最終更新日 2025-11-01

豊臣秀吉
 ~味噌汁で村の豊凶見抜く観察譚~

豊臣秀吉が味噌汁の味から村の豊凶を見抜いた逸話は、彼の統治哲学と民への深い共感を象徴。太閤検地の限界を補完する人間的洞察力を示す。

一椀の味噌汁に天下を見る:豊臣秀吉「豊凶観察譚」の徹底的歴史分析

序章:逸話の提示と本報告の射程

戦国時代の終焉を告げ、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。彼の人物像を語る逸話は数多いが、中でもひときゆわ異彩を放ち、その統治者としての本質を垣間見せるとされるのが、「味噌汁の逸話」である。

物語の筋立ては、簡潔にして示唆に富む。ある時、秀吉は供の者数名だけを連れ、身分を隠して農村の視察に赴いた。いわゆる「微行(びこう)」である。とある一軒の寂れた農家へ立ち寄り、一杯の湯茶を請うたところ、家の老婆は恐縮しながらも、囲炉裏の鍋から一椀の味噌汁を差し出した。秀吉はそれを一口すするや、しばし目を閉じ、静かに呟く。「塩が、勝ちすぎている」。そして、その塩加減、出汁の有無、具材の乏しさから、この村が検地帳に記された石高とは裏腹に、深刻な不作と疲弊に喘いでいることを見抜いた。秀吉は老婆に礼を言い、僅かな銭を置いて立ち去ると、直ちに供の者へ「この村の年貢を改めさせよ」と命じたという。

この逸話は、秀吉を単なる武力による覇者ではなく、民の暮らしの細部にまで心を配る「名君」として描き出す。しかし、この物語は果たして史実なのであろうか。それとも、後世の人々が理想の為政者像を託して創り上げた、巧みなフィクションなのであろうか。

本報告は、この問いを調査の出発点とする。だが、その目的は単なる逸話の真偽判定に留まらない。我々は、この物語がなぜ生まれ、何を象徴し、そして戦国から安土桃山という時代の社会経済的実像をいかに我々に教えてくれるのかを、多角的に解明することを目指す。一椀の味噌汁というミクロの事象を通して、太閤検地というマクロの国家政策、当時の農村経済の実態、そして豊臣秀吉という人物の統治哲学そのものを浮かび上がらせること。それが本報告の射程である。

第一章:逸話の情景 ― ある日の微行、その時系列的再構築

この逸話が持つ臨場感と教訓を深く理解するため、まずは歴史的蓋然性を考慮しつつ、その情景を時系列に沿って再構築する。これは創作ではない。残された史料の断片から、当時の状況を最もあり得る形で再現する試みである。

舞台設定

逸話の背景として最も説得力を持つのは、秀吉が天下をほぼ手中に収め、全国で太閤検地が強力に推進されていた天正年間後半、すなわち1580年代末から1590年代初頭にかけてであろう 1 。この時期、秀吉は国内の経済基盤を完全に掌握することに心血を注いでおり、自らその実態を確かめようとしたとしても不思議はない。場所は、大坂や京にほど近い畿内の直轄領内、検地が完了して間もない農村と想定するのが自然である。公式の報告と現場の実態との間に乖離がないか、自身の目で確かめるという動機が生まれるからだ。

秀吉は、黄金の茶室に象徴されるような絢爛豪華な姿ではなく、供の者も数名に絞り、目立たぬように身なりを整えていたはずである 2 。為政者が民のありのままの姿を知るためには、自らの権威を隠す「微行」が不可欠であった。

登場人物と会話の再現

一、農家への到着

乾いた土埃が舞う道を歩き続けた秀吉一行は、やがて道端に佇む一軒の小さな農家を見つける。屋根は古び、壁には所々ひびが入っている。秀吉は供の者に目配せし、自ら戸口に近づき、乾いた戸を叩いた。

秀吉:「御免。旅の者じゃが、長旅で喉が渇いてのう。一杯の白湯か、もしあれば茶を恵んではくれぬか」

その声は、天下人のものではなく、一介の旅人のそれであった。

二、老婆の応対と一椀の施し

しばらくして、内から戸が軋みながら開かれ、腰の曲がった老婆が訝しげな顔を覗かせた。見慣れぬ男たちの姿に一瞬警戒の色を見せるも、秀吉の疲れた旅人を装う様に、やがて警戒を解いた。

