最終更新日 2025-10-20

豊臣秀吉
 ~鳴かぬなら鳴かせてみせよう~

豊臣秀吉の句「鳴かせてみせよう」は江戸時代の創作だが、知略や人心掌握術で不可能を可能にした、彼の本質を鋭く捉えた逸話として広く浸透した。

豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせよう」の逸話に関する徹底分析報告書

序章:国民的イメージの源泉 ― ホトトギスの逸話

豊臣秀吉の人物像を語る上で、おそらく最も広く知られているのが「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」という一句です 1 。この句は、織田信長の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」、徳川家康の「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という句との鮮烈な対比によって、秀吉の人物像を強烈に印象付けてきました。すなわち、知略に長けた策略家であり、卓越した人心掌握術を持つ「人たらし」、そして目的達成のためにはあらゆる手段を講じる不屈の行動家といった、我々が抱く秀吉のパブリックイメージは、この一句によって鮮明に形成されていると言っても過言ではありません 5

しかし、このあまりにも有名な逸話が、実は秀吉本人が生きた戦国時代の史実ではなく、彼の死から約200年が経過した江戸時代後期に創作されたものであるという点は、学術的には定説となっています 5 。この事実は、単に逸話の真偽を問うに留まりません。むしろ、「なぜこの創作が生まれ、史実以上に『本質を突いている』と評価され、これほどまでに広く、そして深く受け入れられたのか」という、より根源的な問いを我々に投げかけます。

本報告書は、この国民的逸話の起源を江戸時代の文献にまで遡り、その成立過程と時代背景を詳細に解明します。ご要望にある「リアルタイムな会話内容」や「その時の状態」については、逸話が記録された文献に描かれている「架空の場面」を時系列的に再現することで対応します。さらに、この逸話が創作でありながらも、なぜ秀吉という人物の「本質」を捉えていると評されるのか、その根拠を史実における秀吉の行動原理と比較分析します。これにより、一つの歴史的イメージが形成され、国民的記憶として定着していく文化的ダイナミズムを明らかにすることを目的とします。

第一章:逸話の原典を求めて ― 二つの江戸随筆

この著名な逸話が、初めて文字として歴史の舞台に登場するのは、戦国時代から遠く離れた江戸時代後期のことです。特に、二つの重要な随筆集がその源流として特定されています。本章では、これらの文献を詳細に分析し、逸話が描かれた「架空の場面」を再現することで、その原初的な姿を明らかにします。

第一節:最古の記録『耳嚢』における情景

長らく、この逸話の初出は後述する『甲子夜話』とされてきましたが、近年の研究により、それよりも古い記録が存在することが判明しています。その最古の記録とされるのが、旗本であり南町奉行などの要職を歴任した根岸鎮衛(ねぎし やすもり)が、天明4年(1784年)頃から文化11年(1814年)にかけて執筆した随筆集『耳嚢(みみぶくろ)』です 5 。『耳嚢』は、鎮衛が公務の傍らで見聞きした怪談奇譚、市井の噂話、武家社会の逸事などを書き留めたもので、当時の人々の関心事や世界観を知る上で貴重な資料となっています 11

この『耳嚢』八之巻に記された逸話の場面は、以下のように再現することができます 8

  • 状況設定
    著者の根岸は、「古物語にあるや、また人の作り事や、それは知らざれど(古い物語にあることなのか、あるいは誰かの創作なのか、それは分からないが)」と、まず話の出所が不確かであることを断っています。その上で、「信長、秀吉、恐れながら神君(家康)ご参会の時、卯月(四月)のころ、いまだ郭公(ホトトギス)を聞かずとの物語いでけるに」と、具体的な場面を設定します。
    これは、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康という三人の英傑が一堂に会している席で、誰からともなく「今年はまだホトトギスの初音を聞かないな」という季節の話題が持ち上がった、という非常に穏やかで日常的な情景です。
  • 時系列的な会話内容(原文の再現)
    その話題に対し、三人はそれぞれ次のように応じたと記されています。
  1. 信長の発言: 「鳴かずんば殺してしまえ時鳥」(鳴かないのであれば、殺してしまえ、ホトトギスよ)
  2. 秀吉の発言: 「なかずともなかせて聞こう時鳥」(鳴かなくても、なんとかして鳴かせて聞こうではないか、ホトトギスよ)
  3. 家康の発言: 「なかぬならなく時聞こう時鳥」(鳴かないのであれば、それが鳴く時になったら聞こうではないか、ホトトギスよ)

