最終更新日 2025-06-01

三好粉吹

三好粉吹

戦国時代の名碗「三好粉吹」に関する総合的考察

1. 序論

本報告は、日本の戦国時代にその名が歴史に刻まれ、今日に至るまで茶道の世界で至宝として珍重される高麗茶碗の一種、「三好粉吹(みよしこふき)」について、その歴史的背景、美術的特徴、そして茶道文化における深遠な意義を多角的に掘り下げることを目的とする。

粉引茶碗(こひきぢゃわん、あるいは「こびき」とも読む)は、朝鮮半島を源流とする高麗茶碗の一群であり、その最大の特徴は、まるで白い粉を刷いたかのような、温もりと柔らかさを感じさせる乳白色の釉膚(ゆうはだ)にある 1 。数ある粉引茶碗の中でも、「三好粉吹」は「大名物(おおめいぶつ)」という最高の格付けを与えられ、特に高い評価を受けてきた歴史的背景を持つ 3 。この茶碗の重要性は、単に古格の美術品であるという点に留まらない。戦国武将の権力と洗練された文化、朝鮮半島との陶磁技術の交流、そして日本独自の茶道における美意識の形成という、複数の歴史的・文化的な潮流が交差する結節点としての価値を内包している。すなわち、「三好粉吹」は、一碗の茶碗という形態を取りながらも、戦国時代の社会、文化、さらには国際的な陶磁交流をも映し出す鏡のような存在と言えるであろう。本報告では、この「三好粉吹」の多層的な価値を解き明かしていく。

2. 粉引茶碗とは

2.1. 名称の由来と技法の特徴

粉引茶碗の名称「粉引(こひき、こびき)」あるいは「粉吹(こふき)」は、その器表が文字通り白い粉を刷毛で刷いたように、または息を吹きかけたように見える独特の風合いに由来する 1 。日本古来の表現として、干し柿や熟した果物の表面に白い粉状のものが現れた状態を「粉を吹いた」あるいは「粉を引いた」と形容したことが、この名称の語源であるとする説も有力である 5

その基本的な製作技法は、鉄分を多く含むために焼成すると灰黒色や褐色を呈する素地(きじ)、すなわち胎土(たいど)の上に、白化粧土(しろげしょうど)または白泥(はくでい)と呼ばれる液状の白い土を薄く掛けることから始まる 1 。この白化粧が施された器表に、さらに透明性の釉薬を掛けて焼成することにより、温かみのある柔らかな乳白色の釉膚が生まれるのである 5 。この白化粧の濃淡、刷毛を用いた場合はその痕跡、あるいは素地の色が微妙に透けて見える部分などが、器面に複雑な表情と視覚的な奥行きを与える。また、その手触りの柔らかさも、粉引茶碗が愛される理由の一つとして挙げられる。

粉引の器は、構造的には粘土(素地)、化粧土、そして釉薬という三層から成り立っている 5 。一般的には、素焼きの段階で粘土と化粧土をある程度熔着させ、その後に施釉し本焼きすることで三層を強固に結びつける。しかし、成分組成の異なる粘土と化粧土は完全には一体化せず、化粧土が素地から剥離しやすいという特性も持つ。この現象は陶磁器業界で「チップする」と表現されることがある 5 。さらに、この三層構造の内部には微細な隙間が多く存在するため、陶器全般に見られるように吸水性が高い。貫入(かんにゅう)と呼ばれる釉の表面の細かなヒビやピンホール(釉薬が弾けてできる微小な穴)から水分を吸収しやすく、色の濃い飲み物や料理を盛り付けると、白い化粧土の部分に染みができやすいという特徴がある 5 。しかし、この一見すると欠点とも思える吸水性や、白化粧の不均一さが、日本の茶人たちにとっては逆に「景色(けしき)」、すなわち器の個性的な見所を見出す余地を与えた。例えば、使用するうちに生じる染みは「雨漏(あまもり)」と呼ばれ、趣のある景色として賞賛の対象となった 5 。これは、技術的な「不完全さ」が、わびさびという日本特有の美意識と結びつくことで、新たな美的価値へと転換された顕著な例と言えるだろう。