老婆:「おお、旅のお方様で。さぞお疲れでございましょう。どうぞ、こんな汚いところでよろしければお上がりくだされ」

招き入れられた家の土間は薄暗く、農具が壁に立てかけられている。囲炉裏にはか細い煙が立ち上っているが、活気は感じられない。質素を通り越した、貧しい暮らしぶりがそこにはあった。

老婆:「申し訳ないことに、茶はとっくに切らしておりまして…。本当に粗末なものですが、これしかお出しできるものがございません」

そう言うと、老婆は囲炉裏にかけられた黒い鍋の蓋を取り、木の杓子で濁った汁を欠けた椀によそい、震える手で秀吉に差し出した。それは、昼餉の残りの味噌汁であった。もてなしたいという気持ちと、このような貧しい食事を出すことへの羞恥とが、その表情に入り混じっていた。

三、観察と核心の対話

秀吉は黙ってその椀を受け取ると、飲む前にまず、その中を静かに見つめた。具らしい具は見当たらない。大根の葉と思われる青みが、申し訳程度に数片浮いているだけである。彼は静かに椀を口元へ運び、一口、その汁をすすった。そして、ゆっくりと目を閉じ、しばしその味を舌の上で確かめるかのように黙考した。やがて、彼は静かに呟いた。

秀吉:「…塩が、勝ちすぎているのう」

それは、非難する響きではなく、事実を確認するような、独り言に近い響きであった。老婆は、その言葉にびくりと肩を震わせた。秀吉は老婆に穏やかな目を向け、問いかけた。

秀吉:「この村は、近頃、検地の役人が入ったと聞くが、暮らし向きに変わりはあったか」

その問いは、老婆の心の堰を切った。

老婆:「へえ、お役人様方がお見えになり、田畑を隅々まで測っておられました。石盛(こくもり)がどうとか、難しいことを仰せでしたが…。ですが旦那様、ここのところ日照りが続き、思うように作物が育ちませぬ。それなのに、決められたお年貢を納めるのがやっとで、自分たちが口にするものも…」

言葉の端々から、検地によって定められた年貢高と、天候不順による現実の収穫量との間に生まれた、埋めがたい溝の存在が滲み出ていた。

四、結末

秀吉はそれ以上何も問わず、ただ黙って老婆の話に頷いていた。やがて彼は立ち上がると、懐から数枚の銭を取り出し、礼とともに土間に置いた。そして、何も言わずに供の者たちと連れ立って農家を後にした。

村外れまで来たところで、秀吉は振り返り、付き従っていた腹心の者に低い声で命じた。

秀吉:「ただちに奉行へ伝えよ。この村の年貢、見直させよ。帳面の上だけでは、民の本当の苦しみは見えぬものよ」

この一連の出来事は、単なる美談ではない。それは、太閤検地という壮大なトップダウンの政策が現場で引き起こしうる矛盾を、為政者自身が認識し、修正しようとする姿を描いている。公式なデータと、民衆の生活実感との間に横たわるギャップ。この統治における根源的な課題を、秀吉は一椀の味噌汁から見抜いたのである。

第二章:逸話の源流と史実性の検証

前章で再現した物語は、非常にドラマチックで教訓に満ちている。しかし、歴史研究の立場からは、その物語がいつ、どのようにして成立したのかを冷静に検証する必要がある。

典拠の不在という事実

まず結論から述べれば、この「味噌汁の逸話」を直接的に記述した、信頼に足る同時代の一次史料は、現在のところ確認されていない。例えば、織田信長の一代記でありながら秀吉の青年期にも触れる『信長公記』や、秀吉の生涯を描いた伝記の代表格である小瀬甫庵の『太閤記』 3 、あるいは江戸時代に成立した様々な武将の逸話集、例えば『武将感状記』 4 や『名将言行録』 6 といった書物の中にも、この物語の原型らしきものさえ見出すことは困難である。