なお、『耳嚢』は写本で伝わっているため、伝本によって「啼かずとも啼せて聞ふ時鳥」といったように、仮名遣いや漢字表記に若干の揺れが見られます 10

この記述からわかるように、著者の根岸自身は、この話の史実性について「知らざれど」と態度を保留しており、あくまで興味深い巷説の一つとして記録しています。この逸話の初期形態においては、その信憑性よりも、三英傑それぞれの性格を実に巧みに、そして簡潔に描き分けている点に面白さが見出されていたことが窺えます。

第二節:完成形への変遷『甲子夜話』における情景

『耳嚢』の記述から少し時代が下った文政4年(1821年)から天保12年(1841年)にかけて、この逸話はより洗練された形で再び世に現れます。それが、肥前平戸藩の第9代藩主であった松浦静山(まつら せいざん)によって書かれた全278巻に及ぶ長大な随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』です 16 。静山は当代きっての文人大名として知られ、『甲子夜話』には当時の政治や社会風俗、人物評、海外事情、さらには怪異譚に至るまで、彼の幅広い知見と好奇心が反映されており、江戸時代後期を代表する随筆文学と評価されています 18

『甲子夜話』に収められた逸話では、場面設定がより具体的かつドラマチックに進化しており、現代に伝わる物語の原型がここに完成します 8

  • 状況設定
    物語は、「夜話のとき或人の云けるは(夜の談話の際に、ある人が言うことには)」という形で始まります。そして、「人の仮托(かたく)に出る者ならんが、其人の情実に能く恊(かな)へりとなん(これは誰かが三英傑の名を借りて創作したものだろうが、それぞれの人物の実情や心情によく合致している)」と、話者が明確にこの逸話を「創作」であると認識していることが示されます。
    その上で、『耳嚢』にはなかった具体的なシチュエーションとして、「郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ(三英傑にホトトギスを贈った人がいた。しかし、その鳥がどうにも鳴かなかったので)」という設定が加えられます。これにより、単なる季節の話題から、「鳴かないホトトギスをどうするか」という具体的な課題解決の場面へと物語が転換されています。
  • 時系列的な会話内容(原文の再現)
    この課題に対し、三人は次のように述べたとされています。
  1. 織田右府(信長): 「なかぬなら殺してしまへ時鳥」
  2. 豊太閤(秀吉): 「鳴かずともなかして見せふ杜鵑」
  3. 大権現様(家康): 「なかぬなら鳴くまで待よ郭公」

この記述において、秀吉の句は「なかして見せふ(鳴かせてみせよう)」、家康の句は「鳴くまで待よ」となっており、現代に伝わる「鳴かせてみせよう」「鳴くまで待とう」という表現に極めて近い形になっていることがわかります 17

松浦静山(あるいは彼が引用した話者)は、この逸話が史実ではない「仮託」であることを認識しつつも、「情実によく協へり(本質をよく捉えている)」と高く評価しています。漠然とした会話の場面であった『耳嚢』の記述から、「贈られた鳥が鳴かない」という具体的な課題を与えられた状況へと変化したことで、三者三様の性格や問題解決へのアプローチの違いがより鮮明に浮かび上がる、物語として完成度の高い逸話へと昇華されたのです。

【比較分析】逸話の変遷

二つの文献を比較することで、この逸話が固定された一つの物語として存在したのではなく、人々の間で語り継がれる中で「編集」され、より面白く、より示唆に富む物語へと洗練されていったプロセスが浮かび上がります。

比較項目

根岸鎮衛『耳嚢』

松浦静山『甲子夜話』

成立年代

天明期~文化期(1784年~1814年頃)

文政期~天保期(1821年~1841年)

場面設定

三英傑の会合の席で、ホトトギスの初音をまだ聞いていないという季節の話題から。

鳴かないホトトギスを贈られたという具体的な課題解決の状況下で。

秀吉の句(原文)

