話を交わすこの空間は、徳川家臣団の結束を強める上でも、計り知れない役割を果たしていた。
これらの事実を総合すると、一つの重要な結論が導き出される。家康にとって鷹狩りは、健康管理、領内視察、軍事演習、権威の誇示、外交、そして人事評価という、極めて多岐にわたる目的を内包した「動く政庁」とも言うべき行為であった。それは、城内での厳格な政務(公)と、完全な私事(私)との中間に位置する、独特の空間であった。もし家康が人生の真理や統治の極意を語るとすれば、格式張った評定の間よりも、心身が解放された鷹狩りの最中の方が、むしろ自然であったかもしれない。したがって、「鷹狩りの途中」という逸話の舞台設定は、たとえ後世の創作であったとしても、家康の人生と統治の本質を深く理解した上で選ばれた、極めて蓋然性の高い、計算された設定であると言える。それは単なる背景ではなく、物語の説得力を根底から支える重要な構成要素なのである。
第二部:主題の探求 ― 「天下は辛抱」という理念の源流
逸話の舞台が鷹狩りであることの必然性を確認した上で、次にその「主題」である「辛抱」という理念の源流を探る。この言葉は、本当に家康自身の哲学だったのか。それとも、後の時代が彼に求めた理想像だったのか。この問いを解き明かすことは、逸話の核心に迫る上で不可欠である。
第一章:「堪忍」の哲学と江戸武士道
戦国乱世において、武士に最も求められた徳目は、敵を打ち破る武勇や、勝利を手繰り寄せる知略であった。しかし、徳川家康によって二百数十年に及ぶ泰平の世が築かれると、武士の役割は大きく変化する。もはや戦場で武功を立てる機会はなくなり、彼らは幕藩体制を支える行政官僚としての役割を担うようになった。
このような社会の変化に伴い、武士に求められる徳目も変容した。社会秩序を維持するための価値観、すなわち主君への絶対的な忠義、上下関係を重んじる礼節、そして私情を抑制し、困難に耐える「堪忍(かんにん)」、すなわち忍耐が、武士道の中核として強く意識されるようになった 11 。怒りや欲望といった個人的な感情を抑制し、冷静に公務に尽くすことこそが、理想の武士像とされたのである 12 。感情を顔に出さないことは「喜怒を色に表さず」として賞賛の対象となり、耐え忍ぶ精神そのものが美徳として昇華されていった 12 。
江戸時代中期に成立した『葉隠』は、こうした泰平の世における武士の生き方を説いた書物である。その有名な一節「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」は、単に死を賛美するものではない。それは、常に死を覚悟することで、目先の利害や恐怖に囚われず、武士としての本分を全うできるという、逆説的な生の哲学である 13 。この覚悟の裏には、日々の克己や鍛錬、すなわち「忍ぶ」という精神が不可欠の要素として流れている 15 。このように、江戸時代の武士道は、「忍耐」や「辛抱」を極めて重要な精神的支柱として位置づけていたのである。
第二章:『東照宮御遺訓』 ― 作られた「神君」の言葉
徳川家康の「辛抱」のイメージを決定づけたものとして、『東照宮御遺訓』の存在を抜きにしては語れない。
「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」
「不自由を常と思えば不足なし」
「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」
これらの言葉は、家康の人生哲学を凝縮したものとして広く知られ、彼の人物像を形成する上で絶大な影響を与えてきた 16。この遺訓は、家康を単なる戦国の覇者から、深遠な哲学を持つ「神君」へと神格化する上で、中心的な役割を果たした。
しかし、このあまりにも有名な御遺訓は、今日の歴史研究において、家康本人が遺した言葉ではないとする説が極めて有力となっている。その成立過程には謎が多く、家康の死後200年以上が経過した江戸時代後期になって、水戸藩主・徳川光圀の言葉などが原型となり、明治11年(1878年)頃に元旗本の池田松之助という人物が現在知られる形にまとめ上げ、家康の署名と花押を加えて日光東照宮に奉納した、後世の創作である可能性が非常に高いと指摘されている 21 。
家康自身が遺したことが確実視される遺言は、「自らの遺体を久能山に葬り、葬儀は江戸の増上寺で行い、位牌は三河の大樹寺に納めること。そして一周忌の後、日光山に小堂を建てて神として祀り、関八州の鎮守となる」という、自らの神格化と祭祀に関する具体的な指示が中心であった 19 。そこには、「人の一生は…」に代表されるような、普遍的な人生訓は含まれていない。
この事実は、極めて重要な示唆を与えてくれる。『東照宮御遺訓』は、家康個人の思想の記録というよりも、徳川幕府の統治理念を、創業者である家康自身の口から語らせることで、その支配の正統性と道徳的権威を盤石にするために創作された、高度なイデオロギー装置であった可能性が高い。幕府は、その統治が単なる武力によるものではなく、創業者・家康の崇高な道徳性に基づいていることを後世に示す必要があった 25 。したがって、「天下は辛抱」という逸話の根底にある思想は、史実の家康そのものよりも、江戸時代を通じて理想化され、神格化された「東照神君」という作られたイメージに由来すると考えられるのである。
第三章:史料に見る家康の実像 ― 忍耐と激情の間
では、史実の徳川家康はどのような人物だったのだろうか。「辛抱」というイメージは、全くの虚像だったのだろうか。
江戸時代中期以降に編纂された逸話集『名将言行録』などには、「戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が」といった、家康の言葉として伝えられるものが収録されている 18 。これらは、家康の「辛抱強い」というイメージを補強するものではあるが、同時代の一次史料ではなく、後世に収集・編纂されたものであるという点には注意が必要である。
一方で、より信頼性の高い史料からは、一般的に流布するイメージとは異なる、家康の激情家としての一面が浮かび上がってくる。特に青年期の家康は、決して忍耐強いだけの人物ではなかった。22歳の時に起こった三河一向一揆では、本来後方で指揮を執るべき総大将でありながら、真っ先に敵陣に突撃していったという記録が残っている 28 。また、武田信玄との三方ヶ原の合戦においても、家臣たちの籠城策という冷静な進言を退け、無謀な野戦を挑んで歴史的な大敗を喫した 28 。この敗戦の自戒を込めて、苦渋に満ちた自身の肖像画(いわゆる「しかみ像」)を描かせたという逸話は、彼の人間的な弱さや激情を物語っている(ただし、この「しかみ像」の逸話自体の信憑性にも議論がある) 30 。
これらの史料から見えてくるのは、家康の「辛抱」が、後世に付与されたような静的な哲学や精神論ではなかったという事実である。彼の忍耐は、幼少期の織田・今川家での人質生活 31 や、織田信長、豊臣秀吉という強大な権力者の下で雌伏を余儀なくされた長い年月を通じて培われた、極めて現実的かつ戦略的な「待つ力」であった。それは、感情をただ抑制するのではなく、好機が到来するまで耐え、その間に周到に準備を重ね、勝機を確信した時に初めて行動に移すという、冷徹なまでの合理的な判断力であった。彼の天下取りの要諦は、この戦略的忍耐にあったと言えるだろう。
以下の表は、家康の「辛抱」像が、どのような典拠によって、どのように形成されてきたかをまとめたものである。これにより、「作られた家康像」と「史料から推測される実像」を明確に区別し、逸話の背景にある思想の源流を立体的に理解することができる。
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典拠・逸話 |
内容 |
成立時期・信憑性 |
示唆される家康像 |
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『東照宮御遺訓』 |
「人の一生は重き荷を負うて…」「堪忍は無事長久の基」 |
江戸後期~明治期の創作説が有力 21 |
哲学的な忍耐を説く、完成された人格者・神君 |
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『名将言行録』など |
「戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。」 |
江戸中期の編纂物。言説の収集 18 |
勝利のための精神論として忍耐を語る武将 |
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三方ヶ原合戦と「しかみ像」 |
大敗を喫し、自戒のために苦渋の表情を描かせた逸話 |
『三河後風土記』など後代の編纂物。信憑性には議論あり 30 |
失敗から学び、感情を乗り越えようとする人間的な姿 |
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三河一向一揆・三方ヶ原合戦 |
家臣の制止を振り切り突撃した記録 |
比較的信頼性の高い記録 28 |
忍耐とは程遠い、血気盛んな若き日の武将 |
第三部:逸話の核心 ― 時系列的再構築と歴史的検証
これまでの考証を踏まえ、いよいよ逸話の核心に迫る。第一部で分析した「舞台」と、第二部で探求した「主題」を統合し、この物語が持つ意味を時系列的に再構築すると共に、その歴史的価値を検証する。
第一章:ある日の鷹狩り ― 仮説的再構築
【注意】
この章で描かれる情景および会話は、特定の史実記録に基づくものではありません。これは、本報告書の第一部・第二部における歴史的考証を元に、「もしこの逸話が実際にあったとしたら、どのような状況であったか」という仮定の下で、その場の空気感や対話の真意を再現することを試みた、あくまで仮説的な物語です。
時は慶長年間、関ヶ原の戦いも終わり、世は次第に徳川の治世へと移り変わろうとしていた頃。冬枯れの草が北風にそよぐ武蔵野の広大な原野に、徳川家康の一行がいた。空はどこまでも高く澄み渡り、遠くには雪を頂いた富士の峰が白く輝いている。
供回りの勢子(せこ)たちが獲物を追い立てる喧騒が遠くに聞こえる中、家康は愛馬「白石」の背に揺られ、しばしその静寂を楽しんでいた。傍らには、幼少の頃から苦楽を共にしてきた本多正信や、数々の戦場を駆け抜けた譜代の重臣たちが、静かに控えている。彼らの顔には、長年の戦乱を生き抜いた者だけが持つ、深い皺と落ち着きが刻まれていた。
その時、遠くで鳥見衆から鶴の飛来を告げる合図の旗が上がった。一行に、心地よい緊張が走る。家康の左腕に据えられた愛鷹が、主君の気配を察したかのように鋭く空を睨み、小さく身じろぎをした。鷹匠が静かに鷹の足緒を解く。
「放て」
家康の低く、しかしよく通る声と共に、鷹は力強く腕を蹴り、一気に蒼穹へと舞い上がった。見る間に天高く昇った鷹は、やがて獲物である一羽の真鶴を捉え、急降下を開始する。空中で繰り広げられる、壮絶な生と死の闘い。一行は固唾を飲んでその行方を見守った。やがて、見事に鶴を仕留めた鷹が、誇らしげに獲物を抱えて舞い戻ってくる。鷹匠が巧みにそれを受け取ると、家康の口元に、満足げな笑みが浮かんだ。
供をしていた一人の若き家臣が、興奮した面持ちで進み出た。
「お見事にございまする!殿の御手にかかれば、天翔ける鶴も意のままでございますな」
その称賛の言葉に、しかし家康は首を横に振った。彼はしばし沈黙し、遠くの空を見つめながら、静かに、そして諭すように応じた。
「いや、違う。わしが鶴を捕らえたのではない。鷹が捕らえたのだ」
家臣たちが怪訝な顔で主君を見つめる。家康は、腕に戻ってきた愛鷹の頭を優しく撫でながら、言葉を続けた。
「わしがしたのは、この鷹がその力を存分に発揮できるよう、日頃から餌を与え、鍛え、そして、ただ好機が訪れるのを待っただけじゃ。鷹が未熟であれば、好機は掴めぬ。焦って放てば、獲物を取り逃がす。ただひたすらに、その時を待つのだ」
一呼吸おいて、家康は馬上から家臣たちの顔を見渡し、静かに言った。
「天下を取るということも、これと全く同じよ。自らの力で無理やりに掴み取ろうとすれば、必ず綻びが生じる。天の時が至り、地の利を得、そして人の和が整うのを、ただひたすらに待つ。焦らず、腐らず、己の成すべき務めを果たしながら、その時が来るのをじっと待つ。天下とは、辛抱そのものよ」
その言葉は、武功を立てることこそが武士の本懐と信じる若き家臣たちの胸に、深く、重く突き刺さった。夕日が武蔵野の枯れ野を赤く染め上げる中、一行は静かに江戸城への帰路につく。家康の言葉の重みが、馬上の一人ひとりの心に、生涯消えることのない教訓として深く刻み込まれていた。
第二章:逸話の出自を追う ― 歴史の記憶が生んだ物語
前章で描いたように、この逸話は極めて臨場感と説得力をもって再現することが可能である。しかし、改めて強調する通り、この特定の会話が記録された一次史料は存在しない。『徳川実紀』はもちろんのこと、家康一代の逸話を網羅的に収集し、その出典を明記している『家康公逸話集 披沙揀金』といった書物の中にも、この物語を見出すことはできない 32 。
では、この逸話はいつ、どのようにして生まれたのか。その成立時期は、徳川の治世が盤石となり、家康の神格化が完了した江戸時代の中後期から明治時代にかけてと推測するのが最も妥当であろう。この時代は、講談や庶民向けの歴史読み物が大流行し、歴史上の英雄たちの生涯が、教訓的な逸話を交えて面白おかしく語られた時代であった。
ここに、この逸話が「創造」されるメカニズムが見えてくる。
まず、民衆の間には、「徳川家康は鷹狩りが大好きだった」という、広く知られた歴史的**事実(ファクトA)が存在した 1。
同時に、人々の心には、『東照宮御遺訓』などを通じて広められた、「家康は辛抱によって天下を統一した偉大な人物である」という、極めて強力なイメージ(イメージB)**が定着していた 17。
物語の創作者たち、例えば講談師や大衆作家は、これらの要素を巧みに組み合わせることで、より分かりやすく、教訓的で、聴衆や読者の記憶に残りやすい物語を創造しようとした。
まず、誰もが知る**事実A(鷹狩り)を物語の舞台として設定する。次に、家康の本質を表すイメージB(辛抱)を、その舞台上で語られる核心的なセリフ(主題)とする。この二つの要素が有機的に結合した時、「鷹狩りの最中に、家康が天下は辛抱であると語った」という、極めて説得力のある寓話(アレゴリー)**が誕生する。
つまり、この逸話は、特定の目撃者による証言が記録されたものではなく、民衆の集合的記憶の中で、家康という人物の本質を象徴するために、いわば必然的に「創造」された物語である可能性が極めて高い。その第一の目的は、歴史的事実を正確に伝えることよりも、家康の人生から得られるべき普遍的な教訓を、より多くの人々に分かりやすく伝えることにあったのである。
結論:史実を超えた「真実」
本報告書が、現存する史料を基に徹底的に調査した結果、「徳川家康が鷹狩りの途中で家臣に『天下は辛抱』と語った」という逸話は、特定の歴史的瞬間を切り取った 史実(ファクト)であると証明することはできなかった 。その直接的な源流となる一次史料は存在せず、逸話の根底にある「辛抱」という理念自体も、家康本人の言葉というよりは、後世に創作された『東照宮御遺訓』の影響を強く受けた、理想化されたイメージである可能性が高い。
しかし、この逸話が史実でないからといって、その価値が失われるわけではない。むしろ、この物語は、徳川家康という人物の波乱に満ちた生涯と、彼が築き上げた二百六十余年の泰平の世の本質を、後世の人々がどのように理解し、記憶し、そして後代に伝えようとしたかを示す、歴史的な**「真実(トゥルース)」を内包した、極めて優れた寓話**であると言える。
幼少期の人質生活という苦難に耐え、織田・豊臣という強大な権力者の下で雌伏の時を過ごし、決して焦ることなく好機を待ち続けて、ついに天下をその手に掌握した家康の生涯は、まさに「辛抱」の二文字に集約される。そして、彼が生涯を通じてこよなく愛した鷹狩りは、健康法であり、軍事演習であり、統治行動でもあった、彼の為政者としての一面を色濃く象徴する行為であった。
この二つの要素を結びつけた本逸話は、史実の断片を再構成し、それらを一つの物語に昇華させることで、より高次の教訓を生み出した、歴史の記憶が生んだ芸術作品とさえ言えるだろう。我々がこの逸話から学ぶべきは、その真偽そのものよりも、人々が家康の人生に「辛抱」という普遍的な価値を見出し、それを象徴的な物語として後世に伝えようとした、その精神にある。それは、事実の記録を超え、歴史が我々に語りかける、時代を超えた知恵の結晶なのである。
引用文献
- 信長も家康も!みんな大好き「鷹狩り」の秘密。じつは出世のチャンスって本当? https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/72766/
- 第2章 葛飾区の歴史 https://www.city.katsushika.lg.jp/history/child/2-6-4-50.html
- 特集ページ 徳川家康と東金 | 東金市ホームページ https://www.city.togane.chiba.jp/0000010958.html
- 家康への道〜鷹狩りの歴史と家康|bluebird - note https://note.com/bluebirdkyoto/n/n6d502dfcda47
- 徳川家康が実践した戦国一の食養生 |BEST TiMES(ベストタイムズ) https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/10120/5/
- 【週末民話研究】徳川家康ゆかりの井戸「策の井」と鷹場を探して - さんたつ by 散歩の達人 https://san-tatsu.jp/articles/217864/
- 家康の鷹狩りを辿って https://www.tobu.co.jp/odekake/common/pdf/koshigaya_map.pdf
- 徳川家康も大好き! 江戸時代に「鷹狩り」が武士の間で流行った3つの理由 | サライ.jp https://serai.jp/hobby/1019564
- 戦国武将と鷹 - 山口県文書館 http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/doubutsu2.pdf
- 『信長公記』にみる織田信長の鷹狩とその意味 - 立華の京都探訪帖 https://rikkakyoto.hatenablog.jp/entry/20230619/1687168800
- 武士道の源流となった儒教・禅/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/bushido/jukyo-zen/
- 1 新渡戸稲造が伝えた「武士道」 山内兵馬 ホームページ「侍庵」から引用 http://yururi.aikotoba.jp/s https://s0eb078d8c2844995.jimcontent.com/download/version/1445589440/module/6416059567/name/%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0%E3%81%8C%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%81%9F%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93.pdf
- 死後52年「三島由紀夫」が心酔した書「葉隠」の中身 「わたしのただ一冊の本」とまで呼んでいた https://toyokeizai.net/articles/-/635048
- 禁書!葉隠とは?葉隠から学ぶ「武士道精神」 - 合心館京都 https://www.aishinkankyoto.jp/hagakure-bushido/
- 【葉隠解説】江戸の武士が教える生き方の極意――初心者のための『葉隠』入門書 - note https://note.com/kounkt/n/nf4dbc4e0bd9e
- 御遺訓 - 徳川家康公について https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php
- 徳川家康と愛刀/ホームメイト https://www.meihaku.jp/sengoku-sword/favoriteswords-tokugawaieyasu/
- 徳川家康の名言・逸話・エピソード /ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/78167/
- 徳川家康公の御遺訓 - サンシャイン・ラボ https://sunshine-labo.jp/2025/04/17/post-2921/
- 徳川家康の遺訓 http://www.edu-konan.jp/ishibe-jh/ikiruhint/tokugawa.html
- 東照宮御遺訓とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E5%BE%A1%E9%81%BA%E8%A8%93
- 東照宮御遺訓 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE%E5%BE%A1%E9%81%BA%E8%A8%93
- 日本史の疑問 - 徳川家康公ファンの歴史ブログ https://www.ieyasu.blog/archives/tag/questions-of-japanese-history
- 東照宮御遺訓は後世の創作だった!?|本当の徳川家康公御遺言とは? https://www.ieyasu.blog/archives/6837
- 江戸幕府の歴史を紐解く重要な史書「徳川実紀」と「続徳川実紀」 - note https://note.com/yaandyu0423/n/nb95381962e6a
- 【徳川家康の残した名言】人の上に立ちながらも人を下に見ず - 鎧・兜 鯉のぼり https://www.imagineflag.jp/busho/ieyasu/meigen/index.html
- 徳川 家康 - Proverb(ことわざ)・格言(名言) - 東進 https://www.toshin.com/proverb/story-m.php?id=68
- 「家康は辛抱の人?それとも、血気盛んな戦うリーダーだった?」山田 邦明 - 愛知大学 文学部 https://taweb.aichi-u.ac.jp/letters/column/post/fy2021/kuniaki_yamada.php
- 徳川家康「泣き顔」晒して天下取りに至った理由 トップが気弱で臆病であることのメリットは? https://toyokeizai.net/articles/-/675999?display=b
- 天下人・家康の「人柄」が伝わる4つの逸話 - 歴史人 https://www.rekishijin.com/25115
- 天下統一を果たした「隠忍自重」の心。260余年の太平を築いた徳川家康に学ぶ人間学 https://www.chichi.co.jp/web/20210417_ieyasu_tokugawa/
- 家康公逸話集 披沙揀金 | 商品詳細 - 八木書店 出版物・古書目録 https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/1812