この事実は、この逸話が秀吉の存命中に起きた出来事、あるいはそれに近い時代に語られていた話である可能性が極めて低いことを強く示唆している。

構造的に類似する逸話群

では、この物語は完全な創作なのか。ここで注目すべきは、戦国から江戸時代にかけて成立した他の武将の逸話との構造的な類似性である。

  • 石田三成の「三献茶」: 鷹狩りの帰りに喉の渇きを訴えた秀吉に対し、寺の小姓だった佐吉(後の石田三成)が、最初はぬるめで量の多い茶を、二杯目はやや熱く量を減らした茶を、そして三杯目には熱く少量の茶を差し出した。その細やかな気配りを秀吉が見抜いて彼を登用したというこの逸話は、『武将感状記』が出典である 7 。後世の創作との説が有力だが、「日常的な飲食物」を通して相手の「気遣いや能力」を見抜くという点で、「味噌汁の逸話」と物語の構造が酷似している。
  • 徳川家康の「麦飯」: 天下人となった後も贅沢を戒め、白米ではなく栄養価の高い麦飯を好んで食べたという徳川家康の逸話は数多く残されている 9 。これは、家康の「質実剛健」で「民の暮らしを忘れない」という為政者イメージを構築する上で大きな役割を果たした。
  • 北条氏政の「汁かけ飯」: 食事の際、ご飯に汁をかけるのに一度で適量がわからず、二度目をかけた息子・氏政の姿を見た父・氏康が、「毎日食べる飯の汁の量さえ一度で計れぬ者に、どうして一国や家臣のことまで推し量れようか」と嘆いたという逸話がある 11 。これは、「味噌汁の逸話」とは逆に、日常の些事から為政者としての器量の欠如を断じる物語であり、食事が人物評価の重要なモチーフとして機能していたことを示している。

逸話の成立背景

これらの類似逸話の存在は、江戸時代、特に社会が安定し、為政者の武勇伝よりも「徳治」を称揚する風潮が強まった中期以降に、「日常の食事」を題材として武将の性格や器量、統治哲学を語るという物語の類型(パターン)が確立していたことを示している。

この文脈に照らし合わせると、「味噌汁の逸話」は、以下の二つの歴史的事実を巧みに結びつけて創られた「政治的寓話」である可能性が極めて高い。

  1. 百姓出身という出自: 秀吉が尾張の貧しい農民の子であったことは、彼のアイデンティティの根幹をなす事実である 12
  2. 太閤検地という大事業: 天下統一の総仕上げとして、全国の土地の生産力を測り、近世的な租税システムの基礎を築いた画期的な政策である 14

この二つを結びつけ、「農民の暮らしを肌感覚で理解できる為政者が、自ら行った大政策の現場を視察し、その矛盾を温情をもって是正する」という物語を構築することで、理想化された秀吉像、すなわち「民の心を忘れない賢君」としての姿が創り上げられたのである。

この逸話は、史実そのものではなく、一種の「記憶の装置」として機能したと考えられる。太閤検地や刀狩といった政策は、農民を土地に縛り付け、年貢を厳格に徴収するための、ある意味で非常に冷徹なシステムであった 1 。この逸話のような物語は、そうした政策の持つ過酷な側面を「民を思う温情」というヴェールで覆い隠し、「厳格な統治者」と「慈悲深い民の父」という、時に矛盾する二つのイメージを後世の人々の心の中で統合・調和させる役割を果たしたのである。

第三章:一椀の解析 ― 味噌汁が語る村の経済

この逸話が、仮に史実であったとすれば、秀吉は一椀の味噌汁から具体的に何を、どのように読み取ったのだろうか。当時の食文化と農村経済の観点から、その一椀を徹底的に分析する。それは、単なる味覚の問題ではなく、村の経済活動全体を映し出す鏡であった。

味噌汁の構成要素が示す経済指標

戦国時代の農民の食事は、基本的に自給自足が原則であった 17 。それゆえ、食卓に上るものは、その土地の生産力と経済状況を直接的に反映していた。

① 味噌(大豆と塩のバランス)

味噌の主原料は、大豆と塩である。

  • 豊かな村の味噌: 収穫された大豆をふんだんに使い、発酵が適切に進んだ、風味豊かな味噌が作られる。塩分も保存に必要な最低限に抑えられ、塩辛さよりも大豆の旨味が前に出る。
  • 疲弊した村の味噌: 凶作で大豆が貴重なため、使用量が少なく、味噌自体が水っぽい。あるいは、わずかな味噌を長持ちさせるため、あるいは腐敗を防ぐために塩を過剰に投入する。その結果、旨味に乏しく、ただ塩辛いだけの汁になる。特に、信州のような内陸部では塩は大変な貴重品であり 12 、その使い方は村の経済的余裕を如実に示す指標となった。

② 出汁(旨味の源泉)

