五街道整備着手(1604)
徳川家康は1604年に五街道整備に着手。これは軍事・政治・経済戦略の総体であり、大名統制と情報伝達を迅速化し、全国市場を創出。江戸中心の国家基盤を確立し、260年の泰平の世の礎を築いた。
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戦国時代の終焉と天下統一の礎:慶長九年(1604年)五街道整備着手の時系列的考察
序論:慶長九年、江戸日本橋―新時代の起点
慶長九年(1604年)。天下分け目の関ヶ原の合戦から四年、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ江戸に幕府を開いてから一年が経過していた。日本列島は徳川の威光の前に一応の静謐を取り戻しつつあったが、その平和はまだ盤石とは言い難い、いわば「仮初めの平和」であった。大坂城には豊臣秀頼が依然として巨大な勢力を保ち、西国には豊臣恩顧の大名たちが虎視眈々と機を窺っていた。この張り詰めた空気の中、家康は壮大な国家改造計画に着手する。その象徴こそが、江戸の日本橋を起点とする全国幹線道路網、すなわち「五街道」の整備事業であった。
本報告書は、この慶長九年の「五街道整備着手」という事変を、単なるインフラ整備事業としてではなく、戦国の乱世を完全に終結させ、二百六十余年にわたる泰平の世を築き上げるための、高度に計算された政治・軍事・経済戦略の総体として捉え直すものである。織田信長、豊臣秀吉が夢見た天下統一の事業を継承しつつも、それを遥かに凌駕する永続的な支配体制をいかにして構築しようとしたのか。家康の深遠な構想を、時系列を追って解き明かしていく。
結論を先に述べれば、五街道整備は三つの側面を持つ複合的な国家事業であった。第一に、それは大名統制と情報伝達を迅速化する「軍事・政治的支配の装置」であった。第二に、全国規模の市場経済を創出するための「経済的インフラ」であった。そして第三に、新たな社会と文化を育む「国民的交流の基盤」であった。本報告書は、これらの側面を多角的に分析し、戦国という視点から五街道整備の歴史的意義を徹底的に論じるものである。
第一章 分断された列島―戦国時代の道と関所
交通インフラの荒廃と関所の乱立
応仁の乱以降、百年以上にわたる戦乱は、日本の国土を深く疲弊させた。かつて律令国家が整備した官道は見る影もなく、橋は落ち、道は寸断され、人々や物資の往来は著しく困難となっていた 1 。この時代の「道」は、人々を結びつけるものではなく、むしろ領域を分断する境界線としての性格を強めていた。
その象徴が、全国に乱立した「関所」である。戦国大名はもちろん、寺社勢力や土豪に至るまで、各々の領地に私的な関所を設け、「関銭」「津料」「駄の口」といった名の通行税を徴収した 2 。これらは領主にとって重要な財源であったが 3 、旅人や商人から見れば、わずかな距離を進むごとに関銭を繰り返し搾り取られる過酷な制度であった。例えば、伊勢神宮への参詣道には五十数カ所もの関所が存在したとされ、その経済的負担は庶民の移動を著しく阻害した 5 。
このように、戦国時代の交通網は、中央集権の崩壊と封建的分断の極致を物理的に体現していた。物流コストの高騰は経済活動を停滞させ、国家としての一体性を著しく損なっていたのである 2 。天下統一を目指す者にとって、関所の撤廃と街道の再整備は、避けては通れない最重要課題であった。
織田信長の交通革命―「線」による支配の試み
この状況に革命的な一石を投じたのが、織田信長であった。「天下布武」を標榜する彼にとって、経済力と軍事力の増強は至上命題であり、その根幹をなすのが交通政策であった 6 。
信長はまず、領国内の関所を撤廃し、人々の自由な往来と物資の円滑な流通を促した 1 。これは既得権益を持つ寺社勢力などを弱体化させる狙いも含まれていた 7 。さらに、「楽市・楽座」政策によって座(同業者組合)の独占を打破し、自由な商業活動を奨励した 6 。関所の撤廃と楽市・楽座は、いわば「物流の自由化」と「商業の自由化」をセットで行う画期的な政策であり、城下町の繁栄を強力に後押しした。