2.2. 朝鮮半島における起源と展開

粉引茶碗の源流は、朝鮮半島の李氏朝鮮時代、15世紀中頃(資料によっては1460年代とも 5 )に遡る。この時期は、高麗青磁の時代から李朝白磁の時代へと移行する過渡期にあたり、粉引は「粉青沙器(ふんせいさき)」と呼ばれる一群の陶磁器の一種として位置づけられる 6 。粉青沙器は、文字通り「粉で化粧した沙器(砂質の胎土を用いた器)」を意味し、多様な装飾技法が展開された。

その技法の変遷を見ると、初期には文様を彫ったり型押ししたりした部分に白土や黒土を埋め込む象嵌(ぞうがん)技法が用いられた 5 。これが次第に、刷毛(はけ)を用いて白化粧土を塗る刷毛目(はけめ)技法へと発展し、最終的には器全体を白化粧で覆う、いわゆる粉引のスタイルが確立されたと考えられている 5 。当時、純白の白磁は非常に貴重であり、一般の人々にとっては手の届きにくいものであった。そのため、色のついた素地を用いながらも、白化粧によって白い器の風情を表現しようとした粉引の技法は、白い器への強い憧憬から生まれたという背景が指摘されている 5 。この「憧れ」と、それをより入手しやすい素材と技法で「代替」しようとする創意工夫は、粉引という技法が誕生する上で重要な動機となった。この「代替」の精神は、後に日本において既存の器物を新たな価値観で見立てる「見立て」の文化が花開く素地の一つとなった可能性も考えられる。つまり、朝鮮半島における実用的な工夫や美意識の追求が、海を渡った日本で新たな美的解釈の対象となったのである。

高麗茶碗の多くは朝鮮半島東南部の慶尚南道(キョンサンナムド)で産出されたとされるが、粉引茶碗を焼いた窯跡は、それとは異なる半島西南部の全羅南道(チョルラナムド)高興郡(コフングン)雲岱里(ウンデリ)や宝城郡(ポソングン)道村里(トチョンニ)などで発見されている 7 。この地理的な差異は、粉引茶碗が持つ独自の地方的特色を示唆しているのかもしれない。

2.3. 日本への伝来と茶の湯における受容

朝鮮半島で生まれた粉引(粉青沙器)は、16世紀以降、日本の安土桃山時代にかけて輸入され始めたとされている 5 。当初、これらは朝鮮半島では主に日用品や祭祀用の器として使われていたが、日本の茶人たちはその素朴な美しさ、飾らない佇まいに新たな価値を見出した。いわゆる「見立て」によって、これらの器を茶の湯の茶碗として取り上げたのである 2 。茶会記における高麗茶碗の初出は、『松屋会記』中の「久政茶会記」天文6年(1537年)9月12日の条に見られ、その後、天正年間(1573年~1592年)になると、茶会記における高麗茶碗の記載頻度は急増する 2

この背景には、千利休(1522年~1591年)によって大成された「侘び茶(わびちゃ)」の精神の隆盛がある。侘び茶は、華美を排し、不完全さや質素さ、静寂さの中にこそ深い美を見出すという価値観を重視した 5 。粉引茶碗が持つ、土の温もりを感じさせる素朴な風合い、人の手の作為を過度に感じさせない自然な佇まい、そして白化粧の柔らかく控えめな表情は、この侘び茶の求める美意識と深く共鳴したのである 6 。日本の茶人による「見立て」は、単に異文化の製品を選び取るという行為に留まらず、それに新たな価値と意味を付与し、自国の文化体系の中に創造的に組み込むプロセスであった。粉引茶碗の受容は、この「見立ての力」を象徴する典型例と言えるだろう。元の用途とは異なる「茶道具」としての価値が付与され、さらに侘び茶の美意識と結びつけられることで、単なる道具を超えた精神的な意味合いを帯びるに至ったのである。

やがて16世紀末頃になると、単に見立てるだけでなく、日本の茶人の好みを反映した茶碗が朝鮮に注文されて焼かれるようにもなった 2 。しかし、「三好粉吹」をはじめとする初期の名碗の多くは、このような注文製作以前の、見立ての時代に日本にもたらされた作例と考えられている。

