最終更新日 2025-05-29

ヴァージナル

ヴァージナル

戦国日本における西洋鍵盤楽器「ヴァージナル」及び「クラヴォ」に関する調査報告

はじめに

  • 本報告書の目的と範囲の再確認
    本報告書は、日本の戦国時代(15世紀半ばから17世紀初頭)において、「ヴァージナル」と呼称される、あるいはそれに類すると考えられる鍵盤楽器が、どのように日本に伝来し、当時の社会や文化の中でどのような役割を果たしたのか、あるいは果たし得たのかを、現存する史料や研究に基づいて詳細かつ徹底的に調査し、明らかにすることを目的とする。特に、当時の史料で散見される「クラヴォ」という名称の楽器との関連性、宣教師や天正遣欧少年使節の役割、そして日本における受容の実際について深く掘り下げる。
  • 戦国時代における西洋楽器「ヴァージナル」研究の意義
    この時代の西洋楽器、特に鍵盤楽器の研究は、日本初期洋楽史の解明のみならず、東西文化交渉史の具体的な様相を明らかにする上で極めて重要である。ヴァージナル(あるいはクラヴォ)のような高度な技術の結晶である楽器の伝来は、単なる物品の移動を超え、思想、技術、芸術的感性の交流を伴うものであったと考えられる。史料の断片性や楽器そのものの現存例の乏しさから困難な研究分野ではあるが、多角的なアプローチにより、その実像に迫ることは、当時の日本の文化的ダイナミズムを理解する一助となる。

第一部 ヴァージナルとは何か:その特徴と歴史的背景

  • 第一章 ヴァージナルの構造、種類、および音楽的特徴
  • 1.1 ヴァージナルの定義と基本的な構造
    ヴァージナルは、チェンバロ族に属する撥弦鍵盤楽器の一種であり、弦が鍵盤に対して平行、またはほぼ平行に張られている小型の鍵盤楽器を指す 1 。発音機構はチェンバロと同様で、鍵を押すとジャックに取り付けられたプレクトラム(爪)が弦を弾いて音を出す仕組みである 2 。ケースの形状は長方形や多角形のものが見られる 1
    ただし、この「ヴァージナル」という名称は、特にエリザベス朝イングランドにおいては、より広義に撥弦鍵盤楽器全般を指す言葉として用いられることもあった点に留意が必要である 1 。このような定義の曖昧さは、後述する戦国時代の日本に持ち込まれた可能性のある「クラヴォ」という楽器の特定を困難にする一因ともなっている。構造的にはチェンバロの小型版と理解できるが、弦の張り方がその大きな特徴を形成している。
  • 1.2 ヴァージナルの多様な形態(イタリア式、フランドル式ミュゼラー型・スピネット型など)
    ヴァージナルには、製作された地域や時代によって多様な形態が存在した。16世紀のイタリアでは、多角形のケースを持つものが多く、「アルピコルド」とも呼ばれた 1 。これらのイタリア製ヴァージナルは、鍵盤が楽器本体から前方に突き出している点が特徴的である 1 。当時ミラノで名を馳せたヴァージナル製作家、アンニバル・ロッシ(Annibale Rossi)とその息子フェランテ・ロッシ(Ferrante Rossi)の工房では、簡素なものから、鍵盤や響板、側面に宝石をちりばめた豪華絢爛な楽器まで製作されていた 1
    一方、フランドル地方(現在のベルギー、オランダ周辺)で製作されたヴァージナルは、一般的に長方形のケースを持ち、鍵盤が本体ケースの窪んだ部分に収まっている点がイタリア式とは異なる 2 。フランドル式ヴァージナルは、鍵盤の位置によってさらに二つのタイプに分類される。弦の中央に近い部分をジャックが弾くように鍵盤が楽器の右側に配置されたものを「ミュゼラー型(Muselar)」、弦の端に近い部分を弾くように鍵盤が左側に配置されたものを「スピネット型(Spinet type virginal)」と呼ぶ 2 。ミュゼラー型は基音が強く、太く暖かい独特の音色を持ち、スピネット型はよりチェンバロに近い明るい音色が特徴とされている 2 。17世紀前半にフランドルで多くの優れたチェンバロやヴァージナルを製作したルッカース(Ruckers)一族の楽器は、ヨーロッパ各地に輸出された 2
    16世紀後半から17世紀前半にかけて、イタリア製のヴァージナルがイギリスへ多数運ばれたという事実は 1 、日本への楽器伝播の経路を考察する上で、ポルトガルやスペインといった直接的な窓口だけでなく、これらの国々を経由した間接的なルートの可能性も示唆している。また、ヴァージナルに多様な形態が存在したという事実は、「クラヴォ」という一つの言葉で記録された楽器が、実際には様々な形状や特性を持っていた可能性を考慮に入れる必要性を示している。
  • 1.3 ヴァージナルの音色と主なレパートリー
    ヴァージナルは、その構造から軽やかで繊細な響きを持つとされ、特に舞曲などの演奏に適していた 1 。イギリスでは、エリザベス朝からジェームズ1世朝にかけてヴァージナル音楽が黄金期を迎え、ウィリアム・バード(William Byrd)やジョン・ブル(John Bull)、オーランド・ギボンズ(Orlando Gibbons)といった作曲家たちが、この楽器のために優れた作品を数多く残した 1 。彼らのレパートリーには、当時の流行歌や舞曲の旋律に基づく変奏曲、パヴァーヌやガイヤルドといった舞曲、ファンタジア、プレリュードなどが含まれる 4
    ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の絵画にもしばしば描かれているように 5 、ヴァージナルは宮廷や貴族の邸宅だけでなく、裕福な市民階級の家庭においても、特に若い女性などが個人的な楽しみや教養のために演奏する楽器として愛好された 3 。音楽は、家庭教師を招いて学習する対象であると同時に、家庭内での演奏会を通じて社会的なつながりを育み、異性との交流の機会を提供する役割も果たしていた 6
    撥弦鍵盤楽器であるヴァージナルの演奏表現は、音量の変化をダイナミックにつけることが難しい反面、タッチやタイミングの精妙なコントロールによって豊かな音楽的ニュアンスを生み出すことが可能であった 4 。このような楽器の特性を当時の日本人がどの程度理解し、その音楽性にどのように反応したのか、あるいは単に珍しい「鳴り物」として異文化の象徴として受容されたのかは、その後の影響を考える上で重要な論点となる。
  • 第二章 ヨーロッパにおけるヴァージナルの隆盛とその周辺
  • 2.1 16世紀から17世紀初頭のヨーロッパにおけるヴァージナルの位置づけ
    16世紀から17世紀初頭にかけてのヨーロッパにおいて、ヴァージナルは音楽文化の中で重要な位置を占めていた。イタリアでは16世紀にチェンバロやスピネットと並んで数多く製作され、特に家庭用の小型鍵盤楽器として普及した 1 。イギリスではエリザベス朝(1558年~1603年)からジェームズ1世朝(1603年~1625年)にかけて、前述の通りヴァージナル音楽が頂点を極め、「ヴァージナル音楽の黄金時代」と称されるほどの隆盛を見せた 1
    裕福な家庭では、若い女性が教養の一つとして家庭教師からヴァージナルの演奏を習うのが一般的であり、家庭内で私的な演奏会が催されることもあった 6 。これは、音楽が単なる娯楽を超えて、社会的なコミュニケーションの手段や、洗練されたライフスタイルを象徴するものであったことを示している。また、ヴァージナルは単に楽器としての機能だけでなく、美しい絵画や象嵌細工で装飾された美術工芸品としての価値も高く評価され、ステータスシンボルとしての側面も持っていた 1
    ヴァージナルがヨーロッパでこのように社会的・文化的に重要な楽器であったという事実は、宣教師たちがこれを日本へ持ち込む動機の一つになったと考えられる。特に、日本の有力者や大名への贈答品として、その珍しさや美術的価値、そしてヨーロッパ文化の洗練性を示す象徴としての意味合いが重視された可能性が高い。戦国時代の日本への伝来時期は、まさにヴァージナルがヨーロッパで盛んに用いられていた時期と重なっている 3
  • 2.2 関連する鍵盤楽器:チェンバロ、スピネット、クラヴィコードとの比較
    ヴァージナルを理解するためには、同時代に存在した他の主要な鍵盤楽器との比較が不可欠である。これらの楽器群の名称や分類は当時必ずしも厳密ではなく、地域や時代によって呼称が異なることもあったため 1 、日本側の史料における「クラヴォ」の解釈を一層複雑にしている。
  • チェンバロ(Harpsichord / Clavicembalo / Clavecin): 一般にグランドピアノのような翼型の大型の撥弦鍵盤楽器を指す 1 。ヴァージナルやスピネットも広義にはチェンバロの一種と見なされることがある 2 。発音機構はヴァージナルと同様に、鍵の操作によってジャックに取り付けられたプレクトラムが弦を弾く 2 。複数の弦セットやストップ機構(レジスター)を備え、音色や音量を変化させることができるものが多い 2
  • スピネット(Spinet): 弦が鍵盤に対して斜めに張られた小型の撥弦鍵盤楽器 1 。ヴァージナルと同様に家庭用の楽器として普及したが、ヴァージナルよりも音域が広い場合もあった 9
  • クラヴィコード(Clavichord): 弦をタンジェントと呼ばれる小さな金属片で叩いて発音する打弦鍵盤楽器である 11 。撥弦楽器であるチェンバロやヴァージナルとは発音原理が根本的に異なる。音量は非常に小さいが、打鍵の強弱によって音の強弱やヴィブラート(ベーブング)を表現できる繊細な楽器である。形状は長方形の箱型でヴァージナルに似ているものもある 11 。16世紀のイベリア半島では、鍵盤楽器を指す言葉として「クラヴォ」が用いられる際に、クラヴィコードも念頭にあった可能性が複数の資料から示唆されている 11