同時に、信長は物理的な道路整備にも着手した。道を「本街道」「脇街道」「在所道」の三等級に分け、本街道を三間半(約6メートル)とするなど、道幅の規格化と拡幅を推進した 3 。瀬田や宇治、さらには天竜川に橋を架け、街道沿いには松や柳を植えさせた 1 。また、一里を三十六町と定めるなど、度量衡の統一にも乗り出している 1 。
これらの政策は、城下町という「点」と、街道という「線」を発展させることで、領国経済を活性化させ、有事の際には軍隊を迅速に展開させるという、極めて合理的かつ近代的な発想に基づいていた。兵糧や武器の輸送を円滑にすることは、合戦の勝敗に直結するからである 6 。信長の交通政策は、来るべき統一国家のインフラの原型を提示するものであった。
豊臣秀吉による継承と全国への拡大
信長の後を継いだ豊臣秀吉は、その交通政策を基本的に継承し、全国規模へと拡大した。関所の全廃、道路・橋梁の整備、山賊・海賊の鎮圧などを強力に推し進めたのである 1 。
秀吉の治世で特筆すべきは、「太閤検地」と「刀狩」である。検地によって全国の土地と人民を直接把握し 11 、刀狩によって兵農分離を徹底することで 13 、国家が交通インフラを管理・利用するための社会基盤を整えた。
また、文禄の役(1592年)に際しては、京都・大坂から肥前名護屋城までの軍事通信網として「駅伝制」を導入しており、これは後の伝馬制度の先駆けと見なすことができる 1 。
しかし、秀吉の関心は国内統治の完成よりも朝鮮出兵へと向かっていたため、彼の交通政策は国内の恒久的な支配システムとして完成するには至らなかった。秀吉の死後、この「未完のプロジェクト」を継承し、全く異なる目的、すなわち永続的な国内支配体制の確立のために再設計する役目は、徳川家康の双肩にかかっていたのである。
第二章 天下統一の総仕上げ―関ヶ原後の政情と街道整備の戦略的意義(1600年~1603年)
慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いと徳川の覇権
関ヶ原の戦いにおける勝利により、徳川家康は事実上の天下人となった。しかし、その支配はまだ不安定であった。西国には豊臣恩顧の大名が多く残り、大坂城では豊臣秀頼と母・淀殿が依然として求心力を持ち続けていた 15 。
家康は、巧みな政治手腕でこの状況に対応する。豊臣恩顧の外様大名を遠国へ転封(国替え)する一方、江戸や大坂といった大都市周辺や交通の要衝には、徳川一門の親藩大名や譜代大名を配置した 16 。この大名の戦略的再配置は、来るべき新交通網の構想と密接に連携していた。街道という「線」と、城という「点」を、信頼できる家臣団によって掌握しようとしたのである。
慶長六年(1601年)、東海道への先手―伝馬制度の開始
慶長八年(1603年)に征夷大将軍に就任する以前から、家康は具体的な行動を開始していた。慶長六年(1601年)、家康は東海道の品川宿から大津宿までの各宿場に対し、「伝馬朱印状」を発行し、公用の人馬を提供する義務を課す「伝馬制度」を創設した 1 。
当初、各宿に常備が義務付けられた伝馬は三十六疋であった 1 。この制度の目的は、平時の物流円滑化というよりも、むしろ有事の際に江戸と京・大坂を迅速に結ぶ軍事・情報ハイウェイを確保することにあった。大坂の豊臣家が依然として最大の脅威である以上、関西方面への円滑な軍隊の移動路を確保することは、家康にとって最優先課題だったのである 15 。
この1601年の伝馬制度の開始こそ、事実上の五街道整備事業のキックオフであった。そして、その最初の対象が東海道であったという事実は、家康の最大の脅威認識が西国、とりわけ豊臣家にあったことを明確に物語っている。これは平和のためのインフラではなく、来るべき戦いに備えた軍事インフラであった。幕府の役人や飛脚といった公用旅行者のための制度として始まったことからも 17 、江戸からの命令伝達と地方からの情報収集を迅速化する、国家の神経網を構築する意図が読み取れる。
慶長八年(1603年)、江戸幕府開府と「天下普請」