現代の味噌汁に不可欠な出汁は、戦国時代においては贅沢品であった。

  • 豊かな村の出汁: 昆布や煮干し、干し椎茸などで出汁を取ることができたかもしれない。昆布は蝦夷地(北海道)からもたらされる高級品であり 18 、煮干しや鰹節も商品として流通していた 19 。これらを入手するには、農作物を市場で売って得た現金収入が必要であり、出汁の有無は、その村が交易網にアクセスできているか、そして余剰生産力があるかを示す決定的な証拠となる。
  • 疲弊した村の出汁: 出汁という概念そのものが存在しない。文字通り、お湯に味噌を溶いただけの「味噌湯」である。グルタミン酸やイノシン酸といった旨味成分が決定的に不足しており、味の深みに欠ける。

③ 具材(かてもの)

味噌汁の具は、村の畑の豊かさを物語る。

  • 豊かな村の具材: 畑で採れた大根、ごぼう、里芋といった根菜類や、季節の葉物野菜が複数入っている 20 。もし、豆腐や油揚げといった大豆の加工品が入っていれば、それは大豆を加工するだけの労働力と技術、そして燃料の余裕があることを意味し、相当な豊かさの証と言える。
  • 疲弊した村の具材: 具がほとんどないか、あっても大根の葉や、本来は家畜の飼料や縄の材料にもなる芋がら(里芋の茎を干したもの)といった、主たる食材ではない部分がわずかに入る程度である 20 。時には、主食である稗や粟などの雑穀を少量加えて量を増やす「かて飯」のような役割を担っていた可能性もある 24

総合分析:一椀に凝縮された村落経済

秀吉が味わった一椀は、これら複数の要素から構成される、生きた経済レポートであった。以下の表は、彼が五感を通じて瞬時に読み取ったであろう情報をまとめたものである。

味噌汁の要素

豊かな村(豊作)の想定

疲弊した村(凶作)の想定

秀吉が読み取る情報

味噌

大豆の風味が豊か、塩分が適正

塩辛い、または水っぽい

基礎的な食料(大豆)の生産量、保存技術の余裕

出汁

煮干しや昆布の旨味がある

旨味がなく、水と味噌の味のみ

現金収入の有無、交易網へのアクセス

具材

根菜、豆腐、季節の野菜が豊富

大根の葉、芋がらなど少量、または皆無

副菜を育てる畑の余力、食生活の多様性

その他

油揚げなど加工品、適度な濃度

雑穀で増量されている、極端に薄い

村全体の余剰生産力、食糧の逼迫度

このように、一椀の味噌汁は単なる食事ではない。それは、その村の「農業生産力(大豆、野菜)」「交易能力(塩、出汁)」「加工技術(味噌、豆腐)」という、経済活動の三つの柱を総合的に示す、極めて精度の高い指標であった。秀吉は、その味覚、嗅覚、視覚を通じてこれらの情報を瞬時に統合し、村の経済システム全体の健全性を診断した。これは、現代の経済学者がGDPやエンゲル係数といった統計データから経済状況を分析する行為に匹敵する、「感覚によるマクロ経済分析」と呼ぶべき、驚くべき洞察力の発露であったと言える。

第四章:観察者の視座 ― 百姓出身の天下人、その統治哲学

逸話の核心は、味噌汁という「観察対象」だけにあるのではない。それを観察した豊臣秀吉という「観察者」の側にこそ、より深い意味が隠されている。なぜ、他の多くの武将ではなく、秀吉の逸話としてこの物語は語り継がれたのか。それは、彼の出自と、彼が築き上げた統治システムとが分かちがたく結びついているからである。

身体に刻まれた記憶

秀吉は、尾張中村の貧しい百姓の子として生を受け、幼少期には麦飯すら満足に食べられないほどの困窮を経験したと伝えられている 12 。彼にとって、豊かな味噌汁と貧しい味噌汁の味の違いは、書物で得た知識や、人から伝え聞いた情報ではなかった。それは、飢えや満足感といった、自身の経験と直結する「身体に刻まれた記憶」そのものであった。

天下人となった後も、故郷の尾張大根やごぼうをことのほか愛し、献上させたという逸話や 21 、生涯を通じて質素な麦飯を好んだという記録は 20 、彼のアイデンティティの根幹が、百姓の食生活と深く結びついていたことを物語っている。この原体験こそが、他の多くの武士階級出身の大名には持ち得なかった、農民の生活実感に対する深い共感と、直感的な理解の源泉となったのである。彼は、塩辛い味噌汁の向こうに、日照りに苦しむ農民の顔を、そして年貢の取り立てに怯える家族の姿を、ありありと見ることができたのだ。

