最終更新日 2025-10-31

織田信雄
 ~農民と語らい酒酌み交わす人情譚~

織田信雄と農民の酒宴の逸話は史実ではないが、彼の複雑な人物像と後世の人々の理想の君主像を映し出す。地域で語り継がれた歴史の多層性を示す。

織田信雄と農民の酒宴 ― 消えた逸話の源流と、歴史の狭間に生まれた人情譚の真実

序章:城下の酒宴 ― 語り継がれるべき人情譚の謎

日本の戦国時代、数多の武将が覇を競う中で、織田信長の次男として生を受けた織田信雄(おだ のぶかつ)。彼の生涯は、父の威光と、豊臣秀吉、徳川家康という巨人の狭間で揺れ動き、一筋縄ではいかない複雑な軌跡を描いた。その信雄をめぐり、一つの心温まる逸話が語られることがある。「城下にお忍びで出かけた信雄が、農民たちと気さくに語らい、酒を酌み交わした」という人情譚である。この物語は、身分制度が厳然としていた時代において、為政者と民とが心を通わせる理想的な姿を映し出し、聞く者の心に深い感銘を与える。

しかし、この逸話が描き出す温厚で民を慈しむ君主像は、私たちが歴史の中に知る織田信雄の姿とは、著しい乖離を見せる。例えば、父・信長に無断で伊賀に侵攻して大敗を喫し、厳しく叱責された軽率さ 1 。小牧・長久手の戦いでは徳川家康という強力な後ろ盾を得ながら、その家康に相談なく独断で秀吉と和睦を結んでしまった、いわゆる「空気が読めない」と評される行動 2 。さらには、同時代に日本を訪れたイエズス会宣教師ルイス・フロイスからは「狂っているのか、あるいは愚鈍なのか」とまで酷評された人物像 3 。これらの記録が示す信雄の姿と、農民と酒を酌み交わす仁君の姿は、到底一つの人格として結びつきにくい。

本報告の目的は、この魅力的でありながらも謎に包まれた逸話の真偽を確かめることにある。それは単に史実か否かを判定する作業に留まらない。史料の海を渉り、もし逸話が史実でないとすれば、なぜ、そしていつ、誰によってこのような物語が信雄に結びつけられたのか、その源流と成立の背景を徹底的に探求する歴史的調査である。一つの逸話の背後に隠された、人々の願望、時代の要請、そして記憶の変容を解き明かすことで、私たちは織田信雄という一人の武将の多面性だけでなく、歴史がどのように語り継がれていくのかという、より普遍的な問いへと迫ることになるだろう。

第一部:史料の沈黙 ― 逸話の原典を求めて

ある歴史的逸話の真偽を検証する上で、最初の、そして最も重要な手続きは、信頼性の高い史料の中にその記述を探すことである。この「農民との酒宴」という物語が、もし歴史的事実であったならば、同時代の記録や、少なくとも後世の編纂物の中に何らかの痕跡を残しているはずである。しかし、調査を進めると、我々は深い沈黙に突き当たることになる。

第一章:一次史料の不在 ― 同時代の記録は語らない

戦国時代から安土桃山時代にかけての歴史を研究する上で、最も信頼性の高い史料の一つに、織田信長の家臣であった太田牛一が記した『信長公記』が挙げられる 4 。この記録は、信長とその一族の動向を詳細に、そして比較的客観的に記述しており、信雄の行動についても数多く言及されている。しかし、その膨大な記述のどこを探しても、信雄が城下で農民と交流したという逸話を見出すことはできない。

同様に、信雄自身が発給した書状や、彼が関与した事件に関する同時代の他の武将の日記、書簡などを網羅的に調査しても、結果は同じである 5 。彼の文書の多くは、所領の安堵や軍事的な指令に関するものであり、民政への細やかな配慮や、領民との個人的な交流を窺わせるような記述は極めて乏しい。もし彼が日常的に、あるいは特筆すべき出来事として民と酒を酌み交わすような行為をしていたのであれば、その善政を称える形で、あるいは珍しい出来事として、何らかの記録に残されていても不思議ではない。だが、同時代の史料は、この人情譚について完全に沈黙しているのである。