慶長八年、家康は征夷大将軍に任ぜられ、名実ともに日本の統治者となった。彼は諸大名に対し、江戸城及び城下町の大規模な造成事業(天下普請)を命じる 16 。これは、諸大名の財政力を削ぎ、労働力と資源を江戸に集中させるという巧みな戦略であった。
この国家的な建設事業と並行して、江戸を中心とする陸上交通網の本格的な整備が計画された。これは、日本の中心を伝統的な京から新たな拠点である江戸へと移すための、物理的な基盤作りであった 16 。こうして、来るべき慶長九年の大号令への舞台は整えられていったのである。
第三章 慶長九年(1604年)のリアルタイム―動き出す国家事業
起点の宣言―なぜ江戸日本橋だったのか
慶長九年(1604年)、二代将軍・徳川秀忠の名の下、五街道の起点を江戸の「日本橋」と定めることが公式に布告された 15 。
日本橋は江戸城に近く、当時最も活気のあった商人町(本町通り)を貫く川に架けられた橋であった 22 。この場所を起点に選んだことには、単なる地理的な意味以上の、深い政治的意図が込められていた。
古代律令制以来、日本の道路網は京の都を中心とする放射状ネットワークであった 25 。徳川幕府は、この構造を江戸を中心とする形に再編成しようとしたのである 20 。日本橋という具体的な地点を起点と定めることで、その壮大な構想を物理的な現実として固定化した。それは、日本の重心が伝統的な政治・文化の中心地であった京から、新たな武家の都・江戸へと完全に移行したことを天下に示す、強力な宣言であった。全ての道が江戸に通じるという構造を物理的に作り出すことで、幕府の権威を視覚的に示し、江戸の求心力を高めたのである。城そのものではなく、経済の中心地である商人町の橋を選んだ点も興味深い。これは、武家政権が商業の掌握を重視していたことの表れかもしれない 23 。
空間支配の象徴―一里塚築造の令
日本橋を起点と定めたのに続き、秀忠は主要街道に沿って一里(三十六町、約3.9キロメートル)ごとに土を盛り上げた塚、すなわち「一里塚」を築くよう命じた 27 。
塚の上には榎や松などが植えられ、旅人の道程の目印や休憩場所として機能した 29 。信長や秀吉も同様の試みを行ってはいたが、これを全国的な制度として確立したのは徳川幕府が初めてであった 1 。
一里塚の設置は、単なる里程標としての実用的な意味合いにとどまらなかった。それは、地域によって曖昧でまちまちであった「距離」という概念を、幕府が定めた単一の基準の下に統一する事業であった。これは、太閤検地が土地の支配構造を統一したのと同様に、国家の空間そのものを幕府の価値基準で再編成する試みであった。旅人に便宜を図るという表向きの目的の裏には 29 、「江戸からの距離」という単一の価値観によって全国土を秩序づけるという、高度な政治的意図が隠されていた。一里塚は、幕府の権威が日本の隅々にまで及ぶことを示す、空間支配の象徴だったのである。
事業を担ったテクノクラート―大久保長安の仕事
この壮大な国家事業の総責任者として采配を振るったのが、代官頭・大久保長安であった 30 。
長安は、戦国時代から江戸初期にかけて活躍した異色のテクノクラート(技術官僚)である。猿楽師の家に生まれながら武田信玄に見出され、鉱山経営や税務において卓越した手腕を発揮した 36 。武田家滅亡後に家康に仕え、関東十八代官の頭として幕領の統治を担った。彼は八王子宿の建設 38 や甲州街道の整備 38 などで既に都市・交通インフラ整備における高い実績を上げていた。
一里塚の設置や伝馬制度の確立といった街道整備事業の具体的な計画立案と執行は、この長安と彼が率いる役人たちによって担われた 35 。
五街道という巨大プロジェクトの成功は、家康の構想力だけでなく、長安のような専門的な技術と実行力を持つ官僚の存在があってこそ可能であった。この事実は、戦国時代の武断政治から、近世の官僚制による統治へと移行していく時代の変化を象徴している。長安は死後、不正蓄財の嫌疑をかけられて家は断絶するが 30 、彼が築いたシステムは幕府に引き継がれ、後の道中奉行という常設の行政機関へと発展していくのである 41 。
第四章 国家動脈の解剖―五街道システムの構造
五街道整備は、単に道を造るだけでなく、その運用を支える精緻なシステムを全国に張り巡らせる事業であった。以下に、五街道の概要とその戦略的役割を示す。