3. 名碗「三好粉吹」

3.1. 「三好粉吹」の号の由来と三好長慶

数ある粉引茶碗の中でも特に名高い「三好粉吹」の「三好」という号は、戦国時代の武将・三好長慶(みよしながよし、1522年~1564年)がかつてこの茶碗を所持していたという伝承に由来する 3 。三好長慶は阿波国(現在の徳島県)の出身で、主家である細川氏を凌駕し、畿内(現在の近畿地方中部)に広大な勢力圏を築き上げた。一時は室町幕府の将軍を傀儡とし、その権勢は「天下人」と称されるほどであった 10 。永禄3年(1560年)には、それまでの芥川山城から飯盛城(現在の大阪府大東市)に拠点を移し、ここを堅固な山城として整備したことでも知られる 10

長慶は、武勇に優れた武将であっただけでなく、連歌や茶の湯にも通じた当代随一の文化人としても評価が高い 10 。飯盛城では「飯盛千句」として記録に残る大規模な連歌会を催したほか、宣教師ガスパル・ヴィレラにキリスト教の布教を許可するなど、進取の気性に富み、文化的な関心も広かったことが窺える 11 。長慶の茶の湯への深い関心が、彼をして「三好粉吹」のような名碗を所持するに至らしめた背景の一つと考えられる。当時の戦国武将にとって、名物と呼ばれる茶道具を所持することは、単なる個人的な趣味を超え、自身の権力、教養、そして社会的地位を内外に示す象徴的な意味合いを強く持っていた。長慶が「三好粉吹」を所持したこともまた、彼の武力だけでなく、文化的権威をも示すものであったと推察される。

「三好粉吹」が三好長慶の所持であったという伝承を裏付ける上で極めて重要な役割を果たしているのが、江戸時代初期の茶人である金森宗和(かなもりそうわ、1584年~1656年)による添状(そえじょう、鑑定書や由来書)の存在である 7 。長慶自身がこの茶碗を茶会で使用した具体的な同時代の記録は、現存する資料からは確認が難しいものの 12 、後代の権威ある茶人である宗和によるこの添状が、「三好粉吹」の由緒に信憑性を与え、名物としての地位を揺るぎないものとする上で決定的な要素となった。これは、記録が散逸しがちな時代の美術品において、専門家の鑑定や由緒書きがいかに重要な意味を持つかを示す好例と言えよう。

3.2. 「三好粉吹」の造形的特徴と見所

「三好粉吹」は、その姿について「大振りで堂々としている」と評され、同時に「薄手にして端正」とも形容される、風格と繊細さを兼ね備えた名碗である 3 。具体的な寸法は、高さ8.1cm~8.3cm、口径14.6cm~15.4cm、高台径5.7cmと記録されている 2

その造形的な特徴を細部に見ると、まず器形は、腰が丸みを帯びてゆったりと張り、口縁(こうえん、口辺り)がわずかに外側に反る「端反り(はたぞり)」の形状をなしている 2 。胎土は鉄分を多く含み、細かく締まった黒褐色を呈するとされる 3 。轆轤(ろくろ)を用いた水挽き(みずびき)によって薄く成形されており、茶碗の内側中央の窪んだ部分、いわゆる茶溜まり(ちゃだまり)には、轆轤成形の際に生じる渦状の轆轤目が残っている 2

高台(こうだい、茶碗の底部の支えとなる部分)は、竹の節のような形状に削り出された「竹節高台(たけのふしこうだい)」と呼ばれる特徴的な作りである 2 。高台の内側中央には、兜巾(ときん)と呼ばれる低い突起が立っている 2 。高台の畳付(たたみつき、高台の接地部分)から高台内部にかけては、焼成時に器を支えた道具の跡である五つの目跡(めあと)が見られ、畳付は丁寧に磨かれている 2

施釉については、器の内外面全体に薄く白化粧が施され、その上から透明釉が総掛けされている 2 。釉薬が溜まった部分は、わずかに青緑色を帯びて見えることがある 2

「三好粉吹」の最大の魅力であり、見所とされるのが「火間(ひま)」と呼ばれる景色である。これは、胴の一面の釉薬が、あたかも笹の葉のような形(あるいは楔形とも評される 4 )に掛け外れており、その部分の白化粧を施した素地が露出して灰褐色を呈している部分を指す 2 。この「火間」は、製作過程における偶然の産物とも言えるが、これを単なる釉薬の剥がれではなく、茶碗に個性と深みを与える「景色」として積極的に評価する茶人の美意識によって選び取られ、価値づけられたものである。特に「三好粉吹」においては、この火間の中程を一筋の白釉が横切る様子もまた、絶妙な景色として賞賛されている 3