第二章:江戸期逸話集の検証 ― 『名将言行録』『常山紀談』の探索

同時代の記録にないとしても、事実が口伝えで伝わり、後世になって書物に採録される可能性も考えられる。特に江戸時代に入ると、戦国武将たちの言行や逸話を集めた編纂物が数多く出版された。その代表格が『名将言行録』や『常山紀談』である 7 。これらの書物は、教訓的な話や興味深いエピソードを数多く収録しており、戦国武将の人物像を形作る上で大きな影響を与えてきた。例えば、信長や家康に関する様々な逸話も、これらの書物を通じて広く知られるようになったものである 9

しかし、これらの逸話集を丹念に調査しても、織田信雄に関する「農民との酒宴」の物語は一切収録されていない 10 。これは極めて重要な事実である。特に『名将言行録』は、その成立過程において厳密な史料批判を経ているわけではなく、巷間に流布していた話を多く含んでいるため、歴史学界では信頼性に乏しい「俗書」と見なされることもある 10 。そのような、いわば逸話の収集に寛容な書物でさえ、この物語を取り上げていない。この事実は、信雄と農民の逸話が、少なくとも江戸時代中期までの間、広く知られた話ではなかった可能性を強く示唆している。

この一次史料と二次史料(逸話集)における二重の「不在」は、単なる偶然とは考えにくい。もしこの逸話が歴史的事実であったならば、一次史料のどこかに痕跡があるはずである。もし事実ではなくとも、早い段階で伝説として成立していたならば、逸話の宝庫である江戸時代の編纂物が見逃すはずがない。この二つの可能性が共に否定される以上、我々は、この逸話が歴史的事実ではない可能性が極めて高いと結論せざるを得ない。そして同時に、この物語が、江戸期よりもさらに後代、すなわち近代以降に創出されたか、あるいは信雄の子孫が治めた丹波柏原藩のような非常に限定された地域でのみ語り継がれた口承であったか、さらには近年のインターネット時代に創作や誤伝が拡散したか、といった新たな可能性を視野に入れなければならなくなる。問題は、もはや逸話の真偽判定から、その「発生時期」と「伝播経路」の解明へと移行するのである。

第二部:父の影、時代の類型 ― 逸話の源流を探る

史料の中に直接的な記述が見出せない以上、我々の探求は次の段階へと進む。「なぜ、このような逸話が、数ある武将の中から特に織田信雄に結びつけられたのか」という問いである。物語は真空からは生まれない。多くの場合、既存の物語の変形であったり、ある特定の「型」に沿って創られたりする。ここでは、信雄の逸話と構造的に類似した他の物語と比較分析することで、その原型と、物語が生まれた文化的土壌を探っていく。

第一章:織田信長の農民譚 ― 偉大なる父の肖像

信雄の逸話の源流を探る上で、最も注目すべきは、彼の父である織田信長にまつわる、驚くほど酷似した構造を持つ逸話の存在である。その物語は次のようなものである。

信長が出陣の途中、領内を進んでいると、道端で一人の農民がぐうぐうと鼾をかいて居眠りをしていた。それを見たある家臣が「殿のご出陣というのに無礼千万!斬り捨てましょう」と息巻いた。すると信長はそれを制し、笑ってこう言ったという。「俺は農民が土の上で安心して寝ている姿が好きだ。そのような世の中を、これから作らねばならぬな」と 13