街道名 |
起点 |
終点 |
主な経由地 |
宿場数 |
総距離 |
主な戦略的役割 |
東海道 |
江戸・日本橋 |
京都・三条大橋 |
品川、小田原、府中、浜松、宮、草津 |
53次 |
約492 km |
対西国(特に豊臣家)の最重要軍事・経済幹線。参勤交代、公用通信の主軸。 |
中山道 |
江戸・日本橋 |
草津宿(東海道に合流) |
板橋、高崎、下諏訪、木曽路、垂井 |
69次 |
約534 km |
東海道のバイパスとしての軍事的役割。内陸部の経済・文化圏(木曽路など)を形成。 |
甲州街道 |
江戸・日本橋 |
下諏訪宿(中山道に合流) |
新宿、八王子、甲府、上諏訪 |
44次 |
約211 km |
江戸城の西側防衛線。有事の際の将軍の避難路であり、甲府城が重要拠点。 |
奥州街道 |
江戸・日本橋 |
陸奥・白河 |
千住、宇都宮、白坂 |
27次 |
約184 km |
東北の雄藩(伊達家など)を監視・統制するための軍事・政治路線。参勤交代路。 |
日光街道 |
江戸・日本橋 |
日光・鉢石 |
千住、幸手、宇都宮、今市 |
21次 |
約145 km |
徳川家康を祀る日光東照宮への参詣道。将軍社参を通じて幕府の権威を誇示。 |
各街道の横顔―道が持つそれぞれの個性
五街道は、それぞれが異なる目的と性格を持って整備された。
- 東海道 :五十三次(後に五十七次)の宿場を持つ、名実ともに日本の大動脈であった 18 。交通量が最も多く、経済的にも最も繁栄した。幕府の西国戦略の生命線であり、その整備は最優先で進められた。
- 中山道 :六十九次と宿場数が最も多く、距離も東海道より長かった 45 。木曽路に代表されるように、山深い内陸部の経済と文化を育んだ 46 。東海道が不通になった際の代替路としての軍事的意味合いも強かった。
- 甲州街道 :四十四次の宿場を持ち、江戸城に万一の事態が発生した際の将軍の避難路として、また西からの侵攻に対する防衛線として整備された軍事道路であった 48 。甲府城がその中核拠点であり、宿場の出入り口には防御施設である「枡形」が設けられることが多かった 48 。
- 奥州街道・日光街道 :宇都宮までは共通のルートをたどる 50 。日光街道は、神格化された家康が眠る日光東照宮への参詣道であり、将軍自らが行う大規模な社参を通じて徳川の権威を天下に示すための「儀式の道」であった 52 。一方、奥州街道は伊達政宗をはじめとする東北の有力大名を監視し、彼らの参勤交代路として機能する「統制の道」であった 55 。
宿駅伝馬制度―交通・物流の心臓部
街道の機能を支えたのが、宿場ごとに整備された「宿駅伝馬制度」である。各宿場は、公用の荷物や通信を次の宿場までリレー方式で輸送するため、定められた数の人馬を常に用意しておく義務を負った 17 。
この業務を統括したのが、宿場内で最も重要な施設である問屋場(といやば)であった 57 。宿泊施設としては、大名や公家が利用する
本陣・脇本陣 57 、一般の武士や庶民が利用する**旅籠(はたご)**が整備された 57 。
宿駅制度は、宿場町に人馬の常備という重い負担を強いる一方で 19 、参勤交代の大名行列や一般旅行者の往来による経済的利益をもたらした。このアメとムチの構造が、全国的な交通網を維持する原動力となったのである。
継飛脚―驚異的な情報伝達速度
幕府の公文書を運んだ公式の飛脚は「継飛脚(つぎびきゃく)」と呼ばれた 61 。各宿場で飛脚が交代するリレー方式により、驚異的な速度が実現された。約500キロメートル離れた江戸と京都の間を、通常便で四日弱、急ぎの便では二日半で結んだという記録が残っている 62 。
情報の速度は権力の生命線である。継飛脚システムは、江戸の中央政権が遠隔地の情報を迅速に入手し、命令を即座に伝達することを可能にした。これにより、全国の情勢をほぼリアルタイムで把握し、効果的な統治を行うことができたのである。このほか、大名が独自に運営する「大名飛脚」や、民間の「町飛脚」も存在し、多様な情報ネットワークが形成されていた 61 。