以下の表は、16世紀ヨーロッパにおける主要な鍵盤楽器の特徴を比較したものである。 表1:16世紀ヨーロッパにおける主要な鍵盤楽器の比較

楽器名

発音原理

弦の方向

一般的な形状・サイズ

主な音色の特徴

16世紀の主な用途

ヴァージナル

撥弦

鍵盤と平行またはほぼ平行

小型、長方形または多角形

軽やか、繊細

家庭での演奏、舞曲、小品

チェンバロ

撥弦

鍵盤と垂直(翼形)

大型、グランドピアノ型

明るい、華やか、音量豊か

合奏、通奏低音、独奏、宮廷や教会の儀式

スピネット

撥弦

鍵盤と斜め

小型、多角形または翼形の変形

チェンバロに似るがやや小型の音

家庭での演奏、小品

クラヴィコード

打弦

鍵盤と平行または斜め(長方形)

小型、長方形

極めて繊細、音量小、強弱表現やヴィブラートが可能

個人的な練習、作曲、家庭での私的な演奏

*データソース: [1, 2, 9, 10, 11, 12]*

この表からもわかるように、「クラヴォ」という名称で日本に持ち込まれた楽器が、これらのいずれであったか、あるいはこれらを区別せずに包括的に指していたのかを特定することは容易ではない。特に、イエズス会士が日本や中国に持ち込んだ鍵盤楽器を総称して "cravo" と呼んでいたこと [13, 14]、そしてフランシスコ・ザビエルが大内義隆に贈った楽器が「おそらく単一鍵盤のクラヴィコード」であった可能性が指摘されていること [13] は、「クラヴォ」という言葉が撥弦楽器のヴァージナルやチェンバロだけでなく、打弦楽器のクラヴィコードをも指し得たことを示す重要な手がかりとなる。