「なかずともなかせて聞こう時鳥」など(写本により表現に差異あり)

「鳴かずともなかして見せふ杜鵑」

史実性への見解

「古物語にあるや、また人の作り事や、それは知らざれど」と真偽を留保。

「人の仮托に出る者ならんが」と創作であることを明確に示唆。

特記事項

逸話の最も古い記録とされ、巷説を書き留めた初期形態に近い。

現代に伝わる形に近い完成形。同時代を風刺する続きの句が存在する。

この変遷は、この逸話が静的なテキストではなく、人々によって語り継がれ、磨き上げられていった動的な文化的産物であったことを示しています。さらに重要なのは、松浦静山のような江戸後期の知識人が、この逸話の虚構性を認識した上で、それを歴史上の人物の本質を鋭く突く「批評」として高く評価していたという点です。彼らにとってこの逸話は、「事実の記録」ではなく、人物像を凝縮して表現する「優れたメタファー」としての文学的価値を持っていたのです。

第二章:逸話が生まれた時代 ― 化政文化と英雄待常論

なぜこのような創作逸話が、戦国時代から約200年も隔たった江戸時代後期に生まれ、人々に受け入れられたのでしょうか。その答えは、逸話が記録された時代の文化的な土壌と社会的な空気に求めることができます。

第一節:化政文化 ― 庶民が歴史を「消費」する時代

逸話が『耳嚢』や『甲子夜話』に記録された19世紀初頭は、江戸を中心に「化政文化」と呼ばれる町人文化が爛熟期を迎えた時代です 21 。この文化の最大の特徴は、それまで文化の担い手であった武士や公家、一部の富裕な商人に代わり、経済力をつけた都市の庶民が文化の主要な享受者かつ創造者となった点にあります 23

この時代、講談や草双紙(絵入りの大衆向け小説)、歌舞伎といった大衆娯楽メディアが大きく発展しました 24 。特に『絵本太閤記』に代表されるような歴史物語は絶大な人気を博し、豊臣秀吉のような貧しい身分から天下人へと駆け上がった立身出世の物語は、庶民の夢と憧れを掻き立てる格好の題材でした 26

このような文化状況の中では、歴史上の英雄たちは、複雑な多面性を持つ実在の人物としてではなく、個性がデフォルメされ、分かりやすい性格付けをされた「キャラクター」として受容され、消費される傾向が強まりました。ホトトギスの逸話における「短気で破壊的な信長」「知略で道を拓く秀吉」「忍耐で時を待つ家康」という三者三様の類型化は、まさにこのような時代精神が生み出した、極めて優れた「キャラクター設定」であったと言えます。それは、複雑な歴史的背景を知らない庶民でも、一度聞けば三人の本質を理解した気になれる、秀逸なキャッチコピーとして機能したのです。

第二節:逸話に込められた同時代への眼差し

『甲子夜話』におけるホトトギスの逸話は、単なる過去の英雄譚として紹介されているわけではありません。松浦静山は、三英傑の句を紹介した直後、作者不詳と断った上で、二つの風刺的な句を追記しています 8

なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす

なかぬなら貰て置けよほとゝぎす

この「鳥屋へやれよ(鳥屋に売って金に換えてしまえ)」という句は、当時、大奥での奢侈や多くの子供をもうけたことなどで幕府財政を悪化させていた第11代将軍・徳川家斉や、その前の時代に金権政治で権勢を振るった老中・田沼意次に対する痛烈な皮肉であると解釈されています 15 。つまり、役に立たない(鳴かない)ホトトギスを、何の工夫もせずただ金銭的価値に換算するだけという態度は、当時の為政者たちの堕落した姿を暗に批判しているのです。

このことから、松浦静山がこの逸話を取り上げた意図が浮かび上がってきます。彼は、戦国の英雄たちのダイナミックで個性的な指導者像を提示し、それらを理想の鏡として、あるいは比較対象として用いることで、泰平の世に生きる同時代の人々や政治状況を批評するという、高度な文学的装置としてこの逸話を活用したのです。ホトトギスの逸話は、過去を語ることを通じて「現在」を鋭く照射するための、知的な遊戯であり、社会批評でもあったのです。