この信長の逸話は、信雄の逸話とテーマにおいて完全に一致している。すなわち、為政者が民の平穏な暮らしを慈しみ、身分の差を超えて温かい眼差しを向けるという点である。信長には「天下布武」を掲げ、抵抗する者を容赦なく殲滅する「魔王」の如き非情なイメージが強いが、この逸話は、そうしたパブリックイメージを鮮やかに覆し、彼の内なる「仁君」としての一面を浮かび上がらせる。信雄の逸話が、父・信長のこの有名な物語のバリエーション、あるいは記憶の混同や転移によって生まれた可能性は非常に高いと言えるだろう。「織田家の殿様が、農民に優しさを見せた」という物語の骨子が記憶される中で、その主語が父から子へと、いつしか入れ替わってしまったのではないか。

第二章:戦国武将と民衆の物語 ― 「仁君」の類型(トポス)

さらに視野を広げると、こうした「為政者と民衆の心温まる交流」を描く物語は、織田信長に限らず、他の多くの戦国武将にも見られる、一種の物語の「類型(トポス)」であることがわかる。人々が理想の君主像として思い描く資質を、特定の武将の逸話として結晶させたものである。

例えば、豊臣秀吉が城の普請を監督していた際、人足たちの働きが鈍いことに気づいた。しかし秀吉は彼らをただ叱咤するのではなく、その労苦を理解し、「まあ、一杯飲んでからやれ」と酒を振る舞った。すると人足たちは秀吉の心遣いに感激し、奮起して見事に仕事をやり遂げたという逸話が残っている 7 。ここでも「酒」が、為政者と民とを繋ぐ重要な小道具として機能している点は興味深い。

また、徳川家康の祖父である松平清康は、ある日、家臣たちとの食事の席で、自分が使っていた汁椀を差し出し、「これで酒を飲め」と促した。主君専用の食器を使うことなど畏れ多いと家臣たちが恐縮すると、清康は「わしの使った椀で飲むのが嫌か」と冗談めかして言い、身分の隔てなく接する姿勢を示したという 14

これらの逸話は、それぞれの武将の実際の性格や行動を正確に反映しているというよりは、後世の人々が「理想の君主とはかくあるべし」と願った姿を投影した物語群と考えるべきである。すなわち、民の苦労を理解し、時には共に酒を酌み交わし、家臣と気さくに語らう人間的な魅力を持つリーダー像。信雄の逸話もまた、この大きな物語の類型の中に位置づけられる。

この分析から導き出されるのは、信雄の逸話が単独で発生したのではなく、「父・信長の逸話の転移」と、「戦国時代の仁君物語の類型」という二つの流れが合流して形成された可能性である。それは、信雄という人物の史実を語るものではなく、「信雄を仁君として語り直したい」という後世の何らかの願望や意図が、既存の物語の構造と形式を借用して生み出した「歴史的創作物」である可能性を強く示唆している。このことは、歴史上の人物評価が、史実の積み重ねだけでなく、人々の心に響く「物語」の力によっても形成されていくという、歴史叙述の本質的な側面を浮き彫りにする。

第三部:虚実の人物像 ― 逸話は信雄を語りうるか

逸話が後世の創作である可能性が高いとすれば、我々の探求はさらに核心的な問いへと向かう。「なぜ、信雄に、そのような『仁君』の物語が必要とされたのか」。物語は、その主人公が持つ人物像の「隙間」や「矛盾」を埋めるようにして生まれることがある。信雄の複雑な生涯と、彼に向けられた毀誉褒貶の入り混じった評価を丹念に読み解くことで、この人情譚が生まれ、受け入れられるに至った歴史的背景が見えてくる。

第一章:為政者・信雄の実像 ― 冷徹さと軽率さの狭間で

逸話が示す温厚な君主像とは裏腹に、史実の信雄は目的のためには非情な手段も厭わない冷徹な一面を持っていた。その象徴的な事件が、伊勢の名門・北畠家の家督を継いだ後に行った一族の粛清、いわゆる「三瀬の変」である 2 。彼は父・信長の意向を受け、養父であった剣豪・北畠具教をはじめ、その息子たちや一族郎党を次々と謀殺し、伊勢国を完全に織田家の支配下に置いた 2 。この行動は、戦国の世の常とはいえ、農民と酒を酌み交わすような情愛深い人物像とは相容れない。