第二部 戦国時代の日本への西洋鍵盤楽器の伝来

  • 第一章 南蛮貿易とキリスト教布教:西洋楽器伝来の窓口
  • 1.1 ポルトガル船の来航と鉄砲・キリスト教の伝来
    日本の戦国時代における西洋楽器の伝来は、16世紀半ばに始まるポルトガル人との接触、いわゆる南蛮貿易と、それに伴うキリスト教布教という大きな歴史的文脈の中に位置づけられる。1543年(天文12年)、ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着し、鉄砲が伝えられた出来事は、日本とヨーロッパの本格的な接触の端緒として広く知られている 15 。この鉄砲伝来は、日本の戦術や築城術に大きな変革をもたらしただけでなく、ヨーロッパの文物や技術に対する関心を高めるきっかけともなった。
    鉄砲伝来から6年後の1549年(天文18年)、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル(Francisco Xavier)が鹿児島に来航し、日本におけるキリスト教の布教活動を開始した 15 。ザビエル以降、多くの宣教師がポルトガルやスペインから来日し、九州地方を中心に布教活動を展開した。南蛮貿易は、生糸や絹織物、香辛料といった交易品だけでなく、キリスト教の布教とも密接に結びついていた。宣教師たちは、布教活動を円滑に進めるため、また布教の許可を得るために、大名などの日本の有力者との関係構築に努め、その際にヨーロッパの珍しい文物や技術を贈答品として用いることがあった 15 。西洋楽器もまた、そのような贈答品の一つとして、あるいは宣教師自身の個人的な使用や宗教儀式のために日本へ持ち込まれたと考えられる。
  • 1.2 イエズス会宣教師の役割と音楽活動
    イエズス会を中心とする宣教師たちは、布教戦略の一環として音楽を非常に重視した。ミサやその他の宗教行事において、聖歌隊による歌唱や楽器演奏は、荘厳な雰囲気を演出し、人々の心を引きつけ、キリスト教の教えを効果的に伝える手段と考えられた 12
    このため、宣教師たちは日本各地に教会や修道院を建設するとともに、司祭や修道士を養成するための教育機関であるコレジヨや、その準備段階としてのセミナリヨを設立した。これらの教育機関では、神学やラテン語、日本の言語文化などに加え、音楽教育が非常に重要な科目として位置づけられていた。例えば、1580年に安土に開設されたセミナリヨでは、毎日最低1時間は音楽を学ぶ時間が設けられていたという記録がある 18 。生徒たちは、グレゴリオ聖歌や多声の宗教音楽を歌う訓練を受けるだけでなく、オルガンやヴィオラ・ダルコ(弓で弾く弦楽器の一種)、そして「クラヴォ」と呼ばれる鍵盤楽器などの西洋楽器の演奏法も学んだ 12 。オルガンについては、日本国内で製作されるまでに普及したとの記述も見られる 12
    宣教師自身も楽器を演奏し、また日本人少年たちにその技術を伝授した。1562年(永禄5年)には、豊後国の大名である大友宗麟の前で、日本人少年がヴィオラを演奏したという記録が残っている 24 。このような宣教師による熱心な音楽教育は、日本において西洋楽器が演奏され、ある程度受容されるための基盤を形成した。特にセミナリヨは、後の天正遣欧少年使節のような、高度な音楽的技能を持つ日本人を育成する上で重要な役割を果たした。
  • 第二章 日本の史料に見る「クラヴォ」:鍵盤楽器の総称として
  • 2.1 『フロイス日本史』等における「クラヴォ」の記述
    戦国時代の日本に西洋の鍵盤楽器が持ち込まれたことを示す最も直接的かつ頻繁に見られる記録は、イエズス会宣教師ルイス・フロイス(Luís Fróis)が著した『日本史(Historia de Iapam)』や、その他のイエズス会関連文書(『イエズス会日本通信』『イエズス会日本年報』など 25 )に見られる「クラヴォ(Cravo)」という名称である 12
    フロイスは、日本人が西洋の楽器の音に対して必ずしも好意的ではなかったと記す一方で、「クラヴォ、ヴィオラ、フルート、オルガン、ドセイン(葦笛)等の旋律によって我々は愉快になる。日本人にとっては我々の全ての楽器は、不愉快と嫌悪を生じる」といった記述を残している 28 。しかし同時に、彼らの音楽、特に多声による合奏や歌唱が、日本の有力者たちの前で披露され、時には感銘を与えた場面も記録している。
  • 2.2 「クラヴォ」が指し示す楽器の範囲と特定の問題
    「クラヴォ」という言葉は、戦国時代の日本に鍵盤楽器が存在したことを示す重要な証拠であるが、この名称が具体的にどの種類の楽器を指していたのかを特定することは、研究上の大きな課題となっている。
    現代ポルトガル語において "cravo" は主にチェンバロ(ハープシコード)を指す言葉として用いられるが 11 、16世紀当時はより広義に鍵盤楽器全般、あるいは特に撥弦鍵盤楽器(チェンバロ、ヴァージナル、スピネットなど)を指す総称であった可能性が指摘されている 11
    音楽学者である和田範男氏の研究によれば、日本イエズス会の文書に見られる「クラヴォ」は、「小型鍵盤楽器」とポルトガル語の形で記されていると指摘されている 28 。この「小型」という記述は、大型のチェンバロではなく、より持ち運びが容易なヴァージナル、スピネット、あるいはクラヴィコードのような楽器であった可能性を示唆している。
    また、1603年に長崎で刊行された『日葡辞書』には、「琴(日本の琴)」を説明する項目で、ポルトガル語の訳として "Crauo de tanger"(弾奏するハープシコード)という言葉が用いられている 30 。これは、宣教師たちが日本の琴という楽器を、自分たちの文化圏でよく知られている鍵盤楽器 "cravo" を引き合いに出して理解しようとしたことを示している。同時に、"cravo" という言葉が特定の楽器種に厳密に限定されない、ある程度幅を持った用語として使われていた可能性も示唆している。