第三章:「鳴かせてみせよう」のリアリティ ― 史実の秀吉像との共鳴

ホトトギスの逸話が後世の創作であることは、ここまで繰り返し述べてきました。しかし、にもかかわらず、なぜこの「鳴かせてみせよう」という一句が、これほどまでに秀吉の「本質を突いている」と広く信じられてきたのでしょうか。その理由は、この創作された句が、史実における秀吉の驚くべき行動原理や思考様式と、奇妙なほどに深く共鳴しているからに他なりません。

本章では、「鳴かないホトトギス」を「困難な状況」や「思い通りにならない人間」のメタファーとして捉え、史実の秀吉がそれらにどう対処したかを検証することで、逸話のリアリティの源泉を探ります。

第一節:知略と機転 ― 不可能を可能にする「鳴かせ方」

「鳴かせてみせよう」という言葉は、単なる精神論や力任せの強要を意味しません。それは、常識や固定観念にとらわれず、知恵と工夫、そして大胆な発想の転換によって、不可能を可能にする姿勢を象徴しています。

  • 具体例:墨俣一夜城の伝説
    織田信長が美濃を攻略する上で、敵地である墨俣に前線基地となる城を築くことは急務でした。しかし、敵の妨害が激しく、誰もがその成功を危ぶむ状況でした。この難題に挑んだ秀吉は、川の上流で城の部材をある程度組み立ててから筏で流し、現地で一気に組み上げるという奇策を用いたと伝えられています(この逸話自体は伝説的な側面が強いものの、秀吉の機転を象徴する物語として広く知られています) 6。まさに、鳴かない(築けない)状況を、常識外れの発想で「鳴かせた(築いた)」典型例です。
  • 具体例:鳥取城の兵糧攻め(鳥取の渇え殺し)
    天正9年(1581年)、秀吉は因幡国(現在の鳥取県)の鳥取城を攻めます。しかし彼は、堅固な城を力攻めにするという消耗戦を選びませんでした。代わりに、城下にいる商人を使い、周辺地域の米を相場の数倍という高値で買い占めさせました。これにより、城内の兵糧は瞬く間に高騰し、籠城していた吉川経家は城外から兵糧を補給することができなくなりました。秀吉は城を完全に包囲し、補給路を断つことで、敵が自ら飢え、降伏せざるを得ない状況を作り出したのです 29。これは、敵兵を直接殺傷するのではなく、状況そのものを操作して目的を達成するという、極めて高度で非情な「鳴かせ方」と言えるでしょう。

第二節:人心掌握術 ― 人を「鳴かせる」技術

秀吉が「人たらし」と評される所以は、彼の卓越した人心掌握術にあります 28 。彼は、人が何によって心を動かされ、行動するのかを深く理解していました。彼の「鳴かせ方」は、物理的な対象だけでなく、人間の心理にも向けられていました。

  • 具体例:アメとムチの巧みな使い分け
    秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた頃、清洲城の塀の修復工事を任された際の逸話が残っています。彼はまず、集まった人足たちに「怠ける者は容赦しない」と厳しく宣言しました(ムチ)。しかし、その直後には「明日は酒を振る舞って休んでくれ。明後日からの作業で、最も仕事が速かった組には褒美を出す」と宣言し、目の前に多額の報奨金を積んでみせました(アメ)。これにより、人足たちの士気は劇的に高まり、工事は驚異的な速さで完了したといいます 31。これは、相手の欲求と自尊心を刺激し、自発的に「鳴きたくなる」状況を作り出す、秀吉ならではの技術です。
  • 具体例:失敗への寛容と逆転の発想
    部下が失敗した時こそ、秀吉の人心掌握術は真価を発揮しました。賤ヶ岳の戦いにおいて、功を焦った福島正則らが軍令を破って窮地に陥った際、秀吉は彼らを叱責するどころか、自ら救援に駆けつけ、その後も変わらず重用し続けました 32。また、蟹江城の戦いで敗走した九鬼嘉隆が詫びを入れると、秀吉は「あれほど撤退が難しい戦場から、無事に生還したことこそが何よりの手柄である」と、逆にその困難な退却を称賛しました 31。失敗を咎められると覚悟していた部下にとって、この予期せぬ赦しと称賛は、何物にも代えがたい恩義となります。これにより、彼らは秀吉に心服し、次の戦で命を懸けて恩に報いようと誓うのです。これもまた、相手の心理を巧みに読み解き、「鳴かせる」高度な戦略でした。