太閤検地との思想的補完関係

この逸話は、秀吉の最大の政治的功業である太閤検地と対置することで、その真価が明らかになる。太閤検地とは、全国の田畑の面積と等級を統一された基準(京枡や検地尺)で測量し、その土地の潜在的な生産力を「石高」という客観的な数値に置き換える、極めて合理的で近代的なシステムであった 14 。これにより、荘園制以来の複雑な土地所有関係は整理され、近世的な租税国家の礎が築かれた。

しかし、このシステムには構造的な限界があった。石高はあくまで「見込み収穫量」であり、その年の天候不順や災害といったリスクは、すべて耕作者である農民が負うことになっていた 1 。したがって、検地帳に記された公式の「定量的データ」と、農民が実際に手にする収穫、そして彼らの生活実感との間には、常に乖離が生じる危険性をはらんでいた。

「味噌汁の逸話」は、まさにこの太閤検地の思想的補完として機能する。秀吉は、自身が作り上げた壮大なデータシステムの限界を誰よりも理解していた。そして、帳面上の数字だけでは決して捉えることのできない、民の生活の質、満足度、あるいは疲弊度といった「定性的データ」を、味噌汁の味という最も卑近な事象から読み取ることの重要性を示したのである。彼の統治は、冷徹なデータ主義と、人間的な情の理解という、両輪によって駆動していた。この逸話は、その統治哲学を象徴的に描き出している。

人心掌握術としての食

秀吉が、食を人心掌握の道具として巧みに利用したことは、他の逸話からも窺える。例えば、兵糧が尽きかけた足軽たちに白米と生味噌をふんだんに与え、彼らの士気を極限まで高めて勝利に導いたという話は、人の心を動かすにはまず胃袋を掴むことが肝要であるという、彼の現実的な洞察力を示している 28

「味噌汁の逸話」もまた、領民に対する高度な政治的パフォーマンスと解釈することができる。「我は汝らの暮らしを、一椀の汁の味から理解できるほど、深く見通しているぞ」という無言のメッセージは、年貢の増減という直接的な実利以上に、領民に「為政者に見守られている」という絶大な安心感を与えたであろう。一揆などの武力蜂起を防ぎ、安定した統治を実現する上で、このような心理的な掌握は極めて重要であった 16

秀吉の統治者としての真骨頂は、一軒の農家の味噌汁という「ミクロの目」と、太閤検地という国家規模の「マクロの目」とを、自在に往復し、統合する能力にあった。多くの為政者が奉行からの報告書というフィルターを通してしか領地を見ないのに対し、秀吉は自らの五感で現場の空気に触れ、数字の裏にある生きた現実を掴み取ろうとした。この逸話は、秀吉独自の統治スタイル、すなわち「ボトムアップの共感力」と「トップダウンのシステム構築力」の類稀なる融合を、最も鮮やかに描き出したメタファーなのである。

結論:逸話が象徴するもの ― 実像と虚像の交差点にて

本報告を通じて多角的に検証してきた通り、豊臣秀吉が領民の家で出された味噌汁の味から村の豊凶を見抜いたという逸話は、特定の史料によって裏付けられた歴史的事実である可能性は極めて低い。それは、秀吉の死後、特に社会が安定した江戸時代において、理想化された為政者像を背景に創り上げられた「政治的寓話」と見なすのが最も妥当な結論である。

しかし、史実ではないという一点をもって、この逸話の歴史的価値を断じてはならない。むしろ、この簡潔な物語は、史実の記録以上に雄弁に、時代の本質を我々に語りかけてくれる。この一椀の味噌汁の中には、幾重にもわたる歴史的文脈が凝縮されているのである。

第一に、それは戦国末期から安土桃山時代にかけての、農村のリアルな食生活と経済状況を映し出す。味噌の塩加減、出汁の有無、具材の貧富は、村の生産力、交易能力、そして生活の余裕を測る生きた指標であった。

第二に、それは太閤検地という、為政者によるトップダウンの合理的な経済政策が内包する限界と、それに対する為政者自身の自己批評的な視座を示唆している。データによる統治の重要性と、それだけでは掬いきれない民衆の生活実感との間の緊張関係は、現代にも通じる普遍的な課題である。