一方で、信雄を単なる「痴愚」と断じることもまた、一面的に過ぎるだろう。本能寺の変後、織田家の後継者として巨大化する羽柴秀吉に対抗すべく、徳川家康と結んで起こした小牧・長久手の戦いでは、秀吉の大軍を相手に長期間にわたって戦線を維持し、軍事的には決して一方的な敗北を喫したわけではなかった 18 。また、秀吉への対応のまずさから一時は改易され大名の地位を失うものの、その後巧みに時勢を読み、最終的には徳川の世で大名として復活。その子孫は幕末まで丹波柏原藩主として家名を存続させることに成功した 20

この「愚将」や「不覚人」と揶揄されるほどの軽率な行動と、結果的に織田信長の血筋を大名家として後世に残した稀有な政治的生存能力 22 。この大きな振れ幅と矛盾こそが、織田信雄という人物の本質であり、後世の人々が彼の生涯を解釈する上で、多様な物語が入り込む余地を生んだと言える。彼の生涯には、単純な英雄譚や愚将伝では割り切れない「空白」があり、その空白を埋めるために、この「農民との酒宴」のような補完的な物語が求められたのではないだろうか。

第二章:口承と伝承の世界 ― 藩祖顕彰の物語

主要な文献史料に逸話が見られない場合、我々が目を向けるべきは、文字にはならずとも人々の間で語り継がれる「口承文学」の世界である 23 。物語は、特定の集団内で語り手と聞き手のニーズに応じて形を変えながら伝承されていく特性を持つ 24

この観点から極めて重要なのが、信雄の子孫が江戸時代を通じて丹波柏原藩(現在の兵庫県丹波市)の藩主として存続したという事実である 21 。藩という閉じた共同体の中では、藩祖の偉業を称え、その治世を正当化するための物語が創出されやすい。藩の領民や家臣たちの間で、「我々の藩の始祖である信雄公は、実は領民を深く慈しむ名君であった」という物語が、一種の「建国神話」として語り継がれた可能性は十分に考えられる。

このような物語は、藩の権威を高め、領民の間に藩主への敬愛と一体感を育む上で重要な役割を果たしたであろう。信雄の生涯における非情な決断や政治的失策といった負の側面は語られなくなり、代わりに、民を思う心優しい君主としての一面が強調される。この「農民との酒宴」の逸話は、まさにそうしたローカルな歴史意識の中で生まれ、育まれた物語の典型例である可能性がある。それは、歴史の「正史」には記録されずとも、地域の人々の心の中では生き続けた、もう一つの「歴史」の姿なのである。

この逸話が担っていたのは、信雄の複雑で矛盾に満ちた人物像を、より肯定的で一貫性のあるものとして理解可能にする「補完機能」であったと考えられる。北畠氏の粛清や家康への裏切りといった行動は、藩祖の物語としては語りにくい。しかし、その根底に「民を愛する心」があったとすれば、それらの非情な行動も「天下泰平のため、やむを得ず行った」ものとして再解釈が可能になる。この逸話は、信雄という人物そのものよりも、彼を記憶し、語り継ごうとした後世の人々――特に彼が礎を築いた藩に生きた人々の価値観や願望を、色濃く反映している。それは、歴史上の人物がいかに後世の政治的・社会的要請によって「再編集」されていくかを示す、貴重なケーススタディと言えるだろう。

第四部:歴史的想像力による再構築 ― あの日、城下で何が語られたか

【注意】

これまでの考証で明らかになった通り、織田信雄が農民と酒を酌み交わしたという逸話は、史実である可能性が極めて低い。したがって、本章で描かれる情景は、歴史的事実の報告ではなく、これまでの分析を踏まえ、利用者様の「リアルタイムな会話内容」「時系列でわかる形」というご要望に応えるために、歴史的想像力を用いて再構築した創作的再現である。これは、もしそのような出来事があったとすれば、それはどのような状況で、いかなる言葉が交わされたであろうか、という一つの可能性の提示である。