街道の付帯設備と景観
街道筋には、その機能を補完し、幕府の統治哲学を体現する様々な設備が設けられた。
- 並木 :松や杉、榎などが植えられた並木は、夏の強い日差しや冬の風雪から旅人を守り、道そのものを保護する役割を果たした 31 。また、雪道などでの道標ともなった 31 。
- 関所 :治安維持と反乱防止のために要所に設置された 67 。特に「入鉄砲に出女」(江戸への武器の流入と、江戸からの女性の流出)を厳しく取り締まった 5 。
- 枡形 :宿場の出入り口を意図的に直角に曲げ、見通しを悪くする防御的な構造。敵の侵攻速度を遅らせるための軍事的な工夫であった 48 。
このように、街道の物理的な構造や景観そのものが、幕府の統治思想を体現していた。並木に見られる民衆への配慮という「仁政」の顔と、関所や枡形に見られる厳格な監視と軍事的備えという「覇道」の顔が、街道という一本の道の上に共存していたのである。
第五章 統制と交流―五街道が変えた日本社会
政治的統制の強化―参勤交代と関所
完成した五街道は、幕藩体制を物理的に支える強力な統制装置として機能した。
- 参勤交代 :諸大名が江戸と自領を一年おきに往復する参勤交代のルートとして、五街道は体系的に利用された 72 。大名行列は宿場町に莫大な経済効果をもたらしたが 74 、大名自身には片道で現代の価値にして数億円にも上る巨額の財政負担を強いた 76 。これにより、諸藩の経済力を削ぎ、謀反の企てを未然に防ぐ効果があった。
- 関所の機能 :江戸時代の関所は、中世のように通行税を徴収する経済目的ではなく、警察・軍事目的の検問所としての性格が強かった 70 。その最大の目的は、江戸への「入鉄砲」と江戸からの「出女」の取り締まりであった 71 。前者は大名の謀反防止、後者は人質として江戸に住まわせていた大名の妻子が国元へ逃亡するのを防ぐためであった。
- 女性への厳格な監視 :「出女」の取り締まりは、大名家族のみならず、一般の女性の移動も厳しく制限した。これには、子供を産む女性が他領へ移動することによる人口減少を防ぐという、人口政策的な側面があった 5 。
このように、五街道とそれに付随する参勤交代や関所の制度は、大名の資源を消耗させ、人々の移動を厳格に管理することで、幕藩体制を盤石にするための統制装置として機能した。道は「結ぶ」だけでなく、「縛る」ための道具でもあったのである。
全国市場の形成―陸運と海運のシナジー
五街道の整備は、全国的な陸上物流ネットワークを確立した。特に、将軍への献上品のような高価で軽量な品や、鮮度が求められる産物の輸送に利用された 62 。
しかし、米や酒、木綿といった大量・重量物資の輸送の主役は、より低コストな海運(西廻り・東廻り航路、菱垣廻船、樽廻船など)であった 32 。
江戸時代の物流は、五街道を中心とする陸運と、廻船による海運が相互に補完しあう、複合的なネットワークを形成していた。五街道は、内陸の生産地と港を結び、海から運ばれてきた物資を全国の消費地へと分配する役割を担った。この陸海交通のシナジー効果が、「天下の台所」大坂と「大消費地」江戸を結ぶ全国市場経済の飛躍的な発展を促したのである。
庶民の旅の爆発―「お伊勢参り」と文化交流
街道と宿場町の整備によって、旅の安全性は格段に向上し、費用も比較的安価になった 85 。その結果、幕府が意図せざる副産物が生まれた。それは、庶民の旅の爆発的な流行である。
その象徴が「お伊勢参り」であった。「一生に一度は」と庶民が憧れた伊勢神宮への参詣は、一大ブームとなった 87 。往路は東海道、復路は善光寺に立ち寄るため中山道を利用するといった周遊ルートも人気を博した 87 。伊勢へ向かう街道(伊勢街道、参宮街道など 88 )沿いには、参宮客を案内する御師や、無料の渡し船といったサポート体制が整い 88 、「餅街道」と呼ばれるほど名物の餅菓子が生まれ、古市のような歓楽街も栄えた 89 。
幕府が統制のために作り上げた道は、結果として庶民に「旅」という新たな自由と娯楽をもたらした。全国から人々が伊勢を目指し、道中で交流する中で、方言や風習、情報が混ざり合い、国民的な文化的一体感が醸成されていった。五街道は、静的な支配システムの中に、民衆の動的なエネルギーを解放する回路を内包していたのである。