第三に、それは百姓から天下人へと駆け上がった豊臣秀吉という人物の本質を象徴している。彼の原体験に根差した農民への共感と、天下を差配する統治者としての冷徹な視点。この二つの側面を併せ持っていたからこそ、彼は時代を動かすことができた。

そして最後に、この逸話は、後世の人々が豊臣秀吉という英雄に何を求めたか、すなわち「理想の為政者像」を投影している。武力だけでなく、深い洞察力と温情をもって民を導く賢君であってほしいという願いが、この物語を形作ったのである。

結論として、「味噌汁の逸話」は、史実(Fact)と物語(Fiction)とが交差する一点に存在する。それは、一人の英雄の歴史的実像と、人々が彼に託した伝説的虚像とが溶け合った、極めて人間的な文化の産物と言える。我々はこの一椀の味噌汁を通して、戦国という時代の息遣いと、豊臣秀吉という稀代の人物が持つ複雑な多面性を、より深く、そして豊かに理解することができるのである。

引用文献

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  2. 『豊臣秀吉の中国大返しの真実・牛窓からの船利用』上道郡誌・西大寺町誌説の紹介(岡山市東区) https://note.com/calm_aster1695/n/n504286550c3c
  3. お城EXPO 2021 徹底ガイド⑥ テーマ展示「伝承する歴史―豊臣秀吉を中心に―」 - 城びと https://shirobito.jp/article/1479
  4. 『武将感状記』に書かれた、石田三成の「三献茶」の逸話 - 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) https://koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2020/02/09/012458
  5. 武将感状記 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B0%86%E6%84%9F%E7%8A%B6%E8%A8%98
  6. 豊臣秀吉の名言・逸話30選 - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/391
  7. 鷹狩りの途中で立ち寄って茶を所望したところ、三成の心配りから才気を見抜いたというのである。 もっともその当時、「観音寺の周辺が政所茶の大産地であった事や、また後に秀吉が生涯 https://www.seiseido.com/goannai/sankencha.html
  8. About: 武将感状記 https://ja.dbpedia.org/page/%E6%AD%A6%E5%B0%86%E6%84%9F%E7%8A%B6%E8%A8%98
  9. 徳川家康ってこんな人〜人生グラフと食生活〜 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=KsoaQjwEs-M
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  11. 戦国武将と味噌汁の話 - note https://note.com/koikaz/m/m8ed9685ab80d
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  15. 豊臣秀吉による「太閤検地」の歴史的意義は?荘園制度の解体から身分制度の確立まで【前編】 https://mag.japaaan.com/archives/198229
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  18. 侍と昆布 - 食いしん坊侍 https://www.kuisinbosamurai.com/bimikiko/konbu.html
  19. だしのはなし~さまざまなだしとだしのうまみ~ | 宝酒造 業務用調味料 https://chomiryo.takarashuzo.co.jp/knowledge/detail/113/
  20. 豊臣秀吉 1598年(慶長3)8月18日 62才没 https://2dai-chu.koto.ed.jp/modules/hp_jmenu/attachfile/file5bf3913e087df.pdf
  21. 戦国武将と食~豊臣秀吉/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/90452/
  22. 昔のインスタント味噌汁は縄だった(デジタルリマスター) - デイリーポータルZ https://dailyportalz.jp/kiji/old-instant-miso-soup-is-rope
  23. 戦いを支えた携行食 | お弁当コラム | 弁当ライブラリー | Plenus 米食文化研究所 - プレナス https://www.plenus.co.jp/kome-academy/bento_library/column/index.html
  24. 陣中食 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A3%E4%B8%AD%E9%A3%9F
  25. 戦国期の飯事情(主食・ご飯) - 戦国徒然(麒麟屋絢丸) - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054890230802/episodes/1177354055112187115
  26. 豊臣秀吉が行った政策とは?太閤検地や刀狩を理解しよう! | 学びの日本史 https://kamitu.jp/2023/08/31/hideyoshi-toyotomi/
  27. 秀吉株式会社の研究(1)太閤検地で基準を統一|Biz Clip(ビズクリップ) https://business.ntt-west.co.jp/bizclip/articles/bcl00007-052.html
  28. 秀吉の走りめし大作戦 | 日本食べ物語 | 健康道場 | SUNSTAR https://www.kenkodojo.com/column/biographies/detail5/
  29. 近世編‐農村の組織と生活 - 宿毛市 https://www.city.sukumo.kochi.jp/sisi/058401.html