第一章:舞台設定 ― 小牧・長久手後の清洲城下

時期:天正十二年(1584年)、晩秋。

長く続いた羽柴秀吉との対陣、小牧・長久手の戦いが、信雄の単独講和という形で一応の終結を見てから、いくばくかの時が流れた頃。尾張と北伊勢の支配者としての地位を一時的にではあれ確立した信雄の居城、清洲の城下には、束の間の平穏が訪れていた。戦の緊張は和らぎ、人々の顔にもわずかな安堵の色が見える。しかし、巨大な存在である秀吉との関係が今後どうなるのか、その不安の影は、人々の心の底に澱のように沈んでいた。

場所:清洲城の城下町。

織田弾正忠家の本拠地として栄えたこの町は、活気に満ちている。城へと続く大手道には、諸国から集まった商人たちの威勢の良い声が響き、鍛冶屋の槌音、職人たちの工房から漏れる様々な音が混じり合う。道の脇では、近郊の村々から穫れたばかりの野菜や米俵を運んできた農民たちが、荷を降ろして一息ついている。土の匂いと、人々の汗の匂い、そして生活の匂いが立ち込める、そんな情景である。

第二章:邂逅の情景 ― 殿様の微行

その日の夕暮れ時、織田信雄は、わずか数名の供だけを連れ、華美な装束を排した普段着に近い姿で、城下の様子を見分していた。父・信長もまた、しばしばこうして領内の実情を自らの目で確かめたという。それが単なる気まぐれであったのか、あるいは父の模倣か、それとも秀吉との対峙を経て、為政者としての自覚が芽生え始めていたのか。その心中は、供の者にも窺い知ることはできない。

信雄一行が、町の少し外れにある辻を通りかかった時であった。道の端にある古い井戸の周りで、三、四人の農民が小さな輪を作り、何やら語らっている。一日の仕事を終え、ささやかな酒盛りを始めたのであろう。粗末な土器の徳利と、欠けた椀がいくつか見える。彼らは信雄の姿にまだ気づいていない。その日の収穫についてか、あるいは年貢の重さについてか、時折笑い声も聞こえてくる。

供の一人が、彼らを追い払おうと一歩前に出た時、信雄は静かに手でそれを制した。そして、自らその農民たちの輪へと、ゆっくりと歩み寄っていく。信雄の接近に、最初に気づいたのは一番年下の男だった。彼の顔から血の気が引き、持っていた椀を取り落としそうになる。その異変に、他の者たちも次々と顔を上げた。目の前に立つ男が、この尾張の主、織田信雄であると気づいた瞬間、彼らの時間は凍りついた。驚きと、それ以上に、何か仕打ちを受けるのではないかという恐怖で、誰もが地面に頭を擦り付けんばかりに身を固くした。「まずい、殿様に見つかった」「酒など飲んでいる場合ではなかった」「頭を下げろ、とにかく下げるのだ」。声にならない声が、彼らの内で渦巻いていた。

第三章:交わされた言葉と盃 ― 一杯の酒が繋ぐもの

静寂を破ったのは、信雄の声だった。

「何を飲んでおる」

その声は、威圧的というよりは、むしろ淡々としていた。

農民たちの中で最も年長と思しき男が、震える声で、顔も上げずに答えた。

「は、はいっ。汗を流しました後の、ただの濁り酒でございます。こ、このような汚いものを、殿のお目にかけまして、まことに申し訳ございません……」

次に発せられた信雄の言葉は、彼らがまったく予期しないものであった。

「……うまそうではないか。わしにも一杯、注いでみよ」

農民たちは顔を見合わせた。殿様が、自分たちのような者が飲む酒を口にするなど、ありえないことだった。しかし、逆らうことなどできるはずもない。年長の男は、震える手で一番ましな椀を布で拭うと、なみなみと濁り酒を注ぎ、恐る恐る信雄の前に差し出した。