結論:戦国の夢の彼方へ―五街道が築いた二百六十年の泰平
慶長九年(1604年)の五街道整備着手は、戦国時代に始まった交通統一の試みの集大成であった。それは、織田信長の「経済・軍事の線」という発想、豊臣秀吉の「全国への拡大」という試みを経て、徳川家康による「恒久的な統治システム」へと昇華された。
五街道は、単なる物理的な道路網ではなかった。それは、参勤交代によって大名を統制し、継飛脚によって情報を支配し、関所によって人の流れを管理する、幕藩体制という政治構造そのものであった。
しかし、軍事的な緊張の中で生まれたこの国家動脈は、やがて人々の交流と繁栄の道へと姿を変えていった。全国市場を形成して経済を発展させ、庶民の旅を可能にして文化を育んだ。この道が支えた二百六十余年の平和は、戦国の世を生きた人々が夢にも見なかったものであろう。そして、日本橋から放射状に延びるこのネットワークは、近代日本の東京を中心とする国土構造の原型となり、その遺産は今日の国道や鉄道路線にも色濃く受け継がれている 91 。戦国の夢の彼方に築かれた道は、まさしく近世、そして近代日本の礎となったのである。
引用文献
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- 織田信長の関所撤廃と物流支配【戦国ロジ其の3】 - LOGI-BIZ online https://online.logi-biz.com/9621/
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- 【関所の廃止政策】 - ADEAC https://adeac.jp/hamamatsu-city/text-list/d100010/ht011670
- 【やさしい歴史用語解説】「関所」 - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/1634
- 楽市楽座 日本史辞典/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/rakuichirakuza/
- 織田信長(おだのぶなが)の政治について - BIGLOBE http://www7a.biglobe.ne.jp/~gakusyuu/rekisi/odanobunagaseizi.htm
- 逆転の発想(33)楽市楽座(織田信長) https://plus.jmca.jp/leader/336.html
- 近代の道筋をつけた織豊政権 https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/record/11386/files/1884_6963_008_07.pdf
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- 10.安土桃山時代の八街 - 千葉県八街市ホームページ - 八街市役所 https://www.city.yachimata.lg.jp/soshiki/39/39642.html
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- 「五街道」ぜんぶ言える? それぞれのルートと特徴、簡単な覚え方をチェック - HugKum https://hugkum.sho.jp/458414
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- 古代の道 その3 近世の街道 江戸時代 https://kaidouarukitabi.com/rekisi/rekisi3.html
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- 日本橋五街道とは?歴史や各街道の特徴を解説します! https://tone-to-nihonbashi.com/nihonbashi-gokaidou/