    これらのことから、「クラヴォ」として記録された楽器が、ヴァージナルであったのか、スピネットであったのか、あるいはクラヴィコードであったのか、または小型のチェンバロであったのかを、現存する史料のみから断定することは極めて難しい。宣教師たちが日本人に対して楽器を説明する際や、記録を残す際に、日本の琴との類似性や、あるいは小型で持ち運び可能といった特徴を念頭に「クラヴォ」という言葉を選んだ可能性もある。その場合、「クラヴォ」は必ずしも厳密な楽器分類学上の呼称ではなく、状況に応じた便宜的な名称であったとも考えられる。
  • 2.3 ザビエルから大内義隆へ献上された鍵盤楽器
    日本における西洋鍵盤楽器の最も初期の記録の一つとして、1551年(天文20年)にフランシスコ・ザビエルが周防国の大名であった大内義隆に謁見した際に、他の様々な珍しい文物とともに鍵盤楽器を献上したというものがある 13 。この献上は、ザビエルが山口での布教の許可を得るための外交的手段の一環であった。
    この時献上された楽器は「クラヴォ」と記録されており、前述の和田範男氏の指摘では「小型鍵盤楽器」とされている 28 。さらに、近年の学術論文の中には、この楽器が「おそらく単一鍵盤のクラヴィコードであった」可能性を示唆するものもある 13 。クラヴィコードであれば、その小型で比較的持ち運びやすい形状と、繊細な表現力を持つ点が、外交的な贈答品として適していたと考えられる。
    しかし、残念ながらこの貴重な楽器は、献上された同年のうちに大内義隆が家臣の陶晴賢に討たれたいわゆる大寧寺の変(陶晴賢の乱)の混乱の中で失われてしまい、その具体的な形状や種類を今日確認することはできない 28
    このザビエルによる鍵盤楽器の献上は、日本の最高権力者層が西洋の高度な楽器に初めて触れる機会の一つであり、その後の西洋楽器の日本への伝来や受容のあり方に何らかの影響を与えた可能性がある。楽器の種類が特定できない点は惜しまれるが、「小型」という記述は、後の天正遣欧少年使節が持ち帰った楽器の性格とも共通する要素かもしれない。ザビエルが最高権力者の一人である大内義隆に鍵盤楽器を献上したという事実は、楽器が単なる娯楽品としてではなく、外交的・文化的な価値を持つ重要な贈答品として認識されていたことを強く示唆している。
  • 第三章 天正遣欧少年使節と西洋楽器
  • 3.1 使節団の音楽教育とヨーロッパでの演奏
    戦国時代の日本における西洋楽器の存在を語る上で、天正遣欧少年使節(1582年出発、1590年帰国)の役割は極めて大きい。伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの4人の少年を中心とするこの使節団は、九州のキリシタン大名(大友宗麟、大村純忠、有馬晴信)の名代としてローマへ派遣された 31 。彼らは出発前に、有馬などに設けられたイエズス会の教育機関セミナリヨで、神学やラテン語、地理、天文学などと共に、音楽の厳しい訓練を受けていた 18
    ヨーロッパ各地を巡る旅の途中や、ローマ教皇をはじめとする王侯貴族に謁見する際、少年たちはその音楽的才能を遺憾なく発揮した。記録によれば、彼らはオルガン、チェンバロ(クラヴォ)、ヴィオラ、リュート、レベック(ポルトガル語ではラベイカ)といった多様な楽器を巧みに演奏し、グレゴリオ聖歌や多声の宗教音楽を歌い、聴衆に深い感銘を与えたと伝えられている 12 。特にポルトガルのヴィラ・ヴィソーザでは、ブラガンサ公爵夫人の前で、公爵の自室にチェンバロとヴィオラが持ち込まれ、少年たちが演奏を披露し、そこにいた全員が大変感心したという詳細な記録が残っている 32
    使節団の少年たちがヨーロッパ各地で披露した高度な音楽演奏は、当時のヨーロッパの人々に対して、日本人が西洋文化を理解し受容する能力を持っていることを強く印象づけるものであった。同時に、少年たち自身にとっても、本場の西洋音楽文化の豊かさや奥深さを直接体験する貴重な機会となり、その後の彼らの活動にも影響を与えたと考えられる。
  • 3.2 帰国後の豊臣秀吉への楽器演奏とその内容
    約8年半に及ぶ長旅を終え、1590年(天正18年)に日本へ帰国した天正遣欧少年使節団は、翌1591年(天正19年)3月3日(旧暦閏正月8日)、京都の聚楽第において時の天下人である豊臣秀吉に謁見した 31 。この歴史的な謁見の場で、少年たちはヨーロッパから持ち帰った楽器を用いて、西洋の合奏音楽を披露した 12
    ルイス・フロイスの『日本史』などによれば、この時演奏された楽器は、鍵盤楽器である「クラヴォ」、ハープの一種である「アルパ」、リュートである「ラウデ」、そしてヴァイオリンの祖先にあたる擦弦楽器「ラヴェキーニャ(ラベイカ)」の4種類であったとされている 12 。演奏された曲目については、ルネサンス期のフランドル楽派を代表する作曲家ジョスカン・デ・プレ(Josquin des Prez)の作品などが推測されている 12
    秀吉はこの異国の音楽と楽器の演奏に大変満足し、少年たちに何度もアンコールを求め、演奏後には楽器を一つ一つ手に取って注意深く眺め、その仕組みなどについて質問したと伝えられている 27 。この御前演奏は、戦国時代の日本において、西洋の本格的な器楽合奏が最高権力者の前で披露された画期的な出来事であり、当時の日本の支配者層が異文化に対して抱いていた好奇心や関心の高まりを示すものと言える。
    天正遣欧少年使節が持ち帰った楽器の中に、鍵盤楽器である「クラヴォ」が含まれていたという事実は、この種の楽器が16世紀末の日本に物理的に存在したことを示す確かな証拠となる。秀吉がその演奏に満足したという記録は、少なくとも初期の段階においては、西洋の音楽や楽器が日本の支配者層に好意的に受け入れられる余地があったことを示唆している。しかしながら、その後の豊臣政権によるキリスト教禁教令の発布(1587年のバテレン追放令 12 )とその段階的な強化は、このような文化交流の道を次第に閉ざしていくことになる。もしこの政治的・宗教的な状況の変化がなければ、西洋楽器の日本における展開は、また異なる様相を呈していたかもしれない。これらの楽器の多くは、その後の弾圧の中で失われたり、人知れず朽ち果てたりしたと考えられる。