信雄はそれを受け取ると、ためらうことなく一気に呷った。そして、かすかに眉をひそめ、しかしどこか満足げに息をついた。

「うむ。悪くない」

彼はそう言うと、空になった椀を返し、農民たちに問いかけた。

「今年の作柄は、どうだ」

「は、はあ……日照りもなく、まずまずかと」

「秀吉との戦で、田畑は荒れなんだか」

「幸い、このあたりは……」

「年貢は……重いか」

その問いかけに、農民たちは言葉に詰まった。しかし、信雄の眼差しには、ただ真実を知ろうとする静かな光があった。年長の男が、意を決したように口を開いた。ぽつり、ぽつりと、日々の暮らしの厳しさ、戦の不安、そしてささやかな喜びが語られ始める。信雄は、時折短く相槌を打つだけで、黙ってそれに耳を傾けていた。

やがて、信雄はもう一杯だけ酒を求めると、それを飲み干し、静かに立ち上がった。

「邪魔をしたな」

その一言だけを残し、彼は供の者たちを促して、黄昏の城下町へと姿を消していった。

残された農民たちは、まるで夢でも見ていたかのように、しばらくの間、呆然とその場に座り込んでいた。やがて、誰からともなく顔を見合わせると、そこには恐怖ではなく、信じられないものを見たという驚きと、そして微かな温かい感情が浮かんでいた。この日の出来事は、彼らの間で密かに語り継がれ、いつしか「信雄公は、我ら百姓の心をお分かりになる、情け深いお方だ」という、伝説の始まりとなったのである。

終章:一つの逸話が映し出す歴史の多層性

本報告における徹底的な調査の結果、織田信雄が「城下で自ら農民と語らい、酒を酌み交わした」という人情譚は、同時代および江戸期に編纂された主要な史料・文献の中には一切見出すことができず、歴史的事実である可能性は極めて低いと結論づけられる。

しかし、史実でないからといって、この逸話が歴史研究において無価値であるわけではない。むしろ、その「不在」の理由と、物語が形成されたであろう背景を探る過程を通じて、我々はより深く、そして多層的な歴史の真実へと導かれる。

第一に、この逸話は、偉大な父・信長の影に隠れ、しばしば「愚将」の一言で片付けられがちな織田信雄という人物の、複雑な評価の現れである。彼の生涯には、冷酷な策略家としての一面と、結果的に家名を存続させた粘り強い生存者としての一面が同居しており、その矛盾した人物像の「空白」を埋めるかのように、理想化された「仁君」の物語が求められた。

第二に、この物語は、後世の人々、とりわけ彼の子孫が治めた丹波柏原藩のような共同体が、自らの藩祖をいかに記憶し、顕彰しようとしたかの証左である。藩の正統性と権威を裏付けるため、また領民の統合を図るために、藩祖は民を慈しむ理想の君主として語り直される必要があった。この逸話は、文字記録に残る「正史」とは別に、地域の人々の心の中で育まれたもう一つの歴史の姿を示している。

そして最後に、この探求は、歴史と物語の普遍的な関係性を映し出す鏡となる。人々は歴史上の人物に、単なる事実の連なりだけでなく、教訓や理想、そして共感を求め、記憶を時代時代の価値観に応じて形成していく。信雄にまつわるこの人情譚は、父・信長の有名な逸話や、秀吉、松平清康らの物語とも響き合う、日本の歴史の中に流れる「理想の君主像」という大きな物語の系譜に連なるものである。

利用者様が提示された一つの心温まる逸話。それは、織田信雄という一人の武将の真実の姿を解き明かす直接的な鍵とはならなかったかもしれない。しかし、その源流と背景を辿る旅は、歴史がいかにして語られ、記憶され、そして再創造されていくかという、より壮大で深遠な物語への扉を開く、極めて示唆に富んだ知的探求であったと言えるだろう。