さらに、茶碗の見込み(内側)には、雨漏(あまもり)状の染みが見られる 2 。これは、長年の使用や経年変化によって生じたものであり、これもまた粉引茶碗特有の景色として愛でられる点である 5 。その他、口縁から腰にかけて一本の竪樋(たてどい、縦方向の溝状の凹み)が見られるが、それ以外には目立った疵(きず)はないとされている 3 。ただし、火間の位置には一本の長い入(にゅう、ひび割れ)が存在することも記録されている 2

これらの轆轤目、高台の削り出し、火間、雨漏り、目跡といった細部の特徴は、一つとして同じものが存在しない「三好粉吹」固有の「顔」を形成している。均一性や完璧さを求めるのではなく、このような個々の特徴が織りなす調和や面白さ、すなわち器の「個性」を重視する価値観が、この茶碗を名碗としての評価へと高めたと言えるだろう。

表1: 「三好粉吹」の主要な特徴

特徴項目

詳細記述

典拠

寸法

高さ8.1~8.3cm、口径14.6~15.4cm、高台径5.7cm

2

器形

腰が丸く張り、口縁が端反りとなる大振りの椀形

2

胎土

鉄分の多い、細かい黒褐色の締まった土

3

成形

轆轤水挽きで薄く成形。茶溜まりに渦状の轆轤目あり

2

高台

竹節高台。高台内に低く兜巾が立つ。畳付から高台内にかけて五つの目跡あり。畳付は磨かれている

2

施釉

内外面全体に薄く白化粧を施し、総体に透明釉を掛ける。釉溜まりはわずかに青緑色を帯びる

2

火間(ひま)

胴の一面の釉が笹の葉形(または楔形)に掛け外れ、白化粧地が露出して灰褐色を呈する景色。火間の中程を白釉が横切る景色も特徴

3

雨漏(あまもり)

見込みに雨漏状の染みあり

2

その他

口縁から腰にかけて竪樋一本あり。火間の位置に長い入(ひび)一本あり

2

3.3. 伝来と現所蔵

「三好粉吹」は、その名高い評価にふさわしく、数々の歴史上の著名な人物の手を経て現代に伝えられてきた。最初の所持者とされる三好長慶の後、この茶碗は天下人・豊臣秀吉(1537年~1598年)の手に渡ったと伝えられている 7

その後、江戸時代初期の代表的な茶人であり、武将でもあった金森宗和の所持となる。宗和は「三好粉吹」に添状を記した人物であり、その後の伝来において重要な役割を果たした。宗和の手を離れた後、「三好粉吹」は江戸時代の豪商であり、文化・芸術のパトロンとしても知られた三井家(特に北三井家)に伝来した 7

時代は下り、安政2年(1855年)には、若狭国小浜藩主である酒井家に移る。しかし、大正12年(1923年)に行われた酒井家の売立(道具類の競売)において、再び北三井家がこれを買い戻したという経緯が記録されている 7 。この事実は、三井家がこの茶碗に対していかに強い愛着と高い価値認識を持っていたかを物語っている。

このように、戦国武将、天下人、大茶人、豪商、そして大名家といった各時代の有力者の手を渡り歩いてきた「三好粉吹」の流転の歴史は、それ自体がこの茶碗の価値を雄弁に物語っている。所有者が変わってもその美術的・歴史的価値が一貫して認識され続け、大切に受け継がれてきたことがわかる。一時的に個人の手を離れる危機(酒井家売立)を経ながらも、再び元の所有者(三井家)のもとに戻り、最終的には公益財団法人三井文庫の所蔵となり、三井記念美術館(東京都中央区日本橋室町)において大切に保管・展示されている現状は 4 、文化財が散逸することなく後世に伝えられる上で、熱心な収集家の役割や美術館のような専門機関の重要性を示していると言えよう。

表2: 「三好粉吹」の主な伝来

時代

所蔵者/出来事

関連情報/備考

典拠

戦国時代

三好長慶 所持

茶碗の号「三好」の由来

3

安土桃山時代

豊臣秀吉 所持

長慶より伝来したとされる

7

江戸時代初期

金森宗和 所持

添状を記し、三好長慶所持を証明

7

江戸時代

北三井家 伝来

宗和より三井家へ

7

江戸時代末期

若狭酒井家へ移動 (安政2年/1855年)

三井家より酒井家へ

7

大正時代

北三井家 再購入 (大正12年/1923年 酒井家売立より)

酒井家売立にて三井家が買い戻す

7

現代

公益財団法人三井文庫 所蔵 (三井記念美術館保管)

重要文化財として保管・展示

4

3.4. 文化財としての価値

「三好粉吹」は、古くから茶道具の格付けにおいて最高位の一つである「大名物」として認識されてきた 3 。この「大名物」という称号は、その茶碗が持つ由緒(伝来の確かさや物語性)、姿(造形の美しさや風格)、そして茶の湯における扱い(名だたる茶会での使用など)が特に優れていることを示すものであり、最高の栄誉とされる。

その歴史的・芸術的価値は現代においても高く評価され、平成28年(2016年)8月17日には、日本の文化財保護法に基づき、国の重要文化財に指定された 7 。この指定は、「三好粉吹」が日本の文化にとってかけがえのない貴重な財産であり、国民的な保護の対象となっていることを公的に裏付けるものである。伝統的な茶道の世界における「大名物」という評価に加え、現代の文化財保護制度における「重要文化財」という評価を得たことは、この茶碗の価値が時代を超えて再確認され、次世代へと確実に継承されるべき対象であることを示している。

学術的な観点からも、「三好粉吹」は重要な資料と言える。朝鮮陶磁史においては、鉄分を含む胎土に白土を用いて様々な装飾を施した粉青沙器の、その最終段階に位置づけられる貴重な作例である 7 。また、日本においては、16世紀頃に高麗茶碗が茶の湯の道具としてどのように受容され、評価されていったかという、日本茶道文化史の具体的な物証として、極めて高い学術的価値を有している。

4. 粉引茶碗と茶の湯文化

4.1. わびさびの美意識と粉引

日本の茶道文化、特に千利休によって大成された「侘び茶」の根底には、「わびさび」という独特の美意識が存在する。これは、完全無欠なものや華美なものよりも、むしろ質素簡略、静寂、そして時には不完全さの中にこそ、深い精神性や美しさを見出そうとする価値観である 5

粉引茶碗が持つ、土の温もりを直接感じさせるような素朴な風合い、過度な技巧や作為を感じさせない自然な佇まい、そして白化粧がもたらす柔らかく、どこか儚げな表情は、この「わびさび」の求める美意識と深く共鳴するものであった。均整の取れた完璧な造形よりも、むしろ轆轤目が残り、釉薬の掛かり具合にムラがあるような、人の手の温もりと自然の作用が融合したかのような粉引茶碗の姿は、茶人たちにとって理想的な茶の湯の器として映ったのである。

特に、粉引茶碗に見られる「火間」や、長年の使用によって器肌に染み込んでいく「雨漏り」の景色などを、単なる欠点や汚れとして捉えるのではなく、器の個性的な魅力、すなわち「景色」として積極的に楽しむという茶人の価値観は注目に値する 2 。これは、不完全さや経年変化を否定的に捉えるのではなく、むしろそれを肯定し、器と共に時間を過ごす中で育まれていく美を愛でるという、日本独自の美意識の現れである。茶人たちは、単に既存の美しいものを受動的に受け入れるだけでなく、日常的な器や、時には欠点と見なされうる特徴(例えば雨漏りや火間)の中に美を「発見」し、それに新たな意味や名称を与えることで、独自の美の世界を能動的に創造していった。粉引茶碗は、そのための格好の素材となったのである。

さらに、粉引の器が吸水性が高く汚れやすいという特性を逆手に取り、使用するうちに生じる染みや貫入(釉のヒビ)の変化を、あたかも器が成長していくかのように捉え、「器を育てる」と表現する情緒も生まれた 5 。このような「育てる」という概念は、美術品や道具の鑑賞に「時間」という要素を積極的に取り込むものであり、使い手と器との間に生まれる親密な関係性を重視する茶道文化の深奥さを示している。器は単なる静的な鑑賞物ではなく、使い手との相互作用の中で変化し、成長していく生きた存在として捉えられるのである。

4.2. 他の著名な粉引茶碗との比較

「三好粉吹」は粉引茶碗の最高峰の一つとして知られるが、その他にも歴史に名を残す名碗が存在する。これらを比較することで、「三好粉吹」の個性と、粉引茶碗の世界の奥深さがより鮮明になる。

代表的な粉引の名碗としては、まず「松平粉引(まつだいらこひき)」が挙げられる。これは「雲州粉引(うんしゅうこひき)」とも呼ばれ、江戸時代の大名茶人・松平不昧(まつだいらふまい)が所持していたことで名高い。現在は畠山記念美術館(東京都港区)が所蔵しており、その特徴は整った端正な姿と、嫌味のない火間、そして白い釉薬との美しい対比にあるとされる 3

次に、「楚白(そはく)粉引」も名碗として並び称される。これは加賀前田家に伝来し、現在は石川県立美術館(石川県金沢市)の所蔵となっている。この茶碗は、全体に薄造りで品格があり、胴には三日月形の火間が見られ、部分的に現れる青みがかった「青なだれ釉」や、内外に生じた染み模様が見事な景色をなしていると評される 3

その他にも、「津田粉引(つだこひき)」 8 や「酒井粉引(さかいこひき)」 15 など、数こそ少ないものの優れた粉引茶碗が伝世している。例えば、東京国立博物館所蔵の粉引茶碗(TG-2055)は、大徳寺の江月和尚所持の伝来を持つが、「三好粉引」などとは作風が異なり、日本からの注文によって朝鮮で焼かれた可能性が指摘されている 17

これらの名碗と比較することで、「三好粉吹」の持つ大振りで堂々とした姿、特徴的な笹の葉形の火間、そして全体を包む温かみのある釉調といった際立った個性が改めて浮き彫りになる。そもそも伝世する粉引茶碗の数は少なく、特に「三好粉吹」のような椀形のものは珍重される存在である 2 。これらの名碗は、「粉引」という共通の技法を用いながらも、一つ一つが異なる窯で、異なる時期に、異なる陶工によって作られ、そして異なる人々の手を経てきた結果、それぞれが独自の「景色」と「味わい」を持つに至った。この多様性こそが粉引茶碗の世界の豊かさであり、多くの茶人や数寄者を魅了し続ける要因なのである。また、これらの名碗は、それぞれ著名な武将、大名、茶人によって所持されてきた歴史を持つ。これらを比較検討することは、単に美術品としての優劣を論じるだけでなく、それらを巡る人々のネットワークや、茶道文化における評価の系譜を垣間見ることにも繋がる。

表3: 代表的な粉引名碗の比較

茶碗名

主な特徴(火間、形状など)

主要な旧蔵者

現所蔵/備考

典拠

三好粉吹

大振りで堂々たる姿。笹の葉形の火間。竹節高台。

三好長慶、豊臣秀吉、金森宗和、三井家、酒井家

三井記念美術館蔵。重要文化財。「大名物」。

3

松平粉引

整った端正な形。嫌味のない火間と白釉の対比が美しい。「雲州粉引」とも。

松平不昧

畠山記念館蔵。「大名物」。

3

楚白粉引

薄造りで品格がある。胴に三日月形の火間。青なだれ釉、内外の染み模様が見事。

加賀前田家(前田利常愛用)

石川県立美術館蔵。県指定文化財。「中興名物」。李朝初期 全羅南道長興産とされる。

3

津田粉引

「三好粉引」「松平粉引」と並び代表例とされるが、現存品の詳細や特徴は資料により異なる場合がある。

津田宗及などか

諸説あり。東京国立博物館蔵の粉引茶碗(TG-2055)は日本からの注文品か 17

8

酒井粉引

「三好粉引」「松平粉引」などと共に別格の名品とされる。

酒井家か

香雪美術館蔵とされる。

15

5. 結論

本報告では、戦国時代ゆかりの名碗「三好粉吹」について、その歴史的背景、美術的特徴、そして茶道文化における意義を詳細に検討してきた。

「三好粉吹」は、その号が示す通り、戦国時代の有力武将・三好長慶の所持に始まると伝えられ、豊臣秀吉、金森宗和、そして三井家、酒井家といった数々の名高い所蔵者の手を経て現代に伝えられた、由緒ある伝来を持つ茶碗である。その美術的特徴は、大振りで堂々とした姿、轆轤や高台の力強い造形、そして何よりも胴部に現れた笹の葉形の「火間」と、器全体を覆う温かみのある乳白色の釉調に集約される。これらの特徴は、朝鮮半島で育まれた粉引の技法と、それを見出し、新たな価値を与えた日本の茶人たちの美意識との幸福な出会いの産物と言える。

茶道文化においては、「三好粉吹」の素朴でありながらも奥深い景色は、千利休が大成した「わびさび」の精神を体現するものとして高く評価された。火間や雨漏りといった、ともすれば欠点ともなりうる要素を「景色」として積極的に鑑賞し、さらには「器を育てる」という時間的な経過をも楽しむという価値観は、この茶碗を通じて育まれた日本独自の美意識の深まりを示している。

このように、「三好粉吹」は、単なる古い美術工芸品という範疇を超え、歴史的物語、美的価値観、技術的達成、そしてそれらを受容し育んだ人々の精神性を内包する、多層的な文化遺産である。その価値は、特定の時代の流行を超えた普遍的な魅力を有すると同時に、それが生み出され、愛されてきた時代の精神を色濃く反映している。この普遍性と時代性の両立こそが、名品たる所以であろう。

現在、国の重要文化財として、また三井記念美術館の至宝として大切に保存されている「三好粉吹」は、今後もその美と物語を後世に語り継ぎ、多くの人々に感銘を与え続けるに違いない。この一碗の茶碗が持つ豊かな歴史と文化的な深みが、今後の研究によってさらに明らかにされることを期待して、本報告の結びとしたい。

引用文献

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  2. 粉引茶碗(三好) - 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/365667
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  4. 茶の湯の陶磁器 ~ “景色”を愛でる ~ | レポート | アイエム[インターネットミュージアム] https://www.museum.or.jp/report/108256
  5. 粉引の器について - 藤山窯へ ようこそ。 https://tohzan.jimdofree.com/2021/05/22/%E7%B2%89%E5%BC%95%E3%81%AE%E5%99%A8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
  6. 粉引(こびき) - 九谷陶泉(石川県・小松市)|九谷焼ロディ ... https://www.kutaniware.co.jp/%E3%82%84%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E5%B0%82%E9%96%80%E7%94%A8%E8%AA%9E-1/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E7%9A%84%E3%81%AA%E7%B4%A0%E5%9C%B0%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%A3%85%E9%A3%BE%E6%8A%80%E6%B3%95/%E7%B2%89%E5%BC%95/
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  10. 三好長慶ゆかりの地 - 大阪府 https://www.pref.osaka.lg.jp/o070080/toshimiryoku/osakathemuseum/miyoshinagayoshi.html
  11. 織田信長に先駆けた天下人 三好長慶 - 大東市ホームページ https://www.city.daito.lg.jp/site/miryoku/3018.html
  12. 日本史/安土桃山時代 - ホームメイト https://www.meihaku.jp/japanese-history-category/period-azuchimomoyama/
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  14. 陶のもたらす美 Ⅹ ‥‥「粉引 」そして「無地刷毛目」 - 黒田草臣ブログ 『四方山話』 https://kusaomi-yomoyama.seesaa.net/article/200912article_1.html
  15. 開館記念展Ⅲ 花ひらく茶と庭園文化―即翁と、二万坪松平不昧 夢の茶苑|筒藤 純 - note https://note.com/kukitubaki_1/n/n34a7820592ae
  16. 刀剣・粉引茶碗 銘楚白 - 石川県 https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/kougeihin/k-1.html
  17. 粉引茶碗 こひきちゃわん - ColBase https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TG-2055?locale=ja