第三部 戦国日本におけるヴァージナルの実像

  • 第一章 「ヴァージナル」は日本に存在したか?
  • 1.1 史料における「ヴァージナル」という名称の不在と「クラヴォ」
    日本の戦国時代に関する一次史料を調査する限りにおいて、「ヴァージナル」という固有の楽器名称で鍵盤楽器が記録された例は、現在のところ確認されていない。前述の通り、イエズス会宣教師たちによる記録では、鍵盤楽器を指す言葉として主にポルトガル語の「クラヴォ(Cravo)」が用いられている。ヨーロッパの文献では1460年頃に「ヴァージナル」という語が見られるが 2 、これが直接日本の史料に反映された形跡はない。
    この事実は、当時の日本において「ヴァージナル」という特定の楽器名が一般的に認識されていなかったか、あるいは記録に残るほどその名称での楽器の流通や使用が広まらなかった可能性を示唆している。むしろ、外来語である「クラヴォ」という言葉が、当時の日本人にとっては目新しく、また種類の判別が困難であったであろう西洋の鍵盤楽器全般を指す、ある種の包括的な呼称として機能していたと考えるのが自然であろう。
  • 1.2 持ち込まれた「クラヴォ」がヴァージナルであった可能性の考察
    「クラヴォ」として記録された楽器が、具体的にヴァージナルであった可能性については、いくつかの状況証拠から考察することができる。
    第一に、宣教師の記録において「クラヴォ」が「小型鍵盤楽器」と記述されている点 28 、そして天正遣欧少年使節がヨーロッパから持ち帰り、豊臣秀吉の前で演奏した「クラヴォ」が、アルパ(ハープ)、ラウデ(リュート)、ラベイカ(レベック)といった他のポータブルな楽器と共に合奏されたという事実は 27 、この「クラヴォ」がヴァージナルのような比較的小型で持ち運び可能な楽器であった可能性を示唆している。
    第二に、ヴァージナルは16世紀のヨーロッパにおいて広く普及しており 1 、特に貴族や裕福な市民の家庭での個人的な演奏や娯楽に適した楽器であった 3 。このような性格は、宣教師が個人的に使用したり、あるいは日本の有力者への贈答品として持ち込んだりするには手頃な楽器であったと考えられる。
    しかしながら、これらの状況証拠は「クラヴォ」=ヴァージナルと断定するには不十分である。前述の通り、 13 14 の学術論文が示唆するように、「クラヴォ」がクラヴィコードを指した可能性も十分に考慮しなければならない。クラヴィコードもまた小型の鍵盤楽器であり、特に16世紀のイベリア半島では広く用いられていた。さらに、小型のスピネットや、ごく初期の小型チェンバロなども「クラヴォ」と呼ばれた可能性を完全に排除することはできない。
    以下の表は、戦国時代の日本における西洋鍵盤楽器(主に「クラヴォ」と記録されたもの)に関する主な記録をまとめたものである。
    表2:戦国時代日本における西洋鍵盤楽器(「クラヴォ」等)の主な記録

年代

関連人物(献上者/受領者/演奏者など)

史料名(例)

楽器の呼称

記述内容の要約(楽器の形状や演奏状況に関する情報など)

備考(楽器の特定に関する考察など)

1551年

フランシスコ・ザビエル(献上者)、大内義隆(受領者)

『フロイス日本史』等

クラヴォ

ザビエルが大内義隆に献上した贈答品の一つ。「小型鍵盤楽器」とされる 13 。陶晴賢の乱で失われた 28

クラヴィコードの可能性が指摘されている 13

1581年

イエズス会宣教師

イエズス会文書

オルガン(2台)、クラヴォ(1台)、ヴィオラ(1台)

安土に運ばれたと記録されている 13 。織田信長の前で演奏された可能性がある。

この「クラヴォ」の具体的な種類は不明。

1580年代

有馬のセミナリヨの生徒(演奏者)

『フロイス日本史』等

オルガン、クラヴォ、ヴィオラ・ダルコ等

セミナリヨでの音楽教育の中で、これらの楽器が教えられ、演奏されていた 12

「クラヴォ」は生徒たちが学ぶ鍵盤楽器の一つとして認識されていた。

1581年

ポルトガル人宣教師オルガンティノ(演奏者)、大友宗麟(聴衆)

イエズス会記録

オルガン、クラヴィコード

府内のセミナリヨで演奏され、宗麟が感銘を受けたとされる 24 。宣教師が宗麟のためにオルガンを演奏した記録もある 24

「クラヴィコード」と明記されている点が注目される。

1582年-1590年

天正遣欧少年使節(演奏者)

『フロイス日本史』等

オルガン、チェンバロ(クラヴォ)、ヴィオラ等

ヨーロッパ各地で王侯貴族の前で演奏を披露した 12 。ヴィラ・ヴィソーザではチェンバロとヴィオラを演奏 32

ヨーロッパでは「チェンバロ」として認識される楽器も演奏していた。

1591年

天正遣欧少年使節(演奏者)、豊臣秀吉(聴衆)