引用文献

  1. 【どうする家康】織田信雄はバカ息子ではない!創業家出身「副会長」の巧みな処世術とは? https://diamond.jp/articles/-/328175?page=2
  2. 織田信雄は何をした人?「北畠家を乗っ取ったけど織田家を乗っ取られてしまった」ハナシ|どんな人?性格がわかるエピソードや逸話・詳しい年表 https://busho.fun/person/nobukatsu-oda
  3. なぜ「織田信長の二男と三男」は後継者になれなかったのか?…信雄と信孝の争いと“その後” https://rekishikaido.php.co.jp/detail/8347
  4. 「織田信雄」ちょっと残念な信長次男坊?でも、終わり良ければすべて良し! | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/491
  5. 織田信雄 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%9B%84
  6. 歴史の目的をめぐって 織田信雄 https://rekimoku.xsrv.jp/2-zinbutu-05-oda-nobukatsu.html
  7. 第18回名将に学ぶ「心を通わす」リーダーの言葉① | イノベーションズアイ BtoBビジネスメディア https://www.innovations-i.com/column/wisdom-words/18.html
  8. 戦国武将逸話集 [978-4-585-05441-2] - 勉誠社 https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=5441
  9. 信長公松永弾正を恥ぢしめ給ひし事 - itigo.jp https://iyokan.itigo.jp/jyozan/jyozan100.html
  10. 名将言行録 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%B0%86%E8%A8%80%E8%A1%8C%E9%8C%B2
  11. 常山紀談 - 国書データベース - 国文学研究資料館 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100089466
  12. 常山紀談 - Next Digital Library https://lab.ndl.go.jp/dl/book/778090?keyword=%E5%B8%B8%E5%B1%B1%E7%B4%80%E8%AB%87
  13. 織田信長は何をした人?「天下布武を宣言し鉄砲などの革新性で天下統一に挑んだ」ハナシ|どんな人?性格がわかるエピソードや逸話・詳しい年表 https://busho.fun/person/nobunaga-oda
  14. 絆を育む「首の血の酒」…戦国時代、三河武士を心服せしめた松平清康のエピソード - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/142192
  15. 織田信長の伊勢侵攻と支配… 伊勢を呑み込んだ非情な養子戦略の全貌 | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/2894
  16. 織田信雄~不肖の息子と呼ばれながらも、戦国を生き抜いた男 | WEB歴史街道 https://rekishikaido.php.co.jp/detail/5059
  17. 【戦国武将に学ぶ】織田信雄~「国持ち」から転落も、近世大名として生き残った数奇な人生 https://otonanswer.jp/post/81113/
  18. 徳川家康の「小牧・長久手の戦い」|織田信雄・家康の連合軍と秀吉が対決した合戦を解説【日本史事件録】 | サライ.jp https://serai.jp/hobby/1130498
  19. 信長の息子『織田信雄』を再評価したい【 #武士ラジオ ep.34】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=gwQNrZYCeE8
  20. 【感想】NHK 歴史探偵「本当はスゴい!織田信雄」を視聴しました|hayahi_taro - note https://note.com/hayahi_taro/n/na1e15c2021ae
  21. 織田信雄(おだ のぶかつ) 拙者の履歴書 Vol.356~父祖の栄光と挫折を超えて - note https://note.com/digitaljokers/n/n916c190a6b4f
  22. 丹波柏原藩 織田まつりとうまいもんフェスタ | イベント https://www.burari-tambaji.com/event/54
  23. 『桃太郎』も『ねずみの嫁入り』も! 口伝えに広がる文学の世界 | 夢ナビ講義 https://yumenavi.info/vue/lecture.html?gnkcd=g008369
  24. 都市伝説は時代を映す。ネットの中で変容する、現代の民話術|世界を読む技術 #6 - 國學院大學 https://www.kokugakuin.ac.jp/article/490832