第三節:圧倒的な行動力と執念 ― 必ず「鳴かせる」意志

「鳴かせてみせよう」という言葉の裏には、目的を必ず達成するという鉄の意志と、それを裏付ける常人離れした行動力がなければなりません。

  • 具体例:中国大返し
    天正10年(1582年)、備中高松城で毛利軍と対峙していた秀吉のもとに、主君・織田信長が本能寺で討たれたという凶報が届きます。主君を失い、強大な敵軍の前にいるという絶体絶命の状況下で、秀吉は驚くべき行動に出ます。彼は即座に毛利輝元と有利な条件で和睦を結ぶと、全軍に反転を命令。主君の仇である明智光秀を討つため、備中高松城から京の山崎までの約200kmの道のりを、僅か10日ほどで走破したのです 32。この驚異的な機動力と決断力、そして執念は、困難な状況を嘆くのではなく、自らの行動によって覆し、最大の好機へと転換してしまう「鳴かせてみせよう」という精神の、究極的な発露と言えるでしょう。

これらの史実を鑑みると、後世の人々が創作した「鳴かせてみせよう」という一句は、単なる言葉遊びではなく、秀吉がその生涯を通じて実践した「与えられた状況を所与のものとして受け入れず、自らが能動的に介入し、ルールや前提条件そのものを変えてしまう」という一貫した行動原理を、見事に言語化したものであることがわかります。

第四章:国民的逸話への道程 ― 明治以降の受容と定着

江戸時代後期に誕生したホトトギスの逸話は、近代化の波が押し寄せた明治時代以降、新たな価値観のもとで再解釈され、国民的な共通認識として社会に深く浸透していくことになります。

第一節:立身出世の象徴として

明治維新によって江戸幕府が倒れ、封建的な身分制度が解体されると、日本社会は大きな変革期を迎えました。学制が発布され、「学問は身を立るの財本ともいふべきもの」 33 とされたように、個人の才能と努力によって社会的成功を掴む「立身出世」が、新たな時代の重要な価値観として奨励されました 26

この新しい価値観の中で、歴史上の人物として再評価され、理想的な偉人像として脚光を浴びたのが豊臣秀吉でした。貧しい農民の子という最下層の出自から、知恵と才覚、そして不屈の努力によって身を起こし、ついには天下人へと上り詰めた彼の生涯は、まさに立身出世物語の最高の体現者と見なされたのです 26

第二節:教育と大衆文化による浸透

この立身出世の象徴としての秀吉像は、二つの大きな流れを通じて国民の間に定着していきました。

一つは、国家による教育です。明治期の学校では、道徳教育である「修身」が重要な科目と位置づけられました。その教科書において、秀吉は頻繁に登場する偉人の一人でした。「幼い頃から偉い人になろうと志を立て」「主人の草履取りから身を起こし」「よく働いた」ことで信長の信頼を得て出世していく物語は、子どもたちに勤勉、忍耐、そして大志を抱くことの重要性を教えるための、格好の教材となったのです 35

もう一つは、大衆文化の力です。明治末期から大正時代にかけて、少年たちを中心に爆発的な人気を博した「立川文庫」に代表される大衆向けの読み物シリーズが、英雄としての秀吉像を広く普及させました 36 。これらの物語では、猿飛佐助や霧隠才蔵といった(架空の)忍者たちの活躍と共に、主君である秀吉の英雄譚が生き生きと描かれました。その中で、「鳴かせてみせよう」というホトトギスの逸話は、秀吉の機知と不屈の精神を象徴するエピソードとして繰り返し語られ、子どもたちの心に深く刻み込まれていきました。

このようにして、ホトトギスの逸話は、その成立背景である江戸後期の知識人による批評や風刺といった文脈から切り離されました。そして、近代国家が国民に求める価値観、すなわち逆境に屈せず、創意工夫と努力によって道を切り拓くという「立身出世主義」を涵養するための、分かりやすい教育的ツールとして「再利用」されたのです。この過程を経て、逸話は本来の文学的ニュアンスをある意味で単純化されながらも、国民の誰もが知る道徳的寓話として、その地位を不動のものとしました。

