最終更新日 2025-06-02

坤輿万国全図

坤輿万国全図

日本の戦国・江戸初期における世界認識と「坤輿万国全図」

1. 序論:近世日本の世界認識と「坤輿万国全図」

1-1. 戦国時代から江戸初期における日本の世界観の変遷と「坤輿万国全図」登場の衝撃

日本の戦国時代(15世紀末~16世紀末)から江戸時代初期にかけては、国内の政治的統一が進む一方で、ヨーロッパ人との接触が始まり、日本の世界観が大きく揺らぎ始めた時期であった。それまでの日本における伝統的な世界観は、インド・中国・日本を中心とする「三国世界観」や、須弥山(しゅみせん)を宇宙の中心とする仏教的世界観に大きく影響されていた 1 。地図に関しても、奈良時代の僧行基が作成したとされる、日本とその周辺を簡略に描いた「行基図」 3 や、仏教的宇宙観を図示した「南瞻部洲図(なんせんぶしゅうず)」 1 などが知られていたが、これらは多分に観念的、あるいは日本中心的なものであった。

16世紀半ばの鉄砲伝来やキリスト教布教を伴う南蛮人との接触は、日本に新たな海外情報をもたらしたが、それは断片的であり、体系的な世界地理知識の導入には至らなかった。しかし、戦国大名の中には、富国強兵や貿易振興のために海外情報に関心を寄せる者も現れていた。例えば、薩摩藩の島津氏が琉球を通じて中国に薬草に関する情報を問い合わせた事例 6 や、伊達政宗がヨーロッパへ使節を派遣した慶長遣欧使節 7 などは、限定的ではあれ海外への関心の高まりを示すものであった。このような戦国時代末期に培われた海外への関心や情報収集の素地が、江戸時代初期における「坤輿万国全図」という画期的な世界地図の受容に繋がる知的土壌を形成した可能性が考えられる。

1602年に中国の北京で、イエズス会宣教師マテオ・リッチらによって製作された「坤輿万国全図」は、その刊行後間もない江戸時代初期(慶長年間)に日本へもたらされた 8 。この地図は、地球球体説に基づき、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、そして新たに「発見」されたアメリカ大陸を含む五大州を描き、中国を中心としつつも、それまで日本人が持っていた世界像を根本から覆すものであった。本報告書は、この「坤輿万国全図」が、戦国時代から江戸時代初期という移行期の日本において、どのように受容され、人々の世界認識にいかなる影響を与えたのかを、その製作背景、内容、日本における諸写本の状況、そして後世の研究動向を踏まえつつ、詳細かつ徹底的に考察するものである。特に「戦国時代」との関連については、直接的な製作や享受の記録は乏しいものの、戦国時代に醸成された海外への関心が、江戸初期における本地図の驚きと受容の背景となったという視点、及びその後の世界観への長期的影響という観点から論じる。

戦国時代までの海外情報は、主に口伝や断片的な文書、あるいは前述の行基図のような日本中心の伝統的地図に限られていたのに対し、「坤輿万国全図」は視覚的かつ体系的に全世界を示した点で画期的であり、情報伝達の質と量に大きな変化をもたらしたと言える。この地図の出現は、日本の知識人にとって、まさに世界への新しい「窓」を開くものであった。

1-2. 本報告書の構成と目的

本報告書は、以下の構成で論を進める。まず第2章では、「坤輿万国全図」の製作者であるマテオ・リッチと、明代中国における地図製作の伝統の中で、いかにしてこの世界図が成立したのかを概観する。第3章では、地図の内容と特徴について、描かれた地理情報、付随する図像や解説文、そして原図の物理的特徴を明らかにする。続く第4章では、日本への伝来時期と経路、そして初期の受容の様相、特に鎖国体制下での価値について考察する。第5章では、日本国内に現存する主要な写本や模写図を紹介し、その特徴や日本独自の加筆・修正について比較検討する。第6章では、「坤輿万国全図」が新井白石をはじめとする江戸時代の知識人や、地理学、世界観、宇宙観に与えた具体的な影響を検証する。第7章では、この地図をめぐる近現代の研究動向を整理し、主要な論点を提示する。最後に第8章で、以上の考察を総括し、「坤輿万国全図」の歴史的意義と現代的価値について結論を述べる。

本報告書の目的は、「坤輿万国全図」という一枚の地図を通じて、近世初期日本の知的風景を多角的に描き出し、それが日本の世界認識の変容に果たした役割を明らかにすることにある。

2. 「坤輿万国全図」の成立:マテオ・リッチと明代中国における世界図

2-1. 製作者マテオ・リッチ:イエズス会宣教師の東方布教と科学知識

「坤輿万国全図」の主要な製作者であるマテオ・リッチ(利瑪竇、1552-1610)は、イタリア出身のイエズス会宣教師である 10 。彼はイエズス会において高度な教育を受け、特に数学、天文学、地理学といった自然科学分野の知識に長けていた 10 。1582年にマカオに上陸し、その後中国各地で布教活動を展開する中で、リッチは中国知識人の関心を惹きつけ、キリスト教への理解を得るための手段として、西洋の進んだ科学技術を紹介することを重視した。彼が万暦帝に時計や天文観測機器などを献上した逸話は、その布教戦略を象徴している 10 。また、ユークリッド幾何学を紹介した『幾何原本』の漢訳も、彼の科学知識の高さと中国文化への貢献を示すものである 10

2-2. 明代中国における地図製作の伝統と西洋地理知識の受容

リッチが活動した明代後期の中国には、それ以前から続く地図製作の伝統が存在した。例えば、国家統治のための全国地理書である「大明一統志」には、各省の地図が収録されていた。しかし、その世界観は依然として中国を中心とする中華思想に強く影響されており、中国以外の地域に関する知識は限定的であった。

16世紀後半になると、イエズス会士たちが相次いで中国に来航し、布教活動とともに西洋の科学知識、特に天文学や地理学を紹介し始めた。彼らがもたらした地球球体説や、より正確な世界地図は、一部の中国知識人に衝撃を与え、新たな世界像への関心を喚起した。「坤輿万国全図」以前にも、リッチは1584年に広東省肇慶で、当時の中国の知識人であった王泮の依頼を受け、アブラハム・オルテリウスの世界地図などを基に漢訳した「山海輿地全図」を作成している 12 。これは、西洋の地理知識が中国に紹介された初期の重要な事例であり、「坤輿万国全図」製作の先駆けとなった。

2-3. 「坤輿万国全図」原図(1602年、万暦壬寅版)の製作経緯と協力者

1602年(明の万暦30年、壬寅の年)に北京で刊行された「坤輿万国全図」は、リッチの中国における地理学的活動の集大成と言える。この地図の製作には、明朝の高級官僚であり、西洋科学にも深い理解を示した李之藻(りしそう)らの中国人学者の協力が不可欠であった 14 。李之藻は、リッチがもたらした西洋の原図を漢訳し、中国の読者にとって理解しやすい形に整える上で中心的な役割を果たした 14 。また、万暦帝自身もこの地図の刊行を命じたとされ、国家的な事業としての側面も持っていた 9

「坤輿万国全図」の製作目的は、第一義的にはキリスト教布教の一環として、中国人に世界の広大さと創造主の偉大さを示し、西洋文化の先進性を印象づけることにあったと考えられる 10 。同時に、中国知識人の知的好奇心を満たし、彼らとの良好な関係を築くという現実的な狙いもあった。

この地図製作の過程で特筆すべきは、単なる西洋地図の翻訳に留まらず、中国の伝統的な宇宙観や地理観をある程度尊重し、それらを取り込むことで、中国社会における受容度を高めようとした点である。例えば、地図の投影法として中国を中心に見えるような工夫を凝らし 15 、地名を漢字で音訳・意訳し 15 、さらには九重天図のような伝統的宇宙観を示す図を付帯させる 18 など、異文化間の知識伝達における「現地化」の努力が随所に見られる。これは、リッチの高度な異文化理解と、李之藻ら中国人協力者の貢献があって初めて可能となったものであり、東西知識融合の一つの到達点を示している。

また、原図は木版で印刷されたが 14 、後に日本で製作された模写図の多くが彩色を施され、屏風に仕立てられていること 8 は、この地図が単なる情報伝達媒体としてだけでなく、権威や教養を示す美術品・工芸品としても価値を見出されていたことを示唆している。

3. 「坤輿万国全図」の内容と特徴

3-1. 描かれた世界:構成と投影法

「坤輿万国全図」は、一般的に左右一対の屏風に描かれることが多いが、原図は六枚の紙を繋ぎ合わせた巨大な一枚の地図として構想されていた 14 。その投影法は、地球全体を卵型(楕円形)に描く独特のもので 17 、これは当時のヨーロッパで試みられていた様々な投影法の影響を受けたものと考えられる。最も顕著な特徴は、中国(明)を地図の中央に配置している点である 15 。これは、伝統的な中華思想に配慮し、中国の知識層に受け入れられやすくするための工夫であった。

3-2. 主要な地理情報

「坤輿万国全図」には、当時の西洋における最新の地理知識が盛り込まれている。

  • 五大州の描写: アジア(亜細亜)、ヨーロッパ(欧羅巴)、アフリカ(利未亜)、そして南北アメリカ(南北亜墨利加)の四大陸に加え、南半球には広大な未知の大陸として「墨瓦蝋泥加(メガラニカ、マガラニカとも)」が描かれている 13 。このメガラニカは、現在のオーストラリア大陸と南極大陸が一体化したような形で表現されており、当時のヨーロッパ地理学における南方大陸への推測を反映している。
  • 日本列島の描写: 日本は本州、四国、九州が比較的正確な輪郭で描かれているが、北海道(蝦夷地)については「北陸道」と記されるなど不正確な点も見られる 13
  • 地名表記: 世界各地の地名は、基本的に現地の発音を漢字で音写したものや、意味を翻訳した漢訳語で表記されている 15 。これが、漢字文化圏である日本において、他のヨーロッパ製地図よりも理解されやすかった大きな要因となった 9
  • 海洋表現: 大西洋やインド洋(「小西洋」と表記されることもある 25 )などが描かれ、日本周辺の海域は「日本海」と明記されているものも存在する 26

3-3. 付随する図像と解説文

「坤輿万国全図」は、単に地理情報を示すだけでなく、天文学的・宇宙論的な図像や、各地の風俗・産物に関する詳細な解説文が付されている点が大きな特徴である。

  • 図像:
  • 地図本体の周囲や余白には、「九重天図」や「天地儀図」といった、プトレマイオス体系に基づく天動説的な宇宙観を示す図が描かれていることが多い 18 。これらは、当時の西洋天文学の知識を視覚的に伝えようとする試みであると同時に、中国の伝統的な宇宙論との親和性も考慮された可能性がある。
  • 日食・月食の原理を説明する図や、南北両半球の星図なども付されており、天文学的な情報も豊富である 13
  • 一部の写本には、異国の動物、船舶、海洋生物などが装飾的に描かれ、視覚的な魅力を高めている 27
  • 解説文(序文・跋文・注記):
  • 李之藻による序文: 地図の製作経緯や、この地図が持つ世界認識上の意義などが記されている 28 。海野一隆氏らの研究によれば、この序文にはいくつかの異本が存在し、それらの比較検討は「坤輿万国全図」の諸版の系統を明らかにする上で重要な手がかりとなっている 28
  • マテオ・リッチ等による跋文・注記: 地図上の各地域には、その地の気候、風俗、習慣、産物、歴史などに関する詳細な注記が付されている 13 。例えば、日本の記述として「其民多習武少習文」(その民は武を習う者が多く、文を習う者は少ない)といったものや 13 、ヨーロッパについては「一切異端不従。而独崇奉天主上帝聖教」(一切の異端に従わず、ただ天主上帝の聖教を崇奉する)といった記述が見られる 13 。これらの記述は、当時のヨーロッパ人の世界認識や異文化への関心を示す一方で、伝聞や想像に基づく不正確な情報、あるいは宣教的な意図を含む記述も散見される 13

3-4. 原図の物理的特徴(推定)

1602年に北京で刊行された原図は、木版刷りであったと考えられている 14 。現存する京都大学附属図書館所蔵の木版刷り「坤輿萬國全圖」(万暦版)は、一幅が縦約214cm、横約68cmであり、これが六幅組み合わさることで、全体としては縦約2メートル、横約4メートルにも及ぶ巨大な世界図となる 21 。東京国立博物館所蔵の模写屏風も、縦165cm、横388cmと非常に大型である 8 。これほどの大画面に詳細な情報が盛り込まれていたことは、当時の人々にとって驚異的であったと想像される。

「坤輿万国全図」は、単なる地理図の枠を超え、宇宙論、天文学、民族誌、博物誌といった多様な情報を含む、複合的な知識体系を提示するものであった。これは、当時の西洋における「知の集大成」として地図を捉える思想の一端を示すと同時に、中国の知識人に対してキリスト教世界の知的権威を示そうとするリッチの意図も反映していると言えよう。また、地理情報における正確性と不正確性の混在は、当時の地理学の到達点と限界を示すと同時に、地図が客観的な事実の記録のみならず、世界に対する「想像」や「解釈」をも内包する媒体であったことを物語っている。

4. 日本への伝来と初期の受容

4-1. 伝来の具体的な時期と経路

「坤輿万国全図」が日本へもたらされた正確な時期と経路については、複数の説があるものの、原図が北京で刊行された1602年(慶長7年)の翌年から数年の内、すなわち1603年(慶長8年)から1606年(慶長11年)の間には日本に伝来していたとする見方が有力である 9 。これは日本の歴史区分では江戸時代のごく初期にあたり、戦国時代の終焉から間もない時期である。

具体的な伝来経路については、確実な史料に乏しく、いくつかの可能性が指摘されている。一つは、当時まだ活動していたイエズス会宣教師を通じて直接、あるいは間接的にもたらされた可能性。もう一つは、ポルトガルやオランダなどの貿易商人によって、交易品の一つとして持ち込まれた可能性である 31 。また、朝鮮通信使を介して伝来したとする説もあるが、初期の伝来に関しては前二者の可能性が高いと考えられる。

この迅速な伝来の背景には、当時の東アジアにおける活発な情報ネットワークの存在が示唆される。17世紀初頭の日本は、豊臣秀吉による朝鮮出兵の記憶も新しく、徳川家康による幕藩体制の確立期であったが、朱印船貿易などを通じて東南アジア方面との交流はまだ盛んであった 32 。このような状況下で、中国で刊行された最新の世界図が、比較的短期間のうちに日本にもたらされたことは、当時の人々の海外情報に対する関心の高さと、それを伝えるルートが存在していたことを物語っている。

4-2. 日本で歓迎された理由:漢字文化圏における地図の意義

「坤輿万国全図」が日本で比較的速やかに受け入れられ、知識層の間で注目を集めた理由として、いくつかの点が挙げられる。最大の要因は、地図上の地名や膨大な注記が、すべて漢文で記されていたことである 9 。当時の日本の知識人にとって、漢文は共通の教養であり、ヨーロッパ製のラテン語やポルトガル語で書かれた地図に比べて格段に理解しやすかった。

また、この地図が中国(明)という、日本にとって長らく先進文化の中心であった国で製作・刊行されたという事実も、その権威性を高める要因となった。中国からもたらされた最新の世界地理情報として、大きな関心をもって迎えられたと考えられる。

4-3. 鎖国体制下における「坤輿万国全図」の役割と価値

江戸幕府が1639年(寛永16年)にいわゆる鎖国令を発布し、海外との交流を厳しく制限するようになると、「坤輿万国全図」の持つ意味合いはさらに重要性を増した。新たな海外情報の入手が極めて困難になる中で、この地図は、幕府や諸藩にとって、世界情勢を把握するための数少ない、そして最も権威ある情報源として、その価値を高めていったのである 9

鎖国という閉ざされた状況下にあって、「坤輿万国全図」は、日本の知識人が外部世界を垣間見るための貴重な「窓」としての役割を担った。情報は次第に古くなっていくものの、それに代わる新たな体系的世界図が容易には手に入らなかったため、相対的な権威は長く保たれた。

豊臣秀吉の大陸侵攻の野望 29 や、伊達政宗の遣欧使節派遣計画 7 に見られるように、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての日本の支配者層は、海外に対して強い関心を示していた。徳川幕府による鎖国体制は、このような直接的な海外進出や交渉を抑制するものであったが、人々の知的な好奇心や、世界における自国の位置づけを知りたいという欲求までをも完全に封殺するものではなかった。「坤輿万国全図」のような地図は、直接的な行動を伴わない形で、そうした知的な海外関心を満たし、世界の中の日本という視点を提供するものとして機能したのである。新井白石の家に世界地理に関する知識が秘蔵され、後に幕府に献上されたこと 35 や、8代将軍徳川吉宗が漢訳洋書の輸入禁止を緩和したこと 36 などは、幕府自身も海外情報に関心を持ち続けていたことを示している。この地図は、戦国時代の行動的・拡張的な海外関心とは異なる、より内省的で知的な関心の受け皿となったとも言えよう。

5. 日本における「坤輿万国全図」の諸相と現存状況

5-1. 主要な写本・模写図の紹介と比較

「坤輿万国全図」は、日本に伝来して以降、その重要性から多くの写本や模写図が製作された。これらは単なる原図の複製に留まらず、日本の絵画様式や需要に応じて彩色が施されたり、屏風に仕立てられたりするなど、独自の展開を見せた。以下に主要な現存資料を挙げる。

  • 京都大学附属図書館所蔵「坤輿萬國全圖」(木版刷り、万暦版)
    世界でも数点しか現存が確認されていないマテオ・リッチ原図の木版刷りの一つであり、学術的に極めて貴重な資料である 14。元は六幅一組の屏風仕立てであったが、現在は各幅が軸装に改装されている 14。各幅の寸法は縦約214cm、横約68cmで、第六幅には「銭塘張文寿過紙 万暦壬寅孟秋日」という刊記が残されている 21。特徴的な点として、宮城県図書館本とは異なり、イエズス会の紋章が削り取られていることが指摘されている 13。
  • 宮城県図書館所蔵「坤輿万国全図」(木版刷り、国重要文化財)
    こちらも万暦30年(1602年)に北京で刊行された李之藻版の木版刷り六幅からなる世界図である 13。各軸の寸法は(167.9cm~169.0cm)×(62.4cm~62.9cm)13。仙台藩の天文方に所蔵されていたものが、藩校養賢堂を通じて伝来したと推定されており、昭和51年に宮城県重要文化財、平成2年に国重要文化財に指定された 13。京都大学本とは異なり、イエズス会の紋章3箇所が全てそのまま残存する完全な刊本である点が特筆される 13。宮城県図書館のウェブサイト「叡智の杜Web」にてデジタル画像が公開されている 13。
  • 仙台市博物館所蔵「天文図・坤輿万国全図屏風」(名取春仲筆、彩色屏風)
    江戸時代後期(19世紀)に、岩出山出身の天文学者であった名取春仲によって描かれた六曲一双の屏風である 18。一方の隻に天文図、もう一方の隻に「坤輿万国全図」が描かれている。各隻の寸法は縦約176.3cm、横約363.5cm 18。坤輿万国全図部分はマテオ・リッチの原図を基にした彩色写本であり、日本の地名に訂正が見られる点が特徴的である 18。天文図部分は渋川春海の「天文成象図」を基にしており、仙台藩の天文方であった遠藤盛俊が作成した「昼夜長短之図」なども含まれている 18。
  • 東京国立博物館所蔵「坤輿万国全図屏風」(模写屏風)
    マテオ・リッチの原図を日本で模写し、屏風に仕立てたもので、江戸時代の18世紀から19世紀にかけて製作されたと考えられている 8。紙本着色で、寸法は縦約165cm、横約388cmの一隻である 8。この屏風の特徴として、日本列島の東方海上に「金島」「銀島」が描き加えられている点が挙げられる 8。
  • 林原美術館所蔵「坤輿万国全図」(池田家伝来、彩色屏風)
    岡山藩主池田家に伝来したもので、紙本着色、縦約164.8cm、横約376.0cmの屏風である 24。江戸時代中期頃の製作と推定されている 24。日本列島の描写には不正確な点(例:北海道の位置に北陸道が描かれる)が見られ、南方大陸メガラニカも描かれている 24。この地図は超高精細デジタル画像化され、日本語訳付きでウェブ公開されており、研究の進展に貢献している 37。
  • その他の所蔵機関と特徴
    上記以外にも、神戸市立博物館 33、国立公文書館 16、早稲田大学図書館 42、東北大学附属図書館狩野文庫 43 など、日本国内の多くの機関が「坤輿万国全図」の写本や模写図を所蔵している。神戸市立博物館本には原図にない浅瀬の表現やガラパゴス諸島、金島・銀島が描かれ、台湾が「東寧」と表記されている 33。国立公文書館本は、世界図の部分を切り取って皇輿図の裏に貼り直した特殊な形態をとる 16。東北大学本は一部地名が片仮名に改められている 43。

5-2. 日本における独自の加筆・修正とその意図

日本の「坤輿万国全図」の写本や模写図には、原図には見られない独自の加筆や修正が施されている場合が少なくない。これらは、日本の地理認識や価値観、美的感覚を反映したものであり、受容と変容のダイナミズムを示している。

  • 金島・銀島の追加: 東京国立博物館本や神戸市立博物館本など、多くの日本の模写図において、日本列島の東方海上に「金島」「銀島」が描き加えられている 8 。これは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に由来する「黄金の国ジパング」伝説の残映である可能性や、当時の日本人の東方海洋への関心、あるいは領土意識の現れとも解釈できる。外来の地理情報に対して、自国の関心や既存の知識体系を投影しようとする意図が窺える。
  • 地名の修正・詳細化: 仙台市博物館所蔵の名取春仲筆「坤輿万国全図屏風」では、日本の地名に訂正が見られる 18 。これは、より自国とその周辺に関する正確な知識を、世界図というグローバルな文脈の中に反映させようとする試みであり、ローカルな知とグローバルな知の統合を目指す姿勢の現れと言える。
  • 彩色の美しさ: 仙台藩伊達家旧蔵とされる名取春仲筆の屏風は、五大州ごとに着色された色彩豊かなものである 9 。林原美術館所蔵本も紙本着色であり 37 、多くの日本の写本・模写図で彩色が施されている。原図が基本的に木版墨刷りであったのに対し、日本では実用的な地理情報源としての側面に加え、鑑賞性や権威の象徴としての美術的価値も重視されたことを示唆している。
  • 屏風という日本的形態への展開: 世界地図が屏風という日本特有の調度品に仕立てられたことは、それが単に壁に掛けて参照される情報媒体であっただけでなく、知識人の書斎や大名の居室といった空間に置かれ、日常的に目に触れると同時に、所有者の教養や国際的視野、権威を示す装飾品としての役割も担ったことを物語っている 8 。屏風という形態は、日本の生活文化の中での地図受容のあり方を色濃く反映している。

これらの日本独自の改変は、「坤輿万国全図」という外来の知識体系が、日本の文化的文脈の中で主体的に受容され、解釈され、再構築されていった過程を示す重要な証左である。

表1:主要な「坤輿万国全図」現存リストと比較

所蔵機関

名称/通称

形態

材質・技法

寸法(縦×横 cm)

製作年代/推定年代

製作者(判明している場合)

伝来(判明している場合)

独自の特徴など

備考(デジタルアーカイブ等)

京都大学附属図書館

坤輿萬國全圖

木版刷り(元屏風、現軸装6幅)

木版墨刷

各幅 約214×68

1602年(万暦壬寅)

マテオ・リッチ、李之藻

不明

イエズス会紋章削除 13

14

宮城県図書館

坤輿万国全図

木版刷り(軸装6軸)

木版墨刷

各軸 (167.9-169.0)×(62.4-62.9)

1602年(万暦壬寅)

マテオ・リッチ、李之藻

仙台藩伝来推定

イエズス会紋章3個全て残存 13

国重要文化財、デジタルアーカイブ有 13

仙台市博物館

天文図・坤輿万国全図屏風

六曲一双屏風

紙本着色

各隻 約176.3×363.5

江戸時代後期(19世紀)

名取春仲筆

不明

日本の地名訂正、天文図と対 18

東京国立博物館

坤輿万国全図屏風

六曲一隻屏風

紙本着色

約165×388

江戸時代・18~19世紀

不明(模写)

万木良平氏寄贈

金島・銀島追加 8

8

林原美術館

坤輿万国全図

六曲一隻屏風

紙本着色

約164.8×376.0

江戸時代中期頃

不明(模写)

岡山藩主池田家伝来

メガラニカ大陸、日本描写の不正確さ 24

超高精細デジタルアーカイブ有(日本語訳付) 37

神戸市立博物館

坤輿万国全図屏風

屏風

不明(彩色写本)

不明

17世紀(書写年代)

不明(模写)

不明

浅瀬表現、ガラパゴス諸島、金島・銀島、台湾「東寧」表記 33

国立公文書館

(裏)坤輿万国全図

皇輿図裏貼付

不明

不明

不明

不明(模写)

不明

世界図部分を切り取り皇輿図裏に貼付、日本海記載 16

デジタルアーカイブ有 16

東北大学附属図書館狩野文庫

坤輿万国全図

写本

不明(彩色か)

1幅:168.1×62.9(6幅1組)

明時代(原図)、写本年代不明

不明(模写)

藩校養賢堂伝来か

一部地名片仮名化 43

6. 「坤輿万国全図」の日本における受容と影響

6-1. 江戸時代の地理学・世界認識への影響

「坤輿万国全図」は、江戸時代の日本の知識人たちに多大な影響を与え、彼らの地理学研究や世界認識の形成に大きく貢献した。

  • 新井白石(1657-1725)と「坤輿万国全図」:
    江戸中期の儒学者であり政治家でもあった新井白石は、西洋知識の摂取に積極的であった。彼は1708年(宝永5年)に潜入したイタリア人宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチを尋問し、また長崎のオランダ商館長からも情報を得るなどして、西洋の地理、科学、政治、宗教に関する知識を深めた 36。その成果として著されたのが、世界地理書『采覧異言』(1713年成立、1725年完成)や『西洋紀聞』(1715年頃成立)である。これらの著作において、白石は「坤輿万国全図」を重要な情報源の一つとして参照していたことが指摘されている 9。
    しかし、白石は「坤輿万国全図」の情報を鵜呑みにしたわけではない。彼はシドッチやオランダ人から得たより新しい情報と比較検討し、批判的な視点も持っていた。特に『采覧異言』では、「坤輿万国全図」に描かれていた南方の巨大大陸「墨瓦蝋泥加(メガラニカ)」の存在を否定しており 36、これは当時の日本における地理学研究の水準の高さを示すものと言える。白石のこのような実証的な研究態度は、その後の日本の洋学研究に大きな影響を与え、杉田玄白らも彼を先駆者として高く評価した 36。
  • 西川如見(1648-1724):
    長崎の天文・地理学者であった西川如見は、その著書『華夷通商考』(1695年刊行)において、「坤輿万国全図」などから得た知識を活用し、当時の日本人に向けて世界の地理や通商の状況を紹介した 9。これは、一般の知識層にも海外知識を広める上で重要な役割を果たした。
  • 長久保赤水(1717-1801):
    水戸藩の地理学者である長久保赤水は、精密な日本地図「改正日本輿地路程全図」の作者として名高いが、同時に世界図の製作にも取り組んだ。彼が作成した「地球万国山海輿地全図説」は、マテオ・リッチ系の世界図、すなわち「坤輿万国全図」の系統を引くものであった 22。これは、「坤輿万国全図」の影響が18世紀後半においてもなお継続していたことを示している。
  • 林子平(1738-1793):
    江戸後期の経世家である林子平は、『三国通覧図説』や『海国兵談』を著し、ロシアの南下などに対する海防の重要性を説いた。彼の地理認識形成においても、「坤輿万国全図」あるいはその系統の地図が影響を与えた可能性が指摘されている。レファレンス協同データベースの情報によれば、子平は長崎で「坤輿万国全図」を入手し、それを知人の藤塚知明に示したとされる記録がある 45。この地図から得た世界地理の知識が、彼の危機意識や海防思想の背景にあったと考えられる。
  • 高橋景保(1785-1829):
    江戸幕府の天文方として、伊能忠敬による日本全国測量事業を監督し、「大日本沿海輿地全図」(伊能図)の完成に貢献した高橋景保もまた、世界地理に関心を持っていた。彼は、西洋の最新地図を基本としつつも、蝦夷地(北海道)や北方地域に関しては日本の探検家による最新情報を重視するという、複数の情報源を批判的に統合する姿勢を示した 12。「坤輿」という言葉が大地や世界を意味する語として、「坤輿万国全図」だけでなく、伊能図の正式名称である「大日本沿海輿地全図」にも用いられている点は興味深い 46。
  • 藩校などにおける教育利用:
    「坤輿万国全図」は、一部の知識人の個人的な研究対象に留まらず、教育の場でも利用された。例えば、仙台藩の藩校である養賢堂には「坤輿万国全図」が伝えられていたとされ 13、藩士の教育に用いられた可能性がある。諸藩においても同様に写本が作成され 9、藩政のための情報収集や人材育成の一環として活用されたと考えられる。

6-2. 世界観・宇宙観の変容への寄与

「坤輿万国全図」が日本社会に与えた最も大きな影響の一つは、伝統的な世界観・宇宙観を揺るがし、新たな認識の枠組みを提示した点にある。

  • 新しい世界像の提示: 地球が球体であるという説、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ・そして未知の南方大陸(メガラニカ)からなる五大州の存在は、それまでの日本人が抱いていた三国世界観(インド・中国・日本が世界の中心)や須弥山を中心とする仏教的宇宙観とは根本的に異なるものであった 9 。この新しい世界像は、視覚的なインパクトとともに、日本の知識人の知的地平を大きく拡大させた。
  • 中華思想の相対化と自国中心主義の可能性: 中国(明)を中央に描いてはいるものの、「坤輿万国全図」は中国もまた広大な世界の中の一国であることを示していた。これは、伝統的な中華思想を相対化する視点を提供すると同時に、地球が球体であるならば、どの地点も中心となり得るという発想から、日本こそが世界の中心であるとする「中朝」意識や、朝鮮における「小中華」思想のような、新たな自国中心主義的な世界観を生み出す可能性も秘めていた 47

「坤輿万国全図」は、単に新しい地理情報を提供しただけでなく、既存の知識体系や価値観そのものを問い直すきっかけを与えた。新井白石によるメガラニカ大陸の存在をめぐる検討 36 はその一例であり、外来情報を鵜呑みにするのではなく、複数の情報源を比較し、批判的に吟味することで、より正確な知識を構築しようとする知的な営為を促した。これは、近世日本における「知のパラダイムシフト」の重要な触媒として機能したと言える。

鎖国体制下にあっても、「坤輿万国全図」を通じて世界の広がりと多様性を認識したことは、直接的な外交関係が乏しい中でも、潜在的な「国際意識」を育むことに繋がった。幕末の開国期に日本が比較的迅速に国際社会の現実に適応できた背景には、こうした江戸時代を通じた世界地理知識の蓄積と、それに基づく世界認識の変容が、知的基盤の一つとして存在していた可能性が考えられる 47

表2:「坤輿万国全図」が影響を与えた主要な日本の学者と著作

学者名(生没年)

関連著作(成立年/刊行年)

影響の概要

新井白石(1657-1725)

『采覧異言』(1713年成立、1725年完成)、『西洋紀聞』(1715年頃成立)

「坤輿万国全図」を参照しつつ、シドッチ尋問等で得た新情報に基づき批判的に検討。メガラニカ大陸の存在を否定するなど、独自の地理観を構築 9

西川如見(1648-1724)

『華夷通商考』(1695年)

「坤輿万国全図」等の知識を活用し、世界の地理・通商情報を紹介。日本の海外知識普及に貢献 9

長久保赤水(1717-1801)

「地球万国山海輿地全図説」(1780年代頃)

マテオ・リッチ系世界図の系統を汲む世界図を製作し、その影響が18世紀後半まで継続していたことを示す 22

林子平(1738-1793)

『三国通覧図説』(1785年)、『海国兵談』(1787-1791年)

長崎で「坤輿万国全図」を入手したとされ、その地理認識が海防論や国際情勢認識に影響を与えた可能性 45

高橋景保(1785-1829)

(伊能図の監修、「新訂万国全図」1810年)

西洋の最新地図と日本の実測情報を統合する姿勢。「坤輿」の語彙を使用 12

名取春仲(1711-1789)

「天文図・坤輿万国全図屏風」(19世紀)

仙台藩の天文学者。「坤輿万国全図」の彩色模写屏風を製作。日本の地名を訂正するなど、独自の加工を加える 18

7. 「坤輿万国全図」をめぐる近現代の研究動向

7-1. 多角的な学術研究の進展

「坤輿万国全図」は、その歴史的・文化的重要性から、近現代において多角的な学術研究の対象となってきた。

  • 歴史地理学・地図史の視点:
    この分野では、原図と現存する諸写本の系統関係の整理、描かれた地理情報の正確性の検証、日本で加えられた独自の加筆や修正(金島・銀島の追加など)の分析が中心的なテーマである。青山宏夫氏の研究プロジェクト「坤輿万国全図と国民的教養の基盤形成」では、「マテオ=リッチ系世界図」という類型の再定義、原刊図1点と模写図3点の新たな発見、諸図間の模写関係の確定、そして18世紀末以降も「坤輿万国全図」が影響力を持ち続けた理由の解明など、重要な成果が報告されている 48。
    海野一隆氏の論文「利瑪竇『坤輿万国全図』の諸版」は、現存する諸版を詳細に比較検討し、特に李之藻による序文の異同、九重天図の記述内容、イエズス会紋章の扱いなどを手がかりに、各版の成立過程や系統関係に迫る画期的な研究である 28。ウィーン国立図書館所蔵本やロンドン王立地理学会所蔵本の特徴、木版の損傷と修復の痕跡、清朝成立後の変化などについても詳細な考察がなされている。
    これらの研究に先鞭をつけたものとして、鮎沢信太郎氏の『マテオ・リッチの世界図に関する史的研究』 49 や、辻田右左男氏の『日本近世の地理学』 52 が挙げられる。また、船越昭生氏の研究は「康熙図」との関連で 58、宮崎道生氏の研究は新井白石との関連で 59、「坤輿万国全図」の理解を深める上で重要である。
  • 美術史・図像学の視点:
    日本で製作された「坤輿万国全図」の多くが屏風形式をとり、美しい彩色が施されていることから、美術史的な研究も活発である。屏風図としての装飾性、描かれた異国の動植物や船舶、人物などの図像の分析、そして日本絵画史における位置づけなどが検討されている 31。
  • 思想史・文化交渉史の視点:
    「坤輿万国全図」が日本の知識人の世界観や宇宙観の変容にどのような影響を与えたのか、また、東西文化交渉の象徴としての意義を分析する研究も重要である 1。山室信一氏の論考は、この地図が日本人のアジア認識や江戸時代の西学受容に与えた影響を深く考察している 47。
  • 書誌学・文献学の視点:
    地図に付された序文、跋文、各地の注記などの解読と校訂、そして諸本の系統整理は、文献学的なアプローチからも進められている 13。

7-2. 主要な研究テーマと論点

近年の研究における主要なテーマと論点は以下のように整理できる。

  • 原図の確定と諸系統の解明: 海野一隆氏の研究が示すように、現存する明刊本が実は改訂版であり、日本の初期の模写本が初版本の姿をより忠実に伝えている可能性があるという指摘は、大きな論点となっている 30 。李之藻による序文の文言の異同や、イエズス会の紋章の扱いの違いなどが、諸本の系統関係を明らかにするための重要な手がかりとされている。
  • 日本における受容の実態解明: 具体的にどのような人物が、いつ、どのような経路で「坤輿万国全図」を入手し、それがどのようにして知識人層に広まっていったのか。また、幕府や各藩において、この地図がどのように利用され、藩政や教育にどのような影響を与えたのか、といった具体的な受容過程の解明が求められている。
  • 日本独自の改変の意図と背景: 日本で製作された写本や模写図に見られる金島・銀島の加筆、地名の修正、美しい彩色の付与、屏風という形態への転換といった独自の改変が、何を意味するのか。当時の日本の世界認識、美意識、あるいは政治的・文化的な意図などが、これらの改変の背景にあると考えられ、その解明が試みられている。
  • 思想的影響の再評価: 新井白石のような個々の知識人への影響に留まらず、「坤輿万国全図」がより広範な日本社会の思想的基盤形成、あるいは「国民的教養」の形成にどのような役割を果たしたのかという、よりマクロな視点からの影響の再評価も重要なテーマとなっている 48

7-3. デジタルアーカイブ化の進展とその意義

近年、林原美術館 37 、宮城県図書館 13 、国立公文書館 16 をはじめとする多くの所蔵機関において、「坤輿万国全図」の高精細なデジタル画像がインターネット上で公開されるようになってきている。このデジタルアーカイブ化の進展は、研究に大きな恩恵をもたらしている。

従来は各地に点在する貴重な原資料を直接閲覧する必要があり、時間的・経済的な制約が大きかったが、デジタル画像の公開により、研究者は容易に国内外の諸本を比較検討することが可能となった。特に、林原美術館が公開している超高精細画像や日本語訳付き画像 37 は、微細な書き込みの判読や、漢文注記の内容理解を助け、より詳細な分析を可能にしている。

このような研究環境の変化は、従来は見過ごされてきた特徴の発見や、新たな系統関係の解明、さらには彩色技法の比較や顔料分析(非破壊検査との連携)といった、新しい研究アプローチの創出を促している。また、地理学、歴史学、美術史、思想史、書誌学といった多岐にわたる分野の研究者が、デジタル化された情報を共通の基盤として、より緊密に連携し、学際的な共同研究を進めることも容易になった。デジタルアーカイブは、「坤輿万国全図」研究の深化と新たな発見を加速させる上で、不可欠なツールとなっている。

8. 結論:「坤輿万国全図」の歴史的意義と現代的価値

8-1. 近世日本における世界理解の画期としての評価

「坤輿万国全図」は、17世紀初頭の日本において、それまでの伝統的な世界観を根底から揺るがし、新たな世界像を提示した画期的な地図であった。地球球体説に基づき、五大州(実際にはメガラニカを含むため六大陸に近い概念)を描き出したこの地図は、日本の知識人の知的地平を大きく拡大させ、その後の日本の学術、思想、文化に多大な影響を及ぼした。特に、戦国時代の終焉から江戸幕府による国内統一と鎖国体制へと向かう過渡期において、日本が自己の世界における位置づけを再構築していく上で、決定的な役割を果たした史料の一つとして高く評価されるべきである。

8-2. 東西文化交渉の象徴としての意義

「坤輿万国全図」は、イタリア人宣教師マテオ・リッチと中国人学者李之藻らとの共同作業によって製作されたものであり、西洋の科学知識・地理観と、中国の伝統文化・表現様式とが融合した、東西文化交渉の輝かしい成果と言える。その製作過程における「現地化」の努力は、異文化理解と知識伝達における優れた実践例を示す。さらに、この地図が日本へ伝播し、そこで独自の解釈や加筆・修正を伴いながら受容され、多様な写本や屏風図として展開していった過程そのものが、日本というフィルターを通したもう一つの文化交渉のあり方を具体的に示している。

8-3. 現代における研究の進展と今後の展望

近年のデジタルアーカイブ化の進展は、「坤輿万国全図」研究に新たな局面をもたらし、諸本の比較検討や学際的研究を飛躍的に深化させている。海野一隆氏や青山宏夫氏らによる精力的な研究は、原図の系統や日本における受容の様相について多くの新知見を提供してきた。しかし、例えば、戦国時代の大名たちがこの地図を直接目にする機会があったのか、初期の具体的な伝来ルート、あるいは日本各地で製作された無数の模写図の全貌など、未だ解明されていない点も多く残されている。

グローバル化が急速に進展する現代において、かつて日本人が「坤輿万国全図」という未知の世界像にどのように向き合い、それを自らの知識体系に取り込み、あるいは批判的に検討しながら自己の認識を更新していったのかを学ぶことは、現代を生きる我々が多様な情報や異文化と接する上で、多くの示唆を与えてくれる。「坤輿万国全図」の研究は、単に過去の一枚の地図を分析するに留まらず、近世初期における東アジアとヨーロッパ間の知識・文化の伝播と相互作用を明らかにするものであり、グローバルヒストリーの文脈においても重要な意味を持つ。今後のさらなる研究の進展が期待される。

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  67. 地歴最新資料 - 第一学習社 https://www.daiichi-g.co.jp/chireki/info/siryo/21/ch18_21.pdf
  68. 23501201 研究成果報告書 - KAKEN https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-23501201/23501201seika.pdf
  69. 明末奉教士人の社会関係と天主教受 : 容徐光啓を中 心に - 九州大学 https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1654591/lit0202.pdf
  70. 『地学雑誌』1創刊(明治二十二年)より関東大震災まで 一 - HERMES-IR - 一橋大学 https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/9615/HNshakai0001100010.pdf
  71. 中国近代思想研究方法序説 - 愛知県立大学学術リポジトリ https://aichi-pu.repo.nii.ac.jp/record/3488/files/19_15kawajiri.pdf
  72. 創刊号~35 - 株式会社汲古書院 古典・学術図書出版 http://www.kyuko.asia/book/b661214.html
  73. Hiraoka, Ryuji(Institute for Research in Humanities) | Activity Database on Education and Research, Kyoto University - 京都大学 教育研究活動データベース | https://kdb.iimc.kyoto-u.ac.jp/profile_private/en.eff96b24dba3a5d0.html
  74. 近世知識人の「華夷」観 : 黄宗羲と横井小 楠を中心に https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00022675/kn_9_p129.pdf
  75. 東アジア世界史研究の視点・方法・論点 - 琉球大学学術リポジトリ https://u-ryukyu.repo.nii.ac.jp/record/2002033/files/Vol27p95.pdf
  76. 人文知の 新たな総合に向けて - 京都大学 大学院文学研究科・文学部 https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/archive/jp/projects/projects_completed/hmn/iho.pdf
  77. 絵地図から近世の世界観を探る - researchmap https://researchmap.jp/konosuke_h/presentations/41459314/attachment_file.pdf
  78. 坤輿万国全図とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E5%9D%A4%E8%BC%BF%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%85%A8%E5%9B%B3
  79. 日本語の表記体系における漢字の機能 https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/73019/files/Honbun-8983.pdf
  80. ロブシャイ ト英華字典の訳語の来源 をめ ぐって - 愛知大学リポジトリ https://aichiu.repo.nii.ac.jp/record/3846/files/arakawa.pdf
  81. ケンペルが持ち帰った『万国総界図』 https://www.museum.kyushu-u.ac.jp/publications/bulletin/006/06-2.pdf
  82. 関係断絶期のスペイン認識 https://www.waseda.jp/flas/rilas/assets/uploads/2022/10/331-336_Hiroshi-SHIINA.pdf
  83. 坤舆万国全图 - 维基百科 https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E5%9D%A4%E8%BC%BF%E8%90%AC%E5%9C%8B%E5%85%A8%E5%9C%96
  84. ひらけ!ゴマ!!吉澤誠一郎先生の巻 - 人文社会系研究科 - 東京大学 https://www.l.u-tokyo.ac.jp/digitalarchive/collection/yoshizawa_seiichiro.html
  85. 所蔵史料解説 | 常盤歴史資料館 - もっぱらしまばら(長崎県島原市の情報満載ポータルサイト) http://www.shimabara.jp/hirokata/kaisetsu.html
  86. ケンペルが持ち帰った『万国総界図』 - Collections | Kyushu University Library - 九州大学 https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/15732/p033(1)_rp.pdf
  87. JRC一手扱い―三恵社 https://www.jrc-book.com/list/sankei.html
  88. 「オーストラリア」の「豪」系音訳表記について - 茨城大学学術情報リポジトリ https://rose-ibadai.repo.nii.ac.jp/record/19953/files/jskr_01_02.pdf
  89. オランダ古地図IAPONIA REGNVMをめぐって - CORE https://core.ac.uk/download/pdf/324204363.pdf
  90. 人流・観光学概論 https://www.japannow.org/PDF/jinryukankogaku_gairon.pdf