『フロイス日本史』等

クラヴォ、アルパ、ラウデ、ラベイカ

聚楽第で秀吉の御前演奏。秀吉は大変満足し、アンコールを求め、楽器を手に取って眺めた 27

「クラヴォ」は合奏楽器の一つとして用いられた。他の楽器との組み合わせから、ある程度の音量を持つ楽器であった可能性も考えられるが、詳細は不明。

*データソース: [12, 13, 18, 20, 21, 24, 26, 27, 28, 29, 31, 32, 35, 36, 41]*

これらの記録を総合的に見ると、戦国時代の日本に「クラヴォ」と呼ばれる何らかの西洋鍵盤楽器が複数持ち込まれ、宣教活動や外交儀礼、教育の場で使用されていたことは確実である。それがヴァージナルであった可能性は十分に考えられるものの、クラヴィコードやその他の小型鍵盤楽器であった可能性も否定できない。現段階では、「ヴァージナル」という特定の楽器種に固執するのではなく、「クラヴォ」として記録された小型の撥弦鍵盤楽器(ヴァージナルやスピネットなど)、あるいは小型の打弦鍵盤楽器(クラヴィコード)が日本に存在した、というより広い視野で捉えることが、史料の制約を考慮した上で最も妥当な解釈と言えるだろう。

  • 第二章 視覚資料からのアプローチ:南蛮屏風に描かれた楽器
  • 2.1 南蛮屏風における楽器描写の概要と注意点
    戦国時代から江戸時代初期にかけて制作された南蛮屏風は、当時の日本とポルトガル・スペインとの交易や文化交流の様子を描いた貴重な視覚資料である。これらの屏風には、南蛮船の来航、宣教師や商人の姿、異国の文物などが色鮮やかに描写されており、中には楽器が描かれる例も見られる 20
    しかしながら、南蛮屏風に描かれた内容を史実としてそのまま受け取ることには注意が必要である。これらの屏風は、必ずしも写実的な記録を目的として制作されたわけではなく、異国情緒を強調するための様式化や、画家の想像に基づいた描写が含まれている可能性がある 48 。特に、屏風の左隻に描かれることが多い異国の港の情景は、実際の風景というよりも、当時の日本人が抱いていた南海の楽園のようなイメージや、中国の仙境図などの影響を受けた想像上の要素が強いとされている 48 。したがって、南蛮屏風に描かれた楽器が、実際に日本に存在したものの忠実な写生であるのか、あるいはヨーロッパの絵画や版画などを参考にして想像で描かれたものであるのか、あるいは定型化された異国の象徴として描かれたものであるのかを慎重に見極める必要がある。
  • 2.2 鍵盤楽器が描かれている可能性のある作例と、その楽器の特定に関する考察
    南蛮屏風の中で、鍵盤楽器が描かれている可能性のある作例として最も注目されるのは、神戸市立博物館が所蔵する狩野内膳筆「南蛮屏風」(重要文化財)である 48 。この屏風の右隻には、日本の港に到着した南蛮船から荷揚げされる貿易品や、上陸したカピタン(船長)の一行、そして彼らを出迎える宣教師や日本人信者たちの様子が描かれている。その中には南蛮寺(教会)の建物も描かれており、その内部では祭壇の前でミサか何らかの宗教儀式が執り行われている様子が描写されている 48 。このような儀式の場面に、小型のオルガンやクラヴィコード、あるいはヴァージナルやスピネットに類する小型の鍵盤楽器が描かれている可能性を検討する必要がある。
    しかしながら、現時点での提供資料や一般的な研究では、南蛮屏風に明確にヴァージナルと特定できる楽器が描かれているという確実な情報は得られていない。神戸市立博物館のウェブサイトで公開されている狩野内膳筆「南蛮屏風」の画像や解説文にも、楽器、特に鍵盤楽器に関する具体的な言及は見当たらない 48
    他の南蛮屏風や、同時期に描かれた初期洋風画(例えば長谷川信春(等伯の息子)による洋人奏楽図など)にも、リュートやヴィオラ・ダ・ガンバといった弦楽器や、フルート、トランペットといった管楽器とともに、稀にではあるが鍵盤楽器らしきものが描かれる例がないか、より網羅的な調査と比較検討が求められる。アレクサンドラ・クルヴェーロ氏の著作『Nanban Folding Screen Masterpieces』 44 など、国内外の主要な南蛮美術コレクションを扱った研究書や図録を参照し、高精細画像による詳細な図像分析を行うことが、今後の研究において重要な手がかりとなる可能性がある。
  • 第三章 戦国大名と西洋鍵盤楽器
  • 3.1 織田信長、大友宗麟、豊臣秀吉らと鍵盤楽器の関わり
    戦国時代の日本において、西洋の鍵盤楽器は、宣教師を通じて当時の最高権力者たちの耳にも、そして目にも触れる機会があったことが記録からうかがえる。
    織田信長(1534年~1582年): 天下統一を目前にした織田信長は、新しい文物や技術に対して強い関心を示したことで知られる。イエズス会宣教師グネッキ・ソルディ・オルガンティノ(Gnecchi-Soldo Organtino)らは、1581年(天正9年)に信長が築いた安土城を訪れ、信長に謁見した際に西洋音楽を演奏したという記録がある 18 。さらに注目すべきは、イエズス会の文書に、この1581年にオルガン2台、クラヴォ1台、そしてヴィオラ1台が安土に運ばれたと記されている点である 13 。これらの楽器が信長の前で実際に演奏された可能性は非常に高い。信長がこれらの楽器の音色や構造にどのような反応を示したかについての詳細な記録は乏しいものの、彼の新しいものに対する好奇心や、宣教師たちとの良好な関係を築こうとする政治的判断から、少なくとも興味を持って接したことは想像に難くない。
    大友宗麟(1530年~1587年): 九州豊後の戦国大名である大友宗麟は、熱心なキリシタン大名として知られ、その領内では西洋音楽が比較的盛んに演奏されていた。1557年(弘治3年)には、宗麟の邸宅でパイプオルガンが演奏されたという記録がある 24 。また、1581年(天正9年)には、宗麟の庇護のもとに府内(現在の大分市)に設立されたセミナリヨにおいて、オルガンとクラヴィコードが演奏され、宗麟は特にミサの音楽に感銘を受け、「ローマのミサのようだ」と語ったと伝えられている 24 。さらに、宣教師が宗麟個人のためにオルガンを演奏したという記録も残っており 24 、宗麟が個人的にも西洋の鍵盤楽器の音色に親しんでいた可能性が示唆される。
    豊臣秀吉(1537年~1598年): 信長の後を継いで天下統一を果たした豊臣秀吉もまた、西洋の鍵盤楽器に触れる機会があった。前述の通り、1591年(天正19年)に帰国した天正遣欧少年使節が聚楽第で秀吉に謁見した際、持ち帰った「クラヴォ」を含む楽器の合奏を披露した 27 。フロイスの記録によれば、秀吉はこの演奏に大変満足し、アンコールを求め、楽器を手に取ってその構造について質問するなど、強い関心を示したという 27
    これらの記録は、戦国時代の日本の最高権力者たちが、外交儀礼や宣教師との交流、あるいは家臣からの報告などを通じて、西洋の鍵盤楽器という未知の楽器に直接触れる機会があったことを明確に示している。特に信長や宗麟の事例は、「クラヴォ」という名称で記録された楽器が、実際に彼らの前で演奏されたり、彼らの支配地域に存在したりしたことを裏付けている。
    大名たちがこれらの楽器に対して示した反応は、一様ではなかったと推測される。異文化からもたらされた珍しい文物への純粋な好奇心、宣教師との関係を円滑にするための外交的ツールとしての認識、あるいは音楽そのものへの個人的な興味など、複数の側面が絡み合っていたであろう。大友宗麟のように、自身のキリスト教信仰と深く結びつけて西洋音楽を受容した例もあれば、豊臣秀吉のように、当初は好意的関心を示しながらも、後の政治的判断(バテレン追放令など)によってその態度を硬化させた例もある。このような受容のあり方の違いが、日本に持ち込まれた西洋鍵盤楽器のその後の運命にも少なからず影響を与えたと考えられる。