結論:虚構が生んだ「真実」の人物像

本報告書を通じて明らかにしてきたように、「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」という豊臣秀吉を象徴する逸話は、彼本人が生きた戦国時代の史実ではなく、約200年の時を経た江戸時代後期、化政文化が爛熟した社会の中で生まれた創作です。その初出は根岸鎮衛の随筆『耳嚢』にその原型が見られ、松浦静山の『甲子夜話』において、より洗練された物語として完成しました。

しかし、この逸話は単なる「嘘」や「歴史的誤謬」として片付けられるべきではありません。むしろ、この虚構こそが、秀吉という人物の「真実」の一側面を、史実以上に鮮やかに我々に伝えているのです。この一句は、後世の人々が、数多の史実や伝説の中から秀吉という複雑な人間の本質を抽出し、「知略」「人心掌握」「圧倒的な行動力」「目的達成への執念」といった諸要素を結晶化させた、極めて優れた文学的メタファーであり、人物批評の傑作です。

この創作された逸話が、史実以上に「リアル」に感じられるのは、それが秀吉の実際の行動原理と深く共鳴しているからに他なりません。不可能を可能にした知略、敵さえも味方に変える人心掌握術、そして絶望的な状況を覆した行動力。これらの史実の断片は、「鳴かせてみせよう」という一つの言葉のもとに見事に収斂されます。そして、明治以降の近代化の過程で、この逸話は立身出世を象徴する物語として教育や大衆文化を通じて再生産され、私たちの「国民的記憶」として深く刻み込まれました。

したがって、「鳴かぬなら鳴かせてみせよう」の逸話は、「過去に何が起きたか」という歴史的事実そのものを伝えるものではありません。それは、「ある歴史上の人物が、後世の人々によってどのように記憶され、解釈され、語り継がれてきたか」という、歴史的記憶の形成プロセスそのものを示す、非常に貴重な文化史的遺産であると言えます。この虚構の逸話を通して、私たちは史実の豊臣秀吉の姿を垣間見ると同時に、彼を語り継いできた日本人自身の価値観や時代精神の変遷をも、深く読み解くことができるのです。