第四部 研究の現状と今後の課題

  • 第一章 皆川達夫氏らによるキリシタン音楽研究の貢献
    戦国時代から江戸初期にかけての日本における西洋音楽の導入と展開、いわゆるキリシタン音楽の研究において、故・皆川達夫氏(1927年~2020年)の業績は金字塔として高く評価されている。氏の主著である『洋楽渡来考 キリシタン音楽の栄光と挫折』(初版2004年)および、その入門書として書かれた『キリシタン音楽入門 洋楽渡来考への手引き』(2017年)は、この分野の研究に不可欠な基本文献である 12
    皆川氏の研究は、現存する数少ない史料、例えば1605年に長崎で印刷されたキリシタン版の典礼書『サカラメンタ提要』に含まれるグレゴリオ聖歌の楽譜や、長崎の生月島などに伝わる「かくれキリシタン」の祈りの歌「オラショ」などを丹念に分析し、16世紀から17世紀初頭の日本で実際に歌われ、演奏された西洋音楽の実像に迫ろうとするものである 39 。これらの研究は、戦国時代の日本における「ヴァージナル」あるいは「クラヴォ」といった鍵盤楽器の存在を考察する上で、当時の音楽的背景や史料解釈の基礎を提供するものである。特に、天正遣欧少年使節の音楽活動や、日本に持ち込まれた楽器の種類(クラヴォ、オルガン、ヴィオラ・ダルコなど)に関する詳細な考察は、本報告書のテーマと深く関連している。
    さらに、皆川氏の研究は、キリシタン音楽がその後の日本の伝統音楽に与えた影響についても踏み込んだ議論を展開している。例えば、箏曲の代表的な楽曲である「六段の調」の旋律構造と、グレゴリオ聖歌の「クレド(信仰宣言)」の音楽的構成との間に顕著な類似性を見出し、その影響関係を指摘したことは、西洋楽器の単なる物理的な伝来に留まらない、より深いレベルでの文化変容の可能性を示唆するものとして注目される 12
  • 第二章 史料的制約と楽器特定における困難性
    戦国時代に日本へ持ち込まれた「クラヴォ」が、具体的にヴァージナルであったのか、あるいはクラヴィコード、スピネット、小型チェンバロといった他の種類の鍵盤楽器であったのかを特定することは、現時点では極めて困難であると言わざるを得ない。その主な理由として、以下の点が挙げられる。
    第一に、現存する一次史料の記述が断片的であり、楽器の形状や構造、具体的な演奏状況に関する詳細な情報が乏しいことである。宣教師の記録は貴重ではあるが、彼らは必ずしも楽器の専門家ではなく、また記録の目的も楽器の精密な記述ではなかったため、曖昧な表現や総称的な呼称が用いられることが多い 12
    第二に、最も重要な点として、当時の日本に持ち込まれたとされる鍵盤楽器そのものが、今日ほとんど現存していないことである。ザビエルが大内義隆に献上した「クラヴォ」が戦乱で失われたように 28 、その後のキリスト教禁教と鎖国政策の中で、多くの西洋楽器が破壊されたり、散逸したりしたと考えられる 12
    第三に、「クラヴォ」という言葉自体が、当時のポルトガル語やスペイン語において、特定の楽器種のみを指すのではなく、複数の種類の鍵盤楽器を包括しうる多義的なものであった可能性が高いことである 11 。16世紀のイベリア半島における鍵盤楽器の呼称(例えば、"cravo", "virginal", "espineta", "clavicórdio" など)の使い分けや意味の範囲については、当時の楽器のインベントリ(財産目録)、書簡、音楽理論書などの一次史料に基づいてさらに詳細に調査する必要があるが 62 、現時点では日本側の史料における「クラヴォ」の具体的な同定を困難にしている。
    第四に、南蛮屏風などの視覚資料も、楽器の細部や種類を特定するには情報が不十分であったり、前述の通り写実性に欠ける場合がある。
    これらの史料的制約のため、戦国時代の日本における「ヴァージナル」の存在を断定的に論じることは難しい。研究は、可能性の探求と、史料の慎重な解釈に基づいて進められる必要がある。
  • 第三章 今後の研究への展望:新たな史料発見と学際的アプローチの可能性
    戦国時代の日本における「ヴァージナル」あるいは「クラヴォ」の研究は、多くの困難を伴うものの、今後の研究の進展によって新たな知見が得られる可能性も残されている。
    第一に、国内外の古文書館や個人所蔵の史料の中から、未発見のイエズス会関連文書や、当時の大名や商人、武士の日記、書簡などが見出され、そこに西洋楽器に関する新たな記述が含まれている可能性は皆無ではない 25 。特に、イエズス会本部(ローマ)や、ポルトガル、スペインなどの古文書館には、日本へ送られた物品のより詳細なリストや、楽器に関する具体的な指示・報告などが眠っている可能性が指摘されている 13 。これらの一次史料の網羅的な調査は、今後の研究の重要な柱となるであろう。
    第二に、現存する古楽器の研究が挙げられる。浜松市楽器博物館をはじめとする国内外の博物館には、16世紀から17世紀初頭にかけて製作されたヴァージナル、チェンバロ、スピネット、クラヴィコードなどの実物が収蔵されている 1 。これらの楽器の構造、材質、装飾、音響特性などを詳細に調査し、当時の楽器製作技術や様式の変遷を明らかにすることは、日本に持ち込まれた可能性のある楽器のモデルを推定する上で不可欠である。浜松市楽器博物館が発行している図録『チェンバロ、ヴァージナル、スピネット、クラヴィコード、ピアノ 増補改訂版』などは、この種の調査における重要な基礎資料となる 83
    第三に、学際的なアプローチの推進である。音楽史だけでなく、美術史(南蛮屏風の図像解釈の深化)、言語史(当時のポルトガル語・スペイン語における楽器関連語彙の精密な意味分析)、文化人類学(異文化接触と文物受容の様式の比較研究)、歴史学(南蛮貿易やキリシタン史の更なる実証的研究)など、多様な学問分野の研究者との連携・協力によって、新たな視点や知見が得られる可能性がある。
    戦国時代の日本における「ヴァージナル」または「クラヴォ」の研究は、単一の学問分野に閉じることなく、国際的な研究ネットワークとの連携を強化し、多角的な視点からアプローチすることで、その実像に一歩でも近づくことができると期待される。

おわりに

  • 本報告の総括と、戦国時代の日本におけるヴァージナル(クラヴォ)研究の意義の再確認
    本報告では、戦国時代の日本における「ヴァージナル」またはそれに類すると考えられる鍵盤楽器「クラヴォ」の伝来と存在について、現時点での研究成果と史料に基づいて多角的に考察を試みた。
    その結果、史料において「ヴァージナル」という固有の名称で鍵盤楽器が記録された例は確認できないものの、「クラヴォ」という呼称で記録された小型の鍵盤楽器が、フランシスコ・ザビエルによる大内義隆への献上にはじまり、イエズス会宣教師による布教活動や教育活動、そして天正遣欧少年使節によるヨーロッパからの帰国などを通じて、16世紀半ばから17世紀初頭にかけての日本に複数持ち込まれ、大名や宣教師たちの間で実際に演奏された事実は確実であると結論づけられる。
    この「クラヴォ」が具体的にどの種類の楽器を指していたのかについては、ヴァージナルであった可能性は高いものの、史料の記述や当時の楽器の普及状況などを総合的に勘案すると、クラヴィコードやスピネット、あるいは小型のチェンバロであった可能性も完全に否定することはできない。むしろ、「クラヴォ」という言葉は、当時の宣教師たちにとって、これらの小型鍵盤楽器を包括的に指す便利な総称として用いられていたと考えるのが現状では最も妥当であろう。
    戦国時代の日本における西洋鍵盤楽器の研究は、日本初期洋楽史における楽器受容の具体的な様相を明らかにする上で極めて重要であると同時に、戦国時代という激動の時代における日本の対外文化交流の一断面を浮き彫りにするものである。史料的制約は大きいものの、本報告で示したように、今後の新たな史料の発見や、現存する古楽器の研究、そして美術史、言語史、歴史学などを含む学際的なアプローチの深化により、この興味深いテーマに関する我々の理解がさらに深まり、より詳細な実像が解明されることが期待される。この小さな鍵盤楽器が秘めた歴史の断片を繋ぎ合わせる作業は、日本と西洋の文化が出会った初期の様相を再構築する上で、依然として魅力的な課題であり続けるであろう。

参考文献

(本報告書では、ユーザーの指示に基づき具体的な参考文献リストの作成は省略するが、実際の学術報告書では必須となる。本文中では、典拠としてスニペットIDを明記することで、その情報源を示す形式を取った。)

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  79. 武蔵野音楽大学、60年以上の長い歴史をもつ楽器博物館を一般公開 - amass https://amass.jp/156713
  80. 鍵盤楽器の歴史を学んだ話 ~浜松市楽器博物館~|はりきりビーバー - note https://note.com/eagerbeaver/n/n190230262189
  81. 楽しめる! 浜松市楽器博物館が10倍楽しくなる館長さんの特別ツアー - うなぎのぼりはままつ https://unaginobori-hamamatsu.jp/topics/detail/5
  82. 浜松市楽器博物館 - 静岡県観光 https://shizuoka.mytabi.net/hamamatsu/archives/gakki-museum.php
  83. 所蔵楽器図録 | オリジナルグッズ - 浜松市楽器博物館 https://www.gakkihaku.jp/publish/%E6%89%80%E8%94%B5%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%9B%B3%E9%8C%B2/
  84. 所蔵資料検索 | 常設展 - 浜松市楽器博物館 https://www.gakkihaku.jp/collection/co/database/
  85. このCDは、浜松が発信する最高の贈り物。 https://www.hcf.or.jp/shop/pdf/cd_pamphlet.pdf
  86. 楽器博物館 所蔵楽器図録 増補改訂版 | ミュージアムショップ ... https://andante-museum.jp/ca24/81/
  87. 常設展 | 浜松市楽器博物館 https://www.gakkihaku.jp/collection/