引用文献

  1. 鳴かぬなら鳴かせてみせよう | 洋々代表 清水のブログ https://you2.jp/shimizu/%E9%B3%B4%E3%81%8B%E3%81%AC%E3%81%AA%E3%82%89%E9%B3%B4%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%81%9B%E3%82%88%E3%81%86.htm
  2. 三者三様の人柄をかぎくらべ!織田信長・豊臣秀吉・徳川家康イメージインセンス - note https://note.com/f_museumbu/n/ncacc02943753
  3. 3大武将の性格を色濃く表す3つの川柳 ― 戦国大名のホトトギスの鳴かせ方 - Goin' Japanesque! http://goinjapanesque.com/ja/04130/
  4. 「信長」「秀吉」「家康」。働きがいのある会社を創るのは誰? https://hatarakigai.info/library/column/20180807_121.html
  5. 戦国三英傑の特徴と逸話/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/26430/
  6. 歴史いろいろ話 - 明智光秀のホトトギス https://ncode.syosetu.com/n9453cs/18/
  7. 「鳴くまで待とう ほととぎす」の徳川家康、でも実際には気が短かった説。 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/103172
  8. 〈鳴かぬなら~〉信長、秀吉、家康とホトトギスの歌に秘められた「徳川史観」の印象操作【麒麟がくる 満喫リポート】 | サライ.jp https://serai.jp/hobby/1011714
  9. 三英傑 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8B%B1%E5%82%91
  10. 信長、秀吉、家康が詠んだというほととぎすの句の出典を確認したい。「みみぶくろ」とテレビ番組で放送し... | レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000225924&page=ref_view
  11. 旗本御家人 - 25. 耳嚢(みみぶくろ) - 国立公文書館 https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatamotogokenin/contents/25.html
  12. 耳嚢 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E5%9A%A2
  13. 耳嚢について http://sobuenohotaru.or.jp/hobby/komnjyo/mimi/strt.html
  14. 鳴かぬなら……(「ほととぎす」の句) http://sybrma.sakura.ne.jp/206nakanunara.hototogisu.html
  15. 三英傑「ホトトギスの歌」を詠んだのは誰か - 今につながる日本史+α https://maruyomi.hatenablog.com/entry/2023/04/07/002057
  16. chikusa-zaitaku.jp https://chikusa-zaitaku.jp/news/p164063/#:~:text=%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7%EF%BC%9A%E9%B3%B4%E3%81%8B%E3%81%AC%E3%81%AA%E3%82%89%20%E9%B3%B4%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%81%A7%E5%BE%85%E3%81%A8%E3%81%86%20%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9&text=%E3%81%93%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E5%8F%A5%E3%81%AF%E3%80%81%E5%B9%B3%E6%88%B8,%E9%9A%8F%E7%AD%86%E3%81%AE%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
  17. 「ほととぎす」の歌はいつ,だれがつくったの? | 生徒の広場 - 浜島書店 https://www.hamajima.co.jp/rekishi/qa/a11.html
  18. 甲子夜話 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%A4%9C%E8%A9%B1
  19. 一風変わった平戸の殿様・松浦静山と『甲子夜話』が面白い! - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/2282
  20. 寓話から教訓を学ぶ「信長・秀吉・家康のホトトギス」 - 株式会社きらめき労働オフィス ブログ https://www.kirameki-sr.jp/blog/business-skill/lesser-cuckoo-business/
  21. 【中学歴史】「化政文化」 | 映像授業のTry IT (トライイット) https://www.try-it.jp/chapters-2968/lessons-3021/
  22. 化政文化/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/121033/
  23. 日本史|化政文化―庶民の娯楽と信仰 https://chitonitose.com/jh/jh_lessons101.html
  24. 化政文化 日本史辞典/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/kaseibunka/
  25. 4 化政文化 https://s4ab537c0a8ca60f0.jimcontent.com/download/version/1589208194/module/7671989581/name/p%E7%AC%AC%EF%BC%98%E7%AB%A0%E8%BF%91%E4%B8%9641-44%EF%BC%88%E5%8C%96%E6%94%BF%E6%96%87%E5%8C%96%EF%BD%9E%EF%BC%89.pdf
  26. 近代日本における豊臣秀吉観の変遷 http://tamaiseminar.main.jp/wp-content/uploads/2018/04/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89%E8%A6%B3%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7.pdf
  27. 戦国三英傑(信長・秀吉・家康)くらべてみよう、ホトトギス https://busho.fun/column/threeheroes
  28. 令和を駆けるリーダーへ!豊臣秀吉に学ぶ、人心掌握と変革のリーダーシップ研修 https://brainconsulting.co.jp/sengoku-leadership-training/
  29. 秀吉のマーケティング - 郷土の三英傑に学ぶ https://jp.fujitsu.com/family/sibu/toukai/sanei/sanei-11.html
  30. 「人たらし」豊臣秀吉の本質とビジネスに活かすための極意 - ダイヤモンド・ビジョナリー https://www.diamondv.jp/article/1PYu5iY6tRK8JKJ2rEkeUD
  31. 秀吉、信長は部下の心のつかみ方も超一流|Biz Clip(ビズクリップ ... https://business.ntt-west.co.jp/bizclip/articles/bcl00007-041.html
  32. 【豊臣秀吉に学ぶ】社員の心を掴む「人心掌握術」と、最強の ... https://spread-site.com/article/akhccittfu
  33. 明治修身教科書における子どもの〈労働〉倫理 - 国際言語文化研究科 https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/13/13-04.pdf
  34. 無らい県運動」と修身・道徳・人権教育― 一 教育勅語の渙 - 熊本県ホームページ https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/49327.pdf
  35. 今から100年前の敬格小学校(今の)稲羽西小に通う子ど もたちは http://edu-kakamigahara.com/inanisho/data/contents/syuusinkyoukasyo.pdf
  36. 意外!?信長・秀吉・家康の本当の性格とは?|出陣!歴史ワールド - ポプラ社 https://www.poplar.co.jp/rekishi/history/history1.html
  37. 立